Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百四十六話 Watching over

 

「ディーキンは、よくここで景色を眺めてたの」

 

 ニューカッスル城の傍にある小高い丘にのぼると、ディーキンはタバサに周囲を見渡すように勧めた。

 

 まだ弱い朝の日差しの中で、きらきらと輝く城の尖塔、鮮やかな緑の木々。

 なだらかな斜面を覆う緑のカーペットは、吹き抜ける風によって穏やかに波打っている。

 

「きれい……」

 

 タバサの口から、素直な感想が漏れた。

 あまり景色などを楽しむ習慣のない彼女も、その美しい眺めにしばし見とれる。

 

 ディーキンは、そんな彼女の反応を見て嬉しそうにうんうんと頷いた。

 

「でしょ? ここへ来てすぐに見つけた場所なの。天気とか時間とか風の吹き方とかでいつもちょっとずつ違うから、何回見てもいいんだよ」

 

 そう言いながら、彼は楽しげに目を輝かせる。

 

「ディーキンは、今日で最後なのがちょっと残念だな……。でも、次に行くところにも、きっときれいな場所があるよね?」

 

 その目は、目の前の景色だけでなく、どこかもっと遠くを見ているようでもあった。

 

 そんな彼の姿が、タバサにはなにか近くて遠い、眩しいものであるように感じられた。

 ここへ来て以来、ディーキンははずっと忙しそうに動き回っていたから、そんな暇はなさそうに見えたのだが。

 しかし実際には、どんなに多忙でも、過酷な戦いの最中であっても、そういったものを楽しめるだけの心のゆとりが彼にはあるようだ。

 

(この人は、これまでにどれだけたくさんの美しいものを見てきたのだろう)

 

 その目が、今は自分に向けられている。

 

 彼の目に、自分はどのように映っているのだろうか。

 この景色の何分の一かでもきれいだと、そう思ってくれているだろうか。

 

「…………」

 

 タバサは無意識に、どきどきと高鳴る自分の胸を押さえた。

 そんな彼女の様子に気付いているのかいないのか、ディーキンはふと思いついたように話題を変えた。

 

「ねえ、タバサがこれまでに見てきたことを教えてよ」

 

「……私が、見てきたこと?」

 

「そうなの。タバサは、これまでに何回も、大変な任務を引き受けて来たんでしょ?」

 

 タバサは、控えめにこくりと頷いた。

 彼自身が潜り抜けてきたという数々の冒険と比べれば、自分のそれなどはおそらく何ほどのものでもないのだろうから。

 

「それなら、きっといろいろな場所に行って、たくさんのものを見たことがあると思うの。ここみたいにきれいなところもあったでしょ、それを聞かせてくれない?」

 

 そう言われると、タバサは少し俯いて顔を曇らせた。

 

(きれいな景色……)

 

 そんなものは、父が死んだ頃以来見た覚えがない。

 

 確かに彼のいうように、任務でさまざまな場所へ赴きはした。

 でも、どの場所も記憶には残っていても、美しいものとして印象に残ってはいない。

 いつでもどこでも、考えていたのは母の心を取り戻すことと、父を殺された復讐をすることばかり。

 たまの余暇の楽しみは、しばし辛い現実から離れて大好きな本の世界に浸ることで、現実の世界は灰色に色褪せていた。

 そうでなくても、生き延びるために、そして目的を成し遂げるために、少しでも知識を身につけようと本を開いてばかりいて、景色なんてろくに見もしなかった気がする。

 

「……ごめんなさい。あまり、景色は見なかった。余裕がなかったから」

 

 自分には、彼のような心のゆとりはもてない。

 それは、いわゆる生まれつきの器の違いというものなのだろうか。

 それとも、彼が誇らしげによく話して聞かせてくれるような頼れる仲間たちが、自分にはいなかったからだろうか……。

 

 ディーキンはしかし、その返事に特に失望したふうでもなく、むしろ感心したように頷いた。

 

「ウーン、そうか。タバサはいつも真面目で一生懸命だから、わき目もふらずに頑張ってたんだね。……じゃあ今度、ディーキンと一緒に、もう一度見に行かない?」

 

