Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第九十一話 Along the way

 

「一体、何時間走り続ける気なんだ……」

 

 走る馬にぐったりともたれながらも、気力を振り絞って手綱だけはしっかりと握りつつ、ギーシュはぼやいた。

 魔法学院を出発して以来、ワルドは自分のグリフォンを全力ではないにせよかなりの勢いで飛ばせっぱなしなのである。

 

 元々グリフォンの方が馬よりも速い上に、空を飛べるのだから地形の影響も無視できる。

 したがってギーシュをはじめとする地上の同行者たちは、彼に付いていくためにかなり馬を急がせて無理をさせねばならなかった。

 もちろんディーキンは彼にロングビルから聞いた事柄を説明し、急いでもラ・ロシェールで足止めを食うだけだからもう少しペースを落としたら、と何度か提言したのだが……。

 彼はしばらくの間はわかったといっていくらか速度を落とすものの、いくらも経たないうちにまた元のペースに戻ってしまうのだ。

 

 とはいえ今の自分は国の一大事を担っているのだ、やたらに弱音を吐くわけにはいかない。

 それに、同じように馬で走っている少女らがいるというのに男の自分が真っ先に音を上げるわけにはいかないではないか。

 そう自分に言い聞かせて、ギーシュは頑張った。

 

 頑張ったのだが……。

 

 もう何時間経過したことか、乗っている馬の方がすっかりへたばってしまって途中の駅で2回も交換していた。

 これまでもたびたび遠乗りはしてきたが、こんなにも長い間休みなしで走り続けたことはない。

 だというのに、同行者たちはいまだに誰も、休憩しようとも言い出さないのである。

 

(どうなってるんだ、みんな化け物か。……それとも、ぼくが情けない男なだけなのか? くそっ……!)

 

 シエスタはさすがに自分のワルキューレを斬り倒したほどの使い手なだけあって鍛えられているようで、たまに息をついて額の汗をぬぐったりはしているがへばった様子はない。

 キュルケは……、ギーシュとしては正直彼女はわがままで気まぐれな女性という印象があったのだが、意外なことに走り通しさせられていることに文句も言わずにいる。

 とはいえ、たまにタバサに頼んで簡単な治癒の水魔法をかけてもらい、疲労を軽減してはいるようだったが。

 意外なことに、小柄な体格の上に本ばかり読んでいて体を鍛えているとも思えないタバサは、汗こそかいてはいるもののいつも通りの涼しげな顔でついてきていた。

 もしかしたら使うところが見えなかっただけで彼女もたまに自分に水魔法をかけたりしているのかもしれないが、それにしても……。

 

 ギーシュは自分もタバサに頼んで水魔法をかけてもらいたいとは思ったが、彼女は特に親しくもないどころかほとんど口をきいたこともない相手なので二の足を踏んでいた。

 それに、彼女のような小さな少女に泣きつくだなんて、自らを女性を守る薔薇の棘と自負している身としてはなんとも情けない気がしてなおさら言い出せない。

 

(ああ、ぼくにも水魔法が使えたらなあ……)

 

 いや、それよりも、愛しのモンモランシーが一緒にいてくれたら。

 彼女ならきっと、情けないわねと文句を言いながらも、優しく自分を癒やしてくれるに違いないのに。

 しかし彼女とはあの決闘騒ぎ以来、未だに関係を完全には修復できておらず……。

 

 そんなことを考えているうちにどんどん気分が沈んできて疲労感もどっと増し、いよいよ音を上げそうになったとき。

 

「……あの、ミスタ・グラモン。お疲れのようですが、大丈夫ですか?」

 

 しんがりを務めていたシエスタがギーシュの側に馬を寄せて、心配そうに声をかけた。

 

「も、もちろんさ。貴族たるもの大切な任務の折にこの程度で休んではいられないよ、ミス・シエスタ」

 

