Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第十二話 Lesson

 

 朝食を終えたルイズとディーキンは、連れ立って授業に向かう。

 魔法学院の教室は石造りで教壇が一番下の方にあり、そこから席が上に向かって階段状に連なっていた。

 

「オオ~、何だかエヴァンジェリスト(福音伝道者)とかが演説するのによさそうな部屋だね。ディーキンは、メイジの学校の教室って初めて見るよ」

 

 ディーキンのボスはウィザードであるドワーフの師匠の元で修業していたが、そこは個人の私塾であり普通の家と大差なかった。

 フェイルーンにもメイジの学校やウィザード・ギルドなどは存在しているが、ディーキンは生憎とそういった場所に入って見たことはない。

 

 同じ秘術魔法使用者とはいっても、バードは一般的にウィザードからはかなり軽んじられている。

 真剣に学究に打ち込みもせず、生来の才能だけで底の浅い手品紛いの魔法を振り回して喜ぶ芸人に過ぎないと思われているのだ。

 実際には、そんな微笑ましい優越感に浸っている徒弟ウィザードに真の魔法というものを思い知らせてやれる程度には腕の立つバードも結構いるのだが。

 

「エヴァンジェリストって何よ? ……まあそりゃ、亜人のあんたははじめてでしょうね。いい、先生はあの教壇で話して、私たち生徒は周りの席に座って授業を受けるのよ」

 

 ルイズが、何やら一心にメモを取っているディーキンに説明をしてやる。

 

「ふんふん……、ええと、いろいろな使い魔がいるみたいだね。ディーキンは他の人の使い魔にお近づきの挨拶をしてきてもいいかな?」

 

「あんたって結構礼儀正しいわよね……、なんていうか、コボルドってそんな習慣のない野蛮な亜人だと思ってたけど」

 

「ンー……、ディーキンも人間に挨拶して回るコボルドはあんまり見たことないね。たぶん、お互いに挨拶しに行くとよく追っ駆け回されるからだと思うけど」

 

「そうかもね。……でももうすぐ授業だし、今日は使い魔のお披露目だから、私の近くに座ってないとあんたが誰の使い魔かわからなくなっちゃうわ。挨拶に回るなら、授業が済んで私の用事が無い時にしてちょうだい」

 

 ディーキンはそれを聞いてちょっと考えた後、素直に頷いた。

 

「ディーキンもよく追っ駆けまわされててなかなか挨拶する間がないから、できる時にはさっさとすることにしてるの。でも、ここでは追い回されなくて済むみたいだし、ルイズがそういうなら挨拶は後にするね」

 

 そんな2人のやりとりはさておき。

 先に教室に来ていた生徒たちの多くは、2人が入ってくるとそちらを振り向き、くすくすと忍び笑いを漏らしたり、ひそひそ話を始めたりしていた。

 

 キュルケも既に教室にやってきており、2人の姿を認めると軽く手を振ってくる。

 彼女はまるで女王のように、周囲を男子生徒に取り巻かれていた。

 

「……………」

 

 ルイズはそれらをすべて黙殺して他の生徒らからやや離れた席に座ると、教科の魔法書を開いて黙々と読み始めた。

 随分と勉強熱心なようだが、周囲と関わりたくないのもあるのだろう。

 

 ディーキンはキュルケとフレイムに挨拶を返し、周囲からの妙な視線には少し首を傾げて、ルイズの隣の席にちょこんと座る。

 そうして椅子が大きすぎるために浮いた足をぷらぷらさせながら、改めて周囲を見回してみた。

 

 数多くの使い魔が主人であるメイジたちの横に控えている。

 大型すぎて部屋に入れない使い魔は、窓の外に集まっているようだ。

 動物類はまあフェイルーンと同じのようだが……、魔獣や異形の類はフェイルーンにも類似した種は見受けられるものの、やはり少し違うものが多い。

 

(ウーン……、いろいろと見たことないのがいるね。昨日読んだ本には書いてあったかな?)

 

 ディーキンは早速荷物袋から昨夜の本を取り出すと、まだ覚えていない生物について調べ始めた。

 外見からはとてもそんなスペースがあるようには見えないが、昨夜借りた本はすべてこの荷物袋の中にしまってある。

 

 《ヒューワードの便利な背負い袋(ヒューワーズ・ハンディ・ハヴァサック)》は異次元空間に通じており、外見よりも遥かに多くのものを収納できるのだ。

 しかも、どんなに物をしまおうと重量は常に5ポンド(2kg強)のまま。

 さらには欲しいものを思い浮かべて手を突っ込むと、内部にしまったものはなんであれ即座に取り出すことができると至れり尽くせりだ。

 慌てていても確実に目当てのものを取り出せるあたりは、かの名高い耳無し猫のポケットさえ凌駕するだろう。

 とにかく便利な、冒険者の定番アイテムである。

 

