トントンと包丁の刻む音がする度に左右二つに結い纏めた長い茶髪が揺れている。
揺れて鎖骨に沿って前に来る度に片手で戻していかにも邪魔そうだ、作業するのに邪魔そうだから調理中くらいは結い上げるなりすればと言ってみても、これは私のトレードマークだと言い張ってそのままにしているお隣の烏天狗。
いつかの写真の焼き増しが出来たと言って昼餉の時間を見計らって来た、妖怪の山の今どきの念写記者 姫海棠はたて。
珍しくお山を出てきたので今日は雨でも振るのかと言ってみたら、渡す手段がなかったから仕方ないでしょと言い返されてしまった。たまに我が家に来る方の天狗の新聞記者に渡すよう頼んだら早いのにと、そう考えたが話を聞く限りどうやらこの写真は見せていないようだ。
失われた過去の景色を写すとてもいい写真なのに自慢しないなんて珍しいなと思っていると、この写真は記事の為に撮った写真じゃないから新聞にもしないし自慢もしないとの事。
良い物ならなんでもかんでも使うのかと思っていたがある程度の線引はするらしい、記者としての挟持を見せるはたてが少しだけ格好良く見えた。
わざわざ届けてくれるくらいだし素直に手渡してくれるかと思っていたがそうはならず、鼻を高くして写真をひけらかしながら笑うはたて。そういや報酬の写真一枚をまだ撮影していなかったなと思い出して、以前のようにポーズでもと科を作ると微笑みながら止められた。
不意打ちでそのうちに念写するから気にせずにいてくれればいいそうだ、あたしとしては不意打ちよりも決め顔一枚のほうが楽だしありがたいのだがそれは却下されてしまった。
こう言われてしまっては仕方がないので諦め、写真を受け取り箪笥にしまいこんだ。
何故飾らずにしまうのかと怒られたが、写真立てもないし裸で飾ってもすぐに痛むか汚してしまう、そう伝えると不満顔で納得し次は写真立ても持ってくるそうだ。
お山から出ることなんて殆ど無いくせに次なんてあるの?
クスクスと笑いながら煽ってみると、写真に関しては本気だから後のフォローもきっちりやるのよと胸を張りながら答えられた。返答に素直に感心しそれならと、一つ約束というか小さなお願いをしてみた、ほとんど自宅におらずどこかをふらふらしている事の方が多いから、我が家に来るなら朝方にしてくれと頼んだ。
それくらいならお安い御用と言ってくれたが、はたてが朝から行動する姿が想像できず小さく笑うと、山や家から出ないだけであんたと違って規則正しい生活してるわと反論された。
規則正しく不規則な暮らしぶりで自宅にいない事が多いあたしと、規則正しく生活し住まいから出ることがないはたて、間逆な暮らしぶりだと笑うとそうねと笑ってくれた。
話は変わって珍しく顔を見せたのだからたまにはどう?と台所を煙管で指すと、丁度いい時間だしご馳走になると言ってくれた。
誘ってみて素直に返事を貰えるというのも悪くない、気分よく台所に立つとはたてが隣に立ち野菜を洗ったり食器を出したりと言わずに手伝ってくれ始めた。
横目で眺めるだけで何も言わずにいると、家から出ないから色々勘違いしていそうだし、来たついでにここで挽回していくわと楽しそうに話してくれた。
今まで何度かはたての自宅に押し入り掃除の行き届いた部屋や、整頓された記事の資料を見ていたため家事はそれなりに出来ると思っていたが、手を出す彼女が楽しそうに見えるため余計なことを言うのはやめた。二人でやれば進みも早い、ちゃっちゃとおかずも数品作り後は米が炊きあがれば楽しい昼餉だという頃にはたてから一つ質問を受けた。
「一人住まいなのに湯のみ多いのね、なんで5つもあるの?」
「勝手に茶を淹れて休んでいくのが多いのよ、一つははたての同僚よ」
はたての視線の先にある並んだ湯のみはそれぞれ大きさも形もバラバラで統一感なんてない物ばかり、その内の一つであの天狗の記者の湯のみを手に取り渡してみる。
訝しげな表情でそれを受け取るとなにか思いついたのだろうか、いたずらな笑顔を浮かべて湯のみの底を覗きながら何か話しかけてきた。
「後一個くらい増えても問題ないわね」