 ギーシュは慌てて体を起こすと、無理に背筋を伸ばして平気そうな顔を装う。

 これ幸いと休憩を提案すればよさそうなものなのだが、彼はいつだって、特に女の子の前では見栄を張りたい少年なのである。

 

 シエスタは目をしばたたかせてそんなギーシュの顔をじっと見つめ……、やがて、感心した様子で頷いた。

 

「ミスタ・グラモンは、やっぱり高貴な方ですね」

 

「え? はは、高貴だなんて大袈裟な……。貴族として当然の振る舞いというものさ」

 

 一瞬きょとんとした後で照れ笑いをしながらそういったギーシュに、シエスタはまじめな顔をして首を横に振った。

 

「謙遜されることはないです。ミスタはトリステインやアルビオンを救う使命のために、自分の辛さを隠して嘘をついていらっしゃいますわ。自分の利欲のためではないそのような嘘をつけることは、高貴ではないですか」

 

 シエスタはギーシュの嘘を見栄からくるものではなく、無欲さと自己犠牲の精神の表れと受け取ったようだ。

 いかにもパラディンらしいものの見方だといえよう。

 

「い、いやあ……。貴族なら誰だって、そのくらい……」

 

「それなら、貴族の方はみんな高貴なんですね。でも、それでミスタの振る舞いの価値が減ることにはなりませんわ」

 

 シエスタは微笑むと馬の上からぐっと手を伸ばして、僅かに顔を赤らめたギーシュの二の腕に優しく触れる。

 

「私にも、なにかお手伝いをさせてください――」

 

「ミ、ミス。何を?」

 

 ギーシュは戸惑ったような声を上げたが、じきにシエスタの手から、なにか温かいものが体に流れ込んでくるような感じのすることに気がついた。

 それに伴って疲労がはっきりと分かるほどに和らぎ、活力が湧いてくる。

 

 シエスタは数秒ほどそうしてから、今度は彼の乗る馬にも同じように手を当てて……、それから、元通りにゆっくりと馬を離れさせた。

 馬もギーシュと同じく、シエスタに触れられると目に見えて元気を取り戻したようだった。

 

 ギーシュは疲れが和らいだのを喜ぶことも忘れて、目を丸くしてシエスタの方を見つめる。

 

(いったい、今のは何だったんだ。ミス・シエスタは、ぼくに何をしてくれたんだ?)

 

 まさか、彼女はメイジだったのか?

 だが彼女は、杖らしきものは何も持っていないし、呪文を唱えた様子もなかった。

 それにさっきの感覚は、なんというか、モンモランシーが以前に何度かかけてくれた水魔法の感じとは違っていたような……。

 

 自分が疲れ切り、モンモランシーのことを思って落ち込んでいたちょうどその時に、彼女は優しい言葉をかけてくれた。

 そして、あの不思議な力……。

 

(ミス・シエスタこそ、もっとも高貴な女性だ)

 

 彼女こそ、本物のワルキューレだ。

 いや、むしろ天使だという方が合っているかも知れない。

 

 ギーシュは少々オーバーなほどに感動して、そんなことまで考え始めていた。

 まあ、まったくの間違いとも言い切れないのだが……。

 

 そう考えていたちょうどその時、今度は背中にこつん、となにか堅いものが当てられた。

 そこから、馴染みのある水魔法の『治癒』の効力が流れ込んできて、体の疲れがさらに軽減される。

 

「……お、おっ? モ、モンモランシー!?」

 

 もちろん彼女が今ここにいるはずもないのだが、ぎくりとして反射的にそう言ってしまう。

 ちょっと前までしみじみと思い浮かべて恋しがっていた彼女の事などすっかり忘れて、今度はうっとりとシエスタのことを考えていたので、何となく後ろめたかったのである。

 それにモンモランシーは、あれでかなりのやきもち焼きなのだ。

 

「違う」

 

「この子があのモンモランシーに見えたっていうのなら、あんた相当に疲れてるわね」

 

 シエスタとのやりとりの様子からギーシュが相当疲れているらしいことを察し、今さらながら彼の方に馬を寄せて杖を伸ばし、水魔法をかけてやったのは言うまでもなくタバサであった。

