東方狸囃子   作:ほりごたつ

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それじゃ始めますね なんて事はない


第九十一話 始まりは突然に

 曇天模様の空の下それほど広くない湖を湖畔にそって歩いている、遠くに見える赤いお屋敷、歩いて近づくにつれて見慣れた門番の姿も大きくなるが今日の目的はここじゃない。

 お屋敷の正面を歩き去ろうとした辺りで、この時間なら深い瞑想に入っているはずの門番が珍しく起きていて、あたしに向かい手を振っているのが見えた、大きく振られるその手に合わせて小さく手を振り返す。手を振るだけで近寄らないあたしの姿を見て次第に振りが小さくなる門番の腕、今日は来ないと察したらしい。ここに入れば楽しく過ごせるが一日潰れてしまうのが難点で、今日の尋ね人に会えなくなると考えて惜しむように手を振り屋敷の前を歩き去った。

 

 次に大きく見えてきたのは朽ちかけて崩れそうな洋館、そう言えばここの姉妹に演奏のお礼を言えていないなと朽ちている門戸を見て思い出す。出来れば三人揃っている時にと考えていたが、姉妹の内の誰かにでも会うことがあればその時に伝えておこう。ついでにまた演奏が聞ければありがたい。

 

 ちんたら歩いて次に目に留まるのは小さなかまくら、かまくらと言っても雪の振るような季節ではないしこれも雪造りといったものじゃあない。氷で作られたかまくらで随分と涼しそうな造り、住んでいる妖精も涼しそうな輩だし真夏の昼に訪れて涼をとるのに良さそうだ。

 残念ながら住まいの主はおらず何処かへ遊びにでも行っているらしい、会ったところで楽しくお喋りが出来る相手とは言い切れないし、無駄な弾幕ごっこをふっかけられるのが目に見えるので、遠巻きに眺めるだけにして足早に立ち去った。

 

 聞いた話ではそろそろだと思うのだが、そう考えているうちに目的地へと着いたらしい。湖の水面から少しだけ突き出た小さな岩場、湖底から山のようになっている岩場の上が今日の尋ね人の定位置らしい。

 思い出したように唐突に訪れたが不意に思い出してそういえばとここに来てみた、少し前まで毎日色々とひっくり返されていたが天邪鬼本人と会ってからはひっくり返されることがなくなって、その後に自分でひっくり返して割った自分の湯のみ、代わりの物を買ってこようと人里に出た時に見かけた赤と黒。赤いマントを小さく揺らして歩いている、首の座りの悪そうな赤い頭を乗っけた人里に隠れ住むろくろ首を見て思い出した、そういえばまだ霧の湖担当のところへは会いに行っていなかったなと。

 思いたったが吉日とすぐに帰って荷物を置いて、竹林の何処かでぶらついているはずのご近所狼を探してみた。すぐに見つけた狼女、手を振り声をかけて残る一人の草の根仲間について少し話を聞いてみた。狼女から聞くことが出来たのは彼女は人魚だという事と見た目美味しそうだという事、自分の仲間をつかまえて美味しそうだというのはなんだと問いかけてみると、間違えて食べそうになった事があるんだそうだ。物理的に食べそうになったのか比喩として食べそうになったのか、日の高い時間に捕まえた狼女に聞くのも野暮かと思い深く追求しなかったが、どちらにしろ美味しそうなのを探せばいいとわかり、簡単な謝辞を述べて湖へと向かい動いた。 

 

 言われた通りの場所に着いたが美味しそうな者はおらず、運でも悪かったかねと羽織っている開襟シャツを脱いで大きく伸びをした。まだ真夏とはいえない梅雨の晴れ間くらいの頃合いだが、歩みを止めて風が切れると急に暑さを感じるくらいの気温ではある。

 脱いだシャツを片手で抱えてどこぞの巫女達のように脇の空いたインナー一枚になると随分と過ごしやすい、お日様の見えない曇天模様なのも上下黒な自分には有りがたく余計に過ごしやすいと感じられた。尋ね人がいないからやることもなく、すぐ近くの木陰で休んで尋ね人の帰りを待とうと、天気次第では日陰になるだろう辺りに入って横になり、腰にぶら下げたバッグから葉と愛用の煙管を取り出す。

