東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EXその66 うせもの

 カラリとした晴れ、一日の始まりとして清々しいお天気。

 差し込む朝暉(ちょうき)もそれらしい暑邪、火邪だったか、どちらでもいいがそれっぽい気配に満ちていて気怠さと乏力(ぼうりょく)で構成されているあたしには強い刺激となるけれど、あちらの世界の夏を体験してきた今は暑さよりも爽やかさの方が強い気がするね。季節と陽だまりに熱せられた藺草(いぐさ)より立ち上る弱々しい畳の香りも部屋を漂っているから、より一層感じさせてくれるのかもしれない。

 

 昼も夜も騒がしいあっちと違って静かな空気を纏う我が家の朝。

 今日のような気怠い朝があたしにはちょうどいい。もとよりうるさく騒ぐタイプでもないしやる気に満ち満ちるのも似合いだとは思えないから今日みたいに穏やかな朝が怠惰を好む己には恰好だろう、そんなことを考えながら煙管咥えて種火を起こす。

 ぽわり。寝ぼけ眼を隠すような軽々しい煙を吐き烟る視界から目を逸らすと、目につくのは隣の赤い髪。昨晩に漸く近くの病院から連れ戻してきたばかりでこちらとしてはやっと取り戻せたことにテンション高くもなりかけたのだが、我が家に着いたあちらさんは何時も通りにただいまと言うだけで特に盛り上がることもなく。

 

 こちとらあそこの名医を納得させて退院にこぎつける為の理由探し、殆ど屁理屈か、それを見つける為にアチラコチラを練り歩いたのに、雷鼓達もそれを知っているはずだというのに。

 その辺を鑑みてもう少し大袈裟に喜ぶなりしてくれても、振る舞いに出さなくとも久しぶりの夜にちょっとしたご褒美があっても‥‥というのはちょいと無理なお話か、付喪神連中はコトリバコの呪から解き放たれて暫く経つが建前上は退院したての病み上がり、そこまで求めるのはちと酷というもの。酔って笑い合う付喪神を眺めながらそう考えたあたしは何も言わずに飲み込んだ、そうやって場の空気を読み、後にあるはずの見返りを待つのがいい女ってやつだろう。

 

 と、脳裏に浮かんだ自画自賛はタバコの煙に混ぜて吐き出し、チュンチュンに混ざり始めた蝉の声を聞く。あたしが髪を弄ったからかそれとも賑わいできた外に反応したのか、うぅんと一言唸ってからあちらの方に寝返りを打つ太鼓の娘、それと奥の布団で眠る琴と琵琶の姉妹共。永遠亭に迎えに行った際なんでかそのままついてきてこれから退院祝いをするのだと、帰路の途中で買い込んだ雀屋台の料理を肴にあたしの徳利を煽って寝落ちした九十九姉妹も同じように寝返り打って布団の端から足やら腕やらをはみ出させた。

 

 こいつらもこいつらで戻った最初の晩くらい気を利かせてすぐに帰ってくれればいいのに、二人がおらねばあたしから襲っても良かったのに……ってのも吐かずに思うだけにした、退院祝いの(てい)のわりに昨日の酒代はこいつらもちだったし追加のお酒の買い出しも率先して出てくれたし、退院理由の出しの一つにもなってくれたわけだしな。

 お囃子の楽器に向かってダシなど何事か、宛がうならば山車だろう、そう感じ取られそうだが実際そうなのだから致し方なかろう。あぁ、九十九姉妹を悪く言ったわけじゃあない、むしろ悪く言うのなら彼女らを話の出しとして利用した永遠亭の連中こそを悪く言い切ってやりたいところだ。

 

 着の身着のまま連れ込んだ患者を預けてそのまま世話してもらった医局の悪口など、こちらの方こそ言うべきではないのかもしれないが、あたしとしては言わざるを得ない心情にあるのだ、可愛らしい小言の一つや二つ許してほしい。

 だってそうだろう、入院当初は呪を浴びた原因がわかるまでは退院を許さない、返してほしくば納得できる考えを示せと言っていた八意永琳が、いざそれっぽい理由を見つけてきたら土産話を聞く前に私よりも輝夜に話してみろ、姫が笑ったらそれでいいわなんぞ言い出しやがったのだ。

 

 こうまで言われれば誰だって気づくもの、思考が逸れてばかりなあたしですら容易に気づくというものさ。永琳は入院当初から治療の名目で付喪神共を預かったのではなく、輝夜の暇潰しに利用するためにあのトリオを預かったんだってことにな。無論それは当然の考え、何事でも姫様最優先で動くのがあの八意女史なのだからそこはなにも言うことなどないのだが、その何が憤るってそれはあたしとした事がこの考えに至るまでが遅すぎたってこと、永琳に言われるまでもなくもっと早くに気がつくべきだったってことだ。遅くともあの山の神社で輝夜が付喪神を連れ回しているって聞いた時に気がつくべきだったのだが、直接話された後に気づいたのでは遅く、またしてもこの主従にしてやられた、永琳と輝夜の手のひらで転がされたと我が心が感じてしまって、勝てる気がしないから小言の一つも言ってやりたくてたまらなかったのだ。

 まぁ、文句を言い出したらキリがないしあたしは信用して預けた立場だから、見抜けなかったのはあたしの落ち度だからそこでもいい女らしく空気を読んで呑み込んだけれど、あたしの心情を知りながら何も言わずにクスリと笑ったあの薬師にはいつか仕返しをしてやろうと今は考えている。

 