 キュルケも彼女の横に並走していて、呆れたようにギーシュの方を見ている。

 

「疲れてるなら、早めに言って」

 

「そうよ、あんたに途中でぶっ倒れられでもしたら余計に迷惑だわ。今さら変に格好をつけてみたって、私たちはあんたが背伸びする気取り屋なんだってことはよおくわかってるわよ?」

 

「せっ、背伸びする気取り屋とはなんだ! ぼくはだね……」

 

 抗議しようとするギーシュに向けて、キュルケは肩をすくめてからかうような笑みを浮かべた。

 

「別に無理しなくたって、あんたはそのままでも割といい男よ? もっとありのままの自分でぶつかった方が、きっとモンモランシーにも気に入られるわ」

 

 あの子の予約済みじゃなきゃ一度くらい部屋に呼んであげてもいいんだけどねえ? ……などと、ついでに悪戯っぽく付け加える。

 

「な、なっ……。か、勘違いしないでくれ、予約済みなどと、彼女とはそんな……」

 

「あら。それって、私の部屋に呼んで欲しいってことかしら?」

 

「そ、そんなことは言っていない!」

 

「ふうん……。それって、私は一緒に寝たくなるような魅力のない女ってことかしら。女性に対してあんまり失礼じゃありませんこと、ジェントルマン?」

 

「い、いや、それは、そういうわけではなく……」

 

 キュルケはそんな感じで、顔を赤くしながらしどろもどろにあれこれ弁明するギーシュを流し目を送ったりしなを作ったりしてさんざんにからかってやった。

 

「……ま、冗談はおいといて。すっかり元気になったみたいじゃないの、それじゃあ一緒にもうひとがんばりしましょ?」

 

「疲れたら、すぐ呼ぶ」

 

 2人は最後にそう言って、一緒に彼から離れていった。

 

「……あ、ありがとう、レディ達……」

 

 ギーシュは、先ほどまで疲れ切って落ち込んでいた心身が嘘のように軽くなったのに気が付いていた。

 正直なところ、これまでタバサやキュルケにはあまり良い印象を持っていなかったのだが、その印象はこの短時間でがらりと変わった。

 

(ああ、この旅の仲間はみんな温かい人ばかりだなあ……)

 

 これから危険な戦地へ赴くにもかかわらず、ギーシュは自分は幸福者だと、心からそう思った。

 なんかもうモンモランシーのこととかすっかり頭の中から飛んでいるようだが、旅が終わって学院へ帰ったら元に戻るだろう、きっと。

 

 

 

「それにしても、ディー君は全然こっちに来ないわね。グリフォンの方を気にしてるみたいだけど……」

 

 キュルケは汗を拭きながら、上空に目をやった。

 あいも変わらずワルドは自分の愛騎を快速で飛ばせ続けており、ディーキンは自前の翼で、その後ろに少し離れてついていっている。

 馬でも交換しなくてはいけなくなっているくらいだというのに、2人ともえらくタフである……ワルドに関しては、本人よりもグリフォンを褒めるべきなのだろうが。

 

 まあそれはいいとしても、ディーキンが出発してからほとんど下の方に降りてこないのが、キュルケには少し意外だった。

 この間のフーケ騒動の時も、彼は馬車の中でよく話したり音楽をやったりして皆を和ませていたのに。

 

「……あの男がいきなり出てきて、婚約者だとか言ってルイズにべったりなのが気にいらないのかしら? ディー君も、かわいい嫉妬くらいはすることもあるでしょうし……」

 

 キュルケが首を傾げてそう呟くと、タバサが口を挟んだ。

 

「違う。あの人には、何か考えがあるはず」

 

 その言葉の調子が何やらむっつりしたような、自分に言い聞かせているような感じに思えて、キュルケは思わずくすりと笑った。

 

(この子が、こんなやきもきした様子を見せるなんてね)

 

 少し前までは、考えられもしなかったことである。

 

 まあ、それはさておいて……。

 実際のところ、確かにディーキンはルイズの方を不自然に気にし過ぎているように思える。

 タバサの言うように、何か理由があるのだろうか?

