東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その65 ものまね

 かんかんに照りつけていた日天が沈み、幾分更けた景色を肴に一献。

 夜を迎えても暗くなれない、眩しすぎて空の星すら拝めない町並みを眺めつつ、心地良い冷えに満たされた空間で涼を湛える手元のグラスを習いあたしもあたしで涼に微睡む。

 苦味や酒精よりも柑橘類の爽やかさを強く感じさせるお酒、提供してくれた髭のおじ様が言うにカクテルノナンタラという種類のお酒らしいが、酢橘に似た風味の香るソレを味わいながら流れる景色に目をやると、暑さに勝てずに下げた肩口から露出する肩の汗もすっかり引いたあたしとは正反対な様子で歩む者らが見えた。

 

 歓楽街の灯が揺らぐ中忙しく行くのは種々な民草、老若男女。

 その内の老男は日中にかいた汗や皮脂で額を光らせて足早に歩き去っていく。大きな辻に交差するモノクロなストライプを行く彼らは身に纏う服装も足元の色と似通った物が多くて、その顔付きも暗色らしく洋装を呈していて表情や衣服の色合いからみれば何か急ぎの葬祭にでも向かう雰囲気を帯びているけれど、聞く限りあれが彼らの勝負服だそうで。あんな形でも見た目に叶わず冥々した心は薄く、逆にこれからは遊びに出る時間帯なんだとさ。

 夜になり少しだけ緩んだ暑さを浴びながら話す男衆、これから昼間の(ろう)(ねぎら)うために酒か女でも買って楽しい一夜に勤しむのだろうが、そちらもどうにか成功するといいねと、再度お酒を含み目線を流した。

 

 そうして流した視点の先、そこには語り合う若女が映りこむ。

 その半分弱は先の者らと並べば似合うかっちりした姿で、膝丈だったりもう少し短めのスカートだったり或いは張りのある尻が目立つパンツスタイルだったりと、下半身を飾る服に違いはあれど、誰にもこれからもう一勝負という意気込みを感じるな。夜に映える明るさを唇や目元に纏わせていく姿から仕事明けに遊びに繰り出すってのがわかるし、どいつもこいつも夜の灯りに直したての化粧を輝かせて街の何処かへ消えていくんだ、気合の程もわかりやすい。

 

 それから残りのもう半分は、こっちは完全に遊びだろうな。先の者達と違って夜を楽しむよう目立つ衣服に袖を通す者が多い。色も形も様々、いつかこちらの世界で見た女子高生だったか、あれが着ていた衣服と似たような集団もいれば、今日のあたしのように肩を出したり長い裾から生足晒した露出度の高い服装も多くいるようだ。

 目に付く者を列挙するならそうだな、あちらの路地を歩き去っていったのは上下をモノトーンな色合いで揃えていて、見慣れた誰かに例えるならあの蛍の少女が外羽根マントを外して袖を切り落としたような姿か。すらりとした脚と小さめの尻のラインがよく分かる出で立ちは例えに出したあの子も勿論だが別のモノトーン、あっち(黒白)の魔法使いが纏っても似合いそうだ。ああいった活発さの中に華奢な要素が混ざる装いには(なり)小さくとも口はデカい魔女っ娘と親和するはずで、騒がしい小娘の性格を反映した輝く金髪に落ち着いた色味も良く映えるだろう。

 

 ん、あちらの角、女同士で話している娘達の格好も誰かが着れば似合うだろうね。

 二人とも派手な色合いだが郷愁を感じさせるワンピース、彩色豊かな柄には何処か知らぬ地の風土に寄せた風味が伺える。ああいった格好ならそうだな、地に咲く太陽に愛されたお嬢さんや鈴蘭の匂いを漂わせる御嬢ちゃん、稔りと終焉を司る姉妹なんかがお似合いか。強調的な服の柄にはいくらかの癖も感じるがそもそもあの花妖怪にも協調性はないしあれ自体のクセも強いから柄に負ける事などないはず、もう一人は元が愛くるしいお人形さんだから何を着せ替えても大概は似合うはずで、姉妹神も紅葉に負けない華やかさを羽織れば秋以外でも元気な姿を見せてくださるようになるかもしれないね。

 

 うむ、人間(エサ)を肴に呑むのも悪くない、なんて考えつつ更に続ける暇潰し。

 残りで目につくのはあっちの、軟派な男達に声をかけられている女の子達だけれど、あの二人は今日のあたしと大差がないから詳しく語る気もしないな。二人揃ってオフショルダーのTシャツから下着の紐を見せつけてそこに収まる形の良いソレ目当てな男を釣っているみたいだが、陸釣り狙いで肌を見せるならそう、どうせならその紐もない方がいいんじゃないかね? その方が頭も尻も軽いと見てもらえるだろうし、そうやってアピールしておけば男も声をかけやすいと思うぞ。

 

 と、そんな風に多種多様なお洒落を眺めながら濡れたグラスに手を伸ばし、氷が溶けて味のぼやけた中身を飲み干すと、店内のカウンター奥から穏やかな視線を感じた。

 横目にすると店員さんと視線が重なる。

 目があってすぐに放たれる丸い笑顔、それが物語るのはおかわりはいかがでしょうか。その声に対して空のグラスを振ってみるとカウンターでかろんころん、涼しげな氷の音がした。

 

「しっかし遅いわね」

 

 おかわりが来るまでの手持ち無沙汰、眼鏡の縁にかかる前髪と、空隣の椅子に向かってぽつり。

 レンズ越しに揺れるのは普段とは違う色の髪、待ち合わせ相手を真似て化かした茶髪。

 それを、こちらも化かして成した人の耳にかけて言った言葉は注文に対して、ではない。これはこの店で落ち合う予定になっている誰かに向けてのもの、のはずだったがお店の人にも聞こえたのだろう、暗めのカウンターから響いてくる氷や液体の音が幾分早まった気がする。

 

「ちょいと抜けるなんて言っていたけど何処まで出掛けたのやら‥‥もしかして道に迷ってたりするのかしらね」

 

 窓を眺めながら少し大きめの声で語り、袖の下に手を突っ込む。

 二言目の独り言を態と漏らして取り出したのは紙一枚。

 それはあたしが偶に持ち歩いている帳面よりも上質な紙で、讃仰してやまない眷属、この店の前で一旦別れた御方の匂いと妖気が強く強く染み付いているもの。

 

「あ、どうも。ありがとね」

 

