東方狸囃子   作:ほりごたつ

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第八話 主従と約束時々昔話 ~下~

 カランコロンと先を進む鬼の下駄が鳴る。

 その音が近づいてくると、人垣が割れて歩きやすい道が出来上がる。

 この鬼の前に立ち、邪魔をするような者はまずいないだろう。

 それほどまでに恐れられ、慕われている。

 

「なあ姐さん、どこまで歩くのさ。このままじゃ旧都の外まで出ちまうよ?」

「ああそうさ、外にでるのさ。旧都の近くじゃ十分に動けないだろう?」

 

 あたしの歩みは遅い、とても遅い。前を歩く鬼と少しずつ距離が開く速度で後をついていくが、程々に鬼が立ち止まりあたしの到着を待つ。待たずにそのまま行ってくれていいよ、そしてできれば何もなかったと忘れてどこかで飲みつぶれてくれ。

 

「動くなら空でいいじゃないか、高い建物があるってわけじゃないんだろう?」

「空だと踏ん張りが効かないからね、殴るなら地の上で踏ん張ったほうが気持ちよく殴れる」

 

 空を見上げながら言ってみる、少しだけ期待している方に賭けて鬼に問いかけるが捕まった時と同じようにガシッと肩を掴まれる、そうしてそのまま肩を組まれた。

 ああやっぱりそういう勝負になるのか、弾幕ごっこが流行りだしていると聞いたからほんの少しだけ期待したけれど無駄だった。勝てもしないのに賭けた結果だろうか。こうなっては仕方ない、いかに死なずに済ませるかを考えるしかない。

 

「しかし姐さん、昔と違って本気の殺し合いはご法度だろう? 姐さんに殴られて生き延びる自信はないよ?」

「あー、スキマのが広めたがってる新しい取り決めの事かい?」

 

「それさ、あたしがこっちに降りてきたのもそれが広まってるか確認の為なんだ。確認しに来て自分で破っちゃ何言われるかわからない」

「アヤメよぅ、確認って事はまだ完全にそうなったわけじゃないって事だろ? てぇ事はだ、取り決めの範疇外の出来事もまだあるって事になるな」

 

 なら問題ない、勝手に納得し一人笑う鬼。

 この鬼がこれから何をしたいのかはわかるがそれは勘弁願いたい、だから今回はお付き合いできませんよと論を説いたのに、正しい論で説き反された。勇儀姐さんや、鬼なんだから脳筋でいてくれていいのに‥‥いや昔から何かと聡い方だった、もう一人のあっちだったら少しはやり込めたかね。

 と、別にいるもう一人、小さめな厄介者を思い出してみたが、強く掴まれる肩からはやる気というか、殺る気なんてのが感じられて、現実逃避は無駄だとすぐに悟った。

 

 事実勇儀姐さんの言う通りだろう。

 弾幕ごっこの取り決めが完全に広まっているのならわざわざ確認などよこす必要もない。紫もそこはわかっているはずだ、だからあたしに話を振ってきたのだろうし。

 自慢だがそれなりに長生きしているし力もある。もし荒事になってもその辺の妖怪なら胆や口だけでどうにでも出来る、それくらいの妖怪ではあるつもりだし、紫からもそう思われていると思う。そこを買われて今回の使者だったわけだが。

 

 それでもこの鬼はあたしのハッタリや後ろに見える紫では止まらない、止められない。仮にこれが幻想郷の有力者全てに対する敵対行為だったとしても止まらないだろう。

 自分の思った通りにやりたい事をやり、力ずくで上に立ち、胡座をかいて笑う。幻想郷のパワーバランスを個人で担う鬼、それをまとめていた一角(ひとかど)の人物なのだ。

 

「アヤメ、どうにかして逃げようとか、旨いことはぐらかそうとか考えてるだろ?」

「そうね、能力使ってどうにかならんかと今四苦八苦してるところよ」

 

