コンキリエ枢機卿の優雅な生活   作:琥珀堂

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約四ヵ月ぶりかのう。だらだら投稿していくぞー。


バッソ・カステルモールの動揺/我こんな虚無の主従イヤじゃ

 俺には果たすべき使命がある。

 それは、人から与えられた任務よりも大切なものだ。もちろん、それをおろそかにすることはないが、もしも任務が使命と相反する場合には、俺は任務を捨てるだろう。

 

 

 俺は――東薔薇花壇騎士団団長、バッソ・カステルモールは、ひとつのテーブルを囲んで話し合いをしている三人の少女を、内面まで見通すつもりで、じっと見つめていた。

 ひとりは、ロマリアから来られた、ヴァイオラ・マリア・コンキリエ枢機卿。この、アメジストのような紫色の髪を持つ幼げな女性聖職者に関しては、何も問題はない。先王ジョゼフ失脚後、新たに王座についたイザベラ女王が、政務のサポートをさせるために宮廷に招いたという。要するに部外者だ。

 俺にとって重要なのは、残りのふたり。

 簒奪者ジョゼフの娘にして、親と同じく王座を占拠しているイザベラ・ド・ガリア。

 そして、オルレアン公のひとり娘、本来ならば女王としてガリアに君臨すべき、シャルロット・エレーヌ・オルレアン様。

 このふたりの関係性を、俺は見抜かなくてはならない。

 さも心を許し合ったかのように、くつろいだ様子で話をしているイザベラとシャルロット様の仲が、見た目通りのものなのか、それとも偽りのものなのか、それを確かめなくてはならない。大恩あるシャルル様のためにも、シャルロット様が本当に幸せにしておられるのか、知らなければならないのだ。

 ――このガリアには、かつて、『シャルル派』と呼ばれる、秘密のコミュニティが存在していた。

 類いまれなる魔法の天才であり、人格も明朗快活なシャルル・オルレアン殿下を崇拝し、彼をこそガリアの国王に、と推していた人々の集まりで、シャルル様が暗殺されてしまったあとは、卑劣な手段で王座を奪ったジョゼフを倒すべく、怒りと悲しみと復讐心でお互いを結んだ人々の集まりであった。

 他ならぬこの俺も、その一員であった。もともと下級貴族に過ぎなかった俺は、シャルル様が見い出し、推薦してくれたからこそ、名誉あるガリア東薔薇花壇騎士団に所属することができたのだ。シャルル様は、俺の人生を切り開いてくれた第二の父だ。あのお方へ向ける敬意は、始祖へ向ける敬意にも劣らなかったと思う。

 だから、シャルル様の訃報を聞いた時には、まるで太陽が滅び去ってしまったかのような、絶望的な気分になったものだ。

 ああ、生きておられれば、必ず王として指名されていたであろうシャルル様。彼の代わりに王座に着いたのは、魔法の使えぬ、偏屈の変わり者という評判のジョゼフだった。

 彼は王になった途端、その残虐な本性をあらわにした。シャルル様を応援していた貴族たちや、自分に反感を持つ大臣たちを大量に粛清し、ガリアを自分の思い通りになるオモチャへと変えてしまった。

 それだけではない。奴がシャルル様のご家族にした仕打ちときたら、人間のものとは思えないおぞましさだ。未亡人には、心を病ませる毒を飲ませ、いつ終わるとも知れない長い長い苦痛を与え、お嬢様――シャルロット様には、病んだお母上を人質とし、奴隷のような生き方を強いた。ガリアの裏方であり、汚れ仕事を扱う北花壇騎士として、命の危険のある任務を命じ続けたのだ。

 オルレアン公一家に対する、ジョゼフの悪意はすさまじい。そこに感じられたのは、怒りや憎しみなどではなく、子供が虫を殺して楽しむような、陰湿な喜びだ。無能なジョゼフは、優秀な弟のシャルル様を妬むあまり、ついに狂ってしまったのだろう。

 シャルル様が毒矢で暗殺された、という噂を聞いた時には、まさかそんな、ジョゼフでもそのような卑劣な真似はすまい、と思っていた俺だったが、ジョゼフの異常な行動を見せつけられた結果、噂は真実だったのだ、と確信するようになった。

 敬愛するシャルル様を殺された怒り。残されたご家族の不幸を見ての悲しみ。このままではいけない、狂王ジョゼフを倒し、ガリアをあるべき姿に戻さなくては、という使命感が、俺を『シャルル派』として活動させた。

 ジョゼフに恨みを持つ仲間を集め、地下で連絡を取り合い、『シャルル派』は徐々に力をつけていった。やろうと思えば、いつでも革命を起こし、憎きジョゼフを断頭台へ引っ張っていくことができる――それだけの規模と戦力を、我々は手に入れつつあった。

 なのに。

 予想だにしていなかった、イザベラ姫のクーデターが、『シャルル派』の存在意義を真正面から叩き潰した。

 ジョゼフは一夜のうちに権力を失い、どこかへ追放された。

 大赦が布告され、ジョゼフによって投獄されていた人たちが釈放された。

 そして――取り潰されたオルレアン公家の名誉が回復され――シャルロット様が、救われた。

 彼女はもはや、危険な仕事に従事する北花壇騎士ではない。女王の補佐をする、ガリア政権のナンバー・ツーだ。ここ数日はオーバル・オフィスで、一生懸命に国政を切り盛りしている。

 さらに言うと、これは未確認な情報ではあるが――東方から招いた薬師によって、お母上の病を治す薬も、近日中にできあがるらしい。

 名誉も、社会的地位も、命の安全も、愛する家族も。すべて、シャルロット様は奪還した。

 そのことを祝福しないではない。嬉しく思わないはずはない。ただ、ただ。コツコツと蜂起に向けて頑張っていた『シャルル派』の活動は、まるっきり全部、意味がなくなってしまった。

 暴力的な最終行動を起こさずに済んだ、と言って、素朴に喜んでいるメンバーもいる。その気持ちもわかる。いくら憎らしい敵を倒すためとはいえ、武力革命は多くの血を流す。大義がなければ、杖を振り上げたくはない――その気持ちは、俺にだってわかる。

 取り潰されていた家の復活を許され、名誉を取り戻したメンバーは、我々の代わりにイザベラ女王が、正義を執行してくれたと泣いて喜んでいた。その気持ちもわかる。オルレアン家が復活し、シャルル様の名誉も取り戻されたことを、俺だって涙を流すくらい喜んだ。

 しかし、しかし。釈然としない。

 大きな喜びの中で、いろいろなことが、納得できない。

 たとえば、そう。なぜやすやすと、ジョゼフは倒されてしまったのだ?

 俺が言うのも何だが、ジョゼフは恐ろしい相手だった。魔法こそ無能だったが、策略にかけては悪魔のように知恵の回る男だった。

 彼を倒そうとし、攻撃を仕掛けた個人、組織は数えきれない。しかし、誰ひとりとして、成功はしなかった。それなのに、イザベラごときが? あの、無能王の娘、という肩書きに相応しい少女が、それを達成したというのか?

 俺の知るイザベラは、父に負けず劣らず狂っていて、父より遥かに頭の悪い小娘だった。

 俺は時々彼女に命じられて、使い走りのような任務をやらされていたことがあるので、その人柄はある程度わかっているつもりだ。シャルロット様への嫉妬と憎しみを隠そうともせず、嫌がらせをし、嘲笑をし、悪態をつき、それで卑小な心を慰めている、まさに小物だった。

 部下である北花壇騎士たち――汚れ仕事に抵抗のない人格破綻者ども――からは、それなりに慕われていたようだが、そんなのは類は友を呼ぶ、といった程度のもので、カリスマがあるとか、人から尊敬される能力があるとか、そういうのとはまた違う。召し使いや警護の兵士、宮廷に出入りする貴族たちからは、彼女はことごとく恐れられ、それ以上に白眼視されていた。

 王としての器などでは、断じてない。もちろん、魔法の才能も親譲りで乏しく、個人的戦闘能力に優れている、ということも、けっしてない。

 そんな彼女が? あの知謀知略のジョゼフを、大した流血もなく倒しただと?

 ――納得がいかない。

 納得がいかないといえば、イザベラのシャルロット様に対する接し方の変わりようもそうだ。

 以前のイザベラは、間違いなくシャルロット様を憎んでいた。本人がいないところですら口汚く罵り、軽蔑し、悪意を撒き散らしていたのに、クーデターの日を境に、まるで愛犬を愛でるかのように、シャルロット様を可愛がり始めた。

 食事の時間、シャルロット様にプリンをあーん、と食べさせてあげているイザベラを見たことがある。

 政務の合間の休憩時間、うたた寝するシャルロット様に膝枕をしてあげているイザベラを見たことがある。

 シャルロット様たちの身の回りの世話をしている女官によると、ふたりはお風呂にも一緒に入り、シャルロット様の髪をイザベラが洗ってあげているところも見たことがあるそうだ。

 うらやま――じゃない、おかしい。違和感があり過ぎる。

 本当にクーデター前後のイザベラは同一人物なのか? そう疑いたくなるほどの変わりようだ。

 何か、イザベラの悪意を霧散させるような大事件でもあったのか? それとも、イザベラは最初からシャルロット様を憎んでなどおらず、父を倒す日まで、嫉妬深い愚か者を演じていただけなのか?

 もし後者だとしたら、イザベラは演技の天才だ。しかし、しかし、俺にはとても、以前の彼女の、あの憎悪の表情がニセモノだったとは思えない。ピリピリと刺すような殺意混じりの空気。とても忘れられないし、疑うこともできない。

 かつて、その悪意を一身に浴びていたシャルロット様は、どう思っておられるのだろう。

 今は、イザベラの好意を完全に受け入れている――ように見える。シャルロット様は、お母上のご不幸があってから、表情の変化が乏しくなられた。だからパッと見はわかりにくいのだが、それでもイザベラといる時、かなりリラックスしているような雰囲気がある。

 不自然に思っておられないのか? シャルロット様にはシャルロット様で、何かがあり、イザベラを許しているのか? かつてのイザベラに対する、シャルロット様の態度は、無関心のひと言だった。人形になりきり、嫌がらせや中傷を冷たく受け流していた。

 それが、春になってほぐれた花のつぼみのように柔らかく変わったのは、どういうわけだろう?

 歴史的な和解事件があり、ふたりの気持ちが通じ合ったのだとすれば、それは喜ばしいことだ。シャルロット様が許しているのであれば、俺だってイザベラを見る目を改め、簒奪者の娘、としてではなく、シャルロット様の友人として、ガリアの女王として、今度こそ忠誠を誓ってもいいと思っている。

 しかし――しかし、納得のいかなさが、奥歯にものの詰まったかのような不自然さが、俺の腹の中に、ずっしりと溜まっている。嫌な予感が、イザベラへ心を許すことを妨げている。

 もしも、この不自然な仲直りが、何者かの謀略(プロット)だとしたら?