 メモ書き眺めるあたしの手元、そこに冷えたグラスが届く。

 店員さん、見た目の年齢や立ち振舞からすれば店長さんかね、どちらでもいいが。配膳してくれた彼に感謝を伝えると微笑みながら僅かに目を流されて、ここは小さな店ですが立地だけはわかりやすいから大丈夫でしょうと、先の呟きに対して気を利かせてくれた、気配り上手でなんともできた店員さんだ。四角いコルクのコースターに残った丸い跡へグラスを置きながら言ってくれたのは文に添えられた地図に対してだろうな、大きな電波塔を背にして辻を幾つか抜けた先、そこの二階に記された酒場、というにはこじんまりし過ぎている気もするがともかく、その店の隅があたしが過ごす場所で、待ち合わせ場所である。

 

 こちらの世界に出てきてまで酒飲みか、幻想郷じゃあ異変で騒がしいのに遊び惚けていて構わないのかと、昨今の事情を知る人にはそんな事を言われてしまいそうだがその辺りは問題ない。

 オカルトボールやらコトリバコやら、幻想の少女らしい流行りものに触れてはいたが、あたしの場合は拾ってきた物から偶々玉々が顕れちゃったというだけ、謂わば重なった偶然に振り回されたようなものだ、何に気兼ねすることもない。一時はあの尼さん、我が身をぶっ飛ばしてくれた狸殺しの和尚に疑われたけれど、あたしは元より関わりないと昨日訪れた神社の神からお墨付きを頂いたし、風説の流布を操る程度の能力者がばら撒いた号外に聞けば元凶らしき者の影を見たって奴も現れたらしいからこの異変も放っておけば解決したい連中が解決するはずだ、餅は餅屋にまかせておけばいい。

 

 なんて、さもわかっていたような考えの元に遊び歩いちゃいるが、こういった結論に至れたのはあの託宣を賜る事ができたからで今思い返せばあれだ、あの死神と出会った頃に無関係だと自覚出来てもよさそうなもんだったんだが‥‥いざ振り返るとあたしにしては冷静さに欠けた数日間だったと思える。

 迂闊だったと思えるソレ、少し振り返るならそうだな、彼岸の住人である小町が現世の生死に直接関わる事などそうはないってことから読み違えていたな。上辺だけは気が付いちゃあいたが読みが浅く、あの時のあたしは小町の動きの全てを否定した、そこから誤解したままに考えてしまって、今更浅かったと考えるなど少し恥ずかしくもあるけれど、それはそれ、過ぎたのだからそれこそ今更って事にしておく。思い出しついでに振り返るが、あいつは何かやらかしそうな妖怪がいてその監視に来たんだなどと抜かしやがった、この時点で違和を感じていればあの住職とやりあう事もなかったはずだし、あたしとしたことがちょいと抜けていたと思える。けれど、大事なものが大事になりそうだったのだから多少の見逃しがあったとしても無理はなかろう。

 

 話が逸れかけたから戻すが、先に言った通り、小町は基本的に事が起きた後にしか仕事をしない、いや立場上出来ないと言っておくべきか。死んだ魂を運ぶだけの船頭さんが事が起きないように先導するなどない、もしもやってしまったら怖い怖い上司から現世の事象に関わるなどおこがましいなんてお説教と重たい棒が頭に飛んでくるからするはずがない。そんなやつがちょっと呪われていて人を殺せる器物を持ったあたしと会っても止める事など本来なかったはずだし、勤務態度はともかく仕事内容に関してだけは真面目な彼女だ、気付いてもそうしなかったはずだ。

 だというのにあたしに絡んできたのがわからない部分で長らく引っ掛かっていたところだがこれはあれ、例外措置として動かざるを得なくなったのはコトリバコが幻想郷のものではなく外から迷い込んだものだったからだろう。幻想の民の魂を裁く立場にある二人としては外来のもので郷の者が死ぬのは好ましくない、しかし大腕を振って関わるのも役職柄マズイ、だからそうなる前に、扱いに困る前になんとか丸め込んでしまおうとか、そんなお考えを基に映姫様が小町を動かされたのだと思う。見方によってはこれも現世に関わる事柄となりそうだが、標的とされたあたしは本来彼岸の住人であるべきらしいし、以前の花の異変でも外と郷で白黒つけて考えていた閻魔様だから、今回はそんな風に仕分けをしたんだろう。

 随分と都合のいい解釈ではあるが世の事象なんぞわからないことのが多いもの、大概のことなんざ己が良ければ物事の正誤なんてどうでもよくなるものだ、そう思うからこれでいい……

 

 なんてことをつらつらと、昨今の事情を思い出していると不意に目に留まる風景、酔っ払いがどこかの店員に絡んでいるところが見えた。怒鳴る若手と謝る若手、このまま見ていれば熱くなった方から手でもでそうな‥‥と、なる前に現れる第三者。

 そいつが来ると静まる酔客、萎縮する姿勢から見るに上司か目上の者だろうか。そやつが荒れる連中の間に体を挟むとすぐに騒ぎも収まったらしく遠巻きに見ていた見物人もまた歩き始めた。ふむ、まかり間違えばあたしも『貴女は少し都合が良すぎると説きましたがそれを忘れるなど、相変わらずな頭ですね、貴方は』なんて誰かさんに叱られそうだ、外の流れも変わったことだしあたしもあたしで切り替えよう。

 

 いただいたおかわりを含み喉を鳴らす、余計な考えを飲み込むように。

 そうすると自分にだけしか聞こえないはずのその音が聞こえたようにこちらを見る店員だったが、今はお呼びじゃないですよと、もう一度外へ目を向ける。

 透明度の高いガラスの向こう側を行き来するのは代わり映えしない人、人、人。

 幻想郷の里で見るよりは随分と多く、随分と足早に歩いて行く人間達。違いがあるとすれば男も女も身長が高めだったり肉付きよくて食いでがありそうって感じるくらいで、あの宵闇のが見たら喜びそうな体格が多いってくらいか。前述通り身につけている衣服にも多少の違いがあって中には下着なんじゃないかって男女もいるけれど、奇抜な格好が多い割にそれほどの驚きを感じないのは皆が皆どこか見た事があるような格好だと見受けてしまうせいだろうな。見知った誰かが着れば似合うと妄想してしまうくらいだ、あっちの少女連中で見慣れている格好もいるにはいるからそう感じて仕方がないことも‥‥ないのか?