「ハッハッハ、珍しく素直だが言ってる事は面白くないな。二度も三度も逃げられないよ? 気を逸らすのに必死だが今回はダメだ、今のあたしはお前を捉えて離さないさ」

「理由はわからないけどそうなんでしょうね、事実逸らせていないようだし。熱烈な思いを受けてあたしも嬉しいわ」

 

「ああそうだ、あたしは力の勇儀、星熊勇儀だ。逸れる事なくまっすぐ行くさ」

 

 妖怪の山のかつての頂点、鬼。

 それの頭目、鬼の四天王、星熊勇儀。

 

 彼らだけでも幻想郷の一大勢力と言える天狗衆を、その身に宿る力のみで押さえつけ支配していた連中の天辺だ。わざわざ恐ろしさを語る必要もないだろう。 

 もう随分と前の話だ。あたしが人の都でそれなりの有名人となった頃に喧嘩を売って来た鬼と共にいた勇儀姐さん。その時の喧嘩相手は別の方だから今は端折って語るけれど、その喧嘩の後からは度々開かれる酒宴に呼ばれるようになり、いつだったかあたしの徳利を気に入ったから譲ってくれとせがまれた事があった。

 どうにも逃げ場がなかったために酒の勢いを借りて、その時はどうにか化かして逃げた相手がこの鬼の姐さんだ。逃げた後でも何度か会って話したり飲んでだりしているが、その度に寄越せと煩かったこの女、地底に引っ込んでから少し落ち着いたって聞いてたのに‥‥以前より平和になった幻想郷でなんでまた鬼と喧嘩せにゃならんのか、もう溜息もでん。

 豪快に笑う勇儀姐さんを見つめ、本格的に覚悟するしかないかとそう思った時、誰か来た。

 

「私への使いが旧都にいるけれど、用事を済ます前に離れていっていると聞いてみれば‥‥争い事は取り決め内で、そう決めあったはずですよ。勇儀さん」

 

 聞き馴染みのない声があたし達の横合いから聞こえてくる。

 

「『昔』の喧嘩の続きなんだ、『今』の取り決めに当て嵌まらないさ。そう思うだろ? 地霊殿の主よぉ」

 

 そう言われ視線を鬼の腕組みから現れた妖怪に移す。

 

「どうも、初めまして。地霊殿にて灼熱地獄の管理を任されています、古明地さとりと申します。あぁ、自己紹介は結構ですよ、読ませてもらいましたから。囃子方アヤメさん」

 

 読ませてもらった?

何の事だ?

紫に名札でも縫い付けられたかね?

羽織の袖や徳利をまじまじと探し見ていると、答えが話された。

 

「私は覚です、そこは聞いてきては‥‥いないと。さすがに名札はないと思いますが‥‥それともそういうご関係なんでしょうか?」

 

 覚、そう言われ少し考えるがすぐに思い当たった。

 姐さん達がお山にいた頃だ、随分前の妖怪の山に心を読むのがいたな、と。

 しかし紫に飼われる、ね 気持ち悪いこと考えるもんだ。御免こうむるね。なんでもかんでも押し付けられる姿しか見えない。三食昼寝に夜は酒、移動にスキマ使い放題なんて条件でも遠慮するわ。

 

「頼み事をするくらいなら友好的な関係なんでしょう、それでも随分な言われようですね。あの方ですし、わからなくもないですが」

 

 顔を伏せ少し苦労の見える表情をするさとりを見て、紫の評価は誰から見ても対して変わらないんだな、と一人納得した。

 

「地底も含めて先を考えていらっしゃる聡明な方だとは思っていますよ、信用できるとは微塵も思っていませんが」

 

 その言いように、ここの管理者も何か色々と言われてるんだろうな、そう感じ取ることが出来た為再度納得し、頷く。

 

「いつまでも放っておかれてもあたしは考えを改める気はないよ? そろそろ始めたいんだがいいかねぇ、さとり?」

 

 表情は楽しそうな風に見えるが、少しだけ怒気を孕んだ声でこちらに問いかける勇儀姐さん。握った拳を平手で受けてパシンなんて響かせてくれるが、そうやってやる気をみせてくれてもお生憎だ、あたしには伝わらないぞ?