 イザベラとシャルロット様は、本当は仲直りなどしていないのだとしたら? そういう演技をさせられているだけなのだとしたら?

 いや、もっと根本的に。クーデターなど、起きてはいなかったのだとしたら?

 実際、個々人の人間性や実力について考え合わせると、どうしてもこの発想に行き着いてしまうのだ。

 イザベラには、ジョゼフを倒せるほどの実力などない。ならば、彼女は父親を倒していないのではないか。

 イザベラはシャルロット様を本気で憎んでいた。ならば、今だって仲直りなんかしていないのではないか。

 何者かが、イザベラを女王にし、その補佐としてシャルロット様をつけて、ふたりをガリアの代表として立たせることを望んだとしたら。

 その何者かは多くの人に憎まれており、これ以上国王をしていれば、いずれ反対勢力に倒されてしまうということを察知した。そこで、誰かに倒される前に、自分は倒されて追放されたことにして、娘に跡を譲った。

 イザベラとシャルロット様を仲直りさせたのは、最大の反乱勢力である『シャルル派』を空中分解させるため。憎むべき敵の首魁がいなくなり、自分たちの守るべきお姫様の名誉が回復されたとあれば、反乱勢力は存在意義を失う。国内の不安と、自分の命を狙う者たちを、静かに排除できる。

 となると当然、イザベラとシャルロット様は仲直りなどしていない。ふたりは命じられて、仲良しの演技をさせられているのだ。イザベラは、父からの命令なので、それを素直に聞くだろう。シャルロット様の方も同じ――今まで北花壇騎士をやらされていたのが、新しい役目を割り振られただけのことだ。彼女に言うことを聞かせる材料はもちろん、病気のお母上。東方から来た薬師によって治療される、という噂は、もちろん嘘なのだ。

 すべては、悪意と知謀と狂気を兼ね備えた、本当の邪悪――ジョゼフによって、仕組まれている。彼は倒されてなどおらず、自分でどこかに隠れて、傀儡であるイザベラとシャルロット様を操り、今もなおガリアに君臨しているのではないか?

 ――などと、思いつく限りのことをつらつらと連ねてみたが、別にこの想像が正しい、という根拠などはない。

 ただ、この仮説ならば、いくつもの不自然をうまく解消できるのではないだろうか。ジョゼフがイザベラごときに破れた理由。犬猿の仲のイザベラとシャルロット様が、急に仲良くなった理由。その裏には、このような悪魔的な企みが横たわっているのではないか?

 だとしたら。ガリアはまったく平和になっていないし、シャルロット様はまったく救われていない。むしろ、以前よりもひどい、針のむしろに巻かれるような苦痛の中にいるはずだ。

 ――真実を確かめねば。

 イザベラとシャルロット様は本当に仲直りしているのか。それとも、ジョゼフの陰謀によって、演技をさせられているのか。

 本当に仲直りしているのであれば、それでよし。そうでないのならば――何らかの裏が、ふたりの間にあるのなら――俺は、たったひとりでも『シャルル派』として、行動を起こすつもりだ。

 今回のアルビオン訪問に、ボディーガードとして同行するよう命じられたのは、幸運だった。イザベラとシャルロット様に接触する機会を、多く得られる。ふたりのやり取りに演技があるかどうか、さりげなく観察して検証していこう。

 今、イザベラとシャルロット様と、マザー・コンキリエの三人は、トリステインからの外交団をこの船に同乗させるかどうかで、話し合いをしている。

 マザーの強いひと言で、同乗を許可することに決定したようだ。これも運がいい。トリステインの外交団には、主に外務担当のマザー・コンキリエが対応することになるだろう。なれば、イザベラとシャルロット様は、自然とふたりきりになることが多くなるはずだ。

 彼女たちの会話に耳をすませて、真実を探り当ててみせる。ヴァルハラにおわすシャルル様、どうか見守っていて下さい。お嬢様の幸せは、このカステルモールが確かなものにしてみせましょう!

 ――そう決意した、三秒後のことだった。

「ミスタ・カステルモール。悪いが、我と一緒に来て頂こう」

 マザー・コンキリエに声をかけられて、シャルロット様たちから遠ざけられるはめになったのは。

 

 

 まーだかなー。まーだかなー。ラ・ロシェールの田舎港に着くのはまだかなー。

 トリステイン宛てに、『同乗歓迎。ラ・ロシェールにて会いましょう』という手紙をフクロウ便で送ってから、我はずーっとそわそわそわそわしっぱなしじゃった。

 ピニャ・コラーダを飲み終わったあとも、マティーニ、モスコミュール、ウイスキー・ソーダと杯を重ねてしもうたし。あーもう、久しぶりに兄様に会えると思うと、ワクワクでまったく落ち着かん。

「のうシャルロットやー。トリステインまで、あとどれくらいで着くものかのう?」

「数時間はかかる。ヴァイオラ、だから少しお酒のペースを落とすべき」

「あんた、さっきから飲み過ぎだよ。顔真っ赤になってるじゃないか。

 散歩でもして、酒精を抜いた方がいいね……ぐでんぐでんに酔っぱらった状態でトリステインの外交団に会われちゃ、ガリアが恥をかいちまう」

 む、そ、それはいかん。兄様に会うのじゃから、普段より三百パーセントはキレイでしとやかな我でなくては。

「ち、ちとデッキに上がって、風を浴びてくるわい。ミスタ・カステルモール。悪いが、我と一緒に来て頂こう。ひ、ひとりじゃとふらつくゆえ、肩を貸して欲しい」

 東薔薇花壇騎士団団長どのにそう声をかけたら、なんか知らんけどあからさまにガッカリした顔された。ひどくないかその反応は。まあ確かに、自分の国のトップが酒に溺れた姿なんぞ見ちまったら、幻滅してもおかしくはないが、一応お前社会人なんじゃから、もうちょい取り繕わんか。

「……は、はっ。かしこまりました、マザー。お手をどうぞ」

「ううう、すまぬのう」

 あーいかん、ダメ出しする元気もない。早いこと冷たい空気を深呼吸して、腹の中の熱気を吐き出してしまわねば。

 我はカステルモールの右腕にしがみつくようにしながら、よたよたとラウンジを出て、デッキへと登っていった。

 広々とした板張りのデッキは、やはり船内とは空気がまったく違っておった。涼しく爽やかな風が、さやさやーと頬を撫でていくのがめっちゃ心地よい。周囲三百六十度は全部青空。ヴァルハラまで見通せそうな景観に、視覚的にも癒される。

 我はカステルモールに指示して、船の舳先まで連れていってもらい、デッキをぐるりと取り囲む金属製の手すりによりかかると、大きく息を吸い込んだ。

「すー……ひゃー……すー……ひゃー……。ああ、空気がすごいうまい……」

「大丈夫ですか。お望みでしたら、お水などお持ちしますが」

「いや、けっこう。見苦しいところを見せてしまい、申しわけない、ミスタ・カステルモール」

「いえ……」

 さらに何度か深呼吸を繰り返して、遠いお空に目の焦点を合わせて、酔いをゆっくりと駆逐していく。二、三分も肺の中の空気を入れ換えていると、かなり楽になってきた。

 酒精が抜ければ、自然と頭の中身も落ち着き、気持ちに余裕が出てくる。周りを見て、今まで気付かなんだことに気付くこともできるようになる。青空から、デッキの方へと視線を転じれば、バッソ・カステルモールが、そわそわと落ち着かない様子で、さっきまでおったラウンジへ続く階段の方へ意識を向けておるのがわかった。

「……残してきたふたりのことが、気にかかりますかな、ミスタ?」

「え? は、はい。否定はいたしません」

 ギクリとこちらを振り向いて、やや強張った声音で返事をする彼。

 まあ、落ち着かんのも仕方あるまいな。我とイザベラ、シャルロットの三人を守るボディーガードに任命されたというのに、そのうちのひとりが別行動しておるのじゃから。

 しかも、自分はそのひとりの付き添いとして、外に連れ出されてしまった。今この瞬間、ラウンジにおるふたりは無防備じゃ。それが気になってしょうがないのじゃろう――我に、早くイザベラたちと合流して欲しいと、職業的な必要から思わずにはいられないのじゃろう。

「心配する必要はありませぬぞ、ミスタ・カステルモール。

 イザベラ陛下たちは、ふたりとも仲良くくつろいでおられるはずじゃ。この船の中に、彼女らの心を乱す要素は、ひとつもありはしないのです」

 我は滅多にない親切心から、カステルモールにそう言うてやる。

 仕事への意識が高いのはけっこうじゃが、こんなお空の上で、何者かの襲撃を受けることなどあり得んのじゃし、今は気を抜いとってもええはずじゃ。プロなら気合いを入れるべき時がいつなのか、また休憩するべき時がいつなのか、パッと計算できとかんといかん。こんな何でもない時まで、ピリピリと神経を張っておっては、肝腎な時に疲れきって動けなくなるぞ。

「……マザー。今のお言葉、自信を持って繰り返せますか」

「おお、言えますとも。あのふたりについては心配などいらぬのです。我はちゃんと確かめておりますでな」

 ええい、我に対して念を押すとは、無礼じゃぞカステルモール。

 ガチで心配なんぞいらんのじゃって。船員については、船長から料理人まで、我がひとり残らずちゃーんと身元を確かめたんじゃ。思想的に危険な奴とか、外国の間諜とかがこっそり乗り込んどる可能性はゼロ! つまり、少なくとも、次に着陸するラ・ロシェールまでは、敵襲とかの心配はひとつもせんでええのじゃよ。

 我の自信たっぷりの物言いに、少しは気を楽にしたのか、カステルモールは表情を少しだけ緩ませて、大きく息を吐いた。

「マザーがそう仰るのなら、きっとそうなのでしょう。現在の陛下とシャルロット様に、最も接する機会の多いあなた様が仰るのなら……。

 私はどうしても、あなた様のいらっしゃる前のおふたりを基準にして考えるくせがついてしまっているのです。マザーはご存じですか? 陛下とシャルロット様が、以前はどのような関係であったのか……?」

 ん? 何じゃこの質問。あ、もしかして、カステルモールが心配しておるのって、外敵に狙われる危険じゃのうて、昔は仲悪かったイザベラたちが、ふたりきりになったらまた喧嘩し始めないか、という疑念についてか? いかん、我、盛大に勘違いしとった。

「存じております。しかし、昔は昔、今は今という言葉もありますからな。最近はとても仲良くやっておりますぞよ」

「ええ、そのようですね。

 正直なところ、かなり驚いているのです……あのおふたりが、手と手を取り合うことのできる日が来るとは。いったい、何が原因であの方々は和解できたのでしょう?」

 その疑問は仕方ない。宮廷貴族なり召し使いなり、昔のイザベラとシャルロットの関係を知っとる者どもに聞いてみたところ、全員が全員、今のふたりの協力関係には仰天したと言うておったからの。どんだけ激しくやりあっとったんじゃ、あのガキども。

