水面に踊る君と地で歌う僕   作:Allenfort

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第42話 癒えていく傷跡

空を切り裂く2つの機影。そして、遅れて轟く爆音。腹の底まで響いてくるその戦闘機の爆音が恐怖に飲まれていた吹雪の意識を戻らせた。米軍の戦闘機が頭上を飛んでいるのだ。深海棲艦も空に気づき、慌てて対空戦闘を開始するが、音速を超える戦闘機を捉えることができない。

 

翼から爆弾が落とされた。落下していく爆弾の狙いは海岸砲。誘導員がどこかにいるのだろうか。直後、轟く爆音と吹きすさぶ爆風。海岸砲がその一撃で沈黙していた。

 

チャンスだった。すぐに混乱に陥っている深海棲艦へと砲撃を開始する。艦娘の反撃が始まったのだ。

 

守る陣地は奪われ、このままでは退路を断たれると判断した深海棲艦は撤退を開始する。戦闘は終わった。それと同時に、吹雪は全身から力が抜けるのを感じた。何もできなかったと悔やむ気持ちと、助かったという気持ちが入り混じっていた。

 

陸では黒坂と宮原がそれぞれ隊を率いて陣地を制圧していた。逝った仲間も多い。だが、それ以上に価値はあった。艦娘は生き残ったし、反撃の足がかりもつかんだ。お前たちの死は無駄にはならない。黒坂と宮原は握りしめた仲間たちのドッグタグにそう語りかけた。

 

ーーーーー

 

「こんなところさ。」

 

話し終えた黒坂は一気にミルクティーを飲み干す。月を背にした黒坂が放つ静かな威厳は、ヘルハウンドのコードネームや地を這う死神の2つ名を彷彿とさせた。艦娘たちの栄光の陰に隠れた戦士の存在が、吹雪や由良の肩にのしかかってきたような気がした。

 

「提督さん……苦しかった?」

 

由良が問いかける。黒坂は僅かにキョトンとしたが、すぐにいつもの笑みを浮かべつつ答えた。

 

「もちろん苦しかったさ。行軍は辛いし、仲間が死んだのも辛い。だけど、代わりに他の人を生かすための足がかりを作れた。だから、その苦しみも無駄じゃなかった。だから、辛くはない。」

 

「そっか……」

 

由良は目を伏せた。目の前にいる黒坂が遠く感じる。死すらも恐れない、勇敢な兵士と自分を比べて、少し情けなく思えた。

 

「まあ、口ではなんとでも言えるさ。本当は、辛くていつも人目のないところで泣いていた。やっぱり、傷が癒えるには時間がかかるからね……」

 

吹雪には見慣れた黒坂の姿だった。いつも決まって口にするのだ。大丈夫と。どんなに大丈夫じゃなくても大丈夫と答え、自分だけで抱え込もうとする。それが強さではないと知っていながらも。

 

「ねえ、轟沈の定義って習ったことあるかい?」

 

黒坂が不意に問いかけた。由良も吹雪も、考えたことがなかった。どこからが大破で、どこからが轟沈なのかなんて。

 

「まあ、仕方ないか。最近きちんと線引きされたから、今度の座学で教えようと思ってたんだけど……轟沈とは『人員又は艤装が戦線復帰不能な損傷を負った場合を示す』と上から示された。つまり、轟沈といっても艤装がダメになって、人員は生きてるって可能性もある訳なのさ。」

 

「轟沈イコール死ではないんですか……?」

 

吹雪が問いかける。それに対して黒坂は肯定を示すように頷いた。

 

「そう。まあ、誰も轟沈させる気はないけどね。」

 

人員が生きていたとしても、艤装にはそれぞれ癖があるため、また1から習熟訓練をしないとならないのだ。結局、戦力の消耗には変わりない。

 

「そっか……信じてるよ、提督さん。」

 

由良はそう言って黒坂に笑顔を見せる。明日からまたストレイキャッツ作戦が本格的に動き始めるのだ。黒坂はこの笑顔を消させはしないと、心に誓っていた。

 

ーーーーー

 

翌日、会議室で作戦の概要説明が行われた。各所に艦娘の活動拠点たる泊地を設置したため、遠方への攻撃が可能になった。いよいよ、ロストサインを遂行するのだ。

 

「今回はガダルカナル島の敵泊地攻撃の前段階として、ラバウル、ショートランドの確保及びオーストラリア北部を攻撃中の敵艦隊を撃滅し、背後の憂いをなくす。参加する艦は別示。前段階作戦完遂後、艦娘と米海軍空母艦載機がガダルカナル島への攻撃を行い、陸戦隊、米海兵隊、オーストラリア軍SASRが島の占拠を行う。対地攻撃と強力な敵艦隊に備えろ。以上。」

