Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia   作:ローレンシウ

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第百七話 Palpitation

 

 迅速な治療を施したおかげで、傭兵たちと戦った一行はみな満身創痍だったにもかかわらず、じきに全快することができた。

 

 そうして一息つくと、ディーキンは彼女らと互いの情報を交換し合った上で、今後の方針を検討した。

 ワルドは事の成り行きを報告するために急遽グリフォンを飛ばして王宮へ戻ったのだと偽ったが、フーケとコルベールにだけは後でこっそりと事実を伝えておいた。

 彼のグリフォンは、今頃はタバサらが眠らせてひとまずルイズらに見つからないような場所に閉じ込めているはずだ。

 王宮からの増援が到着し次第事情を話して主と共にそちらへ引き渡すように、また彼らの早計な処分などはしないようにと、合わせてお願いしておく。

 

「……君たちは、表に出てこない方がいいだろう。予定通り、明日の朝一番の船でアルビオンへ向かいなさい」

 

 コルベールは、一通りの状況を把握した上でそう助言した。

 もちろん手柄を独り占めしようなどというわけではなく、彼らの身を案じてのことだ。

 

 戦いの間は恐れをなして息を潜めていたらしい街の住人たちも、ちらほらと様子を窺いに集まってきている。

 元気を取り戻したフーケが、それらの人々に適当な説明をして誤魔化しては追い払っていた。

 衛視たちもやってきたが、コルベールの身分を伝えて明日王宮から人員がやって来るからと説明し、ひとまずは帰ってもらう。

 

 ディーキンや生徒らがこれ以上この街に残って事態に関わっていれば、非常に人目を引くことになるだろう。

 そうなれば、一連の事件の裏にいると思われる悪魔どもとやらも彼らに目を付けて、深く詮索し始める可能性が高まるはずだ。

 事前にディーキンからもある程度の説明は受けていたが、先程のメンヌヴィルの異常な力を見て、コルベールにはそれがいかに危険な事態であるかということが今ではよく理解できていた。

 

「明日になれば、王宮からの増援も到着するはずだ。それまでの間この街の衛視たちに事情を説明して、捕縛した生き残りの傭兵たちの見張りをする程度のことなら、私とミス・ロングビルだけでも問題はないよ」

 

 デヴィルが本格的な調査に乗り出した段階で、この街に留まって事態の収拾にあたっているのは自分と王宮から派遣された人員だけであることが望ましい。

 そうすれば、おそらく連中はこの街の麻薬関係の情報が漏れていて以前から王宮の内偵が入っていたか、手柄を立てようと焦った魔法衛士隊長が何らかのへまをして尻尾を掴まれたのだ、と判断するだろう。

 なぜ魔法学院の職員がこのような仕事に関わっているのかと疑われるかもしれないが、そうすれば疑惑の目は生徒たちから離れて自分の方に向けられることになる。

 国の秘密部隊として汚れ仕事を行っていたという過去の汚点も、今はかえって好都合だ。

 その事実に仮にデヴィルらが辿りつけたとしても、それは自分がここにいることに関する一見説得力のある誤った仮説を彼らに提供することになるだけだから。

 生徒らはたまたまその時入った任務でこの場に居合わせただけであり、あるいは少し助力もしたかもしれないが取り立てて重要なはたらきをしたわけではない、と思わせられれば言うことはない。

 

 ディーキンは少し考えてから、その提案に賛同した。

 

 もちろん、デヴィルの注意を引きつけることでコルベールらの身に危険が及ばないだろうかという懸念がないわけではない。

 しかし、密かに広めていた麻薬のことが知られ、トリステインの王宮までも介入してきたとなれば、おそらくデヴィルはこの街の奪還を当面は諦めるのではないかと思えた。

 デヴィルが受けた屈辱を忘れることは決してないが、しかし彼らは計算高い現実主義者でもあるのだ。

 これ以上執着しても採算がとれず、得るものよりも失うものが大きいと判断したときには、彼らは常に撤退する。

 