 さておき様々な局面において知識の有無こそが冒険の成否、時には生死をも大きく分けるという事は冒険者全般にとって常識である。

 冒険者なら誰であれ、<説話蒐集家>であっても、《知識への献身》を重んじていても、不思議ではないだろう。

 

 特にバードに関してはその最も大きなウリのひとつが広範な知識であり、優秀なバードならば常にあらゆる雑多な知識の収拾を怠らないものである。

 

 自分が無知であることを自覚しながら学ぼうとしない怠惰なバードには、冒険者の資格はない。

 例えば目の前の大きな甲虫はラスト・モンスター(錆の怪物)といって、魔法のかかっているものであろうともあらゆる金属を錆びさせて食ってしまう、ということを知らないばかりに、迂闊に斬りかかって金貨数万枚もする武具を失った挙句、危険なダンジョン深部で途方に暮れた不幸な戦士は数多い。

 トロルが火か酸によってしか真のダメージを受けず、どんなに斬り刻んでもそれらで止めを刺さない限り復活する、ということを知らないばかりに、敵を倒す手段を持っていながらそれに気付かず、不死身と思える相手に疲れ果て絶望しながら殺された冒険者も数知れない。

 

 未知の敵に無策で挑もうとするのは、愚か者か真の勇者だけだ。

 そしてそのどちらも絶えた試しがないことを、バードとして数多くの英雄譚を見聞きしたディーキンはよく知っている。

 だから、バードの話の種もまた、未来永劫尽きる心配はないのである。

 

「……オオ、あの目玉の名前はバグベア? ウーン……」

 

 フェイルーンでバグベアといえば、身の丈7フィートにも達するゴブリン類で最も大柄な種族だ。

 濃い体毛、強靭な外皮、腕力、そして何よりもクマのような鼻を持つことがその名の由来となったらしい。

 ところがハルケギニアのそれは、ビホルダーの亜種か何かかと思うような姿をしている。

 

 どうも、フェイルーンと同じ名を持つ別種族がハルケギニアにはやたら多いようだ。

 数千年の隔絶の間に、同じ名が別のものを指すようになっていった例がたくさんあったのだろうか?

 そういえば、ビホルダーも他の世界ではスズキなにがしと呼ばれているとかいないとか、聞いた覚えがあるが……。

 

 なお、ディーキンにとってここの机は高すぎて、椅子に座ったまま机に本を置いて読むのは不便だ。

 ゆえに途中から椅子を降りて机の上に移動し、今はそこにちょこんと座って、本を抱え込むようにして読んでいる。

 

「ちょっ、………」

 

 行儀の悪い読み方にルイズは一瞬文句を言おうとしたが、ディーキンが一心に本を読む姿を見ると、何を思ったのか微妙に頬を染めて口を噤んだ。

 注意しなかったのは止むを得ない事情あってのことと理解を示したからか、無闇に騒いでまた教室の注目を集めたくなかったためか。

 はたまた、その勉強熱心さを評価したためか。

 もしくは読む仕草が妙に可愛らしいので、止めさせたくなかったか。

 

 その答えはルイズのみぞ知る。

 

 

 

 そうしているうちにタバサが教室に入ってきて、周囲で騒いでいるキュルケの取り巻きたちを無視して彼女の近くの席に座った。

 彼女はディーキンの方へちらりと目を向けたが、すぐに分厚い本に視線を落とすと黙々と読み始める。

 

 ディーキンはそこに、他の生徒からの視線とは異なる微妙な何かを感じたが……、すぐに別の妙なことに気が付いて首を傾げた。

 確か彼女は、昨日風竜の近くにいた生徒だったはずだ。髪の色が特に変わっていたのでよく覚えている。

 しかし、窓の外にはその風竜がいない。

 

 それも当然で、タバサは使い魔のお披露目のしきたりを無視し、朝食後すぐに自分の使い魔を街へ買い物に行かせていたのだ。

 別にお披露目などしなくても留学生で使い魔が風竜となれば目立つから、教師らは皆すぐに覚えてくれるだろう。それより早く有効利用したかった。

 

 ………というのもあるが、最大の理由はイルククゥの態度だ。

 彼女は自分の使い魔であることに不満を感じている様子で、会話禁止にも納得していないのが明らかだった。

 その上ヴァリエールの使い魔と話したがっている彼女をここへ連れてくれば、ボロを出しそうだと懸念したためである。

 そのため、意図的に朝から用事を申し付けて学院から遠ざけておいたのだ。

 

(何か本を読んでる……、図書館から借りた?)

