Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia 作:ローレンシウ
「ほら! やっぱり、先生はすごいでしょう?」
試合を見守っていたシエスタが、きらきらと目を輝かせながらギーシュにそう言った。
対戦相手であるワルドの技量も、シエスタから見れば十分に素晴らしいものだった。
しかるにディーキンはその守りをほんの数手の攻めだけで打ち崩して、容易く相手を追い込んでみせたのである。
それほどの戦士が仮にも自分の先生をしてくれているのだと思うと、自然と誇らしさが募ってくる。
然るに話を振られたギーシュの方は、釈然としないように首をかしげていた。
「……そうかい? 彼はずっと防戦一方だったじゃないか。確かにうまく反撃を決めたようだが、それは子爵が子供相手だからと思って、わざわざ攻撃を中断して退くことで彼にもチャンスをくれたからじゃないかな?」
武器を用いた近接戦闘に関しては、彼はほとんど素人に近い。
そんな彼の目からすれば、ワルドの矢継ぎ早の突きをいなしながら相手の実力を推し量っていたディーキンは、攻められっぱなしで反撃もままならないでいるように見えたのだ。
与えられた機会を活かして見事に一撃決めてみせたのは認めるが、純粋な実力という点ではやはり子爵の方が上なのではないだろうか、と思っていた。
さすがに、ワルドの方がずっと格上に決まっているだろうという先入観は、そう易々とは覆らないようだ。
ただ、そのギーシュも、『馬小屋に泊まろうとするレディーを引き止めもせずに平気で送り出すような無神経な男が、相手が子供だからなんて配慮を本当にするかな?』……とは思っていた。
それゆえの、釈然としない様子なのである。
(むしろ、過剰に余裕ぶって見せようとして不覚を取ったってとこかもしれないな……)
思えば自分も大概調子に乗ったり気取ったりするところがあるので、身につまされることではあった。
「……ま、もう少し見てればあなたにも分かるわよ」
キュルケは肩をすくめながらギーシュにそう言って、戦っている2人の方に注意を戻した。
彼女としてもギーシュと同様、武器戦闘に関しては大したことはわからない。
しかしながら、どちらの方が優勢でどちらの方が追い込まれているのかについては、両者の姿を窺ってみれば一目瞭然だった。
ワルドの方が平然を装おうとしながらも抑えきれない屈辱を滲み出させているのに対して、ディーキンの方はいつもと変わらず、むしろ対戦相手に対してやや遠慮したような様子さえ見られるのだ。
(要するに、役者が違うってことよね)
キュルケはあっさりとそう結論した。
彼女からしてみれば魔法衛士隊の隊長だの亜人の子供だのはどうでもいいとまではいわないにしても些末なことで、男ってのは要するにいい男かそうでないかである。
その観点からして、現在のキュルケの評価では、
ディーキン>>>>ギーシュ>>(越えられない壁)>>ワルド
……くらいの開きがあった。
言い換えると、ディーキンはタバサのいい人でなければ種族差というハンデを考慮しても自分からアプローチをかけたい相手、ギーシュは暇であるか向こうから誘われるかすれば遊んでみてもいい相手、ワルドは必要がなければ話もしない相手である。
素直に正直に燃え盛る明るい情熱の炎こそが、彼女を最も惹きつけるものなのだ。何事にも熱のない冷え切った男や、毒々しく昏い情念の火を燻らせているような男は好かない。
「……」
タバサは何もコメントせずに、黙って試合の様子を見つめている。
戦いの世界に身を置いてきた者として、もちろんタバサにはディーキンとワルドのどちらの方が武器戦闘で勝るのかは見れば分かる。
むしろそんなことは見る前から分かっていたというべきだろう、ガリアの地下カジノで強靭なヴロックを一瞬の交錯の間に斬り捨てて見せたディーキンの姿を彼女は目の当たりにしたのだから。
