「……」
全身がくまなく痛い。誰かが呻く。僕はそろそろと目を開けた。目の前にはヤンガスが倒れている。手を開いて、閉じる。問題なく動く。痛いけど、これならまだ戦える。
ゆっくりと起き上がり、揺さぶるとヤンガスはがばっと跳ね起きた。元気そうだ。僕は安堵のため息をつく。あんな足場ごと崩壊するなんて中、大怪我もなく生き残れたのは運がいい。目元に垂れてきた血を拭ったけど、これはちょっと眉毛のあたりを切っただけのことだと思う。つくづく運がいい。
見渡すとゼシカとトウカが起き上がるのが見えた。ククールは二人の治療をしていたらしい。僕が起きたのを見ると興味なさげに誰もいない周りを見渡し始める。相変わらず男には優しさをくれない。
いや、生存者探しかな。僕は案外余力があるのでヤンガスと僕にベホマをのろのろ唱え出す。
と、ククールは血相を変えて崩れたレンガの道のふち、崖のように切り立ったところに駆け出し、手を伸ばす。身を乗り出して、なにか、いや、誰かを掴んだらしい。落ちそうな人がいたんだ……?
「……」
トウカがゆらりと立ち上がった。剣を鞘に収めて、油断なく進む。でも、ククールが誰の手を掴んだのかわかった途端、肩の力を抜いた。ククールが助けたのは、兄だった。
「……良かった」
すぐにストンと座り込んだトウカはそう呟くと、そのまま目を閉じた。兄弟に干渉する気はないし、言えることも何も無い。そう言っているようだった。
僕も同じだ、グランドクロスの流れ弾で焼かれたのは痛かったけど、僕の槍はきちんと仕返しをした。言えることはないし、ククールが、ずっと兄に対する複雑な感情を抱き続けていたのが、少しでも解消されたらいい。
死んでしまっていたらどうにもならないのだから。
ククールはマルチェロを引き上げたらしい。死のうとするのを引き留めて、それでもククールは生かす道を選んだ。
後悔はして欲しくなかった。きっとこれで良かった。
投げつけられた指輪を握り締めて、ククールは足を引きずる兄を見つめていたけれど、駆け出し、大声でその背が砂の中に消える寸前に、叫んだ。
「すべて終わったら、一つ落とし前をつけてもらうからな!」
「……結婚報告になりそうね」
トウカはゼシカの言葉の意味をしばらく考えたのち、ぽんと手を打って、何かを指折り数え始めた。
「現在のトロデーンの法に照らし合わせて私に対するもの以外の犯罪の数を数えてるんだけど、なるべくマルチェロが死なずに原型を留めるように努力するね」
「マイエラのあれってどうなるの? 投獄一つで首飛びそう。僕たちの二回の投獄でもかなりの国際問題だし」
「……マイエラが国じゃなくてよかったよね」
トウカは目をそらした。彼女もそういう問題じゃないのはわかっているし、僕たちは積極的にそこをつつこうだなんて思わない、けど。あとでどこから情報が露出するか分かったものじゃない。
二度と会えない方が互いのためになりそうだと思ったけれど、とても疲れたし、二人は二人で何とかするんじゃないかなと思って、僕も槍を投げ出して座り込んだ。
砂漠の太陽は暑くて、人の気配のしないこの場所をじりじり焼いていた。
しばらく風の音だけがしていて、だんだん静けさの中、僕はうとうとしてしまった。誰も何も言わなかった。みんな疲れ果てていた。頭の中の考えが浮かんでは消え、眠気に変わる。
空に、禍々しい城が浮かんでいる。ラプソーンは復活を果たした。だから、立ち止まっている場合じゃない。だけど、僕らはとても疲れてしまった。ちょっとだけ休みたかったから、多分明日はみんなしてぐっすり眠るだろう。
ククールが戻ってきて、トウカが不穏な数を数えていた事も知らずに、黙っていた。ククールも腰を下ろす。トウカはちらりとそっちを見て、俯いた。やっぱり風の音が耳につく。僕は眠気をなんとか振り払って、ゆっくりと投げ出した槍に手を伸ばした。
