Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第二十一話 Paladin

 

 オスマンとコルベールは学院長室から『遠見の鏡』で決闘の一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 鏡面に映し出されたヴェストリの広場では、未だ鳴り止まぬ拍手と歓声が続いている。

 2人の少し後ろの方で、『眠りの鐘』を用意して戻っていたロングビルも興味深げにその光景に見入っていた。

 

「オールド・オスマン、あのメイドが勝って……、あ、いえ、勝負無しということにはなったようですが……」

「うむ……」

 

 驚きの表情をありありと顔に浮かべたコルベールとは対照的に、オスマンにはさほど動揺した様子がない。

 ロングビルはそれをじっと見て、疑問を口にした。

 

「あの、学院長は……、こうなることを見越しておられたのですか?」

「ん? 何故そう思うのかね、ミス・ロングビル」

「それは、あまり驚かれた様子がありませんし……、これをすぐ使えと言われなかったのも、不思議に思っていましたから」

 

 そういって、折角運んだというのに出番のなかった掌中の小さな鐘を示す。

 まあ自分にとって本当に重要なのは宝物庫へ入る口実の方だったので、無駄足だったなどとは思っていないが。

 

 オスマンは長い白髭を少しさすると、首を横に振った。

 

「まさか。こんなもん読めておったわけがなかろう。年を取ると大概の事では動揺を見せなくなるというだけじゃよ、ちゃんと驚いておるしそれなりに感嘆もしておる。……ま、その鐘を使わねばならんような大事にはなるまい、とは思っておったが……」

 

 オスマンはそう言ってロングビルとの会話を打ち切ると、鏡面を見ながら何やら物思いに沈んでいく。

 

 ロングビルはまだ釈然としなかった。

 このエロ爺がセクハラ発言のひとつも無しにさっさと会話を済ませるとは、一体何にそれほど注目しているのだろうか?

 

 ……まあ、いいだろう。

 気にはなるが、今は絶好の機会。

 単なる好奇心を満たすよりも先に、もっと重要な事を成すべきだ。

 

「それでは、私はこの鐘を宝物庫に戻してまいりますわ」

「うむ……。すまんが、そうしてくれ」

 

 

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 一方ヴェストリの広場の方では、盛り上がりが一段落したところでやっと教師たちが介入し、生徒らを促して授業に向かわせだす。

 もう昼食時間はとっくに過ぎ、午後の授業を始めなければならない時間になっていた。

 

 ディーキンは自室へ戻っていくシエスタの後姿をじっと見送ってから、ルイズのところへ向かった。

 

 そして、いろいろ質問したそうなルイズを押し留めると、自分は応援した手前もうちょっとシエスタと話がしたいし、他にも色々やりたい事があるから午後の授業への同行を免除してもらえないだろうか、と願い出た。

 

「はあ? ちょっと、何言ってるのよ! 勝手にまたこんな目立つことをしておいて、この上まだ何の説明もしないで、私を放って……」

 

 ルイズはルイズで今の決闘の成り行きとかについていろいろと聞きたいことがあったし、今日は使い魔の顔見せの日でもある。

 おまけに仮にも使い魔が御主人様を放って、あのメイドとこれ以上一緒にとか……、とにかく、色々と不満だ。

 

 したがって怒鳴りつけて即座に却下しようとしたのだが、ディーキンは怯まなかった。

 さりとて自分の要求は正当で認められて当然なのだというような偉ぶった態度を取るわけでもなく。

 ただ普通に彼女の言い分を聞いて謝るべきところは謝りつつ、それでもあえて自分がそうしたい理由を説明して、根気よく交渉する。

 

 シエスタには決闘に関わらせてもらった縁があるのに、何も言わずにさっさと別れるのは礼儀に反すると思う。

 ルイズが聞きたいことは同じ部屋で過ごしているのだし今夜にでもちゃんと話すから、それまで待ってほしい。

 教師への紹介は今これだけ目立っていたのだからどうせ顔も名前も知れ渡っただろうし、無用だろう。

 むしろ今ディーキンが教室に行ったら、きっと決闘の件で注目されて生徒らに騒がれる。

 そうすると授業の邪魔になって、教師からの心証が悪くなるかもしれない……。

 

「それに、あの人との約束通り、今の決闘の歌も考えなきゃいけないし。もしかして考え事に夢中になって鼻歌とか口ずさんだりしたら、迷惑だろうからね。ディーキンが教室にいないことで他の人達がルイズを嗤うのなら、何故いないのか説明してやればいいの。それでも分かってもらえないようなら、後でディーキンがちゃんとその人に説明して、分かってもらえるようにするから。……ね、どう?」

「う、うーっ……」

 

