Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第三話 Greeting

 

 コルベールはこほんと咳払いをすると、ぱんぱんと手を鳴らして、延々と騒ぎ続けている生徒らの注意を引いた。

 

「こらこら、そんな風にむやみに他人やその使い魔の悪口を言ってはいかん。貴族はお互いを尊重し合うものだし、使い魔はメイジと一心同体の存在だ。珍しい使い魔を見て騒ぎたい気持ちはわかるが、そろそろ静まるように」

 

 それから、ルイズの方に向き直る。

 

「ミス・ヴァリエールも、召喚したばかりの自分の使い魔をいつまでも放っておくのは感心できないな。級友と戯れるよりも先に彼との契約を済ませなさい。時間も押しているし、いい加減にしないと次の授業が始まってしまうじゃないか」

 

「あ……、は、はい。すぐに済ませます」

 

 その言葉でやっとまだ契約を終えていないことを思い出したのか、はっとしたルイズが気まずそうに小走りでディーキンの元に戻ってくる。

 ディーキンの方はというと、周囲の会話を聞きながらきょろきょろとコルベールとルイズを見比べて、首をかしげている。

 

「ああ、その……、ちょっと待って?」

 

 自分の傍に屈み込んで顔を近づけようとしていたルイズを、ディーキンが手を広げて制止する。

 

「……何よ? ちょっと大人しくしてなさい、早く契約をすませないと」

 

「ああ、ごめんなの。その、ディーキンにはよくわからないけど、その契約とかの前に、ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけど……」

 

 そういいながら、ちらりとコルベールの顔を窺う。

 

「ううむ……、少しだけなら構わないが、一体何が聞きたいのかね?時間が無いので後で済むことならそうしてほしいのだが、どうしてもというなら手短に頼むよ」

 

「ありがとう、大丈夫なの、すぐに済むよ。ええと、まず……、話からすると、もしかしてあんたたちはディーキンを使い魔にするためにここへ呼んだの?」

 

 契約を制止されたルイズの方は、それを聞いてムッとしたような顔になった。

 これ以上教師の不興を買わないようさっさと契約を済ませようとしているのに、一体この使い魔はいまさら何をわかり切った事を聞いてくるのか。

 

「そうよ、当たり前じゃないの! あんた、召喚の鏡を潜ったんだから、わかっててここに来たんでしょ? 何をいまさら聞いてるのよ。……あと、ちゃんとご主人様と呼びなさい、いいわね」

 

「いや、ええと……。ディーキンは誰かが呼んでることはわかってたけど、使い魔にするためとは知らなかったの。……ウーン、本当にコボルドを使い魔にするの? ディーキンは、その……、コボルドの使い魔って、だいぶ変わってると思うんだけど……」

 

 そのやりとりを聞いて、一旦は静まった生徒らの間からまたくすくすと嘲笑の囁きが漏れ出す。

 

「おいおい、ルイズの奴、自分の使い魔にまで変わり者扱いされてるぜ」

 

「流石使い魔だ、主人のことはよく分かるんだな!」

 

「使い魔の自覚がゼロだなんていい子ねえ、ゼロのルイズにはお似合いだわ!」

 

 それを聞いたルイズの頬にかあっと赤みが差し、目の前の小さな使い魔を睨みつける。

 

「ぐっ……、この、あんた、おかしなこと言って主人に恥をかかせるんじゃないわよ! 誰も好きであんたみたいな妙な……、コボルドだかを、選んだわけじゃないわ。そっちが自分で鏡から出てきたんじゃない。何よ、いまさらになって……、まさか使い魔にされるとは知らなかったから、私に仕えるのが嫌だっていうんじゃないでしょうね!?」

 

 睨まれて怒鳴るような声で詰め寄られたディーキンは、ややたじろいで弁解する。

 

「ああ、その……、ごめんなの! ええと、そんな気はなかったの。ディーキンは、あんたの使い魔になる事は……、たぶん、構わないけど……、いくつか、確認しておいた方がいいと思って……」

 

「……何よ、確認って? この上まだ何を知りたいっていうのよ?」

 

