東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その62 ききもの

 手にする管の先を潰して、通る地下水を程よく散らす。

 そうして眠たい目を擦り、寝起きの頭を掻いて、だらだらしつつ緩い水流を撒く。

 不意に筒を捌いて口元に寄せて、着ている黒のインナーやスカートの事など気にせず顔を洗い喉を潤わせ、顎から胸元まで井戸水で濡らしながら続きに戻る。お山の滝で見られるような小さな飛沫とまではいかないが、程々に散る水の中想う、今朝も暑いな、と。

 

 今時期偶に行う散水、行うだと語弊があるか、行わなければならない散水が正しいな。霊体となってから偶にしている日常作業、朝から暑い日やこれから暑くなるかもって日にはサラサラと屋根に水分を含ませていて、こうしていると今年も目に眩しい時期が来たなと感じられる。

 

 カラカラ笑うお天道様。

 顔を出してすぐから眩しい息吹を地に吹きかけてくれて、明るさと共に温かみも届けてくれるが、今日は朝から日差しが強く、深い竹間を抜けてくる僅かな木漏れ日だけでも我が家の屋根を熱くさせるには十分で、寧ろ放っておくと室内までがぬくだまりとなってしまう為、今のように散水せねば快適に暮らせない日もある。これが冬場であれば心地良い暖房となってくれるのだが、夏場となると今の我が身には結構厳しく、少し手間だがやらざるを得ない。

 

 うちにある唯一の近代文化、(くりや)にある蛇口に煙で成したホースを繋いで打ち水に打ち込むあたし。水撒きついでに屋根の様子も見ると、丁度水気の貯まりやすい辺りが薄緑に染まっているのが拝めた。マメに手入れはしているけれど本格的に葺き変えてはいない我が家の屋根、端から暫し目線を流し筒先も向けると、狸の住まいで降り始めた狐の嫁入りに驚いたのか、朝餉の餌を啄んでいた小鳥が吹く南風に乗り飛んでいった。

 

 ソレを目にして、そろそろ葺き替えるべきなのかねと、一人腕組み思いに耽る。

 耐えきれないような強い雨風あったればそれは逸らして事なきを得ていたが、避けるまでもない季節の贈り物が届く日は自然に任せたままなあたし。屋根に菖蒲を葺いちゃあいないが住まうあたしがアヤメなのだからと、よほどの時には逸らしているが流石にそろそろ限界か、そんな思いを屋根から続く狭い空に偲ぶ。

 

 伸びる竹の合間にチラ見え出来る御日様。

 二日前の朝、赤い頭に謀られた一日の始まりよりも力強く笑んでくれる太陽を拝むと、違う場所から見え隠れする紅炎めいた火の穂‥‥数本見えたそれらに向かい、また始まったかと視線を逸らした。視界に入れたくない厄介を逸らし、現実逃避するように瞳を瞑って、近くの物音だけに聞き耳を立てると、今時期の声が鼓膜に響く。

 聞けるのは青々茂る竹が白南風(しらはえ)に撫でられ織り成す竹時雨と、聞き入れば目眩を覚えてしまいそうな蝉の声。これらが鳴り合ってくれて、そういった自然が奏でる打ち合わせは耳にしていて心地良い。後はこれらを聞きながら煙管を楽しみ、つらつら語りながら自前の徳利酒でもお酌してもらえればいつもの暮らしとなるのだが……生憎そうも出来ず、別の、季節を彩る音以外が聞こえてしまい、拒否するように耳を倒した。

 

「朝から勘弁してほしいわ」

 

 時間からすれば隅中(ぐうちゅう)を過ぎた頃、朝というには少し遅いが起きて間もないのだから朝でよい。そこは兎も角、聞き慣れた弾幕音をぽいぼいするあいつ、姿は見えないが時々上がる火柱と流れてくる御札の勢いから、今日も檄を飛ばしていそうな御近所さんに向かって愚痴を放つ。けれど愚痴は伝わらず、散水と共に現れた小さな虹の橋を渡って消えた。

 