 もしディーキンが感情的に怒鳴り返したり、自分の要求は認められて当然、お前の意見は愚かだ……とでもいうような態度を取ったりしていたなら。

 おそらくルイズは激怒し、正規契約をしていないとはいえ、仮にも使い魔である者の不従順に対して罰を言い渡していただろう。

 

 しかしながらルイズは癇癪を起こしやすく独占欲が強い反面、真摯に誇りを重んじる貴族でもあるのだ。

 頭を下げて許可を求めに来て、落ち着いて交渉している相手を一方的に怒鳴ったり無下にするような真似はできない。

 そう言った点が以前の主人であるタイモファラールに似ていなくもないので、ディーキンにとっては懐かしいというか、対応し易かった。

 もちろん邪悪で気まぐれなタイモファラールに比べれば、ルイズは遥かに話の分かる相手だが。

 

「……分かったわよ、あのメイドもあんたにお礼とかいいたいだろうし……」

 

 ディーキンは相手の立場や考えを尊重して、軽々に批判したり見下したりはしない。

 かといって卑屈になるわけでもなく、自分の意見はしっかりと主張してくる。

 ルイズとしては内心複雑ではあったが、ともかくディーキンが自分の事を軽んじていないのは理解できたし、彼女にとってはそれが一番大切な事だった。

 

 本当はまだ不満はあるし、メイドのところへ行く前にまずこっちに説明してからにするか自分も同行させろ、くらいは言いたいところなのだが……。

 そんなことをしていたら、授業に遅れてしまう。

 基本的に真面目な性格かつ実技が壊滅状態なルイズには、やむにやまれぬ事情があるわけでもないのに授業をサボる事などできない。

 

 それゆえ、渋々ながらディーキンの言い分を認めることにしたのだった。

 

「ただし、夜までには絶対に戻って来なさい。約束通り説明してもらうからね!」

「もちろんなの。ディーキンはお泊りなんてしないよ?」

 

 

 そんなこんなでルイズと別れると、ディーキンはさっそくシエスタの部屋に向かった。

 彼女が中にいる気配があるのを確かめてから、扉をノックする。

 

「………?」

 

 シエスタは部屋に戻ってしばしぼうっと物思いに耽った後、鎧を脱いで着替えをしている最中だったが、ノックの音を聞いて首を傾げた。

 

 学院の教師がやってきたのだろうか。罰を申し渡されるのならば、受け入れなくてはなるまい。

 理由はどうあれ自分は貴族に逆らい、決闘などを承諾して規律を乱す真似をしたのだから。

 でなければ、使用人仲間の誰かか……。

 

「はい、どなたですか? 少しお待ちください。取り込み中なので、終わりましたらすぐに――――」

「ディーキンはディーキンだよ。わかったの、ええと、3分間くらい待ってればいいかな?」

「! ……ディ、ディーキン様? す、すみません、すぐに開けます!」

 

 シエスタはディーキンの声が聞こえるや、あたふたとドアを開けると膝をついて恭しく頭を下げた。

 たとえ貴族に対してでも、ここまで畏まった態度を取ることは滅多にないだろう。

 まあ、ドアの前で待たせるよりも、上着が脱げかけた姿で応対する方が礼儀にかなっていると言えるのかどうかは、また別の問題ではあるが。

 

 一方突然そんな態度を取られたディーキンはきょとんとして、自分の目線と同じくらいの高さにきたシエスタの頭を見つめながら首を傾げた。

 

「……アー、ええと……、シエスタ、もしかしてさっきの決闘で耳がおかしくなったの? ディーキンはディーキンだよっていったの。別にディーキンは王様だからぺこぺこしろとか、言ったわけじゃないよ?」

 

 そういってもシエスタは顔を伏せたまま、畏まった態度で返答を返す。

 

「それは……、だって、あなたは私を救ってくださった方です。それに、天使様ですから――――」

「……うん? ええと、もしかして、おかしいのはディーキンの耳の方だったのかな。シエスタは今、『天使』って言ったの?」

「はい、そうです。ディーキン様は、天使様なのでしょう?」

 

 シエスタはそう答えると、ますます恭しく、深く頭を垂れた。

 

 その態度には、決してお世辞や冗談などではない本当の崇敬の念が感じられる。

 どうやら本気でそう信じ込んでいるらしい。

 

 一方、ディーキンは目をぱちくりさせた。

 

 天使とはフェイルーンでは主にエンジェルを、広義ではそれも含めて善の来訪者であるセレスチャル全般を指す言葉だが……。

 言うまでもなく、コボルドはその中に含まれない。

 

 ディーキンは少し考えるとおもむろに屈み込み、シエスタの顔を下からじーっと覗き込んだ。

 

