旅という非日常に終わりを告げ、現実に戻って。私はただの剣士トウカからトウカ=モノトリアに戻った。出生について知ったにしろ、私がモノトリア家の一人娘で、養子であろうと異世界出身だろうとただ一人の跡継ぎであることには違いない。
ただいまを言うのが怖い。だって、トロデーンにいたころの私は死者の魂を引っ張って、それで冷静を保っていたようなものなんだ。今、以前のように振る舞えるだろうか?
だから走り回って誤魔化してた。嬉しさと恐ろしさがないまぜになって、私は笑えばいいのか泣けばいいのかもわからなかった。嬉しいことには違いないのに怖くて怖くて仕方なかった。
「兄上、私ね、ラプソーンを前にするよりも今怖い。ライティアに刺された時よりも怖い」
『心配しないで。俺も怖いから』
「初めましてだから?」
『そうだよ。可愛い妹を前にして必死で虚勢を張っている兄を見ていたら少しは怖さが収まらないかい』
「……うん。父上と母上は、とっても優しいよ」
『それはなにより』
モノトリアの屋敷までは走ってこられた。城門を抜けることも出来た。建物に入って、沢山の私兵や召使いたちの前を通り抜けて、あの悲劇の日に父上と母上が茨になっていた部屋の前までは、来れた。
ドアを開けるのが怖い。他の人はみーんな、例外なくちゃんと元に戻っていたのを見たのに。当主夫妻が茨のままならとっくの昔に大騒ぎになって、私に伝えられているとわかっているのに。
でもね、いつまでも立ち尽くしている訳にはいかない。陛下の命令の通り宴をしなくてはならないし、その音頭を執るのは大臣で、警備のトップは父上のはずだ。
深呼吸して、私はノックした。それまで典型的な幽霊みたいにふわふわ浮かんでいた兄上が私の横に降り立った。
「父上、母上」
お作法なんて忘れちゃった。そういうことにしてよ。感極まってなんにも考えられないの。
「トウカ?」
耐えられなくなって、私は扉を開く。父上と母上がいた。白い肌、黒い髪、あぁ、兄上はおふたりそっくりなんだ。私は到底似ていないけれど、関係あるものか。私の両親はこのふたりなんだと心が叫んでいる。
「良かった、あぁ、父上、母上、元に戻って!」
泣きそうな顔をした私を見て、ふたりが驚いている。ふたりは顔を見合わせて、それから優しい顔をして。母上が腕を広げた。
「おいで、私の可愛い子」
戸籍の上ではもうすぐ十九。とうに成人を迎えているけれど、今なら構うもんか。その腕の中は本当は兄上のものだったのに、だけど背中を軽く押されてしまって。私は走り出す。短くて長い距離を。
「いっぱい頑張ったのでしょう? 伸ばしていた髪も随分短くなって、だけど大人の顔つきになったわ」
「トウカ。外では大騒ぎだ。きっと私たちにもやるべき事があるのだろうが、今はいい。少しだけここに居ておくれ」
優しい言葉、優しい手。三分くらいなら甘えてもいいのかな。私はあたたかい母上の腕の中で、ぎゅっと目をつぶって……だって抱き返すには母上の体は弱すぎて、私の力は強すぎる……ふたりの小さなトウカでいることにした。
「そうだ。紹介しなくちゃ。こちら、ルゼル兄上です」
『初めまして、あなたがたの実の息子です』
「……説明してもらえるか」
物の見事にトウカの語彙力が吹っ飛んでいるけど仕方ないよね。可愛い妹を責める気にはなれない。それで両親の方も大混乱の顔をしているけどこっちもしょうがない。二十年近く前に死産だったはずの息子が今になって半透明になって現れて紹介されたら理解不能でしょ。
『俺は生まれなかったあなたがたの息子の……幽霊みたいなものです。話すと長くなるのだけど』
「陛下が今夜祝いの宴をするようにご命令されているので、詳しい事情を説明するのは今晩にしたいのですが」
『トウカの魔力を拝借して守護霊をやっている、と思って貰えたら』