 そんな犬猿のふたりを、我が知謀知略を尽くした取りなしで和解させた素晴らしきエピソード(なのにその報酬がくすぐり地獄だったのは不条理じゃと思う)を、吟遊詩人の語るサーガのごとく語り聞かせて、カステルモールを感動の渦に巻き込んでやってもいいのじゃが――王族がフェイス・チェンジで身分を隠して巷に遊び歩いたり、王族が従妹との仲直りのしかたを外国人に相談したり、あんまり公にすべきでない情報も多いので、詳しく話して自慢してやることは叶わぬ。

 しかし、ちょっとは自己顕示欲を満たしたい気分じゃったので、かるーく匂わす程度に、我の手柄をこいつに吹き込んでくれよう。

「ひと言で言いますならば……さよう、おふたりの間にはたらいたのは、始祖の愛でございましょうな」

「始祖の愛……? どういうことです、マザー」

「我がガリアを訪問したその日に、イザベラ陛下――当時は姫殿下ですが――から、始祖についての教えを受けたい、という要請を頂きましてな。二、三度、プチ・トロワに招かれて、経典の解説のようなことをお話ししました。

 その時に取り上げたのが、家族と隣人愛に関するエピソードであり、憎しみは無知と不理解から生じるという教訓を含んだ箇所であったのです。イザベラ陛下は我の説明を聞いて、たいへん感銘を受けられたようで……」

「まさか、それでイザベラ陛下が歩み寄られたと仰るのですか?」

「ではないかと思いますなぁ。無知と不理解から憎しみが生じるということは、知ろうとする努力と、理解を拒まない覚悟さえあれば、何者も憎まずに済むということでもあります。陛下がそうなりたいと思われたとしても、我は不思議に思いませぬ。

 我の講義を受けたあとで、陛下はシャルロット様と、何度も話し合いの機会を持たれたと聞き及んでおります。互いの不満を吐き出し、ことによると言い争いもしたかも知れません。しかし、お互いを知り、気に入るところも入らないところも、意識して許容していったならば、やがては親近感が芽生えてくるものです」

「となると……おふたりは、急に仲直りをしたわけではなく……」

「ゆっくり、同じ時間を共有して、少しずつわかり合っていったのでしょうよ。不仲というのは、一瞬の劇的な出来事で覆されるようなものではございませんからな。だからこそ、丁寧に修復された絆というのは、尊く、また強いものであるのです」

 我がしみじみとした口調で結論づけると、カステルモールはライトニング・クラウドでも受けたかのように目を見開いて、呆然としておった。

 我の手腕と、始祖ブリミルの威光に感動して、言葉もないといったところか? まあ、ちょいと嘘エピソードを交えたが、あいつらがお互いに愚痴り合って、傷を舐め合って仲直りしたっつーのは間違いないはずなんで、基本的には我は真実を告げたと言って差し支えないと思う!

「そう、でしたか。陛下も、シャルロット様も、お互いを許されたのですね。マザーは、そう仰るのですね……」

「ええ、間違いありませんとも」

 と、我が胸を張って言い切ったところで、ぶるりとした寒気が、肩に襲いかかってきた。酔いの覚めてきた体には、爽やかな風もちと冷たいようじゃ。

「さて、そろそろ船内に戻りましょう、ミスタ・カステルモール。イザベラ陛下とシャルロット様のもとへ。

 あなたも、あのふたりのことが不安でしたら、この旅行中に、ボディーガード特権で何か話しかけてみればよろしいでしょうな。ちとおてんばではありますが、どちらも意外とさっぱりした方々ですぞ」

「……はっ。検討させて、頂きます」

 彼はそう言って頷いたが、表情はどちらかというと強張っていて、むしろ迷いを増したように見えた。まあ、お堅そうじゃしなー、こいつ。女王様と副王様に気軽に話しかけてみろって言われたって、できるわけないか。

 しかし、そんな奴の悩みにいつまでも付き合ってやる義理もない。我はさっさと船内に戻り、カステルモールはとぼとぼとついてきた。

 もう酒はいらんし、トリステインに着くまで、船室でゴロゴロしておることにしよう。

 

 

 マザー・コンキリエの証言は、俺の疑惑に少なからぬ動揺を与えた。

 イザベラが、聖職者に始祖の教えを乞うような心地になったことがあったなんて。無神経で、大雑把で、悪だくみをする時にしか頭を使わないような印象しか持っていなかったのに、意外だった。彼女も始祖にすがりたくなるような、そんな苦悩を抱えていたのか?

 イザベラが、シャルロット様と何度も話し合った、ということも知らなかった。いや、そういえば、クーデターの数日前に、プチ・トロワの女官たちが、イザベラが時々不自然な外出をしている、と噂しているのを聞いたことがある。その時は、サボって外で遊び歩いているのだろうと思っていたが、まさか、シャルロット様と密会していたのだろうか?

 いや、ここでそう決めつけてしまうのも、良いことではない。マザー・コンキリエの言ったことがすべて正しいとしても、彼女が物事を正しく解釈しているかどうかは疑問だ。見たところ、彼女はとても単純で、楽天的な性格であるらしい――イザベラとシャルロット様の仲直りを、自分の話の成果であると素直に信じているようだが、よく考えると、マザーはイザベラとシャルロット様との間で、具体的にどのような話し合いが行われたのかを聞いていない。

 マザーはあのふたりの関係を、恐らく表面的にしか知らない。

 そしてそれは、もしかしたら、俺も同じなのではないだろうか。イザベラが悪意に満ちた陰湿な女かどうか確定できないし――それと同じくらい、シャルロット様がどのようなお方なのか、ほとんど知らないのではないだろうか。

 俺は、自分の忠誠心に、小さな揺らぎが生じたのを感じた。

(知らなければ)

 イザベラとシャルロット様を観察するだけではいけない。周囲からの情報収集にも力を入れる必要がある。

 マザーは言っていた。憎しみは無知と不理解から生じると。この憎しみという単語を、迷いと置き換えても、この教訓は成立するのではなかろうか。

 俺は迷いを振り払うためにも、自分の仕えるべき人のことを知らねばならぬ。ガリアの裏面で蠢く陰謀ももちろん重要だが、俺自身の忠誠心を再確認することも、同じくらい大事だ。

 

 

「ヴァイオラ様。床の上に小物をやたらと放り出しておくのはおやめ下さい。お掃除が大変です」

「あー、すまんすまん。そうじゃ、片付けるんなら、それ全部、まとめて燃えないごみに放り込んでおいてくれ。どーせ役立たずのガラクタばかりじゃからのー」

 船室に帰ってきたヴァイオラ様は、着ていた僧衣を脱ぐと、それをぽいと椅子の背に引っかけて、シュミーズ姿でベッドに横になられました。

 たいへんお疲れのご様子でしたので、その不作法については見なかったことにいたしましたが、椅子にかけられた僧衣のポケットから、何やらごちゃごちゃしたおもちゃのようなものがどばっとあふれ出したのには、さすがにひと言申し上げずにはいられませんでした。メイドとしての性でしょうか、貴族としての美意識でしょうか、塵ひとつない床をあえて散らかすという行いは、どうにも我慢できないものがございます。

「まったく、こんなことではいけませんよ。ここはあなた様の私室ではありますが、貴族であり聖職者である以上、人に見られていない時でも、ある程度の節度はわきまえていなければ。

 あら。護符(タリズマン)まであるではないですか。こういった聖なるものを粗末に扱うと、バチが当たるものですよ」

「んー? 護符じゃと? ……ああ、それか。どうせマジック・アイテムとしての用途もわからんから捨て……いや待て、良い機会じゃ、それはお前にくれてやろう。

 枢機卿ヴァイオラ・マリアが授ける聖具じゃ、きっとそこらの教会で配っとるような、量産品の護符よりは加護があると思うぞー」

「はあ……では、ありがたく頂いておきましょう」

 手のひらに収まるような、小さな布製の護符をエプロン・ドレスのポケットに入れながら、私は一応、お礼の言葉を述べておきます。あくまで一応。

 我が主ヴァイオラ様は、その地位にあるお方にしては、どちらかというと始祖への信仰心が薄い方です。前にも、教典を枕にしてお昼寝されていたのを見たことがあります。

 ですからして、ヴァイオラ様から頂いた護符が、他のものと比べてより上等かというと、やはり少々疑問です。

 何となくですが――あくまで無責任な推量に過ぎませんが――要らなくなって処分したいガラクタを、自分で捨てるのが面倒臭いので、贈与の名目で人に押しつけたのだ――という受け取り方も、できないではないのです。

 まあ、たとえそうであったとしても、経典の文句が縫い込まれた護符というのは、ブリミル教徒にとってありがたいものであることに変わりはありません。何だかんだで人に好かれやすいヴァイオラ様が触れなさったものですから、家内安全だとか、良縁招来だとか、そういったご利益があったりするかも知れませんし。大切にさせて頂きましょう。

「ではヴァイオラ様。護符以外の小物は、こちらのテーブルの上にまとめておきますので、あとでご自分で整理なさって下さいね。

 私は今夜の夕食について、船のキッチン・スタッフと打ち合わせをして参ります。もし何かご用がございましたら、厨房の方へお声かけを下さいませ」

「おう、了解じゃー。はしばみ草のサラダは出さんように、しっかり言い聞かせてくるのじゃぞー」

 私はあえて、最後のリクエストには返事をせずに部屋を出ました。先んじて、シャルロット様がはしばみ草とムラサキヨモギのサラダを強く希望なさっていることを聞き及んでおりましたので、まずヴァイオラ様のお望みが入れられることはない、とわかっていたからです。

 おかわいそうなヴァイオラ様。しかし、かといって、真実を告げて絶望を早めるのも、同じようにおかわいそうで、私には逃げるしか選択肢がなかったのです。

 ――おかわいそうと言えば。先日、アーハンブラ城にて発覚した、ヴァイオラ様の並々ならぬ不幸についても、まだ決着をつけられていません。

 ヴァイオラ様のお命を狙ってやって来た『スイス・ガード』』、ミス・ハイタウン。彼女の背後には『スイス・ガード』の筆頭、ミス・リョウコの影があり――さらにその背後には、ミスタ・セバスティアン・コンキリエの存在がありました。

 ヴァイオラ様のお父上である、ミスタ・セバスティアン。あの方が、なぜ愛娘の死を願ったのか、その理由はわかりません。私の知る限り、セバスティアン様はけっして子への愛情の薄い方ではなかったのですが。