 コルベールはそのやり取りを聞きながら、どうやらこれはまだ時間が掛かりそうだと内心で溜息をついた。

 そして話を後にするよう急かしてさっさと済ませるべきか、それともお互いの納得がいくまで話を続けさせるべきかと思案する。

 

 これが普通の使い魔なら早くしろと急かすところだが、この風変りな亜人が完全に無害だとはまだ言い切れまい。

 本人が納得しないうちに強引に制約させては機嫌を損ねて問題を起こすかもしれない。

 それに、これは実技では失敗続きだったミス・ヴァリエールにとっても初めての魔法の成功で、大切な使い魔召喚の儀だ。

 少しばかり急かしたがために悔いの残る結果になったなどということにはしてやりたくないし、ここはもう多少遅れても仕方ない。

 先に他の生徒だけ戻らせておけば自分とミス・ヴァリエールが多少遅刻する程度で済む。

 

(それに、これ以上周りで騒がれて一層終了を遅らせられるようなことになっても困るな)

 

 そう頭の中で考えをまとめると、ルイズ以外の生徒には先に戻って次の授業に出席するよう指示し、解散を命じた。

 それを聞くと、生徒たちはみな互いに談笑したりしながら呼び出したばかりの使い魔を連れてさっさと学院に戻っていった。

 ルイズと使い魔の遣り取りを囃し立ててはいたものの、大半の生徒は延々とルイズの失敗に付き合わされて内心退屈しきっていたのである。

 ディーキンは使い魔を伴って学院の方に飛んで行った生徒たちの方をじっと見て少し首をかしげていたが、じきにルイズの方に向き直って話を続ける。

 

「……アー、その、ディーキンは使い魔っていうと動物とか魔獣とか、竜とか、そんなのだと思ってたの。それに、あんたたちはディーキンみたいなのを見たことないって言ってたし、他にはディーキンみたいなコボルドはいなかったでしょ?」

 

 ディーキンの知る限り、“使い魔”というと通常はウィザードやソーサラーなどのメイジが連れているものだ。

 ハルケギニアでは系統魔法の使い手のことをメイジと呼ぶが、フェイルーンで単にメイジといえば秘術魔法の使い手である魔道師全般のことを指す。

 カラスやフクロウ、カエルに黒猫、イタチ、蛇、蝙蝠に鷹など、色々な種類の、さほど大型ではない動物がメイジたちの使い魔になりえる。

 

 優秀な術者であれば、ただの動物以外の強力な使い魔を連れている場合もある。

 善良なフェイであるフェアリーや、恐ろしい異形として広く知られているビホルダーの親類であるアイボール。

 元素の世界からやってきた来訪者であるメフィットに、地獄に住む邪悪で獰猛なヘルハウンド。

 あるいは小型の竜であるスードゥードラゴンや、フェアリードラゴン(“ボス”の師匠のドワーフが、この妖精もどきの竜を使い魔にしていた)など……。

 

 使い魔の種類はさまざまで、中にはディーキンの知らない珍しい使い魔だってあり得るのだろう。

 しかし、それにしてもコボルドを使い魔にするというのは、ずいぶん変わっていると思わざるを得なかった。

 

 彼らはウィザードやソーサラーなどとは違う変わった種類のメイジで、コボルドのような生き物でも使い魔にする習慣があるのかもとも考えた。

 しかし先ほどからの周囲の反応や連れている生き物たちを見た限りでは、どうもそうではなさそうに思える。

 先ほど去って行った生徒らが連れていた使い魔(多分そうなのだろう)は、おおよそが動物か魔獣に分類されるであろうものばかりだった。

 まあ見覚えのない種類の生物が多かったし、ビホルダーやアイボールに似ていなくもない目玉などの異形に分類されるのかもしれないものも混じっていた。

 ディーキンの知る限りではちょっと使い魔にはなりそうもない、大きな竜などもいた。

 だがコボルドのような人型生物らしきものは、その中にもやはり見当たらなかった。

 