 シエスタは突然の事に驚いてどぎまぎした様子でさっと目を逸らす。

 ディーキンは横を向いたシエスタの顔の前にささっと回り込むと、今度は爪の生えた指でシエスタの目蓋を広げて目の奥まで覗き込む。

 更に額と額を当ててみたり、頬を撫でてみたり――――。

 

「……ななな……!? あああの、何をされてるんですか??」

 

 シエスタはディーキンの行動にどぎまぎして、顔を赤くしたり、目を白黒させたりしている。

 

「ンー、見た感じ目は普通だし、熱とかもなさそうだけど……。ディーキンが天使に見えるってことは、目がおかしいか、頭がぼーっとしてるかじゃないかと思ったの」

「……え、あの?」

「アア、それとももしかして、シエスタは天使の血を引いてるけど、天使の出てくる物語は聞いたことないとか? 天使っていうのは綺麗で、きらきらして、ふわふわして……、言うことがいつも、真面目で完璧な感じなんだよ」

 

 ディーキンはそこでエヘンと胸を張る。

 

「ディーキンはそりゃ美男子だけど、光ってないし、ごつごつしてるし、ジョークだって言えるからね。天使じゃなくてコボルドの詩人なのは、確定的に明らかだよ。すごい英雄と悪いドラゴンとじゃ、同じ格好いいのでも感じが全然違うでしょ?」

 

 シエスタはそれを聞いて当惑したように視線を泳がせ、そわそわと身じろぎした。

 

「そんな、でも。それは、その……」

 

 嘘です、と言いかけたが。

 天使を嘘吐き呼ばわりするなど非礼の極みだと慌てて口を噤み、顔を伏せて、正しい言葉を探す。

 

「………本当の事ではない、と思います。きっと深い考えがあって隠されるのでしょうけど、私には、わかりますから――――」

 

 ディーキンの方は、それを聞いて困ったように肩を竦めた。

 どうも何か大きな誤解をされているようだが、原因はなんなのだろう?

 

「ええと……、ディーキンはシエスタに、隠し事なんかしてないの。それじゃシエスタは、なんでディーキンを天使だと思うの?」

 

 そう尋ねると、シエスタはよく聞いてくれたと言わんばかりにばっと顔を上げて、熱弁を始めた。

 

「だって、天使様の言葉を使っておられて、それで私を助けてくださったじゃないですか! ひいおばあちゃんが少しだけ習っていて、聞かせてもらったことがあります。一度聞いたら絶対忘れられない響きです。何よりグラモン様が心を改めてくださったのも、あなたがおられたお陰です。私を助けてくださるため、正義を護るために神様が遣わしてくださったのでなければ、なんなのですか? いえ、それ以外ありえません!」

 

 素晴らしい美少女が頬を上気させ、上着が少し肌蹴た状態で、自分に向けてあからさまに憧れとか畏敬とかの念が篭った笑顔を浮かべている。

 人間の男だったら誤解を正すのなんかやめて手を出してしまいそうな状態だが、幸か不幸かディーキンはコボルドである。

 

「……あー、なるほど。シエスタが信じてることは、分かったよ」

 

 どうやら、ワルキューレとの戦いの際に呪歌と共に用いた《創造の言葉》が、誤解を招いた主たる要因であるようだ。

 

 それは世界創造の時に用いられたという失われた言葉であり、現在のセレスチャルが話す天上語の前身であるとも言われている。

 その断片だけでも知っている者は既にセレスチャルの中にも少ないそうだが、シエスタの曾祖母はたまたま学んだことがあったのだろう。

 そんなものを用いて自分を手助けしてくれたとなれば、誤解されるのもやむなしか。

 

 それにしたってコボルドを天使だの神の使いだのと考えるのは極端だとは思うが……、まあ、善良で信心深い人なら、そんなものなのかもしれない。

 ディーキンはとりあえずシエスタを促して室内へ入り、向かい合うように椅子に腰かけて説明を始めた。

 

「じゃあ、ひとつずつ説明させてもらってもいいかな? まず、シエスタがなんて言ってもディーキンはやっぱり天使じゃないし、別に神さまのお使いとかでもないの」

「で、ですが、それなら………」

「さっき歌う時に使った言葉は、シエスタのひいおばあちゃんと同じで、天使から習ったんだよ。ディーキンは天使じゃないけど、天使の知り合いはいるからね」

 

 それから、どういう経緯でそうなったのかを、リュートを爪弾きながら語り聞かせる。

 