 

 そうだとするとあの使い魔は、召喚されたばかりなのにもう図書館で本を借り出す許可を取ったのだろうか。

 自分が同じ立場でもそうするだろうな、と、タバサは少し親近感を覚えた。

 

 古代の叡智を受け継ぐとされる韻竜なのに食べ物にしか興味なさそうな自分の使い魔とは大違いだ。

 召喚した使い魔が幼生とはいえ韻竜だったことで、もしや母を救う方法を知っていてくれないかと多少は期待したのだが……。

 いざ言葉を交わしてみると、本で読んだ高貴な竜の印象を裏切る全く役に立ちそうもないその幼稚な精神性に軽く失望させられた。

 

 むしろあっちの子の方が、自分と合いそうではないか?

 

「……不本意」

 

「え、タバサ、何か言った?」

 

「何でもない」

 

 ……まあ、食事は自分も食べられる時は大いに食べるし、執着する気持ちもわからないではない。

 それに、いくら良い子そうで気が合いそうだとはいっても、あの小さな亜人では自分の足や力にはなってはくれないだろう。

 その点風韻竜ならば、どこへ行くにも便利だしこれから任務の助けになってくれることも期待できるはずだ。

 何より他人の使い魔を羨んで自分の使い魔を嫌うなど、あってはならないことだ。

 タバサはそんなふうに、自分に言い聞かせた。

 

 先程話を聞かれる心配のない上空でお使いを申し付けた時、ついでに食事の際にあの使い魔が名前を上げていた神についても聞いてみた。

 

 カートゥルマクについては、「コボルドの神様~? そんなもの、イルククゥが知るわけないのね!」……との事だった。

 が、イオについては少し考えた後、「私たち風韻竜が、お祭りとかの時に大いなる意思と一緒に名前を上げて崇める古い竜の神様がそんなお名前なのね。大いなる意思のお導きに従ってすべての竜族をお作りになった、韻竜の知識と力を支え導いてくれる神様。そんなの知ってるってことはやっぱりあの子はドラゴンに間違いないわ! ほらほら私のいったとおりなのね、さっさとあの子にご挨拶に行きたいのね!」……とか言って騒ぎ出したので、また杖で殴っておいた。

 

 だが、早くあの子と話させろ、言う事聞いてるんだから食事は優遇しろとわめく使い魔には随分手を焼いた。

 結局彼女を宥めるのに、街から本を買って戻ってくるまでにはあの子と話をつけておくからと約束してしまった。

 

 これ以上不満を持たれて指示を無視されるようなことになれば、互いにとって不幸な結果となるだろう。

 風竜の翼なら戻るまでいくらもかからないだろうし、昼食前までには少々無理にでも機会を作らなくては……。

 

 

 

 そうこう思案を巡らしているうちに教師が入ってきたので、タバサはひとまず思考を中断した。

 ディーキンも一旦本を閉じて席に座り直すと、授業の内容を書き取るために新しい羊皮紙とペンを用意する。

 

 この時間は『土』系統の魔法に関する講義である。

 教師は『赤土』のシュヴルーズという、紫色のローブに身を包みとんがり帽子を被った、いかにも魔女という感じの、しかし優しげな中年の女性だった。

 彼女はまず教壇に上って会釈すると、満足そうに微笑む。

 

「皆さん、おはようございます。どうやら春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 そしてゆっくりと教室中を見回し、生徒と使い魔の姿を確認していく。

 やがてその視線が、ルイズとディーキンの主従に向いた。

 

「ああ、ミス・ヴァリエールはなかなか変わった使い魔を召喚したものですね。オールド・オスマンから伺いましたよ、何でも亜人で、東方の地に生息するコボルドの一種だとか」

 

 無論でたらめだが、昨夜の相談でそういう設定に決まったのだ。

 当面は東方のロバ・アル・カリイエに住まうコボルドの変種とでもしておけば、一般の生徒や教師らには深く詮索されまいとオスマンが提案したのである。

 

 というか、ルイズやコルベールはお互い地名や常識などがまったく未知であったことから見て、多分実際にそうなのだろうと考えている。

 ディーキンはおそらくそうではないであろうことをその時既に薄々感じてはいたが、特に反対はしなかった。

 事実を何が何でも皆に伝える、ウソは容認できないなどというローフルな信条はないし、現地に詳しい人間がそうするのがいいというなら別に異論はない。

 

 さておきそのシュヴルーズの言葉を受けて、クラスのあちらこちらから教師が入ってきたことで一度は中断されたささやき声や忍び笑いが再び聞こえ始めた。

 

「おおかた召喚できないからって、アカデミーあたりから珍しい亜人を送ってもらったんだろ! ゼロのルイズ!」

 

 小太りの生徒がそうからかうと、笑い声が大きくなる。

 