 後の仕返しを心に、荒くなる鼻息代わりに鼻から煙草の煙を漏らす。

 それから舌打ち一つ鳴らして負け惜しみを吐いたおかげで我が心は落ち着いたし、そろそろ出かける準備でもすべきかね。帰ってきたこいつら連れて人里辺りへ朝餉に繰り出すのもアリといえばアリだが今日はそれよりも優先すべき用事があったりするのだから。

 部屋の端、丁度あたし達の足元に置いてある紙袋を眺めることでそう思い直せた。

 

 ならばと、火種の落ちた煙管を咥えたまま再度の伸び。

 背筋を逸して胸を張り、それから逆に背を丸める。

 そのまま起こした体を軽く撚ったり伸ばしたり、寝起きの体操に軽く動きながら聞き耳立てると静けさだけが痛む頭の中を走った。ちょっと前までは賑やかだった我が家回りだがあのご近所さん、生死の境に身を置けなくなって久しいくせに黄泉平坂のオカルトボールを手にするなんて皮肉が笑える蓬莱人が落ち着いてくれたから家の辺りもすっかり静寂を取り戻せて、気分の良さも一入だが、その静けさが余計に頭に響く。

 

「頭痛も引かないし、どうせなら気分の良さも上書きしてから出るべきよね」

 

 感慨深く考えながらポリポリ、後頭部をかいて鳴らす一鼻。

 頭をかいた爪の先に続き伸ばした腕やら脇やらを軽く嗅ぐと、やはり気になる夏場の香り。

 ご近所さんのことなんか考えたから別のご近所さん、身嗜みに気を使う狼女の顔までが脳裏を過り、そのせいで余計に気になってしまうその部分。

 どれどれと、じぃじぃ流れる蝉時雨を聞きながら腰に添えていた片手を両腿で挟んでから鼻を鳴らすと、自分でもわかるくらいに汗臭く、酒臭い。昨晩あれだけ笑い飲み明かせばそれも当然と思わなくもないがこれから行く先を思えば一汗流してから着替えるべきだなと、女の匂いなど気にしそうにない誰かの顔を思い浮かべながら風呂場へと急いだ。

 

~少女準備中~

 

 さぱっと浴びたひとっ風呂、おかげで髪も体もサッパリしたが頭の痛みは鳴り止まず。

 気になるズキズキを振り払うように普段は出さぬ速度で、尾と袖を横に流し、咥えた煙管の先からクモの糸を引いて飛び進むと遠くに見えるは目的地。

 

 後はこのまま真っ直ぐ進み、閑古鳥が騒ぐ中で手にした土産を見せびらかせばいいだけ。

 果たしてあの慳貪店主は袋の中身にどんな反応を示してくれるのだろうか。

 商売人のくせに仕入れをあたしに一任するからと言い切った顔がどのように曇るのか。

 これから見られるやつの顔を妄想していると飛行の速度も随分緩んでいたようで、追い越していた雲はいつの間にかあたしと同じ速さで後方へと流れていた。

 

 相も変わらず逸れる意識、最近は一つのことに集中していたから久しぶりに実感している気もしなくもないが、こんな風に思考があちこちへ散ってこそあたしなのだと自己弁護まで済ませ、速度と頬を若干緩めながら魔法の森方面へと向かい飛び進む……あたしの前に、見慣れた物がこちらに向かって飛んでくる。

 視界の端でだんだん大きくなり、真っ直ぐに近寄ってくるのは立派な漆器。

 空飛ぶお椀に乗るなど一人しか思い当たらないけど、何をそんなに急いでいるやら。

 

「あー! いいところに! ちょっと助けて、匿って!」

 

 あたしが認識するに等しく、我が背後に隠れるお椀。

 艶のある漆器らしくぬるっと回り込むのはいいがまるっと全部隠してやれるほどあたしの図体はでかくない、だから背に回られても、尻尾込みでも無理だと思うのだが。

 

「出会いからご挨拶ねぇ、匿うってなにから‥‥あっ、ちょっと」

 

 話しかけるも返事はない、何かから逃げているらしいから余裕がなくとも当然ではあるが、なにもわからないままで巻き込まれるのはもう勘弁願いたいし、今は強めに出てみよう。我が背中でがっちり閉まる椀の蓋、浅蜊か蜆にでもなってしまったようなその姿に煙管で小突いて響かせる。

 

「唐突過ぎてわけがわからないんだけど」

「いいから助けて、追われてるの!」

 

「追われてるってなにから――」

「あれよ、あれ!」

 

 コツンカツン、数回鳴らして開いた蓋から出てくるのは愛らしい姫の赤々としたお目々。

 雷鼓の髪といい姫のお目々といい今日は久々に見る赤の色合いと縁がある日だと感じて、いる場合じゃないな。姫の瞳の揺れ具合から結構な慌てぶりが伝わるからまずは助けてあげようか。

 なにから匿えばいいのかわからぬままだが追われていると言っていたし、アレと叫ぶくらいなら近くになにか追手らしいのがいるのだろう、ならばそいつから逸れりゃあ早い。

 

 よくわからないなにかを探しつつ、あたしと姫の気配を逸らす。

 ついでに漏れ出ているだろう妖気や匂いなんかも逸らして他者から認識出来ない状態を作ってあげると、そのなにかが遠くに浮かぶ逆さの城方面から飛んできた。

 

「もぉー! あの子ってばどこ行っちゃったのよー! 今度こそペットに出来ると思ったのに!」

 

 キョロキョロガヤガヤしながら飛んできたのは女の子、か。

 その匂いからただの人間、軽率に騒ぎ立て軽快に飛び回っていることから関わるとろくな事がない部類の相手とわかるがはて、どこかで見かけたような気もするが一体どこで見たのやら、あの華奢な風体に纏う菫色の衣服、落ち着きのなさそうな様子や印象的な赤い眼鏡には覚えがなくもないと思うのだけれど、思い出せなくてモヤモヤする。