 まあ、どのような事情があったにせよ、ヴァイオラ様のお守りを任せられた私としては、この企みは見逃せるものではありません。東方からこのハルケギニアに帰ってくるセバスティアン様たちを、サハラ砂漠まで出向いて暗殺しようという決意は、アーハンブラ城から出た時点ですでに持っておりました。

 しかし、機会に恵まれない時というのはあるもので――ヴァイオラ様がイザベラ陛下に求められ、ガリアの政務に関わるようになってしまったために、ヴァイオラ様の身の回りのお世話をする私も、同時に忙しい体となってしまい、とても暗殺のための休暇を取ることができずに、今に至ってしまったのです。

 ――セバスティアン様がハルケギニアにお戻りになられるという知らせを、我が不肖の兄であるシザーリオが運んできてから、すでにかなりの日数が経っております。

 東方・ハルケギニア間の距離がいかに遠くとも、到着までの時間には限りがございます。もし明日にでも、帰郷の一隊がガリアなりロマリアなりにたどり着いたならば。果たして私は、ヴァイオラ様を悲しませることのないように――証拠を残さず、自然にセバスティアン様たちを始末することができるのでしょうか。

 どうしようもない要素と、不明な部分と、非常に困難な条件の組み合わさった問題を頭の中でこねくり回し続けましたがどうにも正解と呼べる答えは出しかねました。

 ――厨房での打ち合わせは、セバスティアン様に関わる問題に比べれば、もちろん赤子の手をひねる以下のもので、あっという間に片付いてしまいました。

 シェフの方が、はしばみ草とムラサキヨモギとニガウリとサザエの内臓とセンブリの煮出し汁をマリアージュさせた、苦味界に革命を起こす一品を創作したと仰ったので、ぜひそれをディナーに出すよう、積極的にゴーサインを出しておきました。ヴァイオラ様がNGを出したのは確かはしばみ草のサラダだったはずなので、私はまったく命令違反を犯してはおりません。

 たやすくひと仕事が済んだので、さあヴァイオラ様のお部屋に戻り、お茶でもいれて休憩しようかしらと考えていると、「きみ」という呼び掛けとともに、背後からぽんと肩を叩かれました。

「きみ。もしかしてきみは、マザー・コンキリエの侍女殿ではないか?」

「……はい、その通りでございます。あなた様は?」

 振り向いた先におられたのは、精悍な顔つきをした、若い男の方でした。力強さと落ち着きを兼ね備えた、叩き上げの軍人といった雰囲気の人ですが、小さな口ひげがちょっと可愛らしいです。

「私は、東薔薇花壇騎士団団長のバッソ・カステルモールという者だ。イザベラ陛下とシャルロット様、マザー・コンキリエの護衛役として同行している。

 すまないが、少し時間をもらえないだろうか。職務として、ひとつ尋ねたいことがある」

 護衛役、ということは、ある意味私と同業ということになりますね。

 仕事は終わりましたし、恐らくヴァイオラ様も部屋でお休みでしょうし――。

「わかりました、ミスタ・カステルモール。私にわかることでしたら、何なりとお尋ね下さい」

「ありがとう。ええと、ミス……」

「パッケリでございます。シザーリア・パッケリ」

「では、ミス・パッケリ。ここではなんだから、ラウンジにでも移動しないか。飲み物ぐらいならご馳走しよう」

「あら。私のような使用人に、そのようなお心遣いなど、なさらなくてもよろしいですのに」

「いや、頼みごとを聞いてもらうわけだからな。貴族の男として、あまりレディにぞんざいな扱いをするわけにはいかんだろう」

「では、お言葉に甘えて……エスコートして頂きますわ、ミスタ」

 融通の利かなさそうなお方ですが、律儀で、礼儀を重んじるというタイプでもあるようです。わたしはそんな、古きよき貴族の生き残りであるミスタ・カステルモールのあとについて、ラウンジまで移動しました。

 好きなものを頼んでいいと言われたので、パッションフルーツのシロップ・ソーダを頂きます。これがプライベートであったなら、酒精のあるものでもよかったのですが、このあとにラ・ロシェールでトリステインのお客様をお出迎えするという大仕事を控えているからには、酔いは控えておかなくてはなりません。

 ミスタ・カステルモールも、注文品はルートビアになさったようです。バー・カウンターに並んでいるスコッチの瓶を、少し残念そうに見ておられたことについては、指摘しない方がよろしいでしょうね。

「……それで、私に尋ねたいこととは?」

 氷の浮いた、冷たく甘いソーダ水をひと口味わって、こちらからミスタ・カステルモールに切り出しました。

「ああ。マザー・コンキリエのそばに、常についているきみの見たまま、聞いたままのことを教えてもらいたい。

 装飾なしで、率直なところ……イザベラ陛下と、シャルロット様の関係は、良好なものだろうか?」

 ははあ――なるほど。

 確かにそれは、ガリアの王宮に関わる貴族にとっては、非常に重要な問題でしょう。

 私の住んでいたロマリアにさえ、先代国王ジョゼフ様と、その弟君、シャルル・オルレアン公の間に起きた悲劇は聞こえております。シャルル公の死後、ジョゼフ様がオルレアン公家の名誉を剥奪したり、遺族に残酷な仕打ちをしたということも、この国に来てから知るところとなりました。

 加害者ジョゼフ様のご息女、イザベラ陛下。被害者シャルル公のご息女、シャルロット様。普通に考えて仲良くできるはずもありませんし、実際に少し前までは、非常に殺伐とした関係だったと、他ならぬイザベラ陛下とシャルロット様からうかがいました。

 それが今では、実の姉妹のように机を並べて、協力して政務に当たっているのですから、疑問にも思うでしょうね。王宮の内情を知るガリア貴族の方であれば、なおさら。

「私の印象でよろしければお答えしますが、陛下とシャルロット様は、見た目通りに、互いを慈しみ合っているように思います」

「ふむ。王室の結束をアピールするための、対外用プロモーションではない、ということだね?」

「左様でございます。こう言っては不敬かも知れませんが――陛下もシャルロット様も、己をよく見せる演技については、あまりお得意でないようです。あの方々は基本、好きも嫌いも快も不快も、素のままに表現しておられるのではないでしょうか」

「……確かに。おふたりに演技の才能があれば、公共の場でももう少し、笑顔を増やして下さるだろうな」

 ミスタ・カステルモールは頷きながらも、ため息をついて、憂鬱そうな表情をなさいました。

 お気持ちは何となくわかります。今のガリア王族のおふた方は、どちらもあまり、いえ、ほとんど全然と言っていいほど、愛想笑いというものをなさいません。

 イザベラ陛下はよく言えばさっぱりとした、姉御肌の性格です。王として好ましい、頼りがいのあるお方ですが、裏を返せば大雑把で、己の気持ちを隠すような思慮には欠けておられます。気に入らないことについては口汚く罵られますし、怒るとちょくちょく手も出ます。自分の担当の書類を、こっそり陛下の受け持ちの書類に紛れ込ませようと企んだヴァイオラ様に、背負い投げを食らわせたことも、一回や二回ではありません。陛下のお気持ちはわからないではないですが、粗暴であることは、王の資質として相応しくはないはずです。

 シャルロット様は、寡黙で落ち着きのある、思慮深いお方です。活動的なイザベラ陛下を補佐するには、なるほど適切な性格でしょう。しかし、寡黙過ぎて表情の変化に乏しいのは、見ていて心配です。笑顔は政治家として、必須の武器のはずなのですが、来客を迎える時もにこりともせず、仏頂面を通すのはさすがにどうなのでしょうか。そしてこの方も、不快に思ったことに対してはすぐに手を出す性質をお持ちのようで、ヴァイオラ様が夕食の席で、シャルロット様のデザートのクックベリーパイをちょろまかそうとした時など、あの大きな木の杖で、ごつんとヴァイオラ様の額を打っていたものでした。

 ――というかこれ、もしかして、ヴァイオラ様をこそ、一度しっかりお説教して戒めた方がよろしいのでしょうか。私は色々な意味で、我が主のことが心配になりました。

「だがしかし、ミス・パッケリ。そうなると、あのおふたりが結束したきっかけというのは何だったのだろう? きみもヴェルサルテイル宮殿でしばらく寝起きしている身だ、陛下たちの過去については、ある程度聞き及んでいるだろう。環境から客観的に判断すれば、絆を結べるタイミングなど訪れるとは思えないのだ。

 ある方にもご意見をうかがったが、現実味に乏しい想像の話しか聞かせてもらえなくてな。こういうことがあったのを見た、こんな話をしていたのを聞いた、などの事実を示す証言を欲しているのだが……きみは何か、具体的なエピソードを、オーバル・オフィスにいる時に、耳に挟んだことはないか?」

「具体的なエピソード、でございますか」

 さて、そればかりは、心当たりがございません。

 少なくとも、オーバル・オフィスでの三巨頭の皆様は、お仕事に手いっぱいで、私語などなさる余裕などないのです。私があの場所で聞くのは、基本的にうなり声や悲鳴や怒声の類ばかりですね。

 イザベラ陛下たちが仲直りなさった現場を目撃したりもしておりません。家政婦はいろいろと見るものだ、ということわざがロマリアにありますが、メイドは別に大したものは見ないのです。

 そして恐らく、おふたりが仲直りしたと思われる時期には、私は怪我の治療のため、医務室のベッドに伏せっておりました。見る、聞くする機会は、最初から私と縁がなかったのです。

 もし、そんな機会に恵まれた人がいるとすれば――アーハンブラ城でのクーデターの少し前から、イザベラ陛下と親しくし始めたという、我が主のヴァイオラ様ですが――。

「あいにく、私には心当たりがありません、ミスタ・カステルモール。しかし、もしかしたら我が主であるヴァイオラ・コンキリエ様ならば、具体的ないきさつに触れたことがあるかも知れません。もしお望みでしたら、さりげなくヴァイオラ様におうかがいしてみますが?」

「ぬ……マザー・コンキリエか……いや、ありがたい申し出だが、実はマザーにはすでにお話をうかがったのだ。先程言った、想像の話を聞かせてくれたのが、彼女でな……」

「あら、左様でしたか」

 ヴァイオラ様でも具体的なことを言えなかったとすると、もはや調べようがない気がして参りました。

 他に、イザベラ陛下とシャルロット様のおふたりと交流を持っていた人を、私は存じ上げません。これ以上を知るとなると、ご当人たちに直接尋ねる他ないのではないでしょうか。

「でも、ヴァイオラ様は一応、なぜ仲良くなったか、についての予想は聞かせて下さったのですよね? 参考までに、私にもその予想がどんなものだったのか、聞かせては頂けませんか」

「ああ、構わないとも。それがだね……」

 ミスタ・カステルモールは、軍人らしい几帳面さでもって、極めて正確な様子で、ヴァイオラ様の話された『予想』を教えて下さいました。

「なるほど。始祖の愛、でございますか。

 確かに事実と呼ぶには、ヴァイオラ様の空想に拠るところが大きいですが……もしその解釈が正しいならば、非常にロマンティックな話ですね」

「ああ。将来、イザベラ陛下の伝記を誰かが書くとしたら、ぜひ入れるべきエピソードだろう。しかし、護衛役としては、それが事実だった、と言い切ることに不安を感じる」

「護衛対象のメンタリティを考慮せずして、有事に適切な行動は取れない、という意味でよろしいでしょうか、ミスタ?」

「その通りだ」

 私の言葉に、ミスタ・カステルモールは重々しく頷きました。

 その反応を見て、私は次の問いかけにも肯定が返ってくることを確信して、言葉を続けます。

「つまり、ミスタ。あなたは、イザベラ陛下とシャルロット様が、今も憎み合っている可能性を考えておられるのですか? いざという時に、どちらかが相手の背中を襲うかも知れない、という可能性を危惧しておられる?」

 ――もちろん、私の想像通り、ミスタ・カステルモールの返事は是でした。しかし、ミスタがそうと認めるまでには、ゆうに一分ほどの間があり、その中には無言の葛藤もあったようです。

「……否定はしない。ここに至るまでのいきさつがいきさつだ。そういうことが起きたとして、誰が不思議に思うだろう?

