一体どれだけ気絶していたのだろうか。まだ、生きてるのか……?
傷口に染みる海水が黒坂の意識を強制的に覚醒させる。船体はひっくり返り、後部から沈み始めている。黒坂は操舵室後方で倒れていた。
沈まないのは、操舵室の空気が抜けきっていないからだろう。7mmの穴数個程度では操舵室の空気が抜けきって沈むには時間がかかる。
それでも、黒坂は動かなかった。眠くてしょうがないのだ。暖かな海水に体を包まれ、まるで胎児に戻ったかのような気分でいた。窓の外からは黄色の三日月が見える。綺麗だった。
頭の傷の痛みが、生きているのだと教えてくれる。
みんなは、こんな痛みに耐えて死んでいったのだろうか。俺もこれから、海に沈んで溺死する苦しみを味わうのだろう。
ごめん、吹雪。君だけは生き延びてくれ……
月明かりに照らされた海水に映る自分の横顔が一瞬、昔の自分に見えた。あの時は、国の為、国民の為、仲間の為、名誉の為に戦っていたのに、今はなんの為に戦っているのだろうか。
仲間は死んだ。復讐の為? 違う。あいつらが死んだのは自分のせいだ。遺族からもそう言われたし、俺自身が1番そう思っている。自分の責任だ。理不尽も、責任も人のせいにせず、自分のせいだ、そういうものなんだと思う。そう思って受け入れてしまう。それが1番楽になる方法なのだ。
もう一度海水を見ると、悲しげな顔をした今の自分が映った。燃え尽きた灰のようで、このまま海の藻屑と消えてしまうのだろう。
この日本には1億の人間がいる。自分が消えても悲しむ者は殆どいないだろう。1人消えたところで、何も変わりはしないのだ。代わりがいるのだから。
涙が流れた。止めようがなかった。嗚咽が漏れる。嗚呼、そうだ。僕は寂しかったのだ。孤独なのが辛かった。1人で抱え込むのが辛かった。1人で進むのが辛かった。だから、誰かにいて欲しかった。
でも、一緒にいてくれた人間は消えてしまう。そして、1人残された。
きっと、今度は僕が誰かを残して逝く番なのだろう。
腰のホルスターから
だけど、トリガーを引くのを躊躇った。窓の外の夜空が美しかったから、もう少しだけ、眼に焼き付けておきたかった。そして、人のぬくもりの代わりに、暖かな海水に包まれていたかった。
それからどれだけの時間が経ったのだろう。窓から人工の光が差し込んだのは。
ーーーーー
「見つけた! あそこです!」
吹雪は金剛、那智、足柄、夕張、時雨と共に黒坂の元へ向かっていた。CB90はGPSから既にロストしていたが、霧島がロストポジションと潮流から推測したエリアを捜索し、ようやくひっくり返ったCB90を発見したのだ。
「マズイわね……あのままだと10分持たずに沈むわ!」
夕張がCB90が沈むまでのだいたいの時間を伝える。
「そんな……零士さん!」
吹雪は真っ先にCB90の窓を覗き込み、フラッシュライトで操舵室を照らす。その奥に、黒坂の姿はあった。
「上部ハッチがある開いてる……窓を破ったらすぐ沈むわね……」
夕張が内部の状況から推測する。だが、鎮守府まで曳航していくのは無理そうだった。
「テートク! テートクー!」
金剛が呼びかけても黒坂はもぞもぞ動くだけだ。黒坂はこの時、義足が引っかかっているのに気付き、動けないでいた。
窓を破って中に入ろうにも、金剛、吹雪、夕張は艤装が邪魔で入れそうにない。
「私が行くわ。那智、万一の事があったら妙高姉さんと羽黒によろしく!」
「待て足柄! 何をするつもりだ!?」
足柄は笑みを浮かべると、肘でヒビの入ったガラスを割り、滑り込むようにして操舵室に入った。それと同時に沈むペースが早くなった。
ーーーーー
誰かが窓を破った。砕けたガラス片が僕に降り注ぐ。同時に、浸水が早くなった。もう少し、月夜を楽しみたかったんだけどな……
月を背にした狼……? いや、人……足柄だ。何故、ここにいるのだろう?
