Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百五十六話 King, knight and dragon

 

「ジョゼフさん。ディーキンはまず、あんたが無理を聞いてここまで来てくれたことに感謝するよ」

 

 シェフィールドとの会見からしばらくの後にやって来てくれたジョゼフを出迎えたディーキンは、まずは丁重に御辞儀をした。

 

「王さまっていうのは、忙しいんでしょ?」

 

 彼はディーキンらの滞在する住居に、つまりは敵地に等しい場所に、前触れもなく唐突に姿をあらわしたのだ。

 しかも、供の一人も連れている様子はない。

 もしかしたらシェフィールドくらいはどこか近くに控えているのかもしれないが、それにしてもあまりにも大胆不敵な行動だった。

 その突拍子もない振る舞いと魔法能力の欠如のゆえに、彼は『無能王』と揶揄されているらしいが、しかし、ただ無知無策なだけの男が、こんな場所まで来られようとは思えない。

 

 実際に彼を目にしたディーキンは、態度にはあらわさないように努めているものの、いささか緊張していた。

 自分がとても無防備で危険な状況に身を晒しているような、そんな不安を覚えた。

 

 対するジョゼフのほうは、愉快そうな笑みを浮かべている。

 彼は、相手が子どもめいた小さな亜人であることも、一国の王に対するいささかなれなれしい話しかたも、そしていま自分が置かれている状況も、少しも気にしてはいないように見えた。

 

「そうでもない。公務なぞ、その気になればどうとでもなるしな。普段から期待されてない『無能王』の姿が見えなくても、誰も何とも思わんさ」

 

 もっとも、それは人間の臣下の話で、周囲のデヴィルどもの目を欺くことについては多少の面倒はあったが。

 とはいえ彼らにしても、別に四六時中こちらのことを監視しているというわけではない。

 結局のところ、悪魔というものはいかに油断なく警戒を怠っていないつもりであっても、心の中の深い部分では例外なく人間を見下し、嘲り、侮っているものなのだ。

 

「お前のくれた『あれ』は、おれにとってはどんな宝石よりも価値がある」

 

 うっとりと遠くを見るような目になったジョゼフが言及しているのは、もちろんディーキンがシェフィールドを通じて彼に届けた、『過去の覗き窓』のことだ。

 

「……たまに、美しすぎて見ていることが耐え難くなるにしてもな。あんなものをくれたからには、面会の申し入れを断るわけにはいくまいよ」

 

 ディーキンは、彼のその言葉に嘘はないと信じた。

 誠意があるというのとはまた少し違うかもしれないが、とにかく、嘘はついていないと思うのだ。

 

 実際、ジョゼフは彼との直接の面会という大胆極まりない申し入れをしたディーキン自身ですらいささか困惑するほどに、こちらの要求をすべて受け入れてくれたのである。

 デヴィルや、その他の勢力からの監視・介入を避けるために、できることならこちらの用意した一時的な異次元空間の中で会談を行いたいという要望にも、あっさりと従ってくれた。

 その中で会談をするということは、たとえ近くにシェフィールドが控えているにしても主に何が起こっているのか知るすべがなくなり、助けにも来られなくなるということを意味するはずだ。

 

 ジョゼフは用意された異次元空間の中に入ると、ためらうことなくそこにあった椅子に腰を下ろし、半ば透明な従者が運んできた上等な葡萄酒を口に運ぶ。

 彼はどうやら、自分自身の力に絶対の自信があるらしかった。

 

 ディーキンも机を挟んで彼の正面に腰を下ろすと、同じようにグラスを取って、にこやかな笑みを浮かべる。

 トカゲめいた姿にもかかわらず、どことなく愛嬌があって親しみを感じさせるその笑顔を見て、ジョゼフは感心したように頷くと楽しげに笑い返した。

 

「お前、なかなか準備がいいじゃないか。酒と親しみを込めた笑顔は、人の口を軽くするからな?」

 

 ちなみにこの異空間は、ナシーラから教わった《ロープの奇術(ロープ・トリック)》の呪文の強化版で作りだしたものだ。

 あるいは、《大魔道士モルデンカイネンの豪勢な邸宅(モルデンカイネンズ・マグニフィシャント・マンション)》の呪文の廉価版というべきか。

 

「さて、何が望みだ?」

「シェフィールドさんに伝えてもらったとおりだよ。ディーキンは、あんたと話がしてみたかったの。他には、ええと……。あんたはチェスっていうゲームが好きだって聞いたけど。話しながら、一緒にどう?」