 アンダーダークで大悪魔メフィストフェレスの罠にかかり、ボスと一緒に一度は死んで、地獄へと送られた事。

 そこで、遥か昔から想い人を待って眠り続けていた、『眠れる者』と呼ばれる偉大な天使、プラネターに出会った事。

 ボスの尽力あってついに目覚めて想い人に巡り合うことができ、深く感謝してくれた彼とは地獄を逃れた後にも交友が続いた事。

 そして年古く強力な天使ゆえに太古の言葉にも通じていた彼が、ディーキンが詩人であることを知って《創造の言葉》の秘密を教えてくれた事――――。

 

 シエスタはそれらの話に、熱心に聞き入った。

 

 地獄に送られてなお、悪魔を討って生還してくる英雄たち。

 想い人を求めて天上の楽園を去り、寒く昏い地獄の果てで待ち続けた天使。

 

 そんな人たちと一緒に旅をすのは、どんなに素晴らしい事だろう。

 一体、どこまでが本当の話なのか……、嘘をついているとかではなくて、きっと物語だから脚色もあるのだろうけど……。

 

「―――――とまあ、そういう感じなの。だから頭とか下げられてもディーキンは困るの、わかった?」

「えっ、あ……、は、はい!」

 

 物語の世界にすっかり入り込んで夢想に浸っていたシエスタは、慌てて返事をする。

 それから、そっと頭を下げて、言葉を選びながら訥々と続ける。

 

「その、お話、ありがとうございます。……ディーキン様が天使でないことは、分かりました」

 

 どこまでが本当の話なのかはわからないが、天使に出会って学んだというのはきっと本当なのだろう。

 目の前の人物が、種族としては天使ではないのは納得できた。

 

 しかし………。

 

「ですが、私とグラモン様を救ってくださった方であることは変わりません」

 

 シエスタにとっては、最善のタイミングで手を差し伸べて、すべてを上手く行かせてくれたのがディーキンだ。

 天使であろうがなかろうが、彼の介入は、シエスタにとっては偉大で慈悲深い神や運命の導き以外の何物でもなかった。

 

「……それに……、いえ、つまり、ですからやはり、あなたは私にとっては恩人で、神様の御遣いなんです!」

 

 あくまで敬いの態度を変えないシエスタに、ディーキンはちょっと顔を顰める。

 

「ンー……、それはシエスタの考え違いじゃないかな。お礼を言ってくれるのは嬉しいけど、いくつか間違ってると思うの」

「えっ?」

 

 ディーキンはシエスタの肩をつついて顔を上げさせると、ちっちっと勿体ぶった態度で指を振って見せた。

 ちょっと気取って講釈を始めようとする教師のように。

 

「まず、シエスタは仮に、ディーキンが神さまのお使いだったとして。もしかして神さまの手助けがなかったら、さっき自分は上手くやれなかったって思ってるの? ディーキンはただ、英雄の活躍を見逃したくなかったから出しゃばっただけなの。お手伝いなんてしなくても、結局は同じことだったはずだよ?」

 

 それを聞いたシエスタは、ぶんぶんと首を横に振る。

 

「そ、そんなわけないじゃないですか! 私があの方と……、貴族様と戦えたのは、みんなあなたのお力で―――」

「ふうん? じゃあ、シエスタは……、仮に、ディーキンが応援しなかったとして。あのワルキューレとかいうのにボコボコにやられたら、降参して謝っていたの?」

「え…? い、いえ! 間違った事に頭を下げるなんて!」

「なら、シエスタは。あのギーシュっていう人のことを、もし相手が降参しなかったら死ぬまで殴っておいて、絶対謝らない人だったと思ってるの?」

「そんな! あの方は過ちを犯されましたけれど、そんな非情な方では……」

 

 それを聞いて、ディーキンは得意げに胸を張る。

 

「でしょ? シエスタはどんなにやられても諦めたりしなかったし、相手は死ぬまで殴るような人じゃなかった。なら、ディーキンがいなくたって、シエスタは上手くいってたってことなの。ちょっと余計に怪我はしたかも知れないけど、結局最後には分かってもらえたはずでしょ?」

「そ、それは……、」

 

 返事に困って視線を泳がせるシエスタに、ディーキンは誇らしげに胸を張った。

 

「たとえ力がなくても正しい事ができるのが、本当の英雄ってもんなの。絶対にそういうものなんだから!」

 

 先程までのシエスタにも劣らず熱っぽい様子で瞳をきらめかせながら、ディーキンは熱弁した。

 シエスタと同様に頬が上気しているかどうかは、ウロコに覆われていて分からない。

 

「そ、そんな…………」

 

 自分が敬う相手から逆にそんな目で見られたシエスタは、頬を染めて口篭もる。

 

「……その。あるいは、そうかもしれません。でも、私が戦う勇気を出すことができたのはあなたが居てくださったおかげです、ですから……」

 