 そのせいでまた痛み始める我が頭、頭痛の種が増えるなど今日は厄日なのかもしれない、厄の神も赤いドレスの装いだしな。なんて考え込む前にその眼鏡っ子はあたし達の眼前を抜け、魔法の森の藪の中へ降りていった。

 瘴気に物怖じしない人間か、それなりに気がかりな小娘だけど今は姫だな、後回しにしよう。

 

「もう行っちゃったみたいよ、あれに追われてたの?」

「そうなんだけど、話しても大丈夫?」

 

「普通にしていて大丈夫よ、あたしだってわかったから声をかけたんじゃないの?」

「あ! そうだった!」

 

 消えた外套娘の余韻を見送り、小話。

 姫の反応には素で忘れていた空気が含まれていてなんとも助け甲斐がないと思わなくもないがまぁよかろう、固く閉ざしていた椀から恐る恐る顔を出してあたしの袖にギュッと縋り付き、必死な形相でよじ登ってくるのはとても愛くるしいから。

 

「で、なんで追われてたのよ、ペットがどうこう言っていたけど知り合い?」

「知り合いなんかじゃないわ! あいつは私のことを付け狙う、付け狙うぅ……変質者なのよ!」

 

「溜めて言うことがそれなの?」

「だって、だって変なやつなんだもん!」

 

「それほど変にも、見えなくもないわね、あんな派手なマント着込んでたんだから」

「からかうのはやめてよ。飼うなんて言って……間違いなく変態なんだからそれでいいの!」

 

『酷い扱いだと思わない?!』

 小さな体で大きく叫ぶ姫様。これで何度目になるのか覚えていないけど我が耳元で声を張るのなら一言断りを入れてからにしてほしい、宣言して頂いた痕でなら逸らすことも容易いのだから。

 しかしだ、異変ではトリを務めたこともあるお姫様なのに今日はやたらと怯えているな、皺が入るのも忘れてあたしの袖をさらに締め上げる姿は言いようのない可愛い、もとい弱気な姿だ。

 

「ああいった子は苦手? たかが小娘一人でしょうに」

「苦手というか……捕まえて飼ってやるなんて言われれば逃げたくもなるでしょ!」

 

「尻が青そうな子供よ、ちゃちゃっとはっ倒してしまえばいいのに……それにしても姫を飼うねぇ。気持ちだけはわからなくもないけれど大胆な物言いだわ、モテる女は辛いわね」

「アヤメまでそういうこと言うの?……まさか、あの人間と組んでたり!?」

 

「ないわよ。見覚えがあるような気はするけれどあの娘の名すら知らないし、別に姫を捕まえようって気もないわ、そんなことしなくたって姫を愛でることはできるわけだしね」

 

 あたしの肩で騒ぐ一寸法師、その前髪を指で撫でつつ言ってみるとクリクリのお目々が細まる。油断、ではないか敵対しているわけでもなし。それなりに気を許してくれている姫を愛でながらその気はないと伝えてみるがどうにも扱いを間違えたようだ、細められた目は心地良さではなく別の意味だったらしく撫でている指先は払われ、そのまま刺すような視線まで発せられてしまった。

 

「愛玩動物みたいに言わないでよ!」

「ペット仲間としては愛玩されるのも悪くないと思うんだけど、わからないならしかたないわね。ま、お願い通りに撒いてあげたんだから軽口の一つや二つくらいはいいじゃない」

 

「冗談って‥‥変態に追われる私の身にもなってほしいんだけど」

「生憎とお尋ね者になるようなヘマはしないのよ、姫と仲良しな誰かさんと違ってね」

 

 見開かれた瞳を見つめ返して薄く笑うと、そのうす笑いは馬鹿にされている気がするからやめてとまた叫ばれてしまい、ズルリと着物の肩口も下げられてしまった。

 そんな顔をしているだろうか、しているな。かわいいかわいい一寸のお姫様を飼う、そうした発想などあたしにはなかったがこの子を飼えば眺めているだけで退屈な時間も過ごせるし、暇な時を潰す話し相手にもなってくれて悪くない案だ。飼うにしても容れ物を椀から籠に変えるだけ、というかちょっと前までは神社に持ち込まれた籠で実際に暮らしていたのだから飼われる姿も間違いなくお似合いだ、なんて考えていたのだ、さぞ嫌味な笑みに見えたことだろう。

 しかしそれをそのまま言うのはちとマズいね。言えば摑まれっぱなしな着物の皺が酷いことになりそうだし、言い方によっては針を通されることになりかねない、たしかに竹やら蒲やら生い茂る土地で暮らしちゃいるがあたしの着物は(むしろ)じゃあないんだ、ここはどうにか誤魔化そう。

 

「馬鹿にするつもりも今はあんまり、この後はわからないけど」

「この後?……あ、紙袋? もしかしてお出かけの予定だった?」

 

「あそこまでちょっとね」

 

 視線を振って話を流し、右手の荷物を持ち上げる。それから右肩せり出して姫の体ごと行き先を指し示すと、背伸びするお姫様の体越しに見えるのは今日も静かなはずの店、朱鷺色の閑古鳥を飼う香霖堂。今日の予定はあちらの世界で買い付けてきたお土産を持ち込んであの店主に作った借りを返すつもりなのだ。

 

「あのお店かぁ、なにかお買い物?」

「逆よ。頼まれていた品を届けにね」

 

 白徳利と共に右手で提げた紙袋、その持ち手の片側を離す。

 はらりと開く袋の中身はあちらで買ったお土産の諸々。

 