「持ってくるのはいいけど使ったら洗って水を切っておいてよ、カビが生えるわ」
湯のみの並ぶ棚にはまだまだ余地があり湯のみの一つや二つくらいなら増やした所で問題ない、今更招待状のない客が増えたところでなんとも思わなくなっていたため決め事だけを伝えておいた。最初は一つだけだった湯のみがいつの間にか二つに増えたのはあの妖怪兎が我が家に来始めてから、あたしの湯のみでお茶を啜り茶筒で小突いて起こしてきたため、あたしの分の茶を寄越せと寝起きで口悪く言ったのが始まり。
その次の日から、妖怪兎が自前の湯のみを持ち込んで茶を啜りながらあたしを小突いて起こし、あたしの湯のみにもお茶が注がれるという今の朝の形ができた。
二つ並んだ湯のみの隣、追加でもう二つ並び始めたのはもう少ししてから、一つはあるお使いから帰って来てしばらくあたしの介護をしてくれたあの式の物。
棚に二つ並んだ湯のみを見てあの胡散臭い式の主が、うちの分も置いておきなさい、偶にはお茶しに来てあげるわと、微笑みながらスキマから湯のみを取り出してきた。
言ってみればこの湯のみはあの主と式二人共同の物という感じで、冬眠に入った主の代わりに忙しなく走り回る式と気まぐれで来る主とで使いまわしている。
同時期に追加されたもう一つだがこれは正確にはいつからあったのかわからない、性悪ウサギよりも後だというのはわかるが知らぬ間に追加されていた。
あまりに自然に増えていた為洗い物として流しに置いてあっても気が付かずに一緒に洗ってしまっていた、持ち主が誰なのかわかったのは八雲の式との介護生活が終わった頃。
あの心を読めない妹妖怪の物だったようでそれがわかってからは洗うように叱っておいた、ちなみに棚をカビさせたのもこの湯のみではたてに伝えた決め事が出来たのもこの時。
最後にはたてが手に持っている湯のみだがこれは前述の通り、あの口数の多い天狗の新聞記者の物。取材と称して度々我が家に来ては暇をつぶしていく中で、記者に出す湯のみが毎回変わっている事を不思議に思われ質問されてからこの記者も湯のみを持ち込んできた。他人の湯のみを使いまわすのはなんだか気が引けるとデリカシーのある言葉を言っていたが、普段の行いからデリカシーなんて感じられないのにと笑うと怒られてしまった。
「今日はそれ使っていいわ、同じ天狗だしいいでしょ?」
「少し癪だけどいいわ、次は私の分も持ってくるから今日は我慢してあげる」
癪だという割には表情は明るいままで気にしているようには見えない、この二人も記者としては争う間柄だが天狗としては良き友人だ気にすることもないだろう。
話している間に米も炊けたようだしおかずの盛られた皿を並べて二人で卓に着くと、世間話をしながらお箸と口を動かし始めた。
食事しながら話すとは躾がなっていないと思われそうだが、少しの会話は調味料だと考えているし立て箸やたたき箸、口に物を含んだまま話したりとよほど酷い物でなければ気にしない。
口うるさく言うよりは食事も会話も楽しんだほうが両方を美味しく頂けるというものだ。
「ねぇ、文っていつから顔を出すようになったの?」
「ん? 確かあたしが幻想郷に来て少ししてから、お山に入って椛に見つかり文と会ってからすぐくらいよ」
はっきりとは思い出せないが大体そのくらいだろう。
紫に拾われて博麗神社に吐き出され幻想郷の話を聞かされて竹林に居を構えた後、紫のお使いから帰って生やした腕の調子を見るのに妖怪の山へ遊びに行った時だと思う。
勇儀姐さんから少しだけ話を聞いていた天狗達の暮らしぶり、閉鎖的な暮らしを続けて部外者を拒絶し生きる幻想郷の天狗衆。
外を拒絶し変化を嫌う者達と聞いて偏屈な集団だと思ったのだが、リハビリ代わりとするのにお山の天狗と験比べもいいかもしれないと顔を出しに行ったのが出会い。
「あー‥‥椛が侵入者を見つけて警告したけど相手にされず困ったっていうの、アヤメだったの」
「此処から先は通せないなんていうからあぁなったのよ?」
~少女帰想中~
たらたら歩いてお山の麓から山頂を望む。
高く高くそびえ立ち頂きには雲がかかって霞んで見えるほどの高さのお山。
