Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第六話 Conference

 

 ここはトリステイン魔法学院本塔最上階・学院長室。

 

 齢数百歳ともいわれる学院の長オールド・オスマンは、机に向かいながらもいつものように暇を持て余していた。

 今は部屋の端におかれた別の机で書き物をしている秘書のミス・ロングビルをぼんやりと眺めつつ、彼女の下着の色を確認する策をぼんやりと立てながら、可愛い使い魔のハツカネズミ・モートソグニルにナッツを与えている。

 

「………。退屈じゃのう、何か面白い事はないものかなミス・ロングビル?」

 

「お暇でしたら、たまには日頃私に押し付けている書類の整理でもなさってはいかがですか? ……そうですね、今日は使い魔召喚の儀があったはずですわ。もう大分前に終わっていると思いますが、担当教師からの結果報告はまだ来ていないようですね」

 

 おお、そういえば今日はそんな儀式があったかと、オスマンは顔を綻ばせた。

 この年になると珍しい使い魔などはあらかた見尽くしてしまって刺激はないが、パートナーを迎えた生徒らの喜ぶ顔は微笑ましいものである。

 

「ふむ……、もう夕方近いというのに確かに知らせが遅いのう、報告を忘れておるのではないか? 今年の担当は誰じゃ、ギトー君あたりかな?」

 

「いえ、確か……、ミスタ・コル―――」

 

 ロングビルが日程表に目を通して返答しようとしたところで、学院長室のドアがコンコンとノックされた。

 正に噂をすれば影、というやつである。

 

「失礼いたします、コルベールです。学院長、少しお話が……」

 

 

「……ふうむ、話は分かった」

 

  一通りの事情説明を受けたオスマンは、水パイプを机に置くとコルベールの後ろに控えている問題の2人の方に目をやる。

 

ルイズは、コルベールの説明の間ずっと緊張した様子でもじもじと落ち着かなさそうにしていた。

 一方ディーキンの方は、物珍しそうにあちこちをきょろきょろ眺めては羊皮紙にメモなどをとっていた。

 なおロングビルは内密に事を運びたいコルベールが話の前に席を外してくれるよう頼んだために、またモートソグニルはオスマンの命を受けて密かにロングビルの後を追ったために、既にこの場にはいない。

 

「まあ、ミス・ヴァリエールもそこの使い魔君も、互いに合意したというのであれば契約を無理強いはできんのう。なあに、彼女らの言うとおり、契約なんぞ多分に形式的なものに過ぎん。その後の交流こそが大切じゃ。互いに良きパートナーとなれる自信があるのであれば、せんでも一向に構わんよ」

 

「し、しかしですな! オールド・オスマン、私が心配しているのは……」

 

「わかっておるよ、コルベール君。君が案じるように、慣例に反することによって起こる問題もいろいろとあろう。あとで後悔するようなことがあってはいかん、ここはひとつこの4人で心ゆくまで話し合って、みなの納得がいく結論を出すとせんかの?」

 

 君らさえよければわしはいくらでも付き合うぞ、とオスマンは請け負った。

 学院のつまらない定期会議などよりもよほど有意義であろうし、どうせ暇だったのだから。

 

 オスマンがそういうと、ディーキンはちょっと手を止めてコルベールの後ろから顔をだし、首を傾げた。

 

「オオ、おじいさんはいいことをいうね。それにあんたってまっ白で長いヒゲで、何だかエルミンスターみたいだよ」

 

 それを聞いたオスマンの動きが、ぴたりと止まる。

 

「………なに? 今、何といったかね?」

 

「ンー? もしかしてあんたはおじいさんだから、耳が遠いの? あんたはエルミンスターみたいに見える、って言ったの。それか、ええと……、ガンダルフだかガンダウルフだかいう人にも似てるかもしれないね」

 

 ディーキンは本の挿絵で見たことしかないが、みな優れた魔法使いで白いヒゲが立派な人だったことは覚えている。

 

「ねえ、そういえばそのヒゲっていうのは人間とかドワーフとかがたまに顔につけてるけど、一体なんのためにしてるの? 年寄りの有名な魔法使いに見えてカッコいいからとか?」

 

 そんな大した意味もない雑談に対して、なぜかオスマンが黙り込んで真剣な目で見つめてきたのでディーキンは首を傾げた。

 そうしてしばし黙り込んだオスマンの代わりに、今度はルイズが後ろから口を出す。

 

「ちょっとディーキン、学院長に対して失礼なことを言うんじゃないわ。何だか知らないけど、あんたの話は後で聞いてあげるから、今は黙ってお二人の話を聞いてなさい!」

 

 いくら契約をしないといっても、自分が召喚した以上は彼の言動の責任はこちらにもある。

 あまり場所と立場をわきまえない行動は慎んでもらわねばならない。

 

「アー、ええと……、ごめんなの。でもディーキンにはおじいさんに失礼をはたらく気はなかったよ。ディーキンは思ったとおりを言っただけなの。今のって失礼なの?」

 

 エルミンスターはフェイルーンでは誰もが知る高名な魔法使いであり、偉大な魔法の女神ミストラの“選ばれし者”でもある。

 あのハラスターさえ凌駕するであろう、おそらくフェイルーン最強の魔法使いと言われているのだ。

 ここでは知られていないのかもしれないが、彼の名はトーリルの外にある多くの次元界やいくつかの別宇宙にすら鳴り響いているらしい。

 エルミンスターに似ているといわれれば、普通はむしろ褒め言葉だろう。

 

 もっともディーキンはエルミンスターが格別偉い人だとかすごい英雄だとは考えていないので、割と軽い気持ちでそういっただけなのであるが。

 いくら強くても、理由はどうあれ肝心な時には別の若い英雄任せで後ろに引っこむお年寄りは今一つ英雄的だとはいえないというのが、英雄譚を専門とする一介のバードとしてのディーキンから彼に対する評価なのだ。