 そうして意見がまとまると、ディーキンは一旦宿の方へ戻ってタバサらにも事情を伝え、こちらの方に連れてきた。

 助力してくれた傭兵のガデルには厚く礼を述べた上で、多少の礼金を持たせて仕事から解放する。

 他にもまだいろいろとやるべきことがあって、ディーキンはそれからしばらくは忙しく働いた……。

 

 

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 当面の作業を終えた一行は、ディーキンとタバサだけを後に残してひとまず『女神の杵』亭に集合すると、ささやかな労いの宴を設けることにした。

 先程激しい戦いをした面々に今夜はゆっくりと休んでもらうため、コルベールらの部屋もここで借りることにする。

 傷は完全に治ったとはいえ、精神的な疲労も癒さなくてはならないだろう。

 

 まずないだろうとは思うが、万が一さらに街中で何かの事態が起きた場合に備えて、宴の間とこの後朝になるまでの間はディーキンとタバサが交代で見張りを行うことに決めてある。

 件のアジトの地下室に閉じ込め直しておいた、傭兵たちとワルドの監視役も兼ねてのことだ。

 翌朝になったら、コルベールとフーケに後を引き継いでルイズらと合流し、アルビオンに向けて出発する予定である。

 

(最近、どうもいい男に縁がないみたいねえ)

 

 キュルケは、目の前でコルベールとロングビルとがいちゃいちゃ……というほどでもないが、これまでよりもかなり親しげにしている様子を微笑ましげに眺めながら、ぼんやりとそう考えていた。

 

「ミスタ、アルビオンのエールはお口に合いませんか? でしたら、ウイスキーはいかがでしょう。これなど、向こうの貴族がよろこんで口にするものですわよ」

 

「い、いやあ、僕はもうすっかり酔っぱらってますから、これ以上はいけません。は、は……」

 

「あら、ミス・ヴァリエールの使い魔の方が『お酒はあとで抜いてあげるから、明日のことは心配しないでいくらでも酔っぱらってきてね』と言ってたじゃありませんか。せっかくの御厚意なのですから、ぜひもう少し――」

 

 コルベールは最初こそやや暗い様子ではあったが、皆の感謝の言葉を受けて宴に付き合ううちに元気を取り戻したようで今では、少なくとも表面上はすっかり普段の調子に戻っていた。

 ロングビルの方はといえば、これまでコルベールに対しては主に社交辞令で接していたのが、もっと真心のある好意的な態度に変わったようだった。

 聞いたところによれば、先程街中であった戦いでは互いに命を救い合った仲だというから、まあ当然のことかもしれないが……。

 

 キュルケは、これまでは同じ『火』系統のメイジだとは思えない冴えない容貌と気弱な性格の男だと、コルベールのことを内心小馬鹿にしていた。

 だが、遠目にも彼が使った見事な赤い炎の乱舞には惹き込まれたし、ルイズらを守ろうとして過去に因縁のあった傭兵と命懸けで戦い抜いたという話も聞いて、いささか微熱が高まるのを感じた。

 一旦そのように見方が変わってみると、彼のあの純朴な態度もどこか微笑ましく、好ましく思えてくる。

 そりゃあ外見はいいとは言い難いが、それを言うなら今のところキュルケの中で一番評価が高い男であるディーキンなど爬虫類なのだから、中身がいいとわかれば見た目はさして気にはならない。

 少なくとも、名前は同じジャンでも見てくれがいいだけで中身はそれこそ冷血な蛇めいている魔法衛士隊の隊長などよりはずっとよさそうな男だ。

 

 だが、今はロングビルが彼の傍にくっついている。

 それは色恋沙汰ではなくて感謝の念というものなのかもしれないが、さすがにこの状況で命の恩人同士の間に割り込んでいって口説こうなどという気にはなれなかった。

 かといって後日に回すにしても、自分はこれからアルビオンへ行かなければならないのだし。

 元よりコルベールの方では彼女に対して好意を持っているようだった上に、これからしばらくはこの街に留まって2人で事後の処理に当たることになるらしいから、その間に仲がより発展することも大いにありえそうである。

 

