「とまあ、こんなところですかね。」
一通り話し終えた黒坂はコーヒーを啜った。インスタントだろうと、とりあえず飲めればいい。そんな思考回路なので、熱さも味も気にしない。
「やっぱり、あの時帽子をくれたのは零士さんだったんですね……」
「思い出したかね?」
高原の一言とともに、軍のお歴々や仲間たちからの視線が黒坂に集中する。
「思い出しましたよ……」
黒坂は降参だとばかりに両手を挙げた。本当のところ、覚えていたのだがその少女が吹雪だと確信が持てず、忘れていたふりをしていた。初陣を忘れるわけがない。
「ならいい……そろそろ時間だ。会議室に戻るぞ。重野総理もそろそろ来るだろう。」
「あれ、総理も来るんですか?」
宮原は高原に訊く。
「ああ。さっきまでASEAN諸国との電話会談があったから遅れで参加だ。」
「先に言ってくださいよ……」
「済まんな宮原。驚かせたかったんだよ。」
「そんなドッキリいりませんよ……とりあえず、会議室に戻りますか……」
そこにいた面々は渋々といった雰囲気で会議室に戻っていく。この後の会議が泥沼になると予想していたからだ。
ロストサイン作戦は性質上、周辺諸国の同意やら協力やらが必要となる。そして、どこの部隊がどのルートを担当するか。被る被害はそのルートによって別れるといって過言でもない。そこで揉めるだろう。
さらに厄介なのは、この作戦に難色を示された場合だ。話の通じる相手ならまだいいが、通じない奴だった場合、また話はお流れだろう。
ーーーーー
会議再開から1時間。やはり泥沼にはまった。
この会議で通ったとしても、国会でどう説明し、国民の理解を得られるか、そこで揉める羽目になった。
インドネシアを軍事支援した時は石油の確保という名目があり、与野党(一部を除く)と国民の理解を得られた。石油がなくなったらどうなるか、考えたら大多数は賛成に回るだろう。
だが今回はどうだろうか。日本だけどうにか平和にやれればいい、これ以上の戦力増強反対など言い出す連中があちこちでデモやらなんやらを起こしている今日この頃、政府の説明もどれだけの効果があるか、不明だった。
確かに、今のままでもなんとかやれるだろう。だが、パレンバンの油田がいつまで持つか分からない。明日にも枯渇するかもしれないし、100年持つかもしれない……そんな不安があることを、多くの人は知らない。ちょっと考えると分かることなのにだ。
「ロストサインがダメだとして、その代替として中東からの原油輸入ルート確保は?」
西名が言う。
「シーレーンだけならどうにかなるが……施設はどうだ猪倉陸幕長?」
坂井は猪倉に訊く。
「特殊作戦群でも難しいかな……経験不足だ。そもそも、油田施設制圧なんて想定してないから訓練してないし、やろうにも設備がない。」
「無理か……在日米軍は勝手に動かせないし……」
西名は椅子の背もたれに体を預け、天を仰ぐ。
「なあ黒坂よ、どうなってるんだ?」
久坂は黒坂にこっそり話しかける。
「何が?」
「いやよ、海外に出張るのがマズいって、もう前々からインドネシアやフィリピンやら行ってるだろ? 最近ならトラック諸島に行ったし。」
「ありゃ現地政府から要請を受けて、だ。キスカ辺りはアメリカから敵拠点攻撃頼まれてだったし、ともかく、今回は要請を受けてじゃなくてこっちから行くぞって言ってるから面倒なんだよ。」
「なるほどな……」
すると、今までの話を聞いていた重野首相が口を開いた。
「つまり、国会と国民の理解を得られればやれる、そういうことだな?」
一同はキョトンとしたが、すぐに我に帰ると、やれます、やらせてくださいと口々に言った。それは黒坂たちも同じだった。
すると、重野はスーツケースから書類を取り出し、テーブルの上に置いた。
「先ほどの電話会談の結果だ。ASEAN諸国は単独では深海側に勝ち目なしと判断し、連合軍を結成、フィリピンのマニラを拠点に活動を開始するとのことだ。そして、日本にもそれを支援してもらいたい、とな。むこうからお声がかかったと言うならば南方に堂々と出撃出来るだろう。」
いくら陸上兵力を引っ掻き集めても、東南アジアはほぼ島国だ。よって、海上兵力が重要になる。そして、深海棲艦に対応し得るのは現状、日本だけなのだ。それ故、ASEANにオブザーバーとして参加している日中韓のうち日本にだけそういう話が来ても不思議ではないのだ。
「国の裏の顔たる君たち軍人がやってくれるというならば、表の顔たる国会を説き伏せるのは首相である私の役目だ。江田さん、やってくれるな?」
