世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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ネギま! 対策ノート

 あの日から(覚悟が足りないままに現実を認識してげろげろ戻してから)半年が経った。

 春休みも今日で終わり。明日からの私は小学二年生である。

 うっかりと現実を認識した私がこの半年何をしていたかというと、魔法の勉強でも武術の鍛錬でも人脈作りでもない。ただ普通に学校へ行って、葉加瀬さんの実験に付き合わされたり、長谷川さんと愚痴を言い合ったりして過ごしていた。

 ただそれだけのことが、恐ろしく難しかった。

 私が全力で取り組んだのは、坂本春香として違和感無く生活できるようにすることで、それ以外をする余裕などほとんど無かった。

 最初は本当に大変だった。とにかく何をするにも違和感が付きまとったし、それは日を重ねるごとに慣れるどころかむしろ増大するような有様だった。

 もっとも難儀したのは突然意識することになった「山崎郁恵の身体感覚」との混乱である。

 ふとした拍子に「なぜこんなに視点が低いのだろう」という思いが浮かんでしまう。歩幅も手の長さも山崎郁恵であったころとは違うため、目測を誤ることがたびたびあった。

 おかげで何も無いところで突然転ぶとか、よくお茶碗をひっくり返すとかいう、微塵も欲していない属性まで得てしまった。ドジっ子は愛でるものであって自分がなるものじゃない。

 原作ではネギをはじめとしていろんな人が体のサイズを変えていたけれど、あのメルモちゃんキャンディーはそこら辺の身体感覚のズレも補正してくれていたのだろうか。身体年齢を変えることが目的の魔法薬だから、そういう補正効果がついていた可能性を否定しきれない。

 というか、そうでなかったら私の順応性が低すぎるということになるので、是非とも身体感覚補正効果はついていて欲しい。長谷川さんなんて小さくなってすぐにコスプレを楽しむ余裕があったというのに。

 もう一点、大きな問題として、自分や両親を山崎郁恵の感覚で見てしまうことが挙げられた。

 常にというわけではなかったが、例えばお風呂でシャンプーを洗い流して目を開けたとき、例えば朝起きて歯を磨いているとき、なんで坂本春香が映っているのだろうと、鏡の中の坂本春香が不思議そうな顔をすることがあるのだ。次の瞬間には自分の矛盾した認識に青ざめることになるのだが、あれは恐怖以外のなにものでもない。

 一時期などは日が落ちて暗くなった後の窓ガラスに映る自分を見るのすら怖くて、ノイローゼ気味になったこともあった。

 両親についてはそこまで根の深い混乱はなかった。他人に見えてしまうと言っても、親しい人であると見るのはそう難しくなかった。孤児となってしまった幼い自分を引き取って育ててくれた義理の親である、などとわざと認識を誤魔化してみる作戦もそれなりに上手くいった。

 だからこの件については、間違いなく私と血縁関係のある二人を、そういう風に見てしまう罪悪感が最大の敵だったといえる。

 ともあれ、それもこれも今ではかなり折り合いをつけることができるようになった。割り切ったと言ってしまうと少し悲しいものがあるが、恐怖や罪悪感で眠れないということも、もうほとんどない。

 そして私は今、坂本春香に慣れることと並行して設定した、ほとんど唯一と言える目的のために、電車に揺られている。

 電車の目的地は、麻帆良と隣の市の境にある駅だ。

 子ども料金で往復四二○円の位置にあるそこは、麻帆良結界の外だ(と思う)。

 今さら結界の外に出ることに意味はないけれど、これは私なりの儀式のようなものである。

 私は月に一度、第一日曜日にその駅のそばにある公園で、原作知識の整理と考察を行うことにしていた。

 幸いなことにというか不幸なことにというか、前世の記憶は私の頭にしっかりこびりついていて、原作を思い出す作業に不自由はしなかった。

 いっそ時間と共に風化してくれれば、私はもっと楽に生きることができただろう。

 ぼんやりと眺めていた窓の外を流れる景色が、少しずつゆっくりになっていった。続いて、次の駅が近いというアナウンスが車内に流れる。

 私は鞄の紐を肩にかけると、座席から立ち上がった。

 