 

 別の従者が上等なチェスのセットを運んできて机の上に置いたのを見て、ジョゼフは面白そうに肩を揺らし、目を細めた。

 

「ほう。おれの命をこの場で取る算段でもなければ、捕らえるつもりですらないというのか。望みなら、対価として大公の地位でも小国ひとつでもくれてやるものを」

 

 そうすれば、無能王がまた狂気の沙汰を起こして今度は得体のしれない亜人を重用したとか、世の中の連中は好きなように陰口をたたくだろうが。

 別に、どうでもよかった。

 

「ンー? でも、ディーキンはコボルドだからね。人間の国の王さまになっても、うまくやれるとは思えないし……」

 

 大体、人間のに限らず、ディーキンは国なんて、別にほしいとは思えなかった。

 何十万人が住んでいる国の王になったところで、その国のすべての人と話して回れるわけでもないし、そこにあるすべての本が読み尽くせるわけでもない。

 大きすぎて持て余すだけだろう。

 

「確かにな。ああ、王にはなったが。おれは毎日、退屈と絶望で死にそうだ」

 

 そう言うと、ジョゼフはつまらなさそうに肩をすくめた。

 

「それを、さて。お前は、なんとかしてくれるのかな?」

 

 皮肉っぽく唇をゆがめながら、駒を手に取る。

 

「先手はくれてやろう、お前が白を持て」

 

 

「チェスにも王の公務にも、大した差はない。チェスではおれの命令で駒が動き、駒が死ぬ。公務では人が動き、人が死ぬ。違いはそれだけだ」

 

 いささか退屈そうに、そっけない声で、ジョゼフはそう呟いた。

 

「シャルルが死んでからは、おれの相手になるやつはいなくなった。たまには悔しそうな顔をさせてやりたくて、がんばったものだ。チェスも公務も、あいつがいないとやる張り合いがない」

 

 しゃべりながらも、ろくに考えてもいないのではないかと思えるような早いペースで、次々と駒を動かしていく。

 しかも、それでいて失着がないのだ。

 今度は黒のドラゴンを動かして、敵方の白のナイトを狙ってきた。

 

 チェスと言っても、異世界……地球などで同じ名前で呼ばれているそれとは、若干駒の種類やルールなどが違っているようだ。

 

「さて、どうするね。その騎士は、かなり守りにくいのではないかな?」

「ウーン……」

 

 ディーキンはうなった。

 自分はタバサからつい最近ルールを教えてもらったばかりの初心者なので、勝てないのは当然かもしれないが、それにしてもたやすく弄ばれている。

 これまでに勝負したことがあるのは、タバサをはじめルイズやキュルケなどほんの数人だけだが、その中の誰よりも強いと感じた。

 

 ナイトを逃がせば自軍の防衛線が崩れ、蹂躙されてしまう。

 かといって、このままナイトが取られても同じことになるし、それを防いで守り切れるだけの駒もない。

 戦況は、明らかに敗勢であった。

 打開策が見つからない。

 

 ジョゼフはそんな彼の様子を見てつまらなさそうに肩をすくめると、椅子に深々と身を埋めた。

 

「他愛もないな。やはり、お前もシャルルの代わりにはならんらしい」

「そうだね。ディーキンには、家族っていうのはよくわからないけど。大切な誰かの代わりになる人なんて、いないと思うの。タバサはボスの代わりにはならないし、ボスもタバサの代わりにはならないし……」

 

 ディーキンは盤面をじいっと見つめて考え込みながら、なんとはなしにそんなことを呟いた。

 

(ほほう)

 

 ジョゼフは、耳聡くそれを聞き咎める。

 

 自分の姿を見て表情を固くしながらも、何も言わず手も出そうとはせず、相手が一人で来たのだからこちらも一対一で話したいと目の前の亜人に頼まれるままに、従順に後に残り。

 しかるに彼の背を最後まで不安げに見送っていた姪の姿を思い出して、ジョゼフは一人得心した。

 

(あのシャルロットが、こんな千載一遇の好機におれの首を狙ってこんとは、奇妙なことだと思ったが。なるほど?)