 

 いや、勿論そういう部分もあるが、あたしがそう感じとってしまうのは今目を通している内の一冊、こちらの世界で買い入れた雑誌なんてのを流し読みしているのが強いんだろう。開いたページをぺらり捲れば目に留まる表紙の文字、目立つ字体でデカデカ書かれるのは今年の夏コーデ特集。ようは流行りのおしゃれ着を追う雑誌ってやつだな、その中身を見ると今年のトレンドだのモテカラーだのモテスタイルだのと書かれていて、カラーやスタイルはわかるがトレンドとはなんぞやと、写真に収まる彼女達みたいに首を傾げてしまった。

 傾いで写る彼女らも通りを歩く女達も化粧こそ似てはいるが、雑誌の中の女達のほうが幾分派手で目を引く身形をしているか。皆が皆したり顔で、似たような笑みで微笑んでいたり遠くを眺める素振りで佇んでいて、特集記事のそれらしく同じ装いに寄せているようだ。

 これで写真がモノクロだったならば益々見分けがつかないけれど、これらから察するにトレンドとは流行りもの、横並びに合わせるものをいうのかなと、同じようなすまし顔や作り笑いで映っている女性の姿から感じ取れた。

 

「暑さに強くなったのか、それとも鈍いのか、どっちかしらね」

 

 なんにせよ炎天下で汗の一つもかかずに写真に収まるなど雑誌に載る娘達は大したものだ。

 捲る特集記事に一人感想を漏らした頃、お店の扉が静かに開く。

 

 重たい造りの扉がギィと鳴る。

 カウンターからのいらっしゃいませを受け、一言二言話してからこちらに近寄ってきた足音は、あたしが居座る窓際の小さな個室の傍で止まった。

 

「遅かったわね、どこまで行ってたの?」

「なに、ちょいとな、待たせてすまんかった‥‥ってなんじゃ一人で始めておるのか、すぐに戻るから待っておけと言わんかったかのう」

 

 振り返りはせず、強めに仰け反りながらお迎えすると仕切りの扉が開く。

 あたしの顔に目線を添えて待たせたと語る御方はそのまま視線を動かさず、我が額を支点にするように歩いてお隣へ。

 漸く来た待ち人、先約と言って出て行った姉さんだがこちらの世界でなんの用事を‥‥佐渡に残した配下や他の狸連中になにかしらの言伝でもあったのかね、姿もこちらの世界に溶け込む紺色のビジネススーツ一式で任侠に生きる二ッ岩の大親分というよりは経済を生かす二ッ岩商事の若社長って雰囲気だし、大方この辺りを縄張りに今でも生きている狸達のところへ顔出しに行っていたのかもしれんな。

 

「だって暑いんだもの、お品書きに涼し気な飲み物が載ってたら誰だって頼んで待つものでしょう?」

「わからんでもないな、こちらの夏は随分と蒸すからのう。シマに居た頃は気にしておらんかったが比較すると確かにこたえる気もするわい」

 

 メニュー片手に話ながらシャツの胸元摘まんでぱたぱた、あたしが手団扇煽ぐと対面も動くと、あたしの仕草を真似るようきっちりしめていたワイシャツの襟元のボタン二つぶん、ぱっと開いて風を送る姉。

 元々こちらで暮らしていた御方だ、多少の熱さには慣れていらっしゃるはずでそんなことせんでも問題ないとは思うのだけれど‥‥それなりに急いで向かってきてくれたらしいな、気にして早駆けでもしてくれたのか漏れてくる汗の香り、ふぅと吐かれる温かな息遣い。

 

「昔はもう少し涼しかった気がするんだけどね」

「お前さんがうろついておった頃と比べたらいかんよ、世の変化はめまぐるしいもの、気候もそのうちの一つじゃろうて」

 

 言い返しながらハンカチを差し出すと、返事と交換するように受け取られた。

 そのまま首元や胸元が拭われていく。

 

「そうね。生きていれば変化はあって当然だし、こっちの暮らしには慣れてないから余計に大きく感じられるのかも」

「何事も変わって然るべきなんじゃろうな、でなければ儂らのような存在が忘れられることなどないわい」  

 

 話しながら突っ返してくれるハンカチを受け取り、そのまま雑誌へと目線を逸らす。さらっと受け取ってもらえてさらっと返してくれる気安さは変わらないな、なんて辺に気恥ずかしくなるような思いから気を逸らすように。

 移り変わりが激しい、それはあたしも感じなくもない。流行りにうるさい女子達が追いかける雑誌も来月号は秋冬のコーディネート特集なんてものになっているし、衣服一つをとっても真夏の時分から秋冬を案じて特集されるくらいだ、世の中忙しくなっているのだろう。

 あたしがこちらでのさばっていた頃は今ほど夜が明るくなかったし闇夜に出歩く人間も多くなかった、いても酔い潰れた男衆かそいつら狙いの小悪党と同心くらいだったはず、それが今では若い女が肌を晒して遊び呆け、まかり間違えば赤子を連れた者達まで夜道を闊歩しているのだから、姉さんが言われる通りめまぐるしいものだ。

 

「なんにせよ一時の変化に流される連中は大変よね」

「流行りと変化はまた別物じゃろうて。流行りは遊び、いずれ廃れるが変化は習慣付いたもの、残っていくもんじゃ」

 

「分類なんてなんでもいいわ、流れに飲まれる事には変わりないんだから……それで、用事は済んだの?」

「大方は済んだ、後はこれから残りを片づけるってところかの」

 

「あら、それじゃあたしはまた待ちぼうけ?」

「なぁに、気にするでないよ。片付けは他の連中の仕事じゃ、儂の出番はもう済んでおるよ」

 

 まだ残りがあるのなら付き合わせるのは気が引ける、誘っておいてもらって気を使うのもなんだが相手が姉さんならあたしは一歩どころか何歩でも引けると、そう思って気配りしたがそれは要らぬ心配だったようだ。

 ならば気兼ねなく呑もう、再開に華開かせよう。

 そうやって別方向に気を回すとおしぼりとお通し片手に、もう一方の手には小さな帳簿らしきものを持つ店員さんが寄ってくる、先程から本当にタイミングのいい人間だな。

 

「儂にもこやつと同じものを頼むよ」

「あ、あたしはおかわりね」

 

 それに気づいた姐さんがこいつと同じものでいいと頼み、こちらも追加の注文をしてさくっと人を払う。後はお酒が届けば楽しい宴会の始まりだが今晩は何を肴に語らおうかね。

 話したい事、聞きたい事、それなりに多くあって何から切り出せばいいか、楽しい迷いに気が落ち着かない。

 

「なんじゃ、嬉しそうに笑いおって」

「作ってないわよ? 素直に嬉しいし楽しいの」

 