「う~ん? 食べ物?」

「だいたいはね」

 

「キラキラしたのがいっぱいね」

「市販品ばっかりだけどね、色々と持ってきてみたのよ。幻想郷じゃ珍しい物だと思うんだけど、あの男は喜んでくれるかしらね」

 

 袋を覗いてがさりごそり、物色する姫の襟首つまみ上げてそれ以上は駄目と諭す。

 包装の上から触れられるくらいで痛んだりはしないらしいが一応は人様に差し上げる物だ、あまりベタベタ触られても気分的によろしくないのでここらで終わりと話を〆る。

 

「よければご一緒する? 気になるなら味見の一つぐらいできるかもしれないわよ?」

「誘ってくれるのは嬉しいんだけどあの変態と会いたくないし、これから練習するつもりだったから今日はちょっと……」

 

 好奇心旺盛な輝針城の主だからてっきり二つ返事で行くと言ってくれると考えていたが、少しの間を置いてから今日は忙しいからやめておくねと断られる。

 お誘いありがとね、助けてくれてありがとね。

 断りと同時に手助けの謝礼を述べながら我が体を離れていくお姫様。

 お礼なら暇な時にでも一献付き合いなさい、ゆらゆら飛びゆくお椀に向かってひらひら平手を扇ぎ返すと、また今度会ったらその時はゆっくり話そうね、なんての言い残しながら妖怪の山方面へと向かい小さくなっていった。

 これから練習があるとのことだがお山で一体なにを練習するのか、また誰かに騙されて異変でも起こす練習かね、オカルトな異変にも首を突っ込んでいたと聞いているし。それはそれで気にはなるところだが聞きそびれてしまったし、それらはまた追々に酒の席にでも伺おう、そうすれば後の肴にもなろう。そんな思いで飛んでいく椀の縁を見送り、あたしはゆるゆる高度を下げた。

 

 

~少女来店中~

 

 

 また楽しみが増えたことを歓びつつ、眼下に見えていたお店に降り立つ。

 開いているのかいないのか外から見ただけではわからないこの店、人里にあるお店なら扉越しでも人の動く気配を感じて誰かいるいないのアタリをつけられるのだがこの店だけはわからなくて、ここは本当に商店なのだろうか、一枚板の扁額に屋号はあるから店なのだろう、毎回そう納得しながら入店しているが今日は少しだけ様子がおかしい。

 なにやら嗅ぎ慣れない匂いがするような、つい最近に嗅いだような、そんな怪しい香りが扉の向こうから流れてくるような、しないような……痛む頭で考え込んでもよくわからんからいいな入ろう、中を覗けばわかるだろう。

 

「こんにちは」

 

 ノックもせずに扉を押すと視界に広がる雑多な店内。瘴気流れる森に近いのだから少しは涼しくてもいいのに、売れない売り物や店主のコレクションで溢れているからここは風通しが悪い。

 思わず着物の襟口に手が伸びる。幻想郷ではあちらの世界のようにどこに行っても涼しい空気に満ちているわけではないし、エアコンが置いてあるだけで稼働していないこの店は余計に暑く感じられるからちょっとだけ着崩して、姫にズラされた肩を更に下げ、ぬるい外気に晒して涼を取りつつ店内をぶらついていると奥の方から音がした。

 

「誰かと思えば、何をやっているのかな?」

 

 窓に映る己のぼやけた姿を眺め、晒した左右の肩のバランスを見ていると背中にかかる声。

 いつもなら店舗の揺り椅子に座ったまま動かないか、もっとゆっくりと、こちらが飽き出す頃合いにならないと顔を出さない店主なのに今日は予想よりも早いお出でだ。

 どうせ来るならあたしが整え終えた後で来いよ、身だしなみを整えている姿など見られてしまったら色気もなにもあったものではないじゃあないか。

 

「森近さんをからかう準備よ、間に合わなかったけどね。しかし暑いわねこの店も、二日酔いにはちょっとつらいわ」

「僕は意識していないがこの店は暑いらしいね、最近よく言われるよ」

 

「言ってくれるお客が来るようになったの、ちょっと来ない間に随分と繁盛しちゃって」

「お客様だったら嬉しかったね」

 

 振り返らず、顔も見ずの会話。

 冬場にはしゅんしゅん賑やかなストーブに腰掛け、外を眺めながら手団扇仰いでお話しする。

 よく言われるか、誰に言われたのか知らないが店でよく見る黒白か紅白か、それとも別のツートンカラーの誰某にでも言われたのだろうな、客の来ない店を訪れるなどそいつらくらいのものだ。

 そういえば冥界にいるツートンカラーともこの店で会ったな、あの行灯は無事幽々子の手元に戻れたのだろうか、それともまた別のところで失くしたりしてはいないだろうか……失せ物といえばあの寺の御本尊様が亡くした光る宝塔もこの店で発見されていたっけか、無縁塚やら再思の道やら散々探したのに見つからなかったと失せ物探しの達人は言っていたけど売り物のない店に金になる失せ物があったとは、今考えても良い笑い話でたまらないね。うむ、寺のお偉いさんには今回の異変でお世話になったし、折角思い出したのだから要件済ませたらちょいと遊びに行ってみるかね。

 などと、一人再思して迷っているとギィギィ、窓の外が賑やかになった。

 見れば数羽の鳥が飛び立つ姿。

 誰ぞ近くにいるのか、思いつくのはこの森に住まう魔法使い連中と、さっきの、見た目だけは魔法使いのソレっぽかった人間もまだ森の中にいるのかもしれないね。

 