 なおも食い下がるシエスタに、ディーキンは腕組みして(コボルドにしては)重々しく、威厳ありそうな感じの声を作る。

 

「オホン……、『ならば、それは私の力ではない。私を見て何かを学んだというなら、それは君自身の才能と情熱のおかげだ。友よ、手柄はあるべき所に帰すべきだ』」

「……は? あ、あの?」

 

 いきなり感じが変わったのにきょとんとしているシエスタを見て、ディーキンは得意げに胸を反らせた。

 

「―――イヒヒ。今の、『眠れる者』の真似なの。似てた?」

「は、はあ……? いえ、私、その天使様の事を知りませんから………」

 

 何とも微妙な顔をしているシエスタに対して、ディーキンは少し真面目な顔に戻って更に言葉を続ける。

 

「それに、ディーキンが本当に天使とか神さまのお使いだったとしても、天使はそんな風に拝んでもらいたいとは思わないよ。彼もそういってたし、ディーキンが知ってる他の天使もみんなそうだったからね」

 

 パラディンであるボスは最初、今のシエスタのように『眠れる者』に対して敬意を表していた。

 だが、彼はそのような扱いに当惑し、自分は身に覚えのない崇拝を望まないと言った。

 彼らは真の善の化身であり、その目的は善を奨励する事であり、自分達が崇められるよりその崇拝をより偉大なものに向けさせることを願うのだ。

 

「『私はより偉大な栄光に仕える天使だ。私に価値を見出すならば、私よりも高貴な愛や美があることも知るといい』……彼は、そういってたの。ディーキンも、それに賛成なの。ボスやシエスタは大した英雄だからね、天使とかディーキンとか拝んでないで、もっと大きな目標を持って、とんでもなーく凄い人になるの。そうすればディーキンももっともっといい物語が書けてカッコいい詩が歌えるし、他のみんなも喜ぶでしょ? もしディーキンが神さまだったら、シエスタにはきっとそうしろっていうね」

 

 ディーキンはそういうとちょっと首を傾げて、シエスタの頭を撫でた。

 

「アー、だから……、つまり。まとめると、ディーキンはディーキン様とか呼ばれるのには反対だってことだよ。ディーキンはディーキンであってディーキン様じゃないからね、余計なものはくっつけない方がいいの。俺様とかって、何か悪役っぽくてよくないでしょ? 様をつけていいのは怖いご主人様とか威張った王様とかだよ、素敵なコボルドの詩人にはつかないよ!」

 

 シエスタは英雄なんだから英雄には自分より立派な存在でいてほしい、敬われても嬉しくない……、というのはまあ、本当だが。

 実のところ敬称を遠慮したい理由は、それだけでもなかった。

 

 ボスはもちろん、自分を純粋に対等の仲間として扱ってくれる。

 だが、今まで自分は、上位者として扱われた経験はない。

 コボルドをそんなふうに扱う奴は普通同族しかいないし、それにしたところで地位の高いコボルドに対してに限られる。

 礼儀作法上とかではなく本心から敬われる、などというのは初めてであって、照れ半分、困惑半分、どう対応していいのかわからないのだ。

 

 シエスタは頭を撫でられて少し頬を染めつつも神妙な、若干不満げな面持ちで話を聞いていたが……。

 やがて、微笑みを浮かべて頷いた。

 

「……わかりました、ディーキンさ……んがそういわれるのなら、きっとその通りなんだと思います。私、もっと善い事ができるように、頑張りますね」

「オオ……、よかったの。ありがとう、それならディーキンは、これからもシエスタの事を応援するよ」

 

 ほっとした感じでうんうんと頷き返したディーキンに、

 シエスタはしかし、意味ありげに目を細めると、また頭を深々と下げた。

 

「―――――はい。つきましては、そのためにも是非、あなたにお願いしたいことがあります!」

「……ウン?」

「私の先生に、なってくれませんか?」

 

 ディーキンは目をしばたたかせると、困ったように頬を掻いた。

 

「ええと、その………。どういうことなのか、ディーキンにはちょっとよくわからないけど。ディーキンと契約して魔法少女になりたいとか、そういうことじゃないよね?」

 

 シエスタは顔を上げると、にこにこ微笑みながら質問に答える。

 

「私……、先程の戦いのとき、『声』を聞いたんです。グラモン様が考えを改められて、私に剣を差し出してくださった時に――――」

「?? 声……?」

 

 ディーキンは唐突な話にきょとんとして、少し考え込む。

 が、ふと思い当って首を傾げた。

 

「ええと、それって……、もしかして『召命』の声のこと? じゃあ、シエスタは、パラディンになれって言われたの?」

「はい!」

 