 ミス・パッケリ。きみはイザベラ陛下たちが、心から仲良くしているように見えると言った。あのおふたりは演技のできるお人柄ではない、とも。私はそれに頷いた。

 だが、私たちの意見が一致したからと言って、現実がそれと一致するとは限らない。我々の意見は、あくまで印象の上に立脚している。これは、砂丘の上に城を建てているようなものだ……問題なさそうに見えるが、事実が違っていても、文句は言えない不確実さだ。

 護衛役として、そのような不確実は許されない。イザベラ陛下とシャルロット様が、お互いにどう思っているか、実際のところを知って、事実に基づいておふたりを守らなければならない。

 ゆえに、真実を知りたいのだ……おふたりに何があったのか……おふたりの本心は確かに、おふたりのものなのか……?」

 ――ふむ。

 そこまで熱心に、なおかつ慎重に仕事に挑むとは。この方は確かに、王家を守護する東薔薇花壇騎士団に相応しい人物のようです。

 彼は当然、ヴァイオラ様を守ることも己の仕事の範疇に入れているでしょうから、何者かが――ことによると、新たな『スイス・ガード』が――襲撃を仕掛けてきたとしても、充分に戦力として頼ることができるでしょう。私も一応、火のスクウェアですが、戦闘経験はそれほどではありません。ミスタ・カステルモールのような、熱心なプロフェッショナルが味方としてついてくれることは、非常にありがたいことです。

 ですから、彼の仕事への情熱に報いるためにも、望む情報を与えてあげたいところですが、持たぬものを与えることはできません。はて、どうしたものでしょう。

「……では、仕方ありません。私から、イザベラ陛下かシャルロット様に、さりげなく事情をおうかがいしてみましょう」

「え? い、いや、待ってくれミス・パッケリ。そこまでしてくれなくてもいいんだ!

 使用人が王族に、プライベートなことを尋ねたりしたら、不興を買うことになりかねん。これは私の個人的な調査なのだから、きみに危険をおかさせるわけには……」

「その点はご心配なく。ロマリア人である私には、イザベラ陛下も肩肘を張らなくて済む、というお気持ちをお持ちになるのでしょう、ティータイムなど、気休め時のお話相手をつとめさせて頂く場合がよくあります。シャルロット様にも、魔法の効果的な運用について、意見を求められることがしばしばございます。そういった時に、思い出話を聞くようなていで探りを入れるならば、陛下たちもご機嫌を損ねることはないでしょう」

「な、なるほど、それなら……いやしかし、ううむ……」

「それに、ミスタ・カステルモール。私もあなたのお話を聞いていて、少々好奇心というものが刺激されてしまいました。ガリア王室に、我らが王であるイザベラ陛下とシャルロット様に、何があったのか、知りとうございます」

 そう言って、許可を求めるようにミスタ・カステルモールを正面から見つめますと、彼は一瞬たじろいだような表情を見せましたが、やがて頷いてくれました。

「わかった、ミス・パッケリ。私からも、よろしく頼む。

 しかしくれぐれも、陛下たちのご機嫌を損ねることだけはしないように……もし何か都合の悪い事態が生じたら、遠慮なく私の名前を出してくれ。いいね、私の指示で、探偵をしていたのだと言うのだよ」

「ふふ。お気遣いありがとうございます。でも、そんな失敗はしませんわ……なるべく」

 責任感も誠実さも人並み以上。この人になら、この旅路の警備を――ヴァイオラ様の身の安全を、安心して委ねることができそうです。

 この方の仕事が成功する、ということは、それは私の仕事――ヴァイオラ様の守護――の成功も意味します。これはひとつ、気合いを入れてかからねばなりませんね。

「では、今夜にでも陛下たちからお話をうかがって参ります。その結果は……明日、この時間に、またこの場所に待ち合わせて、というので構いませんか?」

「わかった。また明日、ここで会おう……ミス・パッケリ」

 ええ。また明日会いましょう、ミスタ。

 

 

 ミス・パッケリに嘘をついてしまった。

 いや、全面的に騙したわけではない。俺の調査が、ボディーガードの仕事の役に立つことは否定しない。だが、イザベラとシャルロット様の和解の原因を探っているのは、どちらかというと『シャルル派』としての俺なのだ。東薔薇花壇騎士団団長としての俺、ではない。

 実際、イザベラとシャルロット様の仲が偽物であったとしても、仕事の上では支障などないのだ――この大型旅客船『スルスク』には、入念なボディ・チェックを受けた、身元の確かな者しか乗り込めないので、怪しいテロリストなどの侵入は考えられない。航行中に空賊に襲われる、などの可能性はあり得るが、『スルスク』は戦艦並みの強固な外装で覆われているので、それこそ正規軍の高性能大砲でも撃ち込まれない限り、轟沈することはないだろう。

 では、空賊船が接近してきて、テロリストがむりやり乗り込んできたならどうするか。そういう場合こそ俺の出番だ。風のスクウェア・スペルに、《偏在》というものがある。あまねく場所に吹き流れる風によって、自分と同等の力を持つ写し身を作り出すことができるという、極めて強力な魔法だ。これを使えば、護衛対象であるイザベラ、シャルロット様、マザー・コンキリエを、それぞれ一体ずつの偏在で守りながら、安全に敵に対処することができる。もちろん、イザベラ(あるいはシャルロット様)が、身内の誰かを攻撃しようとしたところで、問題なく取り押さえることができる――はずだ。

 護衛任務は、確実にやり遂げられる自信がある。イザベラとシャルロット様の仲を調べることは、それとは関係のない、バッソ・カステルモール個人の使命だ。

 確かにそれは、俺個人にとっては任務より大事なものだが、密偵に近い役割を任せてしまったミス・パッケリにとっては、はっきりいってどうでもいいことだろう。

 ロマリア人である彼女には、シャルル様への恩もない。

 ガリアを正しい血統に継がせるべきだと考える理由も、理想もない。

 イザベラの背後にジョゼフがいて、国政を密かに操っているとしても――それを打倒する義理もないわけだ。

 だというのに。ミス・パッケリは、俺の知りたいことが、俺の任務に必要だと思ってしまったがために、危険な役目を引き受けてしまった。

 おそらくは、自分の主の安全をより確かなものにするために、という理由もあっただろう。マザー・コンキリエへの、素朴な忠誠心が、彼女には確かにある。

 俺は、ミス・パッケリを止めなかった。彼女が聞き出してこれるかも知れない情報は、きっと有益なものだと思えたから。

 しかし、もし本当に、イザベラの背後にジョゼフがいたならば、ミス・パッケリは、彼女自身が考えているより、ずっと高いリスクをおかすことになる。

 頭のいいジョゼフは、メイドのつたない探偵行為など、容易に見破ってしまうだろう。そして、けっして油断することなく、自分の秘密を暴こうと行動しているミス・パッケリを、証拠ひとつ残さずに始末してしまうだろう。奴はそれくらい慎重で、また非情であるからこそ、あれだけ嫌われてなお、王として長く君臨することができたのだ。

 ――もし、明日までにミス・パッケリが不審な死を遂げれば。それは、ジョゼフ非失脚説を裏付ける、有力な材料になる。

 だが、そんなことにはなって欲しくはない! ミス・パッケリは単純な親切心と、主への愛情から――いわゆる無償の愛から、俺に協力してくれたのだ! あのような優しい少女を犠牲にして達成する使命など、とても正義の側のものとは言えない!

「ミス・パッケリに偏在をつけて、見守っておくべきだろうか……少なくとも、今夜ひと晩だけでも」

 ラウンジでミス・パッケリと別れて、自分の船室に戻った俺は、その案についてかなり真剣に考えた。

 杞憂かも知れないが、もしかすると――と思ってしまうと、気分が落ち着かない。あの何も知らない協力者の身は、俺という人間の責任において守らなければならない。

 この時ほど、イザベラが本当にシャルロット様と仲直りしていて欲しい、と願ったことはない。

 丸い船窓から、何気なく外の景色を眺めた。迷える俺の心の中とは違い、ガラスの向こうに広がる空は、穏やかな一面の青だった。

 

 

 わずかな横揺れとともに、『スルスク』の巨体はラ・ロシェール港の七番桟橋に接した。

 神話級にくそでかい樹木そのものを、船の発着場として使っておるこの港では、タラップから桟橋に降りることに少なからず恐怖を覚える。だって、桟橋自体がめちゃくちゃ高い位置にあるんじゃもん。タラップの手すり越しに下を見たら、母なる大地まで一直線に見通すことができる。パッと見、二、三百メイルってとこかのー。我、別に高所恐怖症というわけではないが、この眺めは何度来ても慣れん。

 じゃが、今回ばかりは少しの怯えもなく、らたたんとスキップすら織り混ぜながら、軽やかにタラップを降りることができた。なぜかって? 桟橋に我のハートを独占する輝かしい人がおるのに、周りの景色なんぞ目に入るかい、っちゅー話じゃ。

 先んじて『スルスク』の到着を待っておってくれたであろうその人に、我は駆け寄る。丸い灰色帽子をぴったりとかぶり、年期の入った地味な僧服を身につけた、いかにも真面目そうな彼。年齢に似合わぬ白い髪、しわだらけの顔、肉の薄いやつれた頬に、しかし慈愛に満ちた魅力的な微笑みを浮かべ、再会の喜びを表情であらわしてくれたその人。

