コンキリエ枢機卿の優雅な生活   作:琥珀堂

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ガリア編、はーじまーるのじゃー。


陰謀の基本は、やっぱり手紙なのじゃ。

 なんかようわからん変な夢を見た気がするが、思い出すと精神衛生上良くなさそうな気がするのであえて思い出せないまま放置するとして――さしあたり現実的な問題について。

 兄様の負担を減らそうと、アンリエッタ姫をゲルマニア皇帝に押し付けたら、兄様がトリステインの摂政になりました☆

 その後、兄様から手紙が届きまして、そこには「仕事が普段の三倍に増えたから、しばらく帰れない」と書かれておって、純情一途な我のハートはウィンディ・アイシクル五発分くらいのダメージを負った形です。かなり瀕死に近く、こう叫ぶくらいの体力がかろうじて残っておる程度であります。

 ――どうしてこうなった!?

「うえええぇぇぇぇ〜ん、トリステインのクソボケアホス〜……! 自分とこの政治くらい、自分でやらんかーい!」

 兄様が摂政になったことを知らされたあの日から、我は荒れに荒れておった。

 無意味に壁を殴って手首を捻挫したり、柱を蹴って足首を捻挫したり。

 野良犬に喧嘩を売って返り討ちにされたり、シザーリアのポケットにカエルを入れようとして、関節技を極められたり。

 とにかく、精神的にも肉体的にもボロボロじゃった。

 今思えば、兄様に会いにトリステイン王宮へ行ったのが、根本的な失敗じゃった。それまでは、ずーっと会っとらんかったから、兄様がおらん環境に慣れることができとったが――あの日、不用意に兄様分を補給してしまったばっかりに、今、兄様欠乏症に陥ってしまっておる。

 ああ、もう。恋は女を強くするというが、そんなのは嘘じゃ。

 また兄様に会いたい。ロマリアに帰ってきてもろうて、一緒に暮らしたい。

 そればかり思うておる。

「ヴァイオラ様。明日の説教の草案、推敲が終わりました。目を通しておいて下さい」

 我の内面がどんなに凹んでおっても、シザーリアはいつも通り運行中じゃった。

 本棚に囲まれた書斎の中、我がいつも使っておる執務机の上に、羊皮紙の束が置かれる。我が机に向かわず、てきとーな百科辞典を枕にして、ソファーの上でふて寝しとっても、このメイドはおかまいなしじゃ。

「うー。働きたくなーい。我は働きたくないのじゃー」

 今はまったく、そんな気分ではないのじゃよー。普段が働く気マンマンかと聞かれたら、思いっきり否なんじゃけどー。

 どーせやらにゃならんのじゃったら、気力体力が共に充実しとる時にしたい。つまり今はダメダメじゃー、まずはがっつり癒しをよこせー。

 そう言ってやったが、シザーリアは小さく首を横に振り、駄目ですときっぱりはっきり言いおった。

「ヴァイオラ様。あなた様は、ロマリアという国においても、ブリミル教会という組織においても、高い地位におられます。上の者がしゃんとしていなければ、下の者に示しがつきません」

 小さな子にお説教するように(我を見る目が、比喩でなくマジで年下を見る眼差しじゃったんじゃが、さすがにこれは我の気のせいじゃよな?)、丁寧に、そして頑として言い聞かせてきよる。

 こいつは我の部下で、所詮は使用人に過ぎぬが、東方に旅立った父様から、直々に我の相談役とお目付け役を任されておる。あのアホスパパンは、「シザーリアのいうことをよく聞いて、いい子にしているんだよ」などと我に言い残していきよったが、我より年下のシザーリアにそーゆー役目を任せる時点で、お目付け役やお叱り役が必要なんは父様の方ではないかと思わずにはおられん。

「ううー……じゃけどー」

「じゃけどではありません。あなた様はブリミル教会の枢機卿なのですよ。ゆくゆくは、教皇にまで上られる器であろうと、私は信じております。

 ブリミル教会の頂点、ハルケギニア人民の規範となるべきお方が、自分のすべきことをおろそかにして、世の中が成り立つとお思いですか?」

「そっ……それはっ!」

 シザーリアの問いを聞いた瞬間、我は鋼鉄製のゴーレムに頭をぶん殴られたかのような、強い強い衝撃を受けた。

 普段なら聞き流しておるところじゃが、いろいろ煮詰まっておった我の脳みそに、それはスルリと入ってきたのじゃ。

 我は教皇に上り詰める器。ハルケギニアの頂点に立つべき女。

 至高の座につくためにすべきことは、なんでもやる。それが、我という人間ではなかったか?

 それは思いがけず、突然に与えられた、我自身を客観的に見直す機会じゃった。そうじゃそうじゃ。我はハルケギニアで一番えらい、教皇になることを望んでおったのじゃ。

 教皇になれば、ハルケギニア全体の権力を握ったも同然。経済は、もう大部分が手中にあるようなもんじゃから、宗教によって人心を完全に掌握すれば、この世で我の自由にならんものなぞない。

 なーにを我はボケとったのじゃろか。思い通りにならない世の中を憂うなぞ。世の中が全部我の意のままになるようになってから、兄様を手に入れようと動けばいいだけではないか。

 教皇にさえなれば、テキトーに強権発動させて、トリステインに兄様を帰国させるよう命じることだってできる。めっちゃくちゃ簡単じゃ。これが、我をノックアウトしよった問題を解決する答えであるとは……本当に馬鹿馬鹿しくて涙が出るわ。

「うむっ、よう言うてくれた、シザーリア! 我は目が覚めたぞ!

 お前の言う通り、我は頑張らねばならんようじゃ。ここはひとつ、初心に戻ったつもりでやってみるか……椅子を引けい!」

 ソファからぴょんと飛び起きると、仕事の待つ机へと向かった。シザーリアは我が命じた通りに、さっと椅子を引き、我は高級レストランでディナーのテーブルに着くように、優雅に腰掛け、片付けるべき書類を開き始めた。

 真面目にことに当たる我を見て、シザーリアは満足げに小さく頷いておった。

 ……見ておれよ、シザーリア。お前の信用に応えて、我はきっと遠くないうちに、最高の位にまでのし上がってみせるぞ。

 そう、そのために我は努力を惜しまん。すべきことをきちんとこなして。

 手段を選ばずに! 邪魔者も障害も、容赦なく蹴散らして!

 教皇への最短ルートを、我は駆け上がってやるのじゃー!

 

 

 さて、我が初心を思い出したところで、ひとつじっくり脳内作戦会議を開きたいと思う。

 最初の議題はこちら。我が教皇になるために、確実にやらにゃならんことはなんじゃろか?

 他の枢機卿たちを取り込み、教皇選定会議の際に味方してもらうよう頼み込む?

 聖職者としての仕事を真面目にやって、民衆からの支持を得る?

 そんな後回しでもいいことではなく、もっと根本的に必要な仕事がある。

 それは、現教皇サマをその地位から引きずり下ろしてやることじゃ。

 我より年下の、あのクソガキ……聖エイジス三十二世こと、ヴィットーリオ・セレヴァレ。

 ヤツがたったひとつしかない教皇の椅子に、その汚ならしいケツを下ろしておる限り、我はそこに座ることができん。

 というわけで、ヴィットーリオのヤツには早々に腰を上げてもらって、どっかに退散してもらわねばならん。

 ヤツさえ消えれば、後釜は我々枢機卿の中から選ばれることになる。そうなればしめたもの、現枢機卿のうち数人は、鼻薬の効くことがわかっとるし、賄賂を受け取らんような融通のきかん奴らには、真面目に働く我の姿を見せたり、いい噂を吹き込んだりして、信頼を騙し取ればよい。

 我以外にも、教皇候補になりそうな奴はいないではないが(兄様なぞはその筆頭じゃが)、そいつらの当選を阻むのは、我の経済力と組織的な情報操作力を使えば、何も難しいことではない。

 つまり、ヴィットーリオを排除できたならば、我の最大目標は、九十九パーセント達成されたと言っていいのじゃ。

 では、どうやって奴を、教皇の座から追い払えばいい?

