一刀がいなくなった世界の乙女たち ―― 魏国再臨 前日譚 ―― 作:無月
「風、今回の荊州問題の立会人はあなたと流琉に行ってもらってもいいかしら?」
書簡作業、桂花ちゃんがお茶を用意しに言ったので不在の中、華琳様が突然言われた言葉に風は少しだけ驚いてしまったのですよ。
「風はかまいませんが、流琉ちゃんも連れていくのですか? 意外な人選ですねぇ」
素直な感想を言うと華琳様は肩をすくめながら、目の前の書簡の山を見渡していました。
まぁ、この状況下筆頭軍師である桂花ちゃんに行ってもらうというのは論外ですし、稟ちゃんは運送業務や他国への情報を管轄していますから、全体の補佐をしている風が行くのはわかるのですよ。
「本来なら私も、季衣や流琉達にはあまり今の状況に触れてほしくないわ・・・ けれど、今はそうもいっていられないほど人手が足りない。
それに、大切に握りすぎて輝きを曇らせていい子たちでもない。
戦に出しておいておかしな言葉だとは思うけれど、そろそろ今の守り方を知るために外を経験してもらいたいのよ」
優しく、穏やかな目ですねぇ。まるで我が子の成長を見守る母のようなのです。
「承知しましたのです。華琳様。
ですが、我々はどうしましょうかね? 荊州の問題に関しては、そもそも魏が介入しても二国も困ると思うのですが?」
大陸のほぼ中央、河をまたいでいこうと思えばどこにでもいけてしまう場所であり、どこからでも攻め込まれやすいという欠点を持ちながら、逃げることもまた容易な土地。海からすればこれほど大陸に通じやすい場所はなく、陸からすれば流通などでこれほど便利な土地はそうないでしょうねぇ。
風がもしどちらかの国であったなら今の状況を利用して二国で共有し、魏に攻め込む足掛かりにしますね。
「これ以上土地を広げ、二国から挟まれる場所に土地を持ってもしょうがないわ。今回、私たちはただの仲介人であり、見届け人になればいい。
『二国が協力して統治』という結論にならないということ。そして、蜀からは黄忠と馬岱、呉からは陸遜と周泰がくるという情報が正しければ、二国は協力していないと考えていいでしょう」
「そうなりますねぇ。
蜀の方の人選も『協力』というより、邪魔になりそうな存在を遠ざけた。といった様子ですし」
今の様子を見るに呉の方で今回の一件に深くかかわっていたのは美周朗さんと、その弟子である陸遜と考えてまず間違いないでしょう。
あぁ、それにしても気に入らないですねぇ。あの美周朗さんに関しては本当に。
「あまりにも話が進まない場合はどうしますか?」
もっとも現状がそうであるからこそ、魏に間に立ってもらおうとしたんでしょうが。
「そうね・・・」
華琳様のお顔が険しいのですー。
まぁ、本当に我々の管轄外ですし、桂花ちゃんが居ない時を狙ったのも反対するのが目に見えていたからですしねー。
お気持ち、お察しするのですよ。
「・・・その時は風、あなたの判断に任せるわ」
華琳様の蒼き瞳がまっすぐ風を見て、多くのことを託すことを言外に告げてくれるのです。
ならば風は、その期待に応えるのです。
お兄さんがそうであったように、皆がそうであるように、風は風のためにこの国を繋げていきたいのです。
「けれど風、それはあなたを殺せという意味ではないことを忘れないで頂戴。
あなたがこの一年、どうしていたかを誰も口にはしなくとも知っているのだから。
風、あなたは少し頑張りすぎよ」
おやおや、華琳様にも皆にもばればれなのですか。
「いえいえ、風は大したことはしていませんよ。
さて、風はこの書簡が終わり次第、明日の準備をしてくるのですよー」
そう言って手がけたのは幽州に当てた職人たちの報告書、日々頑張ってくれているようで順調とのことです。良い事ですねぇ、『北郷工作隊』の仕事は丁寧でしっかりやってくれていますからねぇ。
