「んふふ~♪」
赤城はご機嫌であった。
それもそのはず。赤城が今いる場所は、横須賀鎮守府近郊のラーメン屋。それも一時間並ばないと食べられない、評判の店である。
入店まで、あと一人。
(しかし妙ですね?)
評判の店だが、店から出てくる人の顔は明るくない。美味しい物を食べれば、笑顔になるのが人間なのに。
ひょっとすると、それほど美味しくないのだろうか?
そして十分ほど経ち、赤城はようやく入店することができた。
「なんですかこれ……」
十人ほどが座れる店内には、びっしりと張り紙がしてあった。『私語禁止』『スープ飲み残し罰金』『最初にスープを飲まない方は退店』『二十分以内に食べ終え退店せよ』と、高圧的な注意書きで壁が埋め尽くされていた。
「そこ、早く座って!」
「あ、はい」
店主と思わしき禿頭の男に怒鳴られ、赤城は席に着く。
「それじゃあ、チャーシュー麺を」
「お嬢さん、困るねぇ」
「はい?」
禿頭の男は渋い顔をして言う。
「こっちが注文聞いてから聞くのがマナーってもんだろ」
「す、すいません」
「ったく。気をつけてね」
「……はい」
赤城は内心で怒りを押し殺した。ここで怒って店主を殴り飛ばすのは簡単だが、艦娘が一般人を殴り飛ばしたりしたら大問題である。
(大丈夫、私は大丈夫です。鳳翔さんの地獄の訓練を思い出せば……)
鳳翔の訓練は過酷で、理不尽だった。少しでも失敗があれば走らされ、姿勢が悪いと走らされ、やる気が見えないという理由で走らされ、頬にご飯粒がついていると走らされ。
(あれに比べればこれぐらい……)
よし、少しだがこのラーメン店に対する怒りが収まってきた。代わりに鳳翔への恐怖が蘇ってきたが。
「はい、お待ち」
ドンッ! と赤城の前に丼が置かれる。その際、少しスープが零れてしまうが、禿頭の男は謝りもしない。
チャーシュー麺はシンプルなものだった。具は薄いチャーシュー六枚に、もやし、青ネギ。スープは濃厚な豚骨だ。
「……いただきます」
こんなイライラした気分で「いただきます」を言うのは初めてだ。いつもは料理を前にすれば幸せな気分になるのに、今回は微塵もそんな気分になれない。
麺を「ふーふー」と冷まして口にする。
(……微妙な味ですねぇ)
不味いわけではない。だが、並んでまで食べたいか? と言われると、答えは否だ。
(お客さんの回転数上げたくて、茹で時間が短くしてるんですかね。具材もなんだか美味しくないですし。豚骨スープもなんだか臭いですよ。これ、血抜きと灰汁取りしっかりやってないですね。それに野菜の鮮度全くないですよこれ)
昔は美味しかったのかもしれない。だが客が並び、偉くなったと錯覚して、料理に手を抜くようになってしまったのだろう。
できるなら、有名になる前に来たかったものだ。
「ちょっとあんた! 何で先に麺食べてんだ!」
「え?」
突然、禿頭の男から怒号が飛んできた。
「これ見えないの!?」
禿頭の男は、張り紙を指す。そこには『最初にスープを飲まない方は退店』と書かれていた。
(私がどんな食べ方しようと勝手でしょう!?)
赤城は怒鳴り返したかったが、艦娘として、軍属として、最大限の自制心を働かせて耐えた。
「すいません……」
「もう出てって!」
「そ、そんな!」
まだ一口しか食べてないのに。
「こっちはね、真剣に、命かけてラーメン作ってんだよ! あんたのように適当に食うヤツには、うちのラーメン食う資格はない!」
「…………そうですか」
赤城はゆっくりと立ち上がり、丼を手に持つ。
禿頭の男は身構える。丼を投げつけられるとでも思っているのだろう。
だが赤城はそんなことはしない。出来ない。食べ物を粗末にするなど、論外である。
赤城は大きく口を開けて、ラーメンを口に流し込む。咀嚼せず、飲み込む。
五秒もしないうちに、丼は空になる。
店内の全員が唖然として、静寂が店を支配する。
「ごちそうさまでした!」
丼と代金をカウンターに叩きつける。丼とカウンターに少しヒビが入ったが、些細なことだ。
店外に出ると、冷たい風が赤城を出迎える。冷たい風は、赤城を少し冷静にしてくれた。
「なんだかなぁ……」
食事とは楽しくあるべきなのに、なぜ不快な気分にならなければいけないのか。
真剣に食べる必要はどこにもない。料理人と客との真剣勝負なんて意味がない。美味しく、笑顔で食べることが一番重要な「食」への礼儀だというのに。
「でも、最後の態度は反省ですね」
いくら頭に血が上ったとはいえ、あのような態度は艦娘として失格だ。
「……今度、摩耶ちゃんと霧島さん連れて来ましょうかね。あとは海軍の男の人、何人か連れて来ましょう」
うん。この布陣ならば、今度は平和にラーメンを食べられるだろう。
もう一度食べたい味ではないが、一度ぐらいはゆっくり食べてもいい。
「うん。ちょっと楽しみになりましたね」
少し肌寒い風の中を、赤城は軽い足取りで鎮守府へと戻った。