 今は薄れさせている本物の耳をぴこん、軽く撥ねさせて上機嫌をアピールすると思った以上に伝わったらしい、あたしと似たような丸眼鏡の奥にある瞳が幾分細まる。が、そんな呆れ顔はしないでほしいな、さっきのは本心から言ったのだから。

 

「大好きな姉とのお酒だし、最近ゆっくり呑めもしなかったからね。漸くまったりお話出来ると思うと可愛らしく綻ぶってもんでしょ」

「お主も近頃の流行りに乗じておったようじゃからな、あの騒ぎに混じっておったのなら忙しい日が続いても致し方ないわぃ」

 

「不本意ながらの強制参加だったんだけどね……その口振りからすると姉さんも一枚くらいは噛んでるのね?」

「儂はお膳立ての甘噛み程度ってところじゃがな」

 

 話し合う中届いたグラス、その二つを小さく重ね、チンと鳴らして一息入れる。

 新しいお酒は飲み干したものよりも清涼感が強く、我が鼻孔を抜けていくものも同じく強い。

 堪能するように味わい長くお目々を瞑っているとカランと鳴るお隣のグラス。

 音に惹かれて目配せすれば、そこには微笑む姉の顔。

 

「おまえさんのもぬえから聞いておるよ、巻き込まれた舞台とはいえあの住職とやり合うなど、尻尾を巻くのに飽いたかのぅ?」

 

 ニコリ、ではないなニヤリか。

 なにか良からぬ事を企んでいます、姉さんの顔に書かれたソレ。口振りと表情からして姉さんの用事とはこの異変に関わるなにかだったようだな、もしや香った汗はここに来る前に一悶着してきたからだったり、はしないか、さすがに。こちらの世界にそれほどの者が残っているならあたし達妖怪が忘れられるはずもないからな。

 で、姉さんは何を聞きたいのかね、ぬえから聞いたとあたしの話を振ってあたしからこの異変の話を引き出すつもりってのも、軽い煽りまで混ぜ込んで話される辺りにも探りたいってのが無骨に匂う……ならばそこには気が付かぬふりをしよう、あたしは流行りの催事を語り合うよりもあたしの難事がどうにか纏められるような話が聞きたいから。

 

「巻く余裕がなかったし自ら上がったわけじゃないわ、舞台袖を彷徨いていたら無理やり引っ張り上げられたのよ。まぁ、乗り掛かった舟なら楽しまなきゃ損と考えなかったわけでもないし、そのお陰で色々と捗ったから結果は上々なんだけどね」

 

 思惑には気が付きませんよ、素知らぬ顔で近況を語っていく。

 竹林で阿闍梨に打ちのめされた詳細から始まり、彼女の異変に対する真摯な思いやら、そんな話を聞かされてしまったものだからあたしの意識も異変に向けられてしまったことやら、そのせいであたしの傍にある珠っころが別物だったことに気がついたことやら。色々と含めてつらつら漏らす‥‥

 

 するとまたも笑い始める御大将。

 悪戯に失敗した子でも笑うよう、明るい声を聞かせてくれた。 

 

「そんなに笑わなくてもいいんじゃない?」

「いやいやすまんのぅ、あまりに似合わなくてついな」

 

「あら、あたしだって偶には争うのよ。弾幕ごっこの楽しさは知ってるもの、興に乗れば楽しく戯れることくらいあるわよ?」

「逃げ切れなかった輩が興に乗じたなどと言うものではないのぅ。狸が人に化かされたのはおぬしの不手際じゃ、曖昧にするでないわ」

 

 結構な勢いで笑い飛ばされたからちょっとだけ面白くなくて言い返してみたが、あたしの小業は全く通じていないらしい。

 大概の相手なら、異変の場で出くわしたならそういうこともあるな、ましてや相手があの元人間(聖白蓮)ではそうなっても仕方がない、なんてさらっと話を流してそのまま別の話題にもっていけるのだが、変に逸れずに叱るだけとは流石我が姉、逃げの一手が得意なあたしが逃げ切れなかったという汚点を忘れずにつついて笑ってくれる。やっぱりこのお人には口でも頭でも勝てそうにない。

 けれど、それでも僅かにはあるあたしの享受。我らが御大将相手に言い返せなくてもそこは当然だから苦虫を噛むほどではないが、ここで引いては変幻自在の食えない妹分として名が廃る。ならばどうするかといえば……そうだな、ここは狸ではなく妹らしく化けてみるか。

 

「狸は泥舟に乗るものでしょ、宝船には乗れなくても仕方ないじゃない」

「そうツンケンするな、冗談じゃよ冗談、拗ねるでない。笑ってやったのはあれじゃ、目立つ場所にお主が自分から首を突っ込むのが珍しくてな、それが可笑しかったのよ」

 

「自ら突っ込んで見事に打ち返されてるからね、さぞ面白いでしょうね」

 

 無骨な煽りに対して僅かに傾けた(てい)によろしく、(からだ)を捻りこちこち鳴る壁掛け時計を見つめて返事を投げる。それから顔だけ振り向いて、わざとらしさを満載した尖り口でグラスを啜り上目遣いで睨んでいると、姉さんの手が伸びてきて、ポンポン、頭を叩かれた。

 

「だから拗ねるなと‥‥手間がかかるのぅ」

 

 是非ないって顔であやし始めてくれるお姉さん。

 一度二度と叩かれて一回二回撫でられて。その度に頭が沈むが、こうしてみせればそうしてくれるだろうという面倒な妹が弄した策通りに構ってくれてあたしの機嫌は逆に傾いた。

 

「こんなもんでええか?」

「待たされた分はね‥‥あの時はいつもの弾幕ごっこだと思ったし、逃げるだけならいくらでも逃げられたんだけど、ねぇ」

 

「逃げるよりも益があると、そう踏んだわけじゃな」

「そういうこと、深く突っ込むつもりはなかったんだけど身を沈めたほうが話が早くなるんじゃないかって思っちゃったのよね、そこそこに捗ったからそれはそれでよかったんだけど」

 

 沈めるのはあの住職ではなくあっちの難破が得意な船長だがあれも寺住まい、流れで出しても違和感はないだろう。そう思いながらあたしも姉をナンパ。ちょっとだけ席を寄せ、肩寄せあえるくらいまで近寄って、 酒も語りも流していく。

 姉さんとしては今の甘やかしで話の趣旨を変えたい、あたしの話を一度切って自分の話題、大方乗ってきた異変関連に持っていきたかったのだろうがそうはさせない。二人きりの時くらいしかこうして構ってくれないし甘えさせてもくれないのだから強引にでも話を戻しこの空気を利用させてもらう。