 そうなると、いい男だとは思うものの、口説くタイミングを逃してしまったかもしれない。

 ロングビルではなく自分がその戦いの場に居合わせていたらまた違ったのかもしれないが、まあこればかりは巡り合わせが悪かったと思って諦めるしかないだろう。

 

(……ま、絶対にチャンスがないと決まったわけでもないし。アルビオンから帰ってきて機会があったら……ね)

 

 そう結論して、別の方に注意を向けてみる。

 

 ギーシュは、シエスタと楽しく飲み交わしながら愛しのヴェルダンデを存分になでなでできてご満悦のようだ。

 シエスタもギーシュの相手はやぶさかではないようで、にこやかに受け答えしている。

 しかし、時折ちょっと物足りなさそうな顔をしているのは、せっかくの宴なのにこの場に仲間が全員そろっていないから、特にディーキンがいないからなのだろう。

 それが恋愛感情に結びつくようなものなのかどうかまでは不明だが、彼女がディーキンのことを『先生』と呼んで慕っていることは秘密でもなんでもなかった。

 デルフリンガーも、時折かちゃかちゃと鞘を鳴らして彼女らの話に加わっている。

 

 そして最後に、一人だけ話の輪からちょっと離れて、好物のクックベリーパイをつつきながらぼんやりしているルイズの姿が目に入った。

 何やら物思いに耽っているようで、たまに誰かに話しかけられても生返事である。

 その態度からは、わずかに不機嫌そうな様子も見て取れる。

 さては、あの婚約者気取りが自分を置いて挨拶もしないで出ていった(と、彼女には伝えてある)ことを気にしているのだな、とキュルケは思った。

 

(あんな男のことは、さっさと忘れるのが一番だろうけど)

 

 とはいえ、なかなかそうもいかないものだろうし。

 ここは同じ余り者のよしみで、ひとつ慰めの言葉でもかけておいてやろうか。

 

「ルイズ、どうしたの? がんばって戦ったんだからお腹が空いてないわけないでしょうに、好物のパイが全然減ってないわよ? それとも、要らないところにお肉がつかないように夜食を控えてるのかしらね」

 

 胸の脂肪の塊を強調するように腕を組みながらそんなことを言ってきたキュルケの方を、ルイズはじとっとした目で睨んだ。

 

「違うわよ。ちょっと、ぼーっとしてただけなんだから」

 

 そう言って、パイを切り分けるともぐもぐと頬張り始める。

 キュルケはその様子を眺めながら、自分は鶏肉のワイン蒸しを切り分けて口に運びつつ、言葉を続けた。

 

「ふーん。じゃあ、あの子爵殿のことでも考えてたの? あなたに別れの挨拶も無しでいなくなるなんて、婚約者相手に随分薄情よねえ?」

 

 自分たちでぶちのめしておいてそんなことを言うのもなんだが、本人は挨拶無しでいなくなるより遥かに酷いことを企てていたわけだから、気の毒だとは思わない。

 しかし、ルイズはキュルケの予想に反して首を横に振った。

 

「別に。麻薬組織をみつけたんだもの、挨拶なんかより一刻も早く王宮へ報告する方が大事でしょ。私たちがさっき戦った傭兵だってそいつらの仲間なんだろうし、恐ろしい連中だと痛感したわ。ワルドの判断と素早い行動は立派なものよ」

 

 ルイズの態度には、嘘をついたり強がったりしている様子がまったくない。

 

 実際、ルイズはワルドのことはほとんど気にしていなかった。

 キュルケには知る由もないことだったが、そもそもルイズは彼の求婚を昨夜のうちに一度蹴っているわけで、婚約の件はそれで一旦棚上げになったものと認識しているし、ワルドもそれを受け入れてくれたものと信じている。

 それになんだか彼と昔ほど親しめなくて落ち着かなかったこともあり、帰ってくれてむしろほっとしているくらいだった。

 いずれまた落ち着いてからゆっくりと会って旧交を温められれば、とは思っているのだが。

 

「そう? ……まあ、そうかもね」

 

 キュルケは意外さと嬉しさが半々といった様子で、曖昧に頷いた。

 なんだか予想が外れてしまったが、まああの男に対して未練や執着があまりないのであれば、それはそれで結構なことだ。

 しかしそうなると、ルイズはいったい何を物思いに耽っているのだろうか?