 その時の事を思い返して興奮と喜びに目をきらめかせているシエスタを見て、ディーキンはようやく得心がいった。

 

 いくら天使の言葉を話したにしても、恩人であるにしても、ちょっと態度が極端で大げさすぎやしないかと思っていたが。

 なるほど、この状況に加えて更にこれまでの人生を一変させるような出来事まで重なったとなれば……。

 それに大きく関わったディーキンの事を、自分に遣わされた天使かなにかだと思い込むのは無理もない話だ。

 

 実際、これはシエスタにとっては確かに運命的なものなのかもしれない。

 多元宇宙に働く何らかの意志が、しばしばそのような導きをもたらすことは、ディーキンも知っていた。

 

 とはいえ………。

 

「ウーン、つまり、シエスタはディーキンにパラディンになるための勉強を教えてほしいってこと?」

「そうです、私はまだぜんぜん力もありませんし……、パラディンの事も、おばあちゃんを見て教わった事以上には知りません。あなたの望まれるような英雄になるためにも、せひ私の先生になってください!」

「いや、ええと……、ディーキンはバードなの。パラディンじゃないよ。バードとパラディンっていうのは、プレインズウォーカーと頑固爺さんくらいに違うの」

 

 ディーキンはよく分からない例え話をして、シエスタの願いを断ろうとした。

 

 バードには、パラディンのような生き方はできない。

 パラディンの生き方が善き規律に支えられたものであるのに対し、魂に訴えかけるバードの旋律は自由な魂から生まれるものだからだ。

 少なくともフェイルーンで、パラディンになるための訓練でバードに師事する、などという話は聞いた事もない。

 

「ディーキンは、たまにボスみたいになるか試すの。立派なことだけ考えて、それから、神聖でいようと頑張ってみて……、でもすぐおかしなことを考えて大笑いしちゃうの、それがけっこうつらいんだよね。だからディーキンは、シエスタの考えてるみたいな立派なパラディンのための先生にはなれないと思うの」

「いいえ、ひいおばあちゃんだってよく笑ってましたし、その『ボス』という方も、あなたのお話からすると朗らかな方なんでしょう? 真面目に生きるということは、決して朗らかさをなくすことと同じではないと思います。それに、あなたは素晴らしい英雄の方と旅をされていたし、天使様ともお知り合いなのですから。その方々の生き方を、もっと歌や話にして聞かせてください。私にとってはそれが、素敵な勉強になると思います。剣とか、その他の訓練は……、もし教えてくださることができないのでしたら、自分で頑張りますから!」

 

 それでもなお熱心に頼んでくるシエスタを見て、ディーキンは困ったように首をひねる。

 

「ン、ンー……、それは、ぜひ聞いてほしいけど……。別に先生とかでなくてもディーキンはいつだって喜んで聞かせるし、パラディンの訓練なら他に、いい人がいるんじゃないかな?」

 

 大体、バードとパラディンは進む道も違えば、能力的にもほとんど似つかない。

 どちらも魅力に優れ、交渉などの才を持ち合わせてはいるが、共通点と言ったらせいぜいその程度だろう。

 

 パラディンは若干の信仰魔法を用いる戦士、バードは秘術魔法を使う何でも屋だ。

 普通に考えれば同じパラディンに師事するのが最善だろう。

 そうでなければ、剣の訓練をするならファイターとか、信仰を鍛えるならクレリックとかが、おそらく適任のはず。

 

 渋るディーキンに対して、シエスタはぶんぶんと首を横に振った。

 

「いいえ! ……いいえ、そんなことはないです。何と言われようとあなたは私の恩人で、私に可能性を掴ませてくれた憧れなんです。私はあなたよりも自分の先生に相応しい方なんて知りません!」

「う! うーん?? そ、その、そんなことはないと思うけど、ありがとう。ディーキンはなんだか、すごく照れるよ……」

 

 詰め寄らんばかりの勢いで熱弁してくるシエスタに、ディーキンもたじろいでいる。

 

「この学院におられるのはメイジの方ばかりです。みんな貴族としての誇りを重んじられる立派な方々です、けれど、パラディンの教師に向いておられるとは思いません。学院の外でも、強い方と言ったら大体メイジの方ばかりで……、剣を使うのは傭兵とかだけですし、そんなすごい達人とかは、私は知りません。それに私は、ひいおばあちゃんの他にはパラディンは一人も知りません。ひいおばあちゃんはきっと、この世界には『声』が届かないんだろう、っていってました」

「アー…、そうなの?」

 

 初耳だが、よく考えればこの世界にはバードもクレリックもいないのだった。

 メイジの力が支配的で、かつ系統魔法と先住魔法しか知られていないというのだから冷静に判断すればパラディンだっているはずがない。

 

