地底の鬼の頭目と地上の狸が町から出て行ってすぐ、後を追うように旧都の外れに出掛けた、ここ地底世界の代表はげんなりした顔で一人戻ってきていた。
地上からの使いがいると耳にして、様子を見に行った古明地さとり、出る際にもなにやらブツブツと言っていたが、戻っていく最中にも文句を言いながら住まいへ帰ったようだ。この覚妖怪だが、たまに町中で見かける時も一人で何かに文句を言いながら歩いている事が多い。それ故、あれはいつもの事なのだと、三つ目を見つめる住人達は誰一人として気にしていない。
そんな、後ろ指を指される事になれたさとりであったが、今日はいつもとは少しばかり違って、声が煩いとぼやく事よりも溜息が多いように感じられた。小柄な身体から目一杯の息を漏らして去る地底の管理人、その背をを見送った住人達はさとりの事など見なかったかのようにガヤガヤと、ああでもないこうでもないなんて囃子立てている。
――星熊の姐さんが帰ってこないな、どうしたことか。
――妙に仲よさげに歩きやがってあの狸、何者だ。
――話を盗み聞く限りあの二人旧知の仲じゃないか、姐さんあんなのが趣味だったのか。
――いやいや、狙いは狸の徳利だろう。結構な良品らしいぞ。
――あの狸どっかで見たような覚えがあるぞ。
――大昔の宴会であんななりの狸を見たような気がする。
耳につくのはこんな声。誰も彼もが好き好きに話し込み、自分の考えが正しいと言い合っているようだ。このまま言い合いが続けばちょっとした騒ぎになるのがわかる空気が流れる。
けれど実際に暴れ始める者はおらず、口を開く住人のほとんどは、話題の中心である星熊勇儀という鬼の事を気にして話だけであった。
ここ最近彼女が直接動く事はなかった。
大好きな喧嘩事も、少し眺めて興味がわかなければいつのまにかいなくなってしまうくらい。消極的というか、飽いているというか、少し冷めたような空気を纏っていた。そんな勇儀が自ら相手を捕まえて笑いながら喧嘩を売ったのが今日の先ほどだ、住人の注目を浴びないわけがなかった。
暫く話し合うだけの皆であったが、いつまでも戻らない鬼について話すのも次第に堂々巡りとなってくる。そうなると聞こえてくる言葉に罵倒が増えてきて、まもなく殴り合いが始まるかという空気も強まる。そんな荒い空気が好きな連中が、これは一騒ぎ始まるか、そんな風に思い始めた頃、鬼と狸が消えていった町外れから都に向かってくる影が見えてきた。
都に向かって来る影は一つ、のらりくらり歩んでくる。
――姐さんの歩き方にしちゃおかしいな、まさかあの狸やりやがったか。
――あの星熊勇儀がその辺のたぬ公なんぞにやられるわけがないだろう。
――大方取り上げた徳利を煽って酔っ払っているんだろう、そうにちがいない。
――あの姐さんが気に入る酒だ、俺もご相伴にあずかりたいもんだ。
住人達がああだこうだと予想を話していると、影が人として確認できる距離まで近づいたようだ。しかしその姿は住人の誰もが予想出来なかった姿だったようで、あれだけ騒いでいた連中が眺めるだけで何も言わない。
「ほら、きりきり歩いておくれよ。いい気分のうちに飲み直すんだ」
「地霊殿に呼ばれただろう、飲むのはその後にしておくれよ」
「あぁ、そういやうだったな。仕方ない、我慢するかね。筋を通して飲んだほうがすっきりしていいもんだ」
「そうだね、だから我慢しておくれよ姐さん」
こんな会話をしながら歩いてくる一つの影だった二人。住人達の視線を浴びながら地底世界の中心に向かって進んでいく。狸の頭を豪快に撫でくりまわし笑っては揺らされる星熊勇儀は、右足を本来曲がる方向とは逆に曲げ、左膝には拳よりも大きな穴がポッカリと口を開けさて、乾いた血が固まっていた。
そんな勇儀を尻尾に乗せる狸は、両腕を失い咥え煙管で歩いている。撫でくりまわされる度に血に染めた頭を振り、真っ赤に染め上げられた頭と勇儀の乗る尻尾をゆらゆら揺らす。
「わかったわかった、お前も付き合いなよ。良い喧嘩相手の次は良い飲み仲間だ、ついでにその徳利のも飲ませてみな」
「腕がないのにどう飲むのさ、口移しでもしてくれるの?」