「……え?」

 

「だって、せっかく行った場所なのによく覚えてないなんてもったいないと思うの。ディーキンを案内して、そこでどんなことがあったのか聞かせてくれない?」

 

 ディーキンはにこにこと、人懐っこい笑みを浮かべてタバサの顔を見つめる。

 

「図々しい頼みだって思われるかもしれないけど。ディーキンはいつか、人に話しても大丈夫になったらそれを本に書いて出版するの。『タバサの冒険』だよ。それに、昔は大変だったかもしれないけど、もう一度行ってみたらきっと懐かしいと思うの」

 

「…………」

 

 真っ直ぐに自分の顔を見つめながら、熱心にそう提案してくる彼の顔を見ているうちに、タバサは自分の心も温まってくるような感じがした。

 

 ああ、そうか。

 彼は、いつでもすごいねと言って、心から相手のことを肯定する。

 楽しいこと、美しいもの、わくわくするような何かを、どんな時でもどんな場所でも探し出そうとする。

 そしてそれを、人と共有したいと願っている……。

 

「だめ?」

 

 タバサは首を横に振って、ほんの少しだけ微笑み返した。

 

 確かに、母のため、復讐のために、あてもなく終わりも見えない灰色の日々を送る生活は概ね終わったのだ。

 任務ではなく、もう一度行ってみたら、楽しめるかもしれない。

 たとえそうでなくても、彼と一緒なら、きっとどこだって楽しいだろうけれど。

 

「私も、また行ってみたいと思う。アルビオンから戻ったら、案内する」

 

「ありがとうなの! じゃあ、もしよかったら、行く前に、特に印象に残った人のお話とかを聞かせて。ディーキンはその間に、ここで見つけたきれいな景色の見られる場所をみんな案内するよ!」

 

 そんな具合に、朗らかに歓談を続けながら、ディーキンとタバサはのんびりと散歩を続けた……。

 

 

 そんな彼らの様子を、遠くからこそこそと窺う女性が二人。

 言うまでもなく、キュルケとウィルブレースである。

 

「一体、いま何を話してるのかしら? ……ああ、もどかしいわね!」

 

 キュルケは、いささかやきもきしていた。

 

 二人ともウィルブレースの手によって透明化している上に、なるべく物陰に隠れるようにしながら数十メイルも離れて後をつけているので、感知能力に優れたタバサやディーキンにも見つかるおそれはほとんどない。

 が、しかし。

 もちろん、それだけの距離が開いている上に多少ながら風が吹くことによる雑音まで混じっているとあっては、二人がいま何を話しているのだか彼女に知る術はなかった。

 

「やっぱり、もうちょっと近づいてみようかしら……」

 

「おやめなさい、近づきすぎるのは危険ですよ。少なくともディーキンには、間違いなく見つかります」

 

 ディーキンのような、完全なドラゴンの種別を得るまでに修練を積んだドラゴン・ディサイプルの備える非視覚的感知能力の有効射程は六十フィート(約十八メートル)である。

 一歩でもその範囲内に踏み込んでしまえば、たとえ透明化していようとも、何者かがそこに存在するということに確実に気付かれる。

 

「もちろん私どもは、見つかって困るようなやましいことをしているわけでは決してないですが。お二人の邪魔をすることになりますから……」

 

 ウィルブレースはそう言うと、彼女のために、自分が聞き取れた話の内容をかいつまんで説明してやることにした。

 

「……と、いったような話をしていますね」

 

「和やかねえ。まあ、あの二人らしいといえばらしいけど……。一夜を共にした後なら、もうちょっと艶っぽい話をしててもいいでしょうに!」

 

「いいではありませんか。初心な少年少女の頃に見えていたものは真実ではないかもしれませんが、その頃にしか見えないものであることも確かです。きっと、素敵な経験になりますよ?」

 

 微笑みながら自分をなだめるようにそう言うウィルブレースに対して、キュルケはいかにも面白くなさそうな顔をする。

 

(何よ、さっきあんなことまでしたくせに、今度は年寄りみたいな口をきいて。情熱が冷めたら、私なんか子ども扱いってわけ?)