 

 そこでキュルケは、ルイズが何やらちょっとばかり羨ましそうな顔でギーシュとヴェルダンデの方を見ているのに気がついて、ようやく思い当たった。

 

(ああ……、ディー君がここにいないのが不満だったのね)

 

 敵を倒したのはコルベールだったらしいが、ディーキンもそのすぐ後に駆け付けてみんなの怪我を治したというし、彼が使い魔としての務めを果たしていないなどというわけにはいくまい。

 昼間から聞き込みをして歩いて、麻薬組織のアジトを突き止めて、その上今も宴の最中なのに見張りを買って出るんだから、文句のつけようのない働きぶりである。

 ルイズを差し置いてタバサと一番よく行動しているのも、こういう仕事では彼女が最も役に立ちそうなのは確かなのだから、任務の重要性も合わせて考えれば当然のことだ。

 したがって理屈の上では不満をこぼすべき状況ではないのは理解しているはずだし、事実不平を口にしたりはしていないのだが、感情的にはやはり満足していない部分もあるのだろう。

 

 彼女は元々、嫉妬心や独占欲が強い性質だった。

 ディーキンが召喚されてからあまり癇癪を起こさなくなってきたので印象が薄れてはいたが、とはいえやはりその性質がすっかり消えてなくなってしまったわけではないはずだ。

 自分は命懸けで戦ったばかりなのだから、パートナーである彼にはもう少し傍にいて褒めたり労ったりしてほしかった、ということか。

 

 キュルケはそれで腑に落ちると同時に、すっかり安心した。

 ワルドが出ていったことには不満はないが、ディーキンが朝までここにいないのは不満だということは、要するにルイズのあの婚約者気取りに対する感情はその程度だということだ。

 

「ディー君なら、きっと朝までにはあなたたちの活躍の武勇譚でもこしらえてきてアルビオンへの道中で聞かせてくれるわよ。だからそんなにふくれっ面をしないの」

 

 キュルケが目を細めて、ぽんぽんとルイズの頭を叩いた。

 ルイズがそれに対して何か言い返そうとした時、横の方でギーシュが突然、テーブルを叩いて立ち上がった。

 何事かと、キュルケとルイズがそちらの方に目を向ける。

 

「ミス・シエスタ! ……ぼくぁだね! ほんとうに、ほんとうに、浮気なんかしちゃあいないんだ!」

 

 ギーシュは注目が集まっていることに気付いた様子もなく、ワインの瓶を片手に真っ赤な顔で、シエスタ相手にろれつの回っていない弁舌をふるい始めた。

 

 飲み始めた時にはまだ朝食べた《英雄達の饗宴(ヒーローズ・フィースト)》の効果が残っていたので、それがしばらくは酒毒を打ち消して酔い潰れることを防いでくれていたのだが……。

 途中から効果が切れて、それまで平気だったので同じ調子で飲み続けていたらたちまち深酔いしてしまった、というわけである。

 

「ケティとは手を握っただけだし、他の子とも遠乗りに行ったりとか、それだけなのにぃ……。なんでぇ、モンモランシーには、わからんのでしょうねぇー!!」

 

 最後の方で突然、傍らの巨大モグラの上に突っ伏してさめざめと泣き出した。

 どうやら、泣き上戸らしい。

 

 対するシエスタはというと、こちらも頬がすっかり赤らんでいた。

 おまけに、何だか目が据わっている。

 

「ミスタ・グラモン! この場におられないミス・モンモランシのことを悪く言うなんて何事ですか。感心しませんわ。悪です、邪悪です。男らしくないです。好きなら、あなたのことが好きだからここまでするんだ、ってところを見せておあげなさいっ……、ひっく」

 

 説教じみたことを言いながら、シエスタはずかずかとギーシュに詰め寄った。

 どうやら、彼女には酒乱の気があるらしい。

 

