水面に踊る君と地で歌う僕   作:Allenfort

32 / 52
第30話 ファントムペイン(3)

「これが、俺の義足の理由。そして、陸戦隊をやめた……やめなきゃならなくなった理由だ。」

 

黒坂は俯いていた。口調は陸戦隊の頃の荒っぽいものへと戻っていた。

 

「まさか……」

 

曙は拳を握りしめ、黒坂に詰め寄る。

 

「そうだ。潮はその時に轟沈してる……俺の目の届かないところで……扶桑と榛名も……後は、鈴谷と熊野が沈んだと聞いた……俺たちを助けに来て……」

 

曙は拳を振り上げ、黒坂に殴りかかった。黒坂は防ぐこともせず、曙の拳を受け入れた。

 

「このクソ提督! あんたのせいで……あんたのせいで潮は……!」

 

すると、黒坂は曙の拳を受け止めた。振り下ろされた拳をしっかりと握りしめ、曙に語りかけるように言う。

 

「あの時、潮が沈んだのは物集の責任だ……そして、戦場で潮を救えなかったのは……俺たちが無力だったからだ!」

 

それは、黒坂の悲鳴のようだった。ダムが決壊したように、堪えていた涙が溢れ出した。幻肢が痛み、心臓が締め付けられるように痛む。頭は漬物石のように重く、その重さで首が折れるのではないかと思えた。

 

「俺たちは……重迫撃砲で援護することもできなかった……連中(深海棲艦)に手も足も出ず、仲間をみんな死なせた! 連れて帰るはずだった守備隊も、助けに来た艦隊も……俺たちはただ見てるだけだった! 結局、今も昔も……俺は無力で、何もできないんだよ!」

 

曙は何も言えなかった。徹底的に責めると決めたはずなのに、思わず同情しそうになった。この目の前の男も、結局は自分と同じ被害者なのだ。それなのに、負わなくていい責任すらも全て背負いこんでしまっている。

 

その黒い瞳には光がなく、底なし沼のように思えた。引きずり込まれてしまいそうだった。

 

生還した黒坂は、仲間たちの遺族から責められた。なぜ指揮官である黒坂だけ生きて帰ってきたのか。仲間を犠牲に自分だけ生き残ったのか……

 

『お前は死神だ』

 

黒坂の二つ名、『地を這う死神』は例え傷つき、地を這ってでも生還し、敵の命を刈り取る。そんな畏怖と尊敬を込めたものだった。だが、この時を境にそれは蔑称となった。仲間の命を奪い、地を這いずって逃げ帰った死神という、蔑称になった。

 

その言葉の数々を受け止め、黒坂は自責の念に苛まれた。そして、すべて自分の責任だ、自分が仲間を死なせた。そう思うようになった。一度芽生えたその思いは、ガン細胞のように広まった。黒坂の心を、誇りを、思い出を、人格を蝕み、広まっていった。

 

「零士さん……」

 

吹雪はベッドに上がり、黒坂を抱き寄せた。黒坂は顔を吹雪の胸に埋めるような形で抱き寄せられた。すると、母親にあやされた赤子か、鎮静剤を打たれたかのように、黒坂は落ち着きを取り戻した。

 

吹雪は例えるなら抗がん剤だった。病室で腐っていくだけだった黒坂の元を訪れ、励ましていたのだ。最初は感情が欠落したかのように、言葉をかけても単調な反応しかしなかった。だが、時間が経つにつれて段々感情も戻った。

 

しかし、完全にとはいかず、黒坂は別人のようになってしまっていた。PTSDによる人格変化なのか、忘れ去りたいからわざと別人を演じているのかは分からない。

 

忘れたくても忘れられない。忘れてしまえば、仲間の生き様を、死に様を伝えるものはいなくなってしまう。そして、幻肢痛が忘れることを許さない。痛むたびに、黒坂に仲間たちのことを、キスカ島のことを無理矢理に思い出させるのだ。

 

黒坂にとって、そんな自分を受け入れてくれた吹雪が何よりの支えだった。あのキスカ島で守り抜いた数少ない戦友、そして、提督になるまでの期間に自分の持ちうる技術を教え込んだ弟子であり、ひょっとしたらそれ以上の存在かもしれない。

 

「……少し、無理しすぎじゃないかな?」

 

蒼龍はそう言って黒坂の手を握る。黒坂の白く、冷たい手を蒼龍の手が暖める。

 

「そうそう。みんな知ってるんだよ? 提督が私たちに不自由させないために方々に頭下げてるの……提督は無力なんかじゃないよ。」

 