 

 両親譲りの美貌を備えた、あと数年もすればどんな男の心でも蕩かせそうな美女に育つであろう姪の姿を思い浮かべて、女の趣味とはよくわからんものだなと考えながら。

 ジョゼフはなんとはなしに、自分が入ってきた異空間の入口のあたりに目をやった。

 

 そこは大きな覗き窓のようになっていて、内部から外界の様子をうかがうことができる仕組みになっている。

 外に、いまだに自慢の弟の娘……自分の姪がたたずんで、本を開こうとするでもなく父の形見の杖を手にじっとこちらを見上げているのに気が付いて、ジョゼフは苦笑した。

 あれは、自分が出てくるのを待ち受けているのか、それとも男の帰りを待っているのか……。

 

(……まあ、考えてみれば、顔で選ばんのは当然か。生まれたときから、あのシャルルの傍にいればな)

 

 それでは他の男は皆ジャガイモにしか見えんだろうな、などと、今は亡き自分の弟に対して内心で惚気ているジョゼフをよそに。

 ディーキンはようやく手を思いついたようで、白のドラゴンをつまみ上げる。

 

「……それに、ドラゴンがナイトの代わりになるわけでも、ナイトがドラゴンの代わりになるわけでもないからね。じゃあ、ディーキンはこうしてみるよ」

 

 そう呟くと、白のドラゴンを敵方の黒のドラゴンの前に差し出すような位置へ動かした。

 

「……む?」

 

 ジョゼフはぴくりと眉を動かすと、そこで初めて、まともに時間をとって考え込んだ。

 

「どう?」

「うーむ、これは……」

 

 確かに、いかな黒のドラゴンとて、同時に2つの駒を取ることはできない。

 ドラゴンが取られれば、ナイトは助かる。

 

 だが、たかが一騎のナイトを守るために、最も強力で唯一無二の駒であるドラゴンを犠牲にしようなどとは。

 ハルケギニアのチェスにおける定跡では、およそ考えられない手だった。

 

(しかし、この場合は……)

 

 自軍のドラゴンを動かして敵方のドラゴンをとったなら、味方の駒との連携が崩れてしまう。

 その隙から生き残った白のナイトが斬り込んできて、次々と攻撃を続けて陣地を蹂躙していくだろう。

 それは逆にナイトをとり、ドラゴンを放置した場合でも同じこと。

 必ず、どちらかに隙が生じる。

 

 となると、この局面ではどちらの駒も取るわけにはいかなくなったということだ。

 

「一見捨て身の愚者のように振る舞いながら、あわよくば敵の命を狙い、結果的にはドラゴンとナイト、双方が共に生き延びられる、か……」

 

 結局、ジョゼフは一度は前に出した黒のドラゴンを、すごすごと自軍の陣地に引っ込ませることになった。

 

「お前、なかなかやるじゃないか。シャルルでも、そんな手を指したことはなかったぞ」

 

 感心したようにそう言ってから、だが、と付け加える。

 

「所詮は局地的なこと、全体としてはおれにもシャルルにも遥かに及びはせん。最終的な勝敗は覆るまい。ナイトを一騎救ってみたところで、大勢は動かせんのだからな」

「そうだね、たぶん」

 

 ディーキンはそれを素直に認めながら、じいっとジョゼフの顔を見つめた。

 

「なんだ、おれの顔になにかついているか?」

「なにも付いてないの。ただ、あんたはやっぱり、タバサのお父さん……弟さんが、大好きみたいだと思って」

 

 生きていた頃の弟の姿を覗ける鏡は喜ばれたようだし。

 さっきから、やたらと名前を引き合いに出すし……。

 

 しかし、ジョゼフはそっけなく首を横に振った。

 

「好きだったなら、この手で殺すと思うか?」

 

 猟に出かけたオルレアン公を毒矢で射抜いたのは、他でもない、ジョゼフ自身であった。

 

「ありえなくはないと思うの。ディーキンだって、時にはなんだか無性に、ボスの頭をかじりたくなってくるようなこともあるからね」

 

 彼の決定に納得がいかないときとかに、ほんの少し衝動的に感じる程度だが。

 きっと、祖先であるレッド・ドラゴンの混沌と悪の血が、秩序にして善であるパラディンへの憎悪と反発を感じさせているのだろう。

 

 ジョゼフはそんなディーキンの言葉に、自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「無邪気なやつだな、お前は。まっすぐな目をしているじゃないか。まったく顔は違うが、どことなくシャルルに似ている。あるいは、シャルロットはそんなところを気に入ったのか?」

 