 

 むしろディーキンとしては、彼は強大な魔法使いというよりも多くの面白い本の著者だという印象を持っている。

 彼の著作にはかの“災厄の時”に後の魔法の女神ミストラとなった女性ミッドナイトが活躍した話をはじめ、壮大な実話の冒険物語がたくさんある。

 

 それに彼自身の体験談……、というか旅行記の類にも、楽しく興味深いものが多い。

 

 中でも、異世界へ旅してそこで出会ったどこぞの『編集者』とやらにフォーゴトン・レルムの事を語って聞かせたという話が最近のお気に入りだ。

 それは別宇宙の事を伝えてくれる数少ない物語で、実に面白かった。

 マウンテンデューとかいう飲み物が美味かったとか、パソコンとかいうものがどうだとか、しょっちゅう脱線していてよく理解できない部分も多かったが。

 

 その世界でも、きっと編集者のまとめた本を通じて、エルミンスターの名は有名になっているのだろう。

 最近ボスのお供として少しは有名になったと思うし、もしかすると自分もその世界で多少は名が知られたりしているかも……、と密かに期待している。

 まあ、その世界には魔法使いが基本的にいなかったらしいので、ここがその世界だという線はまずなさそうだが。

 

(……あれ?でも別の宇宙っていったら、ええと……)

 

 ディーキンはふと、ボスとの冒険を通じて出会ったある人物の話を思い出した。

 そう言えば、仲間としてアンダーダークやカニアを共に旅してきたティーフリングのヴァレンも、元々は別の宇宙に住んでいたと言っていた覚えがある。

 彼の生まれ故郷は“大いなる転輪”と呼ばれる異なる宇宙にある、無数の物質界や次元界に通じるポータルを有する“シギル”という次元都市だったらしい。

 

 かつて別世界の物語などを聞いたり読んだりした時には自分には縁のないスケールの違う話と思っていたが……。

 何時の間にか身近な事象になっていたらしいことに、ディーキンは今更ながらに気が付いた。

 実際優秀な冒険者ともなれば、別の次元界は勿論別宇宙からの来訪者に遭遇したり、自身がそれらを行き来したりするのも、然程に珍しい事ではないらしい。

 

(ウーン、そういえばガンダルフだかガンダウルフだかいう人もどこかよその世界で有名な魔術師なんだったかな?)

 

 彼らのことは、本の挿絵でちょっと見ただけだが……。

 あれは、どこで読んだ本だったか?

 

(……ンー、そういえば、ここも別の宇宙とかかもしれないんだよね。もしかして、ここの事が書かれた本も、エルミンスターの別の世界の旅のお話とかで読んだことがあったかも。ええと……)

 

 そうやって自分の記憶を手繰っているところに、オスマンから声を掛けられる。

 

「構わんよミス・ヴァリエール、わしは別に気にしてはおらん。むしろ、君の召喚した亜人との会話は非常に有意義なものになりそうじゃ。……あー、亜人君。君の名はディーキンというのかね?」

 

「そうなの、ディーキンはディーキンなの。えーと、あんたの名前はオールド・オスマンでいいんだよね?」

 

「うむ、皆にはそう呼ばれておるが、“オールド”は通称のようなものじゃよ。わしの名はオスマンじゃ、よろしく頼むぞディーキン君」

 

 好々爺然とした笑みを浮かべるオスマンに対してディーキンも一旦思考を切り上げると、にこやかに(コボルド的には、だが)笑い返してお辞儀をする。

 

「こちらこそよろしくなの、オスマンおじいさん。ここはいいひとばっかりだから、ディーキンはすごく嬉しいよ!」

 

 ディーキンは実際、先ほどからかなり機嫌が良かった。

 

 英雄として名が知られた今のウォーターディープは別としても、それ以前ではコボルドだという事でいきなり追われたり攻撃されたりした経験ばかり。

 いくらこちらが友好的に接触しようとしても、まともに話を取り合ってもらえたためしがほとんどない。

 当然召喚される先でもそういった扱いを受けるだろうと予想し、また時間を掛けて自分の事をわかっていってもらうのだと決心して召喚のゲートをくぐった。

 

 なのにここでは今のところルイズもコルベールも、そしてこの偉そうな老人までがみんな自分を追い払うどころか、まっとうな相手として扱ってくれている。

 それがまったく予想外のことで、多少拍子抜けもしたがディーキンはとても嬉しくなっていた。

 ルイズなどはまあ気の強い貴族の少女らしく、多少高慢な態度ではある。

 だが、これまでの人生で暴虐な主人に脅かされたり問答無用で追い回されたりが続いていたディーキンにとって、そんな程度は問題外である。

 

 普段のディーキンならこんな時は嬉しさを表現するべくリュートを弾くか鼻歌でも歌い出すかするところだろう。

 しかし、ここに召喚されてからディーキンはまだ一度も演奏をやっていない。

 演奏などしたら真剣に考えてくれている他の人たちの邪魔になるだろうと考えて、空気を読んで大人しくしている……。

 と、いうのもないわけではないが、主な理由としては単にひっきりなしに羊皮紙にメモを取っている状況なので歌っている暇も無いというだけである。

 

「ええと……、それで、これから話し合いをするんだよね?」

 

「そうじゃ。君らもソファーにでも掛けたまえ。悪いが秘書がおらんので、茶は自分で入れてもらえるかの……。さて、ではまず、契約をせんことでどういった問題がありそうか。見落としがあってはいかん。各々、思いついたことを書き出していくことから始めるとするかな」

 

 オスマンは羊皮紙を何枚かとペンを手に取ると、皆を促して来賓用テーブルを囲むようにソファーに座り、臨時の会議を始めた。

 

 

 話し合いは、各参加者が気付いた問題点を提示していき、それらに関して順に議論する形で進められた。

 