 

 一度買って葉を入れてから一切減らない便利なバッグ、良い物を貰えたと確認するように一無でして革紐の封を解いていく。中を見もせず指で摘んで葉を取り出し、手の平で纏めて転がしながら火をつけた。手の平で熱くないんですかと聞いてきたのは誰だったか、些細な会話で相手を思い出せないが友人の中には全身燃えても熱そうな素振りを見せない人間もいるし、そいつに比べたらこのくらいの火種は熱い内に入らないものだろう。

 小さな煙を上げ始めてくすぶり始めた火種を、慣れた手つきでポンと浮かせて少し長めの煙管で受ける、深く一息吸い込んで肺の空気と入れ替えていく。ただでさえ体に悪い物、完全に空気と入れ替えると余計に体に悪いと考えて程々の所で吐き出して、自身の周囲に煙を漂わせる。

 こんな風に煙を纏っている者に向けた言葉をいつだか風祝が教えてくれた、外の世界ではあたしのようなタバコ中毒者をチェーンスモーカーというらしい、つけては消してを繰り返し常に煙に巻かれている様な者を指す言葉。外の世界の言葉って事は人間に対して言う言葉だと思うが、妖怪のあたしなら兎も角唯の人間が空気代わりに常に吸っていたら本格的に体に悪そうだ。気持ちはわかるが程々に、顔も知らず世界も違う同じ愛煙仲間に向けてよくわからない助言を言ってみた。

 誰に向けたものでもない言葉のはずだったのだが思いがけないものが返ってきた、なんの注意?

 澄んだ声色で返ってきた問掛け、この声の主が尋ね人かなと、体を起こし周囲を見ると岩場の上に見知らぬ少女が腰掛けていた。

 

「なんについて程々にしたらいいんでしょう?」

「唯の独り言だったんだけどそうね、盗み聞き、そう答えておくわ」

 

「戻ってきて休んでいたら聞こえただけですよ? 盗み聞きしたわけではないんです」

「咎める気はないから安心して頂戴、独り言のつもりだったと言ったでしょう? 今泉くんのお友達でいいのかしら?」

 

「今泉くん、本当にそう呼ばれてるんですね。影狼が文句を言っていますよ?」

「近所なんだから直接言えばいいのにね‥‥お名前くらい聞きたいのだけれど? あたしの事は知っているみたいだし」

 

「これは失礼しました、わかさぎ姫と申します、よろしくお願いしますね? 囃子方アヤメさん」

「すでに知られているけど一応ね、囃子方アヤメ。聞かされている通りの可愛い狸さんよ」

 

 スカートの腿辺りを摘んで広げるように持ち上げる、そのまま頭を垂れて瀟洒に挨拶してみせると手の甲で抑えて小さく微笑む人魚のお姫様、姫と言う割にはお付の物もお供も連れておらず一人で不用心な事だ。しっとりとした濡れ髪が張り付いて色香を感じるが表情は色香よりも可愛らしさを見せる半分少女。

 上半身はフリルの付いた浅葱の着物を着ていて少女らしいが下半身はそのまま魚、聞いた通り人魚の姿で出歩くには不便そうな姿だ。同じ妖怪仲間だが姿形が随分と違っていて、その違う辺りをよくよく見つめていると足ひれを動かし小さな水飛沫が飛ばされた。

 

「女性の足をそう見るものではありません」

「失礼お姫様、やんごとない御方の生足なんて‥‥たまには見るわね」

 

「え?」

「大昔からお姫様してる友人がいるのよ、風呂上がりやらに偶に見るの」

 

「ええと、それで?」

「あぁ気にしないで、考えがあっちこっちにいくのが性分なのよ。少し変わってるくらいで視てもらえると嬉しいわ」

 

「フフッ影狼から聞いてますし、取り繕ってもらわなくても大丈夫ですよ」

 

 無邪気な笑みと小さな笑い声を見聞きさせてくれる湖の姫、取り繕ったわけではないがそう感じるとは‥‥今泉くんから何をどう聞いているんだろうか。碌でもない事を言っているのなら後で一言くらい言わねばならん。