「なっ………!」

 

 ルイズは、その言葉に憤慨して立ち上がろうとした。

 生まれて初めて成功した魔法で召喚した大切なパートナーに対する、こんな不当な侮辱を看過できるものではない。

 

 だが、しかし。

 

 ちらりとルイズの様子に目を走らせたディーキンが、まるで彼女を制するかのようにそれよりも早く立ち上がった。

 そしてぴょんと机の上に飛び乗ると、周囲に向かって大仰に御辞儀をする。

 

「アー……、はじめまして、皆さん。ディーキンはおチビだから、ちょっとだけ机の上に立たせてもらいたいの。自己紹介は今朝キュルケお姉さんとフレイムにしただけだから、まだ知らない人が多いみたいだね。ディーキンはディーキン・スケイルシンガー。バードで、ウロコのある歌い手、物語の著者、そして昨日からはルイズの使い魔もやってるよ」

 

 よく通る声でそう自己紹介をすると、ルイズの事をからかった小太りの生徒と、ぽかんとした顔のシュヴルーズの方を順に向いて、にんまりと微笑んだ。

 周囲の生徒達はおおむね皆、突然のことで皆呆気にとられたような顔をしている。

 ルイズもまた、席から腰を浮かせかけたままで、先程までの怒りを忘れたようなきょとんとした顔でディーキンを見つめていた。

 

「ええと、そういうわけだから、ディーキンはルイズの使い魔ってことで間違いないの。ちゃんと召喚できなかったんじゃないかとか、ルイズの事を心配してくれなくても大丈夫だよ。それに先生、ディーキンは挨拶する前から自分の事を知っていてもらえたことを、とても光栄に思ってるの。ディーキンの今度書く物語には、先生の事もしっかり入れておくからね」

 

「あ……、え、ええ? まあ……」

 

 シュヴルーズは唐突な言葉にしばし目をぱちぱちさせていたが、すぐに笑顔になった。

 

「まあ……、まあまあ、ご丁寧にありがとう。ミス・ヴァリエールはとても素敵な使い魔を召喚したものですね。……それに、とても流暢に人間の言葉を話すのですね?」

 

「先生、ディーキンは元々、こっちの人が話してる言葉は話せなかったの。ルイズに召喚してもらった時にそういう魔法が掛かったんだと思う。だから、ルイズのお陰だよ」

 

 ディーキンはそう言って戸惑っているルイズに微笑みかけると、もう一度周囲に会釈してからぴょんと机を降りて、彼女の横の席に戻った。

 

「へ? え、その……」

 

「それは素晴らしい、使い魔に適切な能力を与えられるのはメイジの才能です。メイジの実力をはかるには使い魔を見ればよいとよく言われますが、それは単に強力な使い魔を呼べるメイジが優秀という意味ではありません。呼び出した使い魔の力をより大きく引き出せてこそ、主人であるメイジは優秀だという意味なのですからね」

 

 ルイズを賞賛するシュヴルーズの言に、ディーキンもウンウンと頷く。

 

 フェイルーンにおいても、優秀なメイジの使い魔であるほどより強く賢く、優れた能力を持っている。

 ゆえに使い魔の能力の程度を見れば、主人であるメイジのレベルもおおよそわかる。

 特に、使い魔のベースが何ら特別な力を持たない小動物の類などである時ほど、それが顕著に表れてくるものだ。

 

 先程キュルケのフレイムと話して、普通の使い魔に与えられる能力とディーキンに与えられた能力とが随分異なっているらしいことは確認済みだ。

 ルイズの与えてくれた能力はかなり特殊な部類に入るもののようだが、優れた能力であることには疑問の余地はないように思える。

 

「え、ええと……、ありがとうございます。私も、良い使い魔を呼び出せて嬉しく思ってます……」

 

 ルイズは席に腰を落とすと、やや赤面した顔を俯かせながら、そう答えた。

 

 赤面は嬉しさ、恥ずかしさ、その他もろもろの感情が混ざり合った複雑な要因からだったが、嬉しさが最も大きい。

 なにせ教師から実技の成果について褒められたのは初めての経験なのだ。

 加えてその褒められることになった要因が、自分の使い魔の行動から来ているというのがまた嬉しい。

 

 唐突に出しゃばって自己紹介などを始め、教室で目立つ振る舞いをしたことに恥ずかしさや怒りもいくらか感じてはいた。

 だが落ち着いて考えてみると、もしディーキンがあそこで立たなければマリコルヌ(先程の小太りの生徒)らに言い返して不毛な口論になっていたはずだ。

 その結果、おそらくは教師に叱責されていただろう。ルイズには今までにも、何度もそんな経験があった。

 先程自分を嘲笑してきた生徒たちは、教室の空気が変わってしまったので今は不服そうに口を噤んでいる。

 それでもなお侮辱を加えようとした者も数名いたようだが、厳しい顔つきになった教師の杖の一振りによって赤土を口に押し込められていた。

 ルイズとしては不当な侮辱をした連中に真っ向から反論してやりたい気持ちはあったが、結果的に自分の名誉は守られ、賞賛まで受けたのだ。

 

 これは、果たして偶然だろうか?