「そうして、ひっく。ヴェルダンデさんにしてあげてるみたいに、すればいいじゃないですか。だきついて、ぎゅっとして。あなたがすきだよー、って……」

 

 言いながら、シエスタもギーシュが抱き着いているのとは逆側に腕を回してしがみ付いた。

 挟み込まれたヴェルダンデは、ちょっと迷惑そうにしている。

 

 2人がそのまま酔い潰れて寝入ってしまったので、キュルケはやれやれというような顔をしながらシエスタを部屋まで『念力』で運んでやることにした。

 ギーシュの方は、ヴェルダンデが運んでくれることだろう。

 

 運ばれる途中で寝惚け半分にシエスタが呟いた一言は、聞かなかったことにしておいた。

 

「ひっく、私だって……。先生が喜ばれるのなら、なんでもしてさしあげるんですからね。ただ、どうすれば喜ばれるのかが、わかんないだけで――」

 

 

 

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 その頃、ディーキンは件のアジトの地上階にあたるボロ屋の中で、朝までにやっておくべきことをもう一度検討し直していた。

 

 ワルドと傭兵たちは全員気絶させ、杖や武器を取り上げ、束縛した上で地下室の方に閉じ込めてある。

 先にフーケが閉じ込めたワルドの遍在は、本体が気絶して精神力が尽きたためか、あるいは空気の淀んだ地下室にいたためか、既に消滅してしまっていた。

 おそらく彼らは朝まで目を覚まさないだろうし、仮に目覚めたとしても杖もなしでフーケが作った頑丈な壁を破壊して外に逃れることはまず不可能だろう。

 したがって、内部に閉じ込めた者に対してはほぼ警戒の必要はない。

 

 連中を放り込んで封鎖する前に地下室には《警報(アラーム)》の呪文をかけておいたので、仮に瞬間移動などの手段で外部から直接そこへ入り込む者がいたとしても、ディーキンにはちゃんと感知することができる。

 後は、地上階にも同様に《警報》をかけておけば、それで朝までの見張りとしては十分だろう。

 となると、この建物内部に留まるよりも街中全体の動向を把握できるような場所へ移動して、不審な集団がどこかに集まっていないかなどに注意しておくほうがよさそうだ。

 

 それに適した場所は、フーケが事前に助言してくれていた。

 街の中心付近にある岩造りの教会の鐘楼にいれば、高い所から周囲全方向の様子を見渡せる上に大きな鐘や柱の陰に姿を隠すこともでき、外から見られる心配はほとんどないらしい。

 そんな場所のことを知っているのは、おそらく彼女がアルビオンの出身だからというだけではなく、以前にこの街でも“仕事”をしたことがあるからだろうと思われた。

 今は関係のないことなので、特に詮索はしていないが。

 

 後は、この建物を封鎖してから朝までそちらの方でタバサと交代で街中の見張りをしていればいい。

 どちらか片方が起きておいて、万が一何か異常事態が発生したときには横で寝ているもう一方を起こし、ルイズらへの連絡に向かってもらう、という段取りで十分だろう。

 

(でも、その前に……)

 

 ディーキンはちらりと、部屋の隅で布を被せられているメンヌヴィルの屍に目を向けた。

 その傍らには、彼の持っていた禍々しい杖がへし折られて置いてある。

 

(あの人に、話を聞いておかないと)

 

 物質界には存在しないモルグス鉄製の杖を持っていたこと、そして“地獄の業火”を用いていたことから、この男がデヴィルと深く関わっていたことは明白だ。

 まさかこんな敵がやって来るとは思わず、手助けに来てくれたコルベールやフーケ、それに見回りをしてくれていたルイズらに大変な危険を冒させてしまったことは、非常に申し訳なく思っている。

 

 しかしながら、デヴィルと深い縁があったと思われる人物に、アルビオンに向かう前にこうして巡り会えたのは僥倖だった。

 最初に街中で“地獄の業火”が燃えているのを見た時には、カンビオンの地獄の業火使いかヘルファイアー・エンジンでもやってきたのかと思ったのだが、まさか人間の使い手だったとは。

