ダウンフォール作戦より約5ヶ月が経ち、10月になっていた。江田島に駐屯している陸戦隊はあの日の屈辱を晴らすべく日夜訓練に明け暮れていた。
そんなある日、黒坂は課業終了後に官舎の屋上で夜空を眺めながら暖かいココアを飲んでいた。少し肌寒くなってくるこの季節、暖かいココアがとても飲みたくなるのだ。
「あ、いたいた。おい黒坂! なーにしてるんだ?」
俺の安らぎの時間を邪魔するのはどこのどいつだ? 黒坂が面倒くさそうに振り向くと、その先にいたのはバディの時村慶一郎だ。ダウンフォール作戦ののち、正式にバディとなって何をするにしてもどこへ行くにしても2人組で行動してきた。だから3等海尉と海曹長という階級の差なんて気にしない間柄になっていた。ちなみに、宮原は久坂と組になった。
「ああ? 課業終了後の楽しみ。」
「おめ、こんな寒いところでか? やれやれ、東北人は寒さに強いこって……」
「全員が全員って訳じゃない。俺が特別なんだよ。で、何の用だ?」
黒坂は残っていたココアをもったいないと思いつつ一気飲みすると、缶を持って立ち上がった。
「ああ、吉井のアホがなんか噂話を聞きつけたらしい。どうも、深海に対する反抗作戦が始まるってさ。どうやってだよ全く。深海棲艦に手も足も出ずにやられて、こないだ輸送艦おおすみの葬式挙げたばかりじゃねえか。なあ?」
黒坂は星空を仰いで溜息をついた。吐息が白く、宙に浮かんで消えていく。時村にだけは伝えておこう。そう決めた。
「いや、本当だ。幹部食堂はその話で持ちきりだったしな。ソースが山口海将補だ。本当に対深海棲艦兵器作ったらしいからな……近々俺たちにも出撃命令がくるはずだ。覚悟はしておけよ。あと、他言無用で頼む。」
黒坂は缶を持つと時村の横を通って階段へと歩いていく。溜息を一つついた時村は黒坂について行った。
ーーーーー
10月21日。輸送艦くにさきは沖縄本島へ向かっていた。黒坂たち第12偵察分隊はくにさきから那覇空港36番滑走路側にある瀬長島に上陸、那覇空港奪還に掛かる事になっている。
艦内の小部屋で黒坂たちはブリーフィングを済ませ、ウェルドックで出撃を待っていた。ウェルドックにはホバークラフトLCACが2隻搭載できるようになっているが、今日は90式戦車を乗せたLCAC1隻と、空いたスペースにゴムボートを搭載していた。
ランプドアが開き、ウェルドックに海水が満たされていく。今回の
「出発だ野郎ども!」
宮原の声がウェルドックに響く。黒坂と時村は宮原、久坂ペアとゴムボートに搭乗。途中で泳いで上陸し、上陸地点の安全を確認する役目を担っている。
「名誉のために。」
「祖国と守るべき者のために。」
黒坂と時村はそう言うと拳を突き合わせる。ブーニーハットを被り、顔にはドーランを塗ってある。そんな2人の目は爛々と輝いていた。
ボートが発進し、目標地点へと向かう。まだ陽の上りきらない時間帯。仄暗い水面をボートが滑るように走る。肩に縫い付けられた第12偵察分隊のエンブレムである稲妻を纏う弓矢のように、これから獲物に突き刺さるのだ。
ボートは浜辺から少し離れたところで一旦停泊する。背負っていた背囊を下ろした黒坂と時村は海に飛び込み、泳いで浜辺を目指す。秋の明け方の海は冷たく、容赦なく服の中へ海水が浸入し、体温を奪う。あまりの冷たさに体が痙攣しそうになるが、訓練通りに泳ぐ。
浅瀬に辿り着いた頃には水平線から太陽が昇り、辺りが明るくなっていた。黒坂と時村は89式自動小銃を構えながら浅瀬で立ち上がる。後は上陸して辺りの安全を確保するだけだ。
黒坂が海面から頭を出したその瞬間、近くに水柱が立った。銃撃だ。よく見ると前方の砂浜奥の茂みに敵の機関銃掩体があり、その横に幾つも小銃掩体がある。敵の武器はM14とM60。それに対して2人は89式自動小銃と黒坂のM24SWS、手榴弾を2つずつ。
距離は約100m。ここで応戦するしかない。覚悟を決めた2人は海を遮蔽物にして戦うことにした。相手の機関銃掩体がかなり厄介だ。その近くには
『こちら
時村が無線で航空支援を要請する。その間にもあちこちに水柱が立ち、2人は潜水してそれをかわしては浮上して反撃する。水に潜る瞬間、思考が停止する。そんな一瞬の間に頭上を弾丸がすり抜ける。