魔法の合間に武術も学んでいるという程度の魔法衛士が、武器だけで太刀打ちできるような相手でないのは明白だった。
彼女が案じているのは、やり過ぎて相手の警戒を大きく強める結果にならないか、ということである。
感情的にはむしろ快勝してみせてほしいと思っているので、複雑な気分なのだが……。
「ああ、もう……。まだ続ける気なの?」
ルイズは不服そうに顔をしかめたままで、戦いの行方を見守っていた。
彼女にもワルドとディーキンのどちらが上かといったようなことは、あまりよくはわからなかった。
わからなかったが、油断であれ何であれ、先程ディーキンの仕掛けた攻撃がワルドの胴体に直撃したのは確かなはずだ。
「棒じゃなくて槍か何かだったら大怪我じゃないの! あれで勝負ありでもいいでしょうに……」
魔法衛士隊の本領はこれからだとかなんとか言っているが、実戦だったらその本領とやらを見せる間もなく終わっていた男が偉そうに講釈を垂れる場面ではないだろうと、心の中でワルドに毒づく。
とにかく、本当に大怪我をしないうちに早く終わって欲しいものだった。
ディーキンが強力な治癒の力を持つ亜人だか天使だかを召喚できることも知ってはいるが、こんなくだらない手合わせでそんな大袈裟な呪文まで使う破目になるのは、ますますもって馬鹿馬鹿しい話ではないか。
いっそさっきの一撃が決まった時点で立会人として終了を宣言すればよかったのかもしれないが、もたもたしている間に機会を逃してしまったのである。
今度終わらせられそうな場面がきたら躊躇なく勝負ありにしてやろうと、ルイズは心に決めた。
「……さて、仕切り直しといこうか」
軽く深呼吸をして気持ちを落ち着けると、ワルドはそう宣言した。
同時に飛び退って間合いを開き、杖を長く前方に突き出す。
重心は退避に備えて後ろに置き、ディーキンの攻撃に備えながら呪文を詠唱し始めた。
ディーキンはそれを見ると、踏み込んでワルドに打ち掛かるのではなく、逆に自分も軽く飛び退いて間合いをさらに離した。
彼の呪文をもう少し見てみたいというのもあったが、先程の詠唱の速さからするとこの距離では完成前に妨害するのは難しそうだったからだ。
ならば焦って飛び掛かっていって至近距離から呪文で撃墜される危険を冒すよりも、まずは余裕を持って呪文を回避できるだけの距離を置こうという判断である。
ワルドの詠唱から察するに、唱えているのは『エア・ハンマー』のようだ。
タバサと手合わせをした時の経験から、それがある程度の距離があれば十分に回避できる呪文であることをディーキンは学んでいた。
「――ラナ・デル・ウィンデ!」
案の定、ワルドの差し向けた杖の先から不可視の空気の鎚が飛んでくる。
タバサと戦った時は上空に逃げたところに『ウィンド・ブレイク』を飛ばされたので、今度は素早く右斜め前に跳躍して避けた。
直後にそのまま地面を蹴って方向転換し、呪文を放った後のワルド目がけて打ち掛かる。
だがワルドの方も、初弾が避けられる程度のことは十分に想定していた。
自信家の彼といえども、さすがに武器の技巧や膂力において後れを取ることは先の打ち合いで悟っており、もはやまともに斬り結ぶつもりはなかった。
事前に備えていたとおり背後に飛んで真正面からの打ち合いを避けつつ、杖を使って攻撃をいなしていく。
そうしながらも、同時に小声で次の呪文を紡いでいった。
「デル・イル・ソル・ラ……」
魔法衛士隊のメイジは、ただ魔法を唱えるだけではない。杖を剣のように扱いつつその動きの中に詠唱に必要な動作を織り込み、呪文を完成させる技法を学んでいる。
それは敵を牽制しながら呪文を紡ぐことで詠唱時の隙を突かれることを防ぐという、実戦的な詠唱法なのだ。
軍人としてはごく基本的な技能だが、ワルドは自分が特にその技術に練達していると自負していた。高速詠唱に次ぐ、彼の自慢の技といったところである。
(今のうちにせいぜい調子に乗って、嵩にかかって攻め立ててくるがいい、『ガンダールヴ』!)