「やるならもっと離れたところでやればいいのに、自分で縄張り荒らしてちゃ世話ないわね」

 

 再度吐いた愚痴、それは住まいの周りの喧騒に飲まれた。

 普段は静かな竹林に建つ我が家、今時期耳に届くのは先のそれらくらいのものなのだが、今はそれ以外がやかましく、態々外に出なくとも屋外の騒ぎが聞けるくらいとなってきていた。

 

 その賑やかさの原因を追って紹介するのなら、まず煩かったのは紅頭、はいいか。語るにしてもあの後、あたしが抱えていた騒ぎの元『コトリバコ』が壊れ、というか壊した後に現れた上司にとっ捕まりキャンキャン煩くなっただけ、細部を述べるにしても本来の御役目である仙人の監視に戻るよう追い立てられただけだ。来訪された閻魔様と霊廟へ向かう予定だったらしいけど、あれが見ている監視対象に道教のあいつらまで含まれるとは知らなかった。が、監視自体は以前からしているのだし、今起きている外での騒ぎとは繋がらないから深く語るのはよそう。

 

 それにサボり魔なあれもイイ女だ、あたしから見ても羨ましい体付きの別嬪さんだから少しの秘匿ぐらいあってしかるべきだ‥‥.過程や思惑がどうであれ、抱えていた悩みを壊す切っ掛けをくれた死神さんの格好悪いところを語るのは気が引けるし、こんな陰口じみたぼやきが彼女を叱る閻魔様の耳に入れば説教が飛び火しかねないし、酷けりゃ黒だと仕分けされるかもわからないから、あたしのためにもこれ以上の追求はやめてほしい。

 

 紹介と考えて起きながら躓いた出足、最近は読みを外したり騙されてみたりしていて躓きながら動いている気もするが、それは小町の話とともに忘れ、代わりにそうだね、別の話、今も騒いでるご近所さんの事でも少し振り返っておこうか。

 あたし個人の騒ぎは箱の破壊を堺に終息を迎えつつあったのだが、このご近所さんのせいで竹林全体が騒がしい。ご近所さんの内の一人は『怖いわーオカルト怖いわー』と、らしい事を口にしながら訪れる相手から姿を隠していたようだが、あたしと似たような髪色のもう一人、蓬莱人の方は流行りに乗ってオカルトボールを手にしているらしく、妹紅も妹紅で色んなやつから喧嘩を売られ、猛る焔で降りかかる火の粉を払っているのだそうだ。

 

 昨日の朝だったか、何処の誰とも知れぬ半端な妖怪を一蹴して落ち着いた頃を見計らい、あの不死者と少し話した。彼女から聞けた内容はこの竹林にも結構な人数が遊びに来ているって事。聞けばあの紅白巫女さんや、里の空で浮かんでいた船住まいの聖人なんかもボールを寄越せと遊びに来ていたんだとさ。彼女達とは決着つかず引き分けて終わったそうだが、出会ったのがあたしではなくて良かった。争いの場であれらの相手は流石に面倒だ、お祓い棒や独鈷杵を向けられたのがあたしではなく妹紅で、そこで帰ってくれて、その部分ではもこたんに感謝していたりする。

 

 そんな蓬莱の人身御供はモンペのポッケに片手を突っ込み、延ばすもう片方の人差し指に炎を灯しながら『人体発火なんてオカルトでも何でもないのに、なんで私まで巻き込まれるんだか』と、我関せずな世捨て人らしい物言いだったが、その語り草からは少し楽しい雰囲気も嗅ぐ事が出来た。死なずの姫と定期的に殺し合っているくらいだ、巻き込まれるのは手間と言いながらも存外楽しんでいるのかもしれない。

 

 それから、燃えているんだか呆れているんだかわかりにくい炎の蓬莱人に、身体から火を噴く人間なんてお前さんくらいのもんだから珍しい都市伝説と言われても仕方無いね。と、思いついたそれは言わずに大変ねと、同じく巻き込まれやすいあたしとして同意するだけに留めた‥‥下手な事を言えばボールの所持者とバレて、まかり間違えばおかわりのもう一戦なんてなりかねないしな。