 

 まがりなりにも一度は対等の立場で競い合い、情熱を交わし合いもした相手から、そんな年長者ぶった諭すようなことを言われるのは当然面白くなかった。

 事実として彼女の方が自分よりもずっと年長で知見も遥かに上なのだと知ってはいても、いつかは自分の方が優位に立って傅かせてやろうと意趣返しの機会を窺っている身としては、少なくとも対等な立場でいたいと思うのは当たり前のことである。

 

 とはいえ、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーともあろうものが、そんなみっともない不満を口に出せようはずもない。

 いずれその余裕を剥ぎ取って、今度こそ情熱の火で焼き尽くしてやるのだと自分に言い聞かせて、キュルケは内心の不満を努めて抑え込みながら話題を変えた。

 

「……にしても、あなた。こんなに離れてるのに、よくそんなに詳しく聞こえるものね?」

 

 やっぱりなにか魔法を使ってるのかしら、というキュルケの問いに、ウィルブレースは首を横に振る。

 

「いえ、普通に聞こえているだけです。私どもは耳がいいので」

 

 実際、トゥラニ・エラドリンの<聞き耳>能力は高く、普通の話し声くらいなら50メイルやそこら離れていても余裕で聞き取れるくらいに、彼女の耳はいいのである。

 魔法による念視などと違って、普通に聞いているだけなので対抗呪文による妨害を受けることもない。

 

 先日彼女が単身で万を超す敵がひしめくレコン・キスタ陣営に潜入し、長時間にわたる工作を無事に終えて帰還できたのも、ひとつにはこの鋭い聴覚があったからだ。

 いくら姿を消して行動していてもそれを発見しかねないような相手というのはいるものだが、事前に敵兵の存在を察知して可能な限り近づかないようにしていれば、見つかる危険は格段に減るのだから。

 

「そう……便利なものね」

 

 キュルケは、そう言って肩をすくめる。

 それから、半目でウィルブレースの方を睨んだ。

 

「これまで何を盗み聞かれてたのかと思うと、あんまりいい気分はしないわね。今度から、あなたが同じ建物にいる時にはおかしな音や声を立てないように気を付けておくわ」

 

「盗み聞きだなんて、そんな。普通にしていても聞こえてくるというだけですよ?」

 

「自然に聞こえてくるだけだとしても、こっちの秘め事まで勝手に聞かれてることに違いはないじゃないの」

 

 こっそり親友のデートを覗き見ようとしている自分のことを棚に上げてそうのたまうキュルケに、今度はウィルブレースの方が苦笑して肩をすくめる。

 

「普通の人間の感覚では、そういうものなのかもしれませんね。ですが、私にとっては本当に、ただ普通に生活していても聞こえてくるだけのことなのですから、それに文句を言われましても……」

 

 ウィルブレースは元エルフであり、エルフは個人のプライバシーは最重要事項であると考えるから、キュルケの言い分もわからないではない。

 しかし、勝手に他人の家に入ったり許可なく手を触れたりして文句を言われるのはともかく、普通にしていて聞こえてくるだけのものや野外を歩いていて普通に見えるだけのものなどに文句を言われても、それは人間が「常に目と耳を塞いで生活しろ」といわれるようなもので、ウィルブレース本人からしてみれば不当かつ不躾な要求でしかないのだ。

 もし仮に、視覚をもたないグリムロックのような種族から、「その目とやらで許可もなく人の姿をじろじろ観察するなど失礼極まりない、塞いでおいてもらいたい」などと言われたら、人間だって「そんなのは言いがかりだ、目を閉じて生活しろなんて要求する権利がそちらにあるものか」と憤慨することだろう。

 

 同じエラドリン同士で生活する場合にはそのくらい耳がいいのが普通のことだとみんな知っているし、全員が混沌と善の属性をもち、解放的で人の弱みに付け込んだりなど決してしないから、別に生活するうえで普通に立てるような物音や日常の会話などを聞かれても誰も気にしない。