 二度も捗ったと言ってやったのだ、不機嫌になりかけたあたしがそこに噛みつけと示したのだから今後話されるなにかの為に我がご機嫌を持ち上げておきたい姉さんならば察して甘噛みしてくれるだろう。

 

「思わせぶりに振らんでも聞いてやるわい、それで乗った舟には何があったんじゃ? 珍しく表舞台に立ったんじゃ、何かしらの収穫はあったんじゃろう?」

「そうね、色々とあるけどまずは……それかしら」

 

「ふぁっしょん雑誌か? そんなものに何が――」

「その下よ、重なってる下のほう」

 

 テーブルの端に追いやった雑誌群の下、動かした時に少しズレたせいで見事に隠れていた一冊へと興味を示す。

 そうするとまた伸ばされるお姉様のお手々。あたしの前を経由して雑誌へと伸びそうだったから目的地である書籍にたどり着く前にその手を取って我が足、組んで肌蹴た着物の裾から露出する腿へと導いた。

 

「そういうのはあの付喪神に頼むとええぞ」

「勿論そのつもりよ、欲求不満ではあるけれど姉さんにお願いするほど飢えちゃいないわよ、獲物を求める手つきがいやらしかったからなんとなくそそられちゃっただけ。その付喪神について捗ったから取り戻したらたぁんと可愛がってもらうわ」

 

 握ったままだった手、あたしと同じくらいの指の長さで弄んでもらうにはちょっと物足りないだろうその手を離して、代わりに姉が目指していた本を手にする。

 そのまま流れで渡そうとすると片側の眉だけ上げて僅かに眉根を寄せて見つめられた。その目は何に対してか、間違いなく下世話な考えについてだろう、だから、大した本でもないのに勿体振ってごめんなさいと、素直に謝りながら手渡すとその眉はすぐに戻ってくれたが、どれどれと開く姉の手元は見せてくれず、仕方がないからその手の動きを眺めてポツポツ漏らす。

 

「堀川波鼓っていうお話、知ってる?」

「不移山人が手がけた世話物じゃったか、久しぶりに聞くのぅ」

 

 ぺらり頁を捲る姉、その指を邪魔するように話しかける。

 書籍はなんてことはないもの、そこいらの書店でも売っている浄瑠璃本だ、特に読みふけるようなものでもないけれど、姉さんからすれば違って見えたのかもしれないな、久しぶりという呟きから『それは塩焼く海人衣』と続いた。ふむ、伊達にあたしの鼓の師ではないな、演目の名を見聞きしただけでその語り出しが出てくるうえに、本に記載された近松某という名前とは違う呼び名も知っているとは。狸としての化けでも上をいかれ知識でも我が上をいかれて本当に頭が上がらない、全くもってデキル女でお慕いし甲斐のある御方だ。

 

「知ってたのね、詳しい?」

「滑り出しを諳んじる程度には、な。当時人気になりかけたからの、江戸の都から流されてきた者らの中に覚えておったのがいてのぅ」

 

 続きはなんじゃったかな、そう言ってグラスを傾ける姉さんがあたしの顔を覗き込む。それがなんとなく試されているような表情に見えたから『これは夫の江戸詰めの』などと続きを空で読むとにこり、今日一番の柔らかな笑顔を見せてくれた。

 しかし、人気になった、いや、姉さんの口を借りればなりかけたか。浄瑠璃がそうなった頃のあたしは姿を消して外からの情報も仕入れずに過ごしていたってこれはいいか、思い返すと苦いからやめておこう。

 そういえば厄神様から話された時には雛様のせいで流行らなくなったのだと、雷鼓のほうもそのせいでお蔵入りになったと結論付けた憶えがあるが実際のところはどうなのだろうな。ちょっとその辺伺ってみようか、雷鼓についてはわからないだろうが浄瑠璃については知っていそうだし、なにか聞ければあたしの考えの後押しとなってくれるはずだ。

 

「なりかけたってのはどういう意味?」

「名うての作家が手がけたからの、こうして後世にまで残ることになったんじゃがな、この世話物の内容が少しばかり不味くてなぁ」

 

「その本のあらすじくらいしかあたしは知らないけど読む限り不貞行為ってやつよね、昔は一夫多妻も多かったし通婚が罷り通っていたんだからこれくらい問題ないんじゃないの?」

「それが当たり前じゃったのはお偉いさんだけの話じゃよ、この浄瑠璃が書かれた頃合いには不義密通は死罪とされとる‥‥そうそう、これが語られる前にもこの作者が作った話が流行ってのぅ、それがまた……」

 

 ふんふんと、頷きながら聞いていると続いていく姉の弁。

 聞けばこの作者、世話物作家として有名らしくその手の演目を多く作っていたらしい。堀川波鼓を手がける前に書いた話では一人の女を愛するあまり金銭のいざこざに巻き込まれてしまった男とその想い人を主人公とした話を書いたそうで、そっちは最後に心中して生を終わらせるってなものだったそうな。で、それが当時の人間達に滅法気に入られて、同時に心中自体も流行ったらしくその手の沙汰が増えてしまい、原因となったこの演目は演じてはならないとお上から御触れが出されたのだと。

 

 そこいらの話は本にも書いてあったからあたしも知っていてやっぱり興味はない、というよりもあたしにはわからない感覚だからこれと言って言うことなどないってのが本音か。互いの愛を示すため一緒に死ぬくらいならその相手と楽しく暮せばいいのにと思ってしまってやまないからな。

 しかしそういった人情から考えるべき部分はあった、それが捗ったってやつ。

 思うに雷鼓の性格はここいらが元になっているんじゃないかなと感じられるからだ。最近で言えばあの人、言ってきたのは半人半妖の店主だから正確には人間じゃないがそこはともかく、他人に言わせれば嫉妬深いと見られがちだが雷鼓の場合は独占欲がちょっとばかり強いからそう見えるだけで、その独占欲は先の話、心中や愛情なんてのが渦巻く話から名を取ったことでそうなったんじゃないかなとあたしは考える。

 元々の素性が太鼓で鳴り物として使われるはずだった、しかし打たれること叶わぬままに終わってしまった。だから悔しくてその演目から名を取ったと、そう言われればそれまでだが、演じることが叶わなかった話を名に当てる、つまりは自身とするなど独占的な感情だと思えるし、一つの感情の為に命を投げ出すような苛烈な面が根底にあるから雷のような熱い演奏が出来るように成ったのだとあたしは感じてしまい納得もできる。

 