その様子を見ながら飛龍は言った。何もかも手探りの状態でありながらも、持ちうるものを全て使ってひたすら国のため、仲間のためにと働いていた黒坂の姿を、幻肢痛に苦しむ姿を見ていたのだ。

 

「司令、しばらく私たちに鎮守府は任せて休んでください。このままだと、深海棲艦を殲滅する前に司令が倒れます。」

 

霧島は黒坂の身を案じる。黒坂は普段元気なように見えて、見えないところで疲弊している。そう感じた。

 

「俺なんて倒れても構わない。もっと優秀な代わりが来るだけだ。」

 

「やだやだ! 優秀な提督なんてそうそういないよ!」

 

阿武隈のその言葉に、黒坂はハッとした。そうだ、こいつらも物集の被害者なんだ、そう思い出したのだ。

 

すると、金剛は黒坂の背中側から両肩に手を乗せ、自分の胸に引き寄せた。

 

「テートク……誰かがテートクを信用しなくても、ワタシは信じマス。ワタシがテートクの片足になりマス。だから、そんなこと言わないでくだサイ……」

 

「金剛……?」

 

「零士さんは、みんなに必要とされているんですよ。狙撃手なら、後ろから私たちを守ってください。今度は狙撃銃じゃなくて、零士さんの指揮能力を武器にして……私たちを守ってください。」

 

吹雪も黒坂の横でそう語りかける。黒坂の目からはまた涙が溢れ出した。自分は1人で戦わなければならない。そう思い込んでいた。それが違ったのだ。

 

なぜ涙が流れるのか、黒坂には理解できなかった。艦娘たちは、1人の兵士が指揮官に変わるこの瞬間を見守っていた。

 

ーーーーー

 

「こいつが事の顛末だ。どうだよ?」

 

久坂は話し終えるとそう呟き、うな垂れた。頭がずっしり重い。思い出したくない事を思い出し、罪悪感や自責の念に駆られる。胃も少し痛み出したかもしれない。

 

「よくわかりました……提督、申し訳ありませんでした……」

 

加賀の突然の謝罪に、久坂は困惑した。

 

「おいおい、なんなんだよいきなり?」

 

「私たちが制空権を取れていればもう少し状況は良くなっていたはずです。それに……」

 

加賀の言葉を遮るように、久坂は右手を加賀の頭に乗せ、撫でた。ふと見た久坂の瞳は穏やかだった。

 

「いーんだよ。どーせもう手遅れだったんだ。元はと言えば物集のクソ野郎の責任だ。お前さんまで気に病むことはねーよ。」

 

「そ、そうなのです! 加賀は悪くないのです……!」

 

そんな様子を見た久坂は静かに笑うと、椅子に腰掛けて砂糖たっぷりのコーヒー牛乳を啜った。

 

「ところで青葉。この話、記事が本にでもするつもりか……?」

 

「い、いえ、そんなことは……!」

 

図星だった。青葉は慌てて否定するが、久坂は怒るわけでもなく、ふっと笑った。

 

「いや、いいぜ。むしろそうしてくれ。」

 

「え……?」

 

予想外の答えに青葉はあっけにとられていた。

 

「だがな、ひとつだけ約束してくれ。この話を絶対に脚色、誇張しないこと、だ。これは作り話じゃない。俺のダチ公が懸命に生きようと足掻いた記憶なんだ……あいつらはまだキスカで眠っている。あいつらの生きた証も、死に様を伝えるものも……俺たちの記憶と、持ち帰ったドッグタグしかないんだ。だから約束してくれ。あいつらの誇りを、生き様を、記憶を汚すようなことをしないと……」

 

青葉は拳を強く握りしめると、縦に頷いた。

 

「わかりました。彼らの事を正しく伝えるとお約束します。提督。」

 

ーーーーー

 

一通り話し終えた宮原は椅子に深く腰掛けた。

 

「これが、俺の過去だ。この後、俺は精神科行き、久坂は除隊して蒸発。黒坂は……指揮官として遺族に死亡報告へ……それ以来、あいつは変わった。そして、俺も久坂も変わった。あの時から……」

 

宮原は艦娘たちを一瞥する。誰もが黙ってしまっていた。

 

「俺は無力だった。一兵士として、小隊長としてその場にいたのに何もできなかった。だから……昇進することを目指した。指揮官として、しっかりした作戦を立てれば同じ目に遭う奴を減らせるから……まあ、そのあたりはみんな知ってるだろ?」

 

そこにいた艦娘たちは一斉に頷いた。宮原は当初、艦娘が被弾、例え小破ですらないような被弾でも、ひどい動悸を起こし、鎮静剤を打たなければならないほどであった。

 