 もしかすれば、思いのほか賢いこの子の事、主人を庇う意図で話の流れを変えるためにわざとやったのかもしれない。

 そうだとすれば、なんと出来た使い魔である事か。

 そう考えるとルイズは誇らしさで胸一杯になり、俯かせた顔を上げてぐっと胸を張った。

 

 今回の行動については後で軽く注意するけど、その倍くらい褒めてあげよう、うん。

 ……べ、別に、使い魔を甘やかしてるとかじゃないんだからね!

 

 

 

「あはは、本当に面白い、いい使い魔よねえ。さっきまでちっちゃい体で本を抱え込んで読んでたところなんか、なんだかあなたみたいで愛らしかったわ! 流石にうちのフレイムやあなたの風竜には負けるでしょうけど―――」

 

 キュルケは面白そうにディーキンとルイズの主従を眺めながら、傍らの使い魔を撫でつつ友人のタバサと雑談していた。

 もう教師が前に立っているのだから授業が始まるまで静かに待つべきなのだろうが、彼女はそんな優等生な性格ではないのだ。

 それでも成績は文句なく優秀で、特に『火』系統の魔法の実技に関しては学院でもトップレベルなのだが。

 

「……………」

 

 タバサはその言葉に軽く頷いて同意を示しつつも、じっとディーキンの方を見つめて考え込んでいた。

 

(……今いきなり立ち上がって自己紹介をしたのは、ヴァリエールを庇う為?)

 

 そこまで展開を読んで……。

 いやまさか、いくらなんでもそんなわけはない……、だろう。

 

 唐突に使い魔が出しゃばって権利の無い発言をしたことで、逆に怒る性格の教師だっている。

 教室の空気を一歩読み間違えば、より嘲笑が激しくなる恐れもあった。

 あの子は教室に入ったのも今初めてなのだから、教師や生徒らの人柄や行動は雰囲気で察する程度しかできないはず。

 それを意図的に、こうも巧みに誘導するなどできるはずがない。

 ましてやあんな小さな子が、一瞬でそんな機転を利かしたなどと思うのは、考え過ぎだ。

 さっきも本を広げて熱心に読んでたし勉強熱心で賢い子には違いないのだろうけど、でも言動は滑稽というか天然っぽいところもあるし。

 きっと純真さから出た素直な行動が、結果的に上手く行っただけなのだろう。

 

 が……、理屈でそうは思っても。

 タバサは自分の中でこの亜人、もしくは自分の使い魔の判断を信じるなら竜に対する興味が、高まっていくのを自覚していた。

 

(一体、この子は何者なのだろう?)

 

 何故、これまで他人と関わることを極力避けてきた自分が、珍しいとはいえ赤の他人の使い魔などに惹き付けられるのか。

 それは、自分でもまだよくわからなかったが……。

 今や使い魔の頼み事を抜きにしても、彼のことをとても知りたいと感じていることは確かであった。

 

 

 

 さてルイズやキュルケ、タバサらがあれこれと考えているうちに。

 シュヴルーズは教室の空気を授業に向けて引き締めようと、咳払いして杖を振った。

 

 すると、教卓の上に石ころが数個現れる。

 

「はい、皆さん、こちらに注目してください。少し開始が遅れてしまいましたが、そろそろ授業を始めます。私の二つ名は『赤土』、赤土のシュヴルーズです。土系統の魔法をこれから一年の間、皆さんに講義しますよ―――」

 

 それから新年度最初の授業という事で、ハルケギニアの魔法に関する基本事項のおさらいが始まった。

 

 ハルケギニアの系統魔法は『火』『水』『土』『風』の四つに加えて、今は失われた伝説の系統『虚無』を合わせた五系統から成る。

 シュヴルーズの考えでは、彼女の系統である『土』こそがその中でも最も重要な位置を占めている。

 何故なら土系統の魔法こそ万物の組成を司るものであり、この魔法がなければ重要な金属の創造や加工は酷く困難を伴うか、物によっては全く不可能となる。

 大きな石を切り出して建物を建てるにも、農作物を収穫するのにも土系統の魔法が重要な役割を果たし、生活に密着している―――。

 

 この世界の住人にとってはおそらく非常に基本的・常識的な事項なのだろう、生徒の大半は今の話をいちいち書き取ろうともしない。

 

