来たるタッグトーナメントに向けて生徒たちは訓練を重ねていた。
目指すは優勝。
優勝すれば点数に色がつくことを知っているから。企業からスカウトが来るかもしれないから。そして何よりも、優勝すれば一夏もしくはシャルルと付き合うことができるのだ。
ことの始まりは箒だった。彼女はタッグトーナメントの前身である学年別トーナメントの存在を知るや否や一夏に宣戦布告した。
私が優勝したら付き合ってもらう。
分かりやすく言うと、箒が優勝したら一夏と交際する。この宣言は2人だけの秘密にしておくには大声だったために、色々と紆余曲折あって気がついたら、その時いなかったシャルルをも巻き込んだものとして生徒たちに知れ渡っていたのだ。
今回のタッグトーナメントで優勝したら一夏もしくはシャルルと交際することができる。この言葉に胸を膨らませ、生徒たちは熱心に訓練していたのだ。不純な動機なのだが、表向きには優勝目指して頑張る女子生徒たちなので、教師たちは心の内に秘めた純粋で邪念満ち溢れた想いに気がつくことなく感心していた。
熱心な生徒たちが蔓延るアリーナ。その観客席ではこれまた熱心な生徒たちが、相手の動きを観察して自分たちのチームワークの糧にしている。
あちこちから湧き上がる闘気と、純然たる欲望の熱意がアリーナ内を茹で上げている中で、二人の生徒だけは熱意の欠片もなく缶ジュースを飲んで寛いでいた。
「うーん、外れちまったな。これはもう二度と買わね」
「明らかに美味しくなさそうな商品名だったからね」
「いや、名前で実力をカモフラージュしているかと思ったんだよ。実際は商品通りの不味さだったけどさ」
「それよりも、さっきの話に戻っていい?」
「いいけど」
訓練に対して熱意のない態度を見せるのはセシリアとシャルル。
「セシリアはなんでボクが戻った方がいいと思うの」
話の内容はシャルルに関すること。男装をしていることがこれ以上バレる前に帰国するべきかどうか、という話。
以前の話し合いでは、結局シャルル次第という着地地点で落ち着いたのだが、シャルルは自分が決断をするための材料を探すために、セシリアに再び話を持ち掛けたのだ。
意見を求められたセシリアの方はまったく乗り気ではない。今日の放課後は怠惰に過ごすと決めていたところを、シャルルがやってきて前の話をぶり返してくるのだから。
セシリアの中では既に結論の出た話で、さらに言えばとっくに自分の意見は伝えていたはずだ。今更どんな意見を求めてくるのか、とジュースを奢らせておきながらげんなりとしていた。
「……ジャマダカラ」
口は開くけど、セシリアが出した言葉は棒読みの拒否だった。拒否の言葉に感情を込めるのも億劫だった。
「真面目に答えてくれないかな?」
非難の色を見せれば拳が飛んでくるのでは、とヒヤヒヤしながら声を出すシャルル。ちらりとセシリアの顔色を確認するが、不味いと評価したジュースを消費するのに忙しそうで、とてもシャルルの言葉に気を置いてはいられない状態だった。
「答えは出た。それで充分だろ」
飲み終わった空き缶をぐしゃりと潰す。これ以上同じことを言わせんな、と脅しをかけているようにも見えなくない。
空き缶を潰しただけでしかないセシリアに、シャルルは心臓を掴まれたような錯覚を覚えたのだった。
「ボクはあの人も母さんも憎くてしょうがないよ」
暫く沈黙が支配していた空間で、シャルルがポツリと呟いた。
セシリアは何も言葉を返さずに次を待った。
「だってそうでしょ。母さんが愛人なんかならなければ、あの人に恋しなければ、ボクはこんなに悩まずにすんだんだよ」
ポタリ、と水音が一つ。
泣き出したな、とセシリアは思った。
「ねえ、セシリア。ボクの気持ちなんて分からないでしょ。分かるわけないよね。一夏だって、あんなこと言ってボクを励ましてくれるけど、結局は分かってないんだよ」