 

「あたしはこのまま睨み合いで済むならそうしたいんだけど……出てきたって事はなにかあるんじゃないの? 古明地さとりさん?」

 

 気が逸れないなら話を逸らす。丁度いいタイミングで出てきたんだし、これは話を振っても問題ない相手だと考え、さとりに押し付ける。

 さぁ、うまい事言っておくれよ、出来れば掲げた拳を収められるような事を。

 

「他人任せにしないでもらいたいですね‥‥勇儀さん、今貴方に暴れられては旧都としては困ります」

「誰が何に困ると言うんだい?喧嘩の続きをするなんてここじゃよくある話じゃないか」

 

「貴方が鬼で、その頭目である以上困るのですよ。頭目が全力で暴れたら下の者達への示しがつかない、せっかく弾幕ごっこが流行りだしてそちらに気が行き始めたというのに」

「そんな事か、これは鬼の喧嘩じゃない。あたし個人の喧嘩だ。他のも同じ鬼なんだ、若い鬼でも種族と個人の違いくらい弁えている」

 

 だから問題ないってか、事実そうだろうな。鬼の決闘、喧嘩の流儀なんて詳しくないし知りたくもないが、見聞きしのも、体験したのも一対一だ。言いっぷりからもそれがお決まりだとわかるし、それ以外にも拘りみたいなもんがあるんだろう。 

 

「そうなんでしょうけど、暴れる者もきっと出るでしょう? そうしたら貴方は力で抑えるつもりでしょう? それが困るんです」

「ん、この地底で強い者が弱い者を押さえつけてなにがまずいんだい?」

 

「今まではそれでも良かったんですよ、ですがこれからは変わっていく。力ない者も、日陰に隠れるような者も、やりようによっては大見得気って歩けるようになる。今はそうなり始めている所なんです、そうなるように幻想郷が動き出しているところでもあります。この地底も幻想郷の一部、少しずつですが上と同じように動き出しているのですよ」

 

「それを素直に受け入れろと?」

「最初から全部とは言っていませんよ、それに私は戦うなとは言っていません。あくまで取り決めの内でやって欲しいと、そう述べているのです」

 

「周りくどいねぇ、要点だけ言ったらどうだい?」

「例えば拳や蹴りに弾幕に充てる妖気を回して戦うなら、それは弾幕ごっこの範疇に入るのではないのでしょうか?」

 

 方便、いや詭弁か?

 どっちにしろ苦しく思える。形だけは弾幕ごっこの体裁を保ち、命のやりとりではないと納得出来なくもないものだが、鬼の嫌う嘘と近い言い草だ。言ったさとりにも自覚があるらしい、変化を語った表情は強張ったものに変わっている。

 

「ほう、弾幕のね。それで威力を抑えての喧嘩か」

「盃の酒を溢さずにやるのと然程変わらない枷だと思いますがいかがでしょう?」

 

 あたしとさとりが思うほどこの提案は悪い印象を与えなかったようで、勇儀の態度が変わることはなかった。それを見てさとりの顔に少しだけ安堵の色が浮かぶ。

 

「なるほど面白いかもしれない、しかしいいのかい? 拳の勢いは変わらんよ?」

「相手が人間ならそこも考慮すべきでしょうが、勇儀さんが全力でやるつもりだった相手、それくらいでどうにかなるようなものでもないでしょう?」

 

 このまま矛先がさとりに向けばと思い、口を挟まず何処に着地するか興味が湧いたので見守っていたが失敗だったか、鬼の矛先は変わらずあたしを向いたままで逸れる事などはなかった。

 それでもどちらかが確実に死ぬ死合から、全力でやればどうにか生き残れるかもしれない試合に変わっただけ重畳か?

