東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その64 ふとどきもの

 原色萌ゆる朝の日差しに夏の賑わいを感じる今日この頃。

 少し前まで感じられた湿った空気はとうになく、今朝はすっかり盛夏の日和。

 例えば、乾を仰がば木々の合間から強いお日様が差し込んで光を反射した緑の葉が時折輝き、坤を見下ろさば芽吹いた新緑が獣道を覆い色濃く写る己の影と良い陰影を描いてくれている。

 暦の上では未だ夏本番前、烏柄杓(からすびしゃく)も背伸びをし始めたばかりで、遠く僅かに見える人里の田畑なんかも濡れた茶色に少しの緑色が差し色になったくらいだというのに、今朝は耳よりも目、視覚の方で季節の来訪を強く感じることが出来た。

 

 少し動けば汗でもかいてしまいそうな朝。

 向かう先にいるはずの巫女を真似て脇でも晒したくなるくらいの朝。

 そんな夏らしい空気の中鳥居目指して一歩、目立つ尻尾と怠さの残る腕で揺れる小さな巾着袋を振りながら、また一歩と巾着に収まる爽やかな実山椒の香りを振り撒きつつ参る。

 

 目的地に近づけば近づくほど、上に来れば来るほど強くなる坂の傾斜や自然任せで整っていない道肌は見た目よりも足にきて、彼の地を訪れるに慣れぬ者達ならば数度の休憩を取りながら進むのだろう。しかし、そうした(みち)も地を行く事に慣れたあたしや連れ歩く山の者達には大した困難とも感じられず、今もサイズこそ違うが似かよった縞柄尻尾を揺らしてのお気楽道中にしかならない。

 なんならもう少し険しいくらいでもいいんじゃないかとすら考える事もある。

 そうなれば祀られる方々の威厳も増して万歳となるし、彼の神々を崇める鼻と下駄が高い連中も侵入者が減って万々歳となるはずだけれど、そこまでしてしまっては少ない来訪者が皆無になるだろうし、メインの客層である天狗自体がこの山に住み慣れた連中でそもそも飛んで移動してばかりなのだから山道を変えたところで変わりもないかね?

 うん、そうだろうな。下手に梃子入れすれば生い茂る木々や住まう動植物も驚いてしまうし、()(もっ)て頭の堅いあの連中が賛同するはずもないか。それなら今ぐらい、人が歩むには荒れていて、山の住人が進むには楽な参道ってのが丁度良い具合なのかもしれないね。

 

 流れゆく東風(あゆのかぜ)に乗って舞う烏。

 近頃週刊誌にも興味を示し始めた黒い鴉記者が飛ぶ紺青の空を拝みつつそんな事を考える。

 と、踏み出す足にふわり、触れるものふたつ。

 

「なに? あぁ、もうすぐ着くわよ」

 

 思考に次いで逸れ始めた道程を見ながら、茂る若葉ともう一つ、あたしの足に触れてきた者達へ軽い説明。くりくり黒眼で見上げてくる者らにもうちょっとで目的地だと伝えると、もうすぐってどれくらいと聞き返されたが間もなくだと言い返し、邪魔されて些か逸れた道を修正した。

 

 今進んでいる山坂を超えれば傾斜も少しは緩くなり、そこまで行けば景色も開けて、視界に収むるに鮮やかな情景となる。今現在も高く揺らめく不尽の煙や崖下に見える玄武の沢など観光名所らしい場所も眺められるが、もうちょっと行けば芽吹いた夏草や濃い緑を湛える広葉樹に彩られた九天の滝を上から拝む事が出来て、あたしはその絵面を結構気に入っている。

 

 共に歩むこの子らも気に入ってくれるだろうか。

 それとも見慣れた景色だから気にもならんのだろうか?

 そんな思いを描きながらコツコツ。

 こっちに行くと伝えるようにブーツの踵を鳴らして歩き、偶に見下ろす。

 共に地を行く彼らの足取りを想いながら己の足を動かすと、裾に暖かな縞柄がまた触れる。

 邪魔気に絡みついてくる尻尾。まだ未熟、夏毛のせいで余計に細く見える尾先に向かってブーツの爪先を向けると、本体は尻尾に似合った小さな体をくねらせ、あたしの足をくぐり抜けては八の字に回り、遊ぶ。少し前から人の足元でぐるぐると回ってくれて、初々しい視線を送りながら懐いてくれるのは嬉しく思うが流石にちょいと鬱陶しいというか、踏みつけてしまいそうで危ない。

 

「ほら、そろそろやめなさい」

 

 じゃれつく縞尻尾の持ち主達を叱る。

 が、八の字描き続けていた一匹、若干の乳臭さが残る弟の方は気にも留めず走り回って、あたしの注意など聞く耳を持たない様子。

 

「あんたねぇ、あんまりしつこいとお姉さん怒るわよ」

 

 軽い注意はまたも無視、されたが今回は姉の方だけは反応してくれた。

 弟よりは僅かに体の大きな姉が角っ口した人の顔色を伺ってくる。

 生まれた日にちは然程変わらないはず、差があっても数時間程度だとは思うけれどやはり先に世へ出た者か、弟の様子を見ながらあたしに向かって甘え半分伺い半分という目線を発してくれる。

 でもあたしのご機嫌が気になるのは姉だけらしいな。叱った弟の方は我関せずな心模様。

 まったく、ついてくるというから気を配ってやっているのに。

 あんまりにも話を聞かないなら本当に踏むぞ? 

 

 歩く度に揺れるブーツの紐、それを標的にする悪戯坊主。

 危ないからやめなさい、語気強く伝えると視線を外してそっぽを向かれてしまった。悪びれた風合いで顔をそむけたから今度こそ叱られていると理解‥‥はしてないな、あたしから別のもの、木漏れ日の差し込む枝で休んでいる野鳥を見つけてそちらに意識が向いただけか。

 こいつめ、この先におわす神様もあたしも機嫌が傾くと面倒臭い手合だからそうならぬようにと、お前達の事を思って言ってやったのに、これだから子供の相手は困る。

 

「だから、いい加減に‥‥もういいわ、天罰下されるのはあんたらだし」

 

 立ち止まらずに言い切り、そのまま歩みを戻す。

 すると半歩分離れた辺りで再度ついてくる二匹。後にあるかもしれないお叱り、あたしからではなくもっとおっかない方々からの分も含めて言ったつもりだがその心はあまり伝わらず、華奢な縞柄揺らしてくれてもっと構えとごねてもくれる。だが、もうこれ以上時間を割かれたくはない。

 もう知らんと含ませて、裾に纏わり付く尻尾をあたしの尾先で払い返すだけに留めた。

 

 先程からの話し相手は仄かな妖気を纏う者達、我が同胞の野鉄砲。

 山に入ってすぐに出会ったというか向こうからあたしを見つけて近寄ってきた姉弟で、いつだったか起こした山童襲撃騒ぎの際仙人に諭された者達が生んだ子供達。あの時にはしゃいでしまった狸達の多くは華扇さんの言いつけを守り、血の味を忘れた狸として過ごすようになったはずだったのだが、中には一度覚えてしまった味をもう一度味わいたいと考えた狡い者達もいたらしく、そうした狸達は説教の鬼の口煩い言い分虚しく妖怪野鉄砲として生きるようになった。

 そんな新参妖怪の中でも更に新参なのがこの子達。どちらもこの春に生まれたばかりの、体格からすれば乳を吸うより肉を食むのが好きになったぐらいかね。あたしを見上げたままうろちょろと、時折木の根に足を取られながら歩む二匹。その姿こそ可愛いは可愛いが合流してからずっとあたしに付きまとってくれて、足元や視界の端をチョロチョロと動き回られて。

 邪魔と言えば邪魔、だが愛すべき身内には違いなく、慕ってくれる子らを邪険にする気も起きず。なれど困ってしまうのは同族の子守りから離れて久しいせいだろうな‥‥子供だからと甘い顔をしないで違う対応をしていれば良かったかね、あたしと出会って開口一番『綺麗な着物のお姉ちゃんが一人で何処に行くの?』なんておべっか上手な弟のやつに尋ねられたから、このお山の偉いさんに会いに来たと返事をしたが、もう少し言い方を考えれば連れ歩く事にもならなかったのかもしれない。

 

『新しく社を構えられた神様がこのお山にはおわします』

 親からそういった話を聞いているらしいが『僕たちはまだ会った事ないから一緒に行きたい』なんて茶色の坊やに言われたものだから、それなら行くついでだしと、三匹で神社に繋がる参道を進んでいるが‥‥しかし、親の迎えはまだだろうか? 乳を離れた頃合いとはいってもまだまだ目を離せない子供らだ、少しの事でも新鮮に感じて興味を覚えれば遊び呆け、道を逸れたり知らぬ者に連れ去られたりしかねないというのに。

 ここいらは神社の神域に近いからあまり見ないが、もう少し麓に近い辺りなら野犬や木っ端の妖怪もいる。放っておけばそいつらに喰われてしまうかもわからんし、可愛い身内がそうなるかもしれないと考えてしまって、それなら親と合流するまではあたしと一緒にいれば‥‥なんて思ったから保護代わりに連れ歩いているのに。この二匹のおかげで通い慣れた参路が中々に遠く果てしない旅路になってしまうし、親の姿も匂いもしないしで、これではお参りしながら参ってしまいそうだ。

 

 などと何時も通りの下らん冗談に耽っていると見えてくる山坂の上、大根注連(だいこんじめ)の大きな縄。

 

「あ、ほら、前見て、あそこを潜ったらもう神社よ。着いたらおとなしくなさい」

 

 話しながら煙管を向ける。

 幼い視線がそちらに向いたのを確認した後、ひとつ大きく吸い込んで火種を落とし踏み消した。

 わざと強めに音を立て鳥居からあたしの足へ注視させた後、吐いた煙を一匹の大きな爬虫類、子狸の二匹くらい一飲みに出来そうな蛇へと変じさせ鎌首をもたげさせると、浮つきっぱなしだった弟のほうがあたしの裾をよじ登り腿の辺りにへばりつく。

 いくら言ってもきかなかったくらいだ、幼いながら肝が座っているのかと思ったがやはり子供だったな、危ない相手を見て怯え、縋れる相手に縋り付くとは。言うこと聞かない悪戯小僧かと思ったが案外可愛いところもあったか。

 瞳を潤ませる顔が愛らしくて、もう少しだけ見たくて。調子に乗って蛇に威嚇させると泣き出しそうな顔で脛から腿へ伝い登りしてくる僕ちゃん。唐突に現れた白蛇は結構な驚きだったらしく、握られる着物には深めの皺が寄ってしまうが、それを気にさせないくらいの可笑しな顔をした弟が可愛くて、謝りながら笑って蛇を消し、戻した煙を山の方々へと流した。