なんとなく、なんとなくセシリアは苛立ちを感じた。
隣人が不穏な雰囲気を出し始めたことに気がつかず、シャルルはなおも続ける。
「セシリアだってそうだよ。すぐに帰国すればいいって。そんなのできるわけないじゃん。帰ったらボクにはもう居場所なんてなくなっちゃうんだよ」
シャルルが話す傍らで、セシリアは不気味な沈黙を保っていた。爆発するようでまだ爆発しない。でもどこかで爆発するのでは、と不安を駆り立ててくる。
「母さんが居なくなって、あの人の浅はかな企みのせいで、ボクはどこにも居られなくなっちゃう。嘘を突き通して学園に残ったとしても3年だけ。3年過ぎれば、ここにも居られなくなる」
涙をぽろぽろと零しながら喉を震わせるシャルルの姿に、セシリアがついに動き出した。
ゆっくりと立ち上がるセシリア。
シャルルの方へ身体を向けると、突然その頬に平手打ちをお見舞いした。
シャルルが叩かれたと気がついたのは、頬に熱を感じた時だった。ひりひりとした痛みに頭の中は一瞬真っ白になった。そのすぐ後、今度は顔が真っ赤に染まって怒りが沸き起こった。
「なにす……っ!?」
叩かれたことで怒り心頭に発したシャルルが席を立った瞬間に、セシリアが叩いた頬に向けて拳を突き出した。
セシリアとしては手加減して放った拳は、それでもシャルルには強すぎた。
暫く、殴られた頬を押さえて蹲るシャルル。
加害者セシリアは殴ってすっきりしたのか、観客席に腰を下ろして空を仰ぎ見ていた。
「い、痛いよぉ」
数分経ってようやく喋る余裕が戻ってきたシャルルが呻く。叩かれた挙句に殴られた頬は痛々しい紫色に変色していた。
「痛いだろ。でもな殴った方は全然痛くないんだぜ」
「だろうね! 罪の意識とかなさそうだもんね!」
悪気なく言い切るセシリアに、シャルルは耳元で叫ぶがまるで堪えていない。
「大体なぁ。鬱陶しいんだよ。なんだか聞いてきたかと思えば、急に身の上不幸自慢みたいなの始めてよ。ちょっとは殴りたくなるだろ」
「あ、悪魔だ。悪魔が居るよ!?」
盛大なジャイアニズムを発揮したセシリア。自分自身の不幸を嘆く奴はまったく好かない。自分を見てほしい、共感してほしい、と訴えてくるのは鬱陶しかった。
叩く殴る、さらに言葉による暴力を受けたシャルル。もう息も絶え絶えだった。
「じゃ、じゃあ、セシリアはどうなの? セシリアはあのオルコット社の人間でしょ。絶対に不幸的な話の一つや二つ持ってるでしょ」
酸素が行き届いていないのか、シャルルは突然不幸自慢大会を勝手に開催し始める。参加メンバーはシャルル自身と、何故かエントリーされたセシリア。
「あのなぁ。わたくしは別に自分に巻き起こったことを、不幸だとはこれっぽっちも思ったことはないんだけど」
前世を含めて思い返しても、セシリアが不幸に出会ったことはない。
今世では、母親に何かおかしなことをされたことがあったが、アレで何がどうなったのか分からないので不幸ではなかった。
両親の死後、親戚連中がオルコット社やその他財産を巡って骨肉の争いが起こり、セシリアは知らずの内に遺産を全て奪われていたが、それも不幸には成り得ない。
むしろそれはセシリアにとって幸運だった。
会社を継ぐことによって生じる、経営の知識だ社員だなんてものに縛られることがないから。
その後、親戚の中で一番力の弱いところに引き取られたことも、勝手にISの適正試験を受けさせられたことも、IS学園に入学するために勉強三昧だったこともどれもこれも不幸には程遠い。
結局、セシリアには思い返す不幸など見つかりはしない。
まぁ、メンタルの差なんだろうけどな。
未だに頬を押さえているシャルルを眺めて、セシリアは思った。