痺れを切らした黒坂は狙いにくいと言ってM24に持ち替えて狙撃を始めた。100m程度なら89式で十分なのだが、薄暗い上に、塹壕で体の半分を隠している敵を等倍率の照準器で狙うより、狙撃銃を使ったほうが手っ取り早いということなのだろう。
4倍率スコープにハッキリと敵の機関銃手が見えた。迷うことなくトリガーを引き、頭を吹き飛ばす。機関銃手が沈黙したことで2人の負担はわずかに減った。
『航空支援は出せない。敵航空隊に阻まれている。代わりに強力な助っ人を呼んだからそっちに頼んでくれ。周波数は242.45ヘルツ。』
「ええいクソッタレ! 護衛艦から砲撃支援か!?」
時村は射撃を中断して悪態を吐きながら指定された周波数に無線を繋いだ。これでダメなら玉砕覚悟だ。
『こちらベルフォルガー! 上陸地点手前で敵に釘付けされている! 支援を要請! 送れ!』
すると、すぐに返答が来た。ややイギリス訛りの英語の混じった女性の声だ。
『This is Kongo! レーザー照準器で目標をマークしたしてクダサーイ!』
『お前ふざけてるのか!? まあいい! レーザーだな!? 黒坂!』
黒坂もヘッドフォンからその声が聞こえていたようだ。こんな時までふざけてるバカはどこのどいつだ? そう思いながらもレーザー照準器を取り出し、敵のドラゴン掩体をマークする。機関銃よりロケットランチャーのほうが厄介だと判断した。
『Targetを確認! 撃ちます! Be careful♪』
次の瞬間、腹の底まで爆音が響いた。花火の爆音に似ているかもしれない。何事かわからず目を白黒させる黒坂と時村の頭上をオレンジに光る飛翔体が通り抜け、黒坂がマークしたドラゴン掩体に直撃し、クレーターにしてしまった。艦砲射撃だろうか?
『Yes! Strike hit♪』
『こちらヘルハウンド、もう少し支援頼めるか?』
『OK! マーキングお願いシマース!』
黒坂はレーザー照準器で今度は機関銃掩体をマークする。すると、もう一度爆音とともに砲弾が飛んで来て近くの小銃掩体ごとまとめて吹き飛ばしてしまった。残っていた小銃掩体の敵も黒坂と時村が即座に無力化した。
『こちらヘルハウンド、援護感謝する。俺たちの女神はどこから舞い降りてきたのかな?』
『後ろにいマース!』
黒坂と時村が振り向くと、海の上に立って手を振っている巫女服の少女の姿が見えた。黒坂と時村は目が悪くなったか頭がおかしくなったかと疑い、双眼鏡でその姿をよく確認する。間違いなく少女で、後ろにも他の少女が変な装備を提げて海の上に立っている。黒坂はめまいがしそうだった。なんなんだこれは? この時、陸戦隊は艦娘の存在を知らされていなかったのだ。
『助かったよ。俺たちは作戦を続行する。通信終わり。』
黒坂は無線を切って時村とともに上陸する。安全を確保したと連絡すると、すぐに友軍が上陸して島を確保した。
ーーーーー
島からは那覇空港がよく見える。敵が広範囲に陣取っており、奪還は骨が折れそうだった。プラモデルくらいの大きさの戦闘機が何機も滑走路にいる。突撃は無謀と判断した宮原は司令部に連絡した。
『あーあー、HQ、こちらウルフパック。敵が離陸準備中。対応の指示を請う。送れ。』
すると、すぐに作戦指揮官から返答が来た。
『こちらHQ。空港ターミナル内に多数の敵影を確認。ハンガーには戦車もいるとのこと。奪還は不能。空爆で吹き飛ばす。レーザー照準機で敵を片っ端からマークしろ。送れ。』
『ウルフパック了解。通信終了。』
宮原は通信を切るとため息をついた。まさか吹っ飛ばすなんて大胆に来るとは思ってもみなかった。
「黒坂、レーザー照準機でマーク。吹き飛ばせとよ。」
「うーす。敵が上陸してこないように警戒してて。」
黒坂はM24SWSを置くとレーザー照準機に持ち替え、滑走路の敵機をマークした。すると、上をF-4Jがエンジン音を轟かせながら通り過ぎた。
『ファントム1、目標を確認……攻撃する!くそっ!』
あのパイロット、なんで悪態ついてるんだろう? そう疑問に思ったが、そんな疑問も滑走路の敵機と一緒に吹き飛ばされてしまったようだ。
