最近は並木の葉も色づいて、すっかり秋めいてきた。先週には二学期中間テストの結果発表も終わっている。
十月半ばというこの時期、おそらくネギ・スプリングフィールドは日本語の習得に尽力していることだろう。いくら天才と言っても、もうマスターした、なんてことは無いはずだ。無いよね?
ともあれ、バカレンジャー成績UP計画は、それなりの成果を上げている。この間の中間テストでは、クラス平均点が学年で下から三番目という順位だった。
神楽坂さんは英語を中心にして、順調に成績を伸ばしている。平均が六十点を突破。英語に至っては八十点に迫る勢いだ。恋する女の子は強い。
ネギのために勉強していた図書館島地下での集中講義の方が成績の伸びは良かったわけだけど、これは好意の度合いというよりも、単純に性格の問題だろう。神楽坂さんのポテンシャルはやる気にほぼ正比例していて、それは誰かを、何かを守るときにこそ最大になる。
テスト勉強でも、京都でも、学園祭でもそうだったように思う。正統派ヒーローとは、まさに彼女のためにある言葉だろう。
夕映さんの成績は現在かなり良い。テストではのどかさんと同じくらいの順位である。ぶっちゃけた話、今回ケアレスミスが多かった数学は普通に抜かれた。次は負けない。
もともとやる気がないことが夕映さんの問題だったわけなので、対処としてはやる気を出してもらうだけで良かった。具体的に何をしたかと言うと、図書館組で示し合わせて、補習が入る放課後に遊びの予定を入れただけである。補習受けてる人は置いてくからね、と釘を刺した上で。
この件については、のどかさんが協力的で助かった。逆に、あっさりと成績を抜かれた千雨さんは「納得いかねー!」などと叫びながら夕映さんの肩をぶんぶんと揺すっていた。いつも通り無表情な夕映さんだったけれど、少しばかりどや顔をしていたように感じたのは気のせいだろうか。
他三人は……その、あまり変わっていない。長瀬さんが国語と社会科。古さんが英語で少しだけ成績を上げているけれど、それくらいだ。
まき絵さんについては、ネギが先生として赴任するのを待つことにした。動機が出来れば頑張ってくれるはずだから。
良いんだ、まき絵さんは可愛いしお料理も気遣いもできるんだから、2-A女子力ランキングで言えば近衛さんと張ってるよ。勉強だけが全てじゃないよ。うん。
まあ、女子力ランキングで言うなら、不動の一位は間違いなく五月さんのものだ。円さんが割と真顔でお嫁に欲しいって言ってたけど、完全に同意させてもらう。
最後の方で思考が脱線したけど、とりあえず図書館島地下での勉強会イベントは、これでほぼ回避できるはずだ。
そういうわけで、暑くも寒くもない上に花粉も飛ばないという一年で最も過ごしやすい季節の夕暮れ。私は上機嫌で鼻歌など歌いながら商店街を歩いていた。
もっとも、機嫌が良い理由は半分くらい、美味しいモンブランを食べてきたからである。秋になるとお芋に栗にと、私好みのほくほく系スイーツが増えるので、食べ歩きの頻度も自然と高くなる。
「坂本じゃないか。珍しいな、こんなところで」
いきなり声をかけられて、びくりとする。振り返ると、私から見て四歩、向こうから見て三歩の位置に、龍宮さんが立っていた。
たぶんこの距離なら鼻歌は届いてないはず。下手っぴだから聞かれていたら恥ずかしい。
私は龍宮さんの隣まで寄って行って、非常に背の高いクラスメイトを見上げた。
「今日はちょっと足を伸ばしたからね。目的は果たしたから、もう寮に帰るところだけど」
なんでも龍宮さんも用事を済ませて帰る途中らしいので、並んで寮へと歩き出す。
「しかし、坂本が一人というのは珍しいな。何をしていたんだ?」
「んー、甘味処めぐりかな? あそこのビルの裏手に美味しいケーキ屋さんがあるんだよ。紫芋のモンブランが絶品だった」
立ち止まって後方にあるこげ茶色の五階建てというありふれた建物を指し示すと、龍宮さんは目を細めてかすかに笑みを作った。
「それは良いことを聞いた」
「あれ、龍宮さん甘いもの好きだったんだ」
どちらかというと辛いものが好きそうなイメージだったのだけれど。……いや、そういえばプロフィールにあんみつが好きって書いてあったような気がする。
「好きだよ。どちらかと言えば和菓子党だがな」
覚え違いではなかったらしい。
大きくなったら、というか二十歳を過ぎたら、どら焼きとかを肴にして飲むタイプになってくれるんだろうか。山崎郁恵は見てるだけで胸やけするからやめろ、と良くブーイングを受けていたのだけど。
「なるほど、なるほど。じゃあ今度いっしょに食べに行く? 美味しいところ案内するよ。ぜんざいとあんみつと最中の三種類お勧めがあるけど」
「全部頼む」
即答だった。むしろ私が最後まで言う前に答えが返っていた。