 反撃の一手を指そうとして持ち上げた駒を手の中で弄びながら、ひとりごとのようにそう呟く。

 ディーキンは、小さく首を傾げた。

 

「でも、あんたは後悔してるように見えるよ。寂しそうだからね」

「後悔か……。ああ、後悔はしているとも! そうさ、おれはあいつのことが好きだったよ。自慢の弟だものな!」

 

 ジョゼフは手を広げてそう認めたものの、その後すぐに、肩をすくめて自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「……でもなあ。結局のところ、おれはやはり、遅かれ早かれシャルルを殺すことになったと思うのだよ」

 

 本当に、不思議なほど口が軽くなっていると、ジョゼフは感じた。

 しかし、酒に酔ったからではないし、何か薬などが混ぜてあったわけでもない……シェフィールドがあらかじめ、毒は効かないようにしてくれているのだから。

 この亜人の持つ魅力というか、漂わせている雰囲気が、自然とそうしたい気分にさせるのだろう。

 

(いいだろう、この際だ。聞かせてやろうじゃないか)

 

 自分がいかに醜く、身勝手で、理不尽な動機で、何ら非もなく兄を愛してくれていた弟を殺したのかということを。

 それで目の前のこの亜人や、シャルロットが激高して襲ってくるのなら、相手をしてやろうではないか。

 

 そう思って、ジョゼフはこれまで胸のうちに秘めてきたことを、率直に話していった。

 

「シャルル、あいつはな、本当にできたやつだった。皆が、シャルルが王になることを望んでいたさ。誰よりも魔法の才に優れていた。五歳で空を飛び、七歳で火を完全に操り、十歳の頃にはもう銀を錬金していた。そのうえ、十二歳のときには……」

 

 弟のこととなるといつも饒舌になり、誇らしげに話す自分に、ジョゼフも気付いていた。

 それはやはり、弟のことが大好きだったからだろう。

 

 なのに、殺してしまったのだ。

 

「……できないおれに対しても、いつも優しく気遣ってくれた。だがな、あいつのそんな優しさに触れるたびに、おれはどうしようもなく惨めな気持ちになった。おれが持たぬ美徳、才能をすべて兼ね備えたあいつが羨ましくてたまらなかった!」

 

 それでも、憎くはなかった。

 少なくとも、殺してしてしまうほどに憎くはなかった。

 

 あのときまでは……。

 

「病床の父が、おれたち二人を枕元に呼んで、次の王はジョゼフだと言ったとき、おれは耳を疑った。誰もが愛した次男のシャルルではなく、母でさえも暗愚と呼んだ長男のおれを王に! 嬉しかったね。そのとき、シャルルがどんな顔をしたと思う?」

 

 そんなジョゼフの問いかけに、ディーキンは少し首をかしげて考えてから答えた。

 

「ウーン。ディーキンなら、なるべく嬉しそうに笑って、『おめでとう』って言うかな?」

 

 ジョゼフは、ぴくりと眉を動かして、にいっと唇をゆがめた。

 そうして面白そうに肩を揺らしたが、しかし、ディーキンを見つめる目は笑っていない。

 

「ほう、お前もそうか。次の王にと皆から推されていたのに、悔しがるだろうなとは想像せんのか?」

「悔しいかもしれないけど、病気で倒れてるお父さんが目の前にいるんでしょ? なのに兄弟でケンカしたり、文句を言ったりして困らせたら、気の毒だと思うからね」

 

 ジョゼフは何もコメントせずに、ただじいっと、ディーキンの目を見つめた。

 こいつも弟と同じように殺してやろうか、それとも見逃してやろうかと、検討してでもいるかのようだった。

 

「……そうか。あるいはシャルルも、そんな考えだったのかもしれんな」

 

 ややあって、ジョゼフは溜息を吐きながらそう言うと、ディーキンから目を逸らす。

 

「おれは得意になって、あいつが悔しがるに違いないと思ったんだ。だが、あいつは喜んで、おれを祝福した。なんの嫉妬も、邪気も皮肉もない笑顔だった……」

 

 その時、王になったことでようやく得た優越感が、これまで以上のどん底の劣等感に変わり、嫉妬は憎悪と殺意に変わった。

 才能も美徳も、自分の持たぬものすべてを手に入れている弟の存在に、これ以上我慢ができなくなった。

 

「だから、殺したんだね?」

 

 ディーキンの問いかけは、責める調子ではなく、ただ確認するものだった。

 ジョゼフは、そっけなく頷いた。

 