 

「ね? 言った通りにしないとこんな神様に食べられちゃうから、静かに、ね?」

 

 薄笑い浮かぶ唇に人差し指を添えて述べると二匹共に小さな頭を上下させた。例えに使った方々は捕まえてもいない狸の皮算用をするような浅慮な神々ではないがお蔭様で静かにはなったし、ここはそのご威光に感謝しておくとしよう。

 ね、と同意を求めながら腿の毛玉を片手で抱き上げ、もう一方で煙管を回す。慣れた仕草でそのまま帯に挿して、空いた左手でやらかしすぎたのか小さく震える弟を優しく撫でた。それから泥色の肉球跡がつけられた上前(うわまえ)辺りを撫で戻して地面のもう一匹、太くなった尻尾をあたしの踝に回す姉も抱き上げる。

 

 小さな体にしては重く感じる腕。

 これは守るべき同胞を抱いているから感じているのか。

 それとも我が家を訪れた妖怪和尚の質問攻めから結局逃げ切れず、寺まで拉致され一晩中書かされた写経がきいているからなのか。どちらのせいでこうなったのかはよくわからないが色即是空空即是色なんて長々書き連ねた後なのだし、重みの本質がわからなくてもまぁ当然か。

 なんて考えながら鳥居の端をくぐる、そうして向かうは裕福な清水湧く手水舎‥‥のはずだったが今日はそちらに向かう前に別の場所、普段以上に掃き清められて落葉の一枚も見られない境内の中央、人の背丈よりも大きな濃緑のお飾りが佇むところへ向かった。

 

「そっか、もうそんな季節になるのよね」

 

 失敗したか、お裾分けだけじゃなくて小豆と外郎(ういろう)でも土産に持てばよかったかね。

 袖から垂らすお裾分け、今朝方過ごしていたところより失敬してきた巾着袋を揺らしながら、石畳の真ん中に仰々しく陣取る緑輪の感想を漏らす。

 木造の台座に設けられた大きな輪っかはここの神様が背負っている形を模したもの、(ちがや)で編まれたもので、今時期の神社で例年修祓されている神事である。あたしが外の世界で生きていた頃はここだけでなく他のお社でも執り行われていたからそう珍しいこともないが、そういや麓の神社では見た覚えがないな‥‥と、眺めていると抱えた二匹からこれはなぁにと質問がきた。

 

「この輪っかは夏越(なご)しの(はらえ)っていってね、あの輪をくぐり抜けると悪いものが払えて千年は生きられるようになるって言われてのよ」

 

 輪を何回かくぐるとか、弟ちゃんがあたしの足元を回ったような動きで抜けるのだとか、そんな作法もあったような気がするけどこの子らにそこまで言っても仕様がないから今は端折る。

 夏場に見られる除災の神事を指差して、あたし達妖怪がくぐり抜けると浄化されてしまうかもね、なんて嘯きながら笑うと手元の二匹がぶるっと震えた。

 さっきからあたしの言う事を真に受けて怯えてみたり震えてみたりしてくれて、やはり子供は素直だ、莫迦にし甲斐がある。実際のところはただの飾り、古い神話の験を担いだ客寄せ行事だ。この神社に祀られる神がその御力を振るわば払われん事もないだろうが、山に生きるだけの子狸に下す神罰などないだろうし、あたしも罰せられるような悪さは今はしてないから祓い落とされる事などないと思う、多分。

 

「誰が来たのかと思えば、穢れに生きる妖怪が解除(はらえ)を語るか」

 

 話しながら輪に歩み寄ると不意に感じる穏やかな神気。

 その雄姿は見られず聞き慣れたあたたかなお声だけがかけられる。

 だがなんだ、意識するほどでもないはずだけどなんだろうな、言葉のどこかしらに棘があるような、ちょっとだけご機嫌斜めな匂いがしなくもない。

 

「今のあたしは本来浄土にいるはずの立場らしいし、穢れとは縁遠くなったみたいよ?」

「曖昧な言いっぷりだな、自身の事だろう?」

 

「誰かにそう言われただけで実感はないの、あたしとしては変わらずだからどうでもいいのよ」

 

 言い返すと聞ける笑い。感じた嫌な感覚を気にせず何時も通りに言ったのが功を奏したのか、見上げる空のようになったその声。声量から近くにおわすのだろうがどことなく気配は遠くある気もするな、あたしの減らず口には笑声を聞かせてくれるのに姿は見せてくださらないから余計にそう感じてしまう。

 

「なんだったかしら、素戔嗚尊(スサノオノミコト)に肖った催しものだとか? 胞衣(えな)を納めたりする事もあったとかいうけどその辺はうろ覚えなのよね」

「然り。無病息災を願う夏祓だ。うろ覚えでも記憶にある辺りは相変わらずよなぁ、アヤメ」

 

 良い意味で相変わらずと言われるなど珍しい事もあるものだ。

 少し語っただけで褒められた事に満足し微笑むと、そうやって調子に乗りやすいのもそのままだなんて、伸び始めたあたしの鼻を折ろうとする神奈子様。あたしが天狗だったなら多少は気になる言いっぷりだけれど性悪狸なあたしにはこの程度、微温いだけで気にもならん。

 

「世間話のネタ程度にしか知らないけどね。おはようございます、神奈子様」

「あぁおはよう。それで、朝一番からどうした? またなにか用事かい?」

 

「そ、御三方にちょっとした御用があるの」

「我ら全員にか? それはすまんな、少ない信者からの話、願い通りしっかりと聞き届けてやりたく思うが今は欠けているんだ」

 

 どうやら誰かがいないらしいな、諏訪子様はあんまり出かけないし欠けているのは早苗か?

 これは少々間が悪かったかね、今日はそれぞれに聞きたい事があって伺ったのに今日一番の目当てである一人娘がいないとは残念だ。

 

「残念だわ、早苗が一番の目当てだったのに」

「お前さんがあの子に用事とは珍しい事もあるものだ。しかしタイミングが悪かったねぇ、昨日は一度帰ってきたがそれから泊まりで出たままだ。今日も夜半過ぎまで戻らんだろうな」

 

「あの子が他所に泊まりってのも珍しいけど何かあったの? 最近の騒ぎ関連?」

「関わってはいるが間接的にだ、昨今流行りの都市伝説に乗っかって少しな。聞けば私達が外にいた頃に流行った話がこちらで実体化しているそうじゃないか」

 

 あたしも聞いた限りだがどうにもそんな感じで実体化したりさせられたりしているらしい。

 昨日会った和尚も見慣れない乗り物をなぞらえた都市伝説を成して跨っていたし、彼女から知り得た他のオカルト、人体発火や番町皿屋敷、口裂け女ってのもあたしの知らない新たな怪談話だったしね。

 

「新旧取り揃えているみたいね。顕したオカルトと仲良く皿を割る奴もいれば、おじさん顔の犬を見たってのもいるとか」

「皿屋敷は仙人一派の者で後者は人面犬という都市伝説だったか?」

 

「そうみたい。頑張って表情作ってる健気な女の子もいるって話だけど、あれは可愛いからオカルトって感じはしないわね」

 

 作れない表情を浮かべようと両頬に指突っ込んでいる誰かさん。

 聖からすればああいった行いは(いや)しい所作に見えるらしくて、はしたないからやめさせたいとの事たが、こころがああしているのも所詮流行りで一時的なものだろうし、誰がどう見ても可愛いだけだからあれはあのままがいいと思う。

 

「愛いオカルトなど記憶にないが‥‥ふむ、そんな者も姿を見せているんだねぇ。私が早苗から聞いたのは紅白巫女はスキマと仲良くしていて、あの白黒はトイレの花子さんを操っているなんて話だな」

「霊夢と紫はいつも通りか」

 

 頷きながら話を合わせつつ、別の事も思案する。

 なるほど、だから紫は出てこなかったのか。外の話は外に詳しいものに聞けばわかる、そう思いついた頃からあのスキマを犯人に仕立て上げたり思い浮かべてみたりしていたが、目をかけているあの巫女さんといちゃついているのならこっちに顔を出す暇なぞないのだろうな。

 

「で、その魔理沙の方は? 花子さんは聞かないわ」

「最近になってからそう呼ばれ始めたからね、こっちに居着いて長いアヤメが知らなくとも無理はないな。なに、御不浄を司る神の事を人間達が花子さんと呼ぶようになり、そのまま広まったというだけの事だよ」

 

「厠を司る神様‥‥花子さんって名前からすると女神様よね? それなら‥‥なんだったかしら、娘々から聞いた覚えがあるような」

 

 寺から逃げた先の霊廟近辺で浮ついていた邪仙との話題にそんな話もあったような気がするがいかんな、追手を気にしながら語らったからうろ覚えてすらいない。

 

「道教の仙人ならば紫姑神(しこしん)だね。彼女も厠神ではあるが花子さんの元々は我らと同じ日の本の女神だよ。弥都波能売神(ミズハノメノカミ)波邇夜須毘売神(ハニヤスビメノカミ)と言えばお前さんも知るところだろう?」

「それぞれ紙漉きと粘土の神様よね、言われると厠関連の二柱と思えなくもないわ」

 

「そこから繋げるのは如何なものかと思うが、そういった連想から生まれたのが花子さんなのだから否定は出来んな。ともかく彼女達を幻視したものが怪談話の花子さんだという事さ。しかしだ‥‥敬う祭神を前にして商売敵を想うでないよ、不敬者め」

 

 呆れて聞こえる神の声、これはあたしが悪いのか?

 あたしは不届きな女だが不敬な妖怪ではないはずだぞ?

