東方狸囃子   作:ほりごたつ

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小さい子の考えってよくわからない、そんなお話。


第四十話 暇つぶし

 煙がゆらゆらと揺れている。

 空気静かな冷たい朝、川の流れが少し弱まりそこが溜まりとなっている小さな沢。

 その沢に転がっている大きな岩に腰掛けて、遠くに流れる雲を見上げている一匹の化け狸から漂っているものだ。

 

 古い時代、人間が火を覚え暮らし初めてからは切っても切れないものだろう煙。狩猟をし獲物を焼いてのぼる事も、虫を煩わしく思い炊く事もある。

 遠く声も姿も届かない相手に何かを知らせるための通信手段として用いる事もあるだろう。

 しかしこの化け狸から漂うものはもっぱらその嗜好を満たすだけのもの。

 生きるために必要な物ではない。だがそれ故にこの化け狸はその煙を漂わせる時間をとても大切にし、少しでも長く楽しむ事にしている。

 

 もういくつかこの化け狸が楽しみにしている物はある。

 今座っている岩から垂れる、一本の糸も最近見つけた楽しみだ。

 身を裂くような冷たい空気が周囲の静けさを強めているように感じられる風景、その静かな風景の中に人影が二つ。

 川辺の岩に跨って煙を漂わせる縞尻尾とその隣で糸の動きを目で追う二本尻尾。

 川の流れに逆らうことなく水面をゆらゆらと流れる糸、不意に小さく波紋を立てて浮いたり沈んだりしている。獲物を狙って糸を垂れているならその動きに集中するのだろうがこの狸に集中している様子はなく、左手に持った愛用の煙管をぷかぷかとさせながら右手の竿を気だるげに握っている。

 

 ぼんやりと糸と景色を眺める狸。その腰から伸びる大きな縞尻尾が気まぐれに揺らされると、その隣では輪っか付きの耳をピクッとさせている。

 まったく集中しない狸の変わりに糸の先を見つめるその背は小さい。

 

 糸が沈む度に何か言いたそうな視線を隣の狸に向けるが、相手にされず耳をたたむ小さな隣人。この視線に気づいているだろう化け狸は気にする様子なく、煙を漂わせながら細く小さな竿を握って呆けている。糸に大きな動きが見えても竿を握る手に力が入る気配はなく、大物が掛かったら竿を持っていかれるんじゃないかと目の動きだけで竿と狸を交互に見やる小さい背中。

 

「あの‥‥釣らないんですか??」

「釣れないわね」

 

 寒さからお互いの吐息が白く漏れるが、片方は吐息のみでもう片方は煙混じりの薄い灰色。

 声を掛けた方の吐息はすぐに消えていったが灰色の方はゆらゆらと昇っていく。発した言葉も会話にはならずその灰色を眺めて、この場はどうしたらいいのだろうかと悩み二本の尾を揺らした。

 この方はずぅっと何をしているんだろう?

 釣りじゃないのかなぁ?

 二本の尻尾を揺らしながら色々と考えているがこの狸が何しているのかわからなかった。

 

~少女回想中~

 

 妖怪の山の奥深く、いや入ってすぐなのかもしれない。

 そこは見慣れた妖怪の山とはすこし違う景色、古い造りだが掃除の行き届いた小さな屋敷。

 十分に手入れされて綺麗に整えられた庭先には数匹の猫がおり、随分と大きな猫もまだ小さい猫もそれぞれ気ままに過ごしている。

 道に迷った者がたまにここまで訪れてしまうことがあり、その際にこの家の物を無事に持ち帰ることが出来れば裕福な暮らしが出来るという言い伝えがある。

 随分と平和な景色に見えるこの屋敷ならそう難しくもないだろう、そう思えるが実際のところはそう平和な場所でもない、この屋敷に関わる者の中にこの幻想郷で頂点にいるかもしれない、最も関わりたくない妖怪の内の一人が密接に関わっているからだ。

 庭先で温まり気持ちよさそうに丸くなる大きな猫もその屋敷に関わる者の一人で、最も関わりたくない者の式の式。

 

 そんな大小の猫達を優しく見つめる者が一人、縁側に腰掛けてその背中では九本の尾をふわふわゆらゆらと動かし尾の持ち主の気分を表している。

 最近は日が登っている時間が短くなってきて一晩ごとに冷え込んでゆく。それでも今日は天気に恵まれ日差しが暖かい、猫達も己の九尾もお天道さまの光を吸収し程よく温まってきた。眺める猫達はそれが気持ちいいのか微睡んでいる者も多く、自身の式である大きな猫も類にもれず微睡んでいる。