「ええと……、つまり、もしかしてディーキンを呼ぶつもりはなくて、ここに呼ばれたのは何か間違いとかだったのかもって思ったの。だからまず、本当にあんたは使い魔がちっちゃなコボルドでもいいのかって、ちょっと確認しておきたかったんだよ」

 

 ルイズはディーキンの説明を聞き終えると、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「何言ってるのよ、良いも悪いも、召喚のゲートから出てきたのがあんただったんじゃないの! あんたは知らないのかもしれないけどね、召喚する生き物は術者の属性にあったものがでてくるけど、その種類まで細かく選ぶことはできないの。だから出てきた相手を使い魔にするしかないのよ、たとえあんたがコボルドだろうと妙な亜人だろうとね。私だって、そりゃ選べるものなら、ドラゴンとかを呼ぼうと思ってたわよ!」

 

 ディーキンはその返答を聞くと、まじまじとルイズの顔を見つめた。

 

「……ええと? ……アー、その、ディーキンの聞き間違いじゃないかな? その、あんたはドラゴンが呼びたくて……、それで召喚したらディーキンが出てきたって、そう言った?」

 

 ルイズはこの使い魔は一体何が言いたいのかと怪訝そうな顔をして、少し考え込む。

 

「……まあ、そうよ。そんな風に願ってたわ。でも、ちゃんと仕えてさえくれれば別にあんたが使い魔なことに不満があるってわけじゃないから、そこは勘違いしないで」

 

(ンー……、ドラゴンを呼ぼうとして……、ディーキンを召喚した?)

 

 その言葉は、ディーキンにとってはちょっとした驚きだった。

 

 ディーキンは昔、一度だけ、前の“ご主人様”から『お前にはドラゴンの血が色濃く流れている、だから強いのだ』と言われたことがあった。

 その時は、よく意味が分からなかった。

 自分はドラゴンのように大きくないし、炎や冷気を吹いたりもしない。第一、自分が強いとはとても思えない。

 当時の自分は臆病だったし、それを差し引いても一族の中で一番強くもなかっただろう。族長の方が、当時の自分よりはまだ強かったはずだ。

 

 だが、洞窟を出てボスと初めての冒険を成功させ、一人旅に出て、以前よりも成長するにしたがって……。

 ディーキンは、自分に奇妙な変化が起きていることに気が付いた。

 

 たまに、おかしな夢を見るようになった。

 夢の中の自分は空を飛び、食べるための牛を探していた。本当に強くて、怒りに駆られていて、口から吐く息は硫黄の匂いがした。

 目が覚めると、コボルドは爬虫類であるはずなのに、皮膚が熱くなっていた。

 そんな夢を見た後で人間を目にすると、このちっぽけな種族め、という嘲笑めいた気持ちが心の中に湧き起ってくることがあった。

 普段の自分は絶対にそんなことを考えないし、第一自分の方が人間よりもずっと小さいというのに。

 やがて、ディーキンは昔ご主人様に言われた言葉を思い出した。

 もし、自分が彼のようなドラゴンに……、大きく、強くなって、空を飛べて、いろいろな事が出来るようになれるとしたら?

 

 後にウォーターディープでボスと再会してアンダーマウンテンへの冒険に踏み出す前に、ディーキンは自分は時折自身をとても強いと感じること、そしてそれは自分の中に流れるドラゴンの血のためだと思うことを明かし、それを目覚めさせる訓練をしてみたいと話してみた。

 ボスはそれに、理解と賛同を示してくれた。

 そして、その後のアンダーダークや“九層地獄(バートル)”での激しい戦いを通して、ディーキンはドラゴン・ディサイプルとして訓練を重ねたのだ。

 

 ドラゴンのように大きくこそならなかったが、訓練を続けるにつれて自分自身が確かに変わっていることをディーキン自身も感じていた。

 爪と牙はずっと鋭く、ウロコは硬く丈夫になっていった。

 力が驚くほど強くなり、体も頑丈になった。

 あらゆる感覚が非常に鋭くなり、目で見なくても周囲にいる生き物の所在がはっきりと掴めるくらいになった。

 心なしか頭も冴えて、竜のような威厳が――ほんの少しだけ――備わった気がした。

 コボルドは変温動物のはずなのに、体の中がかあっと熱くなってきて、口から火を吹けるようにもなった。

 翼が生え、空を飛べるようにさえなった。

 そして、ある時ついに、自分の中で何かが決定的に変わったように感じた。

 