 召喚されたばかりのディーキンでさえ、魔法に関する基礎的な解説書には昨夜目を通しておいたのでその程度の内容は既に把握していた。

 しかし確認のためにもしっかりと話を聞き、大事そうな部分は羊皮紙にメモしていく。

 ルイズは勉強熱心な性格らしく、自分の隣で分かりきった話でもちゃんと要点をノートに取っているようだ。

 使い魔としてはなおさらサボるわけにはいかないと、ディーキンは授業からできる限りの知識を吸収するべく熱心に打ち込んだ。

 

 『土』系統が最重要というあたりは本には書いてなかったが、そこは話半分に聞いておいた。

 きっと身贔屓も入っているのだろう、フェイルーンでも専門化したメイジは自分の専門系統こそが最重要と主張することが多いから。

 

 ルイズの方はといえば、逆に、使い魔でさえ熱心に勉強しているのだから、自分は主人として恥ずかしくないよう一層頑張らなければと考えていた。

 そのため彼女もまた、いつも以上に集中して授業に取り組んでいる。

 傍にいるだけでお互いに良い影響を与え高め合える、理想的な主従の姿であるといえよう。

 

 さて一通りの基本的な話が終わると、いよいよ授業が本題に入っていった。

 この時間の主題はどうやら、一年次の復習も兼ねて土系統の基本である『錬金』をまずは確実に習得してもらう、という事らしい。

 

(ええと……、『錬金』は確か、物質の材質を別の物に変える魔法……だったね)

 

 ディーキンは昨夜読んだ本の内容を思い返す。

 確か、『錬金』こそは土系統の基本にして奥義であり、メイジの実力によって作り出せる物質の種類もその純度も違ってくるのだと書かれていた。

 

 その記憶が確かだったことは、シュヴルーズがルーンを唱えて杖を振り、教卓の上の石を輝く金属に変えたことで確認できた。

 キュルケは目の色を変えて身を乗り出し黄金かと聞いていたが、多少ながら<鑑定>の心得があるディーキンにはそれが真鍮であることはすぐに分かった。

 

 ディーキンは特に、教師が何か魔法を使った際には注意深く観察していた。

 魔法が使われるたび、教師の口元、杖の動き、魔法の効果、魔力の系統や流れなどを細心の注意を払って観察し、細かくメモを取っていく。

 これには永続化した《魔法の感知(ディテクト・マジック)》が大いに役立ってくれた。

 欲を言えば《秘術視覚(アーケイン・サイト)》が欲しかったが、自力では使えないので致し方ない。

 

(ウーン……、今石を真鍮に変えたのが『錬金』ってやつだね。魔法のオーラの系統は……、変成術(トランスミューテイション)、と)

 

 冒険者として<呪文学>を学ぶ目的は何かと問われれば、それはひとつには戦闘時に敵の発動した呪文の種類を識別することにある。

 敵の発動した呪文の種類やその効力を知らねば対応することは難しい、知識が戦闘の明暗を分けるという良い例だ。

 使い魔としてルイズを守ったり冒険者として活動したりするためにも、魔法を使う敵を相手どることは当然想定し、それに備えておかなくてはならない。

 

 ハルケギニアの魔法とフェイルーンの魔法には<呪文学>の構成に明らかな類似点があるのでかなり応用は効きそうだ。

 だが全く同一のものというわけではないし、可能な限り早くこちらの呪文を確実に識別できるだけの知識を得なくてはならない。

 そのためにも、実際に呪文を発動しているところをしっかりと観察することは大切なのだ。

 

 本人によれば、シュヴルーズのランクは『トライアングル』らしい。

 この世界のメイジのランクはドット~スクウェアの4段階に分類され、それに応じた呪文のランク分けがあることは、昨夜本で読んだ。

 

 しかし呪文のレベルが4段階しかないとは、まるでレンジャーやパラディンのようだ。

 フェイルーンではウィザードやソーサラーのような専業メイジなら、0~9までの10段階にレベル分けされた呪文を使いこなすのが普通である。

 呪文に専心していない何でも屋のバードでさえも、0~6までの7段階の呪文を扱えるのだ。

 申し訳程度に呪文が使えるクラスと同じ4段階(プラス、0レベル呪文に相当するコモンマジック)しかないとは、また変わっている。

 

 もっとも、それは別に、必ずしもハルケギニアのメイジのレベルが低いからというわけではないのだろう。

 フェイルーンとハルケギニアではかなり魔法の体系が異なっているようだし、単純に比較できるものではなさそうだ。

 