 そうそう、この線でいくと雷鼓だけにコトリバコの呪いが聞いた理由もなんとなく紐付けられるからそれも我が考えを後押しする理由に成り得るか。方や苛烈な感情を憶えてしまった元器物の現妖怪、方や激しい恨み辛みから作られてしまった元人間の現……なんだろう妖怪と呼ぶには曖昧なあり方だが‥‥そこはまぁいいか、教えてくれた神の言葉を借りて成りきれなかった哀れなナニカ、って言うのは憐れに過ぎるからそうだな、報われない子の魂とでも言っておくか。

 それで、どこが紐で結ばれるかといえばだ、その在り方が似ているから呪いも強くかかってしまったのだと思える。妖怪と人の子に共通点などないと思われそうだが確かにそう、あたしもそう考えていた。

 けれどよくよく考えればあいつもコトリバコも共通している部分があるのだ。どこが似るのか、それはお互いにまだ子供なのだという部分。雷鼓は妖怪として成り上がってからまだ間もない、ちょっと前の異変で生じた魔力の嵐を切っ掛けに成った言うなれば世に出て数年程度のお子様ってやつだ、身体はあたし以上にご立派な出るとこが出た体躯で抱き心地も抱かれ心地も良い、そして頭のほうも一人で企み事が出来るくらいにある、そんな形だからそう感じさせないが年数だけで言えばあいつはまだまだケツの叩き甲斐のあるガキだろう。

 

 対してコトリバコの方だがこちらは諏訪子様から聞けた通りで、この世に出て間もない子らを元に作られたもの、箱として成った瞬間に生を終えた者達だ。そこを踏まえてこじつければ子供ら同士が惹かれ合い片方が悪戯してしまったのだと思えないだろうか?‥‥まぁ思えないな、これだけでは呪を浴びるには理由として弱いと考えたあたしですら思える、でも、案外これで当たりなんじゃないかとも思っていたりする。それは何故かと問われればだが、こちらも幼稚な理由付けになるから納得するには難しいかもわからないが言っておこう、ここも互いに子供だったからってのがその理由だ。

 こちらはコトリバコから考えるが、あの箱の中身は子供、女児が部品になっていたと箱の中身から見当をつけた。そこから繋げるならばそうだな、乳離れしたとはいえど童女は童女、本当ならまだ親を欲する年代で、人の子の大概は親元を離れず、離されれば寂しがるってのが定石って感じになるだろう。ましてや相手は成長をやめてそのまま子供として長く過ごさざるを得なかった者達、よくわからない箱に封じられ誰かと会う事もできなくなった者達だ。 そんな連中が自分達に近しい存在、人と妖怪で種族こそ違ってしまうが同じような妖しの力に満ちた同性の童女と出逢えば、その手を伸ばし触れ合おうと考えることもあるのではないだろうか。しかしあいつらは遊びの誘いに伸ばす手足すらない子らだ、どうにかして存在を知ってもらいたい拾い上げてもらいたいと考えるなら行う手段は一つ、物として成ってしまい有することになってしまったソレとしての力を発するしかなかったのではなかろうか。と、こんな共通点があったせいで雷鼓は呪を浴びたんじゃないかと思考えられないだろうか。

 

 関連付けとしちゃあ随分と頼りないが相手は深秘に満ちたオカルトなお子様達だ、これくらいに突飛で単純な方が純粋な呪いを発する器物としても幼い子供らの影響として見るにもいいような気がしなくもない。それにこの案であれば同じく被害にあった九十九姉妹、雷鼓と似たような立ち位置にいる二人にも効いてしまった理由に上乗せできるし、子というにはちょっとだけ長く存在し続けているあたしに効きやしない理由ともなる。同じ始原を持ち、発するビートも似た姉妹ならその波長に近いリズムを見つけるのかもわからないが、あたしのような子守を苦手とする大人は子供の言う事なんぞ真に受けないからな、幼児が発する舌っ足らずな言葉代わりの呪などこの身に届くはずもない。

 

 後はそう、ついでに森近さんに効かなかった理由にもなるのかもしれないね。

 彼の場合は男性だってのが大きいと思われる、自分達を閉じ込めた怖い大人の男衆と似たような者、強調するなら大きな背丈や落ち着き払った雰囲気からそいつらよりもよほど不気味な男に見えてしまったから手を伸ばさなかった、縋り付く先として選ばなかったのだろう‥‥って、これだけだと知らぬ場所で貶したようでちょっぴり悪い気がするから少し擁護しておくが、彼は静かで物腰柔らかなイイ男でそれは間違いない。けれどそういった大人の魅力がわかるほど箱の中身は育ってないからわからなかったと、そういうことにしておこう……

 

「……のぅアヤメよ、聞いておるのか?」

「え? あ、なに?」

 

「むぅ、なんじゃ、聞きたい素振りが見えたから話してやったというに」

 

 すっかり潜り込んでいた頭の中に姉の声が響く。

 気が付けばいつの間にか終わっていた姉さんの語り、どこまで話してくれたのかわからないが、あたしを見るその顔には不満が乗っかっているように思えたからここは素直に謝っておこう、後が怖いから。

 

「あぁ、ごめんなさい。聞くべきところはしかりと聞いてるわよ」

 

 十割空な返事とともに一言詫びを入れ、手元のグラスを意識すると‥‥それなりに長いこと自分の世界に入り込んでしまっていたようだな、グラスがかいた汗は結構な量となっていて反面中身は変わらぬまま。見れば姉さんのグラスは殆ど空いているし、ずいぶん長いこと耽ってしまっていたようだ。

 

「まぁええよ。こちらに向き直ったようじゃし、そろそろ儂から話してもええんかの?」

「色々聞かせてもらったしお陰様で考えも纏まったからいいわよ。態々こっちに呼びつけた理由ってのも気になるし、おかわりでも味わいながら聞かせてもらうわ」

 

 どれほど聞いておるのかの、そう愚痴る姉の顔は見ないまま酒を煽ってお手てを振る。

 気がついてくれた店員さんに再度グラスを振ってみせると、いそいそ動き始めてくれた。そういや何も気にせず化物だの鵺だの話しているが変な顔のひとつもされないな、さすがに違和感を覚えるところだがこれはきっと姉さんがナニカしているんだろうな。席に付く前に少しお話ししていたし、その時にちょいと幻術しかけてあたし達の会話が聞こえないとか取り留めのない会話に聞こえるようになっているとかそんなもんなんだろう、本当に出来るお姉様だ。