 かの九層地獄の第八層・カニアの支配者であるアークデヴィル、メフィストフェレスは、最後の戦いの前にディーキンに話しかけてきた。

 最初は、何故ちっぽけなコボルドなどに地獄の大悪魔が話しかけるのかと疑問に思った。

 驚いたことに彼は自分を強大なドラゴンだといい、甘言で自分の仲間に寝返らせようとしたのだ。

 お前は偉大なドラゴンであるのにどうして脆弱な人間に従っているのか、今のお前は以前主と呼んでいたホワイト・ドラゴンなどよりも遥かに強い、と。

 その言葉は魅力的だったが、もちろんディーキンは拒絶した。所詮は自分を寝返らせるための戯言に過ぎないとも思った。

 

 ボスをはじめとする仲間たちも『お前は自分がどれだけ強いのかわかっていないだけだ』といい、自分の強さを認めてくれていた。

 だがそれでも、自分が本当にドラゴンになったなどとは半信半疑で、ましてやそれほど…、以前の主よりも強くなれたなどとはとても信じられなかった。

 

 しかし、目の前の少女はドラゴンの使い魔を望み、そして自分を召喚したという。

 ならば自分は……、今でもちっちゃなコボルドだけど、それでも確かに、ドラゴンになったのかもしれない。

 そう考えてみると、じわじわと嬉しさと自信が湧き上がってきた。

 

「……ンー、ニヒヒヒ。よくわかったの。ディーキンを呼んでくれてありがとうなの、ルイズ。それなら、ディーキンはちっぽけなコボルドだけど、ドラゴンの血だって流れてるからね。少しはルイズの期待にも応えられると思うよ」

 

 そういって、ルイズに感謝の意を示すように丁寧にお辞儀をする。

 

「ふうん? 亜人はメイジに召喚されることの名誉なんて感じないのかと思ってたけど、ちゃんとわかってるみたいじゃないの。いつまでもご主人様と呼ばないのは気に入らないけど、その感心な姿勢に免じて許してあげるわ」

 

 ルイズは胸を張ってそう宣言すると、次いで眉をひそめてじろじろとディーキンの姿を観察する。

 

「……だけど、何? あんたにドラゴンの血が流れてるって?」

 

 そりゃあコボルドだとかいう割に、この子はワニかトカゲっぽい顔だし。

 なんだか角も生えてるし、少しは似てないこともないけど……。

 

「あんたみたいなちっちゃい亜人が、その何十倍も大きなドラゴンの血を引いてるわけがないじゃないの。気を使ったつもりなのかもしれないけど、人前であんまりおかしな事は言わないでちょうだい。クラスメートがさっきみたいにうるさいんだから!」

 

「ンー………?」

 

 ルイズの言葉を受けて、ディーキンはまた首をかしげた。

 どうもさっきのコルベールといい今のルイズといい、妙な反応……というか、話がかみ合わない感じがする。

 コボルド自体を知らないというわけではなさそうだが、コボルドの割にトカゲっぽいとか、ドラゴンの血を引いてるわけがないとかいうのはおかしな答えだ。

 爬虫類系の人型生物なのだからトカゲっぽいのは当たり前だし、種族全体としてドラゴンの血を引いているというのも有名な話のはずである。

 自分達が生来の魔法の才に恵まれているのは体に流れる竜の血の恩恵だというのは、多くのコボルドのソーサラーが主張するところだ。

 勿論、ディーキンのように本当に竜となったようなものは稀だが……。

 

 なお、先述の通りディーキンには背にドラゴンのような翼が生えているのだが、ルイズやコルベールはそれには気が付いていない。

 別に彼らの目が節穴なのではなく、ディーキンが幻覚を纏って変装しているためだ。

 

