人型になった竜神王から殺気はなかった。それどころか、さっきの戦いが嘘みたいに静かだった。引っ張られたのか、私たちまでなんだか神妙な空気になって、戦いの興奮がさぁっと引いていく。
「私は……これまで何を。いや。すべて覚えている。あの儀式は、失敗したのだな」
そりゃあもう、護るべき……「王」なんだからそのはずだ……物理で民を盛大に苦しめるレベルで大失敗だったみたいだしショックなんだろうなあ。なんて、きっとものすごく年上の相手なのに、失礼にもそう思った。もちろん表情にも態度にも全く出すつもりはないけれど。
みんなとはまたベクトルが違う意味で綺麗な、中性的な顔をした竜の王様。彫りの深い顔立ち、とんがった耳、見た目はおおむね人型だけど人間ではないその姿。あれだけ暴れまわっていたわりにはとても冷静だ。そこはさすが王様というか。
彼は静かな目で私たちを順々に見つめる。私はもう片方の剣を収めて両手を開けた。さすがにもう警戒しても仕方ないだろうし。
「そこにいるのはエルトではないか? なんということだ、あの時の子が里の窮地を救うとは、何たる数奇な運命……」
「……僕はエルトですけど、昨日洞窟を抜けて異世界からやってきたばかりです。もちろんこの通り人間ですし、人違いでは?」
光の世界と闇の世界みたいに、この異世界での人間のエルトさんとの勘違いってことならなくはなさそうだけど。さすがにそんな偶然あるかなあ? エルトの失われた記憶の中にこの異世界があるっていうの?
まさかと思ってエルトの耳をちらっと見たけどいつも通りうすだいだい色で丸かった。それはそう。これでエルトがなんかドラゴンの特徴を持っているとか、成長が遅いとかあったらもっと疑うんだけど……。
槍使いのエルト以外にドラゴン斬りを使える人間を、最強の剣士を自負する私は知らないんだけど、まさかね? というかそれならむしろ逆じゃないか。
「グルーノにまだ何も聞かされていないのだな? グルーノ、そこにいるのは分かっている。観念して姿を見せるがいい」
グルーノさんの気配なんてないけど、もしかして竜神族パワーで着いてきてくれてたの? なんていいドラゴンさんなんだ……と感動しかけて。
エルトのポケットからトーポが飛び出した。
ぽふんと可愛らしい音をたてて煙が上がる。
もちもちほっぺのかわいいかわいいエルトの家族が。あっという間におじいちゃん人型ドラゴンに!
グルーノさんはいいドラゴンだけど、だけど、えっと! 夢が壊れる!
「うわあああああ!」
「うわあああ?! 叫ばないでトウカびっくりしたじゃないか!」
「びっくりするでしょ! 私がなでなでモチモチしていた親友のかわいい家族の正体なんだけど!」
「十年くらい病める時も健やかなる時も添い寝する時も一緒にいたのは僕だけど!」
エルトも十分ショック受けてるんじゃないか!
ゼシカも髪の毛が逆立ちそうなくらいびっくりしてるしヤンガスの驚愕顔は教科書みたいだ! ククールも銀のしっぽがぴーんだよ!
「驚かせてしまったようじゃな」
「一生分びっくりしましたよ! 里に来てから行方不明になった時、本物のトーポと入れ替わっていたわけじゃないんですよね?!」
そんなこと思いつきもしなかった!
「わしが最初からトーポだったのじゃ。すまんのう。これから来世の分までびっくりするかもしれんが……」
「ふむ。込み入った話はグルーノの家でするとよかろう。我が力で里まで送ってやろう」
「おお、竜神王様、かたじけのうございます」
「それからエルト、そしてその仲間たちよ。お前たちが見せつけたその力、さらに試したくば再びこの天の祭壇を訪れると良かろう。竜の試練の挑戦を許そう。では……里の窮地、救ってくれたことに感謝しよう」
しゃらん、と竜神王の持つ杖が鳴らされる。とたん、青い光に包まれて。傷がみるみる癒え、私たちはルーラみたいな不思議な力で移動させられたことがわかった。
戦いの後であんなに涼しい顔をして大魔法を使うなんて流石というか……やっぱり理性の欠片もなかったし、本当はもっと強いんだろうな。竜の試練というのはどんなのだろう! 時間があったら試すんだけど、世界の存亡がすぐそこに迫っているのに挑む時間はなさそうだよね。
父さんに頑張れ! って応援したらもう三ヶ月くらい持ち堪えてくれないかな? なんて、冗談だけど! あの人が私のことを父親としてどこまで想ってくれてるかなんて未知数にも程があるよ。
なんて現実逃避だ。
……もちもち……ふわふわほっぺの……マシュマロみたいなぷりちーボディ……やっぱりトーポが可愛いネズミじゃなかったことがショックなんだけど!
いやいや、ショック受けてる場合じゃないよ! 私よりエルト! エルトの方こそびっくりしているんだから!
グルーノさんの家のバルコニーに正確に下ろされた私たちは、彼の招きで再び家にお邪魔することになった。
グルーノさんが何やら準備している最中、不安なのかエルトの手が無意識にポケットの上をまさぐる。もちろん中身のいないポケットはぺったんこで、望んでいた温もりは得られなかった。しょんぼりしたような顔をしたエルトが空っぽの手をぎゅっと握った。
その手を握ってやるべきは私ではなくてミーティア姫なのかもしれなかったし、目の前のグルーノさんなのかもしれなかった。私は親友なので、手ではなく肩をかるーくぽんと叩く。
大丈夫さ、何が判明しても。君なら。