 

 そんなこんなで賑やかしい幻想郷。

 こうも(かまびす)しいのはあの天邪鬼を追いかけ回していた時以来、いや、あの時の竹林はそれほど煩くならなかったからあの時以上に盛り上がっているな、そのお陰で眺むによろしいお戯れがどこでも見られるが、自宅周辺まで囂然(ごうぜん)たる空気に包まれては楽しむだけでは片づけられず。落ち着くべき我が家にいながら落ち着けず、暑くて余計に考えが纏まらないから水を撒いてはみたものの……靄はあたしの源で、賑やかな祭りも嫌いじゃない。定例的に殺し合う蓬莱人同士のやり取りは眺め、楽しんでいるしね。だか今は別、誰かの視界を烟らせて楽しげな誰かの声を聞くのはあたしも好むところだけれど‥‥

 

「屋根は冷えども周囲は冷めず、そうしてあたしに熱込もる‥‥ならいいか、さめる場所にでもお邪魔しましょ」

 

 今感じているモヤモヤはあたしの糧になるものではなく、それどころかあたしの気を散らすのみ。ならばよい、煙や霧混じりの妖怪として散らされては参ってしまうし、気を落ち着ける場所で落ち着けない事にも飽いてきたし、我が家で落ち着けないのなら別の場所で腰を据えるとしよう。

 意識を入れ替えるように軽く伸びをし、そのまま握ったホースを持ち上げ、僅かに汗ばんだうなじやら脇やら冷やして、うっすら溜まった鎖骨の水分払ってから我が家をあとにした。

 

~少女移動中~

 

 さめる場所なら水辺、湖は最近行ったばかり、それなら高いところにでも。

 そんな考えを巡らせながら飛んだ先は水辺でも、あんまり高くもないところ。熱気篭った頭で良い案など思い付くはずもなく、風に任せて向かって来てみたが、それでも落ち着ける場所には辿り着けた。

 どこかと問われれば濃ゆい緑が豊かに揺れる場所、あの河童連中の棲み家である玄武の沢にほど近い場所とでも言っておこうか。沢よりも涼やかさが感じられるところ、こちらにおわす御方の能力からなのか陰りも強くて、標高も妖怪のお山の中腹程度だが、余所より冷ややかさを肌に感じられて心地よく、静かに耽るには打って付けだろう。正確には一処(ひとつところ)ではなくこの方の周囲がこうなってしまうだけだから場所というより領域って感じだが、細かな事は捨て置いて。

 

「ねぇアヤメ? そろそろお昼時なんだけど、どうしよっか?」

「戴けるならなんでも、お任せするわ」

 

 煙管携え思考を早めるあたしの隣、腰掛ける大きな倒木にいるもう一人から問いかけられる。

 時間も時間だから何を食べるかって質問だろうけど、献立を考える暇があるのなら別の問題に思考力を向けていたい為素っ気なく返してしまった。

 それが面白くないのか立ち上がり、くるり廻るお隣さん。嫋やかな舞かのように翻ると、微かに聞こえる衣擦れの音に合わせ、ヘッドドレスや手首からひらひら流れる数本のリボンが視界で揺れ、嫌でも気を取られる。

 

「知ってる? 考え事っていっぱい体力使うのよ?」

「体感していた頃もあるけど今は減らす体がないから問題ないわ。でも、このまま放っておくと更に気が散らされそうね」

 

「耽る最中に気が散っちゃうなんて、今日は厄日なのね」

「厄日には違いないんだけど、雛様らしい冗談のつもり? あんまり上手じゃないわ」

 

「そういうのは疎いのよねぇ、でも、もうちょっと言い方ってあるんじゃない? 気晴らしに来たって言うから晴らしてあげようと思ったのに」

 

 元気づけてあげようかなって想ったのになぁ、笑顔のままで語る雛様。

 笑みの奥から少しだけ、あらあらってのが覗いていて、小さな困りを忍ばせている。

 ちょっと前、久しぶりと伺ってから今までずっと笑顔な厄神様、今のような悪態をついても朗らかでお似合いの顔を見せて下さる。お優しいその顔のまま里に降りれば人集りの一つくらい出来そうなものだが、出来上がった輪の中心に長くいられないのがお辛いところか。