 一番単純な腰の上げさせ方は、やっぱり始祖の御許へ逝って頂くことじゃろう。

 何人かの、信頼に値する殺し屋へのコンタクト方法を、我は知っておる。金は少々かかるが、それでも高くて一万エキュー程度で、ヴィットーリオの命の炎を、確実に吹き消してもらえるじゃろう。

 しかし……この方法は後腐れが残る。殺し屋が捕まって口を割ったりとか、そういうことを恐れておるのではない。

 まだ若い教皇が変死――しかも殺されたとなれば、口さがない連中は、教皇の座を狙う何者かに消されたのでは、とか噂するに違いない。

 となると、疑われるのは、次に教皇になる者じゃ。

 いざ教皇になれても、民衆から人殺しの疑いを持たれていては、尊敬の気持ちを向けられることは期待できぬ。それではいかん。我は、ハルケギニアに住まうすべての人々に崇められる、権威の象徴としての教皇にならねばならんのじゃ。

 そのためにヴィットーリオには、奴よりも我が教皇になった方がいいやーって空気の時に、何も残さず立ち去ってもらう必要がある。

 となると、やはりこの手で行くべきじゃろうなぁ。

 つまり――ヴィットーリオの評判を落とし、教皇の座を退かなければならんような状況に追い込む!

 いわゆる、ネガティブキャンペーンじゃ!

 評判の悪い、気に入らない奴の命令など、聞きたくないと思うのが人間じゃ。タイムリーにアルビオンでは、王族を気に入らんっつー貴族どもが革命を起こしよったが、同じことをブリミル教会の中で起こしてやろうと思う。

 信者のみんなが、ヴィットーリオはいらん、別な奴を教皇にしろ、と騒ぎ立てれば……民衆の総意が、奴を教皇の座から引きずり下ろしてくれるならば……我はむしろ歓迎されて、空いた席に座ることができるっちゅうわけよ!

 てなわけで、基本的な方針としてはこれで決まり。では次に、どうやってヴィットーリオを陥れるかを考えていこう。

 奴の、民衆からの人気は高い。清く正しく、始祖の教えに忠実に従っており、まさに、ブリミル教僧侶の鑑のような男じゃ。貧民どもへの施しも欠かさず、子供たちを集めては、読み書きなどを教えたりしておる。

 そりゃー貧民どもは支持するじゃろうて。自分たちの生活を助けてくれる上、ガキどもにゃ将来良い仕事に就けるかも知れんスキルを授けてくれるんじゃからの。

 じゃが、その清廉潔白、貧しい者の味方、というイメージこそ、奴の弱点になり得るのではないかと、我は考えておる。

 真っ白だからこそ、汚点がつけばえらく目立つ。ヴィットーリオがほんのひとつでも、「民衆を裏切った」的な事件をしでかせば。信頼が大きかった分、失望感もまた大きいはずじゃ。

 となるとやはり、奴には、ハルケギニア人民に何らかの害を与えようとしている(または与えた)、っちゅう種類のスキャンダルをおっかぶせるのがいいじゃろう。

 酒に酔って信者を殴ったとか……寄付金をちょろまかして私腹を肥やしてるとか……うーん、奴の生活態度からすると、説得力がないのう。

 性犯罪被害をでっちあげるか? 男に無実の罪を着せるなら、一番楽で効果的なやり方じゃって聞いたことがある。

 いや、これもいかん。ヴィットーリオのイメージから掛け離れておる。「うちの教皇様がこんなに卑劣なわけがない」って、否定されたりしたら意味がない。信じられないだけならともかく、現教皇を陥れるための陰謀だと看破されたら、こっちの身が危うくなる。

 民衆に、無理なくヴィットーリオの悪評を広めるには、奴がやっても不思議でない悪事を考えねばならん。

 あのアホタレがしそうな悪事……。うーん、極端なもんしか思いつかんのぅ。

 たとえば、レコン・キスタみたく、聖地行こうぜ! というスローガンのもとに聖戦発動して、エルフに勝ち目のないケンカ売ったりとか。

 真面目で頭のいい奴じゃけど、真面目過ぎるのが少々危なっかしい。信仰のためなら、十万人規模の犠牲者が出たとしても、それを平気で是としそうなタイプに見える。

 でも、ヴィットーの助をそういうデスマーチ主催者に仕立てあげるとすると、奴は救世の英雄か、パブリック・エネミー・ナンバーワンかになってしまう。世論が熱狂的に支持するか、強迫的に排除しようとするか。どっちになるかは、我も予測がつかん。後者ならいいが、前者ならマジヤバイ。奴がハルケギニア中から狂信されたら、追い落とすことは完全に絶望的になる。その上、奴自身もノリノリで聖戦を指揮しそうな気がするし。

 どっちにしろ、聖戦になるとロマリアがその旗印っちゅーか爆心地になるから、あんまりその手の極端な陰謀を描くのはノーサンキューしたいところじゃ。おうちのまわりが危なくなるのは、我は嫌じゃー。

 もっと軽くて――かつ、揉み消されない程度に大きな、反社会的行為……。

 レコン・キスタを、裏で操っとるとかいう濡れ衣はどうじゃろ? あいつら王権を打倒するっちゅう大事やらかしとるし、一応聖地目指すとか言っとるし。規模としても、信仰を大義名分に使っとるところも、ヴィットーリオにマッチする社会悪ではあるまいか?

 ……いや、ダメじゃ。ヴィットーリオと、レコン・キスタのオリヴァー・クロムウェルとの間に、接点がない。

 ロマリアとアルビオンでは、連絡を取るには遠すぎるから、ロマリア教皇がアルビオン皇帝を傀儡にしとると言い切るには、かなりたくさん、無理のある証拠をでっちあげねばなるまい。

 あーもう、ヴィットーリオとクロムウェルが旧知の仲だったり、ロマリアとアルビオンが隣接していたりすれば、話はずっと楽なんじゃが。

 なんでレコン・キスタのアホタレどもは、浮遊大陸なんちゅう聖地から遠い場所で決起しよったんじゃ。ガリアとかでやれと小一時間かけて説教したい。まったくどいつもこいつも……。

 …………ん?

 ヴィットーリオとクロムウェルが、仲良しなら問題なくて――レコン・キスタがいるのが、アルビオンじゃなくてガリアなら問題ない……?

 だとすれば……おお! 思いついたぞ!

 この案ならいける気がする――ヴィットーリオを排除し、それと同時に、我の商売上の邪魔者も始末できる、一石二鳥の名案じゃ!

