東方狸囃子   作:ほりごたつ

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たまに昔を思い出すことってある、そんな話。


~日常~
第三十九話 不思議の国の


 綺麗に整えられた寝床で朝を迎える、住み慣れた穴蔵へと差し込む柔らかな朝の光。

 その光を求める様にゆっくりと外へと向かい歩みを進める。

 穴蔵の出口に建てられた小さな祠。

 鳥居もなく小さな切妻屋根だけが備えられた質素なモノ。

 そこにはこの祠に住まう者を崇める人間が供えたのだろう二本の団子。

 それを手に取り頬張りながら住まいの入り口で背を伸ばす。

 目を閉じ両手を空に投げ、つま先立ちになり体を完全に伸びきらせると少しだけ震えが来た。

 伸び切った体に入った力を緩めたタイミングで腰の辺りにポフンと小さな衝撃が走る。

 視線を落とすと黒髪を揺らし腹に顔を埋める童子。

 

 とても懐いているのだろう、笑顔で体に抱きつかれ離れる様子のない童子の手を取ると、この穴蔵から広がるように作られた麓に見える町まで歩いて行く。

 こちらの顔を見上げながら、いつもそうしているかのように自然に笑い声を上げてはしゃぎ幸せそうな顔をする童子。それを当たり前の者のように見つめている。

 町の入口を過ぎ通りを歩くと、皆が皆こちらを見ながら声をかけてくる。

 誰も彼もが穏やかな表情で心地よく感じられる。

 少しひらけた場所に出るとつないだ手を離し童子が駆けてゆく。

 先へ進むと早く来てとでも言うように手を振ってくる童子。

 手を振る童子に向かい小走りで走りだすとそこで視界がぼやけ、少しずつ白に包まれていく。

 手を伸ばすが童子に届くことはなく、そこから何も見えなくなった。

 

 

 少しずつ視界が戻る。

 何もない黒から少しずつ白んでいき段々と輪郭をはっきりと捉えられる景色が見えてきた。

 見慣れたような見慣れないような、あやふやな気分で曇り空を見上げて目覚める。

 朝から蝉が鳴いて随分とうるさい、頭をかいて周囲の木を睨みながら視線を流す。

 ボリボリと音が出るほど強めにかいていると不意に手を取られ止められる。

 大きなゴツゴツした手、不意に止められても不快感のない暖かな手。

 手から腕、腕から顔の方へと視線を見上げていくと優しく笑う男の顔が見えた。

 蝉がうるさくて寝られないと文句を言うと、笑いながらもう起きろと抱き起こされる。

 抱かれてそのまま体を預けるが、男の体は揺らぐことなく優しく受け止めてくれた。

 そのまま軽いくちづけを交わし、すぐに出かける男を見送った。

 遠ざかっていく小さい背を見送りながらまた視界がぼやけ白く包まれてゆく。

 童子の時とは違い追いかける事は出来ず、俯き立ち尽くすことしか出来なかった。

 そのまま、また何も見えなくなっていく。

 

~少女覚醒中~

 

 紅茶の香りで目を覚ます。

 嗅ぎ慣れたものではなく知らない香りだが、どこか気分が落ち着くような妙な懐かしさの感じられるいい香り。

 匂いに釣られ体を起こすが、起こす際に掛けられていたタオルケットをソファーから落としてしまう、言葉を発さない二体の人形が動きそれを拾い上げてくれた。

 白いポットを持ち慣れた手つきでカップに注ぐ別の人形、ソーサーをあたしの手元に運び終えると次も一連の作業だというようにカップを持ったまた別の人形が寄ってくる。

 

 表情も変わらず言葉も交わすことはないが、次はこれと動きや仕草で示してくれる給仕隊の面々。小さく可愛い物がせわしなく動きまわるこの空間を楽しみ、注がれた紅茶を口にふくんだ。二口ほど飲み周囲に目を配る、表情を変えない人形たちが踊るように動き様々な家事をする姿。

 何も言わずにそれを見つめていると奥の部屋から声が聞こえてきた。

 

「お目覚めね、良い夢は見られたの?」

「おかげ様で。もう二度と手に入らない物を見られたわ」

 

 拾い上げられたタオルケットを人形から受け取り椅子にかけると、あたしが体を預けるソファー横の椅子に腰掛ける。慣れた手つきで人形から受け取った紅茶のカップに口をつけると、カップをまた人形に預けて手元に持つ見慣れない薬瓶を小さく振った。

