東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その63 きもの

 薄く揺らめく夜の湯気、その奥、静かに揺蕩う水面に指先を浸す。

 ちゃぽんと中で遊ばせて、こんなものかな、上の方はちと熱めだが混ぜれば丁度いいくらいになるかな、と。そんな読みで手桶を突っ込み軽くかき混ぜるとあたしが思っていた以上に温い湯になったが、今時期入るにはこれくらいでちょうどよさ気だし、湯上がりに汗ばむほど温まるつもりもないからこれでいいやと一人頷く。

 そうして下がった視線を上げ壁に向かって指を弾くと、外で起きていた火が鎮み、ゆらり飛んで咥える煙管と竈に移った。受けたあたしの口先から煙たいモヤが焚かれると、竹炭眠る竈の方からも乾いた音が鳴り始め、同時に煙を上げていく。

 ろくに待たぬうちに筒先と厨の二箇所から煙が上がる、その二種類が程々に混ざり込んだ頃合いに咥える煙管の先を上下、手招き代わりに動かすと、あたしの周囲で纏まり始めた。

 

 それをアレ、我が家の外に停めてある馬のような三拍子が軽快なアレだ。

 たまに出ている外の乗り物で動く鉄塊としか認識しておらず明確な名称では呼ぶに呼べないがともかく、アレに轢かれて見た目酷い状態になっている右腕に取り込み治す。

 そうやって出来上がったお手々をぐーぱーして、具合の確認をしながら着物の帯を解いていると、その動きを察したように壁一枚の向こう側で何かが蠢く気配。

 

「お湯加減はどうでしょうか?」

「いい感じよ、助かったわ」

 

「そうですか、では」

 

 暖かな、それでも何処か寒々しく感じる声色で問われる。 

 それに対して丁度良い具合だと、沸かしてくれた彼女らしい温度に触れながら伝えると一旦離れる声の主。このまま帰られてしまうかと思ったが、一瞬薄れた足音はそのまま壁沿いから玄関前、室内へと進んできた。

 

「改めて、いらっしゃい」

「はい、お邪魔します。無事に治られたようで、良かった」

 

「結構痛かったけどね」

「それなりに本気で向かいましたから」

 

「もうちょっと加減を覚えた方がいいと思うわ」

「それは相手次第となりますね」

 

「‥‥あっそ。過大過ぎる評価だけど褒められた事にしとくわ。取り敢えず流してくるからちょっと待ってなさいよ」

 

 迎えたお客に茶を淹れ再度鉄瓶火にかけて、脱ぐ。

 動く最中、卓で湯呑みに手を添える者から申し訳無さそうな顔で見上げられるが、あたしをこうしてくれたのはこいつなのだからと気にかける事もなく。気負いや罪悪感といった心が剥き出しで見える視線を浴びたまま少し間をかけて、傷んでしまった着物が千切れてしまわぬよう脱いだ。

 

 帯を解くと感じなくなる視線、配慮してくれなくとも同性だし湯上がりは何度か見られているから構わないのだけれど、あちらさんは見てくれず。欠けた、もとい彼奴自身が弾き飛ばして部分部分が足らなくなったあたしの身体を見るのが嫌なのか、それとも見る価値もないから見てくれないのかね。この人のことだからきっと前者、それも間違っている気がしなくもないがなんだ、こうも見向きされないとは面白くないな。

 少し前の古道具屋でも感じた想いを我が家でも感じてしまってやるせない‥‥けれど、うろ覚えだがそういった行いも戒律で禁じているとか禁じていないとかって話だったな。話題としている張本人もちょっと動く度にたゆんたゆんさせるような麗しい見た目だけれど、性格の方は反してそういった行為から遠くにあると思えるからいいな、今は忘れよう。

 

 あれこれ考えながら準備を進めると、半分被せたままにしている湯船の蓋から雫が垂れる。

 たん、たたん。張った水面に落ちるそのリズムがどことなく一定で、それが誰かさんの奏でる音のノリに似ている気がして。そのせいで『考え事なら湯船でしたら』『浸からずに逆上せた事考えていないでさっさと入れ』と、まるで尻でも叩くような雰囲気で言ってきている気がした為、何処かへ向かい始めた思考を改めて風呂へと戻す……前にもう一仕事。

 

 (ゆき)の長い衣紋掛けに通した着物を見つめ、触れる。少し布地を張れば破れてしまいそうな袖、外のアレに追われる際に躱しきれず、取っ手に引っ掛け広がってしまった八ツ口などに指先を添え、傷んでしまった箇所を元に戻す。

 修復作業中のあたし背中にも、女性が他者の見ている前で脱いだままなどみっともない、という真言込みの視線が刺さっているけれど、至って気にせず作業を続行。触れさせはしないが柔肌晒すくらいあたしからすれば希にある事で、もっと言えばここは我が家だ。振る舞いに対して釘を刺される謂れもないし派手にやってくれなければこんな事せずに済んだのだから、身に覚える熱視線は湯を沸かした熱から感じている事にして今は無視しておこう。

 こちらから招いちゃいるが今のあたしは細かな所作に構ってあげるほど機嫌良くもないし、奴さんは機嫌を傾けてくれた相手に間違いないわけだし。

 

 誰かさんを一時忘れ浴室の戸を開くと、出来た隙間からそよいできた夏の夜風に直した袖や湯気が揺れる。僅かに動くそれらを眺め頷いて、きちっと済ませた修復に満足してからようやくのバスタイム。

 汚れを落とすならまずは上から、掃除の基本に則って軽く屈み頭から掛け湯。天辺から落とすと耳に水が入るから丸い頭の形に沿うようにゆっくりと流す。二度三度湯を浴びてそれから手元の石鹸を泡立てると少し前に過ぎた(みぎり)の香りが湯気に乗って立ち上り、鼻を抜けていく度に傾いた機嫌を押し上げてくれる。

 うつむいていた心が戻ると和らぐ顔、緩む頬。

 柔らかに笑みながら手元を見れば、泡立ちの元に未だ残るキメ細やかなもこもこ。

 丸っこくて眺むに愛うい造形だがこのまま放っておくと早くとろけてしまうから、今日はお別れだと惜しみつつ泡と水気を丁寧に切る。使い始めて少し経つから既に形も崩れてしまっているが、手作りらしく整わない形の名残はまだ残っているし、お手製らしい色合いが溶けて見せる斑具合は美しくて見えて、消耗品だけれど大事に使っていこうかなと見るたびに思わせてくれていた。

 

 これであたし一人だったなら鼻歌一節諳んじていたかも、それくらいに上がったご機嫌に合わせて、わしわし。音を立てて全身を洗い、濯ぐ。そうやって流しながら後ろ髪に手櫛を通して、光の三鈷剣で断ち切られ首元くらいにされた髪を元の肩甲骨周りまで伸ばしつつ、蹴られ抉れた跡残る肩や鎖骨辺りも治していく。

 我が身に肉が残っていたならば傷ついた部位を戻してから風呂に浸かるべきだとは思うが、実体のなくなった今そんな心配する必要もない。多少の消耗感はあるものの染みるような痛みはほとんどないから今日は湯浴みと共に戻していく事としてみた。

 肉芽ないなら触覚もない、感覚がないのなら暑い微温いもわからなくなる、今の体になる前はそう思っていたけれど、五感は変わらず感じられる便利な身体。その辺りは生前の習慣が魂に根付いていたり刻まれていたりするのだろうね、我ながら都合が良くて素晴らしい。

 弊害として痛いや苦しいってのもしっかり覚えていてこっちは要らぬ気もするけれど、そのお陰様で真っ当に死んでいるのに生きている感覚があり、こちらも己の事ながら曖昧な身体で存外面白いと思える。

 

 他の皆、亡霊の姫や寺の幽霊辺りも過去の在り方から感じる事もあるのだろうか?

 はなっから騒霊な奏霊三姉妹や、極稀に神社の境内で麦わらを烏に突かれている騒霊、魅力的な魔を湛える流し目が特徴的な悪霊の親分は除外するとしてだ。幽々子は撫でてわかるくらいのたんこぶをこさえた事もあったけれど、水蜜も何かあれば身に変化があるのかね?

 後々で顔を合わせた際にでも聞いてみようか。昔過ごしていた血の池地獄で気のままに楽しんで今の住まいに帰る度に和尚にどやされ南無三されているのだから、未だに体に覚えさせられているのだろうし。

 

 あいつら相手に身に覚えなど笑えない冗談だ。

 そんな事を考えながら洗い終えた濡れ髪を嗅ぎ、通した指の匂いも嗅ぐ。

 特に意識せず普段通りに洗っただけだが指通りのよく潤う髪、ただの石鹸だったなら軋む事もあるけれどそうならないのはこの石鹸が妖怪手製の物だからだろう。手触りの良い泡で包み髪を流しただけであたし自身から臭うはずの煙と煙草の匂いよりもこの石鹸の作り手であるあいつ、あの狼女が纏っていそうな加工した花樹の香りが勝っているように感じられるな。

 

 ご近所さんも今頃は湯浴みの最中頃かね?

 それとも狩りにでも出ただろうか?