「トウカの魔力、だと?」
『それも説明するととても長いね。この騒動の途中でトウカは魔法を使えるようになったのも後にした方がいいかな……父上』
「……」
言うべきことが多すぎる。だけど陛下の命令に従いたくてたまらないトウカがもう話すどころじゃない。両親も思考を放棄したそうな顔をしているけど、トウカはそれはもうここまで働いたから、警備までやらせずに休ませたいな。体力は余ってそうだけど……。
「何もわからんが、とりあえずは陛下が祝いの宴を行いたい、ということなのだな?」
「はい父上! トロデーンが見事復活したお祝いを盛大に祝われたいのかと!」
「復活。ということはこの騒動を解決したのは誰? 宴の主役を教えてちょうだいな」
母上が優しくトウカを休ませる方向にいってくれたので、俺も援護できそうならやろうかな。呪われていた期間、彼らがどんな風に周囲を視認していたのかは分からないけれど、随分長い間呪われていたことはわかっているみたいだ。
それに二人とも血が煮詰まってて魔法使いとしては優秀だから、その辺に漂っている大魔法の残りカスだけでもラプソーンのおぞましさを理解しているのかもしれない。だからこそトウカが無事に戻ってきたことを喜んでいたのだろうし。
死者がこうもハッキリ誰もが見える形で再現されているのを見て嬉しかったろうな。だって唯一トウカの欠点とも言えた「魔法が使えない」ということも解決だ。死者の顕現なんて大魔法をなーんにも気負わないで実行し続けて、なんともない。どれだけ無尽蔵の魔力を持っているか分かったもんじゃない。
まぁでも、俺でモノトリアは終わらせるのだけど。何がなんでも。だってトウカを待っていたんだ。トウカが無事に育ったならもう役目は終わり。そもそもの目的の人物に継がせる意味はないでしょう? さすがにあのおっそろしい父親が止めに来る前にこっちで何とかしないとね。
トウカが幸せになる目処はたっているし。トウカは継ぐ気満々だけど、いやいやいや。ミーティア姫に置き換えてみたら意味不明でしょ。例えば家臣の家に唯一の姫を嫁がせるわけないじゃないか。……あっちもあっちでこれからゴタゴタしそうだけど。
「主役……陛下と姫でしょう。高貴なご身分で長い旅の末、見事祖国を取り戻されたのですから。従者としてはエルトと私。さらに旅の途中で仲間になった者が三人。ヤンガスという男性とリーザス村のゼシカ・アルバート嬢。当時マイエラ修道院聖堂騎士団員だったククールです」
「国ひとつ封印するほどの呪いをかけた相手にたったの六人だと……? あぁ、ルゼルを入れると七人? それにしても……」
『待って。俺は本当に最後の最後でついていったから六人だよ。見ての通り幽霊だし、トウカの魔力を拝借して魔法使うくらいしか役に立ってないから』
「……あいわかった。とりあえずトウカを警備に組み込むのはなしだ。礼服に着替えて……それも礼服か。ではそのままエルトと一緒に陛下のところに行きなさい。エルトも時間があったら着替えてもらって……あぁ、陛下のところに行けとは言っても警備としてではなく、主役としてだよ。陛下や姫もそう望まれているはずだから」
「そうでしょうか」
「そうだとも。功労者に報いない方ではないだろう?」
不承不承トウカが頷く。素直なトウカはそのまま陛下のところに行くはずだ。
『あとで俺からも沢山話がしたい。聞いてくれる?』
「……あぁ、もちろん」
親不孝者でごめんなさい、と言おうとしたけどあんまりトウカから離れることもできなくて。体がぐんっと引っ張られたのでそれも後に回すことにした。
『トウカの魔力で擬似幽霊やってるから、あんまり離れられないんだ。じゃああとで』
ずるずると引っ張られていく半透明の息子が扉をすり抜けていくのを見せられた両親は奇妙な表情をしていた。そりゃ、そうだ。