 まず、正規の契約をしないと使い魔としての特殊能力や感覚の共有が得られず、お互いの不利益になるという点。

 これに関しては、ディーキン・ルイズともにお互いの立場の尊重のためにはその程度のデメリットは仕方がないという事で、おおむね意見が一致していた。

 

 ルイズの方には、生まれて初めて魔法を成功させたのだから最後の契約まで済ませてその成果を噛みしめたいという、決して軽くはない願望があった。

 だが、メイジとして使い魔の意思を尊重し、良好な関係を築いていくためには止むを得ないと既に割り切っていた。

 また、元々ディーキンの能力にはさほど期待していなかったために、感覚の共有が無い事で偵察や護衛に差し障ることは大した問題とは考えなかった。

 

 ディーキンの方としても、使い魔として感覚を共有するということがどういうものなのかという興味はあった。

 だがそれは単純な好奇心であって、自分やルイズの将来と天秤にかけるようなことではないため、特に執着はしていなかった。

 一方で、使い魔としての能力が備わらないことでルイズの不利益になるという点に関してはかなり申し訳なく思っていた。

 だがそれも、不利益を埋め合わせられるよう偵察も護衛も自分の力の及ぶ限り真面目に務めると約束して、ルイズがあっさりと合意したことで決着はついた。

 

 オスマンとコルベールも本人たちが納得しているなら特にそれ以上の問題になりそうな話ではないため、すんなり承認した。

 ただし、周囲には正規の契約を済ませているものとして振る舞うように、と言い添える。

 

 ルイズは最初虚偽を貴族らしからぬこととして潔しとせず、契約できなかったことは事実なのだから自分は嘲笑を受けても気にしないと言って反対した。

 しかし、正式な使い魔でないと知られてしまえば自分が笑われるというだけでなく亜人を野放しにした学院側も非難を受けかねないと指摘されると、渋々ながら納得して、その条件に合意した。

 

 ディーキンの方は最初事情がよく分からず、なぜそうするのかを不思議がった。

 だが、ルイズが渋い顔で自分が魔法を使えないことを言葉少なに説明し、またコルベールに使い魔でない亜人を学院に居させては問題だと言われて納得した。

 もっとも、コボルドが嫌われるのは当然としても、強力な召喚のゲートを生み出したルイズがろくに魔法を使えないというのは……。それはディーキンにとっては、別の意味で非常に不思議だったが。

 

 

 ともあれ、その件についてはそれで片が付いたとみなし、4人は別の問題に移った。

 次はコルベールが案じていた、ルーンが無い事がいずれ知られてしまえば、正規の契約を済ませていないと露見してしまうという点。

 

 これにはいろいろな意見が出たが、最終的にはディーキンが精巧に偽装した偽のルーンを体のどこかに付けておけばまず露見しないのではないかと提案した。

 下手に隠せば詮索好きでルイズに悪意を持っている生徒らに勘ぐられるかもしれない。

 だが、目の前にルーンが見えていればかえってそれ以上は気にも留められないだろうと考えたのだ。

 

 それに対してコルベールは、刺青やペイントでは本物と比べて不自然さが残り、観察力の鋭いものやディテクト・マジックの呪文は誤魔化せないと指摘する。

 特に、トライアングルクラス以上の優秀なメイジであればディテクト・マジックを使わなくとも魔法の気配の有無くらいは触れれば分かるものだ。

 

 それを聞くとディーキンは少し考え込んだが、ふと気が付いたように荷物から一本の巻物を取り出す。

 以前の冒険でたまたま入手した《秘術印(アーケイン・マーク)》のスクロールを持っていることを思い出したのだ。

 

「なら、これを使って魔法のルーンを刻めばいいんじゃないかな? これなら使い魔のルーンっていうのがどんな感じかを見せてもらえれば、見た目だってそっくり同じように作れるよ」

 

 そこでルイズが、驚いたような顔をして横から口をはさんだ。

 

「ちょ、ちょっとディーキン。あんた今、いったいどこからその巻物みたいなのを出したの?」

 

「? どこって……、ディーキンの背負い袋の中のスクロールケースだよ」

 

「背負い袋って、あんたそんなのどこにも持ってないじゃない! それに、魔法のルーンを刻める巻物って一体何よ、それ? 何でそんなマジックアイテムを、あんたみたいな亜人の子どもが持ってるの?」

 

 見ればコルベールも、ルイズと同様にやや驚いたような顔をしていた。

 オスマンは年の功なのかさして驚いたふうではないが、それでも興味深そうにはしている。

 

「……アー、そうだったね。忘れてたの、今説明するよ」

 

 ディーキンは自分が《変装帽子》を着用して自身の翼や荷物袋、武器などを見えなくしていたのをやっと思い出した。

 そこでルイズらに説明するため、頭に着けていた小さな指輪型の角飾りを外す。

 

 するとたちまち幻覚が解けて角飾りは元の変装帽子に戻り、ディーキンの姿も一変した。

 ベースはコボルドのままだが背中からは赤みがかった竜のような翼が生え、先ほどまでは隠されていた背負い袋などの携行品も姿を現す。

 

 それを見た他の3人は一様に目を丸くして……。

 続いて、当然のごとくディーキンに対する質問攻めが始まった。

 

 その巻物や帽子は一体なんなのか?

 何故そんな高度なマジックアイテム類を亜人の子どもが、それもいくつも持っているのか?

 どうして自分の姿形や武器などを今まで隠していたのか?

 その翼といい、さっき言っていたドラゴンの血を引いているというのは本当なのか?

 もともと疑わしかったがその姿でコボルドというのはどういうことなのか?