「ファーザー・マザリーニ。お久しぶりでございます」

「マザー・コンキリエ。お変わりなく」

 鶏がらのように痩せた、相変わらずな兄様の手をそっと握り、挨拶を交わす。できればこのまま、ハグとちゅーぐらいはしてあげたい瞬間じゃったが、兄様の背後におるピンク髪のちんちくりんと黒髪のはな垂れボウズの存在に気付いてしまった以上、あまり大胆な真似はできん。ついでに言うと、『スルスク』の甲板から我々のやり取りを見下ろしているであろう、イザベラたちの存在も考慮対象じゃ。我はガリアの外務担当相として、相応しい態度を取らねばならぬ。

「我と、我の仕えるガリア王室は、このたびのファーザー・マザリーニと、トリステイン外交団の皆さまの同道を歓迎いたします。船内で、イザベラ・ド・ガリア陛下とシャルロット・エレーヌ・オルレアン様から、あらためて挨拶がございましょう」

「こちらの急な申し出を受けて下さったことについて、トリステイン王室に代わってお礼申し上げます、マザー。

 そう、外交団のメンバーたちとも、友好の握手を交わしてやって下さい。ご紹介します……こちら、ヴァリエール公爵家のご息女で、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。隣は、護衛のヒラガ・サイトくん。東方ロバ・アル・カリイエの出身で、まれに見る剣術の達人です」

「これはこれは。どうも初めまして、ミス・ヴァリエール、ミスタ・サリ、サイトー……サイト。ガリア外交担当相のヴァイオラ・マリア・コンキリエと申しますじゃ」

「る、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールです。よろしくお願いします、マザー・コンキリエ」

 緊張のせいか、やや表情の固いミス・ヴァリエールと握手をする。逆に手の方はずいぶん柔らかい。労働をあまりしておられんな。貴族らしい貴族の手で、なかなか好感が持てる。

 兄様のおまけに過ぎん奴じゃから、我としてはあまりへりくだってやる必要はないんじゃが、ないがしろにすると兄様の心証が悪くなるからな。できる限り優しくしてやろう。

 そしてもうひとり、黒髪のボウズであるミスタ・サイトーン――もといサイトにも、手を差し出す。

 手紙ではヒリガル・サイトーンと表記してあったが、兄様が紹介してくれた際の呼び方に従って、ミスタ・サイトと呼ぶことにしよう。恐らく東方独特の発音で命名されておるのじゃろう、呼びにくいことこの上ないが、こればっかりは変な名前をつけられた本人を責めるわけにはいかんからな。

 ミスタ・サイトはなぜか、握手を求めた我を怪訝そうな目で見ておったが、二、三秒のタイムラグを置いて、ようやく手を握ってくれた。武人らしい、ざらざらと固い手のひらじゃった。あんまり触り心地のいい手ではない。力の加減も及第点に届かずじゃ。強過ぎる強過ぎる痛いっちゅーのこんボケが。レディの手の扱いぐらい心得ておかんかい。

 さらに言うと、我がすでに名乗っとるのに、こいつはいまだに名乗らんというのも減点じゃ。兄様が名前を教えたからって、自分の口から名乗らんでええっちゅーわけではないんじゃぞ。そこんとこは社会の常識じゃと思うんじゃけど、どーなんじゃコラ。

 我の無言の圧力が、この常識知らずの頭に届くのには、やはり数秒の時間が必要であった。しばらく難しそうな顔して我を見つめておったミスタ・サイトは、はっと気付いたように露骨な作り笑いを浮かべて、ようやく言葉を返してきたのじゃ。

「あ、よ、よろしくな。えーと、ヴァイオラ、ちゃん?」

「ちゃん!?」

 予想外にもほどがあるミスタ・サイトの呼び掛けに、ついすっとんきょうな声で返してしまう我。身分を明かした上でのこの馴れ馴れしさは、いくらなんでも前例が無さ過ぎて、怒りとか不快感より衝撃が先に来た。

「ちょ、サイト! あんた何よその砕けた態度は!?

 ガリアの宰相様相手に、親戚の子供に話しかけるみたいなことしてんじゃないわよ!」

 ミス・ヴァリエールが慌てた様子で、ミスタ・サイトを叱りにかかる。もちろん小声で、礼を失することのないように心がけてのことじゃったけど、我としては思いっきり大声で怒鳴りつけてくれても全然よかったレベル。

 だってこのアホたれサイト(もうミスタなんぞつけてやる必要を感じぬ)、公爵令嬢に注意されてなお、こんなことほざきよったんじゃもん。

「いや、だってさ、ルイズ。こんなちっちゃい子に敬語使うのも、何かおかしいじゃんか。言葉の使いどころを間違えてる感じっていうか、丁寧過ぎると逆に変に見えるっていうか……。

 あと、俺、この子のこと、どっかで見たような気がするんだよなー。それが思い出せなくって、気が散ってて、つい違和感のない話し方を……いでででっ!?」

「へぇ〜ふぅーんそうなのー。じゃあしばらくしっかり口閉じてこれ以上無礼をはたらかないよう大人しくしてなさいいいわねこの駄犬」

 突然呻き声とともに身をよじり始めるアホサイトと、それに寄り添うようにしとやかな笑みを浮かべて、さらなる注意を促すミス・ヴァリエール。我の位置からは影になっていて見えぬが、どうやらミス・ヴァリエールの右手が、サイトの脇腹か背中の肉を、思いっきり力を込めてつねっているらしい。いいぞもっとやれ。

 サイトが、我の顔に覚えがあるというのは、もちろんあの忌まわしきアーハンブラ城での記憶であろう。我だってちゃーんと覚えとる。ミス・ヴァリエールとサイト、それとあとふたりぐらいのジャリどもが、囚われのシャルロットを救出すべく、入国管理法とか思いっきり無視して飛び込んできよったのを覚えとる。

 ほんの数分で、特に挨拶らしい挨拶も交わさんかったが、我とサイトは間違いなく出会っておる。じゃが、じゃがしかしじゃ、それをうろ覚えなのはまだ許せるとして、めっちゃナチュラルに口に出そうとするでないアホたれタコ野郎!

 アーハンブラ城での出来事はな! お互いに機密中の大機密なんじゃぞ! ガリア側にしてみれば、ロマリアの高位聖職者を監禁した上、殺害しようとしたっちゅー洒落にならん醜聞じゃし、トリステイン側――っつーかミス・ヴァリエール側にしてみりゃ、他国の軍事施設に侵入し、警備の者ぶっ倒したりいろいろ傍若無人をやらかしたっちゅー罪がある。

 で、双方ともにヤバげなところを目撃してしもて、こりゃーマズいぜーどーしよー、と混乱しとるうちに事態がなぜか全部、ジョゼフだけを悪者にすることでキレイに解決してしまったので――『お互い、何も見なかったことにしようね?』と口裏を合わせて、円満に別れることに成功したというのに――。

 よりによってわざわざ、トリステイン王国の重鎮である兄様の目の前で、我に見覚えがあるとか、ホントに殴ったろかこのボウズ。

「かくかくしかじかこそこそもにょもにょ……ってことだから! マザーと私たちが顔見知りだってことは、しっかり隠しておかなくちゃいけないの! あの人とは初対面! わかったわね、サイト!?」

「お、おう、そういうことだったんだな。確かに不法入国とか公になるのはマズいよな。

 わかった、ヴァイオラちゃんとは今会ったばかり、それ以前にはすれ違ったこともありません! ……って感じでいくことにする!」

「ちゃん付けもやめなさいってのよ! 言っとくけどマザーはね、私たちよりずっと年上なんだからね!?」

「え、うそ!? だってあれタバサよりちっさ、」

 兄様に聞こえんよう、めっちゃ声を潜めて、ミス・ヴァリエールがサイトを教育してくれておる。頑張れ頑張れミス・ヴァリエール。もっと言ったれミス・ヴァリエール。その犬以下のクソ平民をしっかりしつけるのじゃ。

 ――つーか、むしろ我も調教行為に参加させろ。さっきからちょくちょく繰り出される、サイトから我への侮辱発言の数々は、鞭打ち刑の十発や二十発には匹敵すると思うんよ。

「ミス・ヴァリエール? サイトくん? さっきから挙動が不審だが、どうかしたのかね?」

「え、いえいえいえ、ななな何でもありませんわファーザー・マザリーニ! ちょっとサイトが、外国の方との挨拶の仕方に戸惑っておりましたので、軽く指導をと!」

 ずーっと隅っこで額を突き合わせてごしょごしょやっておったミス・ヴァリエールとサイトの様子は、やはりはたから見ても怪しさ満点じゃったので、とうとう兄様から心配の声がかけられた。

 少々慌てながらも、それなりにごまかしてくれるミス・ヴァリエールはホントーにいい子。友達を助けるためにアーハンブラ城に乗り込んでくるような向こう見ずじゃが、たぶん根は真面目人間なんじゃろう。普段からことあるごとにテンパりまくっとる姿が目に浮かぶようじゃ。

「なるほど。確かに、ハルケギニアではどの国も言葉は同じだが、文化や習慣には少なからず違いがある。特に、遠い国の出身であるサイトくんには、トリステイン以外の国の人と接することは不安に思えるかも知れないね。

 だが、サイトくん。別に緊張する必要はないよ。マザー・コンキリエは、とても懐の深い人だ。細かい挨拶の不備などに、文句を付けたりはしないだろう。

 敬意を持って接すれば、ちゃんとその気持ちを汲んでくれるはずだよ」

「……だ、そうよサイト。とりあえず挨拶、やり直しなさい」

「わ、わかったよ。コンキリエさん、馴れ馴れしい口きいて、ごめんなさい。アルビオンまでの船旅の間、よろしくお願いします」

 兄様の優しい言葉と、ミス・ヴァリエールの後押しを受けて、よーやくさっきよりマシな挨拶ができるようになった間抜けサイト。

 どーせなら水の鞭をビュンビュン振りまくって、このクソガキに痛みとともに上下関係を叩き込んでやりたかったが、兄様にフォローまでされては、我もあまり強硬な態度は取れん。残念じゃけど調教は諦めようか。――えへへ、兄様の中では我、懐の深いレディなんじゃな。えへ、えへへ。

「お気になさらず、ミスタ・サイト。どうぞよろしゅう。

 ……さ、皆様、どうぞ船の中へ。イザベラ陛下たちも、早く皆様に会いたいと、首を長くしておりましょう」

 トリステインの三人を導いて、『スルスク』の船内へ。この時の我は、他国の使節を迎えるにあたってこれ以上ないほど、自然な笑顔ができておったと思う。

 

 

 トリステイン外交団と、イザベラ、シャルロットの挨拶は、何の問題もなく済んだ。

 その後の晩餐会でも、ガリアとトリステインの交流は和やかであった。イザベラは精一杯ネコをかぶって、おしとやかっぽく振る舞っておったし、シャルロットはもともと落ち着きのある奴じゃから、静かにメシを食うだけなら見苦しいことにもならぬ。

 兄様と、公爵家令嬢であるミス・ヴァリエールのマナーも素晴らしかった。やっぱ地位も財産もある人たちというのは、それに相応しい品性を身に付けておるものじゃ。

 例外はあのアホ一直線の少年、ヒラガ・サイトじゃが、他の連中が立派過ぎるからどーしても色褪せて見えるだけで、思っていたよりはだいぶマシじゃった。平民じゃからすごい汚い食い方して、我の食欲を撃滅しやがるんじゃないかとヒヤヒヤしておったんじゃが、なかなかどうして、見苦しくない程度にはナイフとフォークを使いこなしておった。この日のためにミス・ヴァリエールからマナーを叩き込まれたのか、それとも平民としては上流の家の生まれなんじゃろうか。

「……げ。うわ、何だこれ。この黒っぽい緑っぽいのヤバい。ちょっと洒落にならないくらいニガい! 口の中が原始に還る感じがする!

