Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第五十四話 Story of poet

「……はぁ、天使って、本当にいたのねえ。

 この前もシエスタが天使の血を引いているとかディー君から聞いたけど、正直言って眉唾だと思ってたわ」

 

騒ぎを聞きつけてルイズの部屋に押し掛けたキュルケは、簡単に事のあらましを説明してもらうと、そう言って感嘆の溜息を吐いた。

ルイズも珍しく、キュルケの来訪に嫌そうな顔をするでもなく、同意の頷きを返す。

 

この前は2人とも、シエスタは実は天使などという御伽噺の中の存在ではなく、亜人の血でも引いているのではないかと疑っていた。

だが、ラヴォエラを目の前で見てみると、確かにこれは翼人などではなく天使だと信じざるを得なかった。

 

別に、2人が実際に翼人を見たことがあるというわけではない。

それでも、ラヴォエラが単なる亜人とは明らかに異なる存在であることくらいは分かった。

 

まず、身長が明らかに違う。

翼人は人間とほぼ同程度の背丈だが、ラヴォエラは2メイルを優に超すほどの長身だった。

 

しかも彼女は、自分の美貌や肉体に絶対の自信を持つキュルケでさえ認めざるを得ないほど、美しい顔立ちとしなやかな肉体を持っている。

エルフも美男美女揃いとは聞くが、彼女からは何か、ただ美しいというのとは違う、この世ならざる高貴さのようなものが感じられるのだ。

 

そして何よりも、ラヴォエラの体はその内なる力によって清浄な光を放ち、仄かに輝いていた。

そんな亜人がいるとは思えない。

 

「そうなの? じゃあ、私と同じね。

 私も初めて物質界に来るまでは、あなたたちみたいな地上の人間のことは、お伽噺の中の遠い存在みたいに感じていたのよ。

 天上のランタン・アルコンや英霊の人たちが、元は地上の別の生き物だったなんて、すごく不思議だったわ。

 私も、遠い昔には地上の人間の魂だったことがあるのかしら……」

 

ラヴォエラはシエスタが用意してくれた茶菓子などをつまみながらそう言って、楽しげに目を輝かせると朗らかに笑った。

彼女はまだ経験の浅い若いデーヴァであり、目新しい地上の世界やそこに住む人々に、とても惹かれているのだ。

 

ルイズらは最初、相手が天使ということでどう対応していいものか分からず、いささか緊張気味だった。

しかし、人間とさほど変わらずごく親しみやすい彼女の雰囲気や態度を見て、程なく打ち解けたようだ。

 

シエスタも、最初は非常に恭しい態度だったのだが、ラヴォエラが困惑しているのを見て、普通の貴族に対するのと同程度の対応に改めた。

以前にディーキンから、天使は崇拝されることを求めないものだ、と聞いたのを思い出したのであろう。

 

「あの……、ええと。アルコンとか英霊っていうのも、すごく気になるけど……。

 あ、あなたは、ディーキンとは、その……、どういう関係なの?」

 

ルイズはしばらくもじもじと躊躇った後、そう切り出した。

 

そりゃあ、自分の使い魔がいきなり代役とかいって天使を連れてきたりしたら、気になって当然だろう。

自分の使い魔は、天使などという存在と、一体どういった関係にあるのか。

 

ラヴォエラは、ちょっと決まりが悪そうに自分の翼を弄りながら、その質問に答える。

 

「ええ、彼は……、私の恩人の一人よ。

 以前、初めての地上での任務に……、その、失敗して。

 悪者に捕まってしまったところを、彼と、彼の仲間たちが助けてくれたの」

 

「へえ……。天使でも、失敗したりやられちゃったりすることってあるのね」

 

キュルケが悪気なくそう言うと、ラヴォエラは若干拗ねたように頬を膨らませた。

 

「わかってるわよ、あの時の私って本当に未熟で、惨めな失敗者だったわ。

 けど……、自分のメイスもこうしてちゃんと取り返したし、翼だってもう元通りに治ったんだし。

 ディーキンたちと一緒に、あの後すごくたくさんの悪をやっつけて……、そこは立派にやったつもりなんだから!」

 

その反応に、キュルケは肩を竦めて苦笑する。

 

「ごめんなさい、別にあなたを責めようとか、そんなつもりはないのよ。

 ただ、私は天使って、もっとこう……、なんていうか。人間っぽくない感じかなって、思ってたもんだから」

 

そこで、シエスタが口を挟んだ。

 

「あの、天使の方が捕まってしまうような相手って、何者なのですか?