 ディーキンはゲートに飛び込む前に、自分を呼び出した相手が危険な存在だった場合に最低限は備えるべきだと考えた。

 そのためにはできるだけ自分の能力や正体、所持品等を隠しておいたほうがいいと思ったのだ。

 そうでなくとも普通のコボルドを呼びだすつもりの召喚者の前に出てきたのがドラゴンの翼の生えたコボルドだったりしたら、警戒や争いを招きかねない。

 そこで《変装帽子(ハット・オブ・ディスガイズ)》を着用して翼や背負った荷物、武器などを隠し、ただのコボルドに見えるようにしたのである。

 

 コボルドをみんなに受け入れられる愛すべき種族にしたいというのがディーキンの望みであり、本人なりのこだわりである。

 今までも随分苦労させられてきたが、たとえどんなに困窮したとしても、コボルドであることを捨てて自分の素性を隠したまま生活し続ける気は全くない。

 よって普段は変装するようなことはしていないのだが……、流石に時と場合によっては必要となることを、ディーキンもしばしば感じていた。

 まして今の自分はドラゴン・ディサイプルとして成長を極めたためにただのコボルドよりずっと異様な外観になっているのだから、なおさらのことだ。

 だからディーキンは、ウォーターディープに帰還した後に必要に応じて変装や変身をするためのマジックアイテム類をいくつか購入していた。

 これまではそんなものは買えなかったのだが、ボスとの冒険を通じて非常に多くの財宝の分け前を手に入れた現在のディーキンにとっては安い買い物である。

 

 最近では、あるいは将来は冒険をする傍らで旅の中で手に入れた品物の一部を売買する商人などとして活動することもあるかもしれないとも思っている。

 もしそんな時がきたなら、おそらく当面はこの帽子で翼を隠して商売をすることになるだろう。

 その場合でも、コボルドであること自体を客に隠す気はないが……。

 

 ちなみにハルケギニアでも幻覚を纏ったり変身したりするタイプの魔法やマジックアイテムは皆無ではないがあまり一般的ではない。

 マジックアイテムは極めて希少かつ高価だし、顔の特徴を少々変える程度でも最高クラスの系統魔法が必要になるのだ。

 先住にはより優れた変身の魔法もあるらしいが、流石に亜人といえどこんな小さな子供(彼らにはそう見える)がそう高度な魔法を扱えるとも思えない。

 そのため、コルベールらもディーキンの姿形に関して疑いは特に持っていなかった。

 

(ウーン、コボルドのこともだし、それに……)

 

 先程のルイズの返答で自分が呼ばれた理由に関しては自分なりに得心がいったものの、他に首をかしげる部分もあった。

 召喚する生き物の種類さえはっきり選べない、とはこれまたずいぶんと珍しい話だ。

 少なくとも、ウィザードやソーサラーならば使い魔にしようとする生物の種類は自分で選べるはずだ。

 他の召喚の魔法でも、呼び出される数が多少不安定になることはあるが種類さえ選べないというのはあまり聞かない。

 

(もし出てきたのがでっかいデーモンとか、タラスクとか、恐ろしいパンプディングとかだったらどうするのかな? ええと、そうするとやっぱりこの人たちはウィザードとかソーサラーじゃなくて何か変わったメイジで、それで……、アア、ウーン……。どうにもディーキンには、よくわからないよ!)

 

 風変りな人々、見覚えのない生物、かみ合わない認識、そして奇妙な魔法を使うメイジ―――。

 ディーキンは、ここはフェイルーンの中にあるどこかではなく、もっとずっと遠く離れた別の大陸か、さもなければ違う世界でさえあるかもしれないと考え始めていた。

 

 ディーキン自身いくつかの召喚術を心得ているが、召喚の魔法には他の次元界から生物を呼び出す類のものも多い。

 《怪物招来(サモン・モンスター)》や《他次元界の友(プレイナー・アライ)》などが、その代表だ。

 よって行き先が別の次元界であるかもしれないくらいのことは想定し、帰還する方法などについても鏡に飛び込む前にあらかじめいろいろと考えていた。

 ただ、ゲートを出た直後は見慣れぬ風景ながらも人間が大勢いる場所だったので、どうやら物質界のようだと思っていたのだが……。

 こうなると、その可能性を再考しなくてはならないかもしれない。

 