 こんなにも巧緻にして絶妙、優雅かつ悪辣な策を思いつくとか、我の頭脳の天才ぶりに、恐怖すら覚えるわい……。

 おっと、自画自賛はあとでゆっくり、寝る前にでもするとして。せっかく思いついた策じゃ、新鮮さを損なわぬうちに、実行に移すとしよう。

 やることを決めた我は、まずシザーリアに命じて、外行き用のマントを持って来させた。今からちょいと、教会まで足を運ばねばならん。

 必要なものは、そこにあるのじゃ。

 

 

「ふ、ふ、ふ……よーしよしよし、完璧じゃ。筆跡、文体、印章まで、そっくり見事に真似しておるわ……」

 我が、企み事を思いついてから、三日の時が経った。

 誰にも見られる心配のない、教会の最深部にある我が執務室。その中で、我は一枚の開封された手紙を眺めながら、ニヤリニヤリと悪ぅく冒涜的に笑っておった。

「このしょっぽい紙切れが、何人もの善良な人間たちに、いわれのない罪をおっかぶせてしまうんじゃのう。しかもそれは、死刑にもなりかねん、極悪な重罪じゃ。恐ろしい、恐ろしいのぅ……じゃが、我がより高い地位へ上がるための踏み台になれるんじゃから、濡れ衣を着せられる連中は、我を恨むどころか、むしろ光栄に思ってくれるかもしれんの。くくくふふふ、いっひっひ」

 そう、この手紙こそ、我がヴィットーリオを陥れるために用意した、華麗なる作戦のキモとなるものじゃ。

 我は、何度もチェックしたその文面を、もう一度読み返す。

 差出人の名は――シエイエス。

 ガリアのリヨン周辺を教区として担当しておる、大司教の職におる男じゃ。

 その人柄は慈悲深く高潔で、弱い者と見れば手を差し延べずにはおられんという。

 収入の半分以上を、貧しい者たちのために使い、休日は一般の信者たちに混じって街の清掃活動をしたり、子供たちに読み書きを教えたりしておるらしい。

 そんな野郎じゃから、教区の信者たちの支持は凄まじく、まだ生きとるのに、早くも「聖シエイエス」などと呼ばれとるそうな。

 我も、前に一度お目にかかったことがあるが……あれはマジモンの善人じゃな。ほんの十五分ほど話をしただけで、背筋がゾワゾワして、鳥肌が立ちまくったものじゃ。我の精神と、本能的な部分で決定的に相容れん。

 で。そのシエイエス大司教。同じような真面目腐り聖人君子野郎のヴィットーリオと、旧知の仲じゃったりする。

 ヴィットーリオが無名のいち僧侶に過ぎんかった頃から親交があるという話で、今でも私的な書簡のやり取りをしとると、ヴィットーリオ本人の口から聞いたこともある。

 さらには、ヴィットーリオが教皇に選ばれた選定会議の時、奴を推薦するよう、ガリア出身の枢機卿たちに働きかけたのも、かのシエイエスじゃという話じゃ。

 つまり、ガリアの誇る人望たっぷりの大司教サマは、現教皇サマと、深ーい深ぁあーい絆で、べったりがっつり結び付いておるわけじゃ。

 では、このシエイエスが、何か重大な犯罪に手を染めていた、という風聞が持ち上がったら、さてどうなる?

 それも、非常に組織的で、背後に何者かが潜んでいそうな、奥の深い陰謀に関わっていたとしたら……?

 大司教とつながりのある(だけの)ヴィットーリオに、きな臭いイメージをおっかぶせることが、自然にできるのではないか?

 そう、我の思いついた策とは。シエイエスという中継点を介して、間接的にヴィットーリオを陥れるという、アクロバティックな方法だったのじゃ!

 で、ヴィットーリオへの攻撃のために、あわれイケニエに捧げられてしまうカワイソーなファーザー・シエイエスには、どのような罪を着せて差し上げるのかっつーと……やはり、人の上に立って導く大司教サマじゃもの、悪の道でも人の上に立つのが相応しかろう?

 今のガリアは、ハルケギニアの五つの国家の中では最も栄えておるが、政情は平和で安定しておる、というわけではない。魔法の才能がなく、自らの弟を暗殺したという噂のある『無能王』ジョゼフ一世は、国民からの人気が低い。好かれてないだけの空気な王様だったなら、まだよかったのじゃが、気に入らなかったり、逆らったりした臣下を大量に粛清しておるから、尊敬されないどころか、大いに恐れられておる。

 そんなんがトップに立つ国じゃから、この無能×恐怖政権を打倒しようと企む連中も少なくない。

 筆頭は、ジョゼフに殺された(と言われている)シャルル王子を信奉していたグループ、通称「シャルル派」じゃろうが、奴らは今は雌伏の時と考えておるのか、まったく活動を表に見せんため、反社会組織というには無理がある。

 じゃが、我が目をつけた政治団体『テニスコートの誓い』は、別じゃ。

 こやつらは、かなり堂々と王制、貴族制の廃止、国民による共和制の実現を目標に掲げており、その実現のためなら、実力行使も厭わないという、なんとも過激な集まりじゃ。

 ガリア各地で、『テニスコートの誓い』によるものと思われる強盗事件が、今年だけで十件も起きておる。主に標的となるのは、税を過剰に取り立てて、平民を圧迫しているという評判のある貴族連中で、屋敷を破壊、放火された上、溜め込んだ財貨をごっそり奪われてしまったらしい。

 先月には、バスティーユ監獄が襲撃を受け、収容されていた政治犯二十三名が脱走するという事件が起きたが、これも『テニスコートの誓い』が関与したものじゃという話じゃ。

 ガリアという国の地下に潜み、非合法な手段で金と人材を集め、王家を打倒しようと企んでいる共和主義組織。まさにガリア版レコン・キスタよの。

 で、そんなブラックな組織が、王宮に目を付けられてないわけがなく。はっきり言えば、壊滅させてやりたい国家の病気なんじゃろうが、連中に対する捜査は難航しており、全然その勢いを殺せん、というのが現状らしい。

 なぜかというと、『テニスコートの誓い』の指導者が、まったくの正体不明であるゆえ。

 ビラ撒きをやらされた雇われ者や、貴族屋敷襲撃の実行犯なんぞは、ちょくちょく逮捕されておるのじゃが、そんな下っ端は上の連中のことなど何も知らず、『テニスコートの誓い』の首領や幹部たちは、名前も顔も、深く暗い闇の奥底に隠れたまんまじゃ。

 そう、この正体不明というのが、非常に良い。ロマリアの方言でいう、ディ・モールト・ベネというやつじゃ。

 つまり、誰か『テニスコートの誓い』と全然関係ない奴が、組織のトップであると、嘘の告発をされたとしても、自信を持ってそれを否定できるのは、濡れ衣を着せられる当人と、本物の『テニスコートの誓い』メンバーたちだけじゃということになる。ただし後者は、表立って発言することのできない連中じゃからして、弁護にしゃしゃり出てくることはまず有り得ん。疑惑をかけられた不幸なマヌケは、ひとりも味方を得られぬまま、孤独に裁判を戦わねばならんのじゃ。

 さて、我が手中にある手紙に話を戻そう。この中でシエイエスは、愚かにも自分の実名に、『テニスコートの誓い』会員という肩書きをつけた上で、今後行う予定のテロ活動について、賛成し支援する意志を明らかにしておる。

 筆跡は、シエイエス本人のもの。末尾に捺された印章も、シエイエスが私信に使っておるものと一致する。文章のクセも、シエイエスからの手紙を受け取ったことのある者なら、「まぎれもなく彼の書いたものだ」と、ためらうことなく言ってのけよう。

 絶対に言い逃れのきかぬ、あまりにも直接的かつ物理的な、シエイエスと『テニスコートの誓い』との関連を示す証拠品なのじゃ。

 ……まあ、ここまでの話を聞いとって、マジでそうだと信じるバカもおるまいが……もちろんこれは、我が偽造した、偽の証拠物件じゃ。

 我の教会に、以前シエイエスから送られてきた手紙の類と、奴自身が執筆した、始祖に関する論文とが保管されてあったゆえ、その筆跡と文章と印章をもとにして、偽造屋に造らせた。

 たったの手紙一枚、しかも材料は豊富にあったゆえ、プロにとっては簡単な仕事だったようで――偽造屋のジョバンニが、一晩でやってくれたのじゃ。

 ま、ニセモノとはいえ、限りなくホンモノに近い出来なので、説得力は充分。これがガリア王宮に渡れば、シエイエスは確実に破滅するじゃろう。

 その上、文面の中には、「我が親友にして至尊の地位にあるお方が、資金を融通して下さった」という一文も忍ばせておいた。そこから、どれだけの人間が、ヴィットーリオの存在を邪推してくれるか……シエイエスと教皇サマの友情は有名じゃし、調べてみたところ、実際にヴィットーリオは、シエイエスの教会に寄付金を何度か送っておるし……けっこうたくさんの人が、このエサたっぷりの釣りにひっかかってくれるんじゃないかの、うひひひひ!