 コルベールはこの男を窒息死させたので、死体はほとんど傷ついておらず、十分に《死者との会話(スピーク・ウィズ・デッド)》の呪文を使って情報を聞き出すことが可能な状態にある。

 

 しかし、問題がひとつあった。

 

 人間の身で“地獄の業火”を使いこなすには、かなりの力量が必要だ。

 つまりこの男は、生前は相当な使い手だったはず。

 そうなると、手持ちのスクロールから<魔法装置使用>の技能を用いて《死者との会話》を発動したとしても、それが抵抗されてしまうことは十分に考えられる。

 そして抵抗された場合、次に同じ呪文を試みることができるのは一週間後になってしまうのだ。

 

「ウーン……」

 

 ここは、何とかして少しでも成功率を高める方法を検討すべきだろう。

 それに、聞くことができる質問の数は限られているのだから、何を尋ねるべきかも事前によく考えておかなくては……。

 

 

 

 タバサは、メンヌヴィルの遺体の方を見ながら何やら考え込んでいるディーキンの様子を、建物の入り口近くに腰を下ろしたままじっと見つめていた。

 いつもは白いその頬が、ほんのりと赤らんでいる。

 

「…………」

 

 なにかがおかしい。

 

 彼の方を見ていてどうする?

 自分は、あの人が考え事をしている間、外の様子に気を配っていなくてはならないのだ。

 今夜はもう襲撃などはないとは思うが、絶対とは言い切れないのだから。

 

 タバサは頭を振って自分にそう言い聞かせると、ディーキンの顔から視線を外して外に注意を向けようとした。

 

 しかし、なぜかそれができない。

 心臓がいつもよりも少し大きく、早く鼓動を打っているのに気が付いた。

 ぐっと胸を押さえてみるが、動悸は収まらない。

 

 その時、ディーキンが唐突に顔を上げてタバサの方に向き直ると、彼女に声をかけた。

 

「ねえ、タバサ」

 

「はいっ」

 

 突然彼と目が合ったタバサは、反射的にびくっとして、そう返事をした。

 別にやましいことをしていたわけでもないのに、なぜかどきどきして、一層鼓動が激しくなる。

 

(……?)

 

 ディーキンは、妙な違和感を覚えた。

 

 もちろん、声をかけられて「はい」というのは別におかしな返事ではないが、何だかあまり彼女らしくないような気がしたのだ。

 普段の彼女なら黙ってこっちを見つめ返して話の続きを待つか、「何?」とでも言いそうなものなのだが。

 それに、何か面食らったような反応だったが……、考え事でもしていたのだろうか?

 

 とはいえ、別に根掘り葉掘り聞かなければならないようなことでもないので、深くは考えずにそのまま話を続けた。

 

「ディーキンはこれから、ちょっとジンのおじさんを呼んで、何かいいものがないか聞いてみようかと思ってるんだけど……。いい?」

 

「……いい」

 

 なんだ、そんなことか……と、タバサは軽くがっかりした。

 しかしすぐに、そんな自分の感情に困惑する。

 

 がっかり? どうして?

 今の会話のどこに、そんな要素があった?

 

 自分の感情に対して困惑していたタバサは、ふと、ディーキンが首を傾げてこちらの方を見ていることに気が付いた。

 ディーキンはそれから、とことこと部屋を回って、戸や窓の状態を確認し始める。

 タバサははっとして、慌てて手伝いに加わった。

 

 さっきから、自分はおかしい。

 外の警戒を怠ってぼうっとしていたこともそうだし、どうして彼の言葉を聞いた時点で、万が一にも人に見られないよう施錠に抜かりがないかを確かめて回るべきだということに気が回らなかったのか。

 

「……ねえタバサ、もしかして疲れてるの?」

 

 タバサの隣で背伸びして窓の確認をしながら、ディーキンが少し心配げにそう尋ねる。

 

 彼女は今朝、《英雄達の饗宴》を食べたのだから、病気にかかったということはないだろうが……。

 心身の疲労で集中力が落ちて、頭が回らなくなってきているのだろうか?