「提督を海の藻屑にはしないわ。そうなられたら困るもの。」
足柄はひょいひょいと障害物を越えて僕を引っ張り上げる。そして、足柄の肩に担がれた。水位が上がってくるが、足柄は動揺することなく割った窓に向かい、そこで僕を金剛に渡した。
足柄が窓から出た直後、CB90は完全に水没し、そのまま海底へと沈んでいった。
「テートク……よかった……」
「零士さん……!」
僕は右肩を金剛に、左肩を比叡に支えられた。なんだか眠くなってきた。
「司令! しっかりしてください!」
「比叡……少し眠らせて……」
「ダメだよ提督。頑張って起きて、ね?」
僕の前に回り込んだ時雨が言うが、意識が今にも途絶えてしまいそうだ。出血しすぎたのだろうか?
『霧島、聞こえる? こちら足柄。提督が負傷。桟橋に衛生科を寄越して!』
足柄が無線機に叫んでいる。そこで、僕の意識は途絶えた。
「お、お姉様! 司令が!」
「比叡、stay cool.」
金剛は冷静に黒坂の手首を握り、脈をとる。弱々しくも、しっかり脈はあった。
「Still alive.テートクは生きてマス。だから落ち着いてくだサイ。」
「はい……」
比叡は不安そうにしている金剛の横顔を見て口をつぐんだ。
ーーーーー
黒坂が目覚めたのは佐世保鎮守府敷地内にある衛生科の施設のベッドだった。左腕には点滴が刺され、吹雪、金剛を始めとした艦娘たちがその場に勢ぞろいしていた。
「ここは……衛生科?」
「零士さん! よかった……目が覚めたんですね!」
「テートクー!」
吹雪と金剛が黒坂の顔を覗き込む。2人とも、目に涙を滲ませていた。
「また、生き残っちまったか……」
黒坂は腕で目を覆った。
「なんでそんなことを言うの? 提督……」
時雨が少し悲しげに言うと、黒坂はバツが悪そうに頭を掻いた。
「そうですよ。提督は……死にたがっているようにしか見えません……」
妙高がそう言うと、黒坂は体を起こして俯いた。
「ちょうどいい機会だ。話そう。義足の理由と一緒に、何故死にたがっているか。」
黒坂の声は低く、目は虚ろだった。
ーーーーー
「そうか、黒坂が負傷したか……分かった。また連絡頼む。」
佐世保鎮守府の霧島からの電話を切った宮原は椅子に深く腰をかけて天を仰いだ。
「提督……どうしたのですか?」
神通はバインダーを置き、宮原に問いかける。
「黒坂が負傷した。まだ死に急いでるのかあの野郎……」
「提督、なぜ黒坂少佐は死に急いでいるのですか?」
宮原は窓の外、北の方角を眺めた。
「仲間の死にとらわれているんだよ。まあ、少しは俺のせいでもあるがな……おい、ドアの前にいるやつ出てこい。」
宮原が言うと、霞、日向、伊8、伊19、伊58、伊168が入ってきた。
「盗み聞きとは趣味悪りーな。まあいい。聞くか? キスカ島の悪夢のこと。俺の過去。」
艦娘たちは顔を見合わせた後に静かに首肯したので、宮原は話を始めた。
ーーーーー
横須賀鎮守府では、加賀と電が久坂の書類仕事を手伝っていた。PCが使えない久坂は書類を手書きで作るので、時間が掛かってしまうのだ。
加賀と電が書類を作成している間、久坂は誰かと電話していた。どうやら、何かあったらしい。
久坂が受話器を置いたのを見て、加賀は久坂に問いかけた。
「誰と電話していたのですか?」
「宮公。エリート死神さんが負傷したってよ。艦隊庇って提督が負傷って、前代未聞だぜ。」
久坂はそう言って砂糖たっぷりのコーヒーを啜る。
「提督、いい加減話してくれても良いのではありませんか? キスカ島から生還したのでしょう? 一体、あそこで何があったのです?」