 時報代わりの遠吠えを今宵は聞いていないから今頃は美味しそうなお友達にでも会いにいっているのかもしれないね。どちらの意味で美味しそうなのか、本人に聞いても教えてくれないから答えは出ていないけれど、あいつも獣上がりなのだしきっとあたしと同じ方面で考えているはず。

 と、そんな妄想を湯気に浮かべながら頭を洗い、終えて、今度は身体。

 首から順に脇やら下乳やら、激しく動いて汗ばんだ辺りを洗い擦り、鼻を鳴らすと、鼻孔を抜けていく華々しいモノが心を擽ってくれて、本当にいいものを貰えてありがたいと思えた。

 なんて、感慨に耽っていると聞こえる囁き、あたしを吉夢(きつむ)から引き戻す現世の声。

 

「アヤメさん、お体の方は?」

「問題ないわ、なんなら確認してくれる?」

 

「‥‥なら良かった。あの、改めて言うのもなんですけれど――」

 

 イマの彼女の問いに答えて、ついでに確認してみてと、髪から漂う甘さを声に乗せ言い返す。

 けれど返事はわかりましたでもはいでもないようだ。シュンとした口調で改まって何を言いたいのか、空気から確実に言わんでもいい事だろう、であれば‥‥

 それは求めていない、要らぬと返事するように戻したお手々で水面弾き湯を遊ばせて遮る。

 すると押し黙るあたしの話し相手。

 言うなと示しはしたけれど叱ったわけでもないのだから、そんなに沈まないでほしいんだがな。

 

「何か言った? あ、やっぱり一緒に入るって?」

「‥‥いえ、そうでは」

 

「でも、気持ちよく暴れてくれたんだから少しは汚れたでしょ?」

「そうです、けれども」

 

 こんな硬い空気は我が家にそぐわない、もっとこう緩んだものこそ好ましい。なればとだらけて、湯船の縁に顎を乗せ扉一枚挟んだ相手を誘ってみるもそれにもノってはこなかった。

 寧ろ沈んだ気配は強まるばかりに感じられるな。

 なんだよ、住居の船やら外のアレやらは乗り回すくせに下賤な口車には乗ってこないなんて。

 気分を落としているからいつも以上に落ち着いてるってことか?

 確かに、やらかしてしまった手前もあるから居心地は悪いかもしれんが……それでも下手には出ないらしい、彼女らしく言うなら失態しせども不動に揺れずって感じかな。

 あたし相手にまでその姿勢を貫いて、泰然自若とした雰囲気が妬ましいやら、面倒臭いやら。 

 

「けれども、なぁに?」

「それはその、ご無事ならそろそろお暇させてもらおうかと思いまして」

 

「それは駄目、ちょっと待ってろってお願いしたじゃない」

「しかしですね」

 

「はいって返事も聞いてるわ」

「そのような意味では‥‥戻ってからの専当(せんとう)も残っておりますし」

 

「弟子にやらせればいいじゃない、貴女を見習って忙しくしてるのもいるけど出歩かないやつらは変わらず暇してるんでしょ?」

 

 風呂場のあたしにせんとうなどくだらない冗談だ。

 らしくないジョークを軽く笑ってから言い返すと再度黙ってしまう。聞いているなら何か返事を聞かせてくれてもいいとは思うが、そのつもりで言っちゃいないだろうしそこは良しとしよう。

 

「そういうのも修業の一環と呼べるんじゃないの?」

「御本尊に雑務を押し付けるのは――」

「本尊様だって弟子でしょうに、それに後は読経して寝るだけなんじゃないの? 法要があるわけでもないなら日課の仕切りぐらい任せてみなさいな」

 

 弟子が先か本尊が先か、あたしには優先順位がよくわからない誰かさんだが、寺のお偉いさんの話振りでは像代わりとしての姿が優先されるらしい。いつだったか忘れたが星自身も本尊だから修行しなくとも叱られないなんて言っていたし実際そうなのかもな。

 どうでもいい事に納得しながら両手を湯から上げ構える。

 話中に出した虎を真似て、槍と宝塔から座禅に用いる警策に持ち替え、叩く。

 そうして少し動くと共鳴して揺れる湯船の中身、広がる波紋、水の音。話しかけたのだから止水としているな、なんて格好とは間逆な考えを黙ってしまった向こう側に催促としてお届けしてみた‥‥はずだが、欲しい声は聞こえてこない。

 

 これは返事を間違えたか?

 言いすぎてご機嫌斜めになってしまったかな?

 この程度の軽口には乗ってこない人、些細な事は聞き流してしまう頭の固めな聖人だから引っかかりやすいよう暮らしぶりを煽りとしてみたがお気に召さなかったかね……いや、逆か、そういった日常から一度は引き離された者だったな。であれば変わらぬ日課をこなすのも聖にとっては修行ではなく幸福な行いなのだろうし、そんな平穏を愛するが故に仏法の理を広めているのだったなと、静まりかえってから自身の悪手に気がつく。

 

「聞いてる? 聖?」

 

 ちょいと待っても続く静寂。本格的に失敗したかと声を掛けるも返事はなく。これはまずい、まだあたしからは何も聞いていないのに参ったな、そう案じると床の軋む音がした。

 昼間に見上げた屋根もそろそろ手入れをすべきと見えたし上が駄目なら下も弱ってきたかね、四肢から胴から豊灑さに満ちた僧侶が歩いてミシリと鳴ってしまうのだから似たような体躯の太鼓でも同じく鳴るか、まかり間違えば抜くかしてしまいそうだな。それなら張り替えも視野に入れておくか、根太は問題なかろうが床板くらいは替えてもいいだろう。

 間隔短く鳴る足音からそんな事を考えていると、その音が一旦消えて土間へと移った。

 

 ‥‥ふむ、先の考えは否定しよう。これは案外悪くない煽りになったのかもしれないな。

 戸の向こう側からしゅるり、ゴシックな法衣の端か長い裾辺りかね、わからないが長めの布を擦るような音も聞こえてきたし、これはやもすれば人里周辺では一二を争うと噂な体を拝む事叶うのかもしれない。

 過去何度か寺に泊まった事もあるあたし、その度に他の連中、ぬえや水蜜など居候達とは一緒に風呂に入る事もあって身体のラインやどこそこのなにやらなどは見知っていたが、この和尚だけは全貌を見た事がなかった。たまに誘っても私は一人で済ませますやら身を清めるのも修行の一つやらと頑なに断られる事ばかりだったが、今日はご一緒して‥‥くれないか、やっぱり。

 

 聞こえていた足音は戸の前、竈で止まった。

 動が消えるとまた静が戻ってくる‥‥が、床とは別の鳴り物がその静を破る。

 かんこん。続いてかつん、と。

 淀みなく澄んだ音色は炭の追加、後半は火にかけていたか鉄瓶でも動かしたか。

 湯はともかく夏場に火種を強めるなど何事だろうね、修行の一環か?

 異変に逸る中待たされて怒り心頭だからその熱に耐えるが如く、心頭滅却すれば火もまた涼しく感ずる境地にでも達しようとしているのか?

 それとも怒りに身を任せ、憎いあたしをお焚上げしようって事かな?

 どれも流石にないな、それならなんだろか?

 

「お湯は湧きましたけど、火の始末はどうしましょう?」

「見ててくれなくてもいいし暑けりゃ消してくれてもかまわないわよ、身体を戻す分には足りたから。それともひとっ風呂浴びる前に汗をかきたいって感じかしら? それならそのままでもいいけどね」

 

「ですから私は‥‥お茶っ葉はどちらに?」

「棚にない? 茶筒に残ってなければその隣に四角い缶があるからそっちを淹れてもいいわよ? あ、三つ並んでる右端は触らないほうがいいわ、開けるときっと匂うから」

 

 促すと一歩二歩、進んで戻ったような足音が響いて消えた。

 なんだ、湯は湯でもお茶のお代わりを求めただけか。我が家の玄関を潜る際にもてなしはするけど二杯目からは自分で好きに、なんてあたしが言ったものだから素直に実践しているだけらしいな。がさりごそり、探し物らしい物音を立てるお客人。勝手を知らぬ勝手といえど棚を開けばすぐ見つかるはずだが、きちんと見つけられたのか、それとも触れるなと注意した物にでも気を取られているのかね?

 そんな事はないか、注意した方を開けられていたら無言で終わるような事もないと思うし。

 

 開けるなと言った右側、茶筒と紅茶葉の缶に並ぶ瓶の中身、それは何時ぞや壊したコトリバコ。

 破壊した後で箱として成していた木片や淀んだ内容物をさらっと集めて念の為保管した物である。あれを残しておくなどと縁起が悪いようにも思えるのだけれど、まだ謎解きが終わらぬ現在流石にぽい捨てする気にもなれず、けれどもしまい込む気にもならず、折衷案として瓶に突っ込んで棚に並べて置くだけにしてある。 

 

 厄い呪いの大元を雑多な物に込めるなど扱いが雑だ。

 目に付く場所で保管して何かあったらどうするのか。

 と、壊した場にいた死神やそれを顎で使っている閻魔様、心配してくれた厄神様にでも知られたら大層罵られそうなものだが、これが存外雑でもなかったりする。ぱっと見では漬物でも漬けているだけの瓶。中身を知らねばあたしでもそう見るくらいの平凡な物で誰が見てもそうとしか思えないけれど、それが隠すに丁度良い物となってくれていた。

 何故かって?