そろそろ誰かが動こうと口を開く頃に、ばたばたと足音が聞こえてきた。
「トウカ様!」
「あぁ……みんな無事かい?」
トウカはぐしゃぐしゃになった髪の毛から砂を払って、立ち上がった。そして敬礼する私兵にゆっくりと敬礼を返した。
傷だらけの胸当ての剣士に向かってあからさまに貴族の私兵が胸の勲章かなにかを光らせながらへりくだっている光景はなかなか見れないな。
「死者はございません。民間人には何人か逃げ遅れた方が怪我をしたり、行方不明者も出ているようですが……」
「いや、上出来だ。君たちの努力がなければもっと凄惨なことになっていただろうから。
一足先にサザンビークに戻るように。私たちも向かうことになるだろうから」
兵士はもう一度敬礼すると、キメラの翼で帰っていった。
「……私はあの邸宅の居心地は好きじゃないんだけど、あそこのふかふかベッドは宿屋よりいいんだよね。行こうか」
みんなゆっくり頷いた。
「エルト! 見て! 私の剣!」
「見つかったんだ?」
「混乱に乗じて要求したんだって! 手袋も! 装備品はこれでなんとかなるよ!」
ぬいぐるみかなにかのように剣の鞘に頬ずりしながら、トウカはにこにこ笑う。俺はなんとなく今日は剣と同衾する未来が見えた。誰って、そりゃトウカが。
「やっぱり慣れない剣はダメだよね! あれっきりですっかり曲がってしまったみたいでね」
年相応にはしゃいで、冷や汗を流しながらご機嫌取りをするここの当主にもその笑顔を向けた。
「ありがとう叔父上! あとはね、私ね、自害用の毒を用意してくれたらもう言うことないよ!」
「……ご命令とあれば。しかし、どうか妻の命だけは……」
エルトが茶を吹いた。ヤンガスが手にしていた華奢な菓子を取り落としかけ、ゼシカががちゃんとカップをさらに落としかけて鳴らした。俺はなんとかポーカーフェイスを崩さずに済んだが、思いのほかハニーの冷徹なことに背筋が凍った。
「叔母上の? なんで?」
「妻には何も知らせていなかったのです。ですから、どうか」
「叔母上、体弱いものね」
「はい!」
「でも関係ないことだよ、用意してね。一回分でいいよ」
「ありがとうございます!」
「……なんでお礼?」
エルトがトウカと当主を見比べて、何か言うべきか口を開いて、多分思いつかなかったんだろう、閉じた。俺も口を開きかけて、閉じた。ヤンガスは思考が停止したらしい。
そんな中口を開いたゼシカが一番順応性があるらしい。
「ちょ、ちょっと、トウカ!」
「何かな?」
「この人を服毒自殺させる気なの?」
「え?」
トウカはきょとんとした。動けずに跪く当主の冷や汗を見て、やっと合点が言ったという顔をした。
冷徹とはかけ離れた顔で、なんの感情も動いていないと言わんばかりに口角を上げた。
「違うよ。私使っちゃったみたいだから補充だよ」
「補充?」
「監獄島の私、外傷なかったでしょう。陛下と姫を人質に取られて自害したと思うんだよね。現に毒がなくなってる。だから、用意してもらわないと……」
「言葉が足りてないわよ!」
「そうかな」
俺はやっと口を開いた。
「……二度と死なせねぇ」
ぱちぱちと瞬きをした大きな目が、にっこりと笑って答えた。
「戦いにある限り、使わないことを誓うよ。願わくば奥の手として敵に食らわせることを願うね」
でも、と言葉を続ける。
「ククールみたいな最強の回復魔法使いがいたら二度と死なないから大丈夫だよ」
剣を抱きしめた満面の笑みは眩しい。俺は笑みを返しながら、戸惑いもなく君主のために、比喩でもなんでもなく命を捨てるトウカの覚悟まで愛せるかを考えて、脳裏に過ぎった狂気的な戦闘風景と比べると大したことがないことに気づいた。
俺はエルトからトウカの「日常」だった日々を聞き出すことを心に決めた。
ククール「今更何が来たところで」