 ……………

 

 3人からかわるがわる質問を浴びせられたディーキンは、予想より随分と大きな反応に困惑しながらも可能な限りそれに答えていった。

 提案の方はすっかり棚上げされてしまったが、この機会にと自分の方からも疑問に感じた点を問い返したりする。

 そうして、ある程度お互いに関する理解を深めることができた。

 

 まず、この帽子は着用者の姿形を若干変更する幻覚を纏うごく低級のマジックアイテムであり、巻物の方も使い捨ての低級呪文を発動するだけのものであって自分の居た都市では店で売っていること、値段もそう高くないということを説明していった。

 何故持っているのかという件についても、自分は冒険者なので巻物などは冒険中によく遺跡などで見つけたりもするし、帽子は人間の街に出入りすると亜人なので騒がれることが多いため、騒ぎを起こさずに歩きたい時のために購入したのだと素直に事実を伝えた。

 

 それを聞いたオスマンが流石は先住魔法だといい、コルベールがいや彼の魔法はそれとは違うらしいと訂正し。

 ルイズもまた、先住でなくても亜人の魔法は凄いのねなどと、感心したように呟いたりしていた。

 それらの反応を見て、どうやらこちらでは幻覚は高度な魔法らしいとディーキンも察する。

 

 どうやら彼らと自分達とでは、思った以上に魔法の体系に違いがあるようだ。

 

 《変装(ディスガイズ・セルフ)》の呪文を発動する程度のマジックアイテムで、彼ら専業のメイジが感心しているのも意外だったが……。

 何よりもスクロールを知らないらしい様子であることが、ディーキンには驚きだった。

 スクロールはもっともありふれたマジックアイテムのひとつであり、ウィザードが新たな呪文を覚えるためには無くてはならないものなのだ。

 一般人でも知っているような品をメイジが知らないとなると、いよいよここは別の宇宙か何かなのではないか。

 好奇心の面からも、また戦いなどになった場合に備える意味でも、できる限り早くこちら側の魔法について詳しく学んでおこうとディーキンは心に決める。

 

 また、「そもそも冒険者とは何か」ということも質問されたが、ディーキンとしても厳密な定義などあるのかどうかもよく知らないので、返答に困った。

 少し考えた上で、それは言葉通り“冒険をする者”であると……、すなわち各地を放浪してさまざまな仕事を請け負ったり、自ら遺跡を探索したりすることで生きる者たちの総称なのだと答えておいた。

 

 ついでに「ある人物を英雄と見込んで彼のお供としてそれまで仕えていた主人の下を離れ、冒険者のバードになった」という経緯も一緒に話しておく。

 その後世界の危機を救っただの、地獄の大悪魔を倒しただのという件については……。それはもう、ちっぽけなコボルドが話して信じてもらえるわけもないことくらいよくわかっているので、今のところは伏せておいた。

 この目で見たボスの武勇、偉大さ、他にも出会った素晴らしい人々の事を、ルイズ達にもみんな知ってもらいたいという惚気たような思いはある。

 だがそれは、いずれまた機会を見て伝えることもできるだろう。

 もっと信頼を得て互いによく知りあってからでも十分だと自分に言い聞かせて、もどかしい気持ちを押さえ込む。

 

 他の質問に関しては、お互いになかなか言わんとするところが伝わらなかった。

 

 だが、オスマンの主導で順に一つずつ疑問点を確認していった結果、重要な新事実が判明した。

 すなわちお互いの認識に食い違いがあり、こちらとフェイルーンとではコボルドと呼ばれる人型生物の種類が違っているらしいということである。

 

 ルイズらの話を聞く限りでは、こちらのコボルドは犬の頭を持つ人型生物らしい。

 フェイルーンの認識でいえばコボルドというよりはむしろ、小柄なノール(ハイエナの頭を持ち身長7フィート半ほどもある邪悪な人型生物)に近い。

 そこでディーキンは、自分の住んでいたフェイルーンではコボルドは僅かにドラゴンの血を引いている爬虫類型の亜人であること、

 そして自分はその中でも特にドラゴンの血が濃いために翼が生えているのだということを説明する。

 また、変装をしていたのはそのように特別な外見なので召喚者を驚かせてしまうのではないかと心配してのことであり、話がややこしくなるかと思って今まで言い出せなかったが悪意はなかったと伝えた。

 

 教師2人は、ディーキンの長い話が終わると納得がいったように頷いた。

 

 コルベールはディーキンの話は嘘ではないと確信していた。

 彼には召喚された最初から今まで嘘をついているような様子は全くないし、嘘だとすると自分達が今まで見たこともないマジックアイテムの説明がつかない。

 オスマンは、それに加えてある別の理由からも、ディーキンが嘘を言っていないと悟っていた。

 

 一方、ルイズはいくら使い魔を信じるべきだといってもこんな突拍子もない話が果たして本当だろうか……と半信半疑だった。

 

(……なんでオールド・オスマンやミスタ・コルベールは、こんなに簡単にこいつの話を信じられるのかしら。そりゃあ、話の筋は通ってるみたいだし、嘘つきにも見えないけど……、いきなりそんなおかしな所から来たって言われても)

 

 ルイズが疑ったのは彼女の無知ゆえではなく、むしろ今までの人生で得た常識と、努力して積み上げてきた知識があるからこそである。

 話の筋は通るし証拠となる品も見せられたのだから、事実なのではないかという気持ちはあるし、自分の使い魔である彼を疑いたいわけでもないのだが……。

 ディーキンの話はあまりに彼女の常識や知識からかけ離れていて、すぐさま全面的に受け入れられるようなものではなかったのだ。

 

 ルイズはまた、この話の展開にいろいろと複雑に入り混じった思いを抱いてもいた。

 もちろん使い魔の思いがけない能力や素晴らしい所持品には喜んだのだが、ルイズは自分の魔法で他のメイジと同じように空を飛ぶことがひとつの夢だった。

 ディーキンが空を飛べると知ると、契約して感覚を共有できれば疑似的にでも空を飛べたのになあと、改めて残念に感じたのだ。

 だがしかし、それを先に知っていれば自分は契約に関してもっと食い下がっただろうし……、そうなると今こうして友好的にしているディーキンとの関係を台無しにしまっていたかも知れない。