 る、ルイズ、ルイズ! これ食べなくちゃダメか!? 嫌な予感がするんだ、もし完食したら、俺たぶん全身緑色になる!」

「お残し? あのねサイト。普段ならともかく、こういう格の高い席じゃ、好き嫌いなんて言っちゃダメ。ガリアの方々に失礼でしょうが……って何これ!? ニガいニガいニガい! ていうかむしろエグい!」

 急に苦悶の表情を浮かべ、小声でやり取りを始めるトリステインのガキ主従。ふむ、多少の訓練は積んでおっても、やはりまだ経験が足らぬか。ちょいと舌に合わんものがあった程度で、それを顔に出すとは、未熟よのー。ぱくんちょ。――え、あれ、待て待て待て、確かにこの黒っぽい一皿はただ事ではないぞ。たとえて言うなら、はしばみ草とムラサキヨモギと魚介の内臓とご禁制の毒薬を混ぜて煮詰めたような、壮絶なニガ味――いったい何ぞ!? おいこらシェフ、調理中にどのような気まぐれを起こした!?

 よう見ると、イザベラもフォークを持ったまま青い顔しとる。兄様の額に脂汗が浮き、肩が小刻みに痙攣しておる。たぶん、我も負けず劣らず苦しげな顔をしとるのじゃろう。こいつはよくない。たった一品の脅威のために、この会食の優雅な雰囲気がぶち壊しになることはよろしくない! 何とかせねば――じゃが、どうすればいい!? ガリア側として、率先してお残しするとかできるわけないし、トリステインの連中は言わずもがなじゃし――どうする、どうする!?

「あ、そうだ。タバサー、確かニガいの好きだったよな? これ食べるか?」

 思いがけぬピンチを、思いがけぬやり方で救ったのは、思いがけぬことにサイトの野郎じゃった。この恐れ知らずのノータリンは、栄えあるガリアの副王様に対して馴れ馴れしくも、食べかけの皿をひょいと差し出しよったのじゃ。

 正直無礼討ちしても全然問題ない、破廉恥極まる行為であったが、今回ばかりはこれがブレイク・スルーとなった。この席で唯一、邪悪なニガさに対して耐性(つーかむしろ好んで食らう習性)を持っとったタバサことシャルロット・エレーヌ・オルレアンは、眼鏡をきらりんと輝かせて、「ご厚意に甘える」と、皿を受け取ったのじゃ。

 これを見たイザベラ、「あ、ああ、そうそうそうでしたわこのエレーヌはこの味付けをとても好んでいるのでしたわ健康志向の強い子でしてハイそうなのですわたくしも彼女には健康に育ってほしいのでよくニガい料理を譲ったりしているんですのだから今回もちょっと残念だけど私が自分で食べたいのはやまやまですけれどエレーヌが好きそうだから私の分のお皿もこの子に譲ってあげましょうそうしましょう遠慮なんて要らないのよウフフさあどうぞ食べてちょうだいさあさあさあ」と一気にまくし立てつつ、ごく自然に品位を落とすことなく、シャルロットに極ニガ料理を押しつけることに成功した。

 こうなると、同じやり方を踏襲する者が出てくるのは必然であった。ミス・ヴァリエールも、「で、でしたら私の分もどうぞ、ミス・オルレアン! 同じお船に乗せて頂くことへのお礼ということで! ぜひ!」と言って皿を移動させるし、我だって「ミス・オルレアンは育ち盛りじゃからして、たくさん好物を食べてええんじゃよ?」と、慈愛の精神とともにおぞましき栄養素を譲った。

 兄様は最後の最後まで迷っておったようじゃが、「この料理とて、嫌々食べられるよりは、美味しく食べてくれる人の口に入るのを望むはず……」と己を納得させ、自分の食べかねていたものをシャルロットに捧げた。

 シャルロットは、自分の大好物がたくさん懐に入ってきてご満悦。他の者は、その次の魚料理を舌を壊すことなく味わえて、ホッと胸を撫で下ろし。

 愚かなサイトの礼儀知らずな振る舞いによって、全員が救われた瞬間じゃった。

 ありがとうサイト。フォーエバーサイト。この瞬間だけは貴様の評価を上方修正してくれよう。でもたぶん、もう二度とお前と一緒に食事をする機会は設けぬ。我やっぱ、常識的な作法を身につけた奴とだけメシ食いたいもん。

 そして、ちょうど食事が終わった頃に、風石の補充が完了したという知らせが入り――『スルスク』は世界樹の枝から、再び夜空へこぎ出した。

 あとはアルビオンまで、安全で平穏な旅が続くのみじゃ。静かで邪魔の入らぬ、兄様が手の届く距離にいる夜の空。

 こんな滅多にない機会に、我が多少のロマンチックを求めたとして、それは不埒なことじゃろうか。いやいや、きっとブリミルも見て見ぬふりをしてくれるじゃろう。

 

 

「ファーザー・マザリーニ。ちと、アルビオンでのお互いの行動について、相談したいことがございますので、これからお部屋にお邪魔しても構いませんじゃろか」

「おお、マザー・コンキリエ。ちょうど私も、そのことについてあなたと打ち合わせておきたいと思っていたところです。歓迎しましょう」

 夕食後、ヴァイオラとトリステインのマザリーニ枢機卿は、お互いにそう声を掛け合って、一緒に食堂を出ていった。

 あたしはふたりの聖職者を見送ると、大きく息を吐いて、ぐぐーっと背伸びをした――もちろんこの時も、同じテーブルには気心の知れたシャルロットだけでなく、トリステインのルイズ・フランソワーズと平民剣士のサイトも着いていたのだが、コイツらに関しては特に礼儀を気にする必要はない。あのアーハンブラ城で、お互いの見苦しいところを見せ合った仲だ。ルイズもサイトも、あたしが暴言を吐き散らしながら実の父親をボコる、おしとやかとは程遠いガサツな女だって知っているから、丁寧で威厳ある態度なんか続けたって、何を今さらって感じにしかならない。

 あたしという人間を品の良いモノに見せなくちゃいけないのは、あの白髪狸のマザリーニ枢機卿の前でだけだ。ヴァイオラが彼を連れ出してくれたからには、窮屈なマナーを脱ぎ捨てて、地のままの姿でのびのびと過ごすのが正しいあり方ってもんだ――少なくとも、咎めるような奴は近くにいない。

「……まったく、こんなすぐにあんたたちと再会するなんて、思いもしなかったよ、ミス・ヴァリエール。

 どっちかというと、もう一生会うこともないだろうなー、くらいに考えてたのに。いい迷惑だ、あーいい迷惑だ」

「ぐっ……じ、女王陛下に無理をお願いして、申し訳ありません。でも、今回の同道は、私たちの意思ではなく、アーハンブラ城での出来事を何も知らないトリステイン王室の命令であるということは、どうかご承知下さい。

 私とサイトが、あの日のことをけっして口外するつもりもないということも」

 生真面目なルイズは、あたしが態度を崩しているにも関わらず、堅苦しい話し方をやめようとしない。ま、王族相手に簡単に馴れ馴れしくできるようじゃ、とても人の上に立つ器じゃないから、コイツの態度は公爵令嬢として正しい。

 だが、あたしはワガママだから、この場において正解なんざ望んじゃいないんだ。

「冗談だよ、怒っちゃいないさルイズ・フランソワーズ。それより口調を崩しな、これは命令だよ。

 あんたとシャルロットは、魔法学院で同級なんだろ? シャルロットのことを王族と知らなかった頃は、シャルロットにも敬語なんか使ってなかったんだろ? その時分と同じ感覚で、あたしに口をききゃいいんだ。

 オトモダチのために、よその国の城に特攻かます行動力をお持ちの上品なご令嬢なら、それくらいお茶の子さいさいだろ?」

 からかうようにそう言ってやると、ルイズは「う〜」とひと声唸って、やがて小さく肩を落とした。

「……女王陛下のたってのお望みとあらば、応えるのもやぶさかじゃないけど……じゃあ、砕けた感じでイザベラって呼んでいいのね?」

「おほ、おほほっ。そう、それでいいんだよ。あたしは敬語なんて話すのも聞くのもニガテなんだ。めんどくさい大人のいないとこでは、思いっきり雑にしな。シャルロットもヴァイオラも、普段はそうしてるんだからね」

 ホント? って感じに、ルイズはシャルロットに目で問いかけた。シャルロットは未だにデザート(おかわり三皿目)をつついていたが、フォークを口にくわえたまま、肯定の頷きを返していた。

「イラッとしたら殴ってもいい」

「……そ、そのレベルの気安さはさすがに遠慮したいんだけど」

 シャルロットの言葉に、ちょっと引いた様子で呟くルイズ。うん、ごめん、あたしも痛みを伴う親しみはNG出すよ。求めてるのはあくまで堅苦しさの排除であって、流血をともなう青春の類いじゃないんだ。

「そっちのサイトってボウヤもだよ。さっきから気になってしょうがなかったんだけど、あんた、ホンットーに礼儀正しくするのニガテなんだね。ギクシャクしてて見苦しいったらありゃしない。

 オトナどもがいない間は、せいぜいのびのびしてな。あくびしよーと背伸びしよーと、文句は言わないよ。このあたしが許す」

「え、マジでいいの!? 助かる!