 二度目の火種を煙管に落として姫の座る岩場に向かい、ブーツを脱いで膝から下を湖に浸した。水遊びするには少し早い季節でまだまだ水は冷たいがそれが歩いて少し蒸れた足には心地よく、先ほどやられたお返しにと湖面を蹴り小さな水飛沫を飛ばしながら、狼女から何をどう聞いたのか姫に問いかけてみた。

 

「可愛らしい狸さん以外に何を聞いてるのかしら?」

「気になりますか? そう悪い事は聞いていませんよ? 夜雀に言い負かされる化け狸なんだとか、そんな夜雀の耳を弄って楽しそうに笑っているとか、それくらいです」

 

「今泉くんにしては正しく伝えているようで、なによりね」

「あら、影狼は素直な正直者ですよ。囃子方さんのように捻くれてはおりませんわ」

 

「初対面で辛辣ね、本当は怖い狸さんかもしれないのに」

「正直お話するまではそう考えておりました、でも影狼から聞いた通りで安心してしまいまして、ついつい‥‥気に障ったなら謝ります」

 

 両手を揃えて頭を下げてくれるわかさぎ姫、ちょっとくらいの軽口で怒るほど狭量ではないから気にしないが、悪いと思ってすぐに頭を下げた相手に言い繕っても仕方がない。

 あたしは気にしないから姫様も気にしないでと面を上げてくれるようにお願いすると、ゆっくりと姿勢を戻していく。もう少し気安いとやりやすいと思って何か追加で言おうとしたのだが‥‥正邪に言われた事を思い出し、こうなっても仕方がないのかと言おうとした言葉を飲み込んだ。

 したいことをしたいようにするのを変えたり曲げたりする気はないが、まだ良く知らない相手にそうしてみて、嫌われたりすればその後がなくなる。狸らしく自分を騙すのも覚えないとな、そんな事を考えながら改めて人付き合いの難しさを思い知る。

 

「付き合いって難しいわね」

「急にどうされたんですか?」

 

「面白い相手なら近寄りたいけど、いきなり近寄るとこうなるじゃない?距離感って難しいなと」

「面白い事なんて私言いましたっけ?」

 

「初対面で辛辣な言葉を吐く人魚姫、結構面白いわ」

「それは‥‥影狼が楽しそうに話すので、勝手にそう接してもいいと思い込んでいたみたいです。おかしいですね‥‥普段ならこんな風に言ったりしないのですが‥‥なんだろう?」

 

「また謝ったらそれこそ怒るかもしれないわよ? 頭の天辺見て話すより可愛い顔見て話した方がいいわ」

 

 頭の上に? を浮かべて斜め上を見ている人魚、では謝りませんと言ってくれるのはありがたい、これくらいに気安いほうがあたしの好みで気楽に感じる。それでも相手に無理強いしているようで若干心苦しくて、またも天邪鬼の顔がちらつく。

 正邪に対して開き直ったからか、その気なくとも上から目線と言えるような事をすると少しだけ気にしてしまう。これくらいなら言っても大丈夫かと考えてしまって歯切れが悪く、モヤモヤとしていると岩場に座っていたはずの姫の姿がないのに気づく。

 水に入ったのか?

 それなら何かしらの音くらいしそうだが?

 周囲を見回してみても姫らしい姿はない。話している最中で何も言わずに消えるなんて‥‥小さくチャポンという音がした、音に気づき浸している足の方へと視線を映す、水面下に見えた顔と目が合った瞬間、そのまま湖へと引きこまれた、両足をとられ湖の底へと引っ張られていく。唐突すぎてさすがに驚いたがこのままではちとマズイ、泳げないわけではないがあたしは水の中だけは苦手なのだ。

 狸としては当然息が出来ず霧としては水に飲まれて混ざってしまうし、火が起きるわけがないから煙なんて立つことはない水中はちょいとばかり相性が悪いのだ。しかしこのまま底まで引かれては本格的にマズイ。会話出来て笑みを見せる相手だし友人の友人だからと油断していた。

 どうにか逃げようと足掻くも相手は水中に生きる者、力の発揮できないあたしではまともに抗う事も出来ず、最後に残った肺の空気をゴボっと吐き出して意識を湖の底へと沈めていった。






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