 

 木陰になるベンチを選んで、腰を下ろす。ちょうど桜が見ごろな時期だけれど、残念なことに、駅からほど近いこの公園に桜は植えられていない。

 まあ、もしも桜があったら、花見をしている人が多くて、こうしてベンチに座ることも出来なかっただろう。

 私は鞄からノートを出して広げる。開いたページには今後の展望などが書かれている。

 自分が自分であることに慣れる、という第一目標はおおよそ果たされたと思う。四月ということで区切りも良いし、そろそろ新しいアプローチを始めても良いタイミングかもしれない。

 今一度、自分の行動方針を考えてみることにする。

 まず、私の設定した最終目標は「魔法世界の消滅によって発生する難民問題と、それに伴って起こると予測される旧世界住民と魔法世界住民の武力的衝突を回避する」ことだ。主に私と家族、友人たちの安全と平穏のために。

 難民発生によって武力衝突が起こるという予想は、超の行動や背景から推測したものだ。

 超はネギに「十年前の父の死」や「六年前の村の惨劇」を回避したいと思ったことはないかとたずねている。

 これは超にも当てはめられる論法で、比較的過酷だったという彼女の半生に起きた事件を回避するだけなら、長くとも十数年を遡れば事足りるはずなのである。

 百年もの時間を跳躍し、歴史を変える必要などないのだ。そんなに長いスパンで、しかも世界中に魔法をばらすなどという未曾有のテロを起こしたら、世界のあり様までが変わってしまいかねない。

 だから、逆に考える。超は「世界のあり様を変えたかったのだ」と、そう考える。

 単行本にのっていた超のプロフィールの中で、強烈な印象を残している項目がある。それは嫌いなものの欄に書かれていた三つの言葉。

 戦争。憎悪の連鎖。大国による世界一極支配。

 彼女は航時機(カシオペア)という反則アイテムを使って、今後百年の間に起こる、この三つを回避したかったのではないだろうか。

 魔法世界の消滅が戦争や憎悪の連鎖に繋がる原因として考えられるのは、難民の居住地である。

 ある少年漫画で「国とはそこに住む人である」という場面があった。だが、人だけがいても住むべき「そこ」が無ければ、やはり国は成り立たないのだ。

 原作の中には既に、住む場所を追われた難民が数多く発生した事件が起こっている。旧オスティア領の落下と、それに伴う国の崩壊である。

 結果どうなったかと言えば、紅き翼を含めた多数の魔法使いが十年近くかけての戦後復興を行った後でも、旧オスティア領民の多くは未だ奴隷階級であるとして描かれていた。

 隣国として存在したオスティアの崩壊においてすら、そうなるのだ。魔法世界の全住人が難民となったなら、ゲートを通って突如現れた「国土を不当に占拠した正体不明の集団」に対して旧世界の各国家が一つ残らず穏当な対応をするとは、到底思えない。

 そして、鎮圧に向かった軍の銃弾によって、抵抗した難民達の魔法によって、血が流れてしまったなら、もう止めることはできないだろう。憎悪の連鎖は、きっとそこから始まってしまう。

 魔法世界の消滅に対する方策として原作で示唆されているのは、オスティア総督の計画、フェイトの計画、そして超の計画の三つ。一応、ネギたちが物語的必然として発見するだろう四つ目の方法もあると思われる。

 順に計画の内容を考えてみる。

 

 

 オスティア総督の計画については、まだ概要のみしか明かされていない。六千七百万人の魔法市民を救うという、それだけしか分からない。

 けれど私は確信を持って言える。これは彼が選んだ人間だけを救う計画だ。

 メガロメセンブリアの人口が既に五千万人。ヘラス帝国や旧オスティア領民、学術都市アリアドネーをはじめとする大小さまざまな勢力の人口を全てあわせて、千七百万人しかいないわけがない。そしてオスティア総督は亜人を中心に構成されたヘラス帝国を障害であると言い切ってもいる。

 彼の計画は、亜人を見捨てることが前提となっている可能性が非常に高い。

 それに、現時点では六千七百万人の難民を旧世界でどう扱うかについて言及されていないのが減点対象だ。例えばだけれど、彼の計画が成功した結果が、超のいた未来であるという仮定も成り立ってしまうのである。

