東方狸囃子   作:ほりごたつ

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親しき仲にも そんな話


第七十三話 エスコート役の縞尻尾

 雨に打たれて瞳を濡らし涙を零す蛇の目をバサッと一払い。二度三度と閉じては開いてを繰り返し、号泣から涙目程度の濡れ具合になるまで水気を払う。

 迎えに上がった妖怪寺、命蓮寺の境内前で水気と裾を軽く払い、玄関の軒先で迎えに来たと少し待つ。出迎えてくれたのは船幽霊、なんだか久しぶりに姿を見る感じだが、きちんと思い起こせばこの間見たか。

 迎えに参った面霊気が起こしてしまったあの異変、その馬鹿騒ぎの一場面、本来の姿を取り戻した命蓮寺の船体で錨片手にふんぞり返っていたか。

 もう随分と前に鼻を高くして言っていた、私がこの船の船長だ! その言葉の通りの姿で空を走らせ泳ぐ船にいた船長。話だけを聞いた時には半信半疑だった、沈めていた者が舵取りを任されるなんてと笑ってしまったが立ち姿は様になっていた。

 今も同じようにあたしの前でふんぞり返ってくれているが、錨は携えておらず船も地に降りて寺としてある。船の姿の頃なら素直に船長と呼べる格好いい姿なのだが、こうして陸揚げされていると素直に船長とは呼べず、皮肉を込めてあえてキャプテンと呼ぶようになった。

 言ったところで皮肉だと気が付かれず、逆に船なしでもキャプテンと呼ばれて嬉しいようで顔を合わせれば気分よく話しかけてくれるキャプテン・ムラサ。

 

 ここの住職やあのネズミ殿にはあたしの心情がバレているらしいが、それでも何も言われる事はない。悪意はあるが騙しているわけではないし、ひとりでに気がつけるようになるのも修行の一環だと言っていた。

 なんでもかんでも修行と言って結びつけるのはいいけれど、悪意に気がついているならそれとなく教えてやってもと思わなくもないが‥‥悪意を発している者が言うことではないが修行者とはよくわからないものだ。

 

「助かったわキャプテン、濡らしたままだと痛むもの」

「それくらいいいさ、それよりわざわざ迎えに来るなんて変に優しいね」

 

 手持ちの蛇の目では庇いきれなかった着物の裾。雨を含み、少しだけ色を濃くしている部分に渡された手ぬぐいを宛てがい水分を取る、多少の事なら元通りに出来るがキャプテンの心遣いを無駄にはしたくないので、この場の用法通りに使う。

 キャプテンの方もあたしには特に必要ないと知っているはずだが、濡れて寺に戻ってきた者に対する習慣にでもなっているのだろう。考えるような素振りも見せずに手渡してくれた、身内とは言えない外法者なあたしだが、こう迎えてもらえるのはありがたい事だ。

 程々に水分を含み少しだけ重くなった手ぬぐいを軽く絞る、無言で差し出された手にそれを渡すと、入れ違いでもう一枚手ぬぐいが渡された。顔でも拭けって事かね、少しだけ湿った髪と顔を拭い肩にかけ待ち人はまだかと奥を覗く。

 お堂を覗いても姿は見えず、見えるのは静かに禅を組むここの御本尊様くらい。まあいいか、焦って行かなければならない場所でも相手でもない、逃げるどころか本来なら近寄られにくい相手達だ。常に暇を持て余している連中なのだし、ゆっくりと暇つぶしを届けよう。

 もうしばらく待つかとブーツを脱いで、玄関口に腰掛けながら上がり(かまち)に足を投げ出す。

 

「友人には結構優しいのよ? キャプテンにも優しくするからどう?」

「はいはい、どうせなら上がっていけばいいのに。今は星と私しかいないし」

 

『はいはい、誰にでも言うことを私に言わないで』と同じ言葉を言った相手に睨まれたのを思い出す、あっちもあっちでつれなくて妬ましいがこっちもこっちでつれない相手。

 ノってくるのはぬえぐらいか、実際そうなったりはしないが予定調和で返してくれるのはあいつくらいだ、そんなあいつも今日はいない、いるならもっと騒がしいもの。

 

「つれないわね。聖達はともかくとして、主人がいるのにナズーリンがいないなんて珍しいわ」

 

 居候の姐さんとわかりやすい正体不明は数に入れないとして、あの小さな賢将殿が主に付いていないとは珍しい。いつでもどこでも自身の尾に絡ませた籠のように付いているのに、いくらかは寺の者との蟠りもとけたかね。

 元々社交性のある御仁だ、多少の蟠りが残っていようともそのくらいは問題ないのかね?昔から口もウマイが世渡りもウマイ聡い御仁だ、小さな蟠りくらい自身で齧ってとっぱらってしまうか。