「えぇ、頼んだわよ。風」
「任されましたのですよ、華琳様」
荊州までの道中、流琉ちゃんと一緒に仲良く並んで馬で駆けているとなんだか少しだけ何かを聞きたいようにしていますね。
「流琉ちゃん? どうかしたのですかぁ?」
「いえっ、その・・・ どうして私が選ばれたかは華琳様から説明されているのでわかったのですが・・・
今回の荊州問題はどうすることが正解なのでしょうか?」
風の言葉に迷う割には、良い所をついてきますねぇ。
ですが、そうしたところを学ぶことが今回の目的なのですよ。
「いい質問ですねー、流琉ちゃん。
ではまず、蜀と呉。その両方の言い分を考えてみましょうか」
そこで馬を降り、流琉ちゃんにも降りるように促すと正直に降りてきてくれます。お馬さんにも塩や、食事を与え、軽く野営の準備もしておきます。
「さて、流琉ちゃん。
まずは蜀の言い分を考えてみましょう。
荊州を以前治めていたのは劉表殿でしたが、その劉表殿は自らの死期を悟って劉備殿に預けているのですよー。息子たちではなく、同じ劉姓である劉備さん・・・ 特に任せた時期が蜀攻めを終えた頃ですからねー。劉備さんたちに預けたほうが安泰とでも考えたんでしょう」
確か蜀攻めの頃はこちらも慌ただしく、気を配っている暇もありませんでしたしねー。あちらが蜀を治め終わっていた頃、お兄さんの体調も怪しくなっていましたし、多くの意味であの頃は大変でしたから。
「それなら蜀が治めるべきなんでしょうか?」
「いやー、流琉ちゃんは素直なのです」
手を叩いてそれを褒めると、風は地面に一つの大きな円を書きます。
そこに『荊州』を書き入れ、その中に一つの円をつけたし『領主』と書いていきます。
「ですが、事はそううまくいかないのです。
ここからが呉の言い分であり、荊州問題の厄介なところ一つ目です。
土地とは領主だけで治めているものではありません。その土地には領主以外にもそれなりの名士がいて、武を持つ豪族がいるのです。商人さんや、村長さんがそれにあたりますねー」
円の中にいくつかの円を増やし、『商』や『長』をいくつか書いていきます。
これはまぁ、村に住んでいた流琉ちゃんならなんとなくわかるんじゃないでしょうか。実際、民を治めているのは領主とか言われるより、村長さんとかの方が身近でわかりやすいですしー。
風の説明に頷いて、真剣な顔をしてる流琉ちゃんは真面目ですねー。教え甲斐があるのですよー。
「問題はここからなのです。
この豪族たちが自分たちの上に立つ者として求めたのは蜀の劉備ではなく、武力として名高い呉の小覇王・孫策の方だったのですよー。
まぁ、当然ですよねー。
『大徳』なんて名ばかりのものであり、当人に武の実力は皆無ですし。対して孫家は、各地の豪族を黙らせて今の立場を築いた、生粋の武力派ですからねー。自分の上に立つ者は強くないと不安なものですから、気持ちはわかるのですよ」
ここに付け足すなら劉備さんは農民出身であったこと、孫家が押さえていた豪族たちからの情報等もあったんでしょうけど、これは流琉ちゃんも今後知ることでしょう。今はこの程度で十分でしょうね。
「・・・・そうですね、上に立つなら守ってくれる人の方がいいですよね」
理解が早くて助かるのですよ。
流琉ちゃんたちは人に頼らず自分で守ってましたし、他の村も結局は上に立つ者にされるがままなのですがねー。
「一つ目、ということは他に何か問題があるんですか?」
「そうなんですよー・・・
この二つ目が一番問題であり、風達が今荊州に向かっている最大の理由でもあるのですよ」
これさえなければ、風達が荊州に向かう必要がないんですよねー・・・
「さて、突然話は変わりますが、風達が最後に戦ったのは成都ですが、その前に戦ったところはどこでしょーか?」
「赤壁、ですよね?