「は、話して欲しいのです……!」
久坂は少し困ったような表情を浮かべた。
「おいおい加賀、お前まだあの時制空権取れずに大敗したことを悔いてるのか?」
「当たり前です。そうでもなければあそこまで犠牲は……」
「変わらねえよ。どっちみち、お前らが来た時点で壊滅状態だったんだからよ。まあ仕方ねえ。話すぜ。キスカ島の悪夢。俺の大切なダチ公たちの最期をよ……」
ーーーーー
キスカ島。ここには陸軍が敵に気付かれぬようこっそり駐屯し、アッツ島への攻撃の機会を伺っていた。しかし、深海棲艦に位置が知られてしまい、包囲され、キスカ島への補給は途絶えた。上陸してくる陸上棲兵を迎え撃つが、弾が減り、食料も減り、もはやジリ貧の戦いだった。
そして、物集少将による救出作戦が敢行されることとなった。先ず、海軍陸戦隊によって編成された部隊を物資とともに上陸させ、回収部隊の到着まで持ちこたえさせる気でいた。
しかし、上陸の際に深海棲艦は補給物資を載せた舟艇を集中的に狙った。結果、敵の思惑どおり、人員は増えたのに食料があまり無い。そんな状態に陥ってしまったのだ。
ーーーーー
上陸から約10日
「クソ……どっかポンチョかなんか無いか!? なんでもいいからもってこい! こいつの体温を維持できるならなんでもいい!」
俺は周りの仲間へ叫んだ。第3偵察小隊2班長の紀伊伍長の体温が下がり、死にかけているのだ。
「班長!」
「しっかりしろ! 俺らを置いて行くな!」
2班の森谷と1班長の花田が必死に呼びかける。が、紀伊はもう持ちそうになかった。
「小隊長……すいません、先に休みます……時村曹長も呼んでいるので……今まで、ありがとうございました……」
紀伊はそのまま目を閉じ、それ以降呼びかけに応えることはなかった。俺は膝をつき、嗚咽を漏らした。
1パックにつき3食分の戦闘糧食をケチって1日1食ずつ食べ、雪を溶かして飲み水として、俺は部下に戦闘糧食の一部を譲った。俺が1番に死ぬはずなのに、なぜ紀伊が1番なのか……
そこから、他の仲間も死に始めた。1番食う量が少なかった俺はまだ生きている。俺より食って体力をつけていたはずの仲間が死んでいく。
全員の口にドッグタグを挟み込む役目は、辛かった。
「今までありがとう。」
「俺たちは死んでも仲間とともに。」
そんな言葉の数々が辛かった。いっそ、無能な指揮官と罵られた方が、幾分かマシだったかもしれない。
ーーーーー
あれから何日経ったかな……
俺は地面に大の字になって寝転がっていた。サボっているというわけではない。ロクに物を食べていないので、動く気力が起きないだけだ。
キスカの雪はゴーグルに音もなく積もっていく。頭に被った戦闘帽とヘッドセットも落ちかけているが、それを気にする気力も無くなっていた。
隣にいた仲間たちは既に全員息絶えた。俺の戦意はなくなっていた。これは戦争なんだ。仕方ない。本当は、無能な上官へ怒りをぶつけたいが、怒る気力がなく、受け入れるしかできなかった。
「黒坂……生きてるか?」
「ああ……」
第2偵察小隊長であり、親友の宮原は近くで絞り出すように呻いている。悪魔の化身のあだ名は伊達ではないようだ。
「久坂の野郎は……?」
「ここにいるぜエリートさんよぉ……」
俺は空を見上げたまま久坂の声を聞いていた。遠くに聞こえる砲撃の音。動くことすらままならない彼らの元へ陸上棲兵は来ない。このまま自滅するのを待っているのだろう。
「兵糧攻めにあって餓死するくらいなら、いっそ攻めてきて殺してくれよ……」
宮原はせめて兵士として戦って死にたい。こんな死に方は嫌だと呟く。