 いや、さとり、ちがう。あたしが望んだのはこんな結果じゃなかった。

 

「何を期待されていたのかわかりませんが、私達の話は終わりました。後は二人で旧交を温めてはいかがでしょうか?」

「そうだな、口ばかり動かしてると体が冷める一方だ」

 

 もう話は決まった、さっさと心構えを済ませろ、とでも言いたげな二人の視線。仕方がない、覚悟を決めよう。

 

「まあ、命の心配をせずとも良くなっただけましか。これが終われば姐さんから逃げ隠れしなくて済むなら気が楽になるわ」

「おお、初めて見せるなそんなやる気のある顔。引き締まった表情ってのも中々にそそるじゃないか、アヤメ」

 

「はぐらかせなかったのが癪だけど、たまには妖怪としての本分を見せないとね」

 

~少女準備中~

 

 旧都から少し離れた平地で対峙する。

 一方は力を抜き自然体で佇むが、その身に宿る力を隠そうともしない鬼の中の鬼。

 もう一方は少し腰を落とし斜に構える、尻尾を揺らしながら冷たい目を細める狸。

 

「さあ、どこからでも構わん。好きに打ってこい。鬼退治の習わしだ、先手は退治する方からじゃないとな」

「その余裕を崩せるように頑張るわ、勝って飲む酒のが旨いもの」

 

 ハハハッ違いない!と勇儀が笑った瞬間に仕掛ける。

 地面を抜くほど強く蹴り、一瞬で間合いを詰める。その勢いを殺さずに体を捻り、回転からの遠心力を載せた尻尾を勇儀の顔面に向けて振り抜く。視界に捉えられない程の早さで振り回した尻尾が衝撃音と共に鬼の右の頬を打ち抜き、食らった勇儀が回転しながら左へと飛んで行った。

 遠くで着地し地面を削り土煙を上がる。殴られた勢いが死に、やっと勇儀が止まる。

 

「手応えはあったけど、避けもされないのは面白くないわ」

 

 気に入らない、弾幕ごっこの範疇とはいえ妖怪、それも鬼相手だ。

 甘い攻撃をしたつもりはない、それを避けもせず防ぎもせずもらってくれた。

 随分と舐められたもんだ。

 

「いやすまないね、打ってこいといった手前がある。避けるわけにはいかないんだ」

 

 すこしふらつきながらゆっくりと体を起こし、着物の埃を払う勇儀。

 

「遠慮のない一撃だったなぁ、大分効いたぞ? 枷がなければ意識が飛んでたろうな、久しぶりに味わう心地よさだ」

 

 カラカラと笑い血を吐き出す。

 言う通りそれなりには効いたのかもしれないが、効いただけだ‥‥舐めたのはあたしの方だったか。

 

「これ以上はないんだけど、それでもその程度ならもうお手上げね」

「そう言うな、楽しい喧嘩だぞ? 長く楽しもうじゃないか」

 

「‥‥手短に済めば願ったりだったわ」

 

 あたしの攻め手ではこれ以上はない一発だった。種族的にも元々殴り合いに強いわけではない。どちらかと言えば、身に纏った妖力を打撃に載せ流し込み相手の内から壊すような、表面的な破壊力よりも内部破壊を用いての不意打ちが持ち味である。

 だから今回のようなのは駄目だ、あたしの得意分野での戦い方はこの弾幕ごっこには向いていない。当たれば致命傷って手しかないからだ。それに相手を思って加減もした事がない、加減するくらいならさっさと仕留めるか逃げるかしかしてこなかったんだから、手の抜き方がわからない。故に命は奪わず勝敗を決めなきゃならない今回のような長丁場をあたしは苦手としている。

 さっきの一撃もあれで意識を刈り取るつもりだった。が、鬼の体を甘く見たようだ。あれで決められないなら本当に打つ手がない。 

 

「つれないこというんじゃぁ‥‥ないよ!」

 

 地が弾けるような踏み込みをし一瞬で肉薄する、構えなどないままその拳が放たれる。

 鬼の力は暴力だ、何をしても致命傷。構えなんぞとる必要がない。

 そんな暴力の顕現ともいえるものがあたしの顔面を狙い振り抜かれる‥‥が、拳は右の頬を掠める程度に逸れて流れた。抜けた拳は頬を裂き空気を打ち轟音を轟かせる、音と振動で傷ついたのか右耳から頭の辺りまで微温くなるが、髪が染まるくらいなら問題ない。