 現にうろ覚えの神様を考えはしたが名は出していない、下手な事を言ってご機嫌を傾けられたら手間だから言わずに濁したというに。と、言い切られた後になって思うけれども神奈子様もたいして気にされてはいないようだしまぁいいか。

 

「今朝はその近くで日の出を迎えたからついついね、それに山と厠じゃ商いとしてはかち合わないしいいかなと思ったんだけど‥‥なに? もしかして神奈子様ってば嫉妬してる? 少ない信者が、なんて心配しなくともあたし達狸は一途だし、変わらずお慕いもしてるわよ」

 

 言いたい放題言いながらふふっと漏らし、手元の同胞にも促す。

 抱えた身体を軽く揺すって、あたしに合わせて何か言いなさいと示してみると抱えられたまま尾を揺らした子供達。愛くるしい尻尾が揺れたのに合わせてあたしも秋波(しゅうは)を送ると、余計な一言とそうした小生意気な態度がなければお前もなぁ、なんて言われてしまった。その『なぁ』の後に続くのがなんだったのか非常に気になるが、色目を送った通りに可愛い信者だとか愛すべき者だとか、きっとそういう物言いが続いたのだと思うからそこは深く考えずにおこう。

 しかし、坤を司る奥方様の方ならわからなくもないが、天に向かって用を足すことなどなかろうに。それ故敵には成り得ないはずだが、あれか、信仰を求める宗教家としてって意味かね? それなら確かに商売敵だからわからなくもないが‥‥と、ブツブツ考えながらブツブツ唱える。

 両手は塞がっているから合掌こそ出来ないけれど、今朝の早い時間まで過ごしていた、もとい拉致監禁されていた場所で耳にした『ぎゃ~て~ぎゃ~て~はらそ~ぎゃ~て~』なんてのを唱え、持ち込みの虎柄巾着を揺らす。そうやって朝方の『近く』は此処だったと知らせてみると神奈子様も察してくだされたようだ。

 

「命蓮寺か、あの住職の顔も暫く見ていないが変わらず健在かい?」

「元気も元気よ、握り締めた掌をあたしに向けるくらいには元気だわ」

 

「息災か、それならば善い」

 

 あの和尚こそ正しく商売敵だろうにいいのか?

 いや、いいんだろうな、こんな気安さがこの神様のいいところでもあるし、そも今の命蓮寺があるのもここの神社の神様が関わっているからだとか聞いた事もある。あの和尚もついでに道教の仙人も、人間二人を間に入れてお茶啜りながら仲良く対談するくらいの仲ではあるらしいから競って励み合う同業他社ぐらいにしか見ていないのだろうよ。

 あたしの方こそ星の持ち物だろう巾着なんてくすねたりして危ういかもしれんが、バレたところでそこいらに落ちていたのを見つけたから預かったとでも騙れば鼠殿以外には通用するはずだし、こちらは構う事でもないけれど‥‥

 

「ちっともよくないわよ、守矢の信者が退治されたって言ったのよ?」

 

 こちらは構う、とっちめられたと報告したのに善いなどと言いおって。この神様こそ慕う信者の事をどう思っておられるのか?

 

「なればこそだ、お前さんを締め上げられるくらいに元気なら要らぬ心配もせんで済む。それに死人の躯を案じるほど私は粋狂者ではないよ」

「粋狂な計画ばっかり立ててるくせによく言うわ。大事な大事な信者が泣きをみたってのに笑わないでほしいわね」

 

「何を言うか、本気で泣かされた者は失敗談を話の種にせんよ」

 

 御尤もだとグゥの音を吐いてしまう。

 すると、クックなんて音色が返ってきた。このあたしが揚げ足を取られて言い負かされるなど、ましてや笑われる事など本来あってはならないが今回は別にいいか、相手は目上の御方であらせられるし言われたあたし自身気にも留めていない。それにこんな事ぐらいで(かし)いでいたご機嫌が逆方向に傾くのならばそれにこした事はないしな。

 言い返すことなどもうない、そんな顔で空を拝むと更に聞こえる神の笑声。口だけ妖怪なあたしが黙る姿を見てほんのりでも楽しんで頂けたようでなによりだ‥‥ならばこのまま、もう少し強調して持ち上げるかと、そんな思い付きと共に顔も作る。

 ちょっとだけ、眉間に山坂ほどではない浅い谷を作って見せるとこちらもお気に召したのか、一頻り笑われた後で話を戻される神。聞けばなんでも外の世界では霊能者が珍しくなったようで、また、ある程度の霊力を持ち得ていても本人に自覚がなかったり信用されなかったりといった事が往々にしてあるそうだ。そんな人間達が偶々見かけた、視ることが出来た怪異を切っ掛けに噂話が出来上がり、面白おかしい怪談話として巷に広まったのがトイレの花子さんを代表とした都市伝説なんだそうな。

 

「しかしまぁ花子さんねぇ。形として多少変われど現在でも認識され信じられている、神として崇められてはいないようだが外でも此処でも人の心の内には残り続けている、か‥‥少しだけ羨ましいな」

 

 昔語りの草の中、神奈子様が緩い声を漏らす。

 その穏やかな声に聞き入っていると、あの子が小さかった頃は花子さんを怖がって夜中一人でトイレに行けなくなったなぁ、なんて思い出話のネタも零された。

 過去を見る神の声は包容力満点で間違いなく親の声。 

 そんな声が馴染んだのか自然と緩む空気、そうして続く昔語り。

 大げさに語られたのは創生に謳われた八坂様のありがたい思い出話だったが、内容自体は大したものでもないから掻い摘んで紹介するだけとしよう。

 一言で言うなら寝ていると足音が聞こえ、瞳を開けば枕を握りしめて半泣きで枕元に座り込む誰かさんの顔があったって話。目尻に大きな涙粒を溜めたその表情が本当に愛らしいものに見えて、一人娘がそれなりに成長した今でも忘れられないってな惚気話だった。

 

 お話の受け取り方如何によっては正しくオカルトな逸話と聞けなくもないのだけれど、その正体は愛しくてたまらない娘だったというのだから気がほころんでも無理はないか‥‥しかしふむ、中々悪くない話であたしとしても好ましい流れだな。

 娘をからかうネタを仕入れられたのもそうだけどあたしが此処に来た用事の一つ、外の世界で過ごされていたここの方々ならオカルトや都市伝説について何か知っているかもしれない、なんて考えは大概正しいものだったとこれで証明された。後はここから知りたい話へと掘り下げていけばいいのだろうが、はてさて何処から手を付けたものかな。

 

「それでな、懐かしさに色々と思い出していたら早苗が閃いたらしくてね、この話を切っ掛けに今こそ信仰を! 霊夢さんのいない今がチャンスですよ八坂様! などと息巻いてしまってなあ」

 

 続く神奈子様の饒舌に対しては頷き、裏では考える。

 噂話に乗せられやすい子供への注意喚起を名目に寺子屋へ押しかけたと、つまりはそういう事か。(かしこ)(もう)す巫女さんが(かしこ)まらずに押しかけ申すとな、普段突飛な事ばかり考える早苗にしては上手い冗談で誠に妬ましく羨望嫉妬である‥‥ってこれはもういいな、それよりも気になる部分があったしそこを引っ掛けて掘り下げようか。

 

「麓の巫女がいない間を狙うなんて山の巫女もしたたかになったじゃない。暢気に託宣触れ回るのもいいけど、面倒な奴らに見つかって喧嘩売られても知らないから」

「そこも問題はない、紅白はそれどころではないようだからね」

 

「黒い影に襲われたとは聞いたけど、派手にやられてそのまま寝込んだりしてるの?」

「数日前の一件については大事ない、そんな事もあるにはあったがそれだけだ。それにあの程度で寝込むほど軟な者ではないだろう、あの巫女は」

 

 言われてそうだなと頷く。

 霊夢が襲われたと耳にはしたが負けたとは聞いていないし、異変となると鬼になるあの巫女が不様に負ける姿も浮かばない。内情を知っているらしい神奈子様の仰りようも普段使いの気楽なものだし、何より紫も見ているって話だから気に病む事などないな。

 実態は文字通り、霊夢と影とが争った程度で大事には至っていないのだろう。しかし、あの尼さんから仕入れたネタは古い情報だったか。ならばいいな、これはそんな事もあったという部分と霊夢が明確な行動をしているって部分だけ記憶しておいて流してしまおう。

 

「まぁそうよね、それなら別件で忙しいのか。以前の人気取り合戦みたいに今回も大立ち回りしているのかしらね」

「先日までは忙しく回っていたさ、だが今は別の理由があるようだね。自宅に開いた大穴に飛び込むなど、あの巫女も何を考えているのやら」

 

「ん? 穴ってあの神社また穴開いたの?」

 

 問うと一言、うむと答えて下さった。

 あそこも潰れたり燃えたりして毎回毎回飽きないな、これで何回目になるのか。不良天人が暇だからとやらかしてみたり、巫女さん本人が間違った酉の市を仕切ったせいで燃え落ちたり、そろそろ片手で足りなくなるくらいになるんじゃないのか?

 そも、此度の穴は何処の誰がやらかして何処に繋がるのかね?

 神社から地下に潜るなら行き先は暖かな旧地獄か、どこか胡散臭く感じる仙界、後は博霊神社の蔵で眠る危ない人形を貰った先くらいだとは思う。でも娘々はなにも言っていなかったし‥‥だったら通じているのは一体どちらだろうか?

 なんて疑問を浮かばせていると、神奈子様からご神託が届く。

 曰く、今回の犯行は家主である紅白が留守の間にあの黒白と山の仙人がやらかしたものらしく、あたしが聖の監視のもとに写経しながら念仏唱えていた時間ぐらいには華扇さんも博麗神社の境内で魔法使いと話しながらゴニョゴニョ唱え、結界の破れ目を拵えたんだそうだ。

 

「裂け目なんて、見た目に似合って派手にやるわね」

「おっとすまない、言葉足らずだったね。その見た目こそ地の裂け目だったがあれは門と呼ぶべきものと感じられたよ」

 

「門、ようは結界に出入り口を拵えたって事かしら。そんな術を知ってるなんてあの人も伊達に仙人名乗ってないわね‥‥後で紫にどやされなけりゃいいけど」

「さぁてな。隙間の腹積もりなど知らぬがあの場に顔を見せる事はなかったし、茨華仙の落ち着き払った様子からすれば大丈夫なのだろうよ」

 

 管理人が知らぬ顔をするならどうでもいいかと浮かんですぐ、神奈子様からそれとな、と続く。どうやらその門の先には懐かしい景色、人工的な灯りに満ちた綺羅びやかな世界ってのが見えたらしくて‥‥つまりだ、繋がる先はあちらの世界だったわけだ。

 

「黒白のは仙人と争っただけらしい。先に神社に来ていた茨華仙が仕掛けたのを見計らったようにも思えたが、さて」

 

 まだまだ続く神の口。先の神託に連なるは神奈子様達がいらっしゃるよりもっと前の話か。確かに、あの仙人もこのお山が外にあり鬼の膝元にあった頃は拳骨振り回してやんちゃしていた四天王の一角だったし、今も能ある鷹を飼い慣らしている人だ、実力は当然にしてある。と、あの人の過去はどうでもいいか、今は目の前の話を考える事としよう。

 魔理沙と茨華仙、二人のことを語られる割にはらしいやら、そのようだやら、明確な答弁というには些か弱い物言いで語られる神様。普段は言い切る神奈子様らしくない言葉に少しだけ違和感を覚えてしまいあたしの頭が横に傾くと、分社を通して聞こえた声はあいつらの声だったよと、曖昧に述べた理由もお話下された。

 

「あの仙人も結界に手を出すなど、やはり中々の実力者だったねぇ」

「そうね、よくやるわ」

 

 関心される声に相槌を返す、あたしは呆れただけだがね。

 あの巫女さんは下手に手を出せば火傷じゃ済まない相手で、あの場所も幻想郷としては大事とされている場所だ。そんなところでしでかせば巫女さんに祓われ退治されてもおかしくはないのに。あれか、普段から徳の高い仙人として振る舞っているから今回も仙人が下す善行の一つとでも見てもらえたのかね?