「なあ黒坂……生き残った3偵は何人だ?」
「昨日数えたら……もう俺だけだ。」
「……そうかよ。宮公、2偵は?」
「俺とお前だけ。むしろ、陸戦隊の生き残りはこの3人と言った方が早いかもな……」
「クソが……」
久坂は起き上がってどこかへ石ころをぶん投げる。
こんなはずじゃなかったのに。89式自動小銃が重くて仕方ない。
誰も言葉を発しない。生きてるか死んでるか最早わからない。否、この空腹と寒さ。その苦しみが生きていると教えてくれている。
これまで、食えるのもなら草の葉だろうと根っこだろうとコケだろうとなんだろうと食った。穴を掘って上にシートを敷いて、水を貯めて飲んだ。雪を溶かして飲んだ。いくらごまかしても限界は近い。レーションは底をついた。戦艦の装甲チョコすらも。せっかく持ってきた弾薬は使う機会もなく、マガジンの中で腐らせている始末だ。
ミネラル不足か、筋肉が異常収縮する。もうどうでもいい。仲間は死んだ。そしてこれから、守るはずだった守備隊も、生き残ったわずかな仲間も死ぬのだろう。
この世界に神なんて存在しない。存在するなんて声高に言う奴がいたら問いただしたい。なぜ戦いを神は止めないのか。なぜ、こんなにも惨めな死に方をさせるのか。なぜ、苦しめるのか。
もう上陸から何日経ったか数えるのは止めた。いや、忘れていた。
ーーーーー
クソクソクソ、最悪だ。あのクソ指揮官の物集のおかげで、何もかも失くしちまった……
同じ釜の飯食った仲間も、俺を信用してくれた部下も、久坂を残して死んじまった。
俺は、小隊長でありながら何もしてやれなかった。もし、俺が夢見たお偉いさんになんてなってたら、もっと大勢死なせてたかもな……
そう考えると、これだけで済んで良かったのかもしれない。俺たちはここで死ぬ。俺たちの最期を伝える者は無く、ドッグタグを持ち帰る者もいない。
このまま、忘却に押しつぶされてしまうのだろう。
平家物語が頭をよぎる。本当、今までの人生が夢のようだった。あの短くも楽しかった部隊での生活……もう、あの頃には戻れない。
宮原は絶望に押しつぶされそうになっていた。まだ久坂と黒坂が生きている。その事実で潰れそうな心をなんとか支えているが、長くは持たないだろう。
ーーーーー
……体が言うことを聞きやしねえ、飯も全部終わっちまったし……俺は何のために戦ってきたんだろうな。
国の為?平和の為?いや、もっと別の、ドロドロした何か……
やめだやめだ、何か考えるだけでも腹が減る……あー、この雪全部が生クリームならいいのに……そうそう、生クリームと言えば駅前の喫茶店のケーキ、アレ美味しかったよなぁ。濃厚な甘さクリームに甘酸っぱい苺ジャム…それに包まれたフワフワスポンジケーキ……って、俺は何考えてんだよ、更に腹が減るだけじゃねえか!!よし絶対生き延びる、絶対生き延びてもっかいあのケーキ貪り食ってやる!!
久坂は現実逃避することによって生存の望みを持ち続けていた。
ーーーーー
遠く海の果てに汽笛が聞こえた気がした。最果ての島に来る船なんかいるわけない。とうとう幻聴まで聞こえるようになったのか。
相変わらず宮原と久坂はしぶとく生きている。それを言う俺も人のことを言えないな。遠くから聞こえる守備隊の報告の声。どうやら、向こうも壊滅状態のようだ。どれだけ生き残っていることやら。
辺りから聞こえる怨嗟の声、祈り、誰かに別れを告げる声。
地を這う死神もこんな死に方するのか。惨めなものだ。
にわかに守備隊が活気付いた。とうとう万歳突撃でも始めたのか? 否。汽笛が聞こえる。それもさっきより大きな音が!