 だからむしろ先に知らなかったことは幸いだったのだ、それに感覚の共有はできなくても空を飛べるなら偵察や採集などの有用性は上がるではないか……。

 

 とまあ、そう自分に言い聞かせはするものの、残念なものは残念である。

 それに事情があったとはいえ使い魔に隠し事をされていたことは不本意ということもあり、ルイズは少しばかりもやもやした気分になっていた。

 

(……まあ、今はいいわ、それよりも……)

 

 ルイズは気分を切り替え、是非とも聞いておきたかった質問を口にする。

 コルベールも、それとほぼ同時に質問した。

 

「……ねえ、あんたのその帽子って、誰にでも使える?」

 

「なあ、君。も、もしや、その背負い袋の中には……、まだ他にも、私達の知らないマジックアイテムが入っているのでは!?」

 

 2人とも、何かをすごく期待しているような顔だ。特にコルベールの勢いがスゴイ。

 ディーキンはその様子にややたじろいだが、帽子は誰でも使える、自分の荷物袋の中にはまだたくさんのマジックアイテムが入っている、と質問に答えた。

 というか、そもそも背負い袋やスクロールケース自体も魔法の品であるし、ディーキンが身に着けている武具の類も軒並みそうである。

 むしろ《変装帽子》などよりも、自分が今身に着けているそれらの武具の類の方が遥かに高等で高額なマジックアイテムなのだが……。

 

 ディーキンは内心首を傾げた。

 この感じからするとコルベールは、未知のマジックアイテムについて並々ならぬ関心があるらしい。

 その彼が、何故か武具の類にはろくな関心を示さず、マジックアイテムかどうかを尋ねもしないのが少々気になったのだ。

 

 実際のところその理由は、彼が関心を持っているのは未知の技術についてであって、別に高価なマジックアイテムだからというわけではないからだ。

 武具の類はたとえマジックアイテムであろうと、技術的にはあまり面白い点もないだろうと考えているのである。

 それに加えて文化的な面から言えば、ここハルケギニアでは平民が使うような武具の類は軒並み軽んじられているという点も大きい。

 

 しかしそのあたりの事情を知らないディーキンは、もしかするとこちらの方ではこういった品はありふれているので珍しく感じないのかも、と想像していた。

 だとすれば、しかるべき店に行けば、強力な武具の類が安く手に入るかもしれない。

 こちらの方で自分が持っている貨幣などがどのくらい通用するかはわからないが、機会があり次第どこかで武器屋を覗いてみよう、と心に決めた。

 

 さてそこで、ディーキンの返答に目の色を変えた2人(特にコルベール)がさらに問い詰めようとするのを、横合いからオスマンが制する。

 

「こら、待たんか。2人とも、脱線はそこまでじゃ。正直言ってわしも興味はあるが、今は議題が先ではないかね?こんな調子では日が変わってしまうわ。後でゆっくり話せばよかろう!」

 

「あ……、す、すみませんオールド・オスマン。……その、使い魔とはいえあんたはいずれ帰るわけだし、自分で買ったものなら渡せとは言わないけど……。ただ、その帽子を後でちょっと貸しなさい! 約束よ!」

 

「……むう、残念ですがその通りですな。しかし、今度は是非その品々について教えてくれ。君の居たところについても詳しく! 約束ですぞ!」

 

 2人とも最後まで名残惜しげにしていたが、ともあれ中断していた議題に戻る。

 

 結論としては、ディーキンの提案が通る形となった。

 図書館から古今東西の使い魔のルーンが記された事典を貸出し、それを元にディーキンが自分の体のどこかに適当なルーンを入れて、第三者には正規の契約を済ませたものとして通すという事で決着したのだ。

 

 何も本当に体にルーンを入れなくても、その変装帽子で偽装すればいいのではないか……?

 という意見も出たが、帽子は常に身につけっぱなしというわけにはいかない。

 ディーキン自身も、自分はいつもこの帽子を被っている気はない(頭には他に装備したいものがあるのだ)といったためにボツとなった。

 

 

 その後も、契約しなかった場合に考えられる細々とした問題点を並べ出し、それに対する解決策を提案し合い、折に触れてディーキンの話を聞き……、と言った具合で、議論が続けられた。

 

 ようやく全員がひとまずこれでよしと合意したときには、既に夕食の時間も過ぎてしまっていた。

 そこで皆で食堂へ向かって余ったものを適当に食べさせてもらった後、コルベールが図書館の鍵を開けて古いルーンの本を探し出し(ディーキンは図書館の大きさと、そこにある物凄い本の数とに感嘆していた)、最後に議論の結果を簡単に再確認して、解散となった。

 

 話こそ長引いたものの、結論としては、

 

『正規の使い魔と同様に働き問題を起こさない限りは、いくつかの点で口裏を合わせたりルーンを偽装したりさえすれば何とかなるだろう』

 

 ということで無事にまとまり、皆ほっとしていた。

 

 なおディーキンは図書館へ寄った際、自分はこのあたりの事に疎いので勉強したいからと説明して入館許可をオスマンから取り付けておいた。

 本も早速十数冊ほど借りて背負い袋に収め、至極ご満悦である。

 今は、ルイズの私室に2人揃って戻ってきたところだ。

 

「いろいろあったけど、どうやら片付いたわね。……にしても、今日は疲れたわ」

 

「ゴメンなの。お詫びにディーキンは、ルイズの肩を揉むよ。……ウーン、でも背が届かないみたいだから、ルイズがちょっとしゃがんでくれたらね」

 

「ありがと、でも別にいいわ。あんたが悪いわけじゃないし、謝ることもないわよ。……ところで。契約してないとはいえあんたは使い魔になったんだから、いい加減に私の事はちゃんとご主人様って呼びなさいよ」