 実際、『錬金』のように物質を別なものに変化させる魔法というと、フェイルーンではおそらく中程度以上の呪文になるだろう。

 それが、ハルケギニアでは土系統メイジなら駆け出しでもできる基本だという。

 その一方で、《変装(ディスガイズ・セルフ)》のようなフェイルーンでは初歩の幻術が、ハルケギニアでは風系統のスクウェアスペルに相当するらしい。

 フェイルーンの魔法では、実際に石を黄金に変えるよりも幻術でそう見せかける方がずっと簡単だ。

 

 どのような仕組みになっているのか実に興味深いが、バードの身ではあまり深く研究するのも難しそうだ。

 他力本願なようだが、エンセリックが何かいい見解を述べてくれないだろうか……。

 ディーキンがそうこう考えているうちに、シュヴルーズは『錬金』を誰かに実演させようかと、教室の生徒たちを見回し始めた。

 

「ええと……、そうですね。では、ミス・ヴァリエールにやってもらいましょう」

 

 それを聞いて、途端に教室の生徒達がざわめき始めた。

 

「………え? わたし――――ですか?」

 

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」

 

 ルイズはなかなか立ち上がらず、困ったように眉根を寄せている。

 その理由は、ディーキンにも分かった。

 ルイズが魔法を成功させられないのだということは、昨夜本人から聞いている。

 

「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」

 

 シュヴルーズが再び呼びかけると、キュルケが困った声で言った。

 

「先生、止めておいた方がいいと思いますけど……」

 

「どうしてですか?」

 

「危険だからです」

 

 キュルケはきっぱりと言い、教室のほとんど全員がそれに同意して頷いた。

 

「どうしてです? 彼女が実技が不得手という話は聞いていますが、努力家だとも聞いています。先程見たように、優秀な使い魔も召喚したではありませんか。さあミス・ヴァリエール、気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては何もできませんよ?」

 

(アア、ルイズはたぶんやるっていうね……)

 

 ディーキンはぼんやりとそう考えた。

 ルイズがキュルケに対して反発心や対抗意識を持っていることは、今朝のやり取りからも明らかだ。

 その相手からこんなことを言われては、ルイズはきっとむきになって、何が何でもやって見せると考えるはず。

 おまけに教師にまで背中を押されたのでは、後に引けないだろう。

 

 ちらりとルイズの方を窺ってみる。

 案の定、彼女は何か覚悟を決めたような表情でやりますと答え、席を立とうかとしていた。

 

(ウーン、キュルケは口が上手そうだと思ったけど、こういう説得は苦手なのかな?)

 

 

 

「ルイズ、止めて………」

 

 キュルケは蒼白な顔で、教壇の方に向かって行くルイズを止めようとした。

 

 だが止まらない、ルイズは自分の呼びかけなど無視している。

 その顔には既に何が何でもやってやるぞという決意が浮かんでいた、こうなったルイズの決意はテコでも動かせない。

 

(マズイ、マズイわ、このままじゃ新年早々また教室が! いえ、それどころか今度こそあの爆発のせいで取り返しのつかないことになってしまうかも。……諦めずに考えるのよ、キュルケ!)

 

 それに、実のところキュルケとしては、ルイズの評判がまた悪くなることを案じてもいるのだ。

 普段はよくからかって遊んでいるが、別にルイズが嫌いなわけではない。

 向こうは、そうは思ってないだろうが。

 

 その時、ディーキンの姿が目に入った。

 

(……! そ、そうだわ、ディーキン君ならルイズを止められるかも)

 

 先ほども、結果オーライかもしれないが、怒って立とうとしていたルイズの出鼻を上手く挫いてくれていたし。

 儚い希望かも知れないがあの子は何せ使い魔だ、ルイズにとっても特別な存在のはず。

 第一、他に頼れそうな相手もいない。

 

 そこで早速声を上げてディーキンに頼もうとして……、はたと気付いて思い止まった。

 

 もし自分がここであからさまにルイズを止めてくれと頼み、ディーキンがそれに従ったら?

 ルイズが「私の使い魔の癖にツェルプストーの頼みを聞くなんて!」と立腹して、意固地になることは容易に予測できる。

 さっきも、自分がうっかり止めさせるよう教師に進言してしまったことで、逆にルイズがやる決意を固めてしまったことは明らかだ。

 

 二度も同じ失敗は繰り返せない。

 ルイズには自分があの子に頼んだのだと気付かれないようにしなくては。

 そこでキュルケは、すぐさま近くの席に座っている親友の方を振り向いて、小声で頼みごとをした。

 

「ねえタバサ、ちょっと風を使って、ディーキン君のところに声を送ってくれない? ヴァリエールを止めさせるのよ、あの子ならできるかも知れないわ!」

 

 

 

「……………」

 

 タバサはキュルケの頼みを聞くと、押し黙って少し考え込む。

 