「あいつは昔、おれがまだ目覚めてないだけだ、いつかすごいことができると言ったものだ。その通りだった! おれは『虚無』に目覚めた、そして悪魔と手を結び、いまや世界を舞台のチェスゲームに興じている!」

 

 手を広げてそう言ったジョゼフはしかし、何ら楽しそうな様子ではなかった。

 

「シャルルをこの手にかけたときより心が痛む日まで……、おれは世界を慰み者にして、蔑んでやるつもりだ。あいつを殺してまで得たものに、それだけの価値があったと証明するためにな」

 

 そう言って話を終えると、ディーキンのほうに目を戻す。

 

「……それで? おれをこんなところに呼びつけてまで聞いた話に、お前は満足したか? 聞けば、天使と手を組んでいるそうじゃないか。ご立派なことだ! 悪魔と結んでいるおれを、殺さなくていいのか?」

「ええと、ありがとうなの。いろいろ話してもらって、ディーキンは感謝してるよ」

 

 ディーキンはまず、そう言って、ぺこりと頭を下げた。

 

「それで、バードとして言わせてもらうと、あんたはすごい人みたいだからね。デヴィルの仲間なんかより、もっとふさわしい役柄があると思うの」

「うん?」

 

 怪訝そうな顔をしたジョゼフに、ディーキンはにやりとした笑みを浮かべて見せる。

 

「つまり、タバサやシャルルさんと同じで、英雄だよ」

 

 ディーキンはそう言って、ひょいと席から降りた。

 

「ええと、続きは後でにしていいかな。タバサが心配してると思うから、ちょっと外に戻って話してくるね。あんたは、ここで待っていてくれる?」

「なんだ、わけのわからん話をしたと思ったら。外のシャルロットと示し合わせて、おれを討つ算段か?」

 

 ディーキンは、首を横に振った。

 

「そんなことはしないって、ディーキンは約束するよ。もしもタバサがあんたを殺そうとするなら、ディーキンは止めるの」

 

 でないと、主人が好きだった話の中に出てくる、従兄弟に敬意を払うつもりで彼の意に反して処刑してしまったあの王様のように、今のジョゼフのように、後になって後悔することになるだろうから。

 

「とにかく、少しだけここで待って、外の様子を見ていてほしいの。あんたが、シャルルさんを殺したことを、後悔してるのなら」

 

 そうであることを直接会って確かめたいま、自分がやるべきことは決まった。

 ただ、タバサのことは気がかりだった。

 

 

 

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「…………」

 

 タバサは、ディーキンが彼女の伯父と連れ立って消えていった虚空を、じっと立ち尽くしたまま見守っていた。

 先ほどはそこに垂れ下がったロープのようなものとゆらめく光の靄があったが、彼らが行った後でそれらは消えてしまい、今は何もない。

 もちろんこちらからでは、その先にある異空間の奥を見通すこともできない。

 それでも彼女は、食い入るように見つめ続けた。

 

 やがて、虚空に再び靄とロープがあらわれ、その奥からディーキンが戻ってきたのを見て、彼女の顔がぱっと輝いた。

 

「おかえりなさい」

「ただいまなの」

 

 彼の元に駆け寄ったタバサは、伯父がいつまでも姿をあらわさないことに気付いて、首を傾げる。

 

「……ジョゼフは?」

 

 もしや、異空間の中でなにか揉め事でも起こって、彼を倒してしまったのだろうか。

 だとしたら喜ぶべきなのかどうかは、わからないが……。

 

「ジョゼフさんには、ちょっと待っていてもらってるの。彼と話す前に、タバサに聞いておきたいことがあって……」

 

 そう言うディーキンの声は、いつになく深刻そうな調子だった。

 この部屋はもちろん異空間ではないが、ここにも事前に《大魔道士モルデンカイネンの秘密の部屋(モルデンカイネンズ・プライヴェイト・サンクタム)》の呪文がかけてあり、外部に情報が洩れるおそれはない。

 

「なに?」

 

 ディーキンは、タバサの顔を真っ直ぐに見上げた。

 

「タバサは、お父さんのことが好きなんでしょ?」

 

 突然脈絡もなくそんな質問をされて、タバサはちょっと戸惑った。

 とはいえ否定する理由などないので、こくりと頷く。

 

「ディーキンには、家族ってよくわからないの。部族とか友達なら、わかるけど。でも、やっぱり、大切なものなんだよね?」

 