 それは我が家に来る連中の大概はあたしがすえた臭いのする物は好かんと知っているから。あいつらならばこうしたあからさまに胡散臭い物には触れないと踏んで、わざと目立つ場所に置いてあったりする。

 

 なかには目敏く気がついて覗くような輩、そんな事をしそうな奴らの内一人は瞳を塞いでいるがそれは忘れて、あの目玉だらけの空間妖怪みたいに覗き見するのもいるかもしれないがそうされても問題はないだろう。仮に見られたとしてもその匂いからすぐに封を被せるだろうし、よくよく見られても作り慣れない蠱毒でも作っているか、もしくは何か悪戯でも仕掛けてるくらいにしか捉えられないはずだからな。

 けれど、もしも誰かに見つけられて(しゅ)を浴びたら、と、そんな考えも浮かぶだろうがそれはないと言い切れる。ここまで語ったからついでに言っておくと、あれはあの状態だから保存の面でも御誂え向きなのだ。あのハコは名の通りの呪だとあたしは考える、そうあるから呪として作用する物のはず、ハコが箱として存在するから込められていた呪もそうあろうとするはずなのだ。

 それならば『箱』ではなく『瓶』に込めておけばその作用は現れない、あるだけで憑き殺す強い(まじな)いだからこそあるべき形を変えれば発動しないと、そんな確信めいた考えのもとにハコを処理した結果何事もない状態に至っている。実際聖には何もおきてはいないし気づかれてもいなさそうだからこの説は正しく思える‥‥しかしあれだ、元々は付喪神連中の拾い物から起こった問題なのにそれを封じるのも同じく拾ってきた物だというのだから、悪くない皮肉で面白いものだ。

 と、案じた瓶に思考を割いていると、慣れないだろう台所で動く気配。

 

「見つかった?」 

「見つかりました。この煎茶葉の隣の物は?」

 

「そっちは西洋茶葉ってやつよ」

「あら、では紅茶葉ですか。私には馴染みがありませんが珍しい物を置いているんですね」

 

「聖だけってよりも幻想郷には馴染みないって感じよね。以前に戴く機会があって気に入っちゃったのよ、それからは作り手にお願いして度々譲ってもらってるの」

「そうですね、カフェーのお品書きでは見かけますが頼む人は少ないようです‥‥アヤメさんが誰かに願っているのですね」

 

「何かおかしい?」

「逆です、相変わらず広い顔だなと思いまして。それで、こちらを味わっても?」

 

「狸らしい小顔なつもりだけどね。さっきも言ったけど気になってるならどうぞ、御相伴あれ」

 

 最後の文言だけ声を作り語る。

 特に意識して真似るわけではないがあたしの口調よりも少しだけ抑揚を抑えて、あの従者が主に向かって述べるように恭しく、さもお仕えしていますって雰囲気が出るように。

 すると西洋ってヒントと語り草から正しく伝わったのか、あのメイドさんですねと、いい勘とパカンを聞かせてくれるご住職。

 しかしなんだな、混浴の願いは叶わなかったけれど他の願いは聞き届けてくれるらしい。気になる何かがあったお陰で風呂上がりまでは待ってくれるようで、その願いを叶えるために慣れぬ台所で茶を淹れるお坊さん。

 

 薄く香ってくる柑橘の香り。作り手である咲夜の謙遜は捨て置いてあたしは良いものだと思っているし、聖も気に入ってくれれば幸いだけれどもどうだろうか。

 暫く無言で耳だけ立てていると、急須が傾く音の後小さな啜りも聞こえてきた。数瞬の後に吐かれた『ふぅ』にはなにか落ち着いたような雰囲気が混じっているように聞こえる。絶妙な渋みがあるオレンジ色のお茶を妙蓮寺の住職さんもお気に召してくれたらしい。

 

 それならもう少し風呂でまったり出来るな、こちらもこちらで残り香を楽しむ事にしよう。

 大きく吸って深く吐く。聖のような衣服ごと揺れる立派さはないが、あるにはある乳を膨らませて楽しむ。

 先にも言ったがこの石鹸は頂き物だ。近くの獣道や通いの屋台で顔を合わせる度に毎回いい香りを漂わせて美味しそうだとか、女豹のような体つきで見た目は綺麗な狼なんだからその香りに負けないくらいの色香でも振りまいて獲物を漁ればいいのにだとか、そんな風にあの狼女をからかっていたらいつからか譲ってくれるようになったコレ。

 この石鹸を使い始めてからあたしの色香も一層増した気がしなくもない。物で釣られて上手く煽てられているあたりにあたし自身女郎のような尻軽さを感じなくもないが、譲ってくれたあいつこそ女狼だし、貢ぐほどに良い女なあたしに対する捧げ物と考えれば悪い気もしないから、それはそれとして忘れた事にしている。

 ただなんだ、生憎と香らせるこれを嗅いでくれるはずの我が打ち手は未だ入院したままで、そのせいであたしは一人で揉んだり挿れたりと寂しく慰めて‥‥は出来ていないか。

 あたしの指よりも長く節が目立つあれの手に身体が慣れてしまったからか、己の細い指では心地のイイトコロまで僅かに届かず、一人では慰めきれなくなったのが癪というか残念ではあるが、まぁ、これもこれとて。

 

 話が逸れた、いや、戻りすぎたから今に戻して、そんなわけで湯浴み中。

 昼に訪れた先で移った魚の匂いを落とそうと、いや、他にも色々落とすものはあるがそこは順々に語るとしてだ、今は少女一匹微温い行水と洒落込んでいるところ。

 先に語った匂いだけなら気にする必要もなかった。河童が差し入れした魚を焼いたその煙と漂う厄気を多少浴びたくらいで、その程度なら暮らす上で少なからず移る生活臭ってやつだから鼻につく事もない。調べ物に忙しい今態々帰って身体を洗うほどでもない。だというのに湯を浴びたのはその色々というかなんだ、ソレも含む諸々のせいと言えばいいか。

 

 その諸々、複数あるから順番に話そうか。

 暑気を払いに伺った厄神様のお膝元。彼の地で聞いたほろ苦い思い出話の中にヒントを見て、次は何処へ顔を出そうかと考えて雛様のお側を離れ、お山を発つ前に寄った誰かさんのお家で電撃浴びてしまったのが一つ目。

 最初はあそこに寄るつもりなどもなかったけれど、夏の中天(ちゅうてん)に悠然と舞う歳経た鷲を見かけてしまって、そういえばあの子の飼い主も異変の最中にいるのだった、であればあの人の住まいに行けば昨今の諸事情が何かしらわかるかもしれないと、そう思いついてしまったから立ち寄らざるを得なくなってしまったのだった。

 異変に関わるつもりもないし自ら退治されに行くなど阿呆だ。常々そう言っているあたしだというのに、今はその騒ぎが郷のメインの催しなのだから多少の情報は知っておくべきだなんて、そう考えてしまった少し前の自分が今は疎ましい。

 

 で、その後。逃げと運びの足早さには定評があるあたしだ。今日も案が思い立ったれば行動だと、高度高く飛んでいた久米に向かって袖振りながらお声掛けをしてみた。

 片腕仙人とは違ってあたしと久米では言葉を交わせない、が、互いに見慣れた買い物仲間ではある。里で度々見かけては餌付けしたりからかったりしている子だ、最近では買い物の翼を止めてあちらさんから寄ってきてくれることもあるくらいで、それなら少しは相手してくれるだろう。そんな腹積もりで寄ってみると目論見通りあたしの事を覚えていてくれたらしく、姿を確認してすぐから高度と速度を下げて飛ぶようになってくれた。

 

 今日は頼まれ事もないらしく散歩していただけで、気を回して下げなくともあたしでも追いつける速度でいたワシのお爺ちゃん。その姿には華扇さんが常々言う通り年齢を感じさせる様子があったのだけれど、こちらを気にして速度を落としてくれる老紳士前な心を無下にするのは女として無粋に感じたから、あの場ではありがとうを込めて嘴に口吻するだけで留めた。

 唇触れると猛禽類らしい鋭利な目を細めて顔色も変えてくれる。しかし、色は変われど情は変わらず。若い竿打とは違って変化のわかりにくいその表情からは喜んでくれたのか気安くキスする売女と見下してくれているのかはわからなかった。

 もしも後者だったなら二度とおやつをあげないでおこう。

 

 で、感謝ついでに両手で頬に触れ撫で回して、そのまま背中にお邪魔すると、それだけであたしが何をどうしたいのか察してくれて。それからは描いた通りになった。

 今はどこもかしこも異変に騒がしくなっており、あの仙人の動きは仙術、じゃない先述通りだ。であれば華扇さんは今日も自宅にいないのだろうと読めたし、噂で聞く限り表立って行動するより何処かの誰かさんのように暗躍している素振りを見せているっぽいので、このままあたしを連れて飼い主の元へ行くよりも取り敢えず自宅で飼い主の帰りを待ち命令も待つだろうと、そう見ていたら読み通り帰ってくれて、思いの外楽な誘導となった。 

