水面に踊る君と地で歌う僕   作:Allenfort

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幻肢痛 Phantom Pain

怪我や病気で四肢を切断した患者の多くが体験する症状。あるはずもない手足が痛む。難治性。

詳しい原因は分かっておらず、麻酔や痛み止めも効果がない。決定的な治療法は今も見つかっていない。


第28話 ファントムペイン

弥生は執務室の前にいた。艤装の修理が終了し、黒坂に報告に来たのだ。

 

「司令官……いる?」

 

ノックをしても返事がないので、ドアをゆっくり開けて中の様子を伺う。すると、黒坂は机に突っ伏して眠っていた。課業終了後なので、寝てても別に問題はないのだが、このままだと風邪をひいてしまいそうだった。

 

弥生はとりあえず黒坂を起こすため、体を揺すってみた。顔が横に転がり、頬が見えた。ドッグタグを頬で潰していたらしく、跡がくっきり残っていた。弥生は吹き出しそうになりながらも黒坂を起こそうとした。

 

「司令官……起きて……」

 

「んあ……?」

 

黒坂はまだ少し寝ぼけているのか、目の前の少女を弥生と認識出来ず、確認のために顔を近づけたのだ。そんなことをされた弥生は驚きながらも、動けないでいた。

 

「弥生……? どうかした……?」

 

「修理、終わったよ……あと、顔近いです……」

 

「ああ……ごめん……」

 

黒坂は顔を遠ざけ、目を擦った。腕時計を見ると、長針と短針の蛍光塗料がぼんやり光って見えた。0242時だった。

 

「弥生は寝なくて大丈夫なの?」

 

「順番待ちの間に寝てました……」

 

「そっか……そうだ、そろそろ霧島と交代の時間だ!」

 

0300時から霧島と指揮を交代する予定なのだ。山城率いる艦隊を佐世保まで誘導する為に。

 

その時、吹雪がドアを破壊する勢いで執務室に飛び込んできた!

 

「零士さん! 山城さんたちが敵の待ち伏せを受けました! 現在交戦しながら後退中!」

 

その知らせに、今度こそ黒坂の目は完全に覚醒した。緊急事態だ。

 

「位置は!?」

 

「間も無く佐世保鎮守府から40km地点に差し掛かります!」

 

「くそっ!」

 

黒坂は司令室に向かう。こんなに奥地にまで敵が入り込んでいたのか? それともソナーや電探に引っかからない距離を保持しつつ、追いかけてきたのか? 今はそんなことよりも迎撃することを考えなければならなかった。

 

司令室のドアを蹴破り、一目散にモニターに向かう。UAVからの画像は暗くてよく見えないため、ナイトビジョンに切り替える。確かに、山城たちは対潜攻撃を行っているが、暗くて当たっていないようだ。黒坂はすぐにマイクを引っ掴んで招集をかけることにした。

 

『全員起きろ! 敵が接近中! 川内は水雷戦隊を率いて出撃!他はいつでも出撃出来るように待機せよ!』

 

黒坂は一度司令室を飛び出すと、自室ですぐに戦闘服に着替えた。山城の艦隊には損傷艦がいる。なんとかして回収しなければならなかった。

 

着替え中、黒坂はまた幻肢痛に襲われた。激痛の中、傍らにまたしても時村が立っていた。

 

『怖いか? 仲間を喪うのは。』

 

ああ怖えよ。俺の最も恐れることだ。今にもチビっちまいそうだ。

 

『だけど、また死なせようとしている。上から与えられた部下を、心を許し始めている仲間を。お前は、指揮をするだけか? あいつらに、何をしてやれた?』

 

まだ何もしてやれてねーよ。だから、ここで死なせる訳にはいかない。

 

『犠牲は付き物だろう?』

 

その犠牲は俺だ。俺は軍人。祖国に忠誠を誓い、規律に従順であり、他の模範となり、命令によって戦い、命令によって死ぬ。

 

『誰がお前に死ねと命ずる?』

 

俺自身だ。戦いの中で、多くの者のために。そして軍人として誇りを持って死ねと命ずる。

 

すると、時村の幻影と幻肢痛は消えてしまった。夢でも見ていたような気分であった。

 

ーーーーー

 

戦闘服に着替えた黒坂は川内、阿武隈、時雨、弥生、皐月、吹雪が出撃用意をしている工廠に飛び込み、笹倉に声をかけた。

 

「笹倉さん! アレ出して!」

 