 ちなみに、この手紙の宛て先は、シレ銀行の副頭取をつとめる、ロベスピエールという銀行家にしておいた。

 こいつも、真面目を絵に描いたような奴で、賄賂や裏取引に一切応じようとせん、潔癖野郎じゃ。まったく融通がきかんので、ガリアにおける我が商売の、目の上のコブとなっておる。

 こいつさえいなくなれば、ガリアでもっと好き放題に金をかき集めることができるようになるので、今回の陰謀についでに巻き込まれてもらうことにした。

 このたびの演劇のメインキャストは、シエイエスとロベスピエール。役はどちらも、『テニスコートの誓い』幹部。助演兼黒幕はこの我、ヴァイオラ・マリア・コンキリエでお届けしよう。

 筋はこうじゃ――ある日、我のもとに、匿名の封書が届いた。その中の手紙には、「ガリア全土を脅かすテロ計画が密かに練られている。自分はその陰謀を企てている組織の一員だが、このような恐ろしい計画の片棒を担ぐ度胸はない。よって、首謀者を示す証拠の手紙をあなた様に送ることで、ひそやかな告発を行うことにする」と書かれておった。ガリアの衛士や王宮に持ち込まなかったのは、ガリアではどこに連中の仲間がいるかわからないから、だそうな。

 封筒の中には、その手紙とは別に、『テニスコートの誓い』の陰謀をしたためた、開封済みのシエイエスの手紙が入っておった。

 それを確認した我は、ガリア王に宛ててこんな手紙を書くのじゃ――「私のもとにこのような告発文が届きましたが、あの尊敬すべき人格者で、信仰篤く民からの信頼も深いシエイエス大司教が、このような恐ろしい犯罪組織に関わっているなど、到底信じられません。きっとこれは、大司教を陥れようという罠ではないかと思います。もしよろしければ、疑惑の手紙の真贋を徹底的に分析して、大司教の潔白を証明して頂けませんでしょうか?」と。

 この書き方なら、万一手紙がニセモノと見破られた場合にも、我がシエイエスを陥れようとした、と気付かれずに済むはずじゃ。

 ま、偽手紙はすごい良く出来とるし、そうそう見破られるとは思わんけれど。

 無事、手紙が本物であるとガリアのアホどもが判定して、シエイエスが逮捕されてくれれば、我は「あの素晴らしい大司教が、そんな悪人だったなんて」と落胆するフリをしながら、心の中で万歳三唱すりゃあええ。

 で、そののちにさりげなく、「『テニスコートの誓い』のシエイエスを裏で操っていたのは、親友のロマリア教皇だった」という噂をばらまく。

 シエイエスとヴィットーリオのつながり、ロマリアからガリアへの寄付金の存在……噂とはいえ、信憑性はけっして低くあるまい。教皇への疑心が、世界中に広まっていけば……おお、見える、見えるぞ! ヴィットーリオの足元が、ぐらついて崩れだす未来が!

 将来のヴィジョンがこうもはっきり見えるのじゃ、理想像が実像に変わるのに、そんなに長い時間はかからんかもしれぬのう。

 

 

「ヴァイオラ様。ガリア王室より、親展が届いております」

 ガリアの王宮に、例の偽手紙について相談する嘘手紙(ややこしいのう……)を送ってから四日。ついに先方から返事が届いた。

 シザーリアが銀の盆に乗せて差し出した手紙を、我はすぐさま開封し、読み始める。

 そこには、まあいろいろと修辞上の無駄な文句もいっぱい並んどったが、要するに「興味深いので、ぜひ調べさせて頂きたい。その証拠の手紙を、こちらに送ってほしい」という意味のことが書かれてあった。

 ふむ、よしよし。我は、うまくガリア王の興味を引くことに成功したようじゃ。

 実のところ、我はまだ偽手紙の現物を、ガリアまで届けてはおらん。「そちらのご迷惑にならないならお届けします」というポーズを、わざと取った。

 そして、今回のガリアからの手紙に対しては、こう返事をする――「郵便など、人を介する方法では何かと危険が多いので、私自らガリアへ赴き、ジョゼフ陛下に直接、証拠品をお渡ししたいと思います」。

 こう書けば、手紙の重要性をより強調できるし、『テニスコートの誓い』問題に、ロマリアが注目しているという印象を与えることができる。

 少なくとも、協力者となる我にも内緒で、こっそりと『テニスコートの誓い』を闇に葬る、なんてことはできんなるはずじゃ。

 我の野望のためにも、この過激共和組織は、世界的な話題になるくらい、大々的に撲滅されてもらわにゃならんからの!

 ガリア王宛てに返事を送り、さらに待つこと三日。とうとうジョゼフ一世のサイン入りで、面会の時間を作ったから来い、とのお便りがやってきた。

 よっしゃ、我の芝居も、クライマックスに差し掛かったようじゃぞ! 気合い入れて、最後の仕上げにかかろうか!

 我はすぐさま、最大級の敬意を払った返事を書いた。もちろん、招待に応じる旨じゃ。それを、速達の竜便で届けさせれば、それでもう手紙のやりとりはおしまい。

 七日後には、我はガリアの土を踏んでおるじゃろう。

 

 

 ガリアの首都リュティス。華やかなこの街の一角に、ジャコバン・クラブはあった。

 貴族や財界人ご用達の店で、もちろん酒や料理も出すのだが、それよりも会話の場所を提供する、というのがこのクラブの価値であり、セレブリティーの社交場としての役割が最も大きい。

 重厚な樫のテーブル、ひじかけの彫刻にもこだわりの感じられる、背もたれの高い椅子。パイプの煙が染み込んだ、太く黒い梁が天井に走り、それに支えられて、飴色の光を降らせる、年代物のシャンデリアが下がっている。

 やや年月を経たクリーム色の壁板には、ゼラニウムの浮き彫りが施され、そこにかけられているのも、同じように時代を経た絵画たちだ。ファン・レイン、フェルメール、ミレーにルノアール。そこにあるすべてが古風であり、上品だった。当然、そこで働く者たちも、上品なふるまいを身につけていたし、同じように上品な人々でなければ、ジャコバン・クラブの客になることはできなかった。

 今、ウェイターに案内されて、ワイン色の絨毯の敷かれた廊下を歩いている男も、上品な紳士だった。

 白い口ひげをたくわえ、同じ色の髪を後ろに撫で付けている。目は小さく、鼻はやや赤らんでいて、丸い。背が高いが、肩幅があまりないため、かなり痩せているように見える。

 身にまとっているのは、柔らかな木綿の法衣。このクラブの客の衣装としては、安物と言っていい。だが、この老人がそれを着ていると、えもいわれぬ清浄な雰囲気が漂い、へたに値の張る仕立て物を着てくるよりも、その場に溶け込めてしまうのだから不思議なものだ。