 服用しそのまま眠りにつけば良い夢が見られるという八意永琳特性の秘薬、胡蝶夢丸。

 その薬を魔法の森の人形遣いが持っていると聞きつけて譲って欲しいとお願いしてみると『ここで使うなら構わないわ、それといつかの答え合わせもしてくれるなら』

 という条件で譲ってもらうことが出来た。

 答え合わせをする間のアリスの顔も中々楽しいモノだったが、ここでは割愛しておこう。

 あとで黒白にでも話した方が面白い。

 

 それで夢の新薬胡蝶夢丸だが、わざわざここへ来て譲ってくれとお願いしなくても永琳に言えば作ってくれるとは思う。

 だが、永琳にお願いした場合ここでの条件よりもいささか面倒な事になるだろう。あの女医の事だ意地の悪い事を言ってくるに決まっている。ならこっちのほうが楽、そう考えこちらに来てみたわけだ。

 

「良ければ内容を聞きたいけど」

「そうね‥‥もしかしたらそうなれた、けれどそうはならなかった。そんな内容」

 

 あたしの感想に納得したのかしていないのか表情も変えず話を聞く少女。

 冷たく光る青い瞳でこちらを見つめたまま動きを止める。

 その瞳からは感情や心の機微といったものを捉えにくいが、彼女は先ほどまでの人形ではない。

 話せば話すし面白い事があれば笑う、ただほんの少しだけ感情を表現する力に乏しいだけだ。

 アリス・マーガトロイド。

 魔法の森に一人で住み手製の人形に囲まれて暮らす、魔法使いの人形遣い。

 

「仮定の夢ね。それはいいものなの?」

「わからないけど‥‥そういうものになっていても良かった。そう考える自分は確かにいるわ」

 

 素直に述べた。

 きっとあの夢の中のあたしはあの暮らしを良いものと感じて過ごしていたのだろう。

 あの童子や町の人々、あの男。

 彼らを見つめるあたしの表情や感情はとても大事な者を慈しむようなものだった。

 けれどあの夢の通りにはならなかった。そうはならなかった。

 でもそれでも良かったと考える自分がいる。

 今は友人と呼べる者もいるし、友人と呼んでくれる者もいる。

 それが心地よいと思えるし、こうなって良かったと感じている。

 あの時のように失うのはイヤ。今を失うのが怖いと思うあたしがいる。

 

「ではなぜ泣いているの?」

「そうね、昔よりも今のほうが幸せだという事に気が付けたから」

 

 もう手にはいらないものを思うものではなく失いたくない今の為に流すもの。

 頬を伝うこれを存外悪くないと感じているし、今流すモノをこの人形遣いに見られても特に恥ずかしいとは思わなかった。

 聞いていた通りにいい夢が見られたと伝え、紅茶を口に含み正面の人形遣いを見ると目が合う。いつもなら目が合ってもすぐに視線を逸らすこの口数の少ない人形遣い、今日は視線を動かさず真っ直ぐに見つめてくる。何か言いたいことがあるが、それを何から言葉にすればいいのかわからない。

 そんな目に思えた。

 

「アリスが見る夢は、いい夢ではないのかしら?」

「わからないわ」

 

 

 あたしは少し考えてそう自分に言い聞かせた夢の結論だったが、この人形遣いはすっぱりと言い切れるのか。同じ薬だ、きっといい夢は見られているのだとは思う。それでも曖昧にわからないと答える彼女があたしにはわからなかった。

 

「いい夢を見せる薬を飲んで見る夢がいいものかわからない? なら薬なんてやめたら? それとも拘る理由がほかに何か?」

「わからない夢をわかりたいから薬に頼っているわけじゃないの。薬を飲んで見た夢の後に今の暮らしを考えて、夢よりも今がいいものだと思いたいのかも」

 

 今に不満がある、というわけではなく今の満足や安心を再確認したいということか。

 何をそんなに不安に思うことがあるのだろう?

 聞く限りだが友人もいるようだし、人里での人形劇も流行っている。

 劇の途中にも終わった後の拍手にも笑顔で答える彼女を見た事もある。

 薬を使ってまで確認したいものがなにかあるのか?