 先生は、そんな相手とも戦われたんですか?」

 

その質問に、ルイズとキュルケも興味を惹かれたようにラヴォエラの方を見つめた。

 

彼女が実際にどれほど強いのかは知らないが、天使だというからには相当の実力者ではあるのだろう。

そんな存在が不覚をとる相手とは、一体何者なのか?

そして、それほどの相手に対して立ち向かえるほど、ディーキンや彼の仲間たちは強いのか?

 

「ああ、それは……、えっと、ちょっと待って。

 天上では、見ない相手だから、名前が……。でも今、思い出すから……」

 

ラヴォエラは頭に手を当てて、しばらく記憶を探る。

 

「……そう、思い出したわ!

 ヴィクススラという名の、邪悪な竜不死王(ドラコリッチ)に率いられた、吸血鬼(ヴァンパイア)の教団よ」

 

それを聞いたルイズらは、一様にぎょっとしたような顔になった。

ドラコリッチとやらは知らないが、もう片方の名称には彼女らも聞き覚えがある。

 

「き、吸血鬼の……」

 

「教団?」

 

吸血鬼は、ハルケギニアでも広く知られ、恐れられている存在である。

 

単純な力なら、巨体を誇るトロル鬼やオーク鬼のほうが上回るし、先住魔法の使い手としてなら、エルフのほうが勝っている。

だが吸血鬼は、外見上人間と見分けがつかない。

陽の光を浴びれば肌が焼けるが、吸血に用いる牙は普段は引っ込めておくことができる。

しかも人間の血を食料とするために、別に人間と関わる必要性のない巨人やエルフとは違い、頻繁に人を襲う。

それらの特徴から、“最悪の妖魔”とまで呼ばれているのだ。

 

もっとも、当のルイズらにも、またラヴォエラにも、今は知る由もないことではあるが……。

ルイズらの想像しているハルケギニアの吸血鬼と、フェイルーンの同名のそれとは、明らかに別種の存在であった。

 

フェイルーンの吸血鬼は妖魔ではなく、死体が新たな負の生命力を得て甦った、アンデッドと呼ばれる自然ならざる活動体の一種だ。

フェイルーンでは、そもそも妖魔という概念は一般には使われていない。

そしてハルケギニアでは逆に、アンデッドという概念は知られていないのである。

 

ただ、どちらの世界においても吸血鬼は非常に恐れられる、強大な存在であるという点では共通していた。

 

「ええ、そうよ。ああ、情けないけど、私一人で倒すには強すぎる相手だったの……。

 任務と関係のない、そんな連中のところになんか、迷いこまなければよかったんだけど……。

 でも、最後にはみんなに協力してもらって邪悪を滅ぼせたのだから、よかったと言うべきなのかしら?」

 

ラヴォエラが若干きまり悪そうにそう言うのを聞いて、ルイズらは顔を見合わせた。

吸血鬼の教団などというものは聞いた事もないが、天使である彼女がまさか、嘘をついているとも思えない。

 

「そ、その……。教団って、どのくらいの吸血鬼がいたの?」

 

ルイズの問いに、ラヴォエラはまた考え込んだ。

 

「さあ……、数えてはいなかったけど、何十人かはいたと思うわ。

 それに、相手は吸血鬼だけではなかったの。

 あいつらは、捕まえた私から血を抜いて、それをエネルギーに利用して……、骨のゴーレムを、たくさん作りだしていたのよ!

 他にも、従僕や護衛の魔物がたくさんいたわ。それに、ドロウも何人かいたかしら……」

 

「ドロウ?」

 

「ええ。知らないの? 地下に住んでいる、肌の黒いエルフよ。

 ロルスという邪悪な女神を崇めていて、地上に住む親戚のエルフたちとも敵対しているらしいわ」

 

「…………」

 

予想を遥かに超える話を聞かされて、ルイズらはしばし、呆然としていた。

 

何十人の吸血鬼と、たくさんのゴーレムに、その他の怪物。

さらには“最強の妖魔”とされるエルフさえ恐れるという、黒い肌のエルフ。

そして、何者かは知らないがそれらすべてを束ねる、ドラコリッチとかいう化物……。

 

「そ、そんなとんでもない連中を相手に戦えるほど、ディー君の仲間の人たちは強かったの?」

 

キュルケの言葉に、ルイズははっと我に返った。

 

「そ……、そうよ! ディーキンの“ボス”って、剣で戦う戦士なんでしょ?