 それとも、隙を狙ったか。魔理沙も華扇さんもあの神社で常から入り浸っているし、ほぼ毎日見かけていればあの霊夢でも気を許して脇が甘くなるのかもしれんな。年中晒しっ放しで塩辛くなりそうにない脇巫女だ、そうした面では案外甘いところもあるのかもしれん‥‥ん、また逸れてきたな、少し戻るか。

 華扇さんが何を目的に大それた事をしたのかは知らんし中途半端に首を突っ込むと後が怖いからこれ以上は深入りせんが、話では霊夢もその割れ目に飛び込んだらしいし、彼女が忙しくなったというのもそれ関連で間違いないだろうね。

 

「とまぁそんなわけでだ、麓の巫女が別件で忙しい間に広まってしまった不安を少しでも拭おうと早苗は動いているわけだ」

「それで手始めに寺子屋と。将来の信者予定からだなんて、神の威光を知らしめる巫女さんとして素晴らしい心掛けね」

 

 言うなれば鬼巫女の居ぬ間の託宣って感じかね。

 人間少女達で敵対しているわけでもないし引っ掛けた諺通りの気晴らしってもんでもないとは思うけど、中々悪くない場所に目をつけたな。噂話の出所など大概は好奇心旺盛な子供か余所様の動向が気になる女だ。そのどちらかを直接諭せば親か子の片方を媒介に両方の耳に話を届ける事が出来る、ひとつ論じて信頼を得ればふたつ以上の信仰心が簡単に得られるはずだ。あたしから見ても一石二鳥で上手いやり口だと思えるが‥‥早苗はそこまで考えていないかもしれんな、純粋に民草の心を普段のようなのんびり具合に戻そうとしているのだけかもしれん。

 読みきれんが、まぁそこらはいいな、今案じる事でもなかろう。

 案ずるべきはその場所。人間の里か、また面倒な場所に行ってしまわれたものだな。

 

「あそこって事は阿求もいるわね」

「昨日は稗田の当主と里の教師も同席していたと聞くが、今日はわからないなぁ」

 

「昨日いたなら今日もいるでしょ、きっと」

「だろうな。そういえば付喪神やあの覚妖怪も顔を出したそうだよ」

 

「人里ならこころとこいしかしらね? あいつらはどうでもいいわ。どうせ遊び回ってるだけなんでしょうし、そもそもいようがいまいがわからないんだから気にしても仕方ないわよ」

 

 どうでもいいと語りつつも、脳裏に浮かぶあの子達。

 無表情な方は大概寺にいるし、寺な子屋で見かけてもおかしなことではないか。無意識な方も相変わらず寺にしろ小屋にしろ、本当に何処にでも顔を出しているようだ。寧ろ姿を見たって話が出てこない場所のほうが少ないくらいかね、この調子ならあの霊廟にも顔を出しているのだろうし、あの子の話を聞いていないのは後は天界や地獄、スキマの中、外の世界くらいか。うむ、やっぱりどうでもいいな、考えを改めよう。

 

 さて、オカルト話に続いて少し気になっていた霊夢の話も聞けた。早苗の方も誰かに語って諭せるくらいには都市伝説を知っていてくれて、ここまで聞かせてもらえた事だけでも情報収集としての成果は上々と言えよう。

 今でこそ幻想郷で巫女さんやっているけれど早苗は元々外で生きていた娘っ子だったはず。こっちに来てからは常識に囚われない様子を色々と見せてくれるあの子でもあちらの世界で生きるなら十人並みの生活をしていたのだろうし、年頃の女の子ならこうした巷の話題には耳聡いはずで、元が噂話なのだから早苗も誰かに話したくなるはずであろう。

 そして、そういった噂話は早苗の生活圏、家庭内の話題でも必ず上がる。つまりは親代わりである二柱も娘との会話からなにかしらを聞いたり知っていたりするはずだと、そんな読みを元にして会いに来たのだけれど、多くの者達を前にして語れる程度には都市伝説を知っていてくれたとは、あたしにとって非常に好都合である。 

 ‥‥だが、ちょっとだけ予想外というか想定以上でもあったな。異変が起きれば自ら乗り込み解決に動くなど何かと行動的なここの一人娘、今回も異変に対して向かっていてどこかの誰かと小競り合いを繰り広げているかもしれないとは考えていたが、まさかこういった形で行動しているとは思わなんだ。これはどうしたものかね?

 居場所こそわかるがそこには阿求も同席しているというし、あの小娘と顔を合わせてもはぐらかす事くらいわけないが流石に先日の事もあるし近くに慧音までいるというのだ、からかうにしろ真面目に語り合うにしろいつも以上に口煩く問い正されるのが目に見える。

 そこから鑑みるとあちらに合流するのは悪手だろう‥‥それならよい、慌てて探るような事でもないし待っていれば戻るという話だ、果報が帰ってくるのをご両親と待つとしよう。

 

 結論付けた頭を振ると、合わせたように風が吹く。

 一瞬だけ強まった夏風はあたしの髪を靡かせた。

 後ろ髪を撫でるよう、こちらの気を引くように吹いた悪戯な風、ってそのまま気を引いたのか。考え事の内に沈んでしまったあたしを神奈子様が呼び戻してくださったのだろう。ならば取り敢えず話を合わせておくか、この神様も忙しい神様でもないし世間話に花咲けばそちら方面で繋ぐ事も容易かろう。

 

「惚けた顔してからに。お前まで何を企んでいるのやら」

「些細な事よ、あちこちから質問攻めされて早苗も大変そうだなって」

 

「そんな事か。心配はいらないよ、かえってそれくらいがいいのさ、これは早苗にとっての修行にもなるからね。不確かな噂話に振り回される民衆に応え先へ導くのも宗教家としての勤めだ、あの子にはそういった事も覚えて貰わないとならんからな」

 

 娘の事を語る山坂の化身、その声色はとても明るい。

 それもそうか、慕う神を想い祝女が自ら行動しているのだ、親としても神としても嬉しく感じて必然であろう。話を合わせて聞いていると惚けて見えたあたしの態度があの無意識妖怪が操る『メリーさんの電話』なんてオカルトを想起させたらしい。こっちも懐かしいと、オカルトについて神奈子様が語り始めた。

 聞きついでに問いついでと思ってそれはどんなお話なのか、流れから少し伺うと遠くの者と会話が出来る機械を通していつの間にか背後に現われている誰かの事で、操っている妹妖怪らしいオカルトなのだとざっくり教えて貰えた。

 

『私メリーさん、今貴方の後ろにいるの』

 これを決め台詞に音もなく忍び寄り背後から襲うのがそのオカルトなんだと。

 気が付く付かないはこの際捨て置いて、話で聞く限りは確かにこいしの在り方らしいもの、うってつけのオカルトだと思えたのだけれど、後ろでどれほど騒いでも気づいてもらえないこいしよりも別の者、背後から声をかけるならもっと胡散臭い奴の方が似合う気がして、一度想像すると姿がハッキリ見えてきてしまった。

 

『私がメリーさんですわ、今貴方の後ろにおりますの』

 聞こえた声に振り向くとあの笑顔がいる。

 こちらのほうが恐ろしく、愉快なオカルト伝説と呼べるものなんじゃないだろうか?

 ちょっと考えただけで瞼の裏にありありと浮かぶ紫の姿。それが思った以上にお似合いで耐えきれず吹き出す。と、語られていた神奈子様の話が止まる。笑って止めるなど些か失礼かもしれんがまぁいい、空気も変わったしこの辺りで話題を変えようかね。未だ清めも済ませていないし、このままお付き合い頂いては輪を掛けて失礼と言うものだ。

 

「まぁなんでもいいわ、今日の内に戻るんでしょ?」

「日が落ちる頃には戻る予定だ。よし、それまでうちで留守番してなさい。どうせ暇しているのだろう?」

 

「留守番って何処かに出られるの?」

「私はこれから会合があってね、少し出ねばならんでな」

 

 だから諏訪子の相手を頼む、そう言ったきり薄まる神気。

 私は出かけてくる、それを知らせる柔な(おろし)が境内を流れ、茅の輪を揺らした。

 これは上手く押し付けられたな、口振りこそこれからと仰られたが本体は既に来訪先にでも向かっていたのだろう。多少の話に耳を傾けそれには応えて下さった。恩は着せてやったから後はよろしくと、そんな感じか。だから姿も見せず声だけを届けてくれていたのだろう。

 言い逃げた感覚と最初の(むずか)る雰囲気からすれば今朝は二柱で喧嘩でもしたんだな、そして不興を売りつけたのは神奈子様の方らしいね。ここのご両神の痴話喧嘩などいつもの事だしあたしが気にする事でもないからそれはいい……けれど、これもこれで想定外だな。早苗がいないのは想定内だったが神奈子様までお出かけとは、あたしとした事が本当に読み違える事が多くて困るが今はヨシとしておこう。思い当たる他の場所もすぐには出てこないし多少の事情は知り得る事が出来た。なれば今はお誘いに乗る事とするかね、申し付けられたお留守番はその代金と考えて払ってあげるとしましょうか‥‥ならそうだな、神社で過ごす者らしく、やることはやっておくべきだな。 

 

 どちらに出られたのか定かじゃないが気配を消した山の神、風向きからすれば玄武の沢方面か、会合ならそっちだろうしとりあえず沢に向けて両手で抱えた姉弟の四肢、山歩きで汚れた肉球を見せながら手水舎方面に目を流しながら移動する。

 朝日に照らされて神々しく見える茅の輪を、我が身に降り掛かる火の粉がこれ以上育ちませんように、異変の騒ぎが遠いうちに鎮まりますように、これ以上読みが外れませんように。なんて願をかけながらくぐり抜け手水舎に向かうと、差し込む日を反射してやたら眩しく見える水面が迎えてくれた。