 タバサは頷きながらも、心の中では彼が一体どんな意図で伯父との話を中断してまで、自分にそんな質問をしに来たのだろうかと考えていた。

 

「……」

 

 まさか……。

 

『じゃあ、お父さんとディーキンとどっちが好き?』

 

 ……いやいや、さすがにそれはあるまい……。

 などと考えているうちに、ディーキンが言葉を続けた。

 

「それは、お父さんが立派な人だと思うから? それとも、どんな人でも、タバサはお父さんが好きなの?」

 

 考えてもいなかった質問に、タバサは戸惑った。

 

「どうして、そんなことを聞くの?」

「タバサのお母さんが言ってたことを、覚えてる?」

 

 そう言われてタバサは、薬の影響から逃れて心を取り戻した母が明かした話を思い返した。

 母によれば、清廉潔白で野心などとも無縁だと思っていた父は、実際には国王の座に相当に執着し、それを手に入れようと頑張っていたらしい。

 それを聞いたときには、少なからずショックだったことは否定できないが……。

 

「……わたしにとってのシャルルは、宮廷の政治闘争に関わった人ではなく、家族。父さまはいつも、わたしに優しくしてくれた。それは、なにがあっても変わらない」

 

 彼女がきっぱりとそう言うと、ディーキンは大きく頷いた。

 

「じゃあ、これを使ってみてもいい?」

 

 そう言って、懐から一枚のスクロールを取り出す。

 

 それはディーキンの仲間であるドロウ・エルフのナシーラが、かつてアンダーダークの大都市メンゾベランザンの魔法院(ソーセレイ)に所属していたころに入手したという、希少な呪文が収められた代物だった。

 ジンの商人ヴォルカリオンを介してナシーラに頼み、用意してもらったものだ。

 これを用いれば、術者が名指しで指定できる特定の死者の霊魂を一時的に他次元界から召喚し、会話や質問をすることができるというものである……。

 





《ロープの奇術(ロープ・トリック)》の呪文の強化版:
 本作オリジナルの呪文。ロープ・トリックは一時的な異次元空間を作り出す呪文だが、その空間の中にあらかじめ調度品や魔法の従者を備えておくようにしたもの。
小説『ダークエルフ物語』の作中で、ソーセレイの主席魔道士であるグロムフ・ベンレが似たような呪文を使っている。

モルデンカイネンズ・プライヴェイト・サンクタム
Mordenkainen's Private Sanctum /大魔道士モルデンカイネンの秘密の部屋
系統:防御術; 5レベル呪文
構成要素:音声、動作、物質(一枚の薄い鉛と、半透明のガラス片一つと、綿布か布地の切れ端と、粉末にしたクリソライト(橄欖石))
距離:近距離(25フィート+術者レベル2レベル毎に5フィート)
持続時間:24時間(解除可)
 この呪文は術者レベル毎に一辺30フィートの立方体の区画1個分を効果範囲とすることができ、その範囲内の情報が外に漏れることを防ぐ。
対象となった区画は外から誰が覗いても、闇がかった霧しか見ることができない。
どれほど大きな音も、この範囲から外に漏れ出ることはない。
占術(念視)呪文ではこの範囲の中を知覚することはできず、この範囲の中にいる者は全員ディテクト・ソウツに対して完全耐性を有する。
パーマネンシィの呪文によって、この呪文の効果を永続化させることもできる。

死者の霊魂を召喚する呪文:
 正式な名称は不明。小説『ダークエルフ物語』の作中で、アルトン・デヴィーアと呼ばれるドロウの魔術師(故あって、既に死んだ『顔なき導師』と呼ばれるソーセレイの教官になりすましていた)が使用した呪文。
彼は母親である慈母ギナフェの霊魂を呼び出し、自分の所属していたデヴィーア家を滅ぼしたのがどこの家系なのかを聞き出そうとしていたが、ギナフェを元いた次元界から連れ出して拷問を中断させたことに怒るロルスの侍女ヨックロールの妨害を受けたために目的は果たせなかった。
アルトンはその後、別のルートから仇がドゥアーデン家であることを知って学院を去り、最終的にはかの名高いドリッズト・ドゥアーデンと戦ったものの、敗れ去って死亡している。
 なお、過去に同じ学院に所属していた経緯のあるナシーラがこの呪文を習得しているというのは本作オリジナルの設定であり、公式なものではない。

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