 そんなので、それだけの連中を相手になんて……」

 

他の仲間のことはあまりよくは知らないが、チームのリーダー役がディーキンの“ボス”だったということは聞いている。

ハルケギニアの常識から言って、剣で戦う戦士などがリーダーを務めるチームが、そんなに強いとは信じがたかった。

 

しかし、ラヴォエラはあっさりとキュルケの問いに頷きを返す。

 

「ええ。ディーキンの仲間はみんな、本当に強かったわ。天上でも、あんなに強い人は少ないでしょうね。

 並み居る邪悪の軍勢をものともせず、相手がゴーレムでもドラゴンでも武器ひとつで正面から戦って、堂々と討ち倒してしまうのよ!」

 

まるで自分のことのように誇らしげに彼らの武勲を語るラヴォエラの笑顔を見て、ルイズらは言葉を失った。

 

もし、本当にそんなことができるとしたら、まるで御伽噺の『イーヴァルディの勇者』ではないか。

あるいは、かつて『烈風』と呼ばれた自分の母親のような、“伝説級”の英雄か。

 

これまではてっきり、ディーキンが憧れから過大評価をしているのだろうとばかり思っていたが……。

 

「それに、なにも彼の仲間たちだけじゃなくて……。

 ディーキンだって、強かったわよ?」

 

ラヴォエラのその言葉にまた3人の少女たちは我に返って、今度はディーキンのことを代わる代わる尋ね出した。

ラヴォエラには隠す理由もなく、ディーキンが話しても信じてもらえまいと思って伏せていた叙事詩的な冒険行の話を、色々と語っていく。

 

どうやら今日は、彼女らが朝食を食べるのは、だいぶ遅れそうだった……。

 

 

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ラヴォエラがルイズらを相手に、ディーキンの華々しい武勲を語っていたのと、ちょうど同じ頃。

 

ガリアへと向かうシルフィードの背の上で、ディーキンは何事かをじっと考え込んでいた。

ちなみに、ラヴォエラから返却してもらったエンセリックは、今は他に仲間たちから用意してもらった品物類と一緒に荷物袋の中である。

 

やがて意を決したように顔を上げると、前の方で本を開いているタバサに声を掛けた。

 

「ねえ、タバサ」

 

「……何?」

 

タバサは読んでいた本を閉じると、ディーキンの方に向き直った。

 

彼女にしては、相当に珍しいことだ。

普通なら完全に無視するか、本も姿勢もそのままで返事だけするかだった。

 

先程の決闘の折の一件で落ち込んで、いささかしおらしい態度になっているのだろう。

もちろん、相手がディーキンだから、というのも大きいだろうが。

 

「…………」

 

タバサはちらちらと顔を上げてディーキンの方を見たり、また顔を伏せたりを繰り返しながら、彼の話を待った。

 

今は彼の顔を見るだけでも辛い気持ちになるが、その一方で、彼と話をしたいとも思う。

彼は、先程のことで私に何か、説諭でもするつもりなのだろうか。

それとも、目的地までの慰みにまた何か、物語や歌でも披露してくれるつもりなのだろうか。

あるいは、先程の天使とか、彼女から渡された品物等について、何か解説でも……。

 

「ええと、その……。タバサはさっき、自分は英雄じゃないから、恥ずかしいところは見られたくないって……、言ってたよね?」

 

ディーキンは、何か困ったような様子でもじもじとリュートの弦を弄りながら、ためらいがちに話し始めた。

 

「ディーキンは、決してタバサに嫌な思いをさせたいわけじゃないし、女の子に恥をかかせたいとも思わないの。

 でも……、タバサに今、ついていかないわけにはいかないんだよ」

 

デヴィルが関わっているかもしれぬ以上、タバサを一人で行かせることは、絶対にできなかった。

 

