水面に踊る君と地で歌う僕   作:Allenfort

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第40話 表裏

不審者を確保して2時間後。鎮守府の一般公開が終わり、観客は帰ってしまった。楽しそうな声に包まれた鎮守府がすっかり静かになってしまい、黒坂は桟橋に腰掛けて1人海の向こうを見ていた。空はカモメが飛び交い、夕暮れの幌暗さがなんとなく落ち着く。

 

「零士さん、こんなところにいたんですか?」

 

吹雪が黒坂の隣にちょこんと座り、桟橋に手をつく。黒坂は自然と手を伸ばし、吹雪の手を包み込んでいた。何となく、それが落ち着くのだ。吹雪は少し嬉しそうに笑うと、少し動いて黒坂との間を詰めた。

 

「楽しかったですね、今日のイベント!」

 

「ああ、僕も久しぶりにはしゃげたな……片付け、しっかり頼むよ。明日からまた作戦を遂行しなきゃならないんだから。」

 

ロストサイン作戦を忘れてはいない。それは吹雪も同じだ。ロストサイン作戦を自分がここにいる意味だと思っているくらいに。それと同時に、吹雪の中で黒坂零士という男の存在も大きくなりつつある。上官、戦友、憧れ、好意。色んな感情を抱えつつ、黒坂の横顔を見ていた。

 

「そうですね……あと零士さん、いい加減秘書艦を付けてください。疲れすぎていませんか? 目元に隈がありますよ?」

 

へ、と黒坂は素っ頓狂な声を出す。薄っすらと、よく見なければわからないくらいの隈があった。

 

「とはいえ、自分のことを部下に放り投げるのも……」

 

吹雪はむぅ、と膨れると黒坂の頬を摘んだ。ただ単に弾力のある黒坂の頬の感触を楽しみたいというわけではない。

 

「な、何するのさ……?」

 

「零士さんの悪い癖ですよ? 頼りすぎな提督も問題ですけど、零士さんの頼らなさすぎも問題です!」

 

吹雪は黒坂に説教しつつも、柔らかく、弾力もある黒坂の頬の感触を楽しんでいた。ムニムニとしていて、吹雪的には触り心地の良いものランキングの上位に食い込むほどである。

 

「……わかったよ、今日の終礼でみんなに聞いてみて、問題なければね……」

 

黒坂と吹雪は終礼の時間になるまでそうして海を見ていた。かつて、各所で深海棲艦による攻撃が発生し、人類が危機的状況に追い詰められた"ナイトメアデイズ"から2年。またこうして穏やかな海を見られるのがとても不思議でならなかった。2人共、ダウンフォール作戦の時に一度は覚悟したのだ。2度と海を見ることが出来ずに死んでいくと。それが叶った。自分と、隣にいる人と、他の仲間たちの力によって、それが叶ったと実感していた。

 

ーーーーー

 

鎮守府一般公開の数日後。横須賀鎮守府の会議室には重苦しい雰囲気が漂っていた。警務隊によると、捕らえたスパイと思わしき男は口の中に含んでいた毒薬の袋を噛み、自殺したとの事だ。バックパックには持ち込み不可であるはずの高解像度カメラがあり、データには鎮守府内部及び艦娘の艤装を拡大して撮影した物が入っていた。

 

そして、統合幕僚長の藤堂が重い口を開いた。

 

「で、スパイと見て間違いないのか?」

 

それに対して宮原が答える。

 

「はい。入り口では警務隊が持ち物検査を実施し、高解像度カメラは一時預かりとしていました。何故持ち込まれたかについては警務隊からの報告書をご覧ください。」

 

警務隊からの報告によると、監視カメラに何者かが袋を外から鎮守府敷地へ投げる姿が映っており、それを例の男が回収しているのが確認されたとの事だ。

 

「また、外で騒いでいた団体についてですが、アレに潜入していた公安職員からの情報によるとスパイと思わしき男は参加予定に無かったとのことで、今回は無関係と目されています。」

 