 

 と、ここまでは上手く事が運んだのだけれど、その後が手間で湯浴みの理由になる。

 さらっと忍び込んだ仙人屋敷、家主は道場なんて話していたけど机に広がる書の山やあの人と酒の匂いが強く染みた寝具なんかがあるのだから家だろう。まぁその家に入ったまでは良かったが、その後でちょいと失敗してしまったわけだ。

 あの地底の洋館に同じくここも動物屋敷である事は知っていたし、入る際には門番代わりの虎をどうにかしなけりゃならんのも知っていた‥‥だが、今回はここの住人に連れられて来たからそこは問題なかった、事が起きたのはあたしが家探しを始めて少し経った頃だ。

 屋敷の外を練り歩く虎は自宅ながら借りてきた猫のようで静かだったのに。あっちのせい、屋敷の中で飼っている雷獣の事を失念していたせいで不意打ちで電撃食らう羽目になり、着物の袖を焼き落とす事になってしまったのだった。

 

 いつか博麗神社で見つかったらしいあの子はこの屋敷の子になったと耳にしていたし、節分時期に訪れた際にも実際見ていた。あぁ、その時にも雷光で追い立てられた覚えがあるからあたしが油断していたわけではないと少しだけ取り繕っておこう。

 それでも失敗したのはあれだ‥‥だって今日はいなかったんだもの。

 屋敷にいない者の事など誰も気にはしないだろう?

 庭に居らず邸内でも見かけなければ飼い主が連れ出したと、そう考えても不思議ではなかろう? 

 それなのに気がついたら側にいて、招いていない客であるあたしに電撃浴びせてすぐ黒い空間に飲まれ消えていったあの雷獣。バリっと全身を光らせてあたしの袖を焼き切っていくまで、あたしは何をされたのかよくわからなかった。

 

 さて、かなり長くなったがこれが一つ目、長い割に大した失敗もしていないと思われるだろうがその通りで、成程問題視する事でもない。あたしの髪や柔肌を痛めつけてくれたのはこれから語る二つ目でこっちが本命だ。

 焦げ付く匂いといえばあの不死鳥人間が思い浮かぶだろうがその読みはハズレ、あたしを痛めつけてくれたのは妹紅ではない、あたしの前に妹紅はやられているらしいしね。無論焼くと言っても鰻の焼きが上手な女将さんでもない、彼女は寧ろあたしの愚痴を聞いて共感して笑い飛ばしてくれる頼れる味方だ。

 さて、ここまで引っ張ってみたが答えは既にわかっているだろうし、これ以上間延びさせても仕方ないから正解を述べておこう。

 我が身を削ってくれたのは戸を隔ててすぐにいる聖人、あたしら妖怪から得た力を元に仏法の理を世に広めている御仁、帰宅途中というか殆ど我が家の目と鼻の先で会い、今では我が家の卓に着いている和尚さんだ。

 その時を振り返れば確か、こんな流れだった。

 

 

~少女回想中~

 

 

 土産話を腹に抱え帰路に就く途中、見るに慣れた竹屏風の中にやたらと早く移動している妖かしの気配を感じた。迷いのない真っ直ぐさで宙を駆けながらも彷徨う聖なる魔の力。人外でありながら人に近いような、何処か歪に思えるこの感覚は寺の誰かか霊廟の連中かね。何処の誰にせよ何しに来たんだろう? と考えていた時だ、あの魔住職は案じたあたしの考えをひっくり返すが如き勢いで向かってきた。

 あたしが感じ取れたのだからあちらさんもあたしの事を感知出来たのだろう、足さばきがぼやける速度で辻を抜けてきた彼女はいつも見ている姿に編笠を追加した格好で、我が前に降り立った。

 

「珍しいのがいるわね、今日はどうしたの? ここの住人相手に出開帳(ドサ回り)法話(ライブ)でもしに来た?」

「いえ、そういうわけでは‥‥法会をそのように表されるのは貴女くらいですね。でもよかった、お見かけしていないと聞いたので今日は諦めていましたが、なんとかお会い出来ました」

 

 挨拶代わりの軽口は微笑み一つで返された。

 顔を合わせば話したり叱られたり、それから逃げたり。そんな事ばかり繰り返しているあたし達の会話は日頃からこんなものだから互いに気にした素振りはないが、今日はなんだろうな、雰囲気がいつもよりも重いというか切り返しに物騒な気配が感じられるな。日の落ちた竹林、場所柄もあって余計に暗いと感じても当然なのだけれど。

 会えて良かった、嬉しい事を言ってくれる顔には普段の穏やかな仏僧らしい表情もあるがなにか引っかかる。その奥には宿す優しみよりも別のモノが含まれている気がする‥‥というか言い回しまで引っかかる感じなのも妙だ。平常ならばもっと真っ直ぐに話してくれるのに、あからさまに後半をつついてほしいと、そんな顔であたしの袖を見つめる坊さん。

 一体何用で来たのか知らんが、焦がしてて恥ずかしい部分をそうも見つめてくれるなよ。

 

「あたしにも用事と聞き返すべき? それとも別の部分を膨らませるべきかしら」

「そんな含みはありませんよ?」

 

「後半は冗談、ただのご挨拶よ、悪巧みしてるとは思ってないからそういうのはいいわ。それよりも前半、否定はされなかったしやっぱりついでって事でいいのね」

「また、人聞きの悪いように仰られますね」

 

「でもそうなんでしょ?」

「ええ、まぁ、結果的にはそういう事になってしまいますけど」

 

 聞いた、つまりは他の誰かと会っていた、そして一度は諦めた。

 そんな口ぶりだったのだから省略すればこうなるはず、あたしを主題としてくれていたわけではなく他の誰かさんを目当てとして此処へ、そうしてこちらは訪れるついでに会えればいいかなと、そんな風に考えていたってことだろう。

 その変邪推して口悪く問うてみると、肯定から続いて動く阿闍梨のお口。

 

「なんだか刺々しいですね、今日は御気分が優れなかったりします? それとも何かそうなるような事でも? お召し物も汚れて見えますし」

「これは一悶着あっただけ。一張羅は汚しちゃったけど機嫌は良いほうよ、ちょっとしたヒントを得られたから気分は上々」

 

「ヒント‥‥それはこの異変に関する何かと考えても?」

 

 また異変か、どいつもこいつも騒ぎに乗ってご苦労様な事だな。

 けれどこの問いかけは外れだ。皆して人の顔を見れば異変異変と言ってくれるが、そんな事にかまけるほどあたしは暇ではない。ま、そう言い返してもまた聞いてもらえない‥‥いや。この御仁はまだ人の話を聞いてくれる方だからいいか、素直に話しておこう。

 

「それとは別、細かい事は気にしないで」

「そうですけど、それでも引っかかりますね、何を隠されているのでしょう?」

 

 言った通りに機嫌よく、偽りもなく話すと少し真面目な顔を見せるご住職。

 なにやら流れがおかしいな、含みの在る物言いは聖の方だったはずであたしの腹にはなにもない。どうやって雷鼓を取り戻そうかと企む腹はあるけれど今の異変に関わるような荒々しい腹づもりなどなんにもない、だというのに引っかかるとは、そしてこの空気感は‥‥やはり素直さなど見せるべきではないな、いつから感じているか覚えていないけど素で語る度に何か予想外の流れになってばかりだと自覚出来た。

 

「まだ何もないから気にしないでって。誰かと会う度に異変が異変がって言われるけど聖にまで言われるなんて、その度に否定するのも飽いたからやめてもらいたいわ」

「それは致し方ないかと、アヤメさんもボールを持っているのですから」

 

「それも聞いてきたの? 特に欲したものじゃあないんだけどね」

「欲せず、やはり望まぬまま手にしていると……私の読んだ通り、貴女も同じでしたね」

 

「何の話? 同じって誰と?」

「いえ、そちらは既に済ませましたし忘れて下さい。それで、得られたヒントとは何についてなのでしょう?」

 

 口の悪い誰かじゃないんだささくれ立つ言い方をしてくれなくともいいのに、そうされると触れたくなるじゃ‥‥ダメだな、摘めばあたしが叱っ目面になりそうな事請け合いなのでここはシカトしておくが吉だろう。

 でもそれも無理か、先の予感もあるし異変と口にしてからは何となく気配が変わったような風でもある。それなら質問には答えておいた方が懸命か、手早く帰してくれないのならそれっぽく話して納得して帰ってもらおう、生憎袖の下は焼き切られて失くしているがどうにかなろう。

 

「そう言うなら忘れるけど‥‥こっちはごく個人的な事情よ、態々会いに来てくれたのに申し訳ないけど異変に関わりはないわね」

「そのお話に偽りは?」

 

「残念ながらないわ。まったく、異変なんてそのうち解決されればいいと思ってたけどこうなってくると早い方がいいわね」

「そこには同意できますね、私も早く鎮まってほしいと考えています」

 

 あたしは興味ありませんよ、終わって欲しいと願っているだけですよと、大して思ってもいないことを話すと素直に同意してくれた。意見が合うなどちょっとした驚きだがたまにはこういう事もあるだろうさ、気にする部分ではないな。

 先の物言いに嘘はない、興味は当然にしてないしゆっくり眺める暇もない。あたしが楽しめない異変など煩いだけでなんの面白みもないからさっさと終幕してもらいたい。

 この心に嘘はないからそのまま口にしてみた。

 結果あたしが読み違っていたのかなと思える同意が貰えてしまう。なんだ、以前の人気取り異変みたいに聖も争っているのかと思ったけれどそうでもないのか?

