「しばらくおやすみ!」
無防備すぎた看守の首筋を努めて手加減して、でもしっかりと意識を刈り取る。身一つだっていうのに体は重いし、あちこちバキバキだけど、それくらいはできる。
立ってるだけでも、ガチガチに固まってた体は無理やり動かすと痛い。でも、立っていられないほどじゃない。なら、体を慣らすためにも立ってるべきかな。
死体だと思われていた私が普通に動いていることにほかの囚人達がぎょっとしているけれど、まぁ、こればっかりはフォローできないや。
地面に倒れた看守を念入りに起きても暴れられないように布を裂いて作ったロープで縛り上げているとひょいと持ち上げられて地上への籠の中に入れられた。防具を着ていない私なんてゼシカでも持ち上げられる可能性があるのだけど、誰かと思えば、犯人はエルトだった。
「ありがとう。仕事は終わりだから、無理はしないで、そこで大人しくいてほしい。何があっても。脱出は分かってるよね、トウカが最優先だから」
「……そうだね」
私は出ることさえできれば、圧力をかけてほかの仲間を救済することは可能だから……。でもその理論は理解出来るけれど、不安だ。記憶のない間に何があったのかわからない。
正直、人間相手に殺されるなんて……魔法を使われまくったとしか思えない。今までの決して短くない期間に叔父上や叔母上が私を釈放するように動いていたとしてもこんなに時間がかかるとは思えない。
だから、圧力はかけられなかったか、圧力になりえなかったか、そのどちらかだと思う。つまり、外に出たって私にはそんな権力がないのかもしれない。
でも、分からないから。私は何も言えなかった。
素足に金属が冷たい。座り込んでいる訳にも行かなくて、格子にしがみついた。最後に入ったヤンガスが扉を閉める。……籠は、動かない。
「あのレバー、動かさないといけないんじゃない……?」
恐る恐ると言った様子のゼシカ。あぁ、きっとその通りだよ……。もっと観察できていたら。きっともっと良い手段を思いつけただろうに。
みんなが何かをいう前に、残ろうとしたヤンガスを押しのけ、ニノさんが籠から出た。……決断したあの目は、本物だった。私が不甲斐ないせいだったのに、きっと法王の死の真相を知って、暴いてくれと、そう告げて、私たちは地上へ運ばれた。
鉄の籠が、鈍い音を立てて……牢獄に墜落していくのを、無力なあまり見送ることしかできなくて、そしてそこに呆然と立ち尽くしているわけにもいかなくて、誰からとも分からないけれど、私たちは外の光の下に駆け出した。
素足に食い込む石が、足の裏を突き破ったのか鋭い痛みが走った。それでも構わず、私は殿を走った。
マルチェロが法皇になるために、民衆を集めて演説をする、という情報は僕達の指針をはっきりさせた。ゴルドに行くには幸いにも、まだ時間の余裕があるらしい。三日後、それが僕達に分かっていることで、それは一応ルーラで飛び回って聞き回った結果、確からしい。
休息と、物資の補給を兼ねて今、サザンビークの……えーっと、なんて名前だっけ? トウカの実家の、分家のところ。
トウカは新聞なんて珍しいものを読んだり、武具を見繕ったりと忙しい。
「ヴェーヴィット、ね」
「あぁそれ」
「覚えてくれとは言わないよ。他国の貴族の名前を近衛として覚えておく必要があったとしても、この家だけには他でもない君に不敬だとは言わせないし」
「……怒ってる?」
「ううん、呆れてる」
甲斐甲斐しく傷の手当や食事や、物資の必要なものを聞かれて、それを揃えられて。いわば、世話が行き届いている状態。それは間違いなくトウカへのご機嫌とりだった。
間に合わせとはいえ十分装備として上等な防具や服を次々と使用人の人々が運んでくるのを見繕いつつ、その「呆れている」様子を隠そうともしないトウカは居心地の悪そうなヤンガスや、その素振りは見せなくてもなんとなく距離をとっているククールには優しかった。
ゼシカは、早々にお風呂の方へ行っちゃったので今はいない。
「まさか保身とはね。呆れたし、見下げたよ。まぁ理解は出来なくもないけどね。だとしても私が生きていると見たら速攻でご機嫌取りとはもう少しはっきりして欲しいもの。どっちつかずはどちらからも撃たれるだろうにね」
「撃たれる?」
「そんなの、私が父上と母上の呪いを解いたあとに今まで通りの状態でいられるかどうかってことさ。私が仮に黙っていても、同じ。うちは上下関係が煩わしいほどはっきりしてる」
トウカは覚えていないみたいだけど確かに……叔父さんを伴ってた時はそんな感じだったね?
「もしも対等以上の扱いを私がしたら、『お叱り』は私にではなくて、叔父上に行くのさ」
トウカは使用人にも……その、わりと高圧的だけど?