 なんて頭でカウンターを眺めていると届く追加のお酒、それも煽って再度のおかわりも頼む。そろそろ待つのも面倒になってきたから次からはボトル毎頂戴と、そう注文すると少し待ってから氷の入った容れ物と未開封の青いボトルがあたし達のテーブルに届いた。キラキラした青玉色のボトルの栓を抜き手酌で注ぐと、注いだグラスのお隣に同じ空のグラスを並ぶ‥‥こっちにも寄越せと催促がきたか、あたしが気に入ったお酒を姉さんも気に入ったらしいな。

 

「キリもいいし、あらためて」

「うむ」

 

 中ほど注いだそのグラスを手渡しあたしのグラスも差し出すと、かちんと涼しい音が鳴る。

 その涼音を皮切りに二匹でぐいっと煽り、一旦の仕切り直し、あたしのほうはもういいからって伝えてみるが姉さんが口火を切ることはなく。これはあれかね、あたしから引き出しを開けてくれってことなのかね、それなら飲むペースも早まったようだし、これを気に姉さんの話もちょっと早めていこうと思わなくもない。

 

「で、姉さんの話ってなによ?」

「いやなに、おぬしが持っとるというオカルトボールについて少しな、未だ傍におるようなら一目見てみたいと思ってのぅ」

 

 なんだそんなことか。それくらいお茶の子さいさいってやつだ、寧ろ話題に上げるたけで、言われんでも出てくるのがあの子供らの魂……だったんだがなあ。 

 

「姉さんの頼みなら叶えたいんだけど、残念ながら今は一緒じゃないのよね」

「ん? おぬしに取り憑いて離れないと聞いておるが、おらんのか?」

 

 生憎今は傍にいなくて見せように見せられない状態になっている。

 鬱陶しいから守矢のお社で払ってもらったとか、あんまりにも憐れだったから成仏させてやったからいないとかそういったわけではない、単純な話、あいつらがあたしの傍から離れていったのだ。守矢神社を出て夜を過ぎ、朝を迎えて別の神社に開いた割れ目からこちらの世界に出てくる寸前まではあたしの周囲を漂っていたのだが、元々の居場所である世界に来たくなかったのか、それとも別に理由が‥‥あるか、怖い大人に追いかけられた過去がある世界、幻想へと至る理由に満ちた世界などあいつらにとって過ごしやすい世の中とは思えないものな、ついてこなくとも当然か。

 ま、それはともかくだ、いないならいないと話しておかないとマズイか、悪巧み、と呼ぶには些か好奇心が強く嗅げる笑みで待ってくれている姉さんに悪い。

 

「今は、ね。帰って戻ってくるかも定かじゃないからはいどうぞってわけにはいかなくなっちゃったのよね……あの子らが気になるの? てっきり異変云々なんて話になると思ったのに」

「その通り、聞きたいってのはその話じゃよ。聞けば色味や雰囲気が違うなんて話じゃないか、見た目が違っていてもオカルトと認識されるものがどういったものなのか、ちょいと参考ばかりに見ておきたかったんじゃがのぅ」

 

 残念じゃ、そういう姉さんだがその目に無念など見られない。

 口では惜しいと言うけれどそれほどと思えないのは言った通り参考程度と考えていたからだろうか? しかし参考にしたいとはなんだろう、異変関連のことだってのはわかるがあんな偽物のボールを見ても‥‥ふむ偽物で異変に絡んだ話か。参考ってのはこの異変で仕掛けるなにかに対してかもわからないし、ちょっと小突いてみようか。展開次第では面白い話が聞けるかもしれない。

 

「参考ねぇ‥‥姉さん?」

「ん? なんじゃ?」

 

「紛い物のボールの何を見て何をする‥‥いえ、誰をどうするつもりだったのか聞いてもいい?」

 

 態とらしく言いかけて、訂正までして見せてから笑う。

 口角の端だけ上げて嫌味な、いつか褒められた笑みを見せつける。

 すると姉さんもあたしを真似たような顔で笑い、くっくと声まで漏らしてくれた。

 

「外しちゃった?」

 

 楽しそうな笑い声に合わせて問いかける。読み外したのか、そう聞くとグラスを置いてその手をヒラヒラして見せてくれるお姉さん。そのまま、聞かんでもわかっておるだろうにと、黒っぽい笑みを浮かべたままあたしと目線を合わせてきた。

 言われるままに当然だ、あたし自身外したなんて思っちゃあいない、というかこの読みは正しいはず。姉さんが異変に関わるなど何かしら興味が惹かれたからで、その興味ってのは『面白み』ってやつが大概だ。知らぬ人からすれば大妖怪である佐渡の団三郎がその程度で動くなどと思われなくもないがそんなことはない、あたし達化け狸ってのはお祭り好きでそれなりに有名だし名の通った親分連中ですら遊び過ぎて痛い目にあう逸話もある。近場の姉さんのネタで言うならそうだな、暇に飽いていた時に見つけた農夫で遊ぼうと思ったらしく具合の悪い振りをしてその男に背負われたのだが‥‥ってこれはいいか、下手に話すと怒られる内容だやめておこう。

 まぁ、なんだ、兎にも角にもそれくらい楽しみに対して敏感で懲りないのがあたし達である。今回も何かしらの楽しみを見つけたから賑やかな場に姿を馴染ませて自然と混ざった、それから誰か、騙して笑うのに一番適した者を見つけてそいつ相手に化け勝負してるってのが今の姉さんの立ち位置で異変との関わり方なのだろう。

 その誰か、目下勝負中の相手が誰なのかちょっと気になってきたから伺ってみたのだが、果たして教えてくれるかね?

 

「それで、どちらの何方さんを紛い物のボールで釣り上げるつもりなの? あたしも知ってる相手? 話の流れからすると聖はないし……霊夢ってこともないわよね?」

 

 異変に動いていると聞いた者達の中から騙し甲斐のある相手を選ぶなら名を上げた二人くらいだと思うけど、寺に居着いていたこともある姉さんだ、あの住職を騙すようなことは流石にない気がするしいざ対立すると面倒くさい巫女を選ぶような線も、ないな。そうするくらいならあっちの、以前に媼呼ばわりされて些か蟠りのあるほうのミコに仕掛けたほうが楽しめそうだが……宛が多いと読み切れんな、一体誰に仕掛けるのだろうか。

 

「ん~……中々に悪くない読みじゃがハズレじゃな。そもそも前提から読み違えとる、この店に来る前に用件済ませてくると伝えたじゃろう?」

 

 悩んでいると出されるヒント。

 なるほど、悪戯相手はこちらの住人だったのか、それでは読めなくとも無理はない……って、異変に関わる誰かさんに向けたものだと思っていたがこちらの世界とな? 前提とはそこから違えているってことかね?