「久坂、宮原!」
「ああ!」
「聞こえたぜ! どうやらお出ましのようだな!」
霧の向こうに見える人影。ああ、あれが最終兵器、艦娘……霧の向こうに見えた希望……
陸軍の兵士たちが最後の力を振り絞って海岸へ走る。俺と宮原、久坂はお互いを支えつつ、どうにか海岸へ歩いていく。無我夢中だった。
が、次の瞬間、海岸が爆発し、砂と水、そして、人の体がバラバラになり、生暖かい血液を撒き散らしながら空へと放り投げられた。艦砲射撃だ。深海棲艦は守備隊をここで全滅させる気なのだろう。
艦娘が慌てだしたようだ。陸からでもその様子が見えた。
「クソ! どうなってるんだ!? 霧で向こうは艦娘が見えていないはずだぞ!?」
久坂は目の前の光景が信じられないようだ。
「電探だ! 電探を頼りにぶっ放してるんだろ!」
俺は最後の力を振り絞って89式小銃の棹桿を引き、初弾を装填した。
「どうする?」
宮原は俺に訊く。腹はもう決まっていた。
「どうするもこうするもねえよ宮原。そろそろ揚陸部隊が来る。迎え撃つしか無いだろーがよ!」
「そうこなくっちゃな。」
久坂は不敵な笑みを浮かべて応じる。俺も久坂もやる気だった。宮原もつられて戦闘用意を整え、海岸へと向かう。
艦娘も電探を頼りに砲撃を繰り出しているが、どう見ても劣勢だ。艤装はボロボロで砲の半分も使えなくなっている。海岸砲も艦砲射撃で破壊されて使い物にならず、援護もままならない。
陣形から離れた艦娘が海岸へ駆け寄ろうとする。しかし、背後から飛来した砲弾により、機関部を破壊され、浸水。霧の立ち込める海へと飲み込まれていく。
「もういい……」
久坂は目を覆いたくなったが、必死に堪えて前を見据える。黒坂の読み通り、揚陸部隊が接近していたのだ。
「後方の安全確……」
LAMを構えた兵士が榴弾を食らい、肉塊へと変貌を遂げる。赤い花が咲き、飛び散った生暖かい血液が久坂の頬を濡らした。
「もうやめてくれ……」
「こっちです!」
久坂には黒髪に巫女服を来た艦娘が手を伸ばしているのが見えた。しかし、彼女もまた敵の砲撃を受け、どうにか耐えるが、霧で雷跡が見えなかったのだろう。魚雷の直撃を受け、海へ飲み込まれていった。久坂は必死に手を伸ばすが、距離は30m以上を届くはずもなかった。
「ごめんなさい……助けられなくて……」
そんな声が聞こえた気がした。久坂の頬には熱い液体が溢れ、手足は震え、膝は既に地に着いていた。
「何やってるんだ久坂! 立て! 戦え! ……ああ畜生! 宮原! 左翼が破られた! ターゲット3!」
「今撃ってる!」
俺と宮原は必死に崩れかけた防衛線を支える。激しく弾が降り注ぎ、血と肉と泥の雨が降る。ゴーグルには赤い液体と泥がこびりつき、過熱した銃身に降り積もった雪がジュウジュウと音を立てて溶け、蒸発していく。
「このままじゃ銃身が割れちまう!」
宮原は悲鳴をあげるかのように叫んだ。
「着剣しろ! 地獄に飛び込むぞ! 久坂! いつまでへたってるんだ! 今の今まで暇してたツケを返しに行くぞ!」
久坂はヨロヨロを立ち上がると、不気味な笑い声を発しながら背中の日本刀を抜いた。
「よーし行くぞ! 突撃前へ!」
宮原以下3人は栄養不足でボロボロの体を無理やり動かし、上陸してきた陸上棲兵の群れへ切り込む。もう無我夢中、剣術なんて関係ない。手当たり次第に斬り伏せていく。幸い、周囲に味方はいない。思う存分暴れられた。火事場の馬鹿力とはこの事だろう。追い詰められた生物の生存本能が為す最後の抵抗。