「……ねえ、そういえばディーキンはまだ、この場所の名前も知らないよ? あんたがルイズっていう名前なことは、もう知ってるけどね」

 

「あんた、ここがどこか知らないの? どんな田舎者……って、まあ亜人じゃ仕方ないわね。ここはトリステイン王国の、トリステイン魔法学院よ。亜人のあんたにはわからないかもしれないけど、歴史と伝統のある高名な魔法学院なのよ、よく覚えておきなさい」

 

「トリステイン王国? ウーン……、聞いたことないよ」

 

「人間の言葉は話せるのに、トリステインの名前も聞いたことがないの? ……まあ、あんたが人里離れて暮らしてる亜人とかなら、そんなものかも知れないけど」

 

 それを聞くと、ディーキンは目をぱちぱちさせて、少し考え込む。

 

「……ええと……、ディーキンはフェイルーンのウォーターディープってところから来たんだけど、ルイズは知ってる? 他にもネヴァーウィンターとか、アイスウィンドデイルとか……、ムルホランドとか、サーイとかの地名は、聞いたことない?」

 

「全然聞き覚えないわね。どこの田舎よ?」

 

 ディーキンはその発言を聞くと、次いで問いかけるような目でコルベールの方を見た。

 コルベールは時間を気にしつつも2人のやりとりにも興味がある様子で口を挟まずに眺めていたが、ディーキンの意図を察すると少し記憶を探ってみる。

 

「……ううむ、いや、私も聞いたことがないな。それはコボルドの間で使っている地名なのかね? 自分の来た場所のことが気になるのか。なら、後で図書館の地図を見てこちらの地名と合わせてみれば、君がどこから来たのかわかるだろう」

 

 彼はコボルドということだが、このあたりのコボルドとはだいぶ様子が違うようだから、東方かどこかの地名かも知れない。

 コルベールがそんな推論を述べると、ディーキンは小さく首を傾げた。

 

「ンー、それは、どうかわからないけど……。ディーキンもまだ、状況がよくわかってないからね」

 

 ディーキンは今の2人の発言から、ここがフェイルーンのどこかでないことはほぼ間違いないと確信できた。

 博識そうなメイジが、フェイルーンという大陸の名も、その中でも有名な都市や国の名前も、ひとつも知らないというのはちょっと考えられない。

 

 フェイルーンに住む一般の人々の多くは、生涯自分たちの生まれた地に住む。

 したがってその他の場所のことには疎く、ましてやフェイルーンという大陸の外や“別の世界”のことなど大抵は何も……、存在自体すら知らないという者も、少なくない。

 

 だが、ディーキンはバードという職業柄各地のさまざまな伝承や文献に詳しいし、冒険者として実際にさまざまな地域や、別の世界を旅してきた経験もある。

 

 まず、フェイルーンは“アビア・トーリル”と呼ばれる惑星上の一大陸に過ぎない。

 他にもカラ・トゥア、ザハラ、マズティカなどと呼ばれる多くの大陸があることが分かっているし、その他にも、名も内情も知られぬ未知の大陸も少なからずあると噂されている。

 ディーキンとてそれらの大陸に足を運んだことはないが、バードとして異郷の地のさまざまな伝承は噂で聞いたり、本で読んだりして知っていた。

 そこでは人々はフェイルーンとは異なった神々のパンテオンを信仰し、全く別の宇宙観を持っているという。

 

 そして、そのトーリルでさえ“プライム・マテリアル・プレーン(主物質界)”と呼ばれる一つの世界であるに過ぎないこともディーキンは知っている。

 世界の外に広がる広大なアストラル界の海の中には、既に訪れたことのある影界や九層地獄をはじめ、主物質界以外にも様々な世界が浮かんでいるのだ。

 地水火風の元素界に、正と負のエネルギー界や、物質界と併存するエーテル界と影界。

 神々やデーモン、デヴィル、セレスチャルなどの来訪者が住まう多くの外方次元界。

 死せる魂の向う忘却の次元界や、神々だけが行くことができるとされるシノシュア。

 そして、それらすべての次元界を繋ぐ大いなるアストラル界。

 そうした世界すべてをまとめて、“トーリルの宇宙”が構成されているのである。

 