 

「ね、ほんっとに皆が皆クドくて困りものだわ。誰も彼も噂に振り回されて、こんな風になってしまうのも流行り物のせいなのかしら‥‥なんて愚痴っても仕方ないわね、それで何用だったの?」

 

 思わぬ形で得られたから調子に乗って続けていく。

 このままあたしの愚痴に乗っかってきてくれれば聖は白、異変には不介入で偶々この地に来ただけだと結論付けてもいい‥‥はずだったが、返事は何も返ってこず、動いて見えたのは傾く頭と揺れそよぐ長髪だけ。

 これは追加した物言いにも引っかかったかな?

 やめてと言いながらも再度口にしてしまった異変か、もしくは掘り返した用事ってのに躓いたのかなと思い少し身構えたが、聖が気に留めたのはそこではないようで。高貴な色合いの髪を靡かせ、昼間に何事があったのかと質問でお返事されてしまった。

 話しても関わりない、聖が臨んでいる異変に係る事などない。再度探りながら濁してみるもこういったあたしの態度が何かを秘匿するかのように見えてしまったのか、ずずいと近寄ってくる和尚さん。それなら仕方がない、数日前から今日の昼間の流れまでをざっくり語る‥‥だけで済ませると更にしつこくなりそうな気もするか。ならばよい、じっくり腰を据えて語ろうか、幸い我が家の近くではあるのだし。

 

「話せる事なんてなにもな……あ‥‥」

 

 なんて考えるとまた現れるけったいな珠っころ、ふわり浮かぶとあたしの周囲を回り始める。異変の話題を口にしたから出てきたのかもしれんがまたタイミングの悪い時に出てきたな、今出てこられたら話の巡りが悪いものにしかならんというに。

 でもまぁよい、出てきてしまったものは致し方ない、放っておけばそのうち引っ込む事はわかっているし今は無視して続きを話そう。やけに気になる聖なる視線、睨むような探るような、ボールを貫く鋭い眼力には気が付かなかったことにして。

 

「うん、詳しく聞きたいなら場所を変えましょうか、立ち話もなんだし」

「構いませんがどちらへ?」

 

「ムジナの穴よ、同意も得られたしどうせ話すならゆっくりお茶でも啜りながらと思って。無用な説法説いたりしないのなら多少のもてなしもあるかもしれないわ」

「またそうやって‥‥でも、そうですね、それも良いのかもしれません」

 

「なら――」

「――ですが」

 

 そう言って歩き出す、つもりが足を止められる。帰り道に迷ったとかそんなわけでは当然ない、目の前で佇む聖人が動こうとせず、寧ろ目の前で立ちはだかるように静かに両手を開いたからだ。

 自分自身のあり方を示す左手を天に、清廉さや知識といった仏様らしさを宿す右手を地に構えて見せる僧侶。堂に入った立ち姿で思わず見惚れる程だが、なんでまた今ここで?‥‥というか何故にあたしに対して構えて見せるのか?

 何も言わず見つめ続けてみるが、本格的に対峙する相手に向かってガンガン行く前の構えを崩してくれない魔法使い。これはなんだどうしてこうなった、これからどうなるのかは仕草から容易に読めるが、それは勘弁願いたいぞ?

 

「悪い予感しかしないんだけど、なんのつもりか聞いてもいい?」

「問答は後に致しましょう、今はそうするよりもこちらが大事(だいじ)と心得ます。異変の最中でボールを手にしている者同士、やる事など決まっておりましょう」

 

「心得なら口で説くだけにしてってば。それにこのまま始まったら間違いなく大事(おおごと)になるんだけど‥‥無益な殺生は禁じているんでしょ、それなら勘弁してよ。尼さんなら尼さんらしく拳より禅問答で示しなさいって、ね?」

 

 死人が何を言うのか、それは置いておいて。

 掌開く聖人にあたしも手の内さらけ出して言い返す。

 知っての通りでやる気なし、面倒だから勘弁してと。中身は忘れて見た目は互いに可愛い少女なのだからそれらしく、ティータイムを洒落込みながらの問答ならいくらでも付き合うからそっちでお願いと。

 そのように伝えてみても聖の構えは解かれない。

 それどころか寧ろ余計に力強さが増したような感も見られるな。

 

「お応え出来かねます。はぐらかさず、観念なさって下さい」

 

 益々高まる嫌な予感、とうに錆びつき動かなくなった獣としての勘がこのままここにいたら狩られると教えてくれる‥‥が、楽々逃げ切れる雰囲気でもないしどうしたものか、静々発せられる闘気のせいで何か悪寒のようなものまで背を伝わっていくようなそんな錯覚すら感じられて、思わず口元に手を添えてしまう。

 すると動く聖の視線、見ているのはあたしの顔、ではないな。どうやら焦がした袖と浮かぶボールにご執心されているようだ、それならこのまま袖に振り切り逃げ去りたいのだけれど無理だろうな。焼き切られた着物の袖は振るには短く物足りん。

 ならば、どのようにして場を誤魔化すか。

 このまま黙まったままでいると腹を括ったと見られそうで、マズイ。

 

「観念ね、仏様の姿を観想しろって? 鏡でも見たらいい?」

「……わかりました、そこまでで結構です。これ以上貴女と言い争っていても無駄でしょう、戦意のない相手に気は引けますが‥‥まずはそのオカルトオーラを払わせてもらいます!」

 

「オーラ? また知らない単語が出てき――」

「お黙りなさい!」

 

 業を煮やしたのか、ぴしゃりと奔る声。

 口上を述べながら両掌を重ねる聖女の姿勢には弾劾しますって雰囲気が宿る。

 けれど、そんな正されなければならん事などなにもしてないぞ、まだ。

 

「言葉巧みにはぐらかしては取り繕うような妄言を繰り返すその所業、誠に愚かで軽挙妄動であるッ! 問答はその身に宿しているボールを奪った後で伺いましょう! 身に纏うオカルトオーラを知らぬ存ぜぬとは言わせません!」

 

 続く決まり文句。

 どちらかと言えばあたしは取り憑く側な気がせんでもないが言われた内容は八割方間違っていないから気にならん。強いて言うならそうだな、妄言が云々と啖呵を切られたけれどあたしの場合は妖言だって事くらいか。

 なんて小さな部分を訂正している暇もなさそうだ。問答は無用と態度で示されてしまった。本当にどうししたものか、このまま言わざる聞かざるを貫き通してもよいが、そうしたところで流れが変わる事もなさそうだな。

 

 向かい合うと綺羅びやかな巻物を広げ輝かせる聖、頭上で灯る七色が明るく光ると綺麗な髪を輝かせて尚更に美しく見える。本当に、坊さんにしとくにゃ勿体ない御仁だ。

 あんまり拝めぬ目の保養、様子見ついでに目を細めると軽快したのか周囲に護法の灯りまで纏ってくれて、その姿はまるで衆生を導く如来のよう。あたし達穢れた者達から得ている力とは思えない清廉潔白な御姿が妬ましいが、振るう拳は如来よりも明王に近い気がするからその辺りで荒々しい穢れと清らかさのバランスを取っていると思っておこうか。

 しかしこうまで見せられては逃げても無駄だな。

 お決まりの口上まで言った聖が引く事などない。

 というか引いたら格好がつかんだろうし、見栄を切って見せたのだから何もしないまま掲げた掌を下げる事もないのだろうよ。

 ならばよい、問答は無用と態度とやる気で示されたわけだし、それならそれらしく付き合おう。普段見ない場所で顔を合わせたのだ、であれば聖に合わせて身体を動かすのも良いものかもしれん‥‥聞きなれない単語も気にはなるし聞き捨てならない事もある、それなら弾幕でのガールズトークをしながらそちらも伺っていくこととしてみようか。

 

 構えを解かない物騒な仏僧に向かって斜に構えて立つ。

 引けているらしい分だけ手加減してくれないかな。そんな邪な思いをあんまりないあたしのやる気ってのに込めて現すと、蓮な彼女のいざ南無三を合図に弾幕ごっこが始まった。

 

 

~少女帰想中~

 

 

 で、どうなったかと言えば知っての通り。

 反省するつもりじゃないが、振り返るとあれは初動から間違っていたように思えるな。あたしも小さなやる気は見せたがそれはいつもの弾幕ごっこに対してであって、今回のようなほら、あの天上住まいの奴らや面霊気がやってみせた物理的な弾幕ごっこの方だとは思わなくって‥‥初手から巻物おっぴろげ、全力で突っ込んでくる聖にぶっ飛ばされるとは考えてもいなかった。