 気に留める事もなく、拳を突き出し動きを止めた勇儀の腹をお返しを打つ。鈍い音ともに勇儀が少し屈むが、屈んだ場所には既にあたしはいない。打った際の反動を活かして後方に飛んだのだ。

 

「うん? おかしいな 顔面ぶちぬくつもりがなんで逸れるんだ?」

 

 腹を打たれた事をまったく気にせずに自身の拳を眺める。

 相変わらず頑丈だ、本当に困る。

 

「さあ、目測を誤ったんじゃないかしら?」

 

 普段のあたしからはまず発せられないだろう酷く冷たい声で返答する。

 

「まあいいさ、タネがあるならタネ毎ぶち抜けばいい話だ」

 

 言い終わりとドンッという音が重なり鬼の姿がブレた、空気の震える音と衝撃を纏い勇儀が弾丸となり突っ込んでくる。 

 間もなく近づかれ、突き出された左拳があたしの脇腹を掠めて深く裂いた。掠めた拳の先に血が奔る。後はこのまま突き抜ける、そんな勢いのまま走るつもりだった姐さんだが、あたしと交差する瞬間に体をくの字に曲げた。あたしが力を蓄えた尻尾で脇腹を打ち据えたのだ。

 お゛ぅっと、自分にしか聞こえないような小さな声が鬼の口から聞こえる‥‥が瞬時に体制を戻し、全身をバネにして首を狩る上段蹴りが返される。当たれば首から先が吹き飛ぶだろう渾身の蹴りだが、それもあたしの右肩を掠めて逸れていき、肩を裂くだけで浅い傷しか残せずに終わった。

 先は逸らせなかったが本気でやればこれくらいは出来るか、狙い通りに当たらない鬼の暴力を見て少し調子付き、更なるお返しをしてみせる。狙いは足、右肩を掠め伸びきった足を、腰を低くし浅く構え、掌底で打ち上げらる。豊満な鬼の全身が地から離れた。

 打たれた勢いで宙を周り背中から地に落とす事に成功したし、すぐにその場から離れておく。体制などお構い無しに暴威が飛んでくる事を知ってるからな、当然そうする。するとあたしのいた当たりを鬼が睨み咆哮を轟かせるが、残念。そこにはすであたしはいない。

 

「ちょろちょろ逃げるなよ、もっと打って来いってんだ。しかしなんだなぁ、三度打って三度外したか。お前は特に避けていないってのにな‥‥これがお前の能力だったかい?」

 

 いいのをぶち込んでやったつもりだったが口が減らない鬼。

 それでも多少は効いてくれたらしい、少し背を丸め片手は腹をおさえている。自身の力と勢いをのせたものにカウンター合わせてまともに入れてやったのだ、あれが効いてくれないと流石にあたしも傷つくってもんだ。

 

「そういうことよ、頑張って狙わないと逸れて変なとこいくだけさ」

「なるほど‥‥それなら逸れないようにしっかり殴らなきゃならんなぁ!」

 

 自身で放てる以上の、相手の力も活かしたカウンターを入れ、一瞬の隙をついた一撃を決めた‥‥決めたはずなんだが、それでもベラベラ話す余裕があるってか。おさえていた腹も軽く擦って終わりになったようだし、本格的に参るな、これは。

 が、諦めを悟られるわけにもいかんし、どうしたもんか。いいか、得意なの使おう。

 

「痛いのはイヤなの、あたしは一方的な方が好みなの」

「つれない事言うなよ、買ったなら買い手らしく付き合いなぁ!」

 

 再度弾丸のように猛進してくる勇儀、動きは先ほどの突進と全く同じだ。けれど、先ほどとは纏う空気が変わっているように感じる。確信はないが今度はまずい、そう思った頃には眼前に迫る鬼の拳。 

 感じた通り、先と同じような左拳が唸りを上げ飛んでくる、が今度は狙いが外れない。逸れないなら仕方ない、どうにか体を捻り拳を避けるが、捻ったせいで一瞬視界から勇儀を外してしまう。次は何処から来るか、相手の姿を確認する前に彼女の拳が相手の右腕を捉えていた。