 さらには、さまざまな伝承によればその外にさえ、別の物質界を内包する世界の集まり……、異なる宇宙が、いくつも存在しているらしいのだ。

 そういった別の宇宙からの来訪者やそこに行った英雄に関する伝説も、ディーキンはいくつも耳にしたことがあった。

 そうした物語の中でも最も有名なのは、フェイルーン大陸の中でもひときわエキゾチックなムルホランドの地に住まう者たちに関する物語だろう。

 その地の人々や、ホルス=ラー、オシリス、イシスなどといった彼らの守護神たちは、何千年かの昔に異なる宇宙のひとつからやってきたと伝えられている。

 

(……まあいいや、ここで考えてても仕方ないね。まずは物語の筋を考えておいて、それからにすればいいと思うの)

 

 ディーキンは、ひとまずここがどこなのか考え込むのを一旦止めることにした。

 ここで考え込んでいてどうなるものでもなさそうだし、いい加減に考えすぎて頭が痛くなってきた。

 ルイズやコルベールから聞くにしてもこの場で話し込むと話がややこしく、長くなりそうだ。

 ここがどんな場所なのかは、後で自分で調べたりいろいろな人から話を聞いたりしてみれば今よりは詳しく分かってくることだろう。

 とりあえず早急な危険はなさそうである以上、あわてることもないはずだ。

 

 どうあれ既に他の次元界に送りこまれてそこからの帰還を果たした経験もあるディーキンにとっては、ここが別の大陸であれ異世界であれ、そう規格外の事態ではなかった。

 未知の世界への不安やボスがいないという心配はあるものの、冒険にも慣れた今ではそこまで怖くもない。

 初めて一人で冒険したときの方がよほど恐ろしかったし、ウォーターディープの大きく壮麗な街を最初に見たときの方がずっとびっくりした。

 何より、ここがまだ見ぬ世界であるという事実に、僅かな不安とそれより遥かに大きい期待が膨らむ。

 

(これはまた、大きな冒険になるかもしれないね! あとでしっかり本に書いておくよ。えーと、出だしは……)

 

『勇敢なるボスのお供のディーキンは、たった一人で鏡に飛び込み、見知らぬメイジたちの輪の中に召喚されてしまった。

 ディーキンの分析によると、どうやらここは見知らぬ世界らしい!

 彼はとりあえず、書くことと考えることが多すぎてすごく困った。

 まず第一に、このあたりでも物語を書くための紙とインクは売っているのだろうか?

 そしてコボルド用のパンツの替えは、はたして店にあるのだろうか?』

 

(……ンー)

 

 イマイチかな、と思ったディーキンは、文章に大きなバツを書いて、後で案を練り直すことにした……。

 





ディスガイズ・セルフ
Disguise Self /変装
系統:幻術(幻覚); 1レベル呪文
構成要素:音声、動作
距離:術者自身
持続時間:術者レベル毎に10分(途中解除可能)
 術者は自分の外見を変えることができる。体型を変えたり、装備品一式を別の物に見せかけたり、身長を1フィートまで上下させたりできる。
ほくろや顎髭のようなちょっとした特徴を加えたり消したり、全くの別人や異なる性別であるような外見にすることもできる。
この呪文は選んだ姿が持つ能力や独特な話し方や身振りまでは与えてくれないし、手触りや音声も変わらない。
バトルアックスをダガーのように見せかけることはできるが、それでも武器の機能自体は変化しない。
 作中に登場した《変装帽子》は着用者にこの呪文の効果を永続で与えるマジックアイテムである。値段は1800gp(金貨1800枚)。
これは宿暮らしで王侯貴族のような贅沢な生活を9ヵ月も続けられるほどの額であるが、これでもマジックアイテムとしては非常に安価な部類である。

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