 

艦娘たちは真剣にメモを取る。何度も練り直したプランではあるが、まだ細部は知らせていない。情報部から何も情報が回ってこないことに違和感を感じ、細部を状況によって変えなければならないと読んでいるからだ。複数のプランを用意し、最適なものを選択する。それが現状では最適だろう。

 

艦娘たちの真剣さがひしひしと伝わってくる。他の鎮守府にいる部隊にも作戦を伝達した時と同じように真剣だ。いつもふざけているが、やる時はしっかりとやるのだ。

 

ブリーフィング後、黒坂は別室に霧島、赤城、千代田、足柄、時雨、弥生を呼び出していた。もう1つの作戦を遂行するためだ。

 

「提督、僕たちをオーストラリア北部へ出撃させるのかい?」

 

時雨が少し首をかしげながら言うが、黒坂は横に首を振って否定の意を示した。これから行くのは真逆の海域なのだから。

 

「6人にはインド洋の航路確保に向かってもらう。舞鶴から萱場少将が艦隊をインド洋方面へ出撃させ、"ヘヴンズドア作戦"を実行に移す。その支援だ。」

 

インド洋はマダガスカルに拠点を置く深海棲艦インド洋艦隊の攻撃に晒されていた。こことペルシャ湾を確保することが燃料の安定供給のために必要不可欠なのだ。そして、最終目標はアメリカ西海岸及びマンハッタン奪還支援。

 

「現状ではシーレーン確保、ゆくゆくは紅海、スエズ運河を奪還する。早くしないとジブラルタル海峡まで陥落しかねない。」

 

現状、紅海と地中海を結ぶスエズ運河は深海側の勢力下にあり、アメリカ西海岸に攻撃中の深海棲艦の一部、地中海に居座る深海棲艦から、大西洋と地中海を結ぶジブラルタル海峡を脅かされているのだ。

 

ジブラルタル海峡が奪われた場合、インド洋方面の深海棲艦が大西洋へ移動するまでの時間が大幅に短縮されることになる。それは逆もあり得るのだ。現状の方針はスエズ運河の奪還による地中海の深海棲艦封じ込め及び殲滅。これが遅れてジブラルタル海峡が陥ちたなら、戦況が厳しくなると予想されていた。

 

更に、OGA(CIA)の掴んだ情報によると、アフリカ方面での戦闘が激化、その付近で深海側に武器を流して儲けている武器商人がいる。それを阻止するため、ペルシア湾に避難中の米海軍第5艦隊から部隊が出ているが、人員が不足している。可及的速やかにペルシア湾の封鎖を解き、増援を送れるようにしなければならない。

 

「これより、霧島を旗艦として南方、リンガ泊地へ移動。萱場少将の掌握下に入って作戦を遂行してくれ。頼んだ。」

 

「わかりました。霧島、全力で任務を遂行します!」

 

「気をつけて行ってきてくれ。沈むなよ。」

 

霧島は笑顔を見せると他の仲間と退室する。やってくれるだろう。黒坂は心の中でそう思っていた。萱場少将も霧島も、他の艦娘たちも信頼できる。不安になりそうな自分に、そうして大丈夫だと言い聞かせていた。

 

ーーーーー

 

黒坂の執務室は夜も電気が付いていた。黒坂がぎりぎりまで作戦の細部を練っているのだ。足掻け、最後まで。命ある限り足掻いてその手に勝利を掴め。時村がよく言っていた。

 

「零士さん、紅茶はいかがです?」

 

「テートクゥ、たまにはrestも大切ネー!」

 

「そうですわ。ハーブティーもありましてよ?」

 

黒坂が顔を上げると、いい香りのするクッキーと紅茶にハーブティーをトレーに乗せて持っている吹雪と金剛、熊野がいた。クッキーは吹雪が、紅茶は金剛、ハーブティーは熊野が用意したのだろう。黒坂はそれをありがたくいただく事にした。

 

「ありがとう。少し休憩するよ。」

 

紅茶を机に置き、ミルクと砂糖を入れてティースプーンでかき混ぜる。金剛はそのまま、吹雪はレモンを入れて飲むようだ。熊野の淹れたハーブティーも机に置き、両方をありがたくいただく事にした。

 

ほんのりとしたミルクと砂糖の甘み、紅茶の香りが舌と鼻腔を刺激する。緊張を解されるように、黒坂はリラックスしていた。なんとなく、心地よさを感じた。それは目の前で金剛と吹雪、そして熊野が微笑んでいるからだろう。

 

「テートク、Nice smileデース♪」

 