多少知恵が回るにしても所詮はトカゲめいた姿の下等な亜人、系統魔法の知識はあったとしても本や周囲の学生メイジどもから得た物が関の山だろう。
さすがに、初見でこんな高度な軍人の技法までは見切れまい。
勝利を確信して武器を振り上げたところに、至近距離から呪文を叩き込んでやる。
無様な敵の姿を思い描いて、ワルドは微かに唇の端を歪めた。
だが当のディーキンの方では、敵が何をしているかは百も承知だった。
ワルドがやっているのは、要するにフェイルーンでいうところの〈防御的発動〉の一種だからである。
練度には当然個人差があるが、やり方自体はウィザードでもソーサラーでもクレリックでも、もちろんバードでも、術者なら誰でも知っている程度のものだ。
冒険者であれば特に、敵の攻撃に晒されながら呪文を唱えねばならなくなった時などにごく頻繁に用いる技術だと言えた。
さてどうしたものかと、ディーキンは素早く思案を巡らせた。
これは手合わせなのだから、さすがに殺傷力の高い呪文や『遍在』のような消耗の大きい高度な呪文を使う気はワルドにもあるまい。
となると、相手の手の内で今回見られそうなものはもう大体見たといえるかもしれない。
ならば、いたずらに消耗したり手の内を知られたりするのを避けるためにも、ここは早めに勝負を終わらせるべきだろう。
ワルドが詠唱の隙を無くそうと繰り返しているごく弱い牽制の突きなど、鎧と鱗とに守られた自分の身体ならば多少当たったところでどうということもないはずだ。
突いてくるのに合わせて体当たりでも繰り出し、体勢を崩させて詠唱を阻止した上で、組み倒して降参に追い込むという方法も考えられる。
しかし、妨害に失敗すればゼロ距離で呪文を叩き込まれることになるだろうから、それには若干の危険を伴うかもしれない。
あまり長々と迷っている時間はない。
ディーキンは手早くひとつの計画をまとめると、実行のタイミングを計った。
(……ウーン、でも、ディーキンにうまくやれるかな?)
いくらか不安はあったものの、そうこうしているうちにワルドの詠唱が完成し、後は呪文を解き放つばかりとなる。
いまさら変更はできない、ディーキンはままよとばかりに大きく棍を振り被った。
(もらった!)
ワルドは心中で快哉を叫んで、突っ込んでくる相手に至近距離から『エア・ハンマー』を叩きつける。
「オオッ……!?」
ディーキンは驚いたように目を見開き、咄嗟にその攻撃を受け止めようとするかのように左手で棍を突き出しつつ、後方に跳んで体をひねった。
しかし魔法による強化も施されていない木の棒など、呪文を防ぐ役には立たない。
直撃はかろうじて免れたものの、空気の鎚が棍を手から弾き飛ばし、余波を受けた体は大きく背後にのけ反った。
(フン、所詮はこんなものか。メッキがはがれたな、『ガンダールヴ』!)
ワルドは勝利を確信して、丸腰となった相手に更に追撃を加えようと杖を振り上げた。
武器を失った以上は勝負あっただろうが、自分の受けた屈辱に対して十分な返礼をせずに終わらせる気はなかったのだ。
これは真剣勝負という体裁なのだから、降伏を促す前にもう1、2発くらいは叩き込んでも咎められまい。
だがその時、鋭い風切音と共に振り上げた腕に衝撃が走り、ワルドの杖が弾き飛ばされた。
ガランガランと大きな音を立てて、地面に鉄拵えの杖が転がる。
「……なっ!?」
一瞬遅れて事態を理解し、ワルドは驚愕に目を見開いた。
いつの間にか、ディーキンの右手には鞭(ウィップ)が握られていた。
大きくのけ反った体の後ろで鞭を引き抜くと、無防備に振り上げられた杖を目がけて素早く振るったのだ。
ディーキンはもちろん、武器を失ったと見せかけて相手の油断を誘うために棍は最初から捨てるつもりで、あらかじめ片手に持ち替えていたのである。
もし仮にこの攻撃が失敗したとしても、元より棍などあってもなくても大した違いはない。
そのまま鞭で戦い続けることも別の武器を抜くこともできるのだから、さしたる問題ではなかった。
「くっ……!」
ワルドは一瞬杖を拾い上げようかとも考えたが、敵は鞭が届く程度の距離……つまりは一足でこちらに斬り込める間合いにいるのだ。