 気になった藪の奥を睨み考えを巡らせていると、窓の鏡に一瞬映り込む店主の背中。

 一言二言会話をしたらもういいのか、すんなり奥へ戻り、はしないなさすがに。

 思い直すと背に感じる視線。

 着物を下げたちょうど中央、布が余って露出した背中になにやら強い視線を感じる。

 

「女の肌が気になるなんて、暑さにでもあてられちゃった?」

「急になんだい?」

 

「背に刺さる視線を感じたものだからね、流れる汗でも気になったのかなって。以前は目の前で脱いでも見向きもしなかったのに、着たまま濡れているほうがお好みだったとは知らなかったわ」

「そういった目で見ていないよ。昨日の客から異変の話を聞いていてね、この前の異変では背後にオカルトを背負って争ったと言っていたから『コトリバコ』を連れていた君の背にもなにかいたのかと気になっただけさ」

 

 晒した背が気になった、素直にそう言ってくれれば触れるくらい許してあげるのにって普通の色男相手なら言い返すがこいつにそんな返事をしても暖簾に腕押しされるだけだ、屋号の書かれた暖簾が下がっている店でもないしここはあたしが腕押しして流してしまおう。

 しかしどうしてそういう視線ね、異変が収まったのも昨日一昨日の話だし、外を気にしなさそうなこの男だとしても店舗前で争う音ぐらい聞いていたと思うし、玄関口が煩かった原因に気を取られても当然と言えば当然か。

 

「あたしもあの箱もそういうものではなかったみたいよ、ご期待に添えられなくてごめんなさいね。それでも気になるというのなら常連のお客様達に聞いたらいいわ、あたしよりも当事者なんだから詳しいはずでしょ」

「そうだね、新しい情報源も得られたし後程にでも聞いてみるよ」

 

「あら、ご新規さんがいるなんて、やっぱり盛況なんじゃない」

「待ち合わせの時間潰しばかりだって言ったろう? 僕は場所の提供をさせられているからね、その見返りをもらうのも悪くないかと思ったんだ」

 

「待ち人に飲み物でも出せば少しは売上に貢献してくれるかもしれないわよ。なんていったかしらね、珈琲に似た色合いの刺激の強い飲み物は、あっちで飲んできたんだけど覚えてないわ」

「あれも拾い物だからね、常日頃から並べられる品じゃないんだ」

 

「あっそう、なんだって構わないけど取りっぱぐれないといいわね。それよりも、こっちのお話を進めてもいい? 森近さんとしてもその方がいいでしょ?」

「あぁ、そうだったね」

 

 逸れるのはあたしの専売特許だ、アンタが逸れてくれるな、なんて悪口は飲み込んで。

 普段は突っ慳貪な対応しかしてくれない店主が今日はおしゃべりに付き合ってくれるなんて珍しい、そんなことを話中に案じていると数歩の足音とともに肩にかけられる手拭い一枚。

 女が晒した肌に柔らかな布をかけてくれるとは、この男ってば案外紳士……って違うのだろうな、このまま話していても埒が明かないと思われているのだろう。余計な小話など面倒なだけ、これで汗を拭って早く用件を話せとでも思っているのだろうな、苦み走ったいい男が見せる優しさは嬉しいけれど変わらないつれなさがちょっとだけ悔しい。

 

「優しいのね、やっぱり珍しい日だわ」

「頼んだ手前があるからね、気遣いもしてみせるさ」

 

「いつもは気遣ってくれてないような言い草に聞こえるわ」

「そのつもりだよ」

 

「ま、そうよね」

「そうさ……その袋の中身が品物でいいのかな? 急かすようで悪いが早めに見せてもらえると嬉しく思えるのだけどね」

 

 いい女との会話より土産を見たいってか、本当にもうこの男は。

 などとは思わない、そんなことは昔から知っているし以前に見せた我が肢体にも動じることなかった男だ、考えてやるだけ損だろう。だが今日はそれでいい、今日のあたしは持ち込んだ品を届ける飛脚のような面持ちでいるし、余計な遊びはここいらで切り上げて品定めでもしてもらいましょうか、思っていた以上に期待されてもいるようだしね。

 

 ではではと持ち込みの紙袋を揺らす。

 すると店主の視線はそちらに動き、体も店の中央カウンターへと移動した。あたしもそれに合わせて動き、椅子代わりのストーブから店主の前へ身を流し、荷物を置いて店開き。

 のっそり袋に手を突っ込むとその所作に注目されて、このまま中身を取り出してあちらこちらに動かせばその視線で遊べそうなほどだと思えてしまうが、そこまで底意地悪くもないし出し惜しむほどの物でもないからさっさと御披露目してしまおう。

 

「まずはこれからね」

「缶詰か、中身は」

 

「鮪の油漬け。他にも鰹だとか色々種類があったみたいなんだけど鮪のほうがあたしの口にはあってたからそっちにしてみたわ」

「僕が知る形ではないね、特に上蓋が見慣れない形状をしている……このツマミを引き上げると開く構造になっているのか、缶切り不要となると携帯するのに便利そうだ」

 

 一つ二つ、三つ四つとコンコン重ねていく音にカツンカツン、蓋のツマミを弾く音が重なる。

 味見した時のレポートもそれっぽく話してみたけれど鈍感な草食系男子の食いつきはよろしくないようだ、それどころか味や中身よりもガワの入れ物に着目されてしまいなんとも説明し甲斐がない。見慣れないと言ってはくれるが見覚えはある様子と伺えるし、もしかすると似た物が無縁塚で拾えたりするのかもしれん、保存のきく食べ物は意外と忘れられがちだから厨の奥で忘れ去られてそのままこちらに流れてくることがあるのかもな。