 

「ウーン……、それなんだけど、ディーキンには昔“ご主人様”って呼んでた相手がいたの。だからどうも、ルイズの事はそう呼びにくいんだよ。どうしても昔のご主人様を思い出すからね」

 

「ああ……、そういえば、ドラゴンに仕えてたとか言ってたわね。あんたがどこに住んでたのかは知らないけど、韻竜がまだ生きてて亜人の子がそれに仕えていたなんていまいち信じられないわね。いや、別にあんたのことを疑うわけじゃないんだけど、想像できないっていうか……」

 

 ルイズは先ほどの議論の際にディーキンから、『冒険に出る前のご主人様は白いドラゴンで、自分は彼からバードの技を教わった』という話を聞いていた。

 だとすればそれは、ハルケギニアの基準から言えば韻竜(言語を理解し先住魔法を操る、知能の高いドラゴン)ということになるが……。

 既に絶滅したという韻竜がまだ生きていて亜人の子に楽士の手ほどきをするなどとは、あまりにも荒唐無稽でとてもではないが信じる気にはなれなかった。

 

 かといって彼が悪い亜人で無い事は確信しているし、総合的に見ればいい使い魔を引いたとも思う。故意に嘘をついているとも思わない。

 では先ほどからの“ありえない”話は何なのかと考えてみて……。

 英雄と冒険したなどという話といいもしやこの亜人の子は自覚なしに嘘をついている、つまり妄想の気でもあるのではないか、とルイズは思い始めていた。

 

 まあ、妄想というだけでは実際に素晴らしいマジックアイテムを持っている事などは説明がつかないし、一部は真実もあるのかもしれない。

 先ほどの呪文やその見た目からは大して強いとは思えなかったものの、ドラゴンの血を引いているとか英雄と冒険したというのがもし事実だとしたなら、自分の予想に反して実は強いのだろうか。

 そう期待して、尋ねても見た。

 

 だが、ボスの方が自分よりずっと強く、彼はいろいろな事が出来るが主に武器を持って戦う戦士だという返答を聞くと、やはり大したことはないと諦めた。

 主に武器で戦うという事は平民か、メイジだとしても剣より頼りにならない魔法しか使えない程度の腕前ということ。

 魔法の力に比べれば、武器に頼って戦うものの強さなどたかが知れている。

 例えそのボスとやらがよほど強い戦士で、俗にいうメイジ殺しの類だったとしても、せいぜい経験の浅い並みのメイジになら勝てる程度が関の山のはずだ。

 英雄だというのも、世間知らずの亜人の子どもが抱いた憧れからくる過大評価に違いあるまい。

 

 だがディーキンとしても、今はまだ嘘だとしか思ってもらえないであろう大きな話をするのは控えようと事前に考えていた。

 それで心酔する偉大なボスの活躍や自分のわくわくするような経験の数々を語り明かしたいのをぐっとこらえ、内容を選んで話したつもりだったのだ。

 しかるにルイズにとっては、それでもなお信じられるレベルではなかったようだ。

 ここでもまた、お互いの認識の違いによる誤解が発生していたのである。

 

 ディーキンとしては、フェイルーンのコボルドがドラゴンの血を引いていることは既に話したのだから、昔の主人のことくらいは話してもいいと考えていた。

 

 フェイルーンでは竜と言えば通常は真竜(トゥルー・ドラゴン)の事を指す。

 彼らは主に善なる金属竜(メタリック・ドラゴン)と邪悪なる色彩竜(クロマティック・ドラゴン)とに分かれるが、稀にはそれら以外の真竜もいる。

 ワイヴァーンやドレイク、ドラゴン・タートルなどの真竜でないドラゴンは通常、亜竜と呼ばれている。

 そしてホワイト・ドラゴンは色彩竜の中で最も小柄で知能の低い、真竜の中では最弱の種のひとつとして知られている。

 ゆえに、今ならば、主人がホワイト・ドラゴンだったという程度のことは話が大きすぎるとは思われまい……、と踏んだのだ。

 

 もっともディーキン自身は、今でも彼……タイモファラールは自分より強いと思っているし、ましてや弱いとか愚かだとは全く考えていないのだが。

 彼は比較的若く怒りっぽい竜だが、単に力があるとか頭が切れるということだけでは測れない強さ・賢さを持っていることを、傍で見て知っているからだ。

 ディーキンは今でも彼を恐れているが、同時に自分にただのコボルドとは違う道へ進むきっかけを与えてくれた主として感謝してもいる。

 

 一方、ルイズの認識はそれとはまったく違う。

 

 ハルケギニアにもドラゴンはいるが、フェイルーンのそれとは種類や性質が全く異なっている。

 フェイルーンでいうところの真竜として扱われている火竜や風竜にせよ、ワイバーンなどの亜竜にせよ、それらはハルケギニアでは使い魔でもない限りは普通の獣並みの知能しか持っておらず、当然言葉も解さない。

 言葉を話すのは既に絶滅したと言われている韻竜と呼ばれる種だけで、それは最強の妖魔とされるエルフと同等かそれ以上と目される存在である。

 そんなとんでもない、しかも既に滅びたはずの伝説上の存在に師事したなどと言われても誇大妄想かホラ話の類としか思われないのは無理もない。

 

 ハルケギニアの基準で見れば、フェイルーンの真竜は例外なくみな韻竜ということになるだろう。

 