 

「一輪と二人で聖について檀家回りよ、雨降りだから荷物持ち」

「一輪もってことは雲山もいないのね、キャプテンは置いてけぼりか」

 

「せめて留守番と聞こえよく言ってよ、それに私は修行僧じゃないよ?だから檀家回りはついていかないわ」

「修行僧じゃなかったの? てっきりそうだと思ってた。聖大好きだし」

 

 てっきり帰依した修行僧だと思っていたがそうじゃなかったらしい、きっぱりと言い切られてから思い返してみると、確かに修行僧とは言えない行いばかりが目立つ。

 霧の湖で大物狙いの釣り人相手に穴あき柄杓で水難事故まがいのことをやらかしてみたり、八坂の湖や三途の川でちょっかい出しては叱られているし、玄武の沢で河童と一悶着起こした事もあったな。

 河童といえばあの賭け事、負けは聞いたしわかっていたがその後あの子の顔を見ていない。これからお山の大穴に身投げしに行くんだしついでに行ってみるか、河童も何かの演目の元ネタだったはずだ。こころも会ってみたいだろう。

 

「確かに好きだし感謝もしてる、でもそれは聖に対してで、仏様に対してじゃないよ」

「思想云々より個人宛てね、それはそれでいいんじゃないの?」

 

「いいんだけど、ちょっとやらかす度に反省しなさいと聖から言われるのがねぇ」

「わかっててやってるくせに何言ってるんだか、嫌なら家出したら?出家先から家出なんていい笑い話だわ」

 

 わかっちゃいるけどやめられない、それはそうだ。そう在るべきな者だもの、本来なら思うままにやらかしているところ、それを我慢して抑えているだけ大したものだ。

 修行僧ではないが、同じく禅を組んで瞑想を積んだからこそ自戒の念を持てているのだろうね、真似るべき尊い姿勢だと感心するが真似できないししたくもないな。

 我慢など体に悪い。

 

「気楽に言ってくれちゃって、元は地縛霊だし‥‥開放されてはいるけどさ、一度定めた場所からは中々抜け出せない物なのよ」

「そうね、好きで縛されているんだから‥‥つついちゃ野暮よね?」

 

「アンタも一回捕まりなさいよ。皮算用されてみればわかるよ、きっと」

「冷水浴びせてくれようにも、穴あき柄杓じゃ掬えないわね。救われたから掬えないのかしら?」

 

「‥‥穴あきで良かったね、そうでなけりゃ手ぬぐいじゃ拭い切れないようにしてた」

「溺れるなら酒や快楽にしたいわ、言い過ぎたわね。悪かったわキャプテン」

 

 ちょいと言い過ぎた、馬鹿にする気はなかったが調子に乗りすぎたようだ。呆れた笑みが影を潜めさせて正しい船幽霊の顔に変えさせてしまった、誰から構わずに言う癖のせい・・にはせずに素直に謝る。

 久々に見る怖い顔、旧地獄で封印されていた頃はよく見ていた顔だ。血の池地獄で荒れて過ごし、穴の空いていない柄杓で水ではなく血を掬っていた頃。

 愛しい地獄烏のかち上げた間欠泉、あれで押し出されてからそれほど経っていないが、敬愛する者が近くにいるだけで随分と落ち着いた。想い人の側にいられるってのはそれほど安らげるものなのかね。

 

「悪気なく悪く言うのを知ってるからいい、気に入らないけどいいわ」

「その気は‥‥いや、ありがとキャプテン」

 

「だからいいよ、気にしてやるけど今はもういい。こころも来たし」

 

 お喋りは終わりとそっぽを向いた方向を追いかけるように目をやると、目に騒がしい面の集合体が廊下の奥から歩いてくる。あの異変が解決し、能舞台を成功させたくらいからこの寺にいるようだ。

 生みの親の方に行くかと考えていたが、聞く限りではこの寺に居ることが多いらしい。たまに修行にも混ざっているようで感情を落ち着け育むのにいいらしい、無を目指す物で育むなんて、住職からすれば複雑な気もするがそれも救いと考えているのかね。

 

「すまないアヤメ、待たせた。村紗何かあった?怒ってる?」

「怒ってるけど今日はもういい、待たせたんだから早く出かけなさい」

「だそうよ、こころ。これ以上怒らせる前にあたしは逃げ出したいんだけど?」

 

「怒らせた割に笑ってる、アヤメ酷い?」

「そうよ、こいつは酷いの。だから早く連れてって」

 

「ね? 怖いからもう行きましょ。またねキャプテン、帰りに寄るわ」

「バイバイ村紗」

 