それは、彼女の実力を信じていないからではない。

ただ、誰であろうと悪魔の誘惑に絶対に屈しない人間などはいないし、一人では彼らとは戦えないと知っているだけなのだ。

タバサがもし、デヴィルと戦うことになったなら、自分の力は必ずや役に立つはずだ。

 

とはいえ、タバサの望まぬ同行を強引に認めさせたことは、いささか申し訳ないとは思う。

 

なにか、その埋め合わせをしたかった。

そして、自分なりに一生懸命考えた結論は……。

 

「だから、ディーキンは自分がまず先に、恥ずかしい話をしようかと思うの。

 おチビのディーキンが昔、どんなに情けないことをやっちゃったか、ってことをね」

 

「……あなたの、昔の話……?」

 

「そうなの。ディーキンは昔、ぜんぜんダメな、ちっぽけなただのコボルドだったよ。

 でも、今は英雄の仲間で、ちゃんと冒険者としてやれてるの。

 それを聞いてもらえば、きっとタバサは、自分のことなんかちっとも恥ずかしくないって、そう思えるはずだよ」

 

「…………」

 

内心、そういう問題ではないとは思いながらも、タバサはその話の内容が気になった。

 

「きゅいきゅい! お兄さまの昔のお話? しかも恥ずかしいやつ?

 すごく聞いてみたいのね! 聞かせて聞かせて!!」

 

2人を背に乗せたシルフィードも、話の内容を聞きつけて口を挟んできた。

ディーキンは、決まり悪そうに頬を掻く。

 

「イルクも聞くの? ウウン……、ええと。

 じゃあ、まず、ディーキンがコボルドの洞窟に居て、前の“ご主人様”から最初に呼び出された時の話をするよ……」

 

それからディーキンは、昔の自分のことを語り始めた。

 

コボルドの洞窟で、他の大勢のコボルドたちと一緒に生まれたこと。

仲間たちの気性に馴染めず、臆病で怠け者の落ちこぼれだと思われていたこと。

ある日、部族の主人である白竜のタイモファラールの目に留まって、急に呼び出されたこと。

恐ろしさのあまり、彼が指一本でも動かす度に何度も地面に這い蹲って許しを請い、終いには耳元で怒鳴られて失神したこと。

そして、どうにかまともに彼と話せるようになるや、族長にするために魔法や何かの訓練をさせられたこと……。

 

「ディーキンがちっちゃいとき、よくネザー山脈のオークが、コボルドの洞穴を襲撃してたの。

 それで前のご主人様は、腹を立てて……。オークを追っ払える、偉大なコボルドの魔法使いを育てることにしたんだね」

 

成程、小柄なコボルドがオーク鬼のような相手を追い払うには、魔法を使えなければ無理だろう。

オーク鬼は、訓練を積んだ人間の戦士5人分とも言われる力を持っているのだから。

タバサはそう考えた。

 

実際には、フェイルーンのオークはハルケギニアのオーク鬼とは別の種族である。

 

ハルケギニアのオーク鬼は、身の丈は2メイル、体重は標準の人間の優に5倍はあり、知能が低い野蛮な人食いの亜人である。

対してフェイルーンのオークは、身長、体重共に屈強な人間と大差ない程度で、人間との混血も可能である。

概して野蛮で攻撃的な種族ではあるが、部族単位で父系制の文明社会を築いており、ごく稀に近隣の人間と友好的な関係を結ぶ場合もある。

 

「おチビのディーキンは、あんまりいい生徒じゃなかったよ……。やるべきことには、熱心じゃなかったの。

 でも、読書は好きだったけどね。前のご主人様の本は、みんな読んじゃったよ。

 いろんな場所の、話や絵がのってる本だったの!」

 

ディーキンはその時に読んだ本から、自分が生まれてからずっと過ごしてきた洞窟の外にも、世界があることを知った。

コボルドの仲間が教えてくれる以外の見方で、世界を見ることも知った。そして、コボルドが他の種族からは、どう思われているのかも。

 

そして何よりも、偉大な英雄の物語の数々に、心を惹かれた。

 

「次にオークが襲撃してきたとき、ディーキンは前のご主人様に、魔法を習得してもいないのに戦わされたんだよ。

 でもディーキンは、務めを果たさなかったよ。他のコボルドが殺されてる間、たるの中に隠れてたんだ……」

 

タバサは、それを聞いて内心、とても驚いた。

 