「しかし良いのか? 一人で食べに行く趣味なのかと思ったが」
龍宮さんの投げてきた疑問に、首をかしげる。
言われてみれば、友達と一緒にいる事が多い私がわざわざ単独で食べ歩きと言うのだから、そう取られてもおかしくない。
「ああ、初めて行くお店はね。はずれな時もあるから一人で行くの。で、美味しかったら自慢げに皆を連れて行くんだ」
麻帆良甘味処マップの作成は、初等部時代からのライフワークである。
協力者兼ライバルは椎名さんだ。事前の情報収集もなしに、ぷらっと入ったお店が物凄く美味しくて、数ヵ月後には雑誌で紹介されていた、なんてこともあった。
知る人ぞ知るというレベルなら私にも情報が入ってくるのだけど、全く無名の美味しいお店の発掘では、椎名さんにかなわない。
「なるほど。では、予定があいた時にでも頼む」
「了解。任せといて」
美味しいお店を見つけたら、人に紹介しなければもったいない。一口食べた瞬間に、ぱっと顔を輝かせるのを見るだけで幸せな気分になれる。
龍宮さんだとそこまで分かりやすい反応は示してくれないかもしれないけど、小動物のごとく黙々と食べ進めるか、料理番組もかくやという勢いで語りだしてくれるかと、なかなか興味深い。
「じゃあ、連絡するからアドレス教えてよ」
私は楽しげな未来予想図を頭に描きながら、携帯電話を取り出した。
その日の夜、私は自室の座卓に置いた携帯電話を前にして、額に手をあてていた。
「しまった……」
書き上げたメールに表示されているのは、龍宮さんへの甘味処お出かけ計画である。
なんで「しまった」なのかと言うと、これを送っても龍宮さんから返事の来る可能性が限りなく低いことに気づいたからだ。
私の知っている限りでは、龍宮さんはお仕事用とプライベート用の二つの端末を持っていたはずで、学園祭のお別れ会イベントまでは、もっぱらお仕事用しか使っていなかったのである。
流石に、この教えてくれたアドレスがお仕事用ってことはないだろうし、メールで約束を取り付けるのは絶望的だ。
うーん、無意味なことをしてしまった。
まあ深く考えても仕方がない。こっちからアドレスを聞いておいて「メールが返って来ないと思ったから送らなかった」だなんて、本末転倒にもほどがある。
私は座卓から携帯電話を取り上げた。
「送信、っと」
そもそも何を根拠にメールが返って来ないと思ったのか聞かれても困るだけなので、送らないという選択肢はありえないのだった。
ちなみに、龍宮さんのアドレスを教えてもらったことで、私は武道四天王のうち実に三人の連絡先を確保したことになる。今のところ予定はないけれど、修学旅行で何がしかの事件に巻き込まれても安心である。……たぶん。
明日あたり、昨日メール送ったけど届いたー? とかそんな感じで龍宮さんに声をかけることにしよう。プライベートな端末の方も確認するようになってくれると嬉しい。
保身だけじゃなくて、クラスメイトとしてもその方が嬉しい。みんなでパーティーするよという連絡は、2-Aである以上これからも山ほどあるはずなのだから。
「春香……一人しかいない部屋でにやにや笑ってるとか気持ちわるいぞ」
名前を呼ばれて部屋の入り口を振り返ると、いつの間に戻ってきたのか、お風呂上りでタオルを頭に巻いた千雨さんが、眉間に皺を寄せていた。
「ひどっ。良いことがあったら笑う。悲しいことがあったら泣く。心の健康の秘訣だよ」
「へー、良いことねえ」
物凄くうろんな表情で見つめられてしまった。
「聞きたい? 聞きたい?」
「いや別に」
「聞こうよ! 誰もいない部屋でにやにや笑ってる気持ち悪いルームメイトの心情を聞こうよ!」
ウザい系のテンションにはお約束どおり冷たい返し。千雨さんの突っ込みレベルは日々順調に上がっている。主に私を含めた2-A生徒の言動のせいで。
千雨さんは自分のスペースに洗面器などのお風呂セットを置くと、私の隣に腰を下ろした。
「まあ聞くけどさ。何があったんだ?」
「今度、龍宮さんと一緒にあんみつ食べに行くんだー」
「……それだけか?」
「それだけ」
頷きを返すと、非常に微妙な顔をされた。
「たまに春香の中身はおっさんなんじゃないかと思うことがあるんだ」
「失礼な」
前世まで含めたとしても、私はおっさんだったことなど一度もない。
千雨さんもあと十五年くらいしたら分かるよ。
学生時代に作った友達が凄く大切だって事とか。違う学校に進んだってだけで連絡を取りづらくなる事とか。どんなに仲が良かった子でも一年以上連絡を取らなかったら疎遠になっちゃう事とか。
もちろん、私の友達になってしまったからには、そんな思いをさせるつもりは微塵も無いけれど。
あやかさんと組んで、卒業しても長期休み毎に同窓会を企画してやるんだから。
「覚悟して置くように」
「な、何をだよ」
私はにやりと笑う。
「んー、秘密?」