 

 

 次に、フェイトの計画についてだ。これはそのまま造物主、完全なる世界の計画とも言えるだろう。

 私はこれを、大を救うために小を殺す、そういう計画だと推測している。

 フェイトの目的は世界を救うこと。そのために取った手段は、二十年前においては大規模魔力消失現象の発動。そして魔法世界編においてはゲートポートの破壊。

 ゲートの破壊は下準備で、最終的には大規模魔力消失現象を引き起こすつもりだろう。

 魔法世界が魔法によって作られた異界であるのなら、魔力消失現象が魔法世界全土を包んだとき、それは異界そのものの消失を意味すると思われる。

 そして、旧世界の人間を必要以上に攻撃しないというフェイトの態度は、それなりに一貫している。例外はゲートポートでのネギに対する攻撃だが、あれはネギがフェイトの存在に気づいたから、つまりはゲート破壊という彼らの目的に立ちはだかったからだと考えられる。

 宮崎のどかのアーティファクト、いどのえにっきで心を読まれたフェイトが旧世界のことを「現実世界」と表現していたことなどから推測して、フェイトにとって魔法世界は「現実と呼ぶに値しない」ものである可能性が高い。つまり、彼らが救う世界とは旧世界のみのことを指していると考えられる。

 だとすれば、彼らがゲートを壊した理由は現実世界との移動手段をなくすことで、魔法世界住人を逃がさないため、ではないだろうか。

 旧オスティア領のゲートを残しているのは、現実世界出身の人間のために脱出経路を残しているともとれる。

 さすがにそこまで行くと希望的観測が過ぎるけれど、どちらにしても彼らの計画が成功した場合、そもそも難民が発生しない。なにしろ魔法世界と一緒に消え去ってしまうのだ。

 また、現実世界出身の人間はこちらにも戸籍があるはずなので、難民になることもない。

 

 

 最後に、超の計画である。

 これはつまり、ずるしてたくさん助ける計画だ。

 短期的な手段については、既に全貌が明かされている。

 全世界に魔法や超常現象を信じるハードルを下げる、強制認識魔法をかけ、ネット上の情報操作によって魔法の存在をばらし、そして知ろうとするものは魔法世界の存在にまでたどり着くことが出来るような情報源を用意する。

 この情報源については綾瀬夕映のアーティファクト「世界図絵」に近いものがあると思うのだが、今は考えなくて良いだろう。

 そして中期的な展開として、計画発動から半年後には魔法世界の存在は公然の事実になるとガンドルフィーニ先生は推測していた。

 この計画の良いところは、計画成功時点では未だ難民が発生していないというところにある。

 魔法世界の消滅前に、旧世界との交流があれば、難民は正体不明の集団ではなくなる。少なくとも、旧世界側は問答無用で排除という選択肢を選びにくくなるし、魔法世界側からも難民受け入れに関する根回しを行うことができる。

 それでも発生すると思われる「政治的軍事的に致命的な不測の事態」については、監視して調整する技術と財力を用意したと超は発言している。

 他二つと比べると、その被害の少なさは頭一つ抜けている。

 さらに副次効果として、魔法技術による世界福祉への協力体制を得ることもできる。

 ここから先は推測を超えて妄想の域に入るが、長期的な落としどころとして、超の用意した技術による火星のテラ・フォーミング前倒しと魔法世界住人の殖民あたりが計画されていても、私は驚かない。

 

 

 私は細かい文字の連なるノートから顔を上げて、一度深呼吸した。

 以上のことから考えて、私が目的達成のために取る手段は「超の計画への加担」となる。さすがに、自分本位な目的のために、魔法世界そのものや亜人種を見捨てるほどの覚悟は持っていない。

 ここまで考えて、ようやくスタートライン。私はまだ、その手段の詳細を詰め切れていない。今日はその詳細を考えるのが主目的だ。

 とりあえず、何か飲み物でも買ってきて、一息いれることにしよう。

 私はノートを鞄にしまい、ベンチから立ち上がった。


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