目の前でかがみ込めば、致命的に大きな隙を晒すことになるだろう。
そう判断して後方に大きく跳んで間合いを離し、ブーツの内部にある隠し鞘から予備の杖を取り出そうとした。
ディーキンはそんなワルドを追う代わりに、ルイズの方にちらりと何か言いたげな目を向けた。
彼女が早く勝負を終わらせたいと思っていることは、試合前の苦言や不服そうな表情から見ても明らかだったからだ。
ルイズははっと気が付くと、慌てて手を挙げて宣言した。
「そこまでよ! 両方とも武器を落としたんだから、手合わせはここまでとするわ!」
「ン、わかったの。ありがとう、ワルドお兄さん」
ディーキンはすかさずそう言って、鞭をしまうと行儀良くワルドに向かってお辞儀をした。
立会人と対戦相手が両方とも終了に同意している以上、ワルドに不満があったとしても無理押しして続けさせるわけにはいくまい。武器を収めて戦意のないことを示した相手に仕掛けたりすれば、それこそ非難を受けることになる。
「……ああ、ありがとう。いい勝負だったよ」
ワルドは渋面をしながらも、杖を抜くのを見合わせて立ち上がると、そう言って軽く礼を返した。
「お兄さんも杖を落としたけど、先に武器を落としたのはこっちだし、鞭を使ったりもしたからディーキンの負けなのかな?」
そもそも棍しか使わないなどとは言ってないのだから何も問題はないだろうが、こちらの負けか良くても引き分けだったと認めることで、最後に少々油断しなければ勝てていたと思ってもらうことが狙いなのだ。
呪文が来るのを事前に見抜きながら完成する前に妨害したり間合いを置いて回避したりするのではなく、あえて完成後に相打ち狙いで仕掛けたのもそのためである。
試合前にタバサから負けないでとは応援されたが、まあ仮に裁定がこちらの負けと言うことになったとしても、彼女なら実質的には負けではなかったということくらいは理解してくれるだろう。
「ははは……、いや、僕も油断していたよ。確かに、君が頼りにならない使い魔だとは言えないな」
ワルドは朗らかな笑顔と鷹揚な態度とを装って言葉を続けた。
「まあ、2つの武器を使ってはいけないなどとは取り決めてなかったのだから、ここは引き分けとしておくべきだろうね」
ここで自分の勝ちを主張するのは大人げなく見える、という打算からだろう。
それでも、引き分けと『しておく』だなどと、相手に譲ってそうしてやったのだというようなニュアンスを含ませずにはいられなかったようだが。
そうして手合わせを終えると、ワルドは同行者たちに軽く挨拶をして一足先に中庭から去って行った。
「あーあ、ギーシュから15エキューせしめそこねたみたいね?」
「……あの人が引き分けにすると決めたのなら、それでいい」
ワルドが去り、他の同行者らも中庭から出ていった後で、事情を知る者同士が話をしていた。
元々冗談半分で言ったことだったので、キュルケとしては実のところ儲け損なったことなどはほとんど気にしていない。
タバサは割と本気だったらしく、言葉とは裏腹にちょっぴり惜しそうにしていたが。
「まあ、あの男の手の内もいろいろ分かったしね」
キュルケがそう言うと、タバサも頷いた。
ごく短い時間の手合わせだったが、ワルドについては割と情報が得られたといえるだろう。
彼の近接戦の技量のほども見たし、呪文を使うところも見られた。
高速詠唱を得意としているらしいこと、牽制を行いながら呪文を詠唱する技術に通じているらしいこともわかった。
キュルケやタバサ程のメイジともなれば、実戦で呪文を使うところを見れば相手の系統や力量は概ね察せられる。
ワルドは九割九分、『風』系統のスクウェア・メイジである。
まあ、その程度のことは本人に直接尋ねても教えてくれるかもしれないが、敵かも知れない相手の虚偽の可能性のある自己申告と実際に見て確かめたのとではまた違う。
系統とランクがわかれば、使ってきそうな呪文の見当も大体つけられるというものだ。
タバサの目には、ワルドの素直な動き方から彼がガリア北花壇騎士団ほどに実戦本位な鍛え方はしておらず、良くも悪くも正統派な騎士らしい訓練を受けたのであろうことも見て取れた。
試合終了の直前に、彼がブーツから何かを……おそらくは予備の杖を、取り出そうとしていたことも。