 

「他には?」

「次はこれ」

 

「こちらは鯵か、久しぶりに見るね」

「そ、開いて火も通してあってね、温めるだけで焼きたてみたいに美味しく戴けるんだそうよ。このまま封切らずにおけば長持ちもするみたいね」

 

「長期保存を可能にしているのはこの包装のおかげかな? 僕が見る限りでは中の空気が綺麗サッパリと抜かれた状態になっているね。どういった原理で真空状態にしているのかはわからないけど空気がないという部分になにか理由がありそうだ……真空状態といえばあの星や月があるという宇宙も真空状態なのだと聞いている。宇宙、そして、真なる空……そうか、この品は仏教における五大の力を使って作られた保存食なんだね。食べ物が傷まないということは時が流れないということだ、成住壊空(じょうじゅうえくう)の理をこの袋の中に込められるのならば限定的だが時間の停止した空間を作ることもできるはずだ。なるほどね、そういった環境を作り出すことができれば腐敗もしにくいし長持ちもして当然だな」

 

 長々語ってどうだい、らしくないほど誇らしい目線が痛い。

 それを浴びせられるもあたしはそんなこと知らないしどうであろうと構わない、美味しく食べられるならガワなんぞなんでもいいとすら思ってしまう。しかしこの店主は中身のアジよりもこの商品の仕様に興味津々らしく、手渡した品の状態や記載部分に釘付けとなってしまった。

 なんというか、さっきから土産に惹かれてくれて嬉しく感じるけどあたしの考える部分とは違った要素に惹かれてしまい、少しだけ複雑である。

 

「他にもなにかあるかな?」

「後は蟹の缶詰と、あ、烏賊の乾き物もあるわよ」

 

 あたしの狙いでは海の魚なんて久しぶりだ懐かしいねと楽しんでもらうだけだった。

 昔食べていたはずの海産物を見てちょっとだけ懐古な思いに浸ってもらい、新しい物で満ちているはずの世界から持ち込んだお土産で懐古な思いに浸るという、どこかあべこべな感覚に触れる森近さんの顔がみたいだけだった。

 ただそれだけのはずだったのにこの男、缶の仕様や袋の製造方法にばかり着目しおってからに。なんだか面白くない……気持ちも沸き立つがあたしが予想していた以上に喜んでくれてもいるみたいだからソレはソレとしてだ、邪な考えはこの際捨てて流れのままに任せてしまおう。

 

「本当は鮮魚でも持ち込んでね、ちょっと捌いてお刺身を肴にお酌の一つでもしてあげようかなって思ったんだけど、あたしも海の魚を触るのは久しいから自信もなかったし、こう暑いとねぇ。お土産食わせて渋り腹ってのも気分が悪いから今回は加工品だけにしてみたの」

 

 店主が悪戯したせいで少しだけツマミの浮いた缶、その蓋を爪で小突きつつ一緒に持ってきた白徳利を揺らして見せる。この男があたしのお酒に付き合ってくれるなどと思ってはいない、けれど痛む頭を鎮めるためにもここらで迎え酒のひと口やふた口煽っておきたくもある。

 そんな心積もりでお誘いしてみると売り物の棚に森近さんが手を伸ばし、桐作りの小箱を取り出した。ぱかり開かれた中を見てみれば、そこには可愛い朱色の酒器が二つほど。

 

「あら、お酌も受けてくれるってことでいいのかしら?」

「いただき物を開ける気はないけどそうした方が君の話が弾みそうだからね、湿らせる程度でよければ付き合おう」

 

「少しってのが癪だけどそうね、土産話を語るなら少しは湿らせた方が滑りがいいわ」

 

 珍しい事が続くものだ、駄目元のついでに言ってみた呑みの話に乗ってこられるとは思わなんだ。けれどもよかろう、迎え酒に付き合ってくれると言ってくれたのだから素直にいい男とのお酒を楽しもうか。

 少し大きめのぐい呑み、いや小さめの片口って言ったほうが適正かもしれないね、このサイズなら。使い勝手が悪くて売れそうにないその二つに少しだけ酒を注ぎ、軽く回して酒器を洗い、床……に撒くのは失礼だから窓の外へと中身を放る、そうして清めた片口にあたしのお酒を注いで手渡した。

 

「では一献」 

「頂戴しよう……そういえば礼を伝えていなかったね。ありがとう、思っていた以上に悪くないお土産だったよ、いい仕入れになったと思う」

 

「そう、喜んでくれるなら良かったわ」

「出されてすぐは食料品なんてと身構えてしまったけどね、そういった日用品こそが外の世界のあり方を知るのに良いと再確認できたのは嬉しく思う。こういった考え方も外の情報と呼んでいいのかもしれないし、仕入れの一つとしてもいいのかもしれないね……しかし、外の世界では科学ばかりが信仰されていると聞いていたが神や仏も確り残っていたのか、社会科学という別の分野に取り込まれ本来の姿からは変わりかけているとも言っていたけれど、幻想郷と同じ文化が残っているのは感慨深い気もするね」

 

「さっきの話? あれって森近さんお得意の憶測でしょ?」

「そう言われては身も蓋もないんだがね、でもそう考えてもいいじゃないか、そのほうが浪漫があるとは思わないかい」 

 

「男の人ってそういうの好きよねぇ……神様や仏様が学問の内に収まってしまうのならあたし達も含まれてしまうのかしら、簡単に正体割れてしまうなんて商売上がったりよねぇ」