 

(……ま、あんな男が自分の主人と一緒にいたんじゃ、心配するのも無理はないかしら?)

 

 今朝あの男が同行者として姿を現したときには、昨夜アタックしようと考えていたのもあって意気込んで誘惑してみたものだが……。

 まったく自分になびかない上にルイズの婚約者だと聞かされ、何よりも近くで見るとその瞳の奥の光が妙に冷たいことに気がついて、すっかり興味が失せてしまったのである。

 

 ルイズと昔婚約したという頃には、あの男ももっと優しい目をしていたのだろうか。

 あるいは今でも、あの男はルイズに対してならばもっと違う目を向けるのだろうか。

 そこまではキュルケにも何とも言えないが、ディーキンもあの男の快活そうで如才のない態度と不釣り合いな笑っていない冷たい目に気がついていたのだとしたら、そんな男が主人に近づくのに危機感を覚えるのはわからないでもない。

 

 まあなんにせよ、詮索は気が向いたら後でいくらでもできるだろう。

 キュルケはそう結論してとりとめのない思考を追い払うと、馬を走らせるのに気持ちを集中し直した。

 今はさっさとラ・ロシェールへ着きたいものだ、いくらタバサに疲労を軽減してもらっているとはいえ、このままでは集中が切れてそのうち馬から落ちてしまいそうである……。

 

 

「……ちょっとワルド、速すぎない? ディーキンはともかく、下のみんなは水魔法に頼らなきゃいけないくらい疲れてるみたいよ」

 

 ワルドに抱かれるようにして彼の前の方に座ったルイズが、肩越しに下の様子を心配そうに……そして少しばかり羨ましそうに見ながら、そういった。

 最初のうちはルイズはワルドに対して丁重な口調で接していたのだが、彼が他人行儀なのは止めてほしいと頼んできたのもあって、飛びながら雑談を交わすうちに今のくだけた口調に変わっていた。

 

 ワルドはルイズの提言を受けて下で労い合いながら走っているギーシュらの様子を窺ったが、グリフォンの速度を落とす気配はない。

 

「もし彼らが途中でへばるようなら、置いていけばいい」

 

 ルイズはワルドの返事を聞くと、怪訝そうに眉をひそめた。

 

「そんなわけにはいかないわ、みんな仲間なのよ」

 

「しかし、ラ・ロシェールまでは止まらずに行きたいんだが……」

 

「無理よ、馬だと普通は二日はかかる距離なのよ。それに、そんなに無理をしてまで急がなくていいってディーキンも言ってたじゃない」

 

 ワルドは翼を羽ばたかせてついてくる小さな亜人の姿をちらりと見て肩を竦めると、諭すように言った。

 

「ルイズ、これは大切な任務だ。使用人を連れていかなければ、なんて贅沢をいうわけにはいかない。和やかな旅行気分でいてついてこれない者も置いていくしかないし、途中で何があって予定が狂うかわからないのだから急げるときは急いでおいた方がいい。それに、見たところ彼は亜人で、しかも子どもじゃないか。こういってはなんだが、人間の街に関する彼の情報が間違っていないとも限らないだろう?」

 

 それを聞いたルイズは、少しむっとした様子で首を振った。

 

「別に、シエスタは使用人として連れて行くわけじゃないわ。彼女も立候補者よ。それに、あなたは私の仲間たちがどれだけ頼りになるか知らないんだわ」

 

 特に、ディーキンのことはね。とルイズが付け加えたのを聞いて首を傾げると、ワルドは手綱を握った手でルイズの肩をそっと抱いた。

 

「……そうか、ルイズ。君は自分の仲間や使い魔をずいぶんと信頼しているんだね、メイジの鑑だ。しかし、どんなに信頼できる者であっても間違いや失敗がないとは言えないよ。ぼくとしては、万が一ということもないようにしておきたいんだ」