 シエスタにだけは召命の声が聞こえたというのは、彼女がアアシマールであることを考えればそれほど不思議な話でもあるまい。

 パラディンたり得るものはフェイルーンでも希少だが、天上の血を引くアアシマールにはすべからくその適性が備わっていると言われている。

 

 剣の力についても、確かに昨夜読んだ本ではほとんど触れられていなかった。

 おそらくフェイルーンの古の魔法帝国アイマスカーなどがそうだったように、この世界では剣の技は廃れてしまっているのだろう。

 強いファイターは滅多におらず、概ね低レベルのウォリアーくらいしかいないのだとすれば、シエスタが長期的に師事するのには些か不足だ。

 

 そうなると、ディーキンに教えを乞うというのもまんざら悪い選択ではなく、むしろ良い選択なのかもしれない。

 

「ウ~……、でも、先生なんてディーキンはやったことないの。ディーキンが教わった先生は気が向いた時にだけ教えてくれて、そうでないときには寝ぼけて体の上にのしかかったり……、機嫌が悪い時にはディーキンの体を麻痺させて歯を抜いたりもする、ドラゴンのご主人様だけなの」

「誰だって最初はやったことがないはずです。それにディーキンさんは、そんなひどい教え方はなさらないです、信じてます。……さっき、私の事を応援してくださるって言われましたよね? でしたら、さあ、私が立派なパラディンになるために力を貸してください。応援するって、そういうことでしょう?」

 

 シエスタは、ここぞとばかりに先程のディーキンの発言を持ち出して畳み掛ける。

 このためにいったん譲歩してみせて、言質を引き出したらしい。案外したたかな面もあるようだ。

 パラディンは邪悪な行為をしてはいけないが、最終的に善を推進するためのちょっとした計略くらいは問題ないのである。

 

 ディーキンは困った顔をして、しばし考え込んだ。

 

 別に秩序な性格ではないので口約束なんて場合によっては無視してしまうのだが、それでシエスタに嫌われたりするのは嫌である。

 かといって大したことが教えられるとも思わないし、それはそれでシエスタを失望させることになってしまわないか不安だ。

 が……、まあ、彼女に教えるのもそれはそれで確かに新しい楽しい経験になるかも知れない。

 何より彼女はボスの話を聞きたいと言ってくれたし、それはこちらとしても存分に語りたいことだ。

 

 返事は決まった。

 

「……うーん、わかったの。ディーキンは今ルイズの使い魔をしてるから、お願いしてみないといけないけど。いいって言ってもらえたら、シエスタのためにできるだけの事はするよ」

 

 シエスタはそれを聞くとぱあっと顔を輝かせて、ディーキンを思いきり抱き締めた。

 

「ありがとうございます、先生! それじゃあ、これからよろしくお願いしますわ!」

「オオォ……!? ちょっとシエスタ、痛くないの?」

 

 シエスタは今、上着がちょっと肌蹴た状態でディーキンを強く抱き締め、喜びのあまり頬ずりとかまでしている。

 人間の男なら嬉しくてそれどころじゃないかもしれないが、ディーキンは彼女の柔らかい肌が自分の硬いウロコに擦れて、傷つかないか心配だった。

 

「………!? あ、わああ! すす、すみません!」

 

 そういわれて漸くシエスタは今の自分の格好に気付くと、途端に顔を真っ赤にしてぱっと離れ、大慌てで胸元をさっと覆った。

 慌てたり緊張したり、必死に熱弁したりで、今の今まですっかり失念していたらしい。

 

「? 別に、シエスタが謝るところじゃないとおもうけど……、それよりディーキンはその、先生っていうのは――――」

「……だって先生は先生じゃないですか。これは誤解とかそんなことは関係なく、先生ですから問題ないです。学院の生徒の方々だって、みんな教師の方の事はそう呼んでいらっしゃいますわ。私だってそうお呼びしないと失礼です、ええ、絶対そうしますから」

 

 シエスタは上着をしっかりと着直すと、まだ少し頬を赤くしながらも澄ました顔で得意げにそう答える。

 結局、彼女は最終的には、ディーキンをある種の敬称で呼ぶ許可をちゃんと取り付けたのだった。

 

 

「ニヒヒヒ……、ウーン、なんか、先生になったの」

 

 仕事に戻らないといけないからというシエスタと別れたディーキンは、少しにやけながらぶらぶらと人気のない廊下を歩いていた。

 先程は突然の申し込みに困惑していたが、自分が先生などと呼ばれて敬意を払われる立場になったのかと思うと、徐々に嬉しさが湧き上がってきたのだ。

 