「妖怪は人智の及ばない自然現象が偶像化された姿なのだと聞いているよ。神仏や妖怪を調べるにしても今は手軽で、ネットという場所に潜ればいつでも手軽に調べられるらしい。スマートフォンでも電波と充電があれば調べられると言っていたが僕のは使い捨てのプリペイドというものだったらしくてね、もう一度チャージしないと使えないのだそうだ」

 

 興味深い分野の説明となると話の長い男だ、そう案じながらそういや以前この男にスマートフォンなる機械を売りつけたことがあったこと、そして同時にそのスマホを入手した状況を思い出す。

 そうだったそうだった、さっき見かけたあの眼鏡っ娘とあたしは出会っていたのだな、月へのお使い押し付けられて外の世界へ出たあの日、あたしはあの小娘に襲われていたのだったな。あの時はそれどころではなかったから綺麗サッパリ忘れていた。

 道端でばったり出会って少し話し、少し触れ合ってあたしを化物だと言い当てた娘っ子。神仏妖怪魑魅魍魎、超常なる力なんてのを信じなくなって久しい世界であたしを正しく認識した人間はついにこちらの世界に来るまでに至ったのか……ふむ、この店に入ってすぐに感じた嗅ぎ慣れないが最近嗅いだ匂いというのもあの子の残り香と思えば納得できるし、匂いを残す程度にはこの店に来ているようだな。その辺のお話を伺えればこいつも後のお楽しみに成り得るかもしれないね、姫を可愛がるネタにもなるしほんの少しだけ探ってみようかね。

 

「そんな物もあったわね、そういえば。それって誰から聞いた話? 外の世界を見ていない森近さんにしてはさも当然って語り口に聞こえてしまうんだけど」

 

「客ではないお客様から少しね、聞いているのさ」

「あぁ、ご新規さん……そう、そのお客様は外の世界絡みの誰かさんなのね」

 

「絡みも何も彼女は外の世界に生きている人間さ。眠っている間だけ幻想郷にいられると言っていたから怪しい部分もあるけど、外の世界の機械にあれほど詳しいならその部分に嘘はないだろうね。君も異変に関わっていたのなら既に会って……いや、無関係だと言っていたね」

「何にも無しってわけでもないけどね。ともかくその話はやめておきましょうよ、あたしはやられっぱなしで終わったから酒が不味くなりそう」

 

 チビチビ、お酒を含んでのお話。

 此度の異変じゃ美味しい思いの一つもなかったしそいつを肴にしたのでは酒も不味いし立つ瀬もない、だからその手のお話は遠慮しておきたいと、そういう流れを敢えて作って話を纏める。

 出来れば名前の一つや立ち寄り先くらい引っ張り出しておきたいとも思うのだけれど、ここで長いこと引っ張っても森近さんに怪しまれて終わってしまうだろう。外の世界と関わりたい古道具屋からすれば客にならないお客様かもしれないが、仕入れの範疇にしてもって口ぶりには今後もお付き合いしていきたいって思惑が見え隠れしているから、この場はここいらまでで留めるとしよう。突っ込みすぎて後々にあるかもしれない笑い話の種を潰してしまうのはあたしが笑えないからな。

 それに、森近さんの話の流れと外の世界で姉さんから聞いた話を突き合わせばあの派手なマントの眼鏡っ娘が異変の元凶で間違いはなかろう、そしてあちらさん自らが幻想郷に来ているというのならそのうちに出会うこともあろう、詳しい話はその時にすればいい。あたしと会った時に見せた好奇心の強さがそのままならこちらから動かなくとも彼女のほうから何かしらあるかもしれないし、その結果に悪夢を見るのなら怨みありげな付喪神達のお礼参りをその夢としてもらいたいしな。我が目の届くところでしかけてもらえればあたしも楽しく眺められるのだから。

 

 故に今は我慢してこちらだけ。

 初めてサシで呑む者との会話を楽しみたいのだけど。

 ついでに話題も別の物に切り替えたいところなのだけれど……

 

「同じ缶でも仕様が異なる物があるみたいだね、同じ鮪の缶詰でも油漬けと水煮があるの……ん? それは?」

 

 あたしが少しの考え事に興じている間、店主は土産を手に取っていた。

 机に並べた缶詰に触れ独り言を漏らしていたようだが、途中で声色が変わる。なにかまた新たな推察でも考えついたのかね、そう思って店主の手元・目線を追うとその瞳は持ち込んできた紙袋に向かっているようで……あぁそうだった、土産はまだあったな。

 

「残りの物も同じ食料品かな?」

「察しのいい男は好きだけど惜しいわね、目敏いだけでは駄目よ」

 

 放置したままの紙袋、未だたたまれない入れ物を見てそう言ってくる森近さん。

 中身がないならたたまれたり捨てられたりするべき袋を眺めて言ってくるあたりはやはりのお察しと言ってあげてもいいが、中身は狙い通りのソレではないから見る目がないが目の付け所は悪くない、おかげで新しい話の振り先が見つかった。そう伝えるべく嫌味を言い放ちながら残り物、出すに出さなかった土産を取り出す。

 

「へぇ……綺麗な星空だね、丁寧な作りが伺える」

 

 差し出された大きな手のひらに向かい手渡すと、平手の上に現れた空をそのままに語る店主。

 名前も用途もわかるだろうにそれは言わず、まずは品物への感想を述べる森近さん。

 その辺りは抜け目ない商売人らしいというか、いやここはもう少し違う、ロマンチシズムに溢れた夢想家とでも言っておくか、そう表現したほうが外の科学に夢馳せる男を表すのには粋だろう。

 彼に差し出したそれは……なんというのだろう、外の世界の雑貨屋で投げ売りされていただけの品であたしにゃ名前もわからないもの。用途のほうも部屋に飾る以外に使えないものだとは思うのだけれど、森近さんの感想通りとても綺麗なもの。