 

「橙、今年も言伝を」

「‥‥! ふぅぁい! 分かりました!」

 

 ぽかぽかとした陽気を浴びて背を伸ばしていた大きな猫。

 不意に自分の主から橙と名を呼ばれ、驚きからか毛を逆立てながら向き直ると流れるように正座し主の前に座り寄る。先ほど主が言った言伝、主の主が大事な儀式としている冬眠に入って少し過ぎたこの時期になると、毎年橙に申し付けられる単純で面倒な命令だ。

 

「時期は今週末、場所はいつも通り。伝える手段も例年通り、わかった?」

「はい!藍様!今年こそ約束を違えずこなしてみせます!」

 

 主の勅命を受け意気揚々と飛び出していく橙、その背中を優しく見つめる九尾の表情は穏やかなものだったが心情は少し違っていた。

 今年も多分‥‥いやきっとダメだろう。

 あの者を相手にするにはまだまだ荷が勝ちすぎている、それでも良い勉強にはなるのか?

 そう考えるが頭を振り思い直す。

 あんな怠惰でやる気のない者から学び、その姿を見習ってしまったらどうしようと少しだけ不安になる九尾だった。

 

~少女帰想中~

 

 川のせせらぎと木々が揺れて軋む小さな音、それと不定期的に岩で煙草を弾き落とす煙管を叩く音とだけがこの空間にある。随分とこうして二人で過ごしているが、これが何を意味しているのか橙にはわからなかった。答えを聞けるような雰囲気をこの狸を纏っていない、むしろ隣で騒いで邪魔だとでも言ってきそうな静かな瞳をしているように見えた。

 だがこのままでは御役目を完遂することが出来ない。このままでは去年と同じで褒められることはないと少しだけやる気を見せる橙であった。

 

「あの、もうずぅっとなにしてるんですか?」

「見てわからないの?」

 

 釣りだ! それ以外ない。

 それでも釣り糸を垂れるだけで獲物を釣り上げようとはしていないなぁ。

 でもこの狸様は『見てわからないの?』としか答えてはくれなかった。

 どうしよう、なにを聞けばいいのかわからない。

 

「なぜつらそうな顔してるの?」

「いえ‥‥そんな‥‥」

 

 そんなにつらそうな顔してたかな?

 確かに御役目をこなせないのはつらいけど‥‥

 でも今年こそはまだまだ橙は頑張れます!

 見ていてください藍様!

 

「なにかする気なの?」

「!!!! めめめっ滅相もないです!!?」

 

 この日初めてこの方が橙の顔を見ました!

 でも目を細くして橙を見定めるような恐ろしい視線です!

 これに貫かれただけで橙の尻尾は毛羽立ち、とても立派になってしまいました!

 藍様‥‥この方はやっぱり恐ろしい方でした‥‥

 

「何に怯えているの?」

 

 さっきの氷のような瞳とはちがう。

 なんだかとても寂しく切ない表情になってしまいました。

 怯えてる?ああ尻尾?ちがうんです!これはこうなっちゃうんです!

 でもやっぱり少し怖い‥‥でも‥‥藍様、橙はなんだかわからなくなってしまいました。

 

「難しい顔してるわよ」

「はい、とても難しいです」

 

「わからない時は橙の主はどうしろって言ってたの?」

 

 初めて顔を見て橙って呼ばれてしまいました藍様!

 今までこんなにお話されたことなんてなかったのに!

 でもそうだ、わからない時のお話だ……

 どうしても橙だけでは出来ない事があったらその時は藍様を呼んでいい。そう仰っていたけど……

 

「それも忘れてしまったかしら?」

 

 そんな、呆れないでください。忘れてなんていません!

 藍様とのお約束忘れるわけがありません!

 でも今日の藍様は久しぶりにゆっくりしてるみたいだったし、呼んで困らせるような事は‥‥

 

「そんな顔されるとあたしも困るわ」

 

 そうだった!

 このままではこの狸様も困ってしまう、橙のせいだ!