 

「何か確信を得たいのかしら?」

「確信ほど強いものじゃなくていいの。ただ、私が今幸せだと少しでも実感出来ればそれでいいの」

 

「今幸せではないの?」

「それなりに幸せよ、でも‥‥こうしてここで人形を造り日々暮らすアリスと、別の世界で楽しそうに微笑んでいるアリス。どちらが幸せなのかわからないの」

 

 別の世界というのはなんだろう、外の世界?

 話しぶりからするともう一人アリスがいる。

 もしくは別の世界で今ここにいるアリスが違うアリスになっている、くらいか?

 

「別の世界がよくわからないけどアリスは複数いたかしら?」

「いいえ‥‥あっちのアリスも今のアリスも私なのよ、この世界では魔法使いの人形遣い。あっちでは創りだしてくれた母と楽しく遊んでいるの。あっちでの感情も嘘だとは感じられないし、今こうして話す私が感じる気持ちも偽物だとは思えない」

 

 一つの精神で二人のアリス、ちぐはぐな肉体と精神が揺れているって感じだろうか。

 なんというか難儀な体、いや精神?

 まあどちらでもいいか。

 薬でこっちの世界を見たいということはこちらでの暮らしを大事にしたいということだろう。

 それを悩み事のように言うがなんとも贅沢で羨ましくて……妬ましい悩みだ。

 

「どちらも幸せなアリスがいる、そしてどちらも選べない?」

「選べないわけじゃない、私は今に満足しているの。それでも夢のアリスは母と共に幸せそうに笑い過ごしている、どちらが幸せをより実感できているか・・それが気になるだけ」

 

 今に満足していると言うのだ、すでに結論は出ている。

 なら少し愚痴をこぼしたいだけか。

 薬のお礼もあるから少しくらいは付きあうが愚痴というより自慢話に思える。

 現実の自分が夢の自分に嫉妬する、パルスィが聞いたら嫌な顔をしそうだ。

 それともこれも妬むのだろうか。

 一人のくせに二人分の幸せに甘えられて妬ましいわ、なんて。

 

「夢のアリスは幸せに笑う、でも今のアリスはそれに悩む‥‥夢のアリスが私を見てどう感じるのか‥‥それがわからない」

 

 別のアリスから見てどう感じるのか知りたい。

 けれど知る方法がないため薬を使い幸せそうな夢のアリスの姿を見て悩み考える。

 いくら考えたところでわかりようもないことだと思うが、そこまで思い悩むことだろうか。

 夢なんて過去を思い出しているかそうありたいと願って見るか、それくらいのものだろうに。 

 なんにせよ、夢も現もどちらも幸せを感じられるならそれでいいとは考えないのか?

 学び蓄える種族は知識に対して貪欲過ぎる、自分でもよくわからない事を理解し得たいとは‥‥やはり贅沢な悩みだった。

 

「悩むことでもないでしょうに、どっちも幸せなら二重に美味しい‥‥それだけよ。夢のアリスが今のアリスを見てどう感じているのかなんて夢のアリスにしかわからない」

「そうだけど‥‥それでも知りたいと考えるのはおかしい事?」

 

「おかしい事じゃあないけど知ったところでどうなるの? 夢のアリスが羨んだら自慢するの? それとも蔑まれてたら泣くの? どっちにしろアリスの自慢話ね、妬ましいわ」

「辛辣ね‥‥でもそうね、どちらも幸せなら両方を大事にすればいいのよね」

 

 地上には来ることがない友人の言葉を使い笑ってみせると、どうやらうまく思考を逸らせる事ができたようだ、万能な言葉よね妬ましいわ。長い考察をする事自体は嫌いじゃあないが、他人の幸せそうな自慢話を長々考えてやるほど人がいいわけではない。

 自慢にもそろそろ飽いていたし方便でもなんでもいい、他の考え方を伝えてみて一人で何かに納得でもしてもらったらいい。そう思い少しだけ煽ってみると、何か思い当たる節があるのか一つの結論を出したらしく気にする素振りはなくなり弱く微笑んでくれた。

 わからないものに頭を使うならわかる範囲の事に頭を使って今を楽しんだほうがいい。

 あたしはそう思う。

 

 さぁ、あたしの手元のカップが空になって久しいんだ。

 あたしはアリスの自慢よりもいい香りの紅茶を味わいたい。

 空になったカップを見せて促すと、少しスッキリした笑顔を見せてくれるアリス。

 次はこの笑顔でも見ながら新しい紅茶を楽しもう。







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