「いいぞ!もっとやれ!」
なんだか久坂がハイになっているがまあいい。次はターミナルにマーキングし、また空爆させる。ターミナルの中の敵もしっかり吹っ飛んだようだ。
ハンガーなどの主要施設を破壊し、黒坂たちは空港に上陸した。滑走路も誘導路も穴だらけ、ハンガーは焼け落ち、ターミナルは跡形も残っていない。前、自分たちが追い詰められたあの場所がこうもあっさり吹っ飛ぶとは夢にも思っておらず、なんだか夢でも見ている気分だった。
「そういえば、深海棲艦は? 今日来なくね?」
飛田が海の方を眺めながら言う。だが、黒坂と時村にはその理由がわかっていた。こんごう、そう名乗った彼女たちが吹っ飛ばしたのだろうと。
駐機場の辛うじて穴が空いていないスペースにオスプレイとチヌークが着陸し、陸自隊員や米兵を降ろしていく。彼らが本島の制圧を担当するのだ。陸戦隊の役目の切り込みは終わった。だが、まだ本島の奪還に呼ばれるかもしれない。しばらくは空港にテント張って駐留することになるだろう。
滑走路脇に咲いた花は陽の光を浴びて咲き誇っている。ここで戦いなんて無かったかのように。黒坂はそんな花を見ていたら、彼女たちの正体も何も、どうでもよくなってしまった。さあ、しばらく休むとしよう。
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沖縄本島の奪還に成功したのち、江田島へ帰還することになった黒坂たちは那覇空港の駐機場にいた。なんだか滑走路に謎の軍団が集まっている。黒魔術でもやってるのだろうか?
黒坂と時村は双眼鏡でそれを見てみる。そこにいたのは航空自衛隊の隊員(パイロット、整備士その他諸々)海上自衛隊パイロット及び整備士、海上保安庁、さらには沖縄県警航空隊までもがいた。
「なあ時村、あれ何してるか分かるか?」
「噂だと思ってたが……滑走路の葬式挙げてるんだ。」
「なんでそこまでするんだよ?」
「俺たちもおおすみが沈んだ時葬式挙げたろ? それと同じだ。」
黒坂はなんとなく納得した。これならパイロットが滑走路に空爆する時悪態をついた理由が説明できるからだ。
「我々は! 雨の日も台風の日も年末年始お盆休み子供の誕生日結婚記念日もこの西の空を守り続けてきた! それができたのはこの那覇空港の滑走路あってこそである!」
なんか演説が始まったので、黒坂と時村は少しだけ滑走路に黙祷してからさっさとチヌークに乗り込んでいった。
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「まあ、こんなところさ。」
黒坂が喋り終えると同時にタイマーが鳴った。カレーが出来たのだ。比叡が火を止めて鍋のふたを開けると、辺りには食欲をそそるいい香りが漂った。ちゃんと夕食を食べたはずなのに、その場にいた面々の腹が鳴り出した。
試食してみると、とても美味い。赤城が肉に下味をつけたのがいい味を出しているし、比叡がやろうとしていた白桃を隠し味に入れるのがほんのり甘い香りと味を出している。
手助けありだが、初めて料理を美味いと言ってもらえたと、比叡は目を潤ませていた。
「比叡、この調子なら鎮守府対抗カレーコンテストも勝てるんじゃないか?」
「ええ!? でも……」
まだ自信なさげにしている比叡を見て、黒坂は辺りを見回し、比叡に言う。
「確かに、1人じゃ上手くいかないこともあるだろう……けど、ここには頼れる姉妹艦もいるし、食の専門家の赤城もいる。それに、家庭的な足柄や他の隊員もいるんだ。誰かに頼ってみろ。そうすれば、違う世界が見えてくるぞ?」
それが比叡に対する言葉なのか、自分自身に対する言葉なのかはよく分からなかったが、少しは励みになったらいいな、黒坂はそう思った。
「はい! 気合い! 入れて! 練習します!」
「私たちも手伝いマース!」
「ふふ、試食ならお任せください♪」
黒坂は通常の業務や任務で気を張っている分、今くらいは気を抜いて全力で休む。口で言うより自然とそうなるよう仕向ける気だったが、何もしなくてもそういう流れになって良かったと思った。