宮原の報告が終わると、そこにいた全員が頭を抱えた。どこの大馬鹿野郎がこんな真似をしたのだろうか? OGA(CIA)ならもっと上手くやるはずだ。こんなヘマはしない。ならどこだ? CBP (ロシア対外情報庁)? それとも中国の国家安全部だろうか? そのどれでもないという情報は衛生科からもたらされていた。それについて、黒坂が発言する。

 

「衛生科によると、司法解剖の際に胃袋からIDカードを発見。噛み砕かれていましたが、ICチップは奇跡的に無傷でした。それを解析した結果の一部がこれです。」

 

資料にはICチップから読み取れた情報の一部が書かれていた。『המוסד למודיעין ולתפקידים מיוחדים‎,』もちろん、これを読めるものはいない。

 

「……黒坂。」

 

「中将閣下、残念ながらロシア語ではありません。ドイツ語でもなさそうなので、宮原中佐にも読めないでしょう。」

 

「同じく。なんなんだこれ?古代文字?」

 

「ワカンネ。」

 

高原、黒坂、宮原、久坂は首を傾げる。他の面々もどう読むのか分からず、唸り声をあげるのみだった。

 

ーーーーー

 

その数日後、黒坂は佐世保に戻り、いつも通り仕事に取り組んでいた。東南アジア方面への進出及び中央アメリカ奪還を目的とする"ストレイキャッツ作戦"の遂行のため、情報収集と作戦立案を行っている。そんな黒坂だが、いつもと違って吹雪が秘書艦として上番し、黒坂のサポートをしている。黒坂もやっと秘書艦を付けることにしたのだ。

 

「零士さん! 新しい情報です!」

 

「ありがとう。」

 

黒坂は吹雪から書類を受け取ると、念入りに目を通す。役に立ちそうな情報を拾い上げ、手元のメモに作戦の内容を書き記し、時には消して推敲していく。ここが、今の黒坂の戦場だ。幻肢はもう痛まない。ふと、近くの姿見鏡を見ると、昔の自分が映って見えた。自衛官となると決めたときから、防大生、そして、死神の名を背負っていたあの頃の自分から今の自分へと姿が変わって見えた。

 

「零士さん? どうかしましたか?」

 

視界に吹雪が入る。同時に胸の辺りに不思議な感覚がするが、それで黒坂は我に返った。ぼんやりして幻視でも見ていたようだ。

 

「いや、問題ない。次の作戦の参加メンバーを編成する。吹雪は少し休んでてよ。」

 

「それなら、私は自分の休憩時間を自分がやりたいように使いますね。」

 

吹雪はそう言って黒坂の背後に回ると、肩を揉み始めた。黒坂の肩はとても凝っている。吹雪はその固い肩を揉みながら、大勢の仲間と国民の命を背負うことの辛さをしみじみと感じていた。自分の艤装の重さとは比べ物にならない重荷を彼は背負って、何度も戦場に立ち続けた。片足となっても、こうして命を背負い、その覚悟を、感覚を忘れずにいる事を尊敬していた。

 

「零士さん、私、頑張ります! いつか、追いつけるように……少しでも、零士さんの背負っているものを私も背負えるように……」

 

例え自分を犠牲にしてでも他を救おうとする黒坂とは違い、自分も生きて、他の仲間と一緒に生きようと、そして、生きることで更に多くの命を救っていこうと、吹雪は決意を新たにしていた。目の前の1人の人間から学んだことを、消してしまわぬように。

 

「それなら、吹雪はこれを持っていてよ。お守りさ。」

 

黒坂は自分のドックタグを片方取ると、吹雪にしっかりと握らせ、その上からしっかりと握りしめた。ドックタグは通常、2枚1組となっている。片方を遺体の口に挟み、もう片方を戦死報告のために持って帰るために。

 

「これって……」

 

「この片方を吹雪が持ってる限り、僕の死亡報告は出来ない。吹雪がこれを持ってる限り、僕は死ねないということさ。」

 