 様づけで呼ばれるのはどうにもむずむずするし、ご主人様みたいで遠慮したいところだが。

 先生というのは、それとはまた違う感じがする。

 どう違うのか、上手く説明はできないが……、なんにせよ、何の悪意も含みもない態度で褒められたり認められたりするのは嬉しい事だった。

 

 まあ正確にはルイズの許可を得られたらということだが、それについては後ほどシエスタと一緒に頼もう、ということに決めておいた。

 たぶん渋られるだろうが、ちゃんとお願いすれば説き伏せられる自信はある。

 

 ……そういえば、元々シエスタの部屋を訪れたのは、挨拶がてら約束の歌の件について相談しようと思っていたのだが……。

 予想外の話の展開に、すっかり元の用件を忘れてしまっていた。

 だがまあ別に急ぐ用事でもないし、彼女が生徒になりたいというのなら今後も話す機会はいくらでもあるだろうから、今はいいか。

 

「ええと……、これから、どうしようかな?」

 

 まだ大分時間はあるが、ルイズの授業には今日は出ないと言ってしまったし、図書館へでも行くか。

 この世界の事はまだまだよく分かっていない、調べたいことならいくらでもある。

 

 あるいはシエスタにどんな指導をするか考えて、その準備をしておくか。

 引き受けた以上は、しっかりとやりたいところだし。

 

「ウーン………、ん?」

 

 いろいろと考えながらふと窓の外に目をやると、妙な人物が目に留まった。

 

 タバサだ。

 

 今は授業中のはずだが、何故か空を飛んで、学院の外の方へ向かっている。

 他に生徒はいないようだし、課外学習という風にも見えない。

 遠目ではっきりとはわからないが、何だか急いでいる様子だ。

 

 ……何かあったのだろうか?

 

 こういう事があるとすぐに首を突っ込みたくなるのが冒険者の、そしてバードの、何よりディーキンという人物の性分である。

 好奇心の命じるままにぴょんと跳び上がって手近の窓を開け、外へ飛び出すと、そちらの方に向かって翼を羽ばたかせ始めた。

 





《創造の言葉(Words of Creation)》:
 高貴なる特技の一種。【知力】15以上、【魅力】15以上、基本意志セーヴ・ボーナス+5以上を持つことが習得の前提条件である。
習得者は今は失われた言語であり、現在セレスチャル達が用いている天上語の前身であると言われている『創造の言葉』の断片を扱えるようになる。
これは世界が創造された時に話されていた言葉であるとされ、あらゆる創造の手続きを強化することができる。
歌にすればいかなる地上のメロディーをも凌駕する天界の音楽の荘厳さが木霊し、それが呪歌であればその効力を倍増させる。
創作の際に用いればそれが魔法によるものであれ手作業によるものであれ、創作物をより完璧なものにする。
[善]の呪文や魔法のアイテムを発動させるときに用いれば、その効力を一層強くする。
全てのクリーチャーが持つ【真の名】を研究すれば、それを使って対象を拘束することもできる。
定命の存在には本来口にできない言語であり、用法によっては使用者は非致傷ダメージを受け、大きく消耗する。
善属性でない者がこの言葉を口にしようとすれば、直ちに発狂するか即死する。
高貴なる特技は理想的な善の道を歩んでいる者だけが、善の強力な代理人からの贈り物としてのみ習得できる。
原作でのディーキンはこのような特技は習得していない(NWNにこの特技は存在しない)し、そもそも原作終了時点での属性は真なる中立である。
しかし、本作では彼の慕う“ボス”がパラディンであるという設定になっている。
そのため、彼の影響を受けて旅の間に善の道に“戻った”(初登場時のディーキンの属性は混沌にして善だったので)ものとしている。
それと、原作中で『眠れる者』などの強力なセレスチャルと知り合っていることから、原作終了後にその筋からこの特技を習得したと設定した。

『召命』:
 パラディン(聖騎士)となるべき者がいつの日か聞く、運命の呼び声のことである。
多くのパラディンは若い頃にこの声を聞くが、必ずしもそうとは限らない。
パラディンになるとは慈悲と信念を持って悪を討ち、善と秩序を守るべしという召命の声に答えること、すなわち自分の運命を受け容れることである。
中には召命の声、すなわち自分の運命を拒否して、他の何らかの人生を送る道を選ぶ者もいる。
どれほど勤勉な者、どれほど意志の強い者であっても、この声を聞く素質無くしてはパラディンになることはできない。
出自に関係なく全てのパラディンは、この召命の導きを通して、互いの間に文化や種族、宗教さえも超越した永遠の絆を認める。
それが例え世界の反対側から連れてこられた2人であっても、自分たちは仲間だと考える。

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