おそらくその程度のことにはディーキンも概ね気が付いているだろうが、一応後でルイズらのいない間を見計らってもう一度情報交換をしておこうと最後に確認すると、2人も中庭を後にした。
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「くそっ……! 俺としたことが、下らぬミスを……!」
ワルドは一人で部屋に戻ると、悔しげに顔を歪めた。
あらゆる武器を使いこなすという『ガンダールヴ』が相手であることを忘れ、ただ1つの武器を打ち落としただけで油断したのが自分のミスであることは彼も理解していた。
逆に言えば、その油断さえなければ勝てるはずの勝負だったとも信じていたのだが。
「……まあ、しかし、奴の手の内は概ねわかった。良しとしておくか……」
その程度のミスだと考えているものだから、自然と反省も希薄になる。
ワルドとしては、演じた失態よりもむしろ得た成果の方が大きいと思っていた。
傭兵たちを倒した弓矢に加えて、手合わせで使ったクォータースタッフとウィップの存在と、その技量のほどを知ったのだ。
特に奥の手である隠し武器のウィップの存在を知ったのが大きい、仮に奴と戦うことになっても不意を打たれずに済む、と。
別に奥の手なんてほどのものではないのだが、そんなことはワルドには知る由もない。
相手は武器を使うことで知られた『ガンダールヴ』だと思い込んでいたので、ワルドは魔法については特に警戒していなかった。
一応、人語を解する亜人と言うことで使用する可能性がないとは言えないくらいには考えていたが、手合わせで使う様子もなかったことでその疑いはほぼ解けた。
大体、エルフしかり吸血鬼しかり、知能の高い亜人というのは概ね人間に近い姿をしているものだ。
動物が混じったような姿をしているオーク鬼やコボルド、ミノタウロスなどは知能が低い膂力頼みの野蛮な亜人である。
その観点からいけば、下等な爬虫類との混血のような姿をした亜人の、あまつさえ子供では、多少賢しい部類ではあるようだが高度な術など用いられようはずがない。
ワルドはつまり、最初からディーキンをそのようなもの……未熟な子供であり、畜生めいた種族の一員であり、人間よりも根本的に劣等なものとして見ているのである。
ずば抜けて賢い子供を見ても、大抵の大人は感心はするかもしれないが対等な相手だとまでは認めないだろう。騎士は優れた軍馬を愛するかもしれないが、自分と同格だとまでは考えない。それらと同じようなものなのだ。
だから、ディーキンがいかに分別のある意見を述べようと、手合わせで実力を示そうと、せいぜい『下等な亜人にしては意外な一面もあるのだな』という程度のことで、前提が覆されるまでには至らなかった。
ルイズを取り込むことによって有益な家畜として一緒に飼えるならよし、さもなければ殺処分するだけのことだ。そしてそれは造作もなくできることだ……と、端から決めてかかっている。
もっというなら、ワルドの認識では貴族だけが第一級の人間であって、シエスタのような平民は役畜か、せいぜいが二級市民であった。
さらにいえば、自分はその貴族の中でも一等優秀な存在だと思っていて、それよりも劣等と見なした貴族、例えばルイズのような相手を利用することにも良心の呵責を覚えてはいなかった。
ワルドは利己的な男であり、利己心とは結局のところ、他人よりも自分が優先されるべき者であり重要な者であるはずだ、自分の考えや行動は概ねが正しく肯定されるべきものだ、という自惚れである。
彼の目には、そうした自分自身に対する盲信と他人に対する過小評価、そして事実誤認の思い込みのために、最初からフィルターがかかってしまっている。
そのために、虚心で見れば明白なはずの目の前の事実が歪んでよく見えなくなっているのだった。
ディーキンをはじめとした同行者たちのことを未だに軽んじているのも、先程の手合わせで自分の力と使い魔の無力とを示そうという計画が失敗したにもかかわらず未だに最終的にはルイズの心を掴めると信じて疑っていないのも、とどのつまりはそのためなのである。
(奴は所詮、武器使いに過ぎんのだ。手合わせと実戦とは違う……!)