黒坂は変わっていた。周りの仲間たちに支えられ、こうして立っている。黒坂はふと、机の上の写真立てを見た。第12偵察分隊の仲間たちと撮った写真、第3偵察小隊の仲間と撮った写真。そして、この前佐世保の仲間たちで撮った写真。吹雪に手を握られ、後ろから金剛に抱きつかれ、更には艦娘たちがおしくらまんじゅうが如く集まってきて……そんな楽しかったあの時の写真。それを見て、黒坂は微笑んだ。

 

安心しろ、お前たちを置き去りにはしない。お前たちの遺したもの(想い)は俺の中にある。お前たちは必ず連れて行く。お前たちが守り通したかった、未来へ……

 

ーーーーー

 

深い深い海の中、水の音しかしないそんな静寂の世界。そこに、俺はいた。今は、別のところにいる。肩に乗せた89式自動小銃は夜風を浴びて機嫌が良さそうだ。

 

ふと、腕を見る。ずっと使い続けている、バディ(相棒)とお揃いの腕時計は今日も動いている。傷口も何も、全て塞がっている。深海の技術は人類を超えている。それは1番俺が知っている。人間と深海の境、そこを漂う俺はよく知っている。

 

半分は人だ。それは確かだ。ある日を境にそうでなくなってしまった。俺は撃たれた。意識が遠のき、視界が霞む中、戦うバディの姿と、俺を呼ぶ声が聞こえた。

 

次の瞬間には俺は立って、奴と一緒に戦っていた。そんな記憶はしっかりと残っている。

 

「ベルフォルガー、次の作戦だ。奴らが来るから迎撃しろと。」

 

M24SWSを担いだ仲間が言う。俺の知る中では2番目くらいの腕前の狙撃兵だ。俺の元バディに比べたら若干劣るだろう。

 

「でも、あいつは出てこない。だろ?」

 

すると、奴は腹が立ったのか、ライフルを持ち直して不満そうな顔で口を開いた。

 

「俺が出れば向こうも小隊長を出さざるをえない、だろ?」

 

ああそうだ。きっとそうだ。そして、お前は奴を越えたいのだろう。師を越えたい気持ちは分かる。だけど、お前は絶対勝てないだろう。あいつの戦う理由、意思。それを越えられない時点で、負けは決まっている。

 

そうだろう? 相棒。短い間だけど、隣にいた俺にはよくわかる。

 

とりあえず、早く歩哨の仕事に戻らねば。じゃなきゃヲ級にどやされちまう。またいつか会おう。あのティーチャとかいう奴が強い敵と戦いたいと言うのと同じ気持ちなのかもしれない。

 

あの時、高速艇で俺はなんであいつの手助けなんてしたのだろう。あいつは既に敵になったのに。体は変わっても、心までは作り変えることはできない。それが、深海の連中の悩みどころのようだ。上手く洗脳をしたつもりだろうが、俺には通用しない。他の連中とは違う。俺は、ここにいる。意志を持って、ここに立っている。それだけでいい。

 

違う場所から、同じ空の月を2人の男が眺め、ほぼ同じ頃に呟いていた。

 

また会おう、いつか、この世界で。

 

ーーーーー

 

何日かして、各部隊の基幹隊員と艦娘たちが朝礼場に集められていた。訓練された基幹隊員たちはざわつく事なく休めの姿勢を保ち続けている。対して艦娘たちは何があるのかとざわついていた。

 

しばらくすると、朝礼台に黒坂が立った。登る時に少しだけ転びかけたが。どうも義足の方を先に台に乗せたため、上手く踏ん張れなかったらしい。

 

「気を付け!」

 

黒坂の号令一下、艦娘と基幹隊員たちは不動の姿勢に移行する。黒坂に突き刺さるような視線が集中するが、黒坂は怖気付くことなく口を開いた。

 

「本日、新しい仲間が着任……いや、戻って来た! 知っている者は以前と変わらぬ友情を、知らない者は新たな仲間として暖かく迎えてやってほしい!」

 