参道とはとても言えない踏み固められた獣道をゆっくりと歩き進むと少し入ってすぐくらいだったか、何処かから警戒色の強い声でとまれと声をかけられた。周囲を見渡しても声の主の姿は見えず、空耳だったのかと思い気にせずに歩を進めようと二歩目の足を出した時、つま先に剣を投げつけられた。
「聞こえなかったのならこれが最後だ、止まれ」
「空耳だと思ったのよ」
本心を述べたつもりだったが挑発にでも聞こえたのだろうか、突き立てられた剣を手に取り切っ先をあたしへと向けながら殺意の宿る瞳で真っ直ぐに見据えられた。
聞いた通りにお固い天狗様だと感じたが、斥候に出されるくらいなら力もあるだろうし口調から知恵もある者だと思い、少し会話をしてみようと思った。
「聞こえているのなら立ち止まるくらい‥‥すぐに立ち去れ。ここから先は天狗の地、許可無き者は通さない」
「なら先へ進まなければいいのね」
一瞬だけ素の表情が見えた、どうやら生真面目な者らしい。
殺意は変わらず向けられているが、その場から動かず煙管を燻らせているあたしへの対応に困っているらしい、偏屈な集団だと思い込んでいたが、それなりに遊べそうな可愛いのもいるんじゃないかと少しだけ楽しくなってきていた。
「ここから去れ、警告で済む内なら見逃す」
「優しいのね、でもイヤだと言ったらどうなるのかしら?」
「わからないほど愚かな者には見えないが、伝わらないなら仕方がない」
言い切ると構えていた剣に殺意がノッて一直線に薙ぎ払われる、があたしに剣が届くことはなく剣筋が逸れ空を切った。迷いなく首を狙う剣閃に感心はしたが言葉を放ってから行動したのでは意味がない、本気でやろうと思うなら警告などせずに無言で斬りかかればいいだろうに。
それともはなっから本気で殺そうとは考えていないのか、変化を嫌うのだから見知らぬ狸の死体が山で転がるのも嫌なのかもしれない。
「覚りじゃないもの、言われないとわからないわ」
「今のは?‥‥何を‥‥?」
「何かしたように見えた?」
初めてあたしの『逸らす程度の能力』を感じたものはほとんど同じような表情をする、怪訝というか不可解というかわからないといった難しい顔。これを見るのが小気味よくて多少の荒事は受けから始まってしまう、けれどそうなってもいいくらいには面白いのでやめられそうにない。
おかげでたまに痛い目に合うが余程の場合だけだ、大概の場合はこの天狗様のように理解しようと思い悩んでくれて、なんとも堪らない。
逸らされて笑ったのは鬼二人にスキマ、それとその式が表情を変えなかったくらいか。
「あたしはここよ? よく見なさい?」
あたしの煽りに遠吠えで返し、牙むき出して威嚇する天狗殿、ぱっと見では犬かと思ったがこの娘は狼のようだ、野生の宿る瞳が燃えている。けれど咆哮からはなんというか、怒りではなく冷静さが聞き取れた。
咆哮もあたしに向かってではなく天に向かって吠えたようだし‥‥客人に対して盛大なおもてなしをしろという声ならとても嬉しいけれど、そうはいかないのだろうな。
なら声を聞いてここに向かってくる者相手にも少し会話をしてみよう、頭に血が上っているこの狼ちゃんよりはいくらか話が通じるだろう。
狼ちゃんの鋭い剣戟を煙管で受けては流していく、数手の攻防の後に冷静さを取り戻した狼殿から馬鹿にするなと罵られてしまった。捌かなくても当たらないものをわざと受けるとはどういうことか、そう言いたいのだろうが今も変わらず能力で逸し続けてはいる。
逸れる方向を指定しそれに沿って煙管を宛てがっているだけで捌いているように見せただけ、それをこの狼殿は能力を使われずに遊ばれていると勘違いしてくれた、やること成す事全てになにか反応を見せてくれてこの娘は面白い、剣を向ける相手にこうなのだ普段はもっと生真面目なんだろう。なんだ、偏屈なんて事はなかった、噂や人聞きの話などやはりあてにならないとニヤニヤ笑っていると、妖気の混ざった風が吹き誰かの訪れを教えてくれた。
「椛の遠吠えに呼ばれてみれば新参の狸さんじゃないですか、本日はどのような?」
「知られる様な事はしてないんだけど、耳が早いのね天狗さん」