 空気を裂く音と共に振りぬかれる拳、そんなものを身に受けて耐え切れるわけがなく、ぶん殴られた方向に向かいふっ飛ばされていく身体。殴られた勢いでも逸らせれば怪我も少なく出来るのだろうが、殴られぶん回された視界と頭ではそれらしいイメージなど出来ず、飛ばされた先の地面を身体で抉り取るハメになった。 モウモウと立つ土埃、その中で舌打ちしていると聞こえる、鬼の嗤い声。

 

「おうおう、やっと当たったな。これでこそ喧嘩だ、やっぱり殴り合わんとな」

 

 晴れ始めた埃の中、片足立ちで座ったままのあたしを見て、確信を得たように笑う。

 気に入らないと睨んでみるも、あちらは殴った拳とあたしを見比べている。そんなに嬉しいか、こっちは一撃でボロボロだってのに。 

 

「‥‥こんなの何発も貰ってたら何べん死ねばいいのかわからないわ」

 

 悪態つきながら立ち上がる。

 失くした腕を横目にしながら。鬼の一発をもらった右腕は二の腕から少し上を残して吹き飛ばされており、ボタボタと血を滴らせている。拳が当たる瞬間とっさに右腕で受ける事が出来たけれど、防御出来てこれか。振りぬかれた拳にそのまま腕を持っていかれたってか。さっきのはただのゲンコツだったはずだよな、酷いもんだ。

 

「能力頼りで鍛える方を疎かにしてるからだ、少しはあたしを見習ったらどうだ」

 

 鍛える事もなく、その必要もない体をしているくせに。

 軽口を吐くなら仕留め切ってからに、ってそれはマズイな。 

 

「姐さん見習ったら今よりもっと軟な体の出来上がりよ」

 

 一転して劣勢になるも揚げ足とりは忘れない。

 腕力で勝てないのだから胆力くらいは譲ってやらない。そうやって言い切って、よく言うもんだってな顔の鬼に向かい、更なる煽りを増やしていく。残る片腕で帯に挿した煙管を取り出す。咥えて一吸い煙を吐くと、開幕と同じように斜に構えて佇む。

 

「喧嘩の最中に煙管をふかすたぁ舐められたね、その余裕高く付くよ」

 

 癇に障ったのか先ほどまでとは少し変わった腹に響く声。

 

「中毒者なの、姐さんの身内と一緒で切れると困るのよ」

 

 それでも軽口は止めない。

 数えることも出来ないほどの戦を乗り越えて勝利してきた姐さんだ、これがただの強がりや余裕でないとはわかっている、わかってはいるが鬼なのだ。構うことなく真っ直ぐに突っ込む事しかしないだろう。それがありがたい。

 

 罠でもなんでもかけてみろ、突き進み振るわれる豪腕はそう語ってくれる。

 狙いは腕が飛び防御の薄くなった右側か。と、思った通りにぶっ飛んでくる左の拳。迫るそれをそのまま右腹にもらい、綺麗にぶち抜いてもらう。

 パァンという弾ける音があたしから鳴り響く。軽快な音と共に右半身が爆ぜる。血飛沫が舞い、殴りつけた鬼を染め上げた‥‥ここが狙い時だ、血煙に乗り化かす。ちょいと痛かったが鬼を化かすのに手段を選ぶ余裕はない、何かに気がついているのか、目に入れてやった血でも気にしてるのか、姐さんも動かないしな。

 いや、それは気にされないか。まぁそうだな。血には慣れすぎているのだろうし目に入ろうが気にはならんか。なら手応えのなさに違和感を覚え一瞬硬直した、って感じかね。

 であればその硬直、解してやろう。

 