江田はニッと笑ってみせる。
「防衛大臣としては異論ありませんよ。藤堂統合幕僚長、話はついた。ゴーサインだ。ロストサイン作戦の発動を承認する。」
「待ってましたよその言葉を! 総員! 作戦を通達する!」
藤堂の言葉とともに、一同は起立する。各指揮官や副官、秘書艦は意気揚々といった表情で藤堂の言葉を待った。
「これよりロストサイン作戦を発動する! この作戦では海軍が命運を握っている。陸と空にはそれを支えてもらうことになるだろう。」
正面のスクリーンに地図が映し出される。日本から伸びる3つの矢印は、各進路を示している。まず、北回りの矢印が赤くなった。
「大湊地方隊所属艦隊はアリューシャン列島からアラスカ、カナダを経由し、アメリカ本土を目指せ。これをオウルストライク作戦と呼称する。陸軍の北部、東北方面隊、空軍の北部航空方面隊はこれを支援せよ!」
北回りの矢印は緑に戻り、次は中央の矢印が赤く変わった。
「横須賀地方隊所属艦隊は最短ルートでハワイを経由、アメリカ本土を目指せ。これをエンジェルアロー作戦と呼称。陸軍の東部方面隊、空軍の中部航空方面隊はこれを支援せよ!」
そして、最後に南回りの矢印が赤く変わった。いよいよだ。
「佐世保地方隊所属艦隊は東南アジアとオーストラリア、南アメリカを経由し、アメリカ本土を目指せ。これをストレイキャッツ作戦と呼称する。陸軍の西部方面隊、空軍の西部航空方面隊はこれを支援せよ! また、呉地方隊はエンジェルアロー、ストレイキャッツの双方を可能な限り支援せよ!」
そして、呼ばれなかった舞鶴などに関しての説明もあった。
「舞鶴地方隊は指揮官を萱場少将に交代、インド洋へ進出し、中東へのルートを確保せよ。陸軍の中部方面隊、空軍の南西航空混成団が支援にあたる。」
そして、ある程度まで進撃したら足並みをそろえて一斉攻撃し、アメリカに対する海上封鎖を打破することとなった。
ついに掛け金が外れた。これは賭けに等しい。だが、いつかは勝負に出なければ負ける。ならば今しかない。
ダウンフォール作戦の屈辱の分、しっかり返してやる。黒坂は心の中でそう誓っていた。
ーーーーー
会議ののち、黒坂、宮原、久坂とその秘書艦はまた別室に呼び出されていた。そこにいたのは高原1人であり、手には何かの書類を持っている。
「今度はなんです?」
宮原は気心知れた面々(艦娘は除く)だけなので、あまり緊張はしていない。
「ああ、極秘任務をお前たちにくれてやろう。これは金庫に保管しておけよ。無線は傍受される危険もあるし、郵送も不安だからな。」
高原の配った書類、タイトルは『ヘヴンズドア作戦』だ。
「いいか、萱場少将の艦隊はインドまでのルートを確保する。そこからが出番だ。一部の精鋭をこっそりインド洋を経由し、スエズ運河を奪還。アメリカ西海岸を目指せ。ロストサイン作戦発動の報を受けた
「どうしてこれを僕らだけに?」
黒坂は興味本位で高原に訊く。
「霞が関にも信用ならん奴が多い。萱場と君たちくらいしか腹を据えて話せる奴がいないのだよ。首相と防衛大臣の許可は取ってある。宮原、黒坂、久坂。頼むぞ。日本のために。」
高原の言葉に、黒坂たちは敬礼で返した。
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帰りの新幹線の中、黒坂は窓の外を見て物思いにふけっていた。
反撃の時が来た。叶うことならば、あいつらと一緒にこの日を迎えたかった。そう思う黒坂の脳裏には、斃れていったかつての仲間たちの顔が浮かんでは消えていった。その中でも、一番の親友であり、相棒だった時村慶一郎。彼の最期が、頭からどうしても離れない。
後悔しても、ああすればよかったと考えても意味はない。そんなことはわかっている。だけど、止まっているとどうしても勝手に物思いにふけってしまう。そうしないためには動くしかない。何かに集中して考えないようにするしかない。だけど、それが今出来ないからこうして何かを考える。
きっと、自分が生きていると実感するために必要なのだろう。傷ついて血を流すより、戦いに身を投じるよりも、手っ取り早い方法だ。時々、こうして物思いにふけらないと、自分が生きていると実感出来ない。そんな自分に、少し笑いがこみ上げてきた。
膝にかかる吹雪の頭の重みが夢でない事を実感しながら、黒坂は深い眠りについた。
プロローグに矛盾点あったので修正、というか書き直ししました。指揮幕僚課程の存在を忘れていた……