艦娘は、基本的に鎮守府の外に出ることは少ない。いつ深海棲艦が出現するかわからないからだ。休暇を取ったとしても、横須賀近辺から離れることはできない。
そのために、鎮守府内には艦娘が快適に過ごせるべく、様々な施設が併設されている。
ここ、大浴場もその一つだ。
「ふんふ~ん♪ 晩御飯は何を食べようかな~すき焼きもいいし~天ぷらもいいし~お寿司もいいですね~♪」
その大浴場で、正規空母の赤城は音程を外した自作の歌を歌いながら服を脱いでいた。
赤城はよく食事をする。暴食と言っても過言ではないぐらいに。常に何かを食べているのが赤城だ。
だというのに、赤城は完璧なプロポーションを維持している。出るところは出て、引っ込むところは引っ込む。赤城自身は特に何もしていないのだが、自然とこの体型になっているのだ。
「おや、あれは?」
赤城の視線の先には、一人の少女がいた。
「うわ……ちょっとありえないんですけどー……」
脱衣場でタオル一枚になっている少女は、その顔を青ざめさせていた。
少女の名は、鈴谷。航空巡洋艦娘だ。
(何やってるんでしょ?)
赤城はこっそり鈴谷の様子を観察する。
(ははぁ、なるほど)
鈴谷の足元には、体重計があった。顔を青くしていたという事は、体重の増加で悩んでいるのだろう。
しかし鈴谷のスタイルは悪くない。胸部装甲は分厚いものの、他の部分に余分な肉付き
は一切ない。
「タオルの重さ……無理すぎるか」
どれだけ重いバスタオルだというのか。
鈴谷の髪は濡れていないので、入浴前。入浴して体重が重くなったわけでもない。
つまりこの体重は、厳然たる事実ということだ。
「マズったな……正月だからってだらけすぎた~」
普段の訓練量ならカロリーも消費されるのだろうが、正月で訓練もいつもより軽めになったのが原因だろう。
「そんなに気にしなくてもいいんじゃないですか? ちなみにどれぐらい増えたんです?」
「いや~二㎏増なんっすけどね……って赤城さん!?」
「こんばんは~鈴谷さん」
ビクゥ! と驚いた鈴谷に、赤城はにこやかに挨拶をする。
「ち、ちーっす、赤城さん」
鈴谷は戸惑いながら、挨拶を返す。
「鈴谷さんスタイルいいんですから、体重なんてそんなに気にしなくてもいいんじゃないですか?」
「気にするって……乙女にとっては一大事なんだから。太るなんて嫌だし。今日からダイエットしないと」
「ダイエットですか」
ダイエットと言えば、食事量の制限。赤城には一生縁のない言葉である。
「それより赤城さん、ご機嫌じゃん。何かいいことでもあった?」
「あ、わかります?」
思わず、顔がにやけてしまう。
「そりゃあそんだけ機嫌良さそうだったらわかるって。で、何? ブランド品のバッグでも手に入った?」
「は? バッグ?」
赤城は不思議そうに首を傾げた。
はて? バッグとは食べれただろうか? 確かに上等な革製品はよく煮れば食べられるし、戦地では食糧が無くなった時の最終手段として食べることはある。しかし決して美味しい物ではない。いくら赤城でも、バッグを食べたいとは思わない。
「違いますよ。卵ですよ卵」
「は? 卵?」
今度は鈴谷が不思議そうに首を傾げた。卵で何を喜べるんだ? という顔をしている。
「卵って、鶏の?」
「そうなんですよ! 今日ですね、農家の人から産みたて卵を一つ貰っちゃいましてね。それをなんと、温泉卵にしてるところなんですよ!」
この鎮守府の大浴場は、地下の温泉水を利用している。源泉に卵を入れておけば、半熟トロトロの温泉卵の出来上がりだ。
「はぁ、温泉卵……」
鈴谷の反応は薄かった。
なぜだ? ありえない。温泉卵の美味しさといったら最早芸術的の域にあるのに。温泉卵を食べたくない人間がいるか? いやいない!
(はっ!? ひょっとしてこれは……)
一つだけ、考えられることがある。
「鈴谷さん、温泉卵を食べたことがないのですか?」
「え? いや、そりゃ一度ぐらいはあるけど」
「なるほど……つまり鈴谷さんは美味しい温泉卵を食べたことがないんですね」
「なんでそうなるの!?」
「わかりました。断腸の思いですが、温泉卵を……一口分けましょう」
「……普通そこは半分とかじゃないですかね~」
卵はたった一つしかない。たった一口でも、赤城にとっては清水の舞台から飛び降りるに等しい行為なのだ。
「いや、ていうかさ、私ダイエット中って言ったよね? 卵なんてカロリーの塊はマジ勘弁なんですけど」
「そうと決まれば善は急げです。ちょっと待っててくださいね、温泉卵取って来ますので」
「話聞いてよ!」
鈴谷の困惑する声を背に、赤城は素早く服を着て、地下の源泉に沈んでいる卵を取りに行く。食べやすいように、途中で小皿と竹のスプーンを持ってくることも忘れない。
「お待たせしまた! あれ?」
脱衣場に鈴谷の姿は無かった。
「むむ?」
赤城は浴場をのぞき込むが、そこにも鈴谷の姿はない。だとすると……サウナ室だろうか。
「いましたいました!」
サウナ室に、バスタオルを巻いた鈴谷が一人で座っていた。
「げっ……」
「ほらほら! 温泉卵持ってきましたよ! さあ食べましょう!」
「いや、あの赤城さんマジで遠慮したいんすけど」
「ほら、小皿と竹のスプーンも途中で貰ってきたんですよ。一緒に食べましょう」
「赤城さん全部食べちゃってよ。私の分まで」
「うぐぅ……そ、そうですか?」
せっかく持ってきたのに食べてもらえないのは悲しいが、そこまで拒否するのなら仕方ない。
「じゃあ、いただきます!」
卵を割って、いい感じに半熟になった卵を小皿に入れる。本当なら出汁汁や醤油を入れて食べるが、今回は新鮮な卵を味わうので余計な調味料は一切使わない。
まずは、白身だけを味わう。
「んふ~♪ いいですね~この半熟感」
白身が舌の上で踊る。
「次は黄身を~♪ んふふ~♪」
トローリとした濃厚な黄身の味が、口の中に広がる。白身と黄身が口の中で混ざり合い、お互いがお互いの味を高め合っていく。
「トロトロですね~♪」
この半熟卵と同じく、身も心もとろけてしまいそうになる。
結果的にだが、やはりこれは一口たりとも他人に渡したくない味だ。鈴谷が遠慮してくれて本当によかった。
「ゴクリ……」
鈴谷の唾をのみ込む音が聞こえた。
「あ、あのー赤城さん。ちょっと一口だけ、いっすかね?」
「……は?」
「いや、なんか赤城さんが凄い美味しそうに食べてるんで、ちょっち食べてみようかな~って」
「……あ、ど、どうぞ」
最初に一口食べさせてあげると言った手前、断ることなど出来ようはずもない。
赤城は目に涙が浮かぶのを感じながら、最後の一口を鈴谷に捧げる。
「うわっ!? 何これめちゃウマじゃん!」
まあ、いいか。これだけ喜んでもらえたんだから。
今度は百個ぐらい温泉卵を作ろう。赤城はそう決心して、サウナの熱さに身を任せた。