呉の方たちは合流のために成都に向かって、全てが終わって・・・・ そして・・・」
おやおや、暗い表情になってしまいましたねー。まぁ、この話題は嫌でもお兄さんのことを思い出してしまうものですから、仕方ありませんね。
それにしても本当に流琉ちゃんは物覚えがいいのですね、合流のあたりまではきっと春蘭ちゃんにはわからないと思うのですよ。
「その通りです。
彼女たちが逃げ、成都へと向かった。
そして、捨てていった土地がこの荊州なのです。
我々将や軍師から見ればそれだけのことですが、どこにでも村があり、人は生きているのですよ。そんな土地を救い、守ったのは警邏隊なのです」
そこで一呼吸おいて、おもわず溜息を零してしまうのですよ。
「そして守られた民が求めている統治者が我々、魏なのですよー」
「えっ・・・・・」
「まぁ、ですよねー。
戸惑うことしか出来ませんよねー」
困った顔をして固まってしまった流琉ちゃんに、風も苦笑しか出来ないのですよ。
それに流琉ちゃんもどちらかと言えば民よりの考えでありながら、少しずつ多くの情報を得ている今、この複雑な気持ちを理解してくれるんでしょうねぇ。
「わ、私たちの村もそんな感じでしたよね?」
「みたいですねー、それどころか魏が一度は通った場所はこうした村が多いのですよ」
それどころか国境の村は、村ごと魏に移住してるんですよねー。
警邏隊の評判は本当にどこでも良いもので、お兄さんが体調崩れてからはお兄さんを気遣ってか指示が飛ぶ前に行動し、迅速に対応するようになりましたしね。
「はい・・・・
魏が民に支持される理由と、書簡の山に納得しました」
「あははは・・・ 良い事であり、困ったことでもあるのですよ」
最近に至っては、書簡仕事を季衣ちゃんたちまで協力してくれるほどですからねー。
華琳様はまだしてもらうつもりはなかったのでしょうが、この人手不足と華琳様がしている業務の多さを見て、じっとしていることが出来る子たちではないのですよ。
「『荊州問題はどうすればいいか』という問いの答えは非常に難しいのです。
劉表殿の遺言を尊重するなら蜀、豪族たちの思いを聞くなら呉、民の一番を優先するなら魏、という三すくみ状態なのです。
そして、風達には『これ以上統治する余裕はない』というのが本音なのです」
「ですよね・・・・」
付け足すなら戦前でこの土地をどちらが得るかを見定めるというのもあるのですが、それは流琉ちゃんたちにはまだ言えないのです。まっすぐと前に向かってくれるこの子たちに、また戦の音を聞いてほしくないのですよ。
各地のあちらこちらで、お兄さんが無自覚に残していったくださったものは芽を出し、華を開く。どこにでもお兄さんはいるのですね。
お兄さんは何ですか? 大陸の守護者にでもなる気ですかぁー?
まったく、お兄さん。早く帰ってきてください。
あなたの帰りを、大陸が待っているのですよ。
「~~~~~~~ ~~~」
「======= =======」
眼前で広がるのは黄忠さんと陸遜さんの議論のぶつけ合い。なんというか予想通りの展開で、風の耳は内容を理解することを放棄しているのですよー。
『
が、黙っていることを流琉ちゃんが気にしているようですし、意見も出揃ったようですから、そろそろいいですかね?
「さて、建前も出揃ったところでそろそろ本音を聞いてもいいですかー? 黄忠さん、陸遜さん」
風の言葉に場だけでなく、後ろに控えていた馬岱さんと周泰さんの表情も凍りましたねー。もっとも、お二人は覚悟を決めた表情で頷いてくださいましたけど。
「では、先程同様に蜀の方からお願いしますねー」
そう言って促すと黄忠さんは苦笑し、考えるように顎に手を当ててますねー。
「そうね・・・
こちらが治めて、朱里ちゃんたちの思惑通りに行くのは防ぎたいところだわ。それにこの問題に私たちが選ばれたのも今の蜀から遠ざけることが目的でしょうしね」
「紫苑さん?!」
馬岱さんが非難っぽい声をあげてますけど、風にとってはうるさいだけなのですー。
「蒲公英ちゃん、これは事実よ。
それにこの土地に縁も所縁もない私たちが選ばれた理由はそれしかないもの」
黄忠さんはそれ以上発言しようとせず、着席してしまいましたねー。
内容も結論も単純でわかりやすいものでした。と同時に、彼女は争いを求めていないということもわかりましたね。
「さて、呉の方はいかがですか? 陸遜さん」
「こちらは~、中心となってくださっていた冥琳様が病気療養中なので~、これ以上治める土地を広げたくないのが本音なのです~」
「穏様?!」
うわぁ、うるさいのですー。
おもわず風は顔をしかめてしまうのですよ。
「では二国とも治められず、このまま魏に任せるとか寝ぼけたことを言いませんよねぇ?
今回の荊州問題はまだしも、技術提供や情報支援、流通や二国が行き届かない領地への警邏隊の派遣など、軽くあげただけでこれほどの仕事を負担している魏にまだ土地を治めろなどというのはどの口ですか?