 法衣の老紳士が通されたのは、クラブの一番奥に位置する個室で、予約が必要なVIPルームだった。

 そこにはすでに、ふたりの紳士がテーブルを挟んで酒を酌み交わしており、老紳士の入室に、先客たちは軽く手を挙げて挨拶の代わりとした。

 老紳士も、僧帽を脱ぎながら会釈をして、空いている席に腰を下ろした。

 ウェイターには、ブランデー入りの紅茶と焼き菓子を注文して下がらせ――そしてようやく、口を開く。

「お待たせして申し訳ない、ミスタ・ロベスピエール、ミスタ・サン・ジュスト。来る途中で、馬車の車輪が溝にはまり込んでしまってね」

「いえ、構いませんよ、ファーザー・シエイエス。時間は充分ありますので。

 今回の問題は、非常に微妙で重大なものなので、じっくりと話し合うことができるよう、他のスケジュールはすべてキャンセルしてきたんです。途中で時間切れになって、銀行に戻らなくてはならなくなるのは、困りものですからね……なあ、ロベスピエール?」

 シエイエスの言葉にそう言って応えたのは、ウェイブした黒髪を長く伸ばした、中性的な顔立ちをした美青年だ。

 青年――シレ銀行会計部主任サン・ジュストに話を振られて、もうひとりの人物――金髪の巻き毛を左右対称にぴっちりと整えた、丸ぶち眼鏡をかけている学者風の男、ロベスピエール副頭取も頷いた。

「その通り。今回の問題は、時間を気にせずに、徹底的に話し合わねばならない。我々の進退に関わることだからな。

話し合いの結果によっては、今後の計画をすべて考え直さねばならないかも――む。ファーザー、あなたの紅茶と菓子が来たようだ。受け取ったら、ウェイターにしばらく声をかけないように言って下さい。そして、その上でこの部屋に『サイレント』をかけてもらえませんか」

「うむ、承知した」

 シエイエスはウェイターを迎え入れ、注文の品をサービスさせると、そののちにロベスピエールの要望した通りのことをした。

 シエイエスが呪文を唱え、杖を振ると、部屋の内と外で音が完全に遮断され、盗み聞きが一切不可能になった。サイレント――秘密の会議や内緒話をしたい時に、もっとも重宝される魔法である。

「さて、これで機密を扱うことに関しては問題あるまい。それでは、ミーティングを始めよう……サン・ジュスト。ファーザー・シエイエスに、例の情報を」

「了解した。……王宮に潜入させている、アントワーヌ・ジュリアンからの報告です。

 ファーザー・シエイエス。あなたが、ロベスピエールに宛てて書かれた手紙が、近く無能王の手に入る予定になっているそうです。あなた方が『テニスコートの誓い』の活動に関係していることを示す内容の手紙……心当たりはおありで?」

 その言葉に、シエイエスは目を見開いた。ソーサーから持ち上げかけていたティーカップが動揺し、紅茶が少しこぼれる。

「それは……そんな……信じられぬことだ。そんな手紙が、あるということ自体、馬鹿げている。

 私がロベスピエール君に送った手紙は、読後すぐに焼き捨ててもらうよう、頼んでおいたはずだ。私が彼から手紙を受け取った場合も、そうしている。例外があったのかね?」

「そんなことはありません。私も当然、そのような証拠品を残すような愚は犯しておりませんとも。

 私たち三人が、『テニスコートの誓い』のリーダーであるという事実は、完全に隠匿されなくてはならないことですからね」

 低く抑えた、冷静な声で、ロベスピエールは断言する。しかし、シエイエスの動揺はおさまらず、眉根にしわをよせて、苦しげに唸った。

「では、なぜそのような情報が? 存在しない手紙が、どうして陛下の手に入ったりするのだね?」

「問題はそこです、ファーザー・シエイエス。ジュリアンが王室付きの書簡検閲官から聞き出した話によると、どうやらこれは、内部告発らしいのです」

「内部告発……『テニスコートの誓い』の会員の、裏切りということかね?」

 問い返されて、サン・ジュストは頷く。

「はい。事情はこうです……『テニスコートの誓い』のメンバーを名乗る何者かが、あなたの筆による手紙を、ロマリアのコンキリエ枢機卿に送り付けました。我々の革命活動についていけなくなったので、その手紙を証拠として、あなたを告発するという文句を添えてね。

 おそらく、その裏切り者は、あなたが手紙を送った直後か、ロベスピエールが手紙を受け取る直前かに、隙を見て掠め取ったのでしょう。我々はお互い、頻繁に書のやり取りをしていますから、一通くらい相手に届かなかった手紙があっても、気付かないかもしれない」

「なるほど……となると、その裏切り者は、案外我々のそばにいるかも……ひょっとしたら、我々のすぐ下にいる幹部たちのひとりかもしれんな」

「そう。その可能性が高い。ガリアに共和制政府を誕生させるための、大切な戦いを前にして、獅子身中の虫が生じるとは……嘆かわしいことだ」

 憮然とした面持ちで、ロベスピエールがため息をつく。

「我々は、貴族に支配され、不当に圧迫される平民を解放するために立ち上がった。

 今の社会は、公平ではない。魔法が使えるか、使えないかという、ただそれだけの基準で、支配する側とされる側が決定されている。さらに悪いのは、魔法を使う能力が、技術のように努力によって得られるものではなく、血筋によって先天的に決定されるということだ。

 つまり、支配する者は支配する者として生れつき、従う者は従う者として生れつく。この二元構造が、貴族制、王制によって補強され、六千年のもの長きに渡って維持されてきた。

 力ある者が、弱者の上に立って導く、という形を、間違っているとは言わん。人類を生き残らせるためだけなら、それでもやっていけよう。だが、これからハルケギニアが発展していくためには、それではもう通用しないのだ。魔法の使えぬ平民にも、頭が良かったり、力の強い者はいる。魔法の使える貴族にも、無能な者や卑劣な者はいる。魔法という基準だけで人を区別すべきではないということを、社会に認めさせる必要がある。

 そして、能力と人格が共に優れた指導者たちを、人民全体の投票によって選出し、民意をできる限り正確に反映する政治を行うようにならなければ……今からさらに六千年の時が経っても、平民は貴族にあごで使われ続けることになるだろう。

 誰もが平等に、努力次第で上に行ける。そういう世の中を作り、子孫たちに残してやりたい。そんな理想を共有した者たちが集まり、我ら『テニスコートの誓い』は生まれた。その理想と信念を貫き、革命が成るならば、この身を犠牲にしても構わない……互いにそう誓い合ったからこその、この組織名だというのに――恥知らずにもほどがある!」

 ロベスピエールの拳が、テーブルをドン、と叩き、上に乗っている皿やグラスを跳ねさせる。激しい怒りのために、彼の秀でた額は紅潮し、薄く汗をかいていた。

「まあ、まあ、落ち着きなよロベスピエール。俺たちにはたくさんの仲間がいるんだ。ひとりやふたり、初志を貫徹できない奴がいても不思議じゃない。

 俺たちさえ理想を失わなければ、他のみんなはちゃんとついて来てくれるさ。『テニスコートの誓い』は、今の世の中を憂いた者たちの集まりなんだからな。貧困や差別がある社会を放置していたい人でなしが、そう何人もいるとは、俺は思わない」

 ロベスピエールをなだめるサン・ジュストの言葉に、シエイエスも頷く。

「貴族や上流階級にいる人々は、実に華やかで充実した暮らしをしておられる。私や君たちのような、仕事を持つ者たちも、ありがたいことに、衣食住に困らず、時々はこういう店で遊興を楽しめる余裕を持てておる。

 しかし……家も仕事も持たぬ者たちは……何一つ満たされずに、幸福であるべき人生の時間を、苦痛のみを感じて過ごしておる。この華やかなるリュティスでさえ、少し裏道に入れば、物乞いの姿を見る……彼らは、布とさえ呼べぬようなぼろをまとい、痩せこけ、大半が助からぬ病に冒されている。

 私はブリミル教徒として、彼らをひとりでも不幸から救い出すべく、努力を重ねてきた。食事を施し、薬を与え、仕事を紹介した。何人かはそれで助けられた……しかし、貧しい者たちは何百、何千人といるのだ。個人の力では、どうしても追いつかぬ」