「この幻想郷で知らぬことなどないのですよ、我々天狗程幻想郷を見ている者は居ない。我々天狗程幻想郷に詳しい者は居ないのです」
「なら引っ越しのご挨拶を教えてほしいわ、手土産でもあればよかったかしら?」
余裕たっぷりといった表情で天狗自慢をしてくれた天狗様に教えを請うてみる、そうですねと返答しながら風が巻き起こりあたしの周囲を切り巻いた。頬に触れた木の葉で一筋の傷が出来るが気にすることなく佇み天狗様へと微笑みかける、同じような微笑みを浮かべ天狗様の口が開かれた。
「おかしいですね、風が散ってしまいました。それも綺麗に貴女から逸れるように」
「風なんてそんなモノでしょう?気まぐれに吹くものじゃない」
「私以外の者からすればそうですね」
言葉とともに再度風が巻き起こる、目には見えないが山の木々を裂いて進む風の刃と呼べる旋風、地にある木の葉の軌跡から真っ直ぐにあたしに向かってきていると見えるが、見えない刃が届く頃には、あたしの髪と着物の袖を揺らすだけで、刃はこの身に届かず周囲を切り刻むのみで消えていった。
しかしこれは手厳しい相手、口ぶりからすれば風を起こすか操るか出来るのだろう。
風向きを逸らすことは出来るがそうしたところで解決とはいえない、対応は出来るが対策にはならないといったところか。久々に出会う相性の悪い相手だとクスクス笑ったが相手もそう思ってくれたのだろう、同じように小さく笑ってみせた。
「これは困りました、私の風が届かない」
「そんなことないわ、心地良い風よ?」
「貴女一人を相手にしているほど私は暇ではないのですが、困りましたね」
「ならあたしに構わず帰っていいわよ? 満足したら帰るから」
互いの軽口は減らず互いの挑発にも乗らない拮抗した状態、手がなく動けない狼殿は放っておいても構わないがこの天狗様は放置しておくと火傷じゃ済まない。
どうしたもんかと考えていると一つの提案が出された、それでは験比べでもして満足して頂きましょうと。
内容は簡単、どちらが早くお山の滝へとたどり着けるか?
他の者には手出しさせませんと高みから言葉を頂いて言われた目的地へと目をやった、遠くに小さく見える大きな滝‥‥あそこがこの験比べのゴールなのだろう、少し考えて了承し、天狗様との験比べと相成った。
~少女帰想中~
「それでどうなったの?文は話したがらないけど」
「文が飛び立ったのを見て帰ったわよ?」
生真面目で今後も何かと楽しめそうな白狼天狗に、宿す力の底が知れない黒い翼の烏天狗。
ただのリハビリ、暇つぶしのつもりで訪れた割にはいい出会いがあり、これからの生活の楽しみができたと満足してその場を離れた。飛び立った文を見送り椛に帰ると伝えると飛び立った方向とあたしを見比べて、きょとんとした顔だったのが可愛らしくて微笑んでしまった。
「あんた達の出会いの話をしたがらないのはそういう事だったのね」
「いい出会いだったと思うんだけど、なにが恥ずかしいのかしらね」
「本心で言ってるなら性格悪いわ、あんた」
クスクスと笑いながらいい出会いだったと素直に述べてみたのだが、何が悪いのか性格についてのダメ出しをされてしまった。
性格が良いとは未だかつて言われたことがないが、いい性格だと言われることは度々ある、自身でもそれほど趣味が悪いとは考えていないし、面白おかしくなるのなら多少のことはどうでもいいと思っているけれど‥‥それの何がいけないのか?
自分に正直に生きるあたしにはよくわからない。
「それから文がうちにくるようになったのよ、最初は逃げるな! なんて騒がしかったけど満足したから帰ったと話したら静かになったわ」
「天狗が験比べを棒に振られるなんてないわよ? 少しだけ文に同情するわ」
不意に考えついた一方に有利な験比べに乗っかる者などいないだろうに、フラれたくらいで怒るなんて天狗は気が短いのかね、天狗なら天狗らしく鼻と同じくらい気を長くしていればいいのに。
そう考えたが思い直した、隣に座るこの天狗にしろあっちの二人にしろ伝承とはちがって可愛らしい少女だ、少女なら少女らしく気まぐれでもいいか、食後のお茶を啜りながら一つ納得して湯のみを置いた。