その力量が伝説通り千の雑兵を蹴散らし、並みのメイジを破れるほどのものだとしても、自分は並みのメイジではない。
今回の手合わせのように正面から斬り合うことを避け、遠間から殺傷力の高い呪文を食らわせてやれば手も足も出まい。
平民の用いる飛び道具などで反撃したところで、『風』のメイジである自分に矢は届かぬ。
最強の『遍在』と風をまとわせた刃とをもって数人がかりで攻め立てるなら、近接戦で斬り殺すことすら不可能ではないはずだ。
よしんば相手が先住魔法の使い手だったとしても、よほどの強者が自分の得意とするフィールドに陣取っているのでもない限りは負けはしない、とも考えていた。
それが翼人であれ、吸血鬼であれ、コボルド・シャーマンであれ……、たとえ最強の亜人と目されるエルフであっても、長老格ならいざ知らず、並みの使い手には遅れを取らないはずだ、と。
先住魔法は、その地の精霊と契約することで最大の効力を発揮する魔法体系なのだ。
自分の馴染み深い土地を守るときにこそその真価を発揮するもので、先住魔法の最強の使い手と目されるエルフたちの守る聖地がこれまで一度も落とされなかったのはそのためである。
初めて訪れる地ではその本領を発揮できないのだから、仮に手合わせでは用いなかっただけで実は使えるのだとしても、さほど恐れることはないだろう。
それらの考えは、大概の場合においては正しいのかもしれない。
とはいえ、自分の想定外の事態など起こるはずがないと頭から決めてかかっているということは否めまい。
これもまた己の見識に対する自惚れのなせる業である。
「……だが、甘く見れば痛い目に遭いかねん相手であることも確かだな。他の連中も、そこそこ厄介そうではある……」
ワルドはそうひとりごちると、今後の計画を練り始めた。
自分自身はルイズらといることでアリバイを作りつつ、『遍在』を用いてこの街の傭兵を片っ端から、雇えるだけ雇い、今夜のうちにもこの宿を襲撃させよう。
傭兵どもにやられるようならそれでよし、うまくいかなくとも足止め役として一部の者を残らせ、その間に船を強引に出航させてしまえば邪魔な同行者を減らすことができる。
大筋を立案すると、さてこれで行けるだろうか、と頭の中で検討してみた。
あまりに自身の能力を過信し、他者のそれを過小評価しすぎているとはいっても、ワルドにまるで判断力が欠如しているというわけではないのだ。
彼は彼なりに、慎重に計画を練って十分な備えをしておこうとは思っていた。
「上手くいく、とは思うが……」
しかしなんといっても、今回の件には自身の将来の栄光がかかっているのだ。
万が一にもしくじるわけにはいかないのだから、ここは万全を期するためにも、何かもう一手打っておくべきかもしれない。
「……あの連中に借りを作るのは気が進まんが、仕方ないな……」
自分だけでは万に一つ不覚を取る可能性があることを認め、助勢を求めることを決断すると、ワルドは早速『遍在』を作り出して計画のための手配に向かわせた……。
〈防御的発動(Casting on the Defensive)〉:
通常、呪文の発動時には隙ができ、その際に敵の間合いに入っていれば攻撃(機会攻撃)を受けることになる。その攻撃でダメージを負った場合、〈精神集中〉判定(受けたダメージが大きいほど、また発動しようとしている呪文が高レベルであるほど難易度が高くなる)に失敗すれば発動しようとした呪文を失ってしまうことになる。
〈防御的発動〉は同時に牽制を行なったり意識の一部で防御に集中したりしながら呪文を発動することでそのような隙を無くす戦闘オプションで、これを行なえば機会攻撃を誘発せずに済む。ただし、首尾よくやり遂げるためには〈精神集中〉判定(発動しようとする呪文が高レベルであるほど難易度が高くなる)が必要となり、失敗したなら呪文は発動せずに失われてしまう。
その性質上〈精神集中〉技能がある程度高くならないと安定して成功させるのは難しいが、試みること自体には特殊な能力などは不要で、どんなに駆け出しの術者であっても可能である。