黒坂が講壇すると、代わりに熊野が登壇した。インスマス症候群の影響で白くなった髪は茶に染められ、長い髪の毛は後ろで縛り、服装はしっかりクリーニングとアイロンがけをされ、端正な格好をしている。

 

「ごきげんよう、重巡洋艦熊野、本日をもって佐世保鎮守府に着任いたします。よろしくお願いしますわ。」

 

熊野が敬礼する。それに基幹隊員、艦娘、黒坂は返礼した。それぞれが違った感情を持ちつつも、熊野を無言ではあるが、暖かな目をして、皆が歓迎した。

 

その日の夜は勿論宴会だった。隊員食堂には『お帰りなさい、熊野!』とチョコペンで書き入れられたケーキが用意され、熊野の好物の神戸牛のステーキも糧食班が用意していた。

 

宴会では熊野に色んな隊員や艦娘が声をかける。中でも、熊野の艤装整備を担当していた佐野原伍長は熊野の手を取って泣いていた。済まない、もっと俺が艤装の手入れをやっていれば、と。ずっと佐野原は熊野の轟沈を自分の整備の所為だと自分を責めていたらしい。

 

そんな佐野原の肩に熊野は手を乗せ、微笑んで見せた。

 

「貴方の整備した艤装はしっかり動きましたわ。貴方の責任ではありません。これからも私の艤装の整備、よろしくお願いしますわ。」

 

「……ありがとう、ございます……」

 

更に泣く佐野原の姿を黒坂は少し離れた所から見ていた。自分以外にも、あの作戦で責任を感じている人間がいるのだとしっかり自覚した。大元の原因があの作戦のことをなんとも思っていない、それがやるせなく思えた。

 

自分が参加して、みんなに堅苦しい思いをさせたくないと、黒坂は1人離れた所で座っていたが、何処からかやって来た川西が黒坂の制服の襟を引っ付かんで叫んだ。どうやら、酔っているようである。

 

「おーい! 我らが御大将はここだー!」

 

「おい川西!?」

 

それを聞きつけた艦娘たちが黒坂の元へ突撃してくる。何故こうなるのだ、しかも吹雪と金剛が先頭争いをしていやがるではありませんか。

 

黒坂は諦めて飛びつかれるまでの残り時間をカウントしつつ、腰を落とした。金剛と吹雪が同時に飛ぶ。黒坂はそれを受け止めようと構えてはいたが、耐えきれず後ろに転倒してしまった。

 

「提督、こんな所で何をなさっているのですか?」

 

倒れている黒坂を熊野が見下ろす。黒坂は熊野の問いかけの意味が分からず、困惑の表情を浮かべていた。

 

「この宴会はみんなの顔合わせですわよ? 提督がいないのでは意味がありませんわ。親睦を深めるためにも、参加なさってください。」

 

黒坂は僅かに困惑の表情を浮かべたが、問答無用とばかりに金剛と吹雪に両腕を掴まれ、立たせられた。

 

「零士さん、みんなにお酌という仕事がありますよ? 鎮守府の1番偉い人からお酌して貰えたなんて、名誉な事ですから。」

 

「テートクゥ……Do it♪」

 

金剛と吹雪は手を離す。黒坂はわかったという代わりにコーラの瓶を持ち、熊野のグラスに注いだ。熊野は酒がダメなようで、その代わりにコーラを注ぐ事にしたのだ。

 

「ありがとうございます、提督。」

 

熊野は少し嬉しそうにしている。鎮守府のトップから直々にお酌を頂いたとなれば、中々に名誉なことだ。

 

「これから僕らは反撃に出る。今まで以上に厳しい戦況になるかもしれないけど、艦娘運用のノウハウは確立された。熊野、あの時の犠牲はひとつたりとも無駄にはしない。約束するよ。」

 

「ええ、任せましたわ。では、勝利を祈って。」

 

黒坂と熊野はそっとグラスを重ねる。お互い、見てきた世界は違うが、思いは一緒であった。




次回、新章に入ります。予定としてはストレイキャッツ作戦、エンジェルアロー作戦、オウルストライク作戦の順に書き、そこから共通編にしようと考えています。

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