「おう、望むならやってやろう! なんならそのまま布団でも構わんが?」
「それは周りのその辺のをとっ捕まえてよ、体力持たないわ」
周囲からの視線を気にする素振りもなく、仲の良い友人のような会話しながら旧都に向かう二人。両膝小僧と両腕という、変な所がない二人組が歩いて行く。
「姐さん、葉が燃え尽きた。もういいわ、持ってて」
「あいよ、腕失くして自分で使えないのにそれでもこんなもん吸いたいのかい?」
アヤメから預かった煙管を器用に、クルクル回しながら話す勇儀。
「中毒者だって言ったじゃない、姐さんだって腕がなくとも酒飲むでしょ?」
「ああそうだな、我慢できるもんじゃないな」
それこそさっきの口移しでもなんでも、その気になればどうにかしてでも飲むのだろう。気持ちのいい即答ぶりだ。
「そういうことさ。尻尾のお代だ、それくらいお世話してよ」
「座り心地も触り心地も上々だ、甲斐甲斐しくしてやるさ」
先程の豪快な撫で回しとはちがい、尻尾を繊細に撫でる。豪快な性格だが大事な物に触れているという気遣いは出来るようだ。そのまま目的地に着くまで互いの軽口が止むことはなく、二人組は地霊殿へと続く旧都の繁華街を抜けていった。
~少女達移動中~
「姐さん、これがその地霊殿? なんだか旧都に似つかわしくない小奇麗さなんだが」
正面に現れた洋館を見上げながら後ろの勇儀に問いかける。地上の世界よりも広いと言われる地底世界、その中心部に建っている、入り口上部のステンドグラスが目立つ巨大な建物、地霊殿。
「ああそうだ、さっきの古明地姉妹の住まいでここの中心さね」
「姉妹って事は何人か古明地はいるのか、会話のなさそうな姉妹で館の中は静まりかえってそうね」
数人のジト目が集まり、声もなく会話をしては表情だけが変わっていく。そんな状況を想像し、アヤメの表情が面白いものになった。
「そうでもないようだ、妹の方は心を読めないらしいし、あの姉の方はその妹の心が読めんって話だ。覚妖怪らしくない姉妹だわな」
「読めず読まずか、種族としての挟持はないのかね」
覚のくせに読めない読まないとは変わった姉妹だ。幻想郷の妖怪は種族としてのあり方をどっかに置いてきているのが少なからずいるな、なんて考えていると、
「人様の事を言えるような妖怪じゃないくせに何を言ってるんだかねぇ」
そう言うとあたしの頭を軽く小突く。
身内にやるように小突くもんだから頭が少し揺れて気持ち悪い。最近は人間を化かし驚かすなどしておらず、他人をどうこう言えるほど狸らしくしていないのがなぜわかるのか、この鬼はやはり厄介な相手だ。
「一応怪我人なんだし、加減はしてもらえると非常にありがたいんだけど」
「はっはっはすまないすまない、機嫌がいいとどうにもね。さ、いつまでも突っ立ってないで呼ばれてるんだ、中に入ろう」
促され入り口に向かう。
厚い玄関扉を飾るような造りの庭にはやたらと動物が多いように見られる。あそこはさとりの飼うペットで溢れててね、ちょっとした動物園みたいなもんだ。と道中会話にあったがなるほど、確かに動物園だ。あのやたら目つきの悪くてデカイ鳥とかなんて言うんだろうか?
その辺は後で聞くとして入り口を姐さんに開いてもらう、腕がないと色々と不便だ。どれくらいで生やせるだろうか、どこかで集中して妖気を練らないとならんかね。姐さんの方は寝てりゃ治るなんて言ってるが、あたしを鬼と同じように思ってもらっちゃ困る。姐さんほど頑丈に出来てはいないんだ、生えはするが時間がかかる。そう文句を言ってみたら済まなかったと笑われた。人様の腕ふっ飛ばしておいて楽しそうに笑うんだ、鬼が嫌われる理由がよくわかる。
「さて、呼ばれたはいいが‥‥何処にいったらいいのやら」
玄関フロアで立ち止まり建物内を一瞥する、正面には二階へと続く階段、手すりが灯りを反射してキラリと輝く。常に掃除され磨かれているようだ。
左右には奥へ続くのだろう廊下が延びており、先で曲がっていて突き当りはわからない。品の良さが感じられる程度の少しの壺や絵画等も飾られ景色の一部として馴染んでいる。あの紅いばっかりのお屋敷の主が見たらなんというのだろうか?