 思うが早いか尾を滾らせる。次なる狙いは鬼の弱い所。関節、膝だ。いくら頑丈だっていっても骨の継ぎ目なら多少弱いだろう、そう邪推し動く。

 一瞬だけ姿を見せ、厭味に細めた銀眼と鬼の目を合わせる。当然それを狙われるが、そちらは先に吐き出した煙のあたしだ。遠慮無く拳振り抜き伸びきった身体、その際にどうしても出来る隙。そこを見逃さず鬼の右膝小僧に全力で衝撃を奔らせる。耳障りな音を尾を経由して聞くと、曲がらない方向へと足を曲げた姐さんが拳を地につけた。

 

「くぁ! やるじゃないかぁ、化かされた!」

 

 攻撃を受ける事で何が起きたのか悟ったか、でも遅かったな、姐さん。

 殴り合いを正面から受けるから頭から消え失せていたか?。

 あたしは狸なのだ、騙し化かす妖かしだ、素直に見過ぎのは甘かったな。

 

 そんな考えを顔に出すと、自身を叱責するように吠える鬼。

 周囲がビリビリ揺れる程の声を吐き、膝に刺さった尻尾を握られて、そのまま地面に叩きつけられた。

 だが、さっきとは違って少しは手応えを感じられるだろう。地面に打ち付けられたあたしは本物だ。

 さっきは偽物で騙し一矢報いた、なら次も同じ手を使う。そう読んでくれる事だろう。痛いのはイヤだと伝えてあるし、ほくそ笑む顔も見せておいた、そこから読むなら二手目もそうして笑うだろう、あたしの性格を知る姐さんならきっとそんな風に思ってくれるはずだ‥‥そう読んでその裏を掻き、次のチャンスを足元で待つ。

 

「ほら、次はなにしてくれるんだい!」

 

 叩きつけられ地に埋まるあたしに語る怪力乱神。

 だったが、言うだけ言って回りに目を流し始めた。視線が遠くを向いた辺りでどうにか上手く騙せたかと、声を出さずにほくそ笑む。

 あたしは足元に残ったままだが、今の姐さんにはそう見えてはいないだろう、血煙であたしの姿が弾けて消えたように見せたのだから。今頃二匹目のあたしは軽快な音と共に埋まり掻き消えたように見えているだろうな、危ない橋の化かしだったが、それくらいせんと騙せんだろうし、それくらい出来んで何が矜持在る化け狸かって話だしな。

 

 数秒静かな景色が流れるが、すぐに空気は変わり始めた。

 弾けたあたしを探すのに飽いたのか、現れない本体を燻り出す事にしたのか、周囲を見渡しながら普段構えを取らない姐さんにしては珍しく攻撃するための姿勢を取った。抜かれた膝の痛みなどないように感じられる自然さで腰を下げ、深く構える鬼。

 漏れ出す闘気が足元を割り始める。

 

「待って出てこないならこっちから行くかね! 狸らしさの分かるいいものをもらったお礼だ、あたしもあたしらしいとっておきを見せてやるよ!」

 

『壱ぃ』そう吠えると、恐ろしいほどの力が込められているであろう左足で地を踏抜き、姐さんを中心としたクレーターが出来上がる。周囲の地面が浮き上がって、当然埋まるあたしも浮かび上がる。

『弐ぃ』二度目の咆哮と共に右足が前に突き出される、同時に木っ端妖怪が浴びれば感覚が麻痺するほどの妖気が迸る。思わず逆立つ尻尾の毛、こいつはいい、気持ちいいほどにおっかない。

 そうやって気配を探るように自身の妖気を垂れ流す勇儀姐さん、身の毛がよだつソレが周囲にばら撒かれると、こちらを見上げくる鬼。

 

「見つけたぁ! そこにいたかい!」

 

 あたしの妖気を捉えた姐さんが、口角を上げ、雄叫びを上げる。

『参っっ!!』咆哮と同時に放たれた三歩目、その掛け声。こうなればもう逃げようもない、悪あがきのつもりでまた偽物をこしらえる。今迄に創り出したあたしよりも血の匂いが濃い偽物を象って、鬼の左右から攻め立てる。