 その正面に向かい、眠そうな目とよく言われる自身の目を更に細めて、まずは自身の清めを済ませ、そのまま身を屈めて手水鉢から垂れ流るる清水で二匹の足もお清め……していると、屈んで小さくなったあたしの影が頭ひとつ分くらい大きくなる。銀の鎖が垂れるあたしの耳、その延長線に追加された影は同じく丸い飾りと風に流れる袖。表の祭神様が引っ込んだかと思えば今度は裏の祭神様がお見えになられたらしい、市女笠とひらひらしたお召し物が特徴的な影が体ごと動き、あたしの尻尾 に飛びついてきた。

 

「珍しく早くから来るな、雨でも降るか」

「振ってくれたら少しは涼しくなるかしら。おはようございます諏訪子様、今朝もご機嫌麗しくて何より」

 

「おはよう、今日も暑くなりそうだね」

「すっかり夏らしくなってあたしも微温くなりそうよ。そうやって好いてもらえるのはとても嬉しく感じるけど、同時に困る時期にもなってきたわね」

 

「善いと感じているならまずはその口を減らすべきだな、それに私達から何か聞きたいなら機嫌はとっておくべきだと思うよ?」

 

 あたしたちの話を聞いていたのか、ご機嫌を伺えと態とらしく言いながら見慣れた姿が現れる。

 お見えになられた御方の顔は些か曇り気味、ケの模様だが元々がそうした性質の神様だし、いつも通りの口調だからあたしが考えていたよりは荒れてもいなさそうだな。それもそうか、神奈子様もあたしとの無駄話に付き合ってくれていたし、喧嘩相手の片方にそれくらいの余裕があるのならもう一方もそれ程怒ってはいない、正しくご機嫌斜めになった程度なんだろうよ。

 まぁいい、何が切っ掛けだろうがあたしが悪いわけじゃあない、だから無視してご挨拶を済ませ……ながらも尾を揺らす。そうした蟠りはここの哨戒天狗にでも食わせろあたしに振るなと、そんな思いを込めて天狗の里方面へ温くなり始めた尾を揺らすと想像よりもワンテンポ、重りの分遅れて動く我が尾。

 

「態と揺らすな、抱き心地が悪くなる」

「お慕いする御方に抱かれているんだもの、自然と揺れもするものよ、ね?」

 

 背後の神に返しつつ、抱く子らに肯定を求めてみる。

 そうして語りながら山歩きで汚れた二匹の足を清め、自身の手も濯いでいると動く神の影。

 

「まだ小さいね、七五三には早いんじゃないか?」

「残念ながらそれらしい神参りじゃないわよ」

 

 普段よりもがしっと、何か気に入らない事があったとわかる力加減で人の尻尾をよじ登った諏訪子様へ言い返すと、尾先の毛を些か摘まれ引っ張られた。

 先の神奈子様と諏訪子様の話される声色、あたし達を見下ろす眼光から不機嫌だとわかったから持ち上げようと思って言ってやったのに、麗しさなどまるで感じられない引張り具合だが‥‥悪意は感じないし痴話喧嘩の憤りを他人にぶつけるような小さな御方ではないと知っている、ではこの当りの悪さはと思わなくもないがあたしの扱いなど毎回こんなものだ。

 

「孫の面通しに来たかと思ったのに、違ったか」

「せめて子と言ってほしいわ。それに孕む腹もとうにないし授かる種もないわよ」

 

「そうだったな、それなら拾ったのかい?」

「そういう事、道すがらに出会っただけよ。来たいと言うから連れてきてみたの。ほら、あんた達も土地の神様にご挨拶、愛嬌振りまいてご機嫌伺いをなさいな」

 

 綺麗に洗った二匹の四足、そのうちの幾分大きな方を抱きかかえ持ち上げる。見つめてくる神の目線まで毛玉を掲げて綺麗になった肉球を開き、おはようございますとぐーぱーさせてみると、虹彩美しい金色の眼を細められた。なんとなく品定めするような、言うなれば蛇が獲物を定めるような目線。見慣れたあたしにすらそう感じられる視線を受けてすぐに耐えきれなくなったのか、持ち上げた姉は身を震わせる。

 見た目こそキツイお目々に感じられるが諏訪子様の眼差しには悪意などお見受け出来ない。

 だというのにこうまで怯むなんて‥‥これは道中の悪戯が過ぎたのかもしれないと感じなくもないけれど今更か、時既に遅しってやつだな。それでもまぁなんだ、慈しむべき子供相手にちょっと悪い事をしたとも思う。

 

「お? 見つめただけで怯える事ないじゃないか、取って食いやしないよ」

 

 一瞬あたしを睨んでから瞳の色味を変える祟り神。

 細めたお目々で瞬きするとまた別の意味で細め、震える頭に手を伸ばす。逆立つ姉の毛並みをそっと撫であげる神の御手、触れられて一瞬はふわふわの和毛(にこげ)を震わせたお姉ちゃんだったが、子をあやす事に慣れた諏訪子様の手つきから産み育てた者としての優しさだとか包容力だとか、そういった何かでも感じ取ったのだろう、すぐに懐いて指を舐め、すぐにじゃれつき始めた。

 けれど甘噛み漂う雰囲気はそちらだけ。

 弟の方は細い牙を見せ、強い警戒を放ったまま。

 

「そっちの子は警戒心が強いね。私相手に姉を守ろうとは勇ましいよ、将来有望そうだ」

「口は上手で威勢もいい、これで気概も持ち得てくれればお姉さん嬉しいわ」

 

「フンッ、連れてきただけと言う割にすっかり保護者気取りか、まぁわからんでもないが」

 

 鼻で笑いながら見る先を変える神。

 ないはずの喉笛でも鳴らしそうな、悪戯心の強い顔で今度はあたしを見つめてくれる。

 

「何か言いたい事でもあるお顔よ?」

「いつだったか覚えちゃいないが子を設けるのもいいものだって諭した事があるからね、そんな心境も少しはわかるようになったのかと思ってな」

 

「そうね、子育てってのも悪くない気もするわ」

「そうだろう? 宿せなくなってから知るなど、似合いだねぇ」

 

「あら、そこについてはそうでもないわよ? 膨らむ腹は失くしたけど企む頭は残ったままだから子を成す事自体は出来ると思うわ。それこそ千年(ちとせ)もかからずにね」

 

 血肉を失ってそれなりに経つあたしには作れないと知っての冗談、いや、皮肉か八つ当たりだろうな。そのつもりで産んだのかと先にも問われたが、それも含めて冗談を上掛けする。言われた七五三(もうで)に引っ掛かるよう、長い飴でも舐めるように煙管の吸口に舌を這わせながら述べると締まる神の御手、きゅっと首でも締めるように尻尾にある手が少しだけ硬くなる。

 ふむ、大して難しい冗談でもなかったが思いつかないか。聡い諏訪子様らしくはないがまぁ致し方ないのだろうな、お相手は実際に母となった事もある神様だ、であれば『産む』はその意味合いが強いのだろうし伝わらなくとも当然か。

 

「子に迎えるなら何がいいかしら? 煙管はあたしと同義だから‥‥そうね、着物帯にしましょうか、あれならあたしに似たシマリのイイ子と成ってくれるかもしれないし」

「緩みきった顔ばかり見せる輩がよく言う‥‥しかしなるほどな、そういう生みもあったね」

 

「妖気たっぷり浴びせながら百年(ももとせ)も愛で続ければそのうち妖怪化するでしょ、そうなったらあたしの子と呼んでも間違いじゃないと思わない?」

「だったら法螺貝でも愛でるんだね、帯や太鼓なんかよりも似合いだよ」

 

 荒事から逃げ回るあたしに開戦を知らせる道具が似合いと仰られるか、また捻くれた冗談に聞こえるがあたしに合うというのだ、含まれるのはそちらではなく別の意味合いだろうな。

 なればそれらしく返すか、笑えようが笑えなかろうがどっちでも構わんがこの辺りで落とし所を作らんと話が進みそうにない。

 

「それもいいわね。螺旋模様らしく捻くれて育つかもしれないけど、それくらいの跳ねっ返りがあたしの子には丁度いいし育て甲斐もありそう」

「さっきからいけしゃあしゃあと、その気もないくせによく回る口だ」

 

「法螺が似合いと仰られたのは諏訪子様よ」

「あぁそうかい。まったく、反論なしに返されたんじゃあ皮肉にもなりゃあしないね、神奈子の言う通り相変わらずな奴だ‥‥それで、その者らは? 貰い子でないならお初穂(はつほ)ってわけでもないんだろう?」

 

 放ったオチは見事に拾われて、会話の流れも取り敢えず〆を迎えた。

 そうして動く神、僅かながらの落胆を声に乗せると一度姿を宙に消す。

 突然に軽くなる我が尻尾。離れて次は何処に行かれたのかと思えば目の前、器用に手水鉢の角で蛙座りなさる。お召し物に描かれている姿をとりながら四つの視線をあたしの手元に向けているけれど‥‥そんな心なぞ当然にしてないぞ。なにかある度に同胞から贄を差し出し、荒ぶる神に人身御供を捧げてどうにかしてもらおうとしか考えない人間でもないんだ、あたしが愛しい身内を供えとして捧げるわけがなかろうに。

 

「身内を捧げるわけがないでしょ、趣味の悪い冗談は嫌いって知ってるくせに」

「言うに事欠いて。どの口がそう言うんだ? 幼子を脅して連れてくるのも悪趣味だと思うよ」

 

「あれはちょっとした躾のつもりだったのよ、子供相手にやりすぎたのは認めるけど」

「お、素直に認めるのか」

 

「別に、大人気なかったと思っただけ。なによ、何かある?」

「いいや、産み育てた事もない奴から躾なんて出てくるとは思わなくてな。まぁいいさ、崇める神に対して見せた少しの信心って事にしてその話は〆てやろう‥‥で、どうするんだい? 本当に引き取るのか?」

 

「まさか、ここにいるって知らせは煙に乗せてばら撒いたし、そのうちに気がついた親が迎えに来るでしょ」

 

 参道で見かけた子狸、まだ巣穴から遠く離れる事などない者達。であれば住まいはこの近くか、もしくは親が近くにいるはずだ。何かを理由にはぐれた両親を探す為吐いた煙にはあたしの匂いや妖気を含ませてあるし、流した煙から周囲を探っているがまだそれらしい気配は見当たらない。

 あたしの考えでは其程離れたところにはいっていないはず、今後食いっぱぐれないよう狩りの練習にでも連れ出して偶々はぐれたと、そんな読みではあったのだがこれも読み違えているのかね。狩りにいったつもりが狩られる側になってしまった、木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になるなんて事もあるにはあると思わなくもないがこの子らの親って事は妖怪だ。成り果てて間もないといえどもそこらの獣に負けるほど弱くもないはずだし、格上の輩でも得物に定めなければ大丈夫だとは想うけれど‥‥まさか天狗か河童でも狙ったか?