そんな風にを眺めていると、どこから出てきたのか一匹の猫が寄ってくる。尻尾が付け根から割れて、その二本ともを揺らしながらこちらに歩き寄ってきた。人慣れして懐っこいのか、警戒心が薄いのか、見知らぬあたしに敵意を見せずに近寄る四足。
「猫又かい? あんたの主はどこかね? 案内してくれると助かるんだが」
言ったことを理解しているのかいないのか、顔をスネにこすりそのままあたしの足元を八の字周るだけ。一周すると満足げなニャアを聞かせてくれて、こちらを見上げ座り出す。
「猫被ってないで正体見せな、取って食うよ」
猫に猫被るなんて姐さんにしては洒落た物言いだ、と思っていたら、言われた猫が一瞬毛を逆立て後ずさるが、逃げ出しはせずに恐る恐る姐さんを見上げ、少しの妖気煙と共に猫が人型をとり勇儀に泣きついた。
「食うなんて恐ろしい事言わないでおくれよ勇儀さん、ちょっと甘えてみただけじゃないか」
焦りを隠さず涙目で姐さんに懇願する猫又。
尾っぽの毛を逆立ててすぐにしょぼくれる姿が中々可愛らしくて何も言わずに見ていたが、これでは話が進まない。焦る猫又を落ち着かせるようにゆっくりと宥めるように話しかける。
「なんだい、話せるんじゃないか。それなら早い所お前の主人に取り次いでくれよ、さっさと済ませて腕に集中したいんだ」
今はない腕の辺りに目配せをし要件を伝えてみるが、目を輝かせて口を開いた猫又からは期待していた答えとちがった言葉が返ってくる。
「あたいは猫又じゃあないよ狸のお姉さん、あたいは火車さ。それよりお姉さん腕を失くしたのかい?そいつは大変だ、一体どの辺で落っことしたのさ、あたいがすぐに拾ってきてあげるよ!」
「腕だったものなら外のどこかで飛び散ってるよ、この後ろの人のせいで腕の形はしてないと思うけど」
チラッと肩上のを見てみるが、気にすることはなく微笑んでいる。言われた嫌味に対し少しは嫌な顔でも見せたらいいのに。
「狸のお姉さん、勇儀さんとやりあったのかい!? それで無事なんだ‥‥お姉さんもおっかない妖怪だったのかい!?」
今度はこちらを見ながら少し怯えた表情をする猫又。
あちこち見て忙しいな、猫だから気まぐれなのかもしれないね。鬼を見ていた瞳のままで、まるで同じモノを見るような悲しみたっぷりの顔であたしを見つめてくれる。が、一緒にされるのは心外だ。少し弄って違いを教えてあげよう。
にやにやと何を言ってあげようか考えていると、奥の扉が開く。
「あまりペットをいじめないでもらえますか、動物は愛でるものですよ」
ようやくここの主が出てきた、呼びつけておいて出迎えもなし。それどころか居合わせたペットをからかった事に対し文句を言ってくるとは、中々肝が座っている。
「身内の危機を助けただけです、貴方のように鬼と喧嘩するような肝っ玉はありません。お燐、お茶を客間に。急がなくてもいいからね」
ペットにそう申し付け先に歩き出した。
「ついて来てください、客間に案内します。話はそちらでしましょう」
~少女移動中~
黒と赤の床が続く廊下を歩き、さとりの後をついて行く。
少し進んだ先の扉でさとりが止まりこちらへと促す。住まいの主が先に部屋へ入り扉を開くと、中へと招き入れてくれた。ああそうか、今あたしは扉を開けられなかったか。会話を楽しむような社交性は見えないが、意外と気遣いは出来るんだな。これでもう少し可愛げがあれば、友人の一人も出来そうなものなのに。
「さすがにそれくらいの心得はありますよ。客人に対しては、ですが。頭の中を好きに覗かれて尚好意を向けてくるような奇特な友人を欲しいとはあまり思いませんね。勇儀さんも、甲斐甲斐しいのは私より貴女です、からかわないでください」
なるほど、姐さんも同じような事を考えていたわけか、そう思い斜め上を見上げると目が合い、お互いに小さく笑った。
「覚の前で奇遇だなと笑い合わないでください、もう少し畏怖して欲しいですね。貴女方の考えていること全て、私に読まれてしまっているのですから」
触手から伸びている三つめの目を両手で囲む、何か見透かすような仕草をしつつこちらに何か言ってくる少女。畏怖はともかく、騙しネタを試される前からネタバレされるのは面白くはないだろうな。これから何をされるのかワクワクすることすら出来ない、なんでもわかって便利そうだが少し勿体ないね、なんて思ったところでちょっと試してみたくなった。
あたしの心が読めるというさとりの当たり前の意識を逸したらどうなるのだろうか?
「覚をどうやって騙すか考えるだけの者はいましたが、そういった考え方をする人はいませんでしたね。後、逸らすとかやめてもらえませんか?なんかあったら困りますし‥‥ってはぁ……もうやめてください、どうなるかわかりましたから」
惜しい、読めないってわけではないか。ならどうやってペテンにかけるかね?思ったとおりに口に出しそれでどうにかちょろまかす?