「アレって、CB90型高速襲撃艇かい?」

 

「そう! 出せる?」

 

「一応……何をする気だい?」

 

「損傷艦を乗っける。川内! 戦闘区域まで連れて行くから乗れ!」

 

黒坂は近くに停めてあったCombat Boat90Hに乗り込む。米軍から供与された小型の戦闘艇であり、兵員輸送も可能である。

 

「仕方ないね……」

 

笹倉はゲートを開け、CB90が発進できるようにした。それと艦隊の6人がCB90に乗り込んだのはほぼ同時だった。

 

黒坂はスロットルを全開にし、暗闇の海へ飛び出して行った。

 

GPSを頼りに、暗闇を突っ切る。暗闇へ進むのをためらう人は多い。暗闇は死を連想させるからだ。だが、死を望む者はどうだろう。黒坂は恐れることなく暗闇に進んでいる。怯えるどころか、気分は戦場に近づくにつれて高揚している。

 

『霧島! 目標地点まで誘導頼む!』

 

黒坂はヘッドセットのマイクに向かって叫ぶ。

 

『GPSで座標をマーク。そちらに転送します。どうかご無事で!』

 

ご無事で。それは艦娘だけで十分だ。

 

ーーーーー

 

山城たちは暗闇の中でそれぞれの電子機器を頼りに戦いながら逃げていた。ただでさえ敵艦の姿が見えない上に、潜水艦までいるのだ。状況は一向に良くならない。

 

曙が大破し、自身も中破。他の艦娘たちも小破している。暗闇の中、どこから雷撃されるかという恐怖に耐えながらただひたすらに鎮守府へ向かう。それしかできなかった。

 

だから、CB90のライトが見えた時には天の助けと思えたのも仕方ないことだろう。

 

兵員待機室から川内たちが飛び出し、山城たちを取り囲むように展開する。そして、敵駆逐艦へと雷撃を繰り出した。

 

「山城ー! 早く乗れ!」

 

黒坂は操舵室のハッチから身を乗り出して叫ぶ。山城は声を聞くと、すぐに撤退の合図を出して他の艦娘たちとともにCB90に向かう。

 

CB90の後部デッキと海面には段差がある。操舵室から飛び出した黒坂は後部デッキから艦娘が乗り込むのを手伝っていた。

 

「手を貸せ! 邪魔なら艤装を捨てても構わん!」

 

この時ばかりは曙も素直に黒坂の手を借りる。黒坂に引っ張られてデッキに乗り込んだ時、曙は心から安堵した。

 

「ほら次は山城!」

 

黒坂が山城を引っ張り上げようとするその間にも銃弾や砲弾が激しく飛び交い、海面に落ちた砲弾が波を立てる。その度にCB90の船体が揺れ、黒坂の顔に飛沫がかかった。

 

1発の機銃弾が黒坂のかぶっていた88式鉄帽(てっぱち)を擦り、てっぱちの顎紐が壊れて吹き飛んだ。衝撃で軽度の脳震盪を起こした黒坂は前のめりに倒れ、海に落ちた。

 

防弾チョッキ2型が重く、浮上できない。そして、頭が働かず泳ぐこともできない。死ぬのか。まあいいや。黒坂はそう思っていた。

 

だが、右足を山城に掴まれ、さらに他の艦娘たちに引っ張り上げられて沈むことはなかった。

 

「提督! 生きてますか!?」

 

「あ……赤城……?」

 

黒坂は塩水の染みる目を開け、赤城の姿を認めた。

 

「よかった、生きてる……早く船に!」

 

赤城、山城、羽黒が黒坂をCB90に乗せる。そして、そのあとから飛び乗るようにして乗り込んだ。

 

黒坂はふらつく頭をなんとか動かし、立ち上がって叫んだ。

 

「川内! 収容したぞ! 撤収!」

 

黒坂の声を聞いた川内は撤収の指示を出し、CB90に乗り込んでいく。川内以外は兵員待機室へ入り、川内は夜目が利くため、後方で監視の役目だ。

 

鎮守府では残りの艦娘や地上スタッフが待ち構えている。逃げ込めばこっちのものである。

 

黒坂はふらつきながらも操舵室に飛び込み、スロットルを全開にした。

 

『砲撃くるよ! 右に回避!』

 

無線機から川内の声が聞こえてくるのと同時に、黒坂はステアリングを右に切って砲弾を回避する。波が船体を揺らすが、怯むことはない。

 

『今度は左!』

 