 顔全体に苦渋の色をにじませて、シエイエスは語る。ふたりの仲間も、それを聞きながら、同情とも義憤とも、悲しみともつかぬ表情を浮かべていた。

「この状況を打破するには、個人ではなく、国家の力を使い、社会自体を変えていくしかない。貴族が平民を見下す今の世の中では、無数にいる不幸な人々を救うことはできない。

 そう思ったからこそ、私は『テニスコートの誓い』に賛成した。信者たちの中から同志を募り、社会を変革しようと決意した。

 腐敗したブルジョアを排し、彼らの溜め込んだ財産を使って、ガリア国民全体の再生を計る。真に平等な、誰も飢えずに済む、幸福な社会を作る――たくさんの犠牲を出す荒療治ではあるが、間違ったやり方だとは思わないし、これ以外の方法があるとも思わない。ロベスピエール君、怒りをおさめ、自信を持ってくれ。ガリア全土に散らばる一万五千の会員たちは、みんなきっと私と同じ気持ちでいるはずだ」

「……ありがとう、ファーザー・シエイエス」

 ロベスピエールの中で沸き立っていた怒りは、シエイエスへの感謝と尊敬の念によって、もうすっかり静まっていた。彼は、冷静で論理的な本来の性質を取り戻し、ずれかけていた眼鏡を、中指で軽く押して直した。

「裏切り者の出たことが意外で、少々取り乱した。申し訳ない。怒りや罵りの言葉を吐く前に、この件による不利益をいかに抑えるか、それを話し合うべきだった」

「その通りだ、普段の理性的な君に戻ってきたようだね、ロベスピエール君。

 まあ、脱落者については、後で追及するとして……サン・ジュスト君。ひとつ確かめたいことがあるのだが」

「何でしょう、ファーザー?」

「君は、私の致命的な手紙が、ロマリアのコンキリエ枢機卿に送り付けられて、それが近くジョゼフ陛下の手に入ると言ったね? ということは、まだその手紙は、ガリア王政府のもとに届いていないのかな?」

「ええ、その通りです。どうやら、コンキリエ枢機卿という人物は、かなり慎重な性格のようですね。郵便で送ると、途中で我々に奪われる可能性があると言って、自らジョゼフ王を訪ねて、直接手渡すという約束を取り付けたようです」

「その枢機卿の心配は……我々にとっては残念なことだが……的を射ていたな。王宮宛てに送ってくれていたなら、アントワーヌ・ジュリアンあたりに、容易に抜き取らせることができただろうに」

「もしも、の話をしても仕方ないさ、ロベスピエール。具体的に、どうする? 手紙のことと……コンキリエ枢機卿のことだが」

「もちろん、始末せねばなるまい。両方、な」

 ロベスピエールはためらいなく言ってのけ、それを聞いたシエイエスは、深い悲しみの表情を浮かべ、始祖に祈った。

「その枢機卿は、問題の手紙の筆跡を見ている。証人になる可能性がある以上、確実に口を塞がなければならん。

 話通りの、慎重で気の利く人物なら、手紙を他人に見せるような軽率な真似はすまい。コンキリエ枢機卿を始末し、手紙を奪ってしまえば、我々の危機はひとまず去る……証拠がなければ、いくら王宮といえども、我々を糾弾することはできまい」

「それが妥当だろうな。しばらくは目をつけられるかもしれないが……そうだ。枢機卿を始末する時、手紙を奪うだけでなく、こちらで偽造した、偽の手紙を代わりに置いてくるというのはどうだ? ファーザーの筆跡とは、似ても似つかぬ偽手紙を、さもこれこそがジョゼフ王に渡されるはずの手紙です、みたいな感じで残しておくんだ。そうすれば、枢機卿のもとに届けられた告発は、誰かが創作したはた迷惑な悪戯だったということになって、容疑を完全に逃れられるのではないか?」

「ほう、うまいこと考えたじゃないか、サン・ジュスト。よし、その手でいこう。枢機卿と、本物の手紙を始末し、偽手紙を残して王宮の捜査を撹乱する。大筋はこれでいいな?」

 ロベスピエールの確認に、サン・ジュストが頷き、シエイエスも大いなる諦観とともに、「仕方あるまい」とつぶやいた。

「革命のため、多くの飢えた人々を救うためとはいえ、ガリアにさえ関係のない人物を殺さねばならないというのは、気が重いが……我々は歩みを止めることはできない。そう、仕方のないことだ……。

 始祖よ、正義を行うために、他者に犠牲を求めなくてはならない、愚かな私を許したまえ……」

 シエイエスの祈りに、ロベスピエールも神妙な面持ちになる。

「我々は、きっと死せる後に、始祖によって魂を罰せられるのでしょうな。しかし、子孫たちに、より良い社会を残せるのなら、それとて覚悟の上です。

 果たして裏切り者は、それだけの覚悟をしているのでしょうかね? 我々に、無関係なコンキリエ枢機卿を殺害することを決めさせた何者かは……?」

 皮肉げなロベスピエールの言葉に、サン・ジュストは肩をすくめた。

「革命を望んで仲間になっておきながら、その礎になることを拒んだ者なんだ、覚悟など初めからあるわけがない。

 そんな奴が仲間内に紛れていて、そのことにまったく気付けなかったことは、非常に苦々しい思いだよ。

 いっそ、最初から裏切り者などいなかった、裏切り者がいるように見せかけた、外部の何者かの罠だった……そう考えることができたら、気が楽なんだが」

「外部の罠? 今回の問題が『テニスコートの誓い』に関係のない場合かね? 私にはちょっと想像がつかないが……そんな仮定も可能なのかね、サン・ジュスト君?」

 シエイエスの素朴な問いに、サン・ジュストは、そうですね――と前置きして、こう答えた。

「たとえば……ファーザー・シエイエス。あなた個人に害意のある何者かが、あなたに無実の罪を着せるために、適当に『テニスコートの誓い』との関係を示す証拠を捏造して……宛名も適当に、名の知れているロベスピエールにして……それを世に出してみたら、本当にあなたやロベスピエールが『テニスコートの誓い』に関わっていた、という場合なのですが……」

「……………………」

「……………………」

「……失礼、忘れて下さい。いくらなんでも、ご都合主義が過ぎますね……」

「う、うむ……さすがに私も、それはないと思うね」

「サン・ジュスト、お前、最近仕事が忙しかったから、疲れているんだろう。このミーティングが終わったら、ゆっくり休め」

 シエイエスもロベスピエールも、自分の発言に頭を抱えた仲間を、優しく労った。

「と、とにかく。コンキリエ枢機卿が、ガリア王に手紙を届ける前に、処置を施さねばならん。問題は、誰を差し向けるか、ということだが」

「やはり、荒事に慣れた会員たちを使うか? 今まで、貴族たちを襲撃したように?」

「いや、今回の仕事に『テニスコートの誓い』の影を見せては、枢機卿の持っている手紙が本物だと、自白しているようなものだ。

 だから、我々と関係のない者。フリーランスの殺し屋を雇って、仕事をさせようと思う。都合よく、凄腕をひとり知っているのでな……」

 そう言って、ロベスピエールは小さく口元を歪めた。容赦というものを欠いた、凄惨な笑みだった。

「依頼料は、千エキューもあれば足りると思うが……私やファーザーの口座は、王宮に睨まれている可能性があるからな。サン・ジュスト、悪いが、立て替えておいてもらえないか」

「了解した。あとで使用する口座を教えてくれれば、いつでも振り込むよ」

「その者の仕事は、コンキリエ枢機卿を始祖の御下に送ることと、例の手紙のすり替え工作だね? ならば、ついでに裏切り者の書いた告発文も、一緒に奪ってきてもらってはどうだろう。その筆跡を調べれば、裏切り者の正体を明らかにする助けになるかもしれない」