これには陸上棲兵も耐えられず、斬られ、突かれ、地に伏せっていく。俺たちの緑の斑の迷彩が赤い斑に変わっていく。
「皆さん! 助けに来ました!」
すると、中学生くらいの体格で、セーラー服に身を包んだ艦娘が岸に上がってきた。吹雪型駆逐艦1番艦、吹雪だ。
その時、光の球が空に打ち上がったのを俺は見逃さなかった。咄嗟に着弾地点を予測する。それは、自分が立っている今この場。
「砲撃来るぞ!退避しろ!」
俺の警告を宮原と久坂は足がもつれ、転びそうになりながらも走り、砲弾の効果範囲から逃げる。吹雪は何事か読めず、その場に立ち尽くしていた。
「何やってるんだ馬鹿! 早く退避しろってんだ!」
俺は無我夢中で吹雪を抱き抱え、走った。人間、追い込まれると普段以上の力を発揮するのだと、後に思ったほどだ。
間に合わない。俺は逃走を諦め、吹雪をその場に押し倒し、その上に覆いかぶさって盾になった。
激しい振動、爆風と爆音、高熱が襲う。戦闘帽の表面が焼け、半長靴には穴が開き、戦闘服もあちこちが焦げた。
そして、ノートくらいの大きさの砲弾の破片が飛来し、左脚に突き刺さった。
破片はふくらはぎを切り裂き、すねまで切り、皮一枚で止まった。その下には、吹雪の細く、白い脚。もし、俺の脚で破片が止まらなかったら、吹雪の脚が切断されていただろう。
黒坂はあまりの痛みで悲鳴を上げた。言葉に表せない激痛、熱が傷口を蝕む。吹雪は何事かとまぶたを開けると、目の前では1人の兵士が悲鳴をあげていた。自分の足に滴る生暖かい液体。自分の脚から出血しているのか、否。それにしては痛みがない。
少し考えればわかることだった。目の前のこの兵士、黒坂零士が自分を庇って負傷したのだと。
「黒坂!」
宮原が真っ先に駆け寄り、黒坂を仰向けに寝かせる。吹雪は立ち上がって黒坂の脚を見る。それは、もう目も当てられない悲惨な状態だった。膝下は宮原が転がした時に破片で完全に切断された。どうせ皮一枚だから変わらないのだが。傷口から大量の血が流れ出していた。
「久坂! 手伝え! 黒坂が死んじまう!」
駆け寄ってきた久坂と宮原は黒坂の太ももを包帯できつく縛り、その辺にあった木片も一緒に縛って止血帯による止血を試みる。
その時、沖合から回収のLCACが接近してくるのが見えた。
「海岸の塹壕まで行け! 塹壕だ!」
宮原は守備隊へそう叫ぶ。久坂は黒坂を背負い、塹壕まで歩き出す。
「援護するぜ久坂! ほらよ嬢ちゃん! 撃てるだろ?」
宮原はホルスターからSIG P226を引っこ抜いて吹雪に渡すと、89式自動小銃を構え、進路の敵を次々と斃していく。黒坂も久坂に背負われたままUSPで応戦する。狙いがフラフラしているが、何とか当てている。
「早く入れ!」
宮原が塹壕近くにしゃがみ、久坂と吹雪を援護する。その間に久坂は黒坂を背負ったまま塹壕に飛び込み、吹雪もそれに続く。3人が塹壕に入ったのを見て、宮原も塹壕に飛び込んだ。
「衛生兵! 早く来い!」
久坂が衛生兵を呼ぶ。陸軍の衛生兵は黒坂の足を見るなり、カバンから注射器を取り出し、モルヒネを打つ。よく麻薬として知られるモルヒネは、本来はこうして鎮痛剤として用いられる。
「久坂援護!」
「射撃は苦手なんだよ!」
「弾幕張るくらい出来るだろ!」
久坂は渋々補給物資の中にあったミニミ軽機関銃を取ると、敵へ弾幕を張る。敵の集団を強行突破して塹壕にたどり着いた結果、陸の方に陸上棲兵、守備隊と陸戦隊は海を背にするという、最初とは真逆の布陣になっていた。
衛生兵は俺の脚の断面をガーゼで覆い、包帯をきつく巻く。
「あああっ! やってくれたなクソ共が!