 そしてエラドリンには、罪のないちょっとしたサプライズのためとかいった範囲を超えて、同族に本気で隠し事などをしなくてはならないというケース自体が滅多にない。

 善なる心には後ろ暗い隠し事などないし、自由奔放な彼らは、デートであれ睦言であれ、他人に知られても何の恥でもないと考えている。

 素直な心の赴くままに、真摯な愛情の結果として行われた行為が、どうして知られてはならぬような恥であろうか。

 それでも、ごく稀に本当に他人に聞かれては困るような話をしなくてはならなくなった場合には、近くに人のいない場所に行くなり、魔法で音を遮断するなり、自己責任で気を配るのが当然である。

 聞かれて困るような話なら、それを他人に悪気なく聞かれてしまいかねないような場所で無頓着にする方に問題があるのだ。

 

 同様のことは、他の種族にも言えるだろう。

 

 たとえば、人間も含め大概の種族は、他人の心の中を勝手に読むなど破廉恥で無礼極まりない行為だと考える。

 しかし、生来他人の心の中を読める能力をもつ一部の種族にとっては、心を読むのは見たり聞いたりすることと同じくらい自然な行為である。

 そのような種族の代表格であるイリシッド(マインド・フレイヤ―)などは、他人の心を読むこともテレパシーで会話することもできない人間のような種族を精神的な不具者であり、下等種族であると言って蔑んでいるのだ。

 とはいえ、イリシッドについて言えば彼らは邪悪極まりない種族なので、ウィルブレースとしてもその言い分を認める気はないのだが。

 

 それにディーキンも、おそらく非視覚的感知の能力を別にしても、自分と同程度のことができるくらいには耳がいいだろうとウィルブレースは考えている。

 

 周囲の危険を素早く察知することが重要な冒険者にとって、<聞き耳>はごく一般的な技能である。

 特に彼のような高レベルの冒険者であれば、トゥラニのような上位のエラドリンと比較しても、技量面では決して引けを取らないはずだ。

 もちろんウィルブレースはそのことを考慮に入れて、キュルケとはごく小さな声で密かに話しているし、音が流れにくいように彼らよりも風下の方から尾行しているし、いくつかの呪文を用いて隠密性をさらに高めてもいる。

 しかもディーキンはタバサとの会話に気を取られているし、特別に誰かいるのではないかなどと疑ってあたりを警戒しているというわけでもない。

 そういった条件の上でウィルブレースよりもかなり不利なために、彼の方では数十メートルも離れたところから尾行してくる彼女らの存在には未だ気付かずにいるのである。

 

「……そうですね。誓って言いますが、私はあなたについても、他の方々についても、大したことは何も聞いていません。もし聞いてはいけないような秘め事や大切なことが耳に入ったとしても悪用などしませんし、忘れるよう努めます。本人の前でも、何も知らないように振る舞います。お約束できるのはそのくらいです」

 

 キュルケは、それでもなお不満そうな顔で何か言いかけた。

 

 しかし、その時突然ウィルブレースが真顔になり、その目が鋭く細められた。

 その急変に戸惑う間もなく、彼女はいきなりキュルケの口を押えるとその体を抱えるようにして、手近の物陰へさっと引きずり込む。

 

「な、何を……?」

 

 突然そんな行動をされてどぎまぎするキュルケに、ウィルブレースは口の前で指をぴっと立ててみせた。

 

「……静かに」

 

 小さくそう言うと、目を閉じてじっと耳を澄ませ始める。

 その真剣な様子に、キュルケも戯れでない何かがあったのだと察して、口をつぐんだ。

 

 ややあって、ウィルブレースは目を開いた。

 

「どうやら、私などよりもっと性質の悪い覗き屋がいるようです。様子を見てきますから、あなたはしばらくここに」

 

 そう言いおくと、彼女は精神を集中させて、どこへともなく姿を消した。

 

「……なによ、もう」

 

 後に取り残されたキュルケは、彼女に力強く抱き寄せられて物陰に引き込まれたときに一瞬何か違うことを期待した自分に気が付いて、誰にともなく小さく毒づいた。

 