 思えば昨日は半日も馬で走りどおしだったし、今日もいろいろと調査して回ったりワルドと戦ったりしたのだから、疲れがたまっていても不思議ではない。

 

「……そうかもしれない」

「じゃあ、見張りはキュルケに代わってもらって、ゆっくり休んだほうがいいんじゃないかな? それとも、治療の魔法をかけてみる?」

 

「いい。大丈夫」

 

 タバサは強く首を振って、きっぱりとそう答えた。

 

 他の誰かにこの役目を奪われるのは、絶対に嫌だった。

 それに、心配してくれるのは嬉しいけれど、彼に迷惑をかけたくはない。

 確かになにかおかしいような気はするが、病気などではないのは自分ではっきりとわかる。

 

「ウーン、そう? ……じゃあ、せめて最初の見張りはディーキンがやるから、タバサはその間は休んでて。とっておきの魔法の寝袋があるからね、それで少し寝たらよくなると思うの」

 

「……うん。ありがとう……」

 

 タバサは何やらはにかんだように、ほんの少しだが朱に染まった頬を緩めた。

 

 施錠の確認が終わると、ディーキンはジンを呼び出すために部屋の中央あたりに移動する。

 タバサは、半ば無意識にその後へついて行った。

 とはいえ本来なら、念のために窓か扉の傍に残って、外から人の気配が近づいてこないかを確認し続けるべきであろう。

 彼女がそうしなかったのは、なるべく彼と離れたくないという情動の結果なのだ。

 

 時間が経って《英雄達の饗宴》の効果が切れたことで、クロトートとの戦いの折に体に浴びせられた惚れ薬の残留成分が徐々にタバサの体に浸透し、今になって効果をあらわし始めたのである……。

 





スピーク・ウィズ・デッド
Speak with Dead /死者との会話
系統:死霊術[言語依存]; 3レベル呪文
構成要素:音声、動作、信仰焦点具
距離:10フィート
持続時間:術者レベル毎に1分
 術者は対象となった死体に一時的に知性と生命のようなものを与え、自分の出す質問に答えさせることができる。
回答するのはあくまでも死体であって、死者の魂ではない。
可能な質問の数は術者レベル2レベル毎に1つまでであり、死体はその体に蓄えられている、生前にそのクリーチャーが記憶していた知識に基づいて回答する。
この呪文はほとんど損傷がない死体に対してでなければまともに働かず、アンデッド化されたことのある死体に対しては作用しない。
また、死体は生前に知っていた言語しか理解できないし、口がなければ回答を返すことはできない。
この呪文は、1週間以内にスピーク・ウィズ・デッドの対象となったことがある死体に対して用いても効果がない。
死体が黙秘したり嘘をついたりすることはないが、生前のクリーチャーの属性が術者とは違うものであった場合には、呪文に抵抗するために意志セーヴを行うことができる。

アラーム
Alarm /警報
系統:防御術 ; 1レベル呪文
構成要素:音声、動作、焦点具(とても小さなベルと、非常に細い銀の針金)
距離:近距離(25フィート+2術者レベル毎に5フィート)
持続時間:術者レベル毎に2時間
 術者は、空間上の1点を中心とした半径20フィートの空間に魔法的な警報装置を仕掛けることができる。
持続時間の間、サイズ分類が超小型(猫ほどの大きさ)以上のクリーチャーが警戒範囲に侵入ないしは接触する度に、警報が発せられる。
ただし、そのクリーチャーが発動時に術者の決めた合言葉を口にした場合には、警報が鳴ることはない。
発せられる警報は、有効範囲1マイルで術者だけが受け取る精神的なもの(これが発せられた場合、術者は睡眠中であっても目覚める)か、周囲60フィート以内に鳴り響く音声的なもののどちらかで、発動時に選択する。
エーテル状態やアストラル状態のクリーチャーはアラームを作動させることはないが、このようなクリーチャーの侵入に対しても反応するより上位の呪文も存在している。
 アラームは、パーマネンシィの呪文で永続化させることができる。

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