俺は背中のケースからレミントンM700を取り出すと、スコープのキャップを外し、塹壕から身を乗り出して構えた。
「安静にしていなきゃダメですよ!」
「うるせえ! やられちまえばどの道同じなんだ!」
俺は吹雪の制止を聞かず、敵を狙撃する。モルヒネの強力な鎮痛によって、脚の痛みはほとんど無い。
撃ってはボルトを引き、咥えていた弾丸を排莢口に押し込んで装填、そしてまた撃つ。
敵弾が地面に着弾し、土を撒き散らす。塹壕近くに着弾し、吹雪はきゃっと悲鳴をあげて伏せる。その隣にいた宮原が胸に被弾して倒れた。
「ぐあっ!」
「宮原!」
俺は狙撃を中断して宮原に駆け寄る。宮原の胸には貫通銃創があった。
「衛生兵! けが人だ!」
衛生兵は駆け寄るや否や、宮原の防弾チョッキ3型を脱がせ、銃創をチェストパッドで密閉する。密閉しないと、肺が風船のように潰れて呼吸困難になってしまうのだ。
「クソッタレ……陸軍の連中はLCACに乗ったか!?」
久坂は後方を見る。陸軍の兵士たちが4人をLCACから援護していた。
「ああ! 俺たちも行こう!」
「分かった……っ……!」
宮原は立ち上がろうとしたが、よろけて倒れた。
「久坂、宮原に肩貸してやれ。俺が援護する。」
俺は覚悟を決めた。久坂が肩を貸せるのは1人。片足のない俺を運ぶのは無理だろう。吹雪にも。なら、ここで華々しく散ってやろう。
「ふざけるな! 置いていけるか!」
久坂が怒鳴る。だけど、このままでは全員ここで死ぬことになる。すると、陸軍の兵士2名が走ってきた。
「何やってんだよノロマ! さっさと行くぞ! 剣崎! 援護!」
「わかりました
東が俺の襟首をつかんで引きずる。久坂はすぐに宮原に肩を貸して走り出す。吹雪も渡された拳銃を無我夢中で撃ちながらそれについて来た。
五体満足な面々は先にLCACに乗り込み、最後に俺が引きずり込まれた。そして、すぐに海岸を離れて沖に待機しているあきつ丸へ向かって行った。
「生きてるのか?」
俺は大の字になって倒れながら呟く。
「何とかな……」
久坂は肩で息をしながら答えた。射程外まで離れるまで89式を構えて海岸を狙っていた剣崎も、その辺に寄りかかって天を仰いだ。
「俺たち、よく生きてたもんだな……おい海さんよ、そっちは何人生きてた?」
剣崎の問いかけに対し、宮原は指を4本立てて見せた。俺と、宮原と久坂と、吹雪だ。
「そうか……気の毒だが……」
「仕方ない。これが戦争だ。それより、さっさと治療を……」
宮原は胸を押さえながら言った。痛むのだろう。
この後、あきつ丸で宮原と黒坂は治療を受けたが、黒坂は細菌感染によって死線をさまよい、軍中央病院で目覚めたのはここから7日後だった。
この作戦で、上陸した陸戦隊の3個小隊のうち、生還したのはたった3人だった。
この事はのちにキスカ島の悪夢と呼ばれた。ここで斃れた兵士たちの遺体は2年経った今でも回収さへていない。
彼らがいたことを証明するのは、黒坂と宮原が持ち帰ったドッグタグだけだった。