 最も知能が低いとされるホワイト・ドラゴンでさえ、誕生直後のワームリング段階で既にドラゴン語を話せるだけの知能がある。

 それがアダルト段階に達すれば少なくとも並みの人間程度には賢くなり、更に年を経れば、人間ならば天才的と呼びうるほどの知性を得るのだ。

 最も知能が高いゴールド・ドラゴンともなれば、誕生直後でさえ既に並みの人間の賢者を凌駕するほどに高い知性を有する。

 それどころかワイヴァーンなどの亜竜でさえ殆どの種が通常の動物とは明らかに一線を画する知性を備えており、言葉を解することも多い。

 ついでに言えば、フェイルーンではエルフも人間の街を普通に歩いているし、別に人間と敵対などもしていない。

 

 先程の話し合いで相互の認識の食い違いはいくらかは改善されたものの、まだまだ互いに確認しなければならないズレは多いようだ。

 もしディーキンが自制せずに、ボスはドロウ(ダークエルフ)の軍勢を破り、地獄へ送られて悪魔の群れと一戦交え、さらには巨大なドラゴンや、ゴーレムの群れや、ヴァンパイアの教団などとも戦った、まさしく神話級の英雄である……、などと正直に話していたら。

 間違いなく、完全な妄想狂だと断定されてしまっていたことだろう。

 

 さておき、そんなお互いの認識のズレやルイズの内心などは露知らず。

 ディーキンは首を傾げて、あれこれ思案していた。

 

「いや、ディーキンはルイズにウソなんかつかないの。……ウーン、それで、ルイズの事はなんて呼べばいいかな? ディーキンにはボスももういるしね……、髪が桃色だから“ピンクレディー”とか? ああそうだ、“ステキ女性”っていうのはどうかな。いいと思わない?」

 

「……あ、あんたねえ……」

 

 ルイズはこめかみを押さえて首を振ると、内心で溜息を吐いた。

 見た目に反して賢いかと思っていたが、やっぱりこの亜人は何かずれている。

 

(妄想じみたことも言うし……、それともフェイルーンとかいう場所のコボルドは、こういうのが普通なのかしら?)

 

「……やっぱりルイズでいいわ。忘れてちょうだい。もういいから、話を変えましょう。……ねえ、そういえばほら、あの帽子、貸してくれる?」

 

「アア、そうだったね……。でも別にディーキンはその帽子をそんなに使わないから、必要なときだけ貸してくれるならルイズにあげてもいいよ?」

 

 ルイズは帽子を受け取ると、もじもじしてディーキンを見つめた。

 

 彼女が変装帽子を貸してほしがったのは、単に平面を増量してみたいとか、憧れの下の方の姉の姿に……、とかいったごくありきたりな理由である。

 とはいえ、いくら相手が使い魔で亜人の子どもとはいっても、そんな姿を見られるのは気恥ずかしかった。

 

 今すぐしたいのは山々だが、見られたくはないし……彼もこういってくれているのだからいつでもできるだろう。

 それに今はもう眠いし、明日一人になった時にしようとルイズは決めて、一旦帽子を返す。

 

「こんな凄いもの……、いえ、あんたの故郷では凄くないのかもしれないけど、とにかくちゃんと契約したわけでもないのに受け取れないわ。ちょっと興味があって使ってみたいだけだし、こっちから頼んだ時に少し貸してくれればそれでいいわよ」

 

「そうなの? ウーン、ルイズがそういうなら。じゃあ、もう遅いから明日の朝また来るね。おやすみなの、ルイズ」

 

 ディーキンはそういうと、ルイズにちょこんとお辞儀をしてから部屋を出ていこうとした。

 ルイズはそれを見て、目を丸くする。

 

「ちょ、ちょっと。どこいくのよ?」

 

「ン……? ええと、ディーキンはここに来たばかりだから、部屋が無いのは知ってるよね。もう遅いしこのあたりは宿もなさそうだから、どこか外で寝るところを探すの」

 

 それを聞いたルイズは、呆れたような顔をした。

 

「……何言ってんのよ、あんたは私の使い魔になったんだからここで寝ればいいじゃないの。まあそりゃ、ベッドは空きが無いし、翼とかが生えてるあんたが使うのかも知らないけど……、部屋の床でも野宿よりはいいでしょ? 毛布はもし無ければ貸してあげるけど、あんたは冒険者だとか言ってたし、背負い袋の中に持ってそうね」

 

 ディーキンはその言葉を聞くと、驚いたようにまじまじとルイズの顔を見つめた。

 次いで、自分が今いる部屋をきょろきょろと見回す。

 非常に豪華な内装が施された貴族的な私室だ。

 ウォーターディープでもこんな高級そうな宿には泊まったことがない。

 今では英雄の身になったとはいえ、ウォーターディープは未だメフィストフェレスによる破壊から立ち直りきっておらず、難民があふれかえっている。

 そのためボスは宿を難民に譲って街道で野宿することも多く、ディーキンもそれに従っているのだ。

 

 フェイルーンでは大体2sp(銀貨2枚)も払えば、粗末な宿になら泊まれよう。

 その場合は暖炉の傍の床で他の客と並んで寝ることになる……、まあ宿の主人に気に入られれば、ノミだらけの毛布くらいは貸して貰えるだろうが。

 5spほど払えば、もっと身分のいい客と同室で一段高い暖房された床に、毛布と枕を使って眠れる。

 寝台のある個室が欲しいのならば、一泊当たりまず2gp(金貨2枚、銀貨20枚相当)は払わなければならない。

 今いるような豪奢な部屋で、しかも床とはいえ上等の毛布までつけてもらうのには、一体いくらかかるだろう。

 

 自分は使い魔にされるとは知らなかったとはいえそれと知って召喚に応じたのであって、別に異世界から拉致されたとかいうわけではない。

 つまりルイズに養ってもらって当然という立場ではないし、むしろ先程無理な要求を受け入れてもらった分負い目がある。

 よって当然、使い魔として貢献し、対価として最低限日常の糧くらいは要求していい立場になれるまでは野宿をし、食事も自分で用意するつもりでいた。

 

 使い魔になるということで互いに合意したとはいえ、まだ彼女のために何の仕事をしたわけでもないというのに。

 彼女はこんな良いところで、薄汚れたコボルドの自分を寝泊まりさせてくれるというのか?