 ロベスピエールの要請は、サン・ジュストによって受理され、シエイエスの提案もまた、賛同を得られた。

 話し合いはほぼ決着し、シエイエスのティーカップも空になっていたので、ロベスピエールは会議の終了を宣言した。

「では、ファーザー・シエイエス。来た時と同じように、私とは別のタイミングで、別の出口からお帰りになってください。王宮の犬どもに、今日の会議に参加したことを悟られぬよう、くれぐれもお気をつけて」

「ああ、わかっているよロベスピエール君。君も気をつけて……」

 シエイエスは僧帽をかぶり直し、仲間のふたりに一礼して退出していった。

 その十五分後、サン・ジュストも退室し――後には、ロベスピエールひとりが残った。

(……正念場、だな……今回の問題を解決できるかどうかが、我が革命の、『テニスコートの誓い』の将来を左右することになる……)

 ひとりきりのVIPルームの中、彼は心の中でそうつぶやき、ベルを鳴らしてウェイターを呼んだ。当然、シエイエスの唱えたサイレントは、すでにその効果を失っている。

「お呼びでしょうか、ミスタ?」

 ロベスピエールは、やってきたウェイターに、少し多めのチップを渡した。彼の本来の仕事でない用事を頼むことへの、手間賃がそれに含まれている。

「悪いが、ひとっ走りお使いを引き受けてくれないか。サヴォイ・ホテルの、イーノヘッドを呼び出してくれ……」

 

 

 旅をするには、良い日じゃ。

 我は自家用船《シャピアロン》号の甲板にしつらえられた寝椅子に横になって、高所の澄んだ風を頬に浴びながら、大きく膨らんだ真っ白な帆布と、突き抜けるように青い空を眺めておった。

 火竜山脈の真上あたりじゃから、ちぃと硫黄っぽい臭いのするのがアレじゃが。やはり地上にない景色を見るのは、いい保養になるもんじゃ。

「ヴァイオラ様、冷やしたオレンジ・ジュースをお持ちしました」

「うむ」

 我は上半身だけを起こして、シザーリアの持ってきたグラスを受け取る。一息にぐっとあおれば、オレンジの豊かな香りがまず鼻に抜け、次いで豊かな甘みと、それを引き立てる酸味とが、舌の上をさっと通り過ぎていく。うむ、果汁はやはり、ちびちび味わうより、こうして喉越しの爽やかさを楽しむのが正解よのう。

「ときにシザーリア、ガリアまでは、あとどれくらいで着くのじゃ?」

 飲み終えたグラスを返しながら、我のすごい役に立つメイドに尋ねると、コヤツは予想通り、間髪入れずに答えを返してきよった。

「はい。先ほどガルース船長に確認したところ、ボルドーの港へは、あと三十分ほどで到着するそうです」

「わかった。では、今のうちに、下船の準備を済ませておいてくれ。我は、もうしばらくここでくつろいでおる」

「かしこまりました」

 一礼して、シザーリアは音もなく船室へ戻っていった。再びひとりきりになった我は、悪魔に冗談を打ち明けるように小さく笑うと、懐に潜ませた小箱を、法衣の上から軽く撫でた。

 今回の旅行の行き先は、ガリアのボルドー……ではなく、リュティス。

 目的はもちろん、ガリア王ジョゼフに、例の偽手紙を渡すこと。

 リュティスまで直接フネを飛ばして、一直線にジョゼフ王のとこまで行ってもええんじゃけど、ガリアの犯罪組織撲滅に、ロマリアの枢機卿が直接協力した、って話になると、あんまり都合がよろしくない――ガリア王宮の体面的な意味で――ので、我は休暇をとって、何の政治的意図もないガリア旅行を楽しむ、という体裁をとることにした。

 これなら、途中でちょっと挨拶をしにガリア王を訪ねて、そのついでにロマリア土産じゃと言うて、さりげなーく手紙を渡すことができるというわけじゃ。

 実際に、我が渡すのは、ロマリアの宝石職人が手がけた、芸術的な化粧小箱。これだけでも、王に贈るものとしての価値は充分。その中に、真の土産である手紙をおさめてある。

 この手の偽装工作は、臆病に思えるくらいの慎重さで企てるのがちょうど良い。細かいところに手を抜くような、自信家のおマヌケさんは、生き馬の目を抜く政治の世界では、生き残っていけんのじゃからな。

 ……慎重といや、アクレイリアを出発する前に、ガリア王から「ボルドーに着いたら、こちらの派遣した騎士と合流して、一緒に行動すること」って手紙が届いたんじゃよなぁ。証拠の手紙を奪うために、いつ、どこから『テニスコートの誓い』の刺客が襲い掛かってくるか知れん、とか言うて。

 今回の事件のウラを知っとる我にしてみれば、まったく無駄な心配であり、滑稽ですらあるんじゃがなぁ。シエイエスがマジで『テニスコートの誓い』と関わっとるなんてことがあるわけがないし、奴の容疑が事実無根な以上、連中も手紙を奪いになんか来るはずもない。

 つまり、この旅の安全は、ガリア王に守ってもらわんでも、最初から保証されとるのじゃ。

 ま、お供がひとりふたり増えたところで、我は別に困らんからええんじゃけどな。

 せいぜい、その騎士とやらが、一緒に旅をして退屈でない奴であることを祈っておこうか。

 

 

 ボルドーという街は、主にガリア・ワインの一大産地として、名を知られておる。

 我々がボルドーの港に到着した時も、そよ風に乗って、甘く渋いワインの香りが漂っておった。周りに係留されておるフネも、客船はあまり見当たらず、貨物船が主じゃった。桟橋からフネへとかけられたタラップを、屈強な船員たちが、大きな酒樽を担いで登っていく。樽以外にも、有名な酒蔵の焼き印が捺された木箱なんかが、そこら中に山と積まれておった。この場所から世界中へ向けて、美味いワインが送り出されていくのじゃろう。ああもう、着いたばかりじゃというのに、さっそく酒盛りをしたくなってきたわい。

「ううむ、よう考えたら、そろそろ昼時じゃし……ランチのついでに、いいやつを一本空けてみるか」

 前からちょっとやってみたかったんじゃよなぁ。昼間から酒を喰らって、べろんべろんに酔っ払うの。

 よし、そうと決まれば、さっそく美味そうなレストラン探しに乗り出すとするか!

「ヴァイオラ様、その怠惰かつおとなげないご希望に、あえてご注意申し上げることはいたしませんが……それより、まずはジョゼフ陛下の寄越して下さった騎士様とお会いした方がよろしいかと」

 我が、旅の目的を教えた(告発が我の自作自演っつーことだけは、さすがに伏せたが)唯一の人物であるシザーリアが、走り出しかけた我を、静かなアドバイスで思い留まらせる。

「おお、そうじゃったな! 忘れておったわい。そいつをまずは探さねば……つーかお前、最近マジで我に対して、遠慮がなくなってきてないか……?」

「気のせいでしょう。もしそうだとしたら、それはヴァイオラ様の親しみやすいお人柄の賜物とお受け取り下さい」

「そうか? 微妙に言いくるめられとるんじゃないかっつー予感が、我が心のうちに、ハチミツのようにべったり張り付いて離れんのじゃけど。

 まあよいか。で、その騎士とやらじゃけど。港の出口で待っとるから、そっちで見つけて声をかけろ、みたいに、手紙には書いておってな。

 目印があるから、すぐわかるという話なんじゃが……」

 話しながら、我々は桟橋を離れ、港の出口へと向かう。

 トリステインのラ・ロシェールにある港は、枯れた世界樹を利用しておったが、ここボルドー港は、ジュリオ・チェザーレ大王時代の、背の高い石造りの城を改築したものじゃ。フネを係留する桟橋は、天高くそびえ立つ尖塔じゃし、乗船受付所や待合室は、かつての食堂やダンスホール。客の出入りは、もちろん大扉の開け放たれた正門から。