 さすがに前者はないにしろ後者は一度襲っている相手だし、野鉄砲として喰える相手と判断したのだろうか?

 

 実際の所はどうなのか、手元の二匹に声をかける。

 されど返事はなく耳を跳ねさせてくれるだけ。

 あどけないその姿からは親に対する心配など感じられないが、この子らがそう信じるならそれでいいか。この地を司る神様も包容力のある笑顔で二匹を見ているし、あたしに対してはあんな風に言ってくれたが土地神がそうと視て下さるのならやはり不安もないのだろう。

 そう案じながら子狸を眺める諏訪子様を見ると、市女笠のお目々と目が合った。

 

「親も無事とわかりきったように言うね。巣立ちの遠い幼子が(はぐ)れるなど余程の事だ、ならば親がどのような姿にあるのか、想像に難くなかろうに」

「そうねぇ、素直に考えれば親は既に、と、十中八九そう見るべきなんでしょうね。でも土地神様から無事だと太鼓判を押されたから心配ないわ」

 

「私は何も言ってはいないがね」

「だからよ、知らせがないのは元気な証拠って言うじゃない。この地を駆ける者達の事で諏訪子様がわからないはずはないし、機嫌に合わせて意地悪するならあたしだけにわかるよう言ってくるはずよ……それに、そう考えてしまうネタがない事もないの」

 

 諏訪子様が外で信仰されていた頃から続くあたし達の親交、それなりに長いお付き合いにもなり性格もそこそこ知っている。だからこそこういう時はこう言ってくるだろうと、わかっていますって顔で言い切ってやると当たっていたのか、神の口角が上がった。

 悪い笑顔をしてくれて、その笑みはまさに祟り神ってな風格だ‥‥とも捉えられるが、瞳の奥には優しく接して下さる偉大な母らしい雰囲気も宿って見えるな。

 そんな表情には何が含まれるのか、憶測だがあたしが話した通りのものが込められているのだろう。この山の土地を司る事になった神がその土地に生きる者に厳しく当たるはずもない、下手を打って信心に影響するような事をかつては国を纏めていた神がなさるはずもなかろう。ましてやその相手というのも信者であるあたしとその同胞で、後者は未だ乳臭さの残る幼子なのだ。諏訪子様御自身も今現在子育て真っ最中のようなもの、今の早苗を見るような荘厳な神目線としてはともかく、幼い子を見守っていた親の目線で見たら山の子供に対してキツく当たれるはずもない。

 

「ほんっとうにからかい甲斐のない奴だな、アヤメの言う通りこの周囲で地に還ろうとしている者はいないが……狸達はともかく、後の物言いはよくわからんね」

「前半はケロちゃんの地母神らしさとしてね。後半はなんていうか、我が身に降りかかった事と今までの考え、それらをすり合わせた結果がそんな読みに繋がると、そんな感じ」

 

「回りくどい、話を引き出す為に(おもね)るならはっきり言ったらどうだい?」

「そう言われても……読み違えていたからこそ正しかったなんて言ったら理解してもらえる?」

 

 我ながら変な事を口にしたと思う。

 そして諏訪子様も同じく感じたのだろう、よくわからん事をはっきり言うなと正面切って叱られてしまった。だがこれで正解のはずなのだ。間違っていたから正しい、読み違えていたからこそ今のあたしは正解への道筋を歩めるようになったのだと思っている。後はそう考えるに至った経緯を話せば理解してもらえるとは思うが、なんと切り出せばいいだろうか?

 

 真面目に悩むつもりで腕組み、は出来ず。

 なればと抱えたままの二匹を下ろし、あたし達は話があるからそこらで遊んでおいでと、空いた両手で軽く煽ぐ。そのまま流れでお手々ひらひら、靡かせた手で宙を(あお)いで見せるとその先、動かす手先の延長線上に話題にしたい奴が姿を見せた。

 

「怨霊、ではないか、それなりに念は強いがまた別だね。なんにせよ見慣れないな」

 

 神が評すは例の如く顕れた黒い珠っころ。

 最近は朝一番、人が目覚める瞬間を狙って出てくるのに今朝は今頃か、不意を突くのが本当に好きだなこいつは。まあいい、こいつがあたしの考えている通りのものならそろそろ出てきてもいい頃合いだとは思っていた。

 そしてこの祟りの化身様であればコトリバコ自体は知らなくとも何か感づいてくれるはずと思っていたがこちらは読みが当たったな‥‥うむ、丁度よく出て来てくれたし是を切欠にしよう、切れる角のない珠だが元より欠けた箱から現れたやつだし、神の目線もそちらに向いた。

 

「こいつを見た奴らにはオカルトボールって言われたわ。でも形だけよ、本来は紫色で色々な副産物があるって話だけど、こいつからはそんなもの感じないし」

 

 爬虫類っぽい神様から副産物? とオウム返しがきた。

 その声色はあからさまな返事待ちだけれど残念ながらあたしも知る事が少ない。だからとりあえず知っている事、コトリバコから今に至るまでを伝え、ついでに聖から聞けた話、ボールそれぞれに効能があるやら集めたら集めた分だけ力が強まるやらと、尾ひれ背ひれを付け足して言い返してみた。

 

「コトリバコにオカルトボール、無為の好奇と神秘に満ちた恐ろしいもの、ねぇ」

「外で過ごしていた頃に何か聞いたりしてない?」

 

「多少はな。ボールはうちの娘や他の者に任せるから捨て置くとしてだ、コトリバコは外で聞いた都市伝説でそれなりに流行りもしたよ」

 

 これは僥倖だ、コトリバコそのものを知っているか、それなら話が早くて助かるな。

 続く吉報に思わず頬が緩むと、神様の頬も動いた。

 

「嬉しそうだな」

「嬉しいわ、知りたい事を知ってくださっていたんだもの」

 

「教えるかはまた別の話だと思わないか?」

「思わないわね、あたしの愛するお諏訪様は信徒を裏切らない御方のはずだから。大軍率いて攻めてきた神奈子様から民草を守ろうとするぐらいにはお優しいはずよ」

 

 昔々の事を引っ張り出すなど少し狡い気もするが神奈子様もこの手でいけたし今はあたしが攻め時だ、細かな事は忘れたつもりで言い切りながらウインクかまし、返事を待ってみる。

 

「……信徒として私に縋るってか。なら信心を受ける神としては応えてやらねばならんな」

 

 閉じた瞳の奥でお願いします、一心に念じてみると一瞬見せる訝しい表情。

 シブい顔をされるなど心外だ、これでも真面目に念じたつもりだが‥‥あれかね、打算的な味わいがたらふく含まれる我が信心は不味かったりするのかね。実際どんな味なのか気にならなくもないけれどまぁいいか、見つめ返すとその表情はすぐに薄れたし、お応え下さるならなんでも構わん。

 

 語りながら宙で転げる玉に向かいそっと手を伸ばす祟り神。あまり気味の袖を伸びをきらせ話題の珠に触れようとなさるが、ボールは袖を支えに伸びる蔦のよう這って飛び、そのまま帽子の目玉の間を抜けていく。

 

「その箱だが、今もお前の手にあるのか?」

「正確にはあった、よ。今は我が家で胞衣壺(えなつぼ)に似た飾りになってるわ」

 

(しゅ)としては崩れたが残したままか、用向きがないのなら弔ってやればよかろうに。こいつの正体にもおおよその見当はつけているんだろう?」

 

 伸ばした片手にもう一方を添えてパシン、神か柏手を一つ打つ。

 使わないなら葬ってやれと仕草でも伝えて下さるが確かに、あたしが持っていても利用する予定はないし誰かを殺すのに呪うなど遠回りで面倒臭い、やるなら目の前でのたうち回る様を眺めながら煙草か酒でも楽しみたい。そうした性分だというのもよく知られているから弔ってやればと仰られるが‥‥諏訪子様の言い分はわかるのだがそれはまだ、あたしの中で終わったと感じるまでは出来ずにいたのだけれどそろそろいいかね、話もできない珠っころに付きまとわれるのにも飽いてきた頃合いだし。

 

「薄々はね、事が済んだら命蓮寺か娘々にでも預けるわ」

「道教の?‥‥弔ってやる気はないってか」

 

「そっちはついでの冗談、さっき話題に出したからなんとなくよ。ちょっと話したら欲しがったけど娘々の用途には興味もないし、あの人と共犯なんていくらあたしでも身が持たないわ」

 

 お返事しつつちょいと物思い。

 先程問われた珠の正体、これをあたしが口にするなら人の子の心や念ってやつになるだろうね。子供らの血肉だけでは足りなかったのか呪術的要素から必要だったのか、そこはわからないし獣の血と共に収まっていたから幾らかの野性味が混ざり正確な判断は出来ないが、漏れ出した箱の中身はかつて人の子として生きた者達の成れの果てだった。喰う側のあたしが見る限り()(わらわ)(おも)で、その中でも生まれて程ない嬰児(みどりご)達が素材として籠められていたのだと思う。

 そんな箱から現れ出るなど材料に宿っていたもの、つまりは人の子の内面に宿るものしかない。と、あたしは考えているが、これは先述通りそう思い込んでいるだけだ。箱自体がそこそこに古い物で(なまじ)に呪いの力があるせいか腐って地に還る事も出来なかった哀れな者達だってのはわかるが、それ以上はわからんし今は知る気もあんまりない。あたしが聞きたいのはもっと別の部分についてだ。

 

「そんなことよりも他のお話が聞きたいわね、例えばこのボールやオーラの(たち)なんてやつが‥‥一目見ただけで人の念とわかるくらいなんだし、それらも容易くわかるんでしょ?」

「その言い様から既に理解していそうだけどねぇ」

 

 流石は神様、我が心なぞ容易に読まれるか、なればここらで思考の整理をしておこう。

 あたしの中にあるちょっとした答えに近いもの、それはだな‥‥まず結論から述べるならあたしに纏わりつく珠はオカルトボールではない、形こそ似ているがこれは全くの別物なのだと考えていいだろう。そう結論付けた理由を順に追って話すそうだな、他の奴らと比べればわかりやすいか。

 

 この異変で争う者達は皆一様に都市伝説の力を操り戯れていると聞く。妹紅なら人体発火、布都なら皿割りお菊さんと、それぞれ得意な分野をオカルトで強化して争っているらしい。もう少し明確に例えるならあたしを退治てくれた聖で言ってみよう、彼女の場合は乗り物に跨りどこまでも相手を追いかけていく都市伝説に己の早さを掛けて操っているのだそうだ。