 

 気がついたら目の前にいた僧侶。面食らっていたらガンガン行く二つ名に相応しい速度で重たい手刀を放ってくれた、受けていた煙管は数発で剥がされ、いきなりなんだと思っていれば腹に掌底突っ込んでくれて。その勢いに飛ばされたら飛ばされたで何度か味わっているよりもやたらに強く輝いている独鈷杵まで放ってくれて。

 ‥‥と、ここまではいい、ここからが酷かったからあれくらいは問題ない。問題は弾かれ飛ばされ、竹で背を打ち返されたその後だ。反動であたしが跳ねると勢いに乗り突っ込んでくる極速和尚。間合いが近いせいかあの烏天狗よりも速いんじゃないかって速度で距離を詰められ、近距離で新たな構え、どこぞの仏像が取るような平手を天と地それぞれに見せる仕草を見せたと思ったら、とかくデカイ手刀が天から降ってきたのだからな。

 

 まぁなんだ、これくらい語ればあたしがどうなったかはわかってもらえそうだから後は掻い摘むだけにしよう。それからは叩きつけられ地面を舐めさせられて、逃げの一手を打つ前に聖の跨る乗り物に轢かれて終わりだからな、加減なぞ微塵もない、正しく狸殺しと呼べるほどに一方的な展開だった。

 しかしこれだけだとあたしが格好悪いだけに聞こえるな、それなら少しは取り繕っておくか。言い逃れをするのならそう、一手目をもらう前に『こっち』の弾幕ごっこだと気が付いていればもう少し健闘出来たはず、聖にいい勝負かもと思わせるくらいはしてやれたのにってぐらいか。

 当たらぬ遊びは無粋などと逸らさず受けようとしたあたし、この聖人相手に余裕を見せたら破竹の勢いで責め立てられて何も出来ずに負ける、我ながら盛大に読み違えたと思う‥‥が、少しは得るものがあったからヨシとしておこうか、異変や修行に勤しむ坊さんとこうしてゆっくり話すことも、目の保養も出来ているわけだし。

 

 打ちのめされる少し前、一瞬を思い出すと脳裏に浮かぶ確かな模様。

 それは地に伏せるあたしめがけて蹴り込んできた聖のスカートの中身。

 何度か眼にしている気もするがそうそう拝めるものではないし、寺住まいの秘部を拝む事叶っているからただ負けただけではないと己を慰めておこう。清廉な裾の中、精錬と鍛え上げられた腿の奥は‥‥言わずにおく、知りたければ自分で見たらいい。

 なに、あたしのように一発もらえば観覧叶うさ、簡単な事だ。

 

 何を言っても負け惜しみ、勝つ気もないから惜しくはないがそもそもあれだ、普段見せない姿に合わせてしまい普段なら流せるような事を聞き流さず、剰え教育しようなんぞ考えたから読み違えたのかもしれんな。

 であればいつも通り、付き合わないでさっさと逃げればよかったのか?

 いや、それも無理からぬ事だな。あれは正してやらねばならない言いっぷりだった。妄言も妖言も大差ない、どちらも法螺を吹くに変わりはなくて大事な着物を傷つけられてまで直すような事でもなかった‥‥と、思われなくもないがそこは違う。

 胸を張って他人を騙し謀る。それがあたしで、あたしのような妖かしにとっては己を下げる下げないって部分はそれなりに大事な部分、妖怪としての矜持というか在り方に関わる部分なのだ。妄言、根拠のないでまかせばかりってのは共通しているけれどあたしがそれを口にする際には()びる事などないのだ。その辺を重要視して、否定しても仕方がなかろう……

  

「アヤメさん?」

「あん? あぁ、そうだったわ」

 

「そう? あの‥‥もしかして忘れていました?」

「そんな事ないわよ、頭の中は聖で一杯だったわ。それ故抜けてたって事にしておいて」

 

「? 仰られる意味がよく」

「いいから、己の勘違いに浸っていただけだから気にしないで。今上がるから今度はあたしに付き合ってね」

 

 ちょっと前の戯れを思い出し浸っていたら現在の彼女から声がかかった。

 半分呆れているような、諦め混じりの穏やかな声。

 風呂を楽しみ耽っていたら結構な時間が過ぎていたようで、記憶の中に旅立っていたあたしにはどれほど呆けていたのかはわからないけれど、気の長い御仁がお茶飲みに飽きるくらいには時が流れているようだね。

 ふと窓を拝む。月明かりの差し込み加減から其程経ってはいないはず、ならばと指折り数えるつもりで湯から腕を生やすと、綺麗に戻した指先にはうっすら皺が寄り始めていた。これは長湯が過ぎたな。

 気付くとすぐに動く身体、待たせて悪いと考えながらこれでおあいこだと含み笑いを浮かべつつ急ぎ目で風呂を出る。そうして水に流したつもりになって濡れ髪を軽く纏めて結い、緋襦袢一枚羽織って卓に座る彼女と向き合うと、二杯目だろう茶を含み濁らぬ水面を揺らめかせてから語り始める和尚。

 

「それで、お付き合いとは」

「聖の用事には付き合ってあげたからね、今度はあたしって事よ」

 

 喧嘩には付き合った、だから今度は話に付き合え。

 争い始める前に話した事を含ませて述べてみると湯呑みを啜る阿闍梨。

 ずずっと聞こえたそれに向かい態とらしく耳をはねさせると、一拍おいて開く聖人のお口。

 

「‥‥アヤメさんはこの異変をどう視ますか?」

「別にどうとも、具体的に答えた方が話が早い?」

 

「出来るなら答えてくださるとありがたいのですけれど」

「なら言うけども、普段と変わらないようにしか視てないわ。過程や流れがどのようなものであろうとそれが異変だというのなら特別視するような事もない、そう思うわよ」

 

 異変とは暇に飽いたどこかの誰かが気まぐれに起こすもの。

 変わらぬ日常にちょっとした香辛料を求めてはしゃぐだけなのだとあたしは結論付けている。

 過去には希望を失った付喪神のせいで人間が無気力になったり、終わらぬ連中がお月様に悪戯して夜が終わらぬ日が続く事もあった。その際には幻想郷が危ない橋を渡る事にもなりかけたが、あの不良天人や寂しがりな鬼っ娘がやらかしたものはあたしの論じた話の通りで暇潰しだった。

 それを踏まえて更に論じるが、例えば、現状に不満ばかりで気に入らない厭世を楽土へと変えたい、間逆な景色にひっくり返してみたいと考えた奴らがいた。けれど、そんな必死な思いがわかるのは起こした側だけであって、あたしを含む他の連中は首謀者の思想など知らぬままだ。事を起こすにしても騒ぎに乗じて動くだけ、段幕ごっこに興じるだけなのだから、暇をつぶす楽しみと捉えても間違いではないはずだ。

 不真面目と感じられるかもしれないが六十年周期で訪れる大規模な花のお祭りだって異変扱いされるし、神社の引っ越しが異変になることだってある。そうして越してきた連中のせいで新たな異変が起きるくらいなんだから、その一つ一つを真面目になんて考えていたら面倒くさくてどうしようもないのだよ。

 

‥‥と、まぁここまでは言わんがね。

 真面目に異変と向かい合う聖に話しても伝わらないだろうし、諭す雰囲気や流れ次第じゃあたしが南無三される理由にもなり得てしまうからな。

 

「あたしの考えは述べたし、そろそろ質問にも答えてもらいたいわ」

「わかりました、でもその前にですね‥‥」

 

 更なる質問には答えず動く聖、卓を離れて何をするのか?

 そう思っている間に姿勢を正して向き直った。

 粛々と揃う両の掌、それを畳の縁に添わせ、高貴な色味が差す金の髪を段々と下げていく。

 

「ごめんなさいってほざいたら拗ねるわよ?」

「ですけど」

 

「しつこいわ。勘違いくらい誰だってするもんなんだから気にしないの」

「……そう言われましても」

 

「クドイのは説教だけでたくさんよ、口説くならもっと色のある物言いでお願いしたいわ」

「そのような事、私は――」

「出来ないならここいらできりあげて、まだ続けるなら本当に拗ねるわ」

 

 功徳を尊ぶ坊さんにクドいと言い切り、ぷいと横向き。

 謝罪はいらんと伝えるのはこれで二度目、あと一回は猶予があるがそれは天上におわす仏様だからこそ、飽きっぽいホトケ様なあたしとしてはこれ以上はしつこく感じてしまって言った通りになるだろう。自分で言うのもなんだが機嫌を損ねたあたしは結構面倒くさいはずだ、お硬い頭で相手取ると手間が増えて大変になるに違いない。

 だうからそうなる前に譲歩せよ、そんな心を示すよう顔を逸らす。

 すると一息整えたあとゆっくり頭を上げてくれた。

 

 こう、落ち着いていた場では聞く耳も話す舌も持ち得た御仁だというのに、こと異変となると人が変わったように好戦的になるのは何故なのだろうな。聖だけではなくこの地の飛ぶ女連中は皆そうなってしまうから困る、が、触れ合う者らがそんなだから聖もそれに則っているというか真似ていたりするのかね。