「え?」

 

黒坂は素っ頓狂な声を上げた。どうやら、いつの間にか笑っていたようだ。任務に対する責任から、いつしか表情が強張っていたのかもしれない。黒坂は任務に対する責任を人一倍重く受け止める。現場にいたが故なのだろう。

 

任務に関することはほぼ終わっている。もう休憩していても支障はないはずだ。黒坂はノートパソコンをそっと閉じると、金剛、吹雪とのお茶会に集中する事にした。少しだけ自分を休めるのも大切なのだろうと、やっと思えるようになっていた。

 

「……話したことあるっけ、僕が酒とタバコがダメだって。」

 

窓の外に赤い光が見える。大方、警務科の永見と桑原が休憩がてらに煙缶のところで一服しているのだろう。もう消灯時間だぞ何やってるんだと言ってやろうかと考えたが、見逃してやることにした。

 

「私は聞いたことありますけど……金剛さんと熊野さんは初耳なんじゃ……?」

 

「Yes.初耳デース。」

 

「ええ。それに、提督がどんな方なのかもよくわかりませんわ。」

 

そういえば、吹雪にしか言っていなかったなと黒坂は思い返す。金剛は思い返してみれば黒坂がタバコを吸っているところも酒を飲んでいるところも見たことがなかった。

 

「部隊が壊滅した後や時村が死んだ後に、あまりにも苦しくて酒やタバコに逃げようとした。だけど、体が受け付けなかったんだ。結局、最初から逃げ場なんてなかった。」

 

静かに語る黒坂の声にはある種の弱さが滲み出ていた。長く戦場に身を置いた歴戦の兵士である以前に、1人の人間であることを思い出させるかのような、スーパーヒーローなどではなく、他の人と同じ人間であることを証明するかのようなものだ。

 

「だから、もう逃げない。ちゃんと受け入れる。明日の作戦も、恐れはしないよ。生きて、みんなを後ろから守る。」

 

吹雪と金剛、熊野はクスリと笑った。特に吹雪は黒坂が変わって来たことを実感して、少し嬉しくなっていた。人の為に命を投げ出すと言いつつ、本当は仲間を失った辛さから戦死を望んでいた黒坂が生きると宣言したのだから。

 

「大丈夫デース。テートクの指揮なら負けはしないネー!」

 

そう言って金剛は黒坂の手をそっと包み込む。よくグローブを嵌めていたためか、黒坂の手は白い。

 

「フフフ、sniperのhandを握って精度upネ♪」

 

そんな効果あるのだろうかと黒坂は思うが、作戦の前にげん担ぎをするのは良くあることなので、金剛の好きにさせることにした。そうしたら、熊野と吹雪にも手を握られる事となり、かなり困惑したのは言わずもがな。

 

ーーーーー

 

翌日、作戦に参加する艦娘たちが前哨基地たるトラック泊地に出発した後、黒坂は工廠に呼び出されていた。前々から笹倉、夕張、明石が開発していた筋電で動く義足の試作が完成したのだ。

 

「やあ、やっと来たね。こっちは早くテストしたくてうずうずしてるんだ。」

 

黒坂の姿を認めた笹倉が溶接用のグラスを外して言う。待ってる間に艤装の整備をしていたようだ。すぐに明石と夕張もやって来た。2人が持っている義足は試作品のため、金属骨格や配線が剥き出しになっており、ロボットのパーツと言われても不思議ではない。

 

「それじゃあ、早速使ってみるか……」

 

黒坂はその辺に座って義足を外す。すると、夕張が試作品の義足を黒坂の足に嵌め、あちこちに電極を貼り付けた。これが筋電を感知し、足首を動かすらしい。重量は本物の足より少し重い。

 

「重いね。」

 

「これから削るさ。それより、動作がしっかりしてないと元も子もないからね。足首を上に動かしてくれるかい?」

 

黒坂は足首を上に動かそうとする。足を無意識に動かすようにやってみる。足を無くした後も、幻肢を動かしていたのだから、どう動かせばいいかは覚えていた。

 

足首が思い通りに動く。まるで、本当の足だ。電極の感触が気持ち悪いことと、重みさえ我慢すれば使えるだろう。

 

「動作は問題ないようですね……」

 

「まだ改良の余地はあるさ。あんたの幻肢が本物になるように全力を尽くさせてもらうよ。もちろん、艦娘が優先になるけどね。」

 

笹倉が少し自信ありげに言う。無くした片足は戻ることはないが、新しい片足を手に入れることは出来る。まるで、仲間を亡くしたが代わりに新しい仲間が出来たように。それでも、無くした片足を忘れはしないと、黒坂は心の中で誓っていた。


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