こちらはここに居る流琉ちゃんも書簡片づけに奔走しているのですが、二国の様子もぜひ窺ってみたいものですね」
風は今、とても晴れやかに笑っていることでしょうねー。
それに対し今度はお二人も表情を凍りつかせて、俯いてしまいますが事実ですから。
「この一年、二国は随分面白い噂を流してくださいましたよね~。
おやおや、馬岱さん。どうして顔を青くするのです? ただの噂でしょう?」
青くしているのは馬岱さんだけじゃないんですけどね、他の三人も思う所があるのかそれぞれ顔を逸らしていますよね。立場としても周泰ちゃんが実行犯なのは確実ですし、もっとも本家の周瑜さんに逆らうことなど出来ないでしょうけどね。
「お兄さんの知識で風達が勝ったなどという妄言に振り回され、まさか本気で三国の一角を担う風達が男に惚れるなどとは思っていなかったようですねー。
でも気づいてますかー?
日常を作る技術も、守る警邏隊も、その発案の根本へとさかのぼれば行き着くのは、あなた方が小馬鹿にするお兄さんなのですよ?」
この人たちに言っても何にもなりませんし、意味などありません。
師を、夫を、叔母を、失ったこの人たちに言っても仕方のないことなのです。
こんなことをしてもお兄さんは帰ってきませんし、この光景を見ればきっと風を止めることでしょう。
誰にでも優しく、多くを包み込んでしまうお兄さんなら、きっとこんな状況になる前に風を助けてくれるんでしょうね。
「
お、にいさん?
突然の背後から抱きしめられて、風は流琉ちゃんの姿と声にお兄さんが重なり、おもわず目を開いてしまったのです。
「流琉ちゃん・・・」
「もういいんです! 風様!!
風様はもう、傷つかないでください!
私たちが何とかします! ですからもう! これ以上、風様は頑張らなくていいんです!!
この一年の風様たちの努力を、私たちはちゃんと見てきましたから!」
呆然としまった風は、流琉ちゃんの言葉を受け止めるしかないのです。
「皆さん、私の考えを聞いてください!」
そう言って風から離れ、四人へと頭を下げる流琉ちゃんに全員が戸惑うしかないのです。
「私はこの土地を三国で共有したらいいと思います!」
「「「「「はっ?」」」」」
おそらくは誰もが考えることの出来なかった流琉ちゃんの案に、全員が口を開けて固まってしまいましたねー。
「だって私は・・・ 私たちは知ってるんです!
華琳様が、劉備さんが、孫策さんが、皆さんが国のことを考えて、行動していたことを!!
見てきたんです!
何もなくても、ただ必死に人のために走る兄様の背中を!!
だから、だから! 争うことじゃなくて、手を取りあって、この国を幸せにしましょうよ!!」
・・・・・ですが、この考えはなかなか面白いのですよ。
「ならば、流琉ちゃん。
流琉ちゃんと季衣ちゃんでこの土地を治めてみませんか?」
「「はぁ?!」」
おぉ、驚きの声が減りましたね。
流琉ちゃんも驚いていますが、声も出ない様子ですねぇ。
「それなら、こちらからは鈴々ちゃんに頼んでみようかしら?」
「そうですね~。
なかなか面白い案だと思うので、こちらからは小蓮様に向かって貰いましょうか~」
お二人の賛同も得られましたー、では可決ですねー。
「えっ・・・ いいんですか?
そんなあっさりと決まってしまって、それに私は農民の出身で・・・」
おやおや、三国の将を驚かせるほどの案を出しておいて、今更謙虚になられてもこちらが困ってしまうのですよ。
「いいんじゃないかしら?
出身で言うのなら、こちらの桃香様も同じようなものだもの」
「そんなこと言ったら、こちらは孫堅様の前の代なんて海賊みたいなものですよー?」
「紫苑さん?!」
「穏様?!」
黄忠さんと陸遜さんからもさらっと毒が漏れてますねー、仕方ないのですが。
では、仲介人として最後にまとめしょうか。
「風達では行き詰った答えを流琉ちゃんが出してくれましたし、それを風達は最善だと判断しました。
三国に文句は言わせません。ですよね? 黄忠さん、陸遜さん」
そう言ってお二人を促すと力強く頷き、笑ってくれました。
「そうね、こちらとしても最善だと思うわ。
過去に囚われる私たちではなく、子どもたちが作る新しい国。
鈴々ちゃんも成長するいい機会だし、今の蜀にいるよりもずっといいと思うわ」
「こちらも同感ですね~。
孫の血筋を残すため、守られ続けていた小蓮様に外を知ってもらういい機会だと思うのです~」
見ていますか? お兄さん。
お兄さんが守ってくださった玉が今、素晴らしい輝きを放っているのですよ。
「さぁ、流琉ちゃん。
忙しくなるのですよ」
忙しい日々、前を向く力をくれたのはやっぱりお兄さんが残してくれたものだと思うとおもわず微笑んでしまったのですよ。