 

「そ、それはまあ、そうかもしれないけど……」

 

 ワルドに肩を抱かれながら、ルイズは困ったように俯いた。

 

 確かに貴族としては万全を期して、余裕があろうがなかろうが、自分たちの身を顧みずに生真面目に急ぎ続けるべきなのかもしれない。

 しかし、フーケ騒動の時、ディーキンは道中娯楽や雑談で場を和やかにして、仲間たちをリラックスさせていた。

 無用に気を張り詰めすぎても、肝心な時に疲れ切ってかえって上手くいかないのではないか。

 ここ最近の経験からルイズはそう思ったが、確かにワルドの意見にも一理ある。

 それに彼は自分よりもずっと経験豊かな魔法衛士隊の隊長なのだから、あまり強く反論もできまい。

 

 そう自分に言い聞かせては見たものの……、やはり、どうにも納得がいかない。

 仲間たちがついてこれなくてもいいだなんて、ディーキンなら絶対にそんなことは言わないだろうに……。

 そんな風に思っていると、ワルドが自分の肩を抱いたまま、朗らかに笑いながら話しかけてきた。

 

「はは……、すまない、厳しいことばかり言って。僕のことを嫌いになっていなければいいんだが」

 

「そんなことくらいで、嫌いになるわけないでしょ」

 

 ルイズは少し照れたように笑いながら、肩を竦めてそう答えた。

 

 確かに、ルイズにとって彼は、ちょっと意見を違えたくらいで嫌いになってしまうような相手ではなかった。

 幼い頃に両親に叱られて、隠れて泣いていた自分をいつも迎えに来てくれた優しい人。

 憧れの人で、家族の一員みたいなものだった。

 そして彼の言うとおり、親同士の決めた婚約者……その意味は、当時はまだよくわかってはいなかったが……でもあったのだ。

 

「そうかい? 昔のきみは僕がちょっと注意したりすると、すぐに拗ねて嫌いだっていったよ」

 

「私はもう、そんなすぐに拗ねるような小さい子じゃないのよ」

 

 ルイズは頬を膨らませて抗議した。

 

「僕にとっては、未だに小さな女の子だよ」

 

 ワルドはそれから、懐かしそうに自分のことを語り始めた。

 

 父がランスの戦で戦死してから、すぐに領地と爵位を相続して街へ出たこと。

 立派な貴族になろうと魔法衛士隊で苦労して、若くして隊長の地位にまで上り詰めたこと。

 そして、その間も婚約者であるルイズの事はずっと忘れておらず、いつか迎えに来ようと思っていたこと……。

 

「まさか、冗談でしょう? 私みたいなちっぽけな婚約者を相手にしなくても、今のあなたは魔法衛士隊の隊長なんだから他にいくらでも――――」

 

 困惑してそう言ったルイズに対して首を横に振ると、ワルドは静かに語り続ける。

 

「この旅はいい機会だ。なに、しばらく一緒に旅を続ければ、またあの懐かしい気持ちになってくれると信じているよ」

 

「……」

 

 ルイズはどう答えていいのかもわからず、押し黙ったままワルドの腕の中で身じろぎをした。

 

 十年も前に別れて以来、ワルドにはほとんど会うこともなく、彼はとうに遠い思い出の中の憧れの人になっていた。

 実際、先日ふと思い浮かべた幼い頃の屋敷の様子を『幻覚』として再現するまでは、ほとんど思い出すことも無かったのである。

 ところが昨日思いもかけずに彼の姿を見かけたものだから、激しく動揺して半日もぼうっと物思いに耽ってしまったのだ。

 

(私は、ワルドのことを好きなのかしら……?)