 我々も、かつてのこの建物の堅牢さに思いを馳せながら、悠々とその門をくぐり、外へ出た。我は手ぶらで、その後ろからシザーリアが、我の荷物である革トランク十七個を、レビテーションで浮かべながらついて来る。

「まあ、その目印っつーのが、ただ一言『竜』なんじゃけど……さすがにまあこれは比喩じゃろうなぁ。たぶん、竜の彫刻を施した杖を持っとるとか、竜の鱗を使った贅沢な鎧を着とるとか……」

「ヴァイオラ様」

 ちょうど、城壁を囲む堀にかけられた橋を渡り終えたあたりで、シザーリアが我の服を引っ張った。

 我の注意を引きたかったのじゃろうが、どうせ引っ張るのなら襟首以外の部分にせい。頭がガクンッてなったぞ。ガクンッて。

「……とりあえず、申し開きを聞こうか、シザーリア」

「ヴァイオラ様、騎士様を見つけ出す目印は、竜とのことでしたね?」

「うむ、そうじゃ。……つーかお前、言い訳ぐらいしてくれんと、我は寂しくて泣くぞ」

 すでに首ガックンの痛みで半泣きの我を、しかしシザーリアは華麗にスルーして(こん時、我の目からこぼれ落ちたものがあったが、たぶんそれは真珠か何かじゃ)、橋の横手を指差した。

 そこは緩やかな土手になっており、柔らかそうな芝生にふさふさと覆われておった。日当たりもよく、寝転がると大層気持ちがよさそうじゃ。普段ならば、港の利用者や、近所の平民どもが、お昼寝なりひなたぼっこなりしておる場所なのじゃろう。

 じゃが、今、この時において、そののどかな斜面を占拠して横になっておるのは――青い鱗を持つ、一頭のどでかい竜じゃった。

 いや、どでかいっつっても、軍属の竜騎士とかが乗る竜は、もっと倍ぐらいでかいから、こいつはきっと幼生なんじゃろうけど、それでも大人の四、五人は背中に乗せられそうなサイズの巨大生物が、思いもよらぬタイミングで目の前に現れたのじゃ。我があっけに取られて、数秒間思考停止してしまったとしても、それは恥でも何でもあるまい。

 美しい青い体、背中に生えた立派な翼から見るに、風竜であろう。尻尾の先をくわえようとしているかのように、ドーナツ状に丸くなってじっとしている――どうやらこやつも、この陽気に耐えられず、スヤスヤとおねむの時間を楽しんでおるようじゃ。

「竜でございますね」

 シザーリアが、眠れる竜を見ながら、こともなげに言う。

「うむ、どっからどー見ても竜じゃ」

 我も同意する。さりげなく、シザーリアの後ろに隠れながら。

 しかしこれ……おい、ジョゼフ王ッ……まさか貴様、我の護衛に竜騎士を派遣したっつーことなのか?

 確かに、ガリアにとって『テニスコートの誓い』は、ぜひとも撲滅したい国敵なのかもしれんが、いくらなんでも本気すぎるじゃろ。どんだけ凶悪な襲撃を想定しとるんじゃ!?

 つか、騎士はどこぞ? ここまで目立つモンにどっかり鎮座されとる以上、コレが目印の『竜』だろうことは、我も間違いないと思うが、それを駆る竜騎士、つまり人間が見えぬ。

 まさか、この竜自体がジョゼフ王の派遣した「騎士」でしたなんてオチは……無理、無理無理無理じゃぞ! さすがの我でも、言葉の通じん大型肉食動物と一緒に、はるかリュティスを目指すなんてことは! 我は調教師じゃないから、出発後一時間以内で食われる自信がある!

 そんな感じで、我が戸惑いと恐れとジョゼフ王への文句をまぜこぜにした言葉を、脳内で同時に二十種類くらい組み立てておると……「ぱたん」と、軽い音がした。

 竜が寝ぼけて、翼や尻尾を動かしたわけではない。それ以外の部位でもなく、つまり竜自身が発した音ではなかった。

 音源は、我々からは見えぬ位置、小山のような竜の胴体の向こう側にあるようじゃった。そこに何かがある――いや、何者かがおる。

「……そこにおられるのは、ロマリアからの客をお待ちの人か」

 我は、精一杯の勇気を振り絞って、そう問いかけた。

 返事が返ってくるまでには、たっぷり十秒を要した。我が固唾を飲んで見守っておると、かさり、と――人の立ち上がる時の、衣服の擦れ合う音がして――次いで、さく、さくと草を踏む音。

 竜の頭側から回り込んで、その人物はこちら側に姿を現した。

 我の視界に入ったそいつは、お世辞にも騎士らしいとは言えぬ姿をしておった。――まず、背がちびっこい。立った状態でも、地に寝そべった竜の背に、頭まですっかり隠れてしまうほどじゃ。

 次に、幼い。そのツラはどー見ても、十三歳以上とは思われぬ。しかも身につけとるものはといえば、白のブラウスに群青色のプリーツスカート。思いっきり学生服じゃ。スカートと同じ色のマントを羽織って、貴族らしさを演出するんはええが、まずは武人らしさとか、それ以前に社会人らしさを醸し出す努力をして欲しかった。それに、あの紐ネクタイの飾りは、トリステイン魔法学院のマークじゃあるまいか。ガリア騎士なのに……何なんじゃ、このツッコミどころに困らん娘は。

 あー、うん。ちびくて幼くて、ついでに言うと野郎でもなかった。女性と呼ぶにはまだ足りぬ、愛らしい少女じゃ。

 ここに来るまでに見たような、晴れた空みたいに青い綺麗な髪をショートにしていて、縁の赤い眼鏡をかけておる。右手には、自分の背丈よりもでかい、節くれだった木の杖を持ち、反対の手には、茶色い革装丁のぶ厚い本をかかえておった。おそらく、先ほど我の聞いた「ぱたん」という音は、読んでいた本を閉じたために生じたものなのじゃろう。

 ……うん、どっからどう見ても、クラスにひとりはおる、物静かで目立たない、読書好きな文系貴族女子Aじゃ。

 こんなひょろっちい奴がガリアの騎士で、しかも我の護衛じゃと?

 少なからぬ疑念(大丈夫なんじゃろか? 我の身の安全ではなく、ガリアの国防は?)を感じながら、じっと少女の様子を観察しておると、ふと彼女と目が合った。眼鏡の奥の――凍った湖のような、底の知れない深みと透明感を持った――瞳が、こちらを静かに見つめておる。

「……《シャピアロン》号」

 ガラスでできた鈴が鳴るような――あるいは、妖精がそっと囁くような、そんな涼やかな声が、桜色の小さな唇からこぼれた。

「《シャピアロン》号でやって来る、ミス・コンキリエと約束がある。……あなたが、そう?」

 やはり間違いないらしい――彼女の問いに、我は頷いて応えた。

「ヴァイオラ・マリア・コンキリエじゃ。こっちは侍従のシザーリア。

 そちらの名も教えてはもらえぬか、ミス?」

 それを見て、向こうも小さく頷く。

 どうやらこの少女は、その容姿から所作に至るまで、コンパクトにしてシンプルを貫いておるらしい。次に彼女の口から出た自己紹介もまた、短く無駄がなかった。

「花壇騎士、タバサ」

 ボルドーの真っ青に澄んだ空の下。

 タバサと我――以後長い付き合いになるふたりの女は、こうして出会った。


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