 

 

 ディーキンらが歩いている場所や、キュルケが潜んでいる場所からやや離れた枯れかけた木の梢に、一羽のフクロウがとまっている。

 

 時折きょろきょろと首をめぐらして、あたりに何か餌はないものかと探しているように見えた。

 一見すると、特に何の不自然もない普通の鳥である。

 しかし、近くで耳を澄ませてみれば、その体内からかすかに歯車の軋むような、奇妙な音が聞こえてくるのがわかるだろう。

 

 そいつが突然何かに引っ張られたように木の枝から落ちて、その下の方にある岩陰に引っ張り込まれた。

 

「まったく、無粋なフクロウね」

 

 あらかじめ瞬間移動してその岩陰に潜んでいたウィルブレースの念動力によって引き寄せられた梟は、たちまち彼女の手に収まる。

 ウィルブレースは直接触れてそいつが間違いなく機械であることを確認すると、引っ掴んだまま問答無用で電撃を流し込み、その機能を完全に停止させた。

 

 それから、手早く内部の構造を確認していく。

 

 中には歯車がぎっしりと詰まっていて、まるでノームの作った奇妙なからくりのようだった。

 何らかの人造には違いないだろうが、これまでに見たことのない種類のものだ。

 おそらくは、こちらの世界のメイジが作り出した代物なのだろう。

 

(我々の動向や部隊構成などに関する情報をできる限り得るために、レコン・キスタ軍の残党かデヴィルどもが放たせたものか)

 

 好奇心の赴くままに出掛けただけの散歩であっても、こうして役に立つことがあるというわけだ。

 

「さて……。私も、あまり長くデートの相手を待たせては」

 

 

 

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『まったく、無粋なフクロウね』

 

 監視用ガーゴイルのひとつから送られてくる映像が突然乱れ、そんな女の声が聞こえてきたのを最後に、完全にブラックアウトする。

 

「ち……、もう気付かれたのか」

 

 離れた場所に潜んでそれらの映像を監視していたシェフィールドは、顔をしかめた。

 

 指輪で操った兵士たちからの情報だけでは不完全ゆえ、自分自身の目で確かめるべく隠密性の高い動物に擬態した監視用ガーゴイルをニューカッスル城の周囲に放ったのだが、一昼夜ももたないとは。

 一旦存在に気付かれてしまった以上は、残りのガーゴイルも除去されてしまうのは時間の問題だろう。

 

(まあいいさ、調査の糸口は掴んだ)

 

 破壊される直前に、あのガーゴイルは早朝の散策に出たと思しき一人の少女の姿を捕らえていた。

 

 遠目にもわかる鮮やかな、特徴的な青髪。

 あれほど見事な青髪の持ち主は、それだけでガリア王家の縁者ではないかと疑うに十分。

 そして、指輪の力で操った兵士たちから得た情報によれば、ニューカッスル城における絶望的なはずの決戦を目前に控えた頃に、トリステインから一団の援軍がやってきたのだという。

 

 それらの情報と、ガリア王ジョゼフの傍近く仕えるシェフィールドの知識を組み合わせれば、あの映像に映った少女の正体は推測が付く。

 

「北花壇騎士七号、シャルロット・エレーヌ・オルレアン……」

 

 直接会ったことはないが、王弟であるオルレアン公の娘だった彼女は、現在はトリステインにある魔法学院に通っているはずだ。

 父に謀反の疑いがかけられてその身分を剥奪された後、同様に罰を受けて心を壊された母親を守るため、王女イザベラに仕える北花壇騎士として任務を遂行していると聞く。

 

(それが、なぜこんなところに来ている?)