「くそっ! キリがない!」

 

何か手立てはないか、黒坂はパネルに目をやる。遠隔操作型の12.7mm重機関銃? 否。そんなの深海棲艦相手には豆鉄砲同然だ。なら、兵員待機室の110mm個人携行対戦車榴弾? 否。揺れるこんな所で当てられるわけがない。

 

その時、スモークディスチャージャーのスイッチが目に入った。こんなものあったか? そう思いながらも、1つだけ策を考えた。

 

『川内。損傷が酷いやつを曳航できるか?』

 

『できると思うけど、何する気?』

 

『30秒後に煙幕を張るから降りて逃げろ。俺は後から行く。』

 

『ええ!? 無茶だよ!』

 

『いいからやれ! 命令だ!』

 

黒坂は怒鳴った。珍しく怒鳴った黒坂に川内は驚きつつも、命令に従うことにした。

 

『……分かったよ。』

 

黒坂は腕時計の秒針を見てタイミングを計る。そして、大体30秒でスモークディスチャージャーを起動し、スモークを焚いた。

 

『行け! 今だ!』

 

艦娘たちがCB90を降り、コンパスを頼りに佐世保鎮守府へ進路をとる。黒坂はそれと逆方向にCB90を進ませた。

 

「零士さん!? どこへ……!?」

 

吹雪の声は、黒坂に届かなかった。黒坂は自ら囮になり、艦娘だけでも帰すつもりでいた。

 

ーーーーー

 

スモークを飛び出したCB90を深海棲艦は執拗に攻撃する。艦娘が降りたことを知らないのだろうか。

 

砲弾が至近距離に落ちて船体を揺らし、機銃弾がかすって音を立てる。

 

そんな中、また幻肢痛(ファントムペイン)が黒坂の左足を蝕み、いつものように時村の声が聞こえてきた。

 

「よう。気分はどうだ? 黒坂()()?」

 

「今度ばかりはいい気分だな。死に場所に向かってるんだから。」

 

「艦娘逃して死ぬ気なんだろう? どうせ死ぬならなんで腰の拳銃で頭を吹っ飛ばさない?」

 

「そんな楽な死に方誰が認める? お前らみたいに戦って、苦しんで死ななきゃケジメがつかないだろう?」

 

すると、時村の幻影は笑い出した。きっと、この時村は俺の罪の意識が作り出した幻影。それか亡霊。だけど、どっちでもよかった。

 

「なら、存分に楽しもうぜ。今宵はここで、ワルツと行こうか。」

 

「ああ。行こう!」

 

時村はあの時と同じ、自信に満ち溢れた笑みを浮かべていた。それは俺も同じだろう。何も怖くない。何も恐れることはない。

 

「機銃は任せろ。お前は操艦にだけ集中すればいい。」

 

時村が隣に座って遠隔操作型の機銃を使い、深海棲艦に威嚇射撃を行う。

 

「おい黒坂! 右からわんさと来てるぞ! お前誰かさんを怒らせちまったな?」

 

「お前が現在進行形で怒らせてるんだろうがよ!」

 

黒坂は笑いながらステアリングを切って砲撃を回避する。だが、船体には機銃弾によってあちこち穴が開き、エンジンにも当たったのか、だんだん出力が落ちてきていた。

 

「そろそろヤバイか?」

 

「ヤバイな。俺もお前らと同じあの世行きだな。」

 

「どうなるかはお前次第だ。幻肢痛にとらわれる(死ぬ)幻肢痛を乗り越える(生きる)も自由だ。お前の意思で選べ。」

 

次の瞬間、目の前を駆逐イ級が横切った。イ級は7.7mm機銃を操舵室へ向けて掃射した。弾丸は黒坂の左側頭部を擦り、防弾チョッキ2型を貫通して右脇腹に食い込み、衝撃に耐え切れず黒坂は倒れた。

 

「ここまで、だな……」

 

次の瞬間、船体が大きく揺れた。敵の砲撃で横転したのだ。空と海面が反転し、CB90は後部が水没した。ひっくり返った操舵室にも水が入り込み、後部のハッチは水没していた。

 

「この先の運命は、お前と仲間次第。じゃあな、黒坂(バディ)。」

 

時村の姿は消えていた。黒坂は頭をぶつけて意識を失っていたので、そのことに気づくことはなく、声が耳に届く事もなかった。




ハロウィンイベント書くのは時間の都合上無理でした……

2章はあと2話くらいを予定しています。

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