 魔法学院とは雰囲気違い過ぎて、正直いづらかったんだよなー!」

 ルイズと違い、サイトは一瞬で肩の荷を下ろしやがった。あたしの言った通りに、「ん〜」って背伸びしてる。無邪気な野郎だ。

「ああ、ああ、普段通りにくつろいでな。ただしもちろん、あたしの態度にも文句はつけない、って条件を飲んでもらう必要はあるけどね」

 そう言って、あたしは椅子の背に体重を預け、ヒールを履いた足を持ち上げると、テーブルの上にどっかと乗せた。安酒場で、ならず者がやるようなしぐさだが、きちんと膝を揃えて背筋をぴんと伸ばしているよりは、百万倍居心地がいい。

「おお……カッコいい。女王様っていうより、姐御って感じがする」

「アネゴ? ふふん、姐御ねぇ。悪くない響きだ。やい三下、タバコを寄越しな……とかって言やいいのかね?」

 感嘆の響きがこもったサイトの呟きに、いい気分で頷く。確かにこのポーズで水ギセルでもふかせば、ちょいと絵になるだろう。部屋に戻ったら、ひとつ試してみるかねえ。

「まあ、それはいいとして、だ。ルイズ、サイト。

 あたしがわざわざ、あのアーハンブラ城での出来事を蒸し返されることも覚悟で、あんたらに無礼を許したのには、もちろんわけがある。

 おしとやかな女王様をやってるのがめんどくさくなった、ってのも大きな理由だがね。それ以上に、あんたたちと腹を割って話をしたかったんだ。お互い、立場を捨てた、ただの同年代のガキどもとして。

 駆け引きなし、聞きたいことを聞いて話したいことを話す。そういったことをしてみたい。別に国境を越えたダチを作りたいとか、張り切ってるわけじゃない……フツーに突っ込んだ話がしたい。これは命令じゃなくて、ただのおうかがいだ。どうだい、ここにいるただのイザベラと、仲良くおしゃべり、してくれるかい」

 この問いかけに、ルイズとサイトは顔を見合わせた。

 サイトの方は特に深く考えているわけではなく、ただキョトンとしているだけみたいだったけど、ルイズの方は困惑とためらいが瞳に浮かんでいた。礼儀や立場の重みを知らない平民と、礼儀や立場を捨てた上での立ち位置をはかりかねている貴族。それぞれの属する集団を象徴するような、ふたりの表情だ。

「俺は別にいいけど。あんまり面白い話とかする自信ないけど、それでもいいのか?」

「かまやしないさ。あたしだって、あんたらを抱腹絶倒させる話題のバリエーションを持ってるわけじゃないし。

 あんたは、ルイズ? 嫌なら嫌で別に責めないよ。あたしはこのサイトと、ふたりっきりでどっかに引きこもって、のんびり楽しい時間を過ごさせてもらうけど」

「そ、そそそそれはダメっ! どーせ変な意味じゃないんだろーけどそれはダメ!

 そ、それに、私、別に嫌だとか言ってないし。い、いいわよ、おしゃべりくらい、いくらでも付き合ってあげるわよ。どうせ寝床に入るまでには、まだたっぷり時間あるんだし」

 フグみたいにほっぺを膨らませて、半ばやけっぱちにそう言い捨てるルイズ。ひねくれてて可愛い奴だ。シャルロットとは違うベクトルで、コイツもからかったら楽しいタイプだね。

「オーケイ! そう言ってもらえてあたしも嬉しいよ。お互い、遠慮なく、変な気遣いナシでくっちゃべろうじゃないか。

 じゃあ、さっそくだけどさ。あたし、前からあんたらに聞きたいことがあったんだ。よかったら、率直に教えちゃくれないかい?」

「聞きたいこと? なんだ? 俺で答えられることなら、教えるぜ?」

「なに、そんなに難しいこっちゃないさ」

 あたしは、あんたらが知っていると確信していることしか聞かないよ。

「――ぶっちゃけた話。あんたら、いったい何者なんだい?」

 

 

 この場において傍観者に過ぎない私は、無言でデザートの皿をつつきながら、他の三人のやり取りを聞いていた。

 イザベラが問いかけ、サイトとルイズがそれに答えるだけの、他愛もないおしゃべり。少なくとも、イザベラはその点を強調した――しかしその内容の深さは、ただのヒマ潰しなどというくくりにおさまるものではなかった。ある意味それは、一種の外交戦争であった――我が従姉は、最初からそのつもりで話を切り出したのだ。

「何者、って言われても……最初に自己紹介した通りよ、イザベラ。

 私はヴァリエール家の三女、ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ブラン・ラ・ヴァリエールだし、こいつは平民剣士のヒラガ・サイト。それ以外……」

「それ以外の何者でもないって? おいおい、バカをお言いでないよ。そんなわけないだろうが。それだけなわけないだろうが。

 なあ、自分でも不自然だとは思わないのかい、ルイズ。身分がそれなりに高いとはいえ、なんでまだ政界デビューもしてない学生が、戦争してる敵国に飛び込んでいく外交団の一員なんだよ。トリステイン人ですらない、遠い東方出身の平民がそれについてきてんだよ。王宮付きの外交担当の貴族はどうしたよ? 外務やってんのが、マザリーニ枢機卿ひとりってわけじゃないだろうが。要人の護衛を担当してる魔法衛士隊はどうしたよ。貴族守るのに平民ひとりとか舐めてんのか。あり得ないっつーの。

 あんたらはただの学生貴族と、ただの平民剣士じゃない。なにか特別な立場にいる人間で――あんたたちにしかできない大きな役目があるからこそ、マザリーニと一緒にこの船に乗り込むはめになったんだ。間違いない」

 断定的な物言い。イザベラが自分の言っていることについて、強い確信を抱いているのは明らかだ。それが伝わったのか、ルイズとサイトは目に見えて動揺した――何かを隠している、という意識を、態度に出して見せてしまった。

 イザベラが攻め手であり、ルイズたちが受け手。そんな構図が、わずか十秒程度のうちに成立した。私の知っているルイズとサイトの性格では、ここから会話の流れを逆転させることはまず不可能だろう。

「そもそも、さ。あのアーハンブラ城の時点で、あんたたちがただ者じゃないってことはわかってたんだ。ルイズ・フランソワーズ、あんたの頭の中の常識に照らし合わせて答えてみな。たった四人で、エルフと真正面からぶつかって勝てるかってーの。スクウェア・メイジ十人がかりで挑んでも怪しいもんだよ。

 ――悪く思わないでもらいたいけど、あのあと、一応あんたたちのことを軽く調べさせてもらったんだ。ついてきてた他のふたり……ミスタ・グラモンと、ゲルマニアのミス・ツェルプストーについてもね。土のドットに、火のトライアングルか。それプラス、魔法をすべて失敗する『ゼロ』のルイズに、平民の剣士。どう考えてもエルフ相手に勝ち目のある布陣じゃないね。

 それなのに、あんたらは勝った。お強いお強いビダーシャル卿に油断があったのか、それとも並々ならない奇跡的な運がはたらいた結果なのか? ……ううん、きっと何か、エルフの先住魔法を打ち倒すだけの必然的な理由があったはずだ、とあたしは確信しているよ。ハルケギニアの常識を覆す、とんでもない切り札を、あんたらは持っていたんだ。

 そしてそれは、今回の対アルビオン交渉でも利用することができるものなんだろう――少なくともトリステイン王室はそう判断して、マザリーニ枢機卿の外交団にあんたらを組み込んだ。

 地位とか身分じゃない、エルフを倒し、外交でもカードとして使用できる……おそらく抑止力として……それはきっと純粋なパワーだ。

 ルイズ・フランソワーズ。サイト・ヒラガ。あんたらは何を持っている? 素直に気軽に、口を滑らせてくれると、あたしすっごく助かるんだけどねえ」

 ――正直なところ、私もそれには興味がある。

 ルイズたちには、明らかに他の誰にもない秘密がある。ジョゼフが私に、ふたりの拉致を命じたことからもそれがわかる。ただ、私への嫌がらせのために、私と交流のあった人をさらわせようとしたのであれば、その対象にはきっとキュルケが選ばれていたはずだから。

 ルイズとサイトを、じっと見る。イザベラも、異端審問官のような鋭い目で、彼らを睨みつけている。

 ガリア王族ふたり分の眼差しを受けて、プレッシャーに耐えかねたのか、それとも受け流してはぐらかそうとしたのか。ため息混じりに言葉を返してきたのは、サイトの方だった。

「いや、悪いけどさイザベラ。それは誰にも話さないようにって口止めされてるんだよ。

 ルイズの系統は、アルビオンを降伏させる切り札になる情報だから、もし人づてに話が広まったら効果が薄れるってさ。だから話せな――」

「でりゃアアアアァァァァ――ッ!」

 裂帛の気合いと共に放たれたルイズの裏拳が、サイトの鼻っ柱をドグシャアと打ち砕いた。

 椅子に座ったまま、後ろ向きに倒れるサイト。鼻血を噴き出し、「おぶぅーっ」と切ない悲鳴を上げながら、床を転げ回って悶絶するサイト。その様子に同情のカケラも見せず、苦しむ彼に飛びかかって、流れるような手際のよさでヘッドロックを極めるルイズ・フランソワーズ。

「ナニ言われた通り素直に気軽に口滑らせてんのよ! 口止めされてるって言葉の意味、勉強し直してきなさいよこのバカ犬!」

「え、ちょっ、ちょっと待ってルイズ、俺なんか変なこと言った!?」

「言ったわよ! 堂々とさらっと言ったわよ! 私の系統がどうとか意味深かつあからさまなことを!

『偽の虚無で国をまとめてるアルビオンに、本物の虚無の存在を突きつけることはそれだけで爆弾のような効果をもたらすから、オリヴァー・クロムウェルに会うまで、情報を厳重に秘匿しておくように』って、マザリーニ枢機卿とアルブレヒト閣下に注意されたでしょ! このバカ! このバカ! このバカ!」

「ああぁ〜やめてやめて絞めないで痛い痛い! 顔に当たる感触が平たい! 顔に当たる感触が平たい!」

 どっすんばったんと、多種多様かつ夢のような関節技の数々でサイトを折檻するルイズ。主が使い魔に対してするにしては、あまりにも派手でやかましい躾だ。

 それを見下ろす私とイザベラは、逆にとても静かだった。ルイズたちの漏らした情報は、トリステインとアルビオンにとってだけでなく、我がガリアにとっても、いや、ハルケギニア全体にとって重大極まる意味を持っていた。

 失われた系統、虚無の本物――その情報をアルビオン攻略の武器にする――この交渉計画の背後には、マザリーニ枢機卿だけでなく、ゲルマニアのアルブレヒト三世もいる――?

 壮大で強力、かつ複雑なパワー・バランスの上に成り立つ計画が進行している。ガリアはその中で、どのような役割を振られている?

 すぐに結論を出すには難し過ぎる。まさに大事だ。このトリステインの交渉計画について、我々がどういうスタンスを取るべきか、外交の担当者であるヴァイオラと、今すぐにでも相談したい。

「……あー。どうしようかね、シャルロット」

 イザベラも、困惑を隠しきれない様子で、頭を掻きながら問いかけてきた。

「ホントにどうしよう。この子たち、こっちが心配になるぐらいすごくバカだよ……」

 危惧すべきはそこじゃない。

 


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