「えっ……そう? もっと優しくした方がいいのかな……どうにもちょいと素振りしただけで怪我する人間の相手は苦手で、その、近づけたらつい怪我させたら怖いし……その点君は病気知らずの丈夫さが評判でさ、貴族のお嬢さんやお坊ちゃんみたいに逃げたりしないし」
「……ククール聞いてた?」
「聞いている」
もはやその程度じゃククールの動揺はないらしい。メンタル強すぎない?
「労いの気持ちで肩をぽんと叩いて脱臼させる気持ち分かってよ」
それは僕が頑丈なんじゃなくて、手加減に慣れただけじゃないの?僕は……「脱臼は」した覚えがないんだけど。なんにしてもククールの回復魔法が最高で良かったね。
「まぁ、でも私は彼らを庇うよ。兄上だけは取り返してくれた。この地図だけは剣よりも大事だから。……えーっと、『ライティアを通じて屋敷を燃やしたからね』? 放火はダメですよ兄上」
「明らかに地図に自我あるよね?」
「心配だから帰ってきたって……ほんとかなぁ。最初からいたんじゃないですか? 『ソンナコトナイヨ』……流石に騙されませんよ」
その時、使用人が出入りしていた扉と違う大きな扉が鳴った。
とたんに微笑みを浮かべていた表情をどっかにやって、地図をたたんで大切にしまい込み、普段よりも粗い目の鎖帷子をじゃらじゃら言わせながら、トウカは足を組んで座って、……そう、偉そうにした。
トウカにとってこの家の人は呆れる存在みたいだけど、それ以上に兄君を取り戻したということが中和しているらしくて、全部「ふり」に見える。実際、そんなに怒っちゃいないんだ。
……怒ってたら床に敷いてある絨毯が無事なわけないし、山と積まれた魔法の聖水を倍持ってこいとか言うだろうし。魔法の聖水に関しては山のようにあってもそんなにもたないのは目に見えているけどね……。元々持ってた量と、どっちが多いんだろう。流石に最近は買い足していたみたいだけど。
「入って?」
「……はい、レディ・トウカ……」
レディ?……あぁレディか。そうだよね、貴族の令嬢が、敬称を付けられるなら、それもモノトリアならレディだ。もちろん大真面目なここのご当主と、それを普通に受けるトウカ。普通と言いつつも一瞬トウカの思考は停止したらしいけど、すぐに持ち直した。口が開いてたんだけど、僕は何も見てない。ククールは見てたかも。
多分、違和感があったのは城では「レディ」じゃなくて「閣下」だったからだね。
なにか違和感があると思ったら、レディと呼ばれている人が足組んで新しい剣を何本か大事に抱えているからかな?
「聖地ゴルドでの『ご公演』へのチケットは手に入りました? それとも『やっぱり』駄目だったのですか?」
「ご期待に添えず……申し訳ありません。すでに満席との事でしたが、恐らく向こうも織り込み済みの、計画的なことであると……」
「想定の範囲だから良いのです。それで指針が決まりましたから。正面突破です」
「次期法皇の演説に正面突破ですか! 流石のレディといえどもそれは、多勢に無勢すぎます!」
「一人で行く訳じゃありませんし、多勢に無勢ではなく、多勢に精鋭部隊ですからね。まさかこちら以上の練度が向こうにあると?」
数が向こうの方が多いなんていつものことだもんね?相手が「魔」じゃなくて、いくら強くたって人間なら、僕ら五人で挑んでまったく歯が立たない……っていうのは、あんまり考えられない。慢心はダメだけど。
懸念すべきは僕らの体が果たして前みたいに動くかどうかだけど……案外平気なんだよね。まだ三日もあるならちょっとだるかったりするのもすっかり治るはず。
「そろそろ見極めた方が宜しい。叔父上は姉である母上か、従兄弟である父上の代わりになってくださっても良いのですよ? しかし私は望みませんし、従わせたりはしない。きっと例外なく血は呪いをすり替えて下さいます。
理解なさった方が良いのです。あなたはただ、叔母上と……彼女の不安を取り除き、良き当主として、良き従者として成すべきことを成してくださいな。具体的には……聞きますか?」
「いえ……いいえ、必要ありません。最初から身代わりを申し出るべきでした」
「それは望みません、と。私たちの手でなんとかします。……ところで私兵はいくら動かせます?」
「はっ……すべて合わせれば二十五ですが」
「二十、私に貸してくださいますか?叔父上」
私兵? ヴェーヴィットの? 聖堂騎士団を抑えるために使うの?
……偏見だったら悪いんだけど、国の兵士はともかく、貴族の私兵でしょう。聖堂騎士団の方が練度が上なんじゃないの?
「戦闘は極力させません。『ご公演』を聞きに来た民間人の誘導のために使います。……宜しいですよね?」
椅子から立ち上がったトウカは机の上に置いていた新聞、それも号外を指さした。
「数百人の命のために。私たちは手加減することはできませんので」
見出しには、各地から招待されたたくさんの人を収容するために聖地ゴルドの女神像の直下である礼拝堂を解放するということがでかでかと書かれていた。
ドラクエ8で最も死者が出たゴルド。