 

 これも、イザベラの出した何らかの気まぐれな任務の一環なのだろうか。

 もしそうでないとすれば、なぜ母を守るために常に任務に備えていなければならないはずの娘が、それとは無関係なはずのこんな危険な戦地へ来ているのか。

 

 まずは、そのあたりから調べていくとしよう。

 あの娘が確かにシャルロット・エレーヌ・オルレアンだとすれば、ガリア王ジョゼフとつながる自分は、いざとなればその名を出して彼女を貴重な情報源や手駒として使うことができるかもしれぬ……。

 

 

 

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 ウィルブレースはそれから一旦キュルケの元へ戻ると、戦利品を見せて事情を伝えた。

 その際の彼女の見立てによれば、これは確かにハルケギニアのメイジが作ったもので、この世界の魔法人形(ガーゴイル)の一種であろうとのことだった。

 

「では、散歩はこれまでですね。私はこのまま、他にも同じような魔法人形が放たれていないかあたりを探しますから。あなたは城へ戻って、念のため事情を伝えておいてください」

 

 まあ、先日あれだけ派手に戦った後なのだし、この城はもうすぐ立ち去る予定なのだから、向こうが何を見たいにせよいまさら城外の監視装置からの映像くらいで大した問題になるとは思えないが。

 とはいえ、できる限り情報を漏らさないためにも、念のためこの城から全軍を移動させる前にすべて除去しておくことが望ましいだろう。

 

「わかったわ。二人のデートの続きが見れないのが残念だけど、……あ、誰かにあなたの手伝いを頼みましょうか?」

 

「そうですね。……いえ、大丈夫です。みんな準備であわただしいでしょうし、私がやっておきましょう」

 

 手の空いているセレスチャルに頼んで手分けをすれば早いには早いだろうが、そうするとあたりが騒がしくなって、ディーキンらの散歩が中断されかねない。

 ウィルブレースとしては、さして緊急の事態でもないのに、初々しい二人の大切な時間の邪魔をするようなことはしたくないのだった。

 

 

「オオ。それじゃ、その人間のお兄さんと翼人のお姉さんとは、無事に結ばれたんだね?」

 

「そう」

 

 タバサは散歩をしながら、彼にせがまれて以前に解決した翼人討伐の任務のことを話していた。

 

 森に棲む翼人たちと対立するその地の村人たちから翼人討伐の依頼が出ていたのだが、両種族の愛し合う若者たちから戦いを止めてほしいと泣きつかれて、タバサは一芝居打って彼らを和解させることにしたのである。

 幸いその試みは上手くいき、最終的に討伐の依頼は取り下げられて、彼らも無事に結ばれることができたのだった。

 

「よかったの。やっぱり、愛に種族の差なんて関係ないからね!」

 

 昨夜のウィルブレースの話もそうだが、異なる種族同士がわかり合えたという実例を聞くと、コボルドにもきっとできるだろうという気持ちになれる。

 ディーキンは、いつかは自分の部族の元に帰って、コボルドという種族を人間やエルフなどの他の知的種族と互いに尊敬し合えるような仲間の地位に押し上げてやろうという大望を抱いているのだ。

 

「……うん……」

 

 にこにこしながらそう言うディーキンに、タバサはなぜか、かすかに頬を染めながらこくりと頷いた……。

 

 

 

 そうして景色を見たりおしゃべりをしたりしながらぐるりと城の近くを一回りして、二人は出発点の近くに戻ってきた。

 

「これで、大体の場所は見たかな。そろそろ、帰ろうか?」

 

 ああ、もう終わってしまう。

 そう思うとタバサは、ぎゅっと胸が締め付けられるような痛みを覚えた。

 

 けれど、そんな内心をおくびにも出さずに、従順に頷いてみせる。

 

「わかった」

 

 そうしたつもりだったが、わずかに声や表情に感情が現れていたのだろう。

 ディーキンは小さく首を傾げると、じっとタバサの方を見つめた。

 

「……まだ、どこか見たいところがあったの?」

 

 気づかわしげなそのまなざしに、タバサの胸は高鳴る。

 自分の、そんな小さな表情の変化にまで気が付いてくれるのは、キュルケと彼くらいのものだ。

 

 タバサは彼の気遣いに心を動かされて一瞬何かを言いかけたが、俯いて口ごもった。

 

「まだ時間はあるの。今日でこことはお別れなんだから、行きたいところがあるなら遠慮しないで」

 