 こころの手を引き外へ出る、雨は未だに降っていたが来た時よりも随分弱い。ほとんど止んだ状態でもうすぐ止むかもしれないな、それなら蛇の目は邪魔なだけだ。

 目的地でも降るかもしれないが濡れたら風呂にでも入ればいい、そう考えて蛇の目を寺に置いていく、立てかけておけば誰かしまってくれるだろう。

 誰にも気にされず忘れられてあの茄子みたいな奴になっても面白いが、ここの住人達の性格を鑑みれば多分しまってくれるはず。干してくれれば尚ありがたいね。

 何も言わずに立てかけて寺の参道を歩いていると、表情変えずに疑問を浮かべる引いた手の持ち主に問いかけられた。 

 

「いいの? まだ怒ってるはず」 

「もう謝ったし今日はいいの、帰ってきても怒っていたらまた謝るわ」

 

「今のうちの方が簡単だと思うけど?」

「勉強出来てるけどまだまだね、キャプテンは『今日は』って言ったでしょ?だから今日は謝っても許してもらえないのよ」

 

「難しいな」

「難しいわね、だからこそ楽しいのよ?」

 

 覚えたて‥‥とは厳密には言えないが安定し始めた感情で色々と考えているのか、謝るなら早いほうがいいなんて心の機微にも気がついている。これから何に興味を持っていくのかわからないが、色々覚えればいいさ。

 良くも悪くも酸いも甘いも知ってみないとわからない、ここに来る前にも思ったが百聞は一見にしかず。種族柄魅せるばっかりなんだ、機会があれば知らない物でも見て魅せる方に役立てりゃいいんだ。

 

 繋がるところがなくて考えなかったが、どことなく屋敷の妹に近いのか?こっちは引きこもりではないが、好奇心は似たようなもんだし不安定さも似ているか。

 それならその内会わせてみるか、もしかしたら吸血鬼題材の新演目なんてのが生まれるかもしれない。和洋折衷な伝統芸能なんて小洒落てていいじゃないか。

 

 小さく口角を上げてこころの方を見ずに笑む。顔色を伺ってるわけではないのだろうが、変わる表情が気にはなるのだろう。目敏く見つけた猿面妖怪にそこを突っ込まれた。

 

「また笑ってる、なにもないのに笑うのはおかしい」

「今は何もないけど、ないからこそ先に出来るかもしれない後の楽しみに期待するのよ」

 

「後の楽しみ‥‥なら取っておいたほうが楽しいはず」

「それはそれ、今楽しいしこれも楽しむ。分けても減らないなら多いほうがいいわ」

 

「そうやってまた難しい言い方をする、アヤメは面倒くさい」

「言い切ったわね? ならそれらしくするわ」

 

 貯めこんで笑ってもその都度笑っても数はおんなじ一回だ、それなら回数多く機会多く楽しみ笑ったほうが得。感情の損得を勘定する、悪くないな最近調子が良くて怖い。

 和が広がり見聞でも広められたのかね、百聞して百見出来ればもっと色々と気がつけそうだ。いい流れにでも乗れたと考えてこのまましばらく委ねるとしよう。

 猿面と狐面を入れ替えながら、手を引かれてついて来る無表情な付喪神。そういえば伝言もあったなと思いだしたが、何か悩んでいるようだし後でいいか、何処かへ逃げるわけじゃなし。

 いつまでも手を引いて後につかれるのもなんだなと思い歩を緩めると、般若面を正面に被り顔を見せない面霊気が隣に来た。

 

「ごめんなさい、面倒臭いのは嫌」

「コロコロ変わって、こころも大概面倒臭いわ」

 

「今の私は面倒臭い?」

「可愛らしい面倒だけどね、あたしと一緒ね。嬉しい?」

 

「嬉しくない」

「そこで嬉しいと言えれば褒めたんだけど‥‥まあいいわ、素直なこころも可愛いから」

 

 般若から始まり大飛出、次いで猿から福の神。これだけコロコロ変えられれば表情なくても十分だけれど、からかうにはちょいとわかりやすすぎて物足りない。

 可愛いと言われつなぐ手の力が強くなる、ほんとうに可愛いなこいつ。

 

 さっきはあの妹に似てると感じたが‥‥いや比べるのは失礼か、この子はこの子だ。

 なら可愛い者が増えたと素直に喜ぼう、愛でるモノは多い方がいい。

 少女らしくそれだけにしておこう。

 お手々を繋いで雨上がり、向かうは地下の旧地獄。

 間で道草するけれど、全部楽しく過ごしましょう。

 可愛いデート相手が楽しめるようエスコート役をそれなりに頑張る。

 帰りに楽しかったと言ってもらえるよう、またと言ってもらえるよう珍しくやる気を出した。


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