 

 嫌いでないのは間違いない。

 だが、結婚したいほど好きなのかと言われると……。

 昔のいい思い出だったはずの人からいきなり婚約者だ結婚だなんて言われても、正直言って実感が湧かず、よくわからなかった。

 

(だけど、何もこんな時に言わなくてもいいじゃない)

 

 さっきは、和やかな旅行気分でいる下の仲間たちは置いていかれても仕方ない、大事な任務だから余裕があっても急がなきゃいけない、なんて言っていたくせに。

 当の自分はこの旅がいい機会だなどと言って、旅行気分でのんびりと婚約者を口説くだなんて、魔法衛士隊の隊長ともあろう者がそんな事でいいのだろうか。

 それほど自分を特別に大事に思ってくれているのだという好意的な解釈もできなくはないが、どうにもそんな風には思えなかった。

 

「……はあ……」

 

 幼い頃に憧れていた婚約者の腕の中だというのに、なんだか居心地が悪い。

 できることなら自分も好きな馬に乗って、ディーキンやシエスタらと労い合いながら和やかな旅をしたいものだ、と思った。

 

 

 

(ちっ……。学生と平民の割には、ずいぶんと頑張ってついてくるものだな)

 

 表向きはルイズと和やかに話しながらも、ワルドは内心で舌打ちをしていた。

 

 彼からしてみれば、この旅には自分とルイズさえいれば十分だった。

 下を走っている同行者は、実戦経験などないであろう学生メイジが3人と、あろうことか平民のメイドが1人である。

 どう考えても戦場などには連れていくだけ足手まといでしかあるまい、邪魔だ。

 ルイズの使い魔だという亜人には興味はあるが……、所詮は子供とはいえ僅かなりとも不確定要素になる可能性がある以上、それもいなければいないにこしたことはない。

 

 グリフォンを飛ばせば途中で疲れ切って次々に脱落していくだろうと思っていたのだが、予想外に粘る。

 平民も含め、誰一人脱落しないとは……。

 

(まあいい、こういう時のために雇っておいた連中がいるさ)

 

 平民とはいえ戦いに慣れた傭兵どもである、学生メイジの2、3人程度を屠るのはわけもあるまい。

 ついでに連中を退けてみせれば、ルイズから自分への好感度も上がるというものだろう。

 

 使い魔の亜人まで屠れるかどうかはわからないが、もし屠れたならそれまでのこと。

 平民の傭兵ごときに歯が立たない“伝説”に用はない。

 逆に勝てるようならば、その力は後々こちらの役に立てられるかもしれぬ……。

 

(さっさと脱落しておけば、死なずに済んだものを!)

 

 ワルドは身の程も弁えずに戦場にいこうなどと考えた下の同行者たちに、嘲りと憐れみの入り混じったような視線をちらりと向けた。

 

 そろそろラ・ロシェールが近い。

 その直前のあたりで、ようやく着いたと気が緩んだところを夜陰に紛れて襲いかからせる手はずだ。

 あの無邪気な学生どもの命も、あと僅かである……。

 

 

(ウーン……)

 

 ディーキンは前方を飛ぶグリフォンの様子を窺いながら、周囲の警戒をしつつ空を飛んでいた。

 

 彼が道中で下へ降りていってタバサらと話したりしなかったのは、ルイズを抱きかかえているワルドが要警戒対象かもしれないという《神託》を事前に受けていたので念のため様子を窺い続けていたのと、周囲の様子に目を光らせていたのとのためである。

 特に暗くなってきてからは暗視と夜目の利く自分があたりをしっかりと警戒しておかなくてはいけないということは、冒険者としての経験から彼にはよくわかっていた。

 

 幸い道中では何も起きることはなく、そろそろラ・ロシェールが見えてきた。

 月夜に浮かぶ険しい岩山の中を縫うようにして進むと、峡谷に挟まれるようにして街があった。

 街道沿いに、岩をうがって造られたと思しき建物が並んでいる……。

 

「……!」

 

 その時ディーキンは、前方に不審な様子があるのに気が付いた。

 

「みんな、止まって!」

 

 鋭く警告を発すると、素早く弓を抜き、矢をつがえて、右手前の崖の上の方に向けて立て続けに放っていく。

 