 あたしなど妖怪連中は大昔から若くあるままに生き続けているし、異変解決に動く人間達は実際に若い見たままな少女として過ごす連中ばっかりだ。対して一度は老いた彼女。その後八苦を滅し‥‥切れてはいないか、愛別離苦を滅しきれなかったせいで今の姿になったらしいがそこは忘れて、人として生きていた時代を鑑みれば聖も中身はお年寄り側にいるはず。そんな彼女が若者と絡もうとすると多少の若作り‥‥と言うと角が立つから言い換えるとして、幻想郷の若者と並び共に歩もうとするならば多少の力業も必要なのかもしれないね。

 

 さて、今までの雰囲気からなんとなくわかるだろうし聖の名誉の為に敢えて言っておくと、聖の陳謝は先の喧嘩に対してだ。話を聞かずに喧嘩をふっかけてきて、もとい弾幕ごっこを仕掛けておきながら頭を下げるなど何事か、法の理を信念とする者がいかがなものかと思えるがそういった異変が起きている時世だ、その程度の小競り合いくらいあって然るべきでそこに疑問も浮かばない。

 で、どうして謝罪に繋がるのかと言えば簡単だ。あたしは聖の勘違いで喧嘩を売られてふっ飛ばされたのだからね。彼女がここに現れたのは妹紅が目当て、あの蓬莱人が持っていたらしいボールを奪うために来たと帰宅途中に聞いている。では何故あたしまで狙われたのかと言えばそれも同じくオカルトボールを手にする為にだったのだそうだが、そこで聖に読み違いがあったらしく、ごめんなさいへと繋がっている。

 聡明な彼女が違えるなどあまりないように……そうだな、その辺りを再確認しておくべきか。読み違えたと理由の根っこは聞いたが何故違えたのかは聞いていないし、謝るくらいなのだから聖もそこらを話したいだろうよ。

 あたしとしても知っていても損はないと感じるし、蓮が咲かせてくれた話のタネだ、根や葉だけではなくその華も愛でるべきであろう‥‥本当は来たついでに襲いました、万一そう言われたら珍しくあたしが聖を叱るなんて立場を逆転させた遊びにも興じられるだろうしな。

 

「ねぇ聖、思い違いとは聞いたけどその理由は聞いてなかったわね」

「聞けば異変に関わる事になると思いますよ?」

 

「今更よ、既に異変に押し込まれて退治された後だもの。で?」

 

 出会い、見せつけられた時のように、平手を見せて先を促す。

 竹林では聖に先手を取られてしまったけれど今はあたしが攻める番、己を表す左を差し出し余計な事はいいから話せと示した。

 すると数秒、ではから封切られる僧の語り。

 

「ではまずこの異変ですが、これは今までに起きた異変とは性質が異なるものだと考えています」

 

「異なるねぇ、その根拠は?」

「異変とは妖かしが悪戯に起こすもの、妖怪が起こした怪異を人が解決するもの、定期的に繰り返される騒動だと私は感じています」

 

「そうね、時と場合に寄って規模は変わるけど、どれもそんなもんでしょうね」

「時と場合? 異変に大小ありましたか?」

 

「人間を襲って糧を得ないと生きていけない者達もこの地には住んでいるし、妖怪が人を襲う形だけ見ればそれも異変と呼べるものでしょう? 命蓮寺というか管理してる墓場にもそれっぽいのがいるから心当たりくらいあるはずよ」

 

 墓場で驚け~! とやかましい愉快な忘れ傘。

 墓場に近寄るな~! なんて騒ぐ忠実な死体。

 あいつらの過ごし方も見方を変えれば人妖の争いだ、異変とするには規模が小さすぎて目立たないが、どちらも異変解決少女にのされた経験があるのだし例えとしては間違っていないだろう。

 

「小傘さんですか、皆が皆彼女のように人を驚かす程度で満足出来るなら手と手を取り合う事も容易になるとは思います、けれど」

「聖には悪いけど今は無理な話だと思うわ」

 

「今は?」

「異変を広めた誰かさんの口を借りると、定期的に起こしてもらって恐れる者と恐れられる者を明確にしているの、そうやってこの地のバランスを保っているのですわ。なんて話だからね、起こすべき連中がそうしなくなってここが壊れても困るのよ」

 

「それは理解出来ます、争いを楽しむような荒む心がないと維持し得ない部分は悲しく感じますが……その部分は語らずにおきましょう。私が気になるのはそこではありませんから」

「じゃあ何が気掛かり? 争って傷つく奴らの身体でも心配してる?」

 

「そこも今は飛ばします‥‥先の話を鑑みまして改めて問いますが、この異変、何かおかしいとは思いませんか?」

 

 ふむ、おかしな点とはなんぞや?

 あたしが気にかけず聖が気がつく事とは?

 暫し悩むも思い当たらず。こういった場合は気分転換だと煙管を咥えぷかり吐き出す、つもりが唇に煙管が張り付いてしまい端を切ってしまった。そういや湯上がりから水分を取っていなかったな、温まるほど熱くはなかったけれど長湯したせいで少し乾いてしまったらしい。

 それでも今は頭を回すほうが忙しいし、後で治せばいいだろう。そうやって切った下唇を軽く舐めると差し出される湯呑み、注がれる冷めたお茶。急須に残った少しの紅茶はそれなりに火照っていた身体には願ったりな温度‥‥ってあぁ、この辺かね。

 

「大丈夫ですか?」

「大丈夫、ありがと。それで話の続きだけどね、願いが叶うってのが変だと、そんな事を言いたかったりする?」

 

 おかしいのは異変としての形というか、流れというか、まぁその辺りに思えた。

 騒ぎは変わらず起きている、争う者達も人妖混ざっていて結構なお祭り状態となっているはずだ。だというのに違和感を覚えるのはあたしが話した部分、願いが叶うとされているところ。今までは誰かが願いを叶えるために起こしていた異変、それが今回は参加者連中の願いが叶うなんて話になっている、それも噂として広まるくらい公なのだ。それが少しだけ解せない。

 そう思った通りに問い返すと同じような事を考えていたんだろう、と聖も頷いてくれた。

 

「はい、そこが腑に落ちないと言いますか、何か引っかかってしまって」

「言うほど気にする部分じゃないように思うわ」

 

 あたしもちょっとは気にしている、けれどここでは嘘偽りで返す。

 これ以上は考えるに手間だからだ、話しぶりから聖はこの異変の全容や全貌が知りたいのだろう、知ろうとするが故に引っかかると、あたしが引っかかりやすいように言ってきたのだろう。

 だがそんな事はどうでもいい、誰が何のためにやらかしたのかあたしが知った事ではない。そういうのは最後にとっ捕まった首謀者から聞けばいい話で、待っていればそのうち、聖も含む解決者達の誰かしらから聞ける事だ。

 それに異変と捉えているのだからこの騒ぎは直に落ち着くはず、あたしにはそんな確信があるから深く知ろうとはしていなかった。既に切羽詰まっていたなら前のように紫自身が動いているだろうし、現状そうはなっていないのだからこれはまだ大丈夫だと、眺めて過ごすだけでいられる事態なのだと、幻想郷に関わる事にだけは信頼できるスキマのお陰であたしは考えずにいられた‥‥まぁ、大げさに動くのが億劫に感じる心も当然にしてあるがね。

 

「何か、そう考えられる理由がありますか?」

「過去の異変では願いを叶える物を使っていた連中もいたわ。誰かは説明しなくてもわかるでしょ? あの異変の延長戦で逃げ惑う首謀者の事を聖も追いかけていたと聞くし、あれとは逆手な企みを描く誰かがいても不思議ではないんじゃない?」

 

 心配しなくともいい理由をでっち上げる。

 例えたのは可愛い姫と可愛がるにイイ天邪鬼。

 共にあたしのお気にいりな二人が仲良く起こしたあの異変では願いが叶う打ち出の小槌を使って駒を増やしていた。その前例と今をこじつけるなら、願いが叶うなんて噂を流しそれを叶えようと動く者達全てを駒に置いた異変とでも言えばわかりやすいか。

 手段や目的には興味もないからその辺りはまるっと端折って、まぁそんな感じで駒を増やしたどこかの誰かさんが巷を賑わせて楽しんでいると、そんなものかと考えて説いてみたが‥‥どうやらこの考えには同意してくれないらしい。

 真面目な表情は変えず見据えてくれる和尚さん。真っ直ぐなその紫眼にゆるい顔した誰かの顔が映り込むと、反論いや反説とでもしておこうか坊さんらしく、それらしいを言ってくれた。

 

「天邪鬼が起こした異変ですか。けれどあの異変とも趣が違いませんか?」

「まぁ、そうね。願いが後にくるのか先にくるのか、そんな違いもあるにあるわ」

 

「集まれば願いが叶う。実際に叶うのかどうかは定かではありませんがそんな噂を流して人知れず異変の種を拡散する事が出来る者、それほどの者が誰にも姿を見せぬままでいられると‥‥霊夢さんは見慣れぬ誰かと争ったようですが、ともかくですね」 