いやいやそんなに器用に出来そうにはない。
「それでどんな風に読めるの? 後学の為に聞いておきたいわ」
「どうにかして騙そうというところは変えないんですね‥‥で、能力ですが結果だけ言うとアヤメさんの心が読みにくくなりました」
読みにくく?
普段がわからんから読みにくいと言われても思いつかないな。
「何というか、同じ内容が周囲の色んな所から輪唱して聞こえる。そんな感じです」
ああなるほど、つまり。
「ええ、五月蝿くなりました。一人の思考で騒がしくなるのは初体験ですね、ちょっと気持ち悪いです」
それを聞いた鬼が腹を抱えて笑い出した。今まで神妙にしていたくせにそういうところだけ大騒ぎとは、鬼が嫌われるのがよぉくわかる。何かこう、鬼にしろ覚にしろ地底の妖怪はこういう失礼な輩しかいないんだろうか。いや、土蜘蛛は気安かったか、橋姫はつれない素振りだったけれど。
「一緒にされるのはイヤですね、私はデリカシーを持ち合わせていますよ」
「なんだい、それじゃあたしはデリカシーのない雑なやつみたいじゃないか」
あたしとさとり、二人が無言で見つめると直近の話で大笑いしていた鬼の大将が何か一人で呟き出した。もう面倒だし、放っておこう。
煩い御大将は置物くらいに見ておいて、そろそろ本題に入るとしようか。色々あって目的をうっすら忘れていたが、これを済まさないと地上に帰ってから何を言われるかわからない。
「地霊殿の主古明地さとり、貴方に妖怪の賢者八雲紫からの言伝がある」
「改まって言われずとも‥‥形式って大事ですもんね、はい。伺います、言伝とはどういったものでしょうか?」
「楽しめているかしら?」
「そうですね、それなりには」
この娘もそれなりには楽しんでいるのか、意外と万人受けするルールなのかもしれないね。まあやるより眺めて酒でも飲んでいる方が楽しいと思うが。
「お酒はともかく眺める方には同意出来ますね。さて、お燐が盗み聞きを始めて結構な時間が経たちます。お茶が冷めきってしまう前に振る舞わせてください」
扉の向こうのお燐に呼びかけると、尻尾を踏まれた猫のような鳴き声と茶器が割れるような音がしてさとりは眉間を抑える仕草をした。
~少女帰想中~
「はぁ、アヤメさん大変だったんですねぇ」
話を聞き終えたミスティアの第一声はそれだった。
それなりに楽しかった出会いや怖かった出来事、厄介な輩の事を話したつもりだったが理解されなかったのだろうか、ミスティアの感想は少し拍子抜けした感想で終わってしまった。
「アヤメさんそれからどうしてたんです?」
「どうって血達磨になりかけたからね、地霊殿で温泉入ってさ、その後は姐さんに拉致られて次の日まで飲み通しよ。そういえば、寝れば治るなんて言ってた癖にさ、宴会場ではもう伝い歩きしてるのよあの人、どんな体してるのか‥‥ついていけないわ」
「星熊さんも気になるんですが、別の所の方が気になるんですよ、腕生えるまでどうしてたんですか」
「ああ‥‥それは‥‥」
話題に出たのでついつい横目で見てしまった。
すると、あの頃を懐かしむように、どこぞの誰かに似た薄笑いを浮かべていた九尾と目が合ってしまう。
「アヤメ、あ~んだ、あ~ん」
あたしの腕に自分の腕を絡ませ科を作り妖艶に笑う。そのまま顔を近づけて料理を薦めてくる藍‥‥この狐狙っていたな、絶対に狙っていたな。
普段は見せない艶っぽい笑顔なんか浮かべてこんなコトするとは‥‥変な所だけスキマに似ているのは一体どっちの方なのか。
「やっぱり挙式が決まったら教えて下さいね」
可愛い笑顔を見せてくれるのは嬉しいのだが‥‥藍と二人で本気で化かしてやろうか。
〆〆〆
約束通り、帰宅後は自宅で過ごしていた。
暫くして八雲の狐が使いに現れた。
そこで報告しておしまいだったはずなのだが、あのスキマ、全部覗いていたのだろう。腕が生えるまで貸してあげるわ、という命を受けた藍が甲斐甲斐しく世話をしてくれた。それからは普段以上に集中し十日くらいの見通しだったが三日で腕を生やしてみせた。
その後、藍の迎えにわざわざ姿を見せて嫌な笑みを浮かべていたあの顔を、新しく生やした腕で思い切り殴ってやりたかった。