「……教えてくれ。俺は指揮官で……提督でいてもいいか?」

 

宮原の1番の不安であった。もし、将たる資格無しと言われたのなら、すぐにでも肩の階級章を外す覚悟でいた。

 

「ええ……提督は、提督のままでいてください。」

 

「そうね。ただのクズからマシなクズになったんだし、いいんじゃない?」

 

「そうそう。提督は無理させたりしないから好きでち♪」

 

宮原は顔を上げた。予想外の答えが返ってきたからだ。

 

「それに、なんであんたが負い目感じてるのよ? あんたはやれと言われたことをやったまでじゃないの。責任を負うべきは物集よ。しっかりしなさい。」

 

霞は宮原の背中を引っ叩く。その痛みで、宮原は自分が生きているという実感を得た。

 

「ああ、そうだったな……しっかりしなきゃ……仲間のために、祖国のために。」

 

宮原は決意を新たにした。エリートとして昇進する事だけを夢見ていたはずなのに、こうして誰かのために戦おう、なんて思うようになった自分がおかしくて、自然と笑みをこぼしていた。

 

ーーーーー

 

黒坂はまだベッドに横たわっていた。脳震盪を起こしていたがために、しばらく安静にするよう、軍医にキツく言われてしまったのだ。吹雪や金剛が黒坂の代わりに仕事をしている間、時雨が黒坂の監視に当たっていた。

 

吹雪が『零士さんは放っておいたら腕立て伏せを始めそうだから見張りが必要です!』と主張し、黒坂をよく知る吹雪が言うなら必要だろう、となったのだ。(ちなみに、本当にみんながいなくなったら腕立てをしようと思っていた黒坂であった)

 

時雨はずっと黒坂を見つめている。それを訝しげに思った黒坂は時雨に訊いてみる事にした。

 

「僕なんて見てて楽しい?」

 

「うん。こうして提督の事を見る機会、あまりなかったからね。よく見てみると、新しい発見があって面白いのさ。」

 

時雨は少し伸びた黒坂の髪を弄る。本人はあまり手入れしていないようだが、意外とサラサラしている。

 

「わわっ……」

 

そんな時、黒坂の仕事用携帯電話が鳴り出した。相手は高原だ。黒坂はすぐにその電話に出る。

 

『もしもし?』

 

『おう黒坂。彼女が目覚めた。お前がパラオで救助した奴だ。覚えているか?』

 

『ええ。ハッキリと。それで、何者だったんですか?』

 

『……熊野だった。キスカ島突入部隊の……』

 

黒坂は言葉を失った。

 

ーーーーー

 

それと同じ頃、工廠の一角にある笹倉の設計室では笹倉、夕張、明石が顔を見合わせて話をしていた。

 

「ほう。大本営から来た開発資材の中に新型機の設計図ね……後で作るとしようか。それより問題はCB90の方だね。」

 

笹倉はマグカップをとり、コーヒーを啜る。夕張は縦に頷くと、口を開いた。

 

「私が見た時は操舵室の上部ハッチが開いていたわ。」

 

笹倉は机の上のノートパソコンに目をやる。そこには、CB90の行動記録が映し出されていた。

 

「ふむ……明石、あの船の機銃を操作しながら操舵なんて出来るものかい?」

 

「難しいですね。機銃の操作パネルとステアリングは少し離れていますから、ステアリングを放して機銃を操作したとしたら、こんな複雑な回避機動を取ることは不能です。」

 

笹倉はまた難しい表情を浮かべる。単独で出来るはずのない操作、開いたハッチ。そして、無線記録に残っていた黒坂と誰かの話す声。謎は謎を呼び、笹倉は底なし沼に引きずり込まれた気分だった。

 

「時村……少し調べてみるか。で、現状で言えることは、あの場に誰か黒坂以外に人がいた、ということか……」

 

3人はそれ以上の仮説を立てる事は出来なかった。幻影のはずの人物が実像を結んだ? そんな話があるか。だが、それ以外にどんな仮説を立てられる? 結局、答えが出ないまま時間だけが過ぎていった。




さて、次回から第3章、鎮守府一般公開に入ります!

市ヶ谷が突然、鎮守府の一般公開を決定。催し物を提督に一任するという指令を各提督に送りつけた。その思惑は、国民に艦娘とは何か、どんな存在かよく知ってもらうため。そのために、提督や艦娘、妖精たちのの頭脳戦が始まる……!

「どーする? 堅っ苦しいのは嫌いだぜ?」

「もう文化祭みたいにしちまおう。予算は市ヶ谷の持ちだ。」

「それでいこう。」

果たして、上手くいくのだろうか?

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。