 

「悩ましい顔をするでない、それほど難しい話でもあるまいに」

「それじゃ素直に受け取るけど、こっちでやらかす相手なんているの?」

 

「おるとも。仙人が人間二人を使っておるのを見かけたのでな、ちょいと探ったらオカルトボールの仕掛け人がこちらの住人だとわかってのう。中々どうして、肝の据わった女子高生でな、オカルトボールを投げ込んで広がる波紋を見たかったから異変を起こしたなんて言ってのけおったわ」

 

 問いかけるとすぐに答えてくれた。

 いつの間にか取り出していた煙管を咥えて饒舌に語る素振りから儂はそいつを気に入った、見所があったなんて雰囲気もわかるが、こちらの住人にしてはやけに買われていて僅かばかり妬ましくもあるな。

 

「それはまぁ随分と威勢が良いわね」

「うむ、力はあるが使い方がまだまだヒヨッコ、儂ら異形の真似事をして楽しんでおる程度じゃったが今から見ておけば後々楽しめそうな輩じゃ。ま、後があればになるがの」

 

 どうなるやらな、と最後に言い捨てる姉。

 ぶっきらぼうな口調で言うほどではないと見えるけど、旨そうに吐き出す煙にはそこそこ楽しみにしているって匂いがノっている。

 なれど、後があればとはどういう意味だろうか。仙人、人間を使うってことはおそらく華扇さんがツートンカラーの異変解決コンビをけしかけたってところだと思うけど、あいつらと争える人間がこの現代に残って……いてもおかしくはないか、あの山の巫女だってちょっと前まではこちらの世界で過ごしていた人間だった、この元凶さんも早苗と同じように常軌を逸した能力を持ち得ているとすれば案外イイ勝負をするかもしれない。ちょっと前にはこちらの人間を否定したがあの考えは捨てよう、つまらん常識に囚われては楽しめるものも楽しめないものな。

 

「少しは興味が出てきたか?」

「少しは、ね……そんな手合いになにをしたのか、聞いても?」

 

「大したことはしておらんよ、儂は招待状(オカルトボール)を送り届けただけじゃからな」

「届ける?返却したってわけではないのね」

 

「おうとも。儂は届けたのみよ、後詰めは然るべき連中が上手くやってくれるじゃろうて」

 

 オカルトボールを送りつけた相手に返したわけではない、あくまでも送り届けただけ、そう言って笑う姉の顔はとても好みな顔をしていた。口角を程々に上げ、少しだけ歯を覗かせるその笑みは見る人が見れば厭らしくもいかがわしくも見えるだろう。だがあたしにはこれ以上ない笑顔にしか見えない、姉さんがこんな顔をする時はしかけた勝負に絶対の自信がある時なのだ。

 ご機嫌に、ニンマリと笑む御大将があたしを見つめてくる。

 慕う御方のそんな顔を見られるのは嬉しいもの、だから今度はあたしが姉を真似てにやりと微笑み、煙管を咥え火種を起こす。

 

「しかし残念じゃなぁ、一目拝んでおきたいと思っとったのに」

「見せてあげられなくてお生憎だわ……ご執心ねぇ、そんなに気にするものがあの子達にあったとは思えないのだけど」

 

「惹かれたというわけではない、ちょいと確認しておきたかっただけじゃよ。あやつに預けた儂のオカルトボールの出来とおぬしが持つボールとを比べられればこの勝負を更に面白おかしく感じられると思うてな。色味も質も違う物でありながらおぬしや聖を騙し切りおったその姿、この目に収めておきたかったんじゃがなぁ」

 

 二匹で煙管の先から鬨代わりの狼煙を上げると続くお話。

 送り届けるとはなにか、あたしの傍にいたボールを見たがったのはなぜなのかが語られる。

 あたしとしてはもっとこう、騙しに係わる大きな何かがあるから見たいのかなと思っていたのに確認とかその程度のことだったのか、なんてことはなかったな。

 そういった事情なら口にした通り会わせてあげられなくて申し訳ない、とそうも思うがあたしの好奇心は別のものに刺激された。そのように考えていなかったから気づかなんだが、言われてみれば確かに大したモノだったのかもしれないなあのボールは。

 あたしにすれば降って沸いた厄介物になったけれど結果の見方を変えてみればまた変わる。

 騙しにはそれなりに長けているあたしやあの妖怪住職を騙し通した、ちょろっと悪戯しかけてあたしと聖を争わせた、これは狙ったものではないかもしれないが楽しい弾幕ごっこを眺めることが出来て一人勝ちを収めたともいえる。悪ガキのくせに化け狸を騙しその御大将の興味まで興味を惹くとは存外にやるではないか。もう少し早く気がついていたなら少しくらいは褒めてあげても良かったのに今更になって考えるなど、回転の遅い頭で我ながら困る。

 

 なんて考えが顔に出ていたのだろうか?

 ニヤニヤと、嘲るような表情であたしを覗き込む姉の顔が間近にあった。

 

「どうやら少しどころではなくなったようじゃのう」

「お陰様でね、褒めて懐かせれば面白い奴になってくれたかもしれないのに、惜しいことしちゃったわ」

 

「惜しいか。そうじゃな、確かに惜しいのぅ」

 

 ころんと氷を鳴らす姉。

 空いたグラスから瑞々しくもどこか冷たい音色を響かせて惜しむ心を知らせてくれる。

 そんな絵になる姿を見つめ、あたしはあたしで手酌でおかわり。

 同じような心持ちならそこも真似して見せればいい、姉さんの顔を見た瞬間にはそう思ったのだがそれよりも他のもの、別の理由であたしの心は満たされたから、こちらは敢えて真似せずにグラスを満たし、氷を回した。

 

 きっと姉さんの侘しさは達者な騙しを見られずに終わったことにあるのだろう。でも、あたしにはあいつらの騙しの業がなんなのかわかってしまったから、思いついてしまったから、静かにグラスを満たしそのまま飲み干す。

 ぐっと一息、思いつきも飲み込む勢いでお酒を煽ると何かを察したらしくまた顔を覗き込まれたが、その顔を更に覗き返し、童女のように下から見上げるとなんでもなかったかのように頭を引っ込める姉。

 

 口にはしてあげないが少しだけ見せてあげたヒント、姉が関わる異変の元凶とあたしが賑わう理由となってくれたボールを真似て大人を騙すにふさわしい子供騙しな物真似ってのをまたやってみせたのだけど果たして上手く伝わったのだろうか。

 ちょっとだけ気になった。

 


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