この、何事にも物怖じしない亜人が。異種族である人間ともすぐに親しみ、危険を冒して助けようとする亜人が。

同族が殺されているときに、自分の務めを放り捨てて、逃げ隠れしていたとは。

 

だが、そんなものなのかも知れない。

 

自分も、最初の任務の時は……。

失敗すれば自分ばかりか母までも破滅することになるというのに、怯えて逃げ惑うばかりであった。

追い詰められた時、最後まで戦おうともせずに、諦めて死の安らぎに逃げようとした。

その時に、自分を助けて戦うことを教えてくれた女性、狩人のジルと出会っていなかったら、今の自分はなかったのだ。

 

そう考えると、ディーキンに対して抱いていた劣等感や胸の痛みが、少し和らいだ。

代わりに、幾許かの共感と親しみを覚える。

彼も、自分と同じように苦しんだことがあったのか、と。

 

「後でその事を知った、生き残った仲間は、怒って……。

 ディーキンに、死ねって言ったの」

 

仲間たちが怒ったのも、当然だろうとは思う。

 

あの時自分が隠れたのは、死ぬのが怖かったからだ。それは、否定できない。

大体、魔法も覚えていない自分がただ義務感に駆られて仲間の指揮をとっても、何の役にも立たない。無駄死にだ。

 

だが、それだけが理由でもなかった。

 

自分は、主人の元で初めて本を読んだ。コボルドの世界の外に、もっと大きな世界があることを知った。

その世界を何も知らないまま、暗い洞窟で死ぬのかと思うと、やりきれない気持ちになった。

外の世界には、“本当の英雄”がいることを、せっかく本で知ったのに。自分には、彼らと会う機会もないのか。

そして、自分自身が英雄になる機会も、ないのか。

 

それに、コボルドの神カートゥルマクが説く教え、彼が約束する来世での栄光。

そんなものは、他の種族にとっては何の魅力もないことも知った。

カートゥルマクは、コボルドはひたすら部族のために働き、ドラゴンに奉仕し、他の種族から略奪して生涯を送れという。

 

今、自分たちが戦っているオークとてそうだ。

彼らの神グルームシュの教えの、なんと野蛮で身勝手な事か。

グルームシュは、オークに自分たちの正当な所有物、すなわち世界のおよそありとあらゆるものを、力づくで奪い取れという。

 

自分は、偽りの名誉を掲げる野蛮な自分の種族のために、偽りの名誉を掲げる野蛮な敵の種族と戦い、真実の欠片もなく死んでいくのか。

それが、本当に正しいことだろうか?

 

そんなはずはないと思った。

どうせ死ぬのなら、そんなことのために戦って死ぬよりは、戦わずに殺される方がましだと思った。

だから、後で仲間や主人に殺されるであろうことがわかっていても、戦えなかったのである。

 

それでいて、洞窟の外に逃げ出すほどの勇気もなかった。

とどのつまりは、やはり自分は臆病だったのだろう。

 

「……でもね、前のご主人様は、死ぬなっていってくれたんだ。

 隠れるとは、ディーキンは頭がいいけど勇敢じゃない。ディーキンは、族長には向かないけど、面白いってさ。

 それで、ご主人様はディーキンを魔法使いにするのはやめにして、バードにすることにしたんだよ」

 

まったく、恥ずかしい話だとは思う。

親しい相手にでなければ、とても話せやしない。

 

それでも、これは自分にとっては忘れられない、とても大切な出来事だった。

 

結局、あの時自分の取った行動が、今の自分の人生を決めたのだから。

あの時、諦めて流れに身を任せていれば、自分は戦いで死に、形ばかりの名誉を与えられて、すぐに忘れ去られていただろう。

タイモファラールがその行動を認めてくれていなければ、バードになる事もなかったはずだ。

 

「……。私も、最初は逃げた。

 あなたにばかり話させるのは、不公平」

 

タバサは、一度も誰にも話したことの無かった自分の最初の任務の話を、なぜかディーキンに聞かせたくなっていた。

もちろん、母のことなど、まだ伏せておきたい部分は端折ることになるだろうが。

ディーキンもシルフィードも、興味深そうに耳を傾ける。

 

そういえば朝食を用意していなかったと彼らが気付くのは、まだだいぶ先のことになりそうだった……。

 


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