 このまま藍様のご友人を困らせるわけには‥‥でも藍様‥‥でもでも……

 

「泣かれるともっと困るのだけど」

 

「ふぇぇ‥‥藍様あああぁぁぁぁぁぁ」

 

 さすがにこの空気に耐え切れず、涙を流しながら主の名を空に向かって叫ぶ橙。

 数秒もせずに狸の横に見慣れた気持ちの悪い空間が現れる。

 その空間からは、己の式に名を呼ばれた金毛九尾の狐がほんの少しの苦笑いを浮かべて現れた。その姿を確認した橙は我慢できずに抱きついて、九尾の道士服をその涙で濡らし始めた。

 

「アヤメ‥‥いじめても良いとは言った事がないが」

「あ、釣れたわ」

 

「??????」

 

 藍様もうしわけありませんでした‥‥でも狸様はお優しく橙を撫でてくれます……

 これはなんでしょうか?‥‥藍様も苦笑しています……

 

~少女混乱中~

 

 空気が冷たくなったなと、ずっと遠くまで抜ける青空。

 夏場とはちがう冷たく澄んだ空を見て思う、こんなに冷えては釣り糸を垂れても掛かりは悪いだろうなと。

 まぁ獲物を求めて釣り糸を垂らしているわけでもないし、今はこの景色と煙管。

 それと隣で神妙な顔をしている橙を眺めて楽しもう。

 

 やはり釣果は上がりそうにないな、隣の猫に土産でもと思ったけれど今日はダメね。

 ん、金属音?

 あぁ橙のリングピアスか。

 式にこんな物つけるって事は藍もあの帽子の中はこんな風なのか?

 

「あの‥‥釣らないんですか??」

「釣れないわね」

 

 そうね釣れないわね、魚も藍も両方釣れないわ。

 橙を式にするまで自分で酒宴の誘いに来てきた癖にいつからか任せきりにして。

 今年も言伝です! なんて毎年緊張してくるこの子の身にもなればいいのに。

 

 そういえば何故この子が来るようになったんだったか。

 あぁそうだ。

 橙という子を式にした、良ければ色々教えてやってくれと言っていたんだった。

 暇だし藍の子ならいいわと引き受けたんだけど、少し真面目過ぎてねぇ。

 まずは頭の体操からと思いちょっとした約束をしたんだった。

 約束は簡単、あたしのその日の行動を当てるという事。当てられたなら橙にいろいろ教えてあげるという約束。

 

「あの、もうずぅっとなにしてるんですか?」

「見てわからないの?」

 

 釣りですか?

 そう聞けばもう答えなのにこの子は遠回りというかなんというか。

 釣らないんですか?

 まで来たのに惜しい。

 言葉通りに捉えてくれればいいんだけど、何を考えてるのかしら?

 なにか切なそうな、つらそうな顔だけど。

 

「なぜつらそうな顔してるの?」

「いえ‥‥そんな……」   

 

 なにか間違えた?

 そんなに悶々とするような顔をするなんて。

 お、急にキリッとした表情になったけどなにかあった?

 それとも面白い事でもしてくれるの?なにか期待してもいいの?

 

「なにかする気なの?」

「!!!! めめめっ滅相もないです!!?」

 

 やるなら早くして欲しい、川べりはちと冷える。

 なにか上掛けでも持ってくれば良かった。

 この子でも抱っこすれば少しは暖かいだろうか?

 でも抱っこするにはちと大きいような、抱きかかえる感じか?

 やたら尻尾が太いけどどうしたのだろう。

 なんかイヤな事でもあった?

 舐めるように見たのがまずかった?

 

「何に怯えているの?」

 

 なんだろうか表情をコロコロ変えて、忙しい子だ。

 怯えたように見えればいまは何かこらえるような。

 うむ、よくわからない、この子は今何を考えている?

 

「難しい顔してるわよ」

「はい、とても難しいです」

 

「わからない時は橙の主はどうしろって言ってたの?」

 

 何もしてないのにこうも悩ませるとは、本当にどうしたんだろう?

 悩みなら聞くし藍にでも相談したらいいのに、困った子をあやすのは得意じゃないんだけど。

 どうせ見ているのだから、藍のヤツも早く来てあげたらいいのに。

 

「それも忘れてしまったかしら?」

 

 あまり悩まずに冷静になったほうがいいわ、少し落ち着きなさい。

 悩みすぎて涙目になってるし、藍早く来てこの子とあたしを助けて。

 

「泣かれるともっと困るのだけど」

 

「ふぇぇ‥‥藍様あああぁぁぁぁぁぁ」

 

 耐え切れなくなったか、それでも泣いてから来るなんて遅いわ。

 まぁいいか、魚のかわりに獲物かかった。

 

「アヤメ‥‥いじめても良いとは言った事がないが」

「あ、釣れたわ」




日光浴びてぬくぬくの猫っていい匂いしますよね。

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