 そうして二人の尾に渾身の力を蓄え、振り抜く。が、姐さんがその程度で臆することはなく、この弾幕ごっこで見せた力の中での最大の暴力を以て迎えてくれた。どちらが本体か見極める時間などはなかったはず、部の悪い賭けに過ぎるが今更引けんし、全身の力を滾らせる鬼に向かい二本の縞尻尾をぶん回した。

 

 

――パァン――

 

 今日三度目で、今日一番の弾ける音がする。

 同時に非常に堅い物を砕くような音が重なり合った。

 

「あちゃぁ‥‥てっきりこっちが本命かと思ったが、外しちまったかい」

 

 打ち抜かれ、ひしゃげた右膝を叩きながらそう話す姐さんの左膝には、あたしの尻尾が深々突き刺さっている。

 

「最近は賭けに勝つことも多いのよ、あたし」

 

 両膝抜かれたというに、何処か楽しげな姐さんに減らない軽口を返す。

 顔面撃ち抜かれた偽物は消えて、あたしの方も一人に戻っていたが、戻った姿は随分と無残なもので、左肩には鬼のゲンコツが埋まっていた。その拳から下に本来あるはずの腕は少し後ろで肉片となっているようだ。それから二人共その場を動くことはなく、一言ずつ交わした後は無言で佇む。

 

 暫くすると静寂を破るように笑い出す姐さん、その声が喧嘩の終いを告げてくれた。

 

「はっはっは、いい喧嘩だった。とっておきも外しちまったし、足もこうなっちまったらしばらく立つ事もままならん! 今回はあたしの負けだ」

「今回じゃないわ、もう二度とやらないわよ。決着ついでに聞きたいんだけどいいかしら?」

 

 先ほどまでの死闘が嘘のように高らかに笑う怪力乱神。

 豪快に笑ってくれて、殺し合いとも呼べる遊びを終えたばかりとは思えないが、いつもの事か。

 あたしも穏やかな声で返す。 

 

「なんだい? 今ならなんでも答えるぞ」

「まず一つ、途中で空気が変わったように感じたけど、あれが姐さんの能力だったかしら?」

 

「そうだ、怪力乱神を持つ程度の能力さ」

 

 怪力乱神、なんだかわからないけどものすごい力 だったか。

 それの影響であたしの能力が利かなくなったのか。よくわからないけど強い力とか反則じゃない、ただでさえタフだってのにホント冗談じゃないわ。

 

「なるほど、では二つ目。さとりの提案。あれは方便だったとわかってると思うけど、それにノッたのは一体どういうことなの?」

 

 これは本当に驚いた、あの勇儀姐さんが方便。ようは嘘ごまかしにのっかるとは思えなかったからだ。提案したさとりも同じように思っていたはずだ、生きた心地がしない話し合いだっただろうよ。

 

「ああ、そんな事か。大したことじゃあないよ、あの話はその場とその後をうまく進めるための最善の話だった。アレで傷つくようなのはいないんだ。そんな方便ならまあいいと思ったのさ」

 

 ふむと納得半分、方便なら構わないのかと悪巧み半分。

 そんな事を思い笑おうとするが失くした両腕の痛みが強くなってくる。さすがに冷ややかな顔をしていられず痛みに顔を歪める。それを見てまた笑う鬼。痛みの原因に笑われしかめっ面になると、なにやらぎゃあぎゃあともめ出すハメになった。 

 二度目がないのは困る、徳利が手にはいらないだの。負けたなら諦めろだの。先ほどまで血飛沫舞う殴り合いをしていた二人とは思えない、幼稚な言い争いを始めていたが、立会人の声にかき消された。

 

「喧嘩も終わったようでなによりですね、私は地霊殿に戻るので落ち着いたら二人で来てください。言いたいことも山程ありますので」

 

 最初から終わりまで見届けたさとりが冷たく言い放ちその場を後にする。

 その顔は少し青く暗いように見えたが、確認する前に騒がしい鬼をどうにかせんとならんか。背中の方からは、まだ足りないなぁ、なんて声が聞こえているような気がするが気のせいだろう。

 そう思うことにしてさとりは地霊殿への帰路についた。


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