 そう言って促すディーキンに対して、彼女はしばしの逡巡の後に意を決したように顔を上げると、自分の望みを伝えた。

 

「……最後にもう一度、礼拝堂へ」

 

 そこであなたに話しておきたいことがあるからと、タバサは真っ直ぐにディーキンの顔を見ながらそう言った。

 





<聞き耳(Listen)>:
 周囲の音を聞き取るための技能で、関係能力値は【判断力】。
音の大きさや状況に応じた特定の難易度に対して、もしくは目標の<忍び足(Move Silently)>技能の達成値に対して判定を行い、それ以上の目を出せば音を聞き取ることができる。
 たとえば、100フィート(約30メートル)離れたところで普通の大きさの声でかわされる会話を、その内容まで聞き取るための難易度は、0(会話音に気付くための基本難易度)+10(距離10フィートごとに1増加)+10(音に気付くだけでなく内容の詳細まで聞き取る)=20、となる。
これは、特に技能を持たない平均的な能力値の人間(<聞き耳>判定基準値が0)の場合には、判定の出目が10(期待値)で会話が行われていること自体はわかるものの、その詳細な内容まで聞き取れるのは出目が最高値の20の場合のみだということである。
もしも会話が小さな囁き声でかわされているなら、これにさらに+15の補正が付いて難易度は35となり、技能判定には自動成功・自動失敗はないので、素人では絶対に聞き取ることができなくなる。
 作中に登場するウィルブレースはトゥラニ・エラドリンという種族だが、平均的なトゥラニの<聞き耳>判定基準値(技能レベルに【判断力】ボーナスを足した値)は28であり、これに1d20の出目を足すので最低でも29の達成値が保証されていて、出目10では38、最高値が48となる。
したがって、30メートルも離れた場所で囁き合われている会話でもごく普通に聞き取れる彼女は、特に何も意識しなくても常に周囲でかわされる会話を盗聴し続けているようなものだと言える。

グリムロック:
 地下世界アンダーダークに主に居住する人怪の一種。
彼らは筋骨たくましい人間と同程度の体躯を有し、肌は灰色で鱗状になっており、光のない地底での生活に適応しているため眼窩は虚ろで目玉がないが、鋭い嗅覚と聴覚によって近くのものを識別できる。
イリシッド、ドロウ(ダークエルフ)、アボレスなどの自分たちを餌や奴隷にする強力かつ危険な種族に満ちた地下世界で生活してきたため、大部分のグリムロックは異種族を信用せず攻撃的で、悪属性であることが多い。
しかし、信頼できる仲間であると認めた者に対しては誠実であることが知られている。

イリシッド:
 地下世界アンダーダークに主に居住する人怪の一種。
背丈は人間と同じほどだが、その弾力のある肌は青や緑がかった色をして粘液でてらついており、膨らんだ白い眼をした四本足の蛸のような不気味な頭部をもつ。
マインド・フレイヤ―(精神を砕くもの)とも呼ばれるこのおぞましい種族は、きわめて知能が高く、心底邪悪でサディスティック、かつ合理的な利己主義者であり、闇に住むすべての者から恐れられている。
個体数こそ少ないものの個々の能力では大概のドロウなど足元にも及ばないほど強力な彼らはアンダーダークにおける支配種族のひとつであり、ドロウなどの他の有力種族とは覇権を競ったり、時には同盟したりもするが、どうあれ心の中では他の種族はすべて下等生物であり、奴隷か食料か、でなければ無用で自分たちの邪魔にしかならない屑だと見なしている。
 彼らはその触手を敵の頭部に絡みつかせることで、食料となる脳を摘出して即死させる能力をもつため、肉体的にはそこまで強靭でないにもかかわらず接近戦でも危険な相手となる。
しかし最も恐ろしいのはマインド・ブラストを始めとする各種の強力なサイオニック能力であり、それを用いて奴隷化した従者に身を守らせていることも多い。
彼らは地下共通語を話せるが、多くは音声による会話などという下等生物のするような行為を軽蔑していて、テレパシーによる意思疎通を好む。

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