「はいはい、なるほど、ようはそういった周到さが鼻につくって事ね。霊夢は忘れて言うけれど、尻尾を掴ませぬまま何かを行う誰かなんて結構いるし、そういう相手にも何人か心当たりがあるわよ」

 

 当然あたしではない。

 聖は多少は思う部分でもあったのか襲ってくれちゃあいるが既に容疑者からは外れているし、聖の近くにはあたしよりもそういった事に長けた御方も、正体を掴ませずによくわからん種を芽吹かせるやつもいる。

 霊夢が会った手合というのも気にはなるがそれは言った通りとしてだ、よくよく言えばあたしの心当たりというのは姉さんやぬえではない、それなら誰かと言えば‥‥

 

「八雲紫ですね」

「そ、あいつなら容易に出来るし暇ならやりかねないわ。前例もあるわけだし」

 

 言われて飛び出た誰かさん、慌てずに済む理由な誰かさんを今度は犯人に仕立て上げ、そのまま続ける。

 また私を悪者にして、困りますわ。扇越しの胡散臭い笑顔でそう言ってくるのがくっきり見える気がするが、善なる者でもないし曖昧なあいつらしいから肯定しても問題はなかろう、実態も割と困ったちゃんで間違いないはずだし。実際正邪の鬼ごっこはあいつを言い出しっぺとした騒ぎだったのだからこれでいいとしよう。

 

「しかし、あの妖怪が幻想郷を乱すような事をするでしょうか」

「遊びでかき回す程度の事は確実にするけど、聖が危ぶむような本格的な乱れ具合ってのは紫も望まないでしょうね‥‥ふぅん、聖はそれほどの大事だと視ているのね」

 

「はい、ですからボールを手にしている者と会い、預かろうと方々を回って‥‥無為の好奇と神秘に満ちたこのボールは争いの元にしかならぬ物だと判断致しました。皆が皆己の願いを叶えようと奪っては取り返す、そんな事が続けばいずれは一線を超え、長く続けば終わらぬ争いにも成り得ましょう。もがき傷つき倒れようとも終わらぬなど……そうなった世はもはや悪夢と変わらないものだと思えるのです、故に私は……」

 

 訪ねて始まった和尚の説法、それに己の説も被せ思い思いに語る。

 悪夢、つまりは凶夢(きょうむ)。夢幻が飽きるほどにいるこの世界、今日明日程度で夢と消える事もないとは思うが、また随分大げさだ。と、感じられなくもないがまぁいい、聖の言わんとする事はわかった。流石は普段から他人に向けて語りかけている聖だ、あたしの説にも納得出来る論を立ててくれて、自身が話す内容も繋がる紐を解くように理解しやすく話してくれた。語り草が長いのが玉に瑕だがそれは説教を説く者らしさという事で今は処理しておこう。

 世を乱すボールを手にしている者から奪、もとい預かる事にした聖。他者のためと考え動くその精神はとても美しく尊いものだろう、人妖に関わらず全て等しく守ろうと動くのもこの御仁らしい善い部分に思えるしこの地が末法の世となるのを案じて行動する様も好印象ではある、けれど、けれどだ。

 

 色々と頷ける話、このまま納得してしまってもいい物言いなのだけれど。

 どうにも腑に落ちない。聖の言い分は御尤もだと思えるし応援してやりたくも思う、それだというのに納得しきれないのは‥‥亡くした腑に落とすべきモノを頭も傾げず考えていると重ねていた視線を外して口ごもる聖。その目は天井の梁をって違うな、あたしの頭上、また姿を見せたオカルトボールを向いていた。

 そうだな、こいつのせいであたしは納得しきれんのだ。

 

「なんで離れてくれないのかしらね」

 

 首を縦に触れない理由、それは口にした通りだ。 

 そしてそれが聖の言う読み違いでもあるらしい。

 あたしは綺麗に負けた、それはもう完敗と言い切っていいくらいに負けたはず。だのにこのボールはあたしから聖に移ろうとはしなかった、変わらずにあたしの周囲を漂って視界の中で遊んでくれるのだ。もう本当に邪魔だからあっちに行ってくれて良かったのに、至極残念で仕方ない。

 

「わかりませんねぇ」

「他の連中はこうはならなかったんでしょ?」

 

「えぇ、藤原妹紅さんや布都さんが持っていたボールは確かに私が預かりました」

 

「じゃあなんでこれだけ? やり口も同じなんでしょ?」

「はい、本当に何故なのでしょうね」

 

 二人で悩む最中、気にもせず宙を舞うあたしのボール。

 こちとら悩んでいるというのに、まるで友人達のひそひそ話を見つけた童子が囃子たてるような雰囲気で飛ぶ珠。不意に寄ったり離れたりして遊ぶようにあたし達の間を飛んで回って、あ、消えた‥‥見始めた頃から思っていたが本当に気まぐれだなこいつ、聞けばボールそれぞれに特異な何かが秘められているというし、宿す何かがこうした性質を見せるのだろうか?

 持ち主の性質でも表しているか?

 ふよふよ浮かんで浮うわついて、何処かの誰かさんのように振る舞っては消える珠っころ。これをおどけて真似るような仕草と見るとほんのちょっぴりだけ可愛いようにも感じ取れるが……

 

「あぁ、そうでした。これも聞こうと思っていたのにすっかり忘れていました」

「ん、まだ何かあった?」

 

「オカルトボールなのですが、アヤメさんの持っているボールは他の皆が持っているボールとは少し色味が違っているように思います。私が今までに見てきたものは等しく紫珠(しじゅ)でオーラも似た色合いでしたが、貴女の周りに現れるものは――」

「黒いわね」

 

「そちらについても心当たりは」

「ないわ、当然。ていうか見た目で違うなら争う前から気がつけるんじゃないの、始まる前にも見ていたはずよね?」

 

「それも違えて‥‥いえ、私の早合点でしたね。数を揃える必要があるなら違いがあるボールの一つや二つはあるのだろう、そのように考えておりました」

「で、色違いだったけど襲ってみたと」

 

「はい、私とした事が早計でしたね」

 

 早合点、これも今回の異変でよく感じるな、聖までそうなるとは思いもせなんだが。

 早計だったと言う割に悪びれる様子もなく微笑む聖人。このまま見つめ合っていればバツの悪さに負けて謝ってくるかと思ったが、さすがに三度目のごめんなさいはなかったか。もしも言ってくれたなら本気でごねてあげられたのに、惜しい。

 

 「またはっきり言ってくれて。でもいいわ、済んだ事だから。しかし此処にきて新たな難題か‥‥ホント、たまらないわね」

 

 会話がひと段落するとあたしの顔からボールの消えた空間へ目線を流した聖。宙に定めた聖の目には一体何が見えているのか。なんでもいいがその隙に小さくたまらんと呟き、唇の傷を舐めた。顔色も声色も変えず呟いたそれは喜びの声、小さな歓声。

 その独り言が聞こえたらしい聖からは、何かあればいつでもお話下さいね、なんて包み込むような声色で言われてしまったけれど‥‥あたしの内心はそういった方向とは真逆、こいつは愉快だと、悪くない流れになってきたと感じてしまったのだから。

 

 事の起こり始めから続く調べ物。

 あちこちで色々調べてあたしの元に少しずつ集まってきた情報は雷鼓やコトリバコについてだけ。あたしはそう思っていたけれど聖のお陰で別の物事に繋がるのかもしれないと気がついたから、裏腹でたまらない心境にさせられてしまったのだ。だってそうだろう、解き難いお題が解決に向かったかと思えばそれを上回るお題となって帰ってきてくれたのだ、これを面白がらずして何を楽しめというのか。 

 それにだ、異変の全容については今もどうでもいいのだけれど、これが誰が仕掛けたお祭りなのか、誰があたしに火の粉を振りかけてきたのか、そういった部分には若干の興味が湧いてもきたし、蓮から生じた花粉のせいで菖蒲が芽吹いて蟠るというのも笑えない冗談過ぎて嫌いじゃあない。邪な一蓮托生、それを妖怪和尚から感じ取るなんて、こいつは愉快で心地良い皮肉だと、悪くない流れになってきたと思えてしまって、たまらない。

 

 ついつい漏れる嫌味な笑い、声と成るほどではなかったが向かい合う聖には当然気が付かれた。

 僅かな疑問を瞳に込め、その顔はどういう事なのか、真正面から問われてしまう。

 けれどこれも笑みで返す。

 ここで話してしまっては折角湧いた奇なるモノの片鱗が見えてしまう可能性もある。こうした楽しみは出来るだけ一人で味わい尽くしたい、ならばここは誤魔化すべきだ。

 

 そう案じてすぐ、少し動いて見せる。

 口元に袖を宛てがい、曖昧な誰かさんのように瞳以外の表情を隠し、濁す。

 

 あたしを退治た仇な尼に向かい、婀娜(あだ)な仕草をとって、思わせぶりに微笑むと再度問われる腹積もり。さて、この難題はどう説くか?

 仁の道を(めぐ)む者相手との騙り合い、躱す問答は何と言うべきかね。

 思いつかんがいいな、元より違えた考えから発した事だ。

 それならこの流れもそのうち違える事になるだろうさ。


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