 自分は、ウォーターディープの英雄になる以前には金のあるなしに関わらず追い回されて、まともな宿など望みようもない生活が続いていたというのに。

 加えて先程も、食堂で自分にも無償で高級そうな食事をさせてくれたし……。

 貴族にとっては余り物とのことだったが、あの食事だって宿で食べれれば一日あたり軽く5spかそこらは取られるだろう。

 

 ディーキンの中では、ルイズに対する評価がグングン上昇していた。

 

 今のところ彼にとってルイズは性格のキツイ高慢な少女などではなく、文句なしで優しい良い女の子であった。

 いや彼女に限らず、自分のために夜遅くまで話し合い続けてくれた2人の教師といい、本当にここはなんていいところだろうとディーキンは軽く感動していた。

 

「……本当に、その、こんないいところで寝てもいいの? ありがとうなの、ルイズ。あんたはすごく、すごーく優しい人だよ! ディーキンはルイズのために仕事するし、歌を作るし、まだどんな筋書きになるかわからないけど、きっと本にも書くからね!」

 

「ふ、ふふん? そんなに感謝しなくても、主人として使い魔に当然与えるべきものを与えただけよ? まあその、あんたの気持ちはありがたく貰っておくけど、働くのは明日からでいいわ。……ふぁ……、もう遅いし眠いわ、あんたももう寝なさいよ」

 

 ルイズの方は、使い魔からの過剰なほどの感謝にやや当惑しつつも得意げに胸を張ると、ひとつ欠伸をする。

 

 それからディーキンに洗濯ができるかを問い、明日の朝自分の下着を洗うように言いつけるとネグリジェに着替えて明りを消し、ベッドにもぐりこみ……。

 じきに、すやすやと寝息が聞こえ始めた。

 

 ディーキンはそれを見届けると、物音でルイズを起こさないよう気を付けながら、暗闇でこれからの思案と作業を始めた。

 ルイズの気遣いは嬉しかったが、せっかくこんなに面白そうな場所に呼び出されたのに、まだろくに何も分かっていないうちから寝るつもりはなかった。

 コボルドには暗視能力があるので、たとえ明りが消えていても問題なく作業ができるのだ。

 

 

 そのころ、オスマンは自身の寝室で酒を傾けながら、物思いにふけっていた。

 今酒を入れているのは、かつて出会った奇妙な魔術師からもらった、不思議な器だ。

指で強く押すと簡単にへこむ薄い金属の円柱形の容器で、読めない文字らしきものが描かれている。その魔術師が言うには、異界の文字であるらしい。

 もらった当初は酒ではなく、奇妙に舌を刺激する、それまでに味わったことのない美味な甘い飲料が入っていたのだ。

 

「……あの亜人は、お主と同じ世界から来た者なのか? さりとて、お主の使いというわけでもないようだったが……。彼に聞けば、お主の事が少しは知れるかの……、なあ、エルミンスターよ」

 





アーケイン・マーク
Arcane Mark /秘術印
系統:共通; 0レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:接触、最大1平方フィート内に収まる印やルーン
持続時間:永続
 術者はこの呪文で、どんな物質にも傷をつけることなく自分のルーンや印を刻むことができる。ルーンや印は6文字以内でなければならない。
書いた文字は可視状態にも不可視状態にもでき、不可視にした場合ディテクト・マジックの呪文を使えば光って可視状態になる。
リード・マジックの呪文は、文字が単語を成していればそれを明らかにする。
印を解呪することはできないが術者の意志かイレイズという呪文によって除去できる。
生きている存在にも記せるが、その場合にはゆっくりとかすれてゆき、約1ヶ月で消えてしまう。
バードの呪文ではないが、〈魔法装置使用〉と呼ばれる技能を用いることでスクロールやワンド等のマジックアイテムから使用することが可能である。

大いなる転輪:
グレイホークという物質界を内包するD&D標準の宇宙観。
フォーゴトン・レルムは同じD&Dでも大いなる転輪とは異なる宇宙観における世界であるが互いに接続があり、共通の魔法を使ったり、たまに行き来する者もいる。
D&D3版系と同じd20システムで判定するゲームには、メジャーどころではd20モダンやd20クトゥルフなどがある。
現代兵器やクトゥルフのモンスターとD&D冒険者で戦うことも、逆に現代人でD&Dモンスターと戦うこともできるわけだ。
キワモノとしてはd20スレイヤーズ、d20ヘルシングなどといったものもある。
なおフェイルーンの有名人であるエルミンスターは地球にやってきたことがあり、公式に地球とD&D世界には接続がある。
したがってゼロ魔とD&Dをリンクさせた場合、ハルケギニア・D&D世界・地球それぞれに繋がりがあることになる。

大魔法使いエルミンスター:
レルムの魔法の女神・ミストラに選ばれた者として生まれたという、まるで日本のラノベみたいな設定の公式チートキャラ。
おそらく3版系の時代におけるフェイルーン最強の人間で、既に千数百年も生きている。
なお、マウンテンデューが好きというのはD&D公式設定である。
米国のサポート雑誌は「レルムの世界の秘密を、次元移動能力で登場したエルミンスターから聞いて作者がまとめた」と言う設定になっている。
ただし彼がそれをフェイルーンの方で本に書いたとかディーキンがそれを読んでいるという点は本作の捏造である。
ただ、高レベルのバードは強力なウィザードの幼少期のアダ名などといったトリビアルなことを普通に知っている。
したがって、ディーキンなら地球やハルケギニアの事をどこかで小耳にはさんだことがあってもさほど不思議ではないと思われる。
……というか、NWN原作中でも、ドナルド(某夢の国のアヒルの方)をどこかで見知っているらしい会話があったりする。

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