「ぎゃっ!」「げっ!?」「な、何だぁ?!」

 

 矢の放たれたあたりから、次々に男たちの悲鳴が上がった。

 ワルドの雇った手勢である彼らはそこで奇襲をかけようと待ち伏せをしていたのだが、夜目の利くディーキンが奇襲が開始されるよりも先にその姿を発見したのだ。

 

 一手遅れて、彼らの方からもギーシュらの乗る馬に向けて松明が何本か投げられ、それを目印に矢が放たれる。

 空中にいるディーキンやワルドのグリフォンにも、矢が射かけられた。

 

 だが、奇襲の目論見が崩れた時点で傭兵たちに勝ち目はなかった。

 タバサは警告を受けるや即座に迎撃の準備に入っていたし、フーケの騒動やタバサの屋敷での探索から経験を積んでいた他の少女らもそれに僅かに遅れただけでほとんど遅滞なく対応していた。

 最も経験のないギーシュでさえ、彼女らの冷静な対応を見て落ち着いたのか、パニックに陥ることなくそれに続いた。

 

 ギーシュのワルキューレが壁となって矢から地上の仲間たちの身を守り、タバサの風が上空にいるディーキンを狙う矢を反らす。

 キュルケの炎弾が崖の上にめくら撃ちで飛び込んで牽制すると同時に明かりとなって傭兵たちの所在を照らし出し、そこへルイズの爆発と、シエスタの装填したクロスボウの矢、それにディーキンの更なる矢弾が撃ちこまれる……。

 

 そうして大した時間も経たずに、傭兵たちは無力化された。

 ワルドが状況を見定めて介入するだけの暇も無く、ルイズらの側には怪我人は1人も出ずに済んだ。

 傭兵たちの側も、殺さずに無力化するだけの余裕がルイズらにあったために腕や足をやられた程度で死人は出ていなかった。

 

 

 

(ええい、なんという不甲斐のない! 高い前払い金を受け取っておきながら、揃いも揃って屑どもが……!)

 

 ワルドは同行者たちの手並みに感心したというような風を装いながらも、内心では傭兵たちをこっぴどく罵っていたが、単に彼らが情けないというだけではないこともまた認めざるを得なかった。

 

 この連中はただの学生メイジや平民のメイドではない、どこで経験を積んだのか知らないが妙に戦い慣れしている。

 それに、あの亜人の使い魔……。

 

(弓矢という“武器”をあれほど巧みに扱うということは、奴はやはり『ガンダールヴ』! 勇猛果敢な神の盾、か……)

 

 所詮は学生や平民に、亜人で伝説の使い魔だとはいえ子供……自分の敵ではないが。

 とはいえ、油断のならぬ相手にも違いない。

 

 傭兵たちは最初はただの物取りだと主張していたが、例によってディーキンが<交渉>にあたり、じきに仮面をつけたメイジに雇われて自分たちを狙ったということを聞き出した。

 ワルドは自分たちには任務があるのだから捨て置こうと言ってはみたものの、ラ・ロシェールの街は目の前だしまだ時間にも余裕はあるのだからそこまで連行して官憲に引き渡せばいいだろうということで他の全員の意見が一致したため、しぶしぶ同意する。

 もちろん重要な話など雇われの傭兵風情に漏らしてはいないが、とはいえ連中が官憲に尋問されて更なる情報が引き出されるのはあまり望ましいことではなかった。

 

 これは思ったよりも面倒なことになったかもしれぬと、ワルドは密かに舌打ちをした……。

 





癒しの手(Lay On Hands):
 2レベル以上かつ、【魅力】が12以上あるパラディンは、超常の力によって自分や他人の傷を接触しただけで癒したり、疲れを取り除いたりすることができる。高レベルであるほど、また【魅力】が高いほど、1日あたりに回復できるヒット・ポイントの総量が多くなる。この能力はアンデッド・クリーチャーにダメージを与えるために使うこともできる。

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