 実を言えば自分としては、この展開をむしろ好都合と考えていた。

 教室がヴァリエールによって爆破されれば授業は中止、彼女と使い魔はおそらく後片付けを命じられて残ることになるだろう。

 自分はその手伝いを申し出てここに残りチャンスを窺うか、破損した備品の運び出しなどであの使い魔が教室を出たところを見計らって捕まえればいい。

 滅茶苦茶になる教室とあの教師には気の毒だが、彼と一対一での話に持ち込める格好の機会を得たのだ。

 

 しかし、親友の頼みとあっては無下にもできない。

 結局タバサは、渋々頷くとそっと杖を振って風を操り、ディーキンの元へ声を送った。

 

「――――聞こえる?  あなたに前の席から声を送っている。ヴァリエールが教壇に着く前に何とか止めてほしい、とキュルケが言っている。でないと、爆発する」

 

 

 

「……ア……? ええと……、ウーン?」

 

 突然青い髪の少女からの声を受け取ったディーキンは一瞬面食らったが、直に状況を把握する。

 

 さて、どうしたものだろうか?

 確かに、ルイズを止めようと思えば止める自信はあるが……。

 

 ディーキンとしては、ルイズの魔法が失敗して爆発するというのならばむしろその奇妙な現象は見て確認しておきたい。

 それに立場上現在の自分の主人であるルイズがやる気になっているのなら、その意思も尊重すべきだろうし。

 

 しかし確認するのは後で頼んでやってもらってもいいし、ルイズの評判が悪くなるのも好ましくない。

 よくしてくれたキュルケの頼みでもあるならば、ここはそれに応えるべきだろうか。

 

(にしても、わざわざ頼んで来るってことはよっぽど危ないのかな? ウーン……、あんまり、そうは思えないけど……)

 

 教室の雰囲気からして、怯えている者は結構いる様子だ。

 特に前の方、教壇の近くの席にいる生徒らは椅子の下に隠れ始めている。

 

 とはいえある程度離れた席の生徒はそこまでしてはいないし、後ろの方の席にはルイズの失敗を期待してにやにやしている生徒も若干いる。

 大体本当に凄まじい爆発なら、椅子の下に隠れるのではなく席を立って逃げるだろう。

 せいぜい前の方の席に届く程度の規模で、机の陰に隠れた程度で凌げる爆発であるのなら、そこまで大事とはディーキンには思えなかった。

 

 もっともそれは、常人なら消し炭になって即死するような爆炎に幾度となく巻き込まれた経験がある冒険者の感覚である。

 それに今は教室中に使い魔たちがいる状況だし、それらが暴れてえらいことになる可能性は否定できない。

 

 妙な事には、声を送ってきた青い髪の少女の方を確認してみたところ、彼女自身は止めてほしくないような雰囲気が見え隠れしている。

 さっき妙な視線を送って来ていたことも併せて、気になる人物だ。

 ルイズは教壇に向かって既に歩き出しているのだし、あまり長く悩んでいる暇も無いが、さて……。

 

(ウーン……。これはいわゆる、そこで問題だ! ってやつかな?)

 

 ディーキンは昔どこかで読んだ覚えのある物語の一幕を思い浮かべた。

 ……どこだったかは、よく思い出せないが。

 

 

 

 そこで問題だ! この状況にどう対応するか?

 

 3択――1つだけ選びなさい

 

 答え①:ナイスガイのディーキンは突如全員の顔を立てる名案を閃く

 答え②:真のヒーローのボスが脈絡も伏線もなく突然《次元界転移(プレイン・シフト)》してきて解決してくれる

 答え③:ほっといて成り行きに任せる。テンプレは無情である

 





エヴァンジェリスト(福音伝道者):
D&Dの上級クラスの一種。特定の神格や教義に関する説法を行い、仲間を鼓舞し、他者を改宗させる宣教者。
戦闘中であろうと辻説法をひとつ打つだけで敵の属性までも変更して味方に変えてしまうという、その凶悪な能力で知られている。
元々【魅力】が高く人を引き付ける力に優れたバードなどが、信仰に目覚めてこの道に進む例が多い。

<説話蒐集家>:
技能の離れ業の一種。クリーチャーを識別したり、その特殊な能力や弱点を知るために<知識>技能判定を行う際、判定に+5技量ボーナスを得る。
以下の《知識への献身》との組み合わせが強力な事で知られている。

《知識への献身》:
特技の一種。敵に対する<知識>判定を行い、その結果が高いほど攻撃ロールとダメージロールに洞察ボーナス(最低でも+1、最高で+5)を得ることができる。
TRPGでは優秀な特技のひとつとして知られており、習得している冒険者は多い。

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