 確かにあの御仁の足は早いがそれは魔法を行使している間だけだ、魔力強化されていない聖は非力な人間と大差がない、素の状態ならか弱いあたしですら足で勝ち、腕っ節でも楽々と勝てるくらいだ。そんな彼女が操るオカルトも取っ手、聖はハンドルだかグリップなどと言っていたが、その部分を捻りこまんと速度が出ないとのことで、そうした限定的な速度強化を妹紅の発火や布都の一つ足りない部分など本人の性質と呼べる箇所に当てはめれば他の連中と類似していると言えなくもないだろう。

 こちらは余談だが、期間限定で強化される力に合うのはどんなオカルトなのか、我が家へ二人乗りして戻る途中に詳細を尋ねてみたが聖は素朴な笑みを浮かべるだけで何も言ってはくれなかった。聖も嫌ならハッキリ断ってくれればいいのに、はぐらかされると突きたくなるあたし。詳しく教えてくれなくても都市伝説の名称くらいはと考えて追求もしたのだが、あの笑顔には恥ずかしいから聞かないでくださいと書いてあった気もするからそれ以上は諦めた。その代わりに仄かに染まる尼の横顔、言うのが恥ずかしいのか珍しく見せてくれた少女らしい照れなんてのを得られたからあの場はそれで収めている。

 

 さて、だいぶ話が逸れたがあちらさんはそういう事だ。

 で、あたしの側にあるボールと他のボールではなにが流行り物と異なるのかだけれど、これは聖の言葉『早合点』から気がつけたことだ。こちらも結論から言ってしまおう、あたしも度々していたこの早合点が答えのきっかけであり、何を早合点していたのかといえばそれはこの黒いボールの在り方である。

 まずこのボールだが、あたしの手元に転がってきたあの箱オカルトアイテム『コトリバコ』から生まれ出たものだ、と考えていたがそれがまず間違っていた。前例に習い順を追う、最初にコトリバコから。これは我が家に持ち込んできた雷鼓や九十九姉妹はあの古道具屋で鑑定してもらった通りの呪を浴びているのだからオカルトとしては間違っていない。そしてあの箱が正しい在り方であったからこそあたしは読み違えたのだ。

 更に話を遡るが、あのオカルトアイテムの元々は無縁塚で雷鼓が拾ってきただけのもの。場所柄からを加味して述べればあちらの世界で否定され幻想郷に迷い込んできた都市伝説だったはず、只それ『だけ』の物だったはずだ。だというのにあたしはそこを見落としていた、世間を騒がす都市伝説とボールの噂を自然と混ぜ込んで考えてしまって、あのコトリバコも巷を賑わす連中のオカルトと同列な存在だと思い込んでいたらしい。

 

 こいつはやらかしていた、抜けていたなと自身でも思える。あたしとしたことが噂話と自身の状況が似ているというだけで同質の存在と考えてしまうとは、思慮の浅い阿呆としか言いようがない。なんて、珍しい反省は今は捨て置いて続きだ。

 この珠が姿を見せるようになったのはあの宵闇のが箱に歯形を付けた後から。当初は囓られて呪の道具としての形が欠けたから中身が開放され世に出て来たと、そう思っていた。しかし今は別の要素から現れたんじゃないかと感じている。例えば、あれを呼び水に出てきたと踏まえてだが、あの時にあたしとルーミアの少女二人が仲良さそうにじゃれ合っていたからこの珠の元である幼い童女達も『楽しそうだから私達も混ぜて』と、宵闇の姿を真似て自身達の形を成した、目に見える状態で出てきただけなんじゃないかなってのが先の読み、ボールの正体の足掛かりだ。

 これを元に色々と紐付けてみるとあの後、阿求や小町との言い争いの際にも子供らしい口喧嘩に釣られて現れたのだと考えられないだろうか。あの日の片方は朝御飯云々、もう片方はおやつ代わりの甘い菓子を話の軸にした問答で、どちらも子供の興味を引くには十分な釣り餌だったんじゃないかと思えるはずだ。

 この仮説で噛み合わないとすれば、別段思い当たる節のない聖に対しての理由付けが苦しくなるがあれだ、節よりも柔らかそうな部分が目立つ優しげなお姉さんからオカルトボール(わたしたち)の話題が出てきた事が嬉しいとか楽しいとか、そんな幼稚な要因で表れたんだと思えば辻褄が合わなくもなかろう‥‥と、現時点の予想としてはこんなところか。付け足すなら気まぐれな現れ方や出てきてからの振る舞い方も気移りしやすい餓鬼っぽくて、そこもあたしの邪推に拍車を掛ける部分ではあるのだが‥‥

 

「悩んでいるようだけどさ、本当のところはどうなんだい?」

「読めていなくもないけど読み切れてはいないの。正直に話すとあたしの思い込みだけじゃなくて確かな後ろ盾が欲しいのよ、取り戻したい者達の為にもね」

 

 思考に浸る最中届いた神の導き。

 どうなんだという問い掛けはどうなのかと悩み始めたあたしを釣り上げるのに適していたらしく、思案の深みにハマり切る前にこちらの世界に戻ってこれた。そうして気分を入れ替えるよう一度頭を振ってから感謝ついでにお返事もしておく。

 そう、あたしだけに関わるなら先の思い込みそれだけでいいのだけれど、これは雷鼓や九十九姉妹に関わる話でもあるからな。誰か、その手の事に長けた餅屋に背を押してもらいたかったのが本音であり、こういった方面の呪術に詳しそうな娘々に話を振ったり祟りの玄人を宛にしたのはそれが本命でもある。

 

「取り戻すねぇ、竹林の姫が賑やかな連中を連れ回してるとは聞いたが……早苗が言ってたのはそれかい。はぁん、我の強いアヤメが誰かの為など殊勝な事だ」

「我の強さ故によ。あたしのものがあたしの手元にないと嫌なの、だから取り戻すのよ」

 

 里で見かけた付喪神とは楽器連中だったか。輝夜が出歩くなど珍しいが偶に里へ赴いて子供等に昔話を聞かせているらしいし、今回は兎の代わりに楽器をお供にした行楽かな。どうにせよあたしのものを勝手に連れ回さないでほしい。

 それともあれらは輝夜のものとでも思われているんだろうか、あたし自身が外飼いのペット扱いなのだからその鼓を好きにしてもいいって考えなのかもしれんね。まぁいい、あの姫様ならモノの扱いは丁寧だし、あいつらも出歩いて気晴らし出来ているのなら悪いことでもあるまい。

 

「恥ずかし紛れの減らず口を吐いたなら黙るなよ、それとものろけだったか? どちらにせよご馳走様だ‥‥でもまぁそうだね、らしくない摯実な心のおかげで割りと楽しめたし、そんなに聞きたいなら話してやろう。その珠は人の魂だった者達が変じたなにか、最早人とも魂とも呼べなくなった憐れなナニカだよ」

「そこは言い切って下さらないのね?」

 

輪廻生死(りんねしょうじ)は私の領分ではないからね、確実にそうとは言い切らんよ。言い切れるのはその性質、力のほうさ。放つ力は私の司るものに近く感じる。私と比べれば幼く拙い怨嗟だが、子供らしい無垢な黒さは人の身に浴びれば余る程だろうな」

 

 わからんならそこはいい、後でまた誰かに聞こう。

 しかしなるほど、変化しちゃいるが心残りの具現ではなく魂だったか、あたしの考えも見当外れとまではいかなかったようでとりあえずは満足。だが無垢なのに黒とは、純粋な色の表現ならば白ではないのか?

 

「呪の歪み、もしくは種として歪められたから黒なのかしら?」

「純粋だからこそだよ、無垢といえば白と連想しそうだが実際はそうじゃないってことさ。元は無垢な子供だったはずだ。そうした幼子の持つ無垢さは無知故のもの、何も知らぬから無邪気に生き、笑い、泣き、殺める。黒に染まりやすく、他者から発せられた邪気に塗れた故に現在は黒ってところかね」

 

「ふぅん、それって邪気に溺れやすいから、邪な情に(ほだ)されやすいから黒と?」

「少し昔話‥‥でもないな、ほんの少し前だ、この神社が外にあった頃の話をしよう。あの頃はまだ人の出入りがあってね、境内で遊び回る童子共も多くいた。中には悪戯小僧もいてな、そいつらがまた悪ガキでなぁ‥‥」

 

 表の祭神様に同じく、裏の祭神様も身近な昔語りを始めた。

 年寄りが過去の話を始めると長くなるから若者なあたしらしく纏めるが、外で見ていた子供らの遊びについて思う部分があるらしい。捕まえた蛙の尻に発破を詰めてふっ飛ばしたり甲虫の首に紐を掛けて回したりと、中々にやんちゃする姿をよく見ていたと仰られるが、なんとも子供らしい刺激に満ちた遊びをするものだ。

 

「尻を爆ぜさせるって、大胆な遊びを考えるわねぇ」

「ああいった遊びは楽しいが見方によっては尊さも知らぬまま命を奪う浅はかな行いにも成る、見ていて心地良いものではなかったね。でも私は何も言わなかったよ、そうした遊びから命の尊さを知る事も往々にあるからな。だがあくまでも往々だ。無垢なまま、諸々を知り得る事叶わぬまま育ち暮らす者も多くいて‥‥と、話が逸れたな、何が言いたかったかといえばだ、子というのは無邪気故に残酷だってことが言いたかったんだ」

 

「心境だけならわからなくもないわね。無邪気に奪うだけってのは楽しいもの、何事でも」

「お前の考えている略奪とはまた違う想いだろうがね。お前は少女以前に妖怪だ、悪戯に命を奪い命を喰らって生きる者達なのだからそうあって然るべき、はなから別物だよ」

 

 そもそも子の無垢さなどアヤメにゃ関係ない話だ。

 そんな〆で一度閉じる神口。

 あたしとは違う縞柄の巾着に視線を感じるが今は無視。まぁそれはいいとしてだ、一言多いぞ、最後のはいらん‥‥が、仰られる事は理解出来た、生憎人の子だった経験がないから諏訪子様の言う無垢な心ってのはわからないがこの珠が黒い理由ってのはなんとなくわかった、オーラの方もそれに準じた色合いだったから紫ではなかったんだろうね。

