世界に魔法をばらすまで   作:チーズグレープ饅

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【番外】 晴れ。ところにより、突風。

 子供先生を早く見たいから木乃香達と一緒に迎えに行く、なんて朝から大騒ぎしていたルームメイトにベッドの中から行ってらっしゃいと返事をしたら、布団を引っぺがされた。

 曰く、遅刻者ゼロ週間なんだから千雨さんもちゃんと起きろ、とのことだったけれど、今から出発したら始業の一時間近く前に着いてしまうからと説得して、部屋から送り出した。

 悪ノリはする癖に、こういうところは妙に真面目な奴だと口の中でもごもご呟きながら、千雨は冬の朝の二度寝という至福の時間に戻っていった。

 千雨のルームメイトである坂本春香の偉いところは、自分に用事があっても宵っ張りな友人への気遣いを忘れないことだ。対して、長谷川千雨の偉いところは、そういった友人がいても頼りきりにならず、ちゃんと自前で目覚ましをセットしていることである。

 そんなわけでしばらく後、スヌーズ機能によって鳴り響いた四度目の目覚ましベルを寝ぼけ眼で止めた千雨は、時計の長針と短針をじっくりと見つめて、乾いた笑いを浮かべた。

「はっはっは、余裕余裕」

 笑いながらも頭の中に学内路線の時刻表を思い浮かべて逆算し、朝食を食堂でとることを諦めた。

 慌ただしくベッドから起き出しパジャマを脱ぎ捨て、洗顔歯磨き寝癖処理と一気に身支度を整えた。これが夏なら意地でもシャワーを浴びるところだが、冬なので思い切って省略し、制汗スプレーで我慢する。

 その他諸々、妥協できるところは妥協して制服に着替えて眼鏡をかけて、最後にリップのみ引いて終わりにする。唇が割れると痛いのだ。

 ここまでやって十分かかっていないのは、千雨の趣味であるコスプレによる習熟がモノを言っている、というわけではない。千雨だって、気合を入れてメイクやら何やらするなら、分ではなく時間単位で時が飛んでいくのだ。

 出発前に共用の食糧ケースを覗いたらプリッツが一箱あったので、とりあえずこれを朝食ということにした。

 

 

 電車のドアが開くと、生徒達が一斉に改札へ向かって走り出した。ほぼ全員が定期を持っているということもあって、生徒達はどんどん改札を通り抜けて行くが、混雑具合はひどいものだ。単純に人数が多いのである。

 千雨が一人で登校するときは、電車から降りたあと、ホームであえて少しだけ待機することにしている。その方が楽だからだ。あまり待ちすぎると次の電車が入ってくるので、適度なタイミングを見計らう必要はあるのだが。

「まだ慌てるような時間じゃないしな」

 腕時計をちらりと見れば、起き抜けに計算したとおりの時間である。歩いて行っても予鈴の五分前には教室に到着できるはずだ。

 今日の木乃香達のように待ち合わせでもしているのなら話は別だろうが、あと三本までなら電車を遅らせても、全力疾走すれば授業には間に合う。

 美空や明日菜なら四本まで行けるんじゃないかと考えて、千雨は笑う。さすがにそこまで遅れると、今週に関しては校門でイエローカードが出るか。

 経験どおり、少し待つだけで改札はすき始めた。そろそろ行くかと改札をくぐると、普段は飾りと言っても良い駅員と問答している巨大なリュックサックがあった。

 いや、あれは荷物満載のリュックを背負っている子供だ、と気づいた千雨は、その正体に思い当たることがあった。

「麻帆良女子中等部なら、さっき走っていった子達の後についていけば迷わないよ。ええと、確か赤いブレザーとチェックのスカートがそうだったはずだけど」

 子供の目線に合わせるためか、しゃがんで応対している心優しい駅員だが、まさかこの駅を利用する女子校生徒の制服を全部覚えているのかと千雨は微妙な表情になる。

 年中ここに勤務していたら覚えてしまうのかもしれないが、申し訳ないけれどちょっと気持ち悪い。あと色は赤じゃなくて明るめの臙脂だ。

 視線に気づいたのか、駅員は千雨の方を見ると破顔した。

「そうそう、あの子がちょうど女子中等部の子だよ」

 その言葉に促されて振り向いたのは、膨らみかたから見て相当に重いだろうリュックを背負っているくせに汗一つかいていない非常識な――否、麻帆良内ではごく常識的な少年だった。