 透明な液体で満たされた半円球の容器にはとても美しい夜空が透かして描かれていて、その内に作られた小さな喫茶店では客である少女二人が星空を楽しんでいる。一人は中折れ帽の女の子を指さして笑い、もう一人の女の子は手元、手首を指差している辺り遅刻でもしてきた(てい)で作られたのだろう。上下を反転させると中の液体と仕込まれた紙、キラキラしている銀の粒みたいなものが器の中を粉雪や流れ星のように広がるなんとも綺麗な小物で、例えるなら星の器とでも言うような……と、そういうのは恥ずかしいからいいか、ともかく仲の良さそうな二人が星の落ちるカフェテラスで過ごす情景がとても気に入ったから買ってきたものだ。

 

「魔梨沙が好きそうでしょ?」

「魔梨沙の名前が出てくるのがわからないね」

 

「なんとなくよ、他意はない」

「ならいいけどね、これも僕へのお土産でいいのかい?」

 

「欲するのなら差し上げるわ」

「だったら遠慮しておこう。君も気に入っているようだし、ここに置いてもいずれ持っていかれてしまいそうだからね」

 

「そ、なら持って帰るわ。これって骨董屋の店先で投げ売りしてたのよね、ついでじゃないんだけどお名前ってわかる?」 

「これは『衛生望むカフェテラス』という名の縮尺模型(ジオラマ)だね、造り手はその土地の学生達さ」

 

「用途と名前だけって思ってたけど、造り手まで視られたのね」

「それはほら、下に刻印の痕が残っているからね」

 

 店主がジオラマをひっくり返し、底に押された刻印を示す。

 長く売れ残ったせいなのか元々の作りがソコだけ荒かったのか、わからないが底面に打たれた刻印は削れて薄くなっていて『都市開発における』やら『大学』やら、そういった部分だけが読み取れた。星が綺麗で少女達が可愛い、そこだけ見て買ってきたから底の文字なんぞあたしは気にしていなかったな。

 

「やっぱり目敏いわね」

「今のは褒めてもらえたことにしておくよ」

 

「褒めたわ、いいから続きのお話は?」

「このジオラマは区画整理の候補地として計画されている地域の未来を描いたもののようだ、将来の美観を考えたその土地の学生たちが町の造形(コンセプト)モデルの一つ、町の一角の風景として形作ったものさ」

 

「態々形にするなんて、学生も暇なのねぇ」

「お上への上告も兼ねていると思えるからね、力も入ったんだろうよ」

 

「申し立てるって、物々しいわ」

「本質はもっと軽い、小さな嘆願と言えばよかったかな……僕が思うに、この小さな風景はもうなくなったかこれからなくなるかのどちらかだったのだろう。でも失くなってしまいそうなその景色を学生達は愛していた、だからその土地に住む者達にこの品を通してそれを知らせたかった、失いたくないという思いを聞いてもらいたかったのがこの品の本当の用途だろうね。ついでに言わせてもらうとだな、学生らしい拙さもない、とてもいい仕上がりの物と視るがそこが原因で売り物には向かない物になってしまったのだと僕は考える。まだ若い学生の考えることだ、土産物にするには少し」

 

「値が張ってしまったか、もしくは重くて駄目だったってところね。それで残ってしまったのねきっと、値札も販促の広告も何枚も上書きされていたもの」

「手の込みすぎてしまった作品は手に取りにくいからね、土産物には向かないよ」

 

 言われた感想に一言、そうよね、と返し頷く。

『綺麗だが向かない、美しいけれど向いてない』か、ものを見る目も語る口もあるのに商売下手な誰かをあたしは知っているがどの口がそれを言うのか、とは言わず頷くだけにとどめた。向かない呟くと男の顔がなんだか切なく見えたから。

 

「向かないのにそうしたいってのも難儀よね」

「それも僕への皮肉かな」

 

「受け取ってくれてもいいけど今のはあの子達に向けてよ」

「この喫茶店の?」

 

「違うわ、別の子達に言ったのよ」

 

 綺麗な景色に過ごす女の子達を見ていて思いついたこと、それはコトリバコのこと。

 謎解きも、異変の騒ぎも終えた今語るべきものも特にはないがなんでだろうな、なんとなく彼らの姿が脳裏に浮かんでしまった。

 

 思いついた皮肉のせいかね、外を知りたいのに出られない、気の合いそうな誰かと触れ合いたいのに傷つけ終いにゃ殺してしまう、そうした不器用な在り方でしかおられずきっと今後も変わることがないコトリバコな子供、子供の魂だったナニカ達。

 そんな者達を見られる為に作られた容器(ジオラマ)の中で笑い合う幸せそうな女の子、彼女達を見て思いつくのが強い皮肉に感じられてあたしはとても楽しいが、今ばかりは笑わずにそっと話を流してやりたく思う。物を扱う男の前で物に込められた気持ちや物に込められてしまったモノを笑うなど無粋に過ぎることだと思うから、酒が不味くなるとわかるから、今は静かに呑むだけとしよう。

 

 一人納得するように手酌で注いでおかわり煽る。

 すると出される向かいの酒器、どうやらもう暫く付き合ってくれるらしい。

 男らしい飲みっぷりなど期待していなかったけど、空いた片口に注いだおかわりは拒否されず。

 ならばその心意気を買おう。何を考えての行動かわかりにくいが、今は僅かに見せた女の憂いに付き合ってくれる男として見て、その姿に甘えよう。普段は乾きに乾いたような振る舞いしかしない男が魅せてくれる感慨深そうなその顔を肴に。

 


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