 元が透明だからこそ白にも黒にも染まってしまう、ね。ふむ、あの閻魔様もこういった部分を見て判断されるのだろうか。というかここまで聞いてなんとなく理解出来た、あの日に小町が出向いて来たのはやはり映姫様の差し金だったようだな。こいつらも一応は人の魂、死後裁かれるべき立場の者達だ。但しこのボールな魂達は人として幻想郷に来たわけではなく既に事切れた状態で入ってきている。という事はこの地の人の死後を運び、裁く方々の仕事の範疇にあるかと言えばそれは否のはずだ、だからこそ地獄側からも手を出さず様子見するだけにしたと、そんな感じだろうな。

 

「黙り込んで、もういいのか?」

「まだあるならもっとお話きかせて? 催促いる? あ、おねだりって言ったほうが可愛い?」

 

「ブンブン尻尾を振るな、あざとさしか見えん」

「あざといなんて失礼ね、あたしは元から可愛いの、ちょっとあくどいだけよ。いいからほら、ケロちゃんもっと頂戴」

 

「やれやれ、こんな奴から信心を感じる自分が嫌だね‥‥黒とは負の色、世を祟り他を憎んで染まる色合いでもある。が、そいつらの色はまた違う。そうなったのはそいつらなりの自衛の為だったんだろうよ」

「自衛って‥‥そうよね、あんな箱に入れられたい人間なんていないわね」

 

「そうさ。その子らが生前最後に見たのは酷い顔した大人達で、細首に手をかけてきた奴らの中には見知った顔もあったはずだ。昨日まで話していた近所の大人が血相変えて自分を見てくる、追いかけてくるんだ、わからないながらもまずいと感じたはずで、そうなったら逃げる手段の一つも考えるもんだろう? で、そうした連中から逃げるにはどうすべきか? 何も見えぬ闇を纏って暗がりに潜めば見つからないだろう、怖い大人に連れていかれずに済むだろうと‥‥黒いオーラは己の死も理解できない幼さながらに考えた、他から己を守るための手段だったのだろうな。私が言うのもなんだが人とは怖いものよな、アヤメ」

 

 感想を素直に吐いたあたしに合わせ、長々語られる神。

 他と交わらない、最早この世のものとは交われないから、怨み辛みの塊だったから黒い、あたしは単純にそう考えていたがこの祟り神の語り草は別の意味合いであった。そういったものだったから他のボールとは色合いが違ったのか。自分達を殺し封じ込めた者達を畏れた。だから見つからないよう、見つけられないように黒を纏って隠蔽するように成った、していたと、そういう事だったらしい。

 ついでに言えば暗い怨念などは人、あの阿闍梨が真っ当な種族人間とは言い切らないけれど、人に近い立場の者から見れば危ういものに見えて、祓うべきオーラと感じてしまうのもわかる気がする。纏うあたしが気が付かなかったのは似たもの同士、この世に未練たらたらな怨霊になったからってところか。我ながら鈍いと思わなくもないが己の事より取り戻したい相手を中心に考えていたから仕方がなかろう、なんとかは盲目というくらいなのだし。

 ま、そこいらはともかくだ‥‥

 

「自衛ってのに戻るけど、他者を呪うようになったのもそうした部分が作用しての事?」

「いや、こいつらは純粋だと言ってやったろ? (しゅ)の方はその純心さが歪められたから発せられるようになったのだろうな。元々が人の、物心もつかぬような者達だ。物事の分別もわからなければ世の恨み辛みもわからんような子らが他者を憑き殺せるほどの念を発せられるはずもない。人としてすらまともに生きられなかった連中がその種族を殺める呪など生むことも出来なかったはずだろうよ」

 

 見えない張り扇でも握るように、雄弁と講釈される諏訪子様。 

 元々が人の子、だからこそ人に対する念も強いはず。そうした恨み辛みから発せられる呪いがコトリバコの源なのだとあたしは考えたがこれも読み違っていた、いや浅かったようだ。

 祟りの玄人が仰るには元は純真無垢な子供らだったのだからそのような力などはなかった、持ち得る事も出来なかったはずだという。これは納得出来る話だ、恨みや辛みをソレと認識出来るほど中身の子供は人として生きられなかったはずなのだから、そうした怨嗟を発しようにも発せらんだろう。

 が、逆に考えればそうした者達の念だからこそ歪むだけで人を殺めるほどの力を有す事叶ったのかもしれんのか。物心が付く前の子ら、少し前の時世なら子供は七つまで神の子として見られていた、親からも世間からもそう見られていた連中が惨たらしく殺され籠められたのだ。死んで人でなくなれば後に残るは想いだけ、一時は神の子として大事に想われていた者達だが‥‥それが墜ち、ひっくり返れば呪も宿すようにもなるのだろうな。

 

 箱の作り手の考え、想い。

 それは他者の死。

 それのみだ。

 何故だとか、理由や目的までは知らないが森近さんの教えてくれた用途から引き出せるのはそれ一つ。誰かが誰かの死を願うなど憎いか恨めしいか、根底にあるのはそんなものが大半だろう。そういった負の心はやたらに粘り強く、一度感じてしまったら後々まで引きずってしまうものだ、あの死んでも死ねない死にたがりな蓬莱人のように長く患う事になる。

 そして、そんな強い想いを込められて作られた箱に向かうのも当然誰かに向けた怨念や憎しみの心であり、人の形から離れ、あたし達妖怪と近い存在に成り果ててしまった者達、純粋で染まっていなかったモノ達が浴び続けてしまえば自ずと‥‥

 

「後はお前達妖怪と同じ末路を辿ってしまったのさ。呪いの箱としてそうあって欲しいと、そうあってくれないと困るってな。同じ人の子同士だというになんとも、哀れなものにされたな」

 

 酷い仕打ちをしてくれた大人達に対する抵抗、最初はそのくらいの効果しかなかった箱。

 けれど作り手はそう捉えず造った通りの効果があると思った、思い込んだ。

 だから箱はそうなったと、祟り神は語る。

 大事な何か、まるで子でも亡くしてしまったような神妙な表情を浮かべる諏訪子様。

 侘しい雰囲気を見せる御方を前にあたしも煙管一息吹かせる、少しだけ憐れみながら、抱えていた難題の内一つの謎が解けた事に安堵と開放感を覚えながら。

 そうして暫く、煙草の葉が燃え尽きる頃合いになると暗かったご尊顔を上げた神。

 角度から幾分顔に光が差して、思う以上に明るい表情に感じる。

 

「ま、成り果ててしまったものを案じても詮無き事だ。悩むなら今を見るべきだね‥‥アヤメに取り憑いたのがこの子らにしてみれば幸だったな。地獄にも逝けなくなった者達の縋る相手がホトケな妖怪だったなど、お前らしい冗談で笑えるよ」

「笑えないわ。どういう意味よ、怨霊同士お似合いって言いたいの?」

 

「お前だけに向けてならそう言ってやりたいがね、そっちの珠に言うにはちと不憫だ‥‥まぁ、 悪運尽きちゃあいないみたいだがね」

「なによそれ」

 

「拾ったのが祟っても死なぬ相手で、そうした力があっても使おうとはしない奴で良かったって言いたいのさ」

「憑かれたあたしはついてないんだけど」

 

「珍しく誉めてやったんだ、悪態をつくなよ。相手は散々に使われてきた者達、本人達の意識の外ではあるが誰かの悪意に利用され続け、人を殺め続けてきた子供らの魂なんだ。そういった者達が縋るのに同族の面倒見はいいお前で良かったと誉めてるんだぞ」

 

 境内を転げ回る子狸とその後を追うように飛ぶオカルトボール、二つに目線を流しながら諏訪子様が僅かに頬を緩ませる。

 同族って、同じく霊体ではあるがこいつらは人上がりの迷い子で今も絶賛妖怪中のあたしとは違う‥‥のだが、亡霊姫や舟幽霊と大差なくなった今ならこいつらと差はないか。でも、こいつらのせいであたしは被害を被ったのだから素直に頷きたくないというか否定したいというか、どうにもむずがゆい心情だ。

 

「なんにせよ、気易く縋らないでほしいわ」

「そうツンケンするな、知らずともどこかで憐れみは感じていたんだろう? 『これ』と言わず『こいつら』なんて言い回しをしたんだ、既に頭のどこかで確信を得ていたんだろうさ。だから祓わず傍に置いておいた、そのまま私の下にも出向いてきた。違うか?」

 

「子守は得意じゃないしあたしは巫女でもない、そもそもが祓われる側よ」

「なら無理矢理逸らして烟に巻く、逃げ切る事も出来たって言い換えてやろうか? 人の子が編み出した程度の呪詛だ、お前に出来んわけでもあるまいよ」

 

 言い切る女神が楽しげな声を上げ、境内の奥へと歩んでいく。

 顔だけを境内で遊ぶ子らに向けたまま社務所に戻られていくが、ケロケロ聞こえるその後ろ姿からは夫婦喧嘩で傾いていた気配は消えて、機嫌の方は戻されたように思えた。

 普段の明るさを取り戻されて重畳だがこっちは笑えない。それどころか捲し立てられて言い返す事すら出来てやしない。が、今日のところはそういう事にしておいてやろう、実際逸らして何処かに置いてくる事も出来ていたはずだし、そうしようとしなかったあたしもいたわけだし。

 

 ‥‥と、少し離れたその背を眺めるあたしに、長居するなら朝餉でも作れ、茶ぐらいは淹れてやるから。なんてご神託も飛んでくる。うむ、それなりの情報は頂けたし急ぎの用も特にない、するにしてもタネの割れたコトリバコをどうにかしてやるくらいになった。ならばそうだな、時間も丁度良い具合になってきたところだし、寺で仕入れた山椒でも炊いて話の御礼と捧げ物代わりにしますかね。

 普段は成すべきをなさず、成すべからざる事ばかりをしている不届き者なあたしだが、叡智を授けて下さった神に対して礼儀を込めた飯を食卓に届けるくらいは出来るから。




久々の更新ついでに久々の補足も少し

・夏越の祓え
話中にある感じの神事です、京都の方では小豆とういろうをその祓えで食すとか。
6月の最終日辺りにお住い近くのお寺さんや神社で見られるかもわかりませんので興味のある方は験担ぎついでに見物されるのもいいかも。

・花子さん
話中では正体は神様、道教の紫姑神やミズハノメカミ・ハニヤスビメノカミとしていますがこれはこの話の中での設定です。諸説あるそうなのでそのうちの一つくらいに思って頂けると幸い。

・胞衣、胞衣壺
胞衣は出産の際、後産で出て来る胎盤などをいうそうな。
壺はそれを収める容れ物とされています、字面から忌避すべき雰囲気がありますがそういったものではなく、嬰児の健やかな成長を願うもの、硬貨と共に土間に埋めたりもしたそうです。




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