 つまり、厄介ごとである。千雨は表情が面倒くささに歪むのを自覚した。

「あ、あのっ、すみません。女子中等部まで行かないといけないんです。連れて行ってくれませんかっ?」

 よろしくお願いしますと礼儀正しく頭を下げるのは良いことだ。その非常識な筋力が無ければもっと良かった。

 千雨は大きくため息をつくと、いつもどおりに諦めた。しかたがない。ここではこれが普通だ。

「分かりました。案内しますからさっさと行きましょう」

「おお、良かったなボク!」

 面倒くささを隠さない千雨と、我が事の様に笑みを浮かべる駅員に、ありがとうございますと交互に頭を下げる少年を見て、千雨はもう一度ため息をついた。

「ほら、置いて行きますよ」

 そう言って歩き出すと、慌てた少年が後をついてきた。時折後ろを向いては、手を振っている。駅員が見送ってくれているのだろう。

 ちょっと気持ち悪いなんて思ったのは失礼だったかもしれないと、千雨は駅員の評価を上方に修正した。

「さっきの人達は、なんであんなに急いでいたんですか?」

 頭一つ分よりもう少し下の方からかけられた声に、千雨は答える。

「ああ、今週は遅刻者ゼロ週間なんですよ」

 すると少年は目を見開いて焦り出した。

「ええっ! た、大変じゃないですか。僕達も急がないと!」

 その年相応に見える困り顔に、思わず笑ってしまう千雨だった。

「赴任早々遅刻するのが嫌なのは分かりますけど、まだ歩いても間に合う時間ですよ。ネギ先生」

 間に合うと聞いてあからさまにほっとした少年は、次いで自分の名前を呼ばれたことに不思議そうな顔をした。

「なんで僕の名前がネギだって……あっ、もしかしてまほう……」

「まほ?」

「あ、その、まほう……まほ、麻帆良で先生をしているタカミチの生徒さん、ですか?」

 微妙に不自然な言い回しだったが、千雨は気にしないことにした。本当に外国人かと思うくらい、日本語のイントネーションまで完璧なのだから、それくらいのミスが減点対象になるはずもない。自身が受けている英語教育を思えば尚更である。

 しかし、話してみればみるほどに普通の少年だ。これで大卒の天才児だったり、見かけによらず重いものが持てたり、今日から自分のクラスの担任教師だったりしなければ、千雨は迷わず一般人認定していただろう。

「そうですよ。って、そういえば名乗ってませんね。長谷川千雨です」

 今日からあなたが受け持つクラスの人間です、とは言わないで置いた。

 教育実習とかすっ飛ばしていきなり担任などという非常識に対する合理的説明、一生徒に出来るわけがないのである。そういう説明は高畑や学園長にお任せだ。

「千雨さんですか! 僕はネギ・スプリングフィールドです。よろしくお願いします」

「ちさっ……長谷川です」

「え、でも千雨さんも僕のことネギって呼んだじゃないですか」

 スプリングフィールド先生とか長くてぱっとは出てこないし、そもそも言いにくい、という千雨の反論は、心の底から不思議そうなネギの表情に封じられた。

 舌打ちしそうになるのを堪えて、相手は無邪気なガキであると心の中で呪文を唱えた。

「千雨でいいです」

 げっそりとした表情で言うと、ネギが満面の笑みを作った。

「はい、修行が終わるまでの期間ですけど、よろしくお願いします」

「修行?」

「いや、ええと、まほ……らで先生をやって、見聞を広げることでようやく一人前になれるんですよ。修行の旅っていうかその、故郷の風習なんです」

「はあ、そうなんですか」

 どうもこのネギという少年は「麻帆良」という単語で舌が回らないらしいと千雨は気づいた。さっきも麻帆良の部分だけ何度も言いなおしていたのを思い出す。

 それにしても、子供を一人で外国に放り出すのが修行とは、とんでもない風習だ。と、一瞬考えたけれど、千雨は頭を振って否定する。本来なら大人になってからやるはずのものを、既に大学を卒業した天才児だというネギ少年が、言わば飛び級として受けているのかもしれないと思ったからだ。

 早熟な子供はどこでも苦労するものなんだなと、千雨は何人かの友人たちを思い浮かべながら、社交辞令だけとも言えない「頑張れ」を口にしようとした。

 しかし、それは後方から轟く地響きのような足音にさえぎられる。毎朝飽きもせずに繰り返される、登校ラッシュだ。

 次の電車のこれが来ることを知っていた千雨は、元から道路の端の方を歩いていた。しかし、英国紳士としての気質を発揮したのか車道側を歩いていたネギのリュックサックが、校門へと走っていく女生徒の腕と接触した。

「うわわっ!」

「ごめんなさーい!」

 ごめんと言いながらも校門の方へと駆け去っていく少女に何かを言う間もなく、千雨はバランスを崩して倒れこんできた巨大なリュックサック(とネギ)に押しつぶされた。

「くそっ、朝っぱらからついてない」

 敬語を忘れて悪態をついた千雨だったが、体を起こすには顔の下というか胸の上でむぎゅうと目を回しているネギが邪魔だった。何よりリュックが重い。

「身長と状況考えて事故だしガキだから何も言わんがすぐにどけ」

 低い声で脅すと、自分の下にあるクッションが何だったのか気づいたらしいネギが、顔を真っ赤にした。

「す、すみません! すぐに起きま……ま……」

 倒れこんだとき鼻に埃でも入ったのか、むずむずと表情を歪めたネギは、ハックションとくしゃみをした。

 同時に、目も開けていられないような突風と、ブツッと何かが千切れるような音。

「なんなんだ今の風は……」

 おそるおそる開いた千雨の目に飛び込んだのは、ボタンが吹っ飛んで思い切りはだけてしまった自分の制服だった。

「な、な、なんじゃこりゃあ!」

 千雨は、ほえた。


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