 今時期というか、人里で流し雛を執り行う間くらいしか忙しい事などない方だから年中暇なのだそうだが、大概の人妖は別の流行り物に逸っていて、誰も相手をしてくれなくて殊更に暇、もとい寂しい思いをされていたそうだ。普段からまともに相手してくれる人が少ない方だ、そういった厄い思いには慣れていそうなものだが、多少慣れようが寂しい事は誰だって寂しい、厄を纏める雛様でもそういった思いの一つぐらいはあろうよ。

 

 それでだ、確かに、気晴らしついでに遊びに来たとは伝えたけれど、元気づけてもらう程凹んだりはしていない、はず。でもそう見えたというのならそうなのかもしれないな、気が散って気落ちしてと、そういった陰の気質も厄に含まれると仰られるし、そこを危惧して気を回してくれたのだから入れ替えるべきだな。遊びに来ておいて浮かない顔のままにいるというのはあたしもつまらんし、快く迎えてくれた雛様にも失礼か。 

 

「偶に遊びに来てくれたのに一人で悶々としてるだけなんだもの、私以上に厄が似合いそうな顔してるのは駄目よ?」

「そんな顔して‥‥たのよね、きっと。気晴らしに来たのに真面目な顔ばっかりしてちゃダメか、今日は何にするつもりだったの?」

 

「今日は魚を焼こうかなって、にとりがお裾分けしてくれたのがあるの」

「ふぅん、にとりがねぇ。売りつけてきたんじゃなくて?」

 

「そんな事言わないの。豊漁だったから食べてねって分けてくれたのよ。うん、確かに、ちょっとだけがめついところもある子だけど、あれで優しいところもあるのよ?」

 

 纏うドレスのフリルが如く、柔らかに微笑んで、器用に編まれた籠と添えられていたのだろう、濡れても問題なさそうな素材で出来た三つ折りを取り出し眺める秘神様。

 あたしが言った嫌味など意にも介さずふわりくるりと、抱えた籠をもったまま緩く浮かんで一回転。回ると広がる赤のお召し物、リボンも前括りの髪も流れて、流し雛の二つ名通りに愛らしい。

 けれど、あまり回られると中の魚が酔ってしまいそう、というか廻るそばから少しずつ周囲にあった厄を集めていて、このままでは旬のものが縁起の悪いものにでもなってしまいそうだ。

 それならここらで一旦休憩するかね、でないと旨い食材が不純な食材に変じてしまう、そうなる前に戴くとしますか。

 

 丁度燃え尽きた煙草の葉を腰掛け代わりの幹で叩いて落とす。

 カツンと鳴らして気を入れ替えて、あたしも並び立ち上がる。

 そうして二人で籠を覗くと中では元気に泳ぐ数尾、見るからに新鮮で採りたてホヤホヤな雰囲気が鱗で輝いているけれど、この籠ってばどうなっているのだろう?

 外から見る限りただの網籠、中で揺蕩うお山の水なんて網目から漏れてしまいそうだが‥‥まぁいいか、きっと河童の科学力とやらで水が抜けない籠なんてのを作ったのだろう、水を操る川の便利屋さんと呼ばれるくらいだしこれくらいは容易いのだろうよ。 

 

「そういうところがあるのは知ってるけどあたしにはあんまり見せてくれないのよね‥‥ひぃふぅみぃよ、いつむぅ、と。なるほど、にとりらしい数ね」

「あら、どういう事かしら?」

 

 要らぬ事は考えず籠の中身を指折りしていく、背の盛り上がった岩魚に山女魚、大きく目立つ斑点が美しい鮎を数え、ついで湧いた思いつきを口にしてみた。

 けれども先の通り疎いというか、普段から冗談など言うような方でもないから上手く伝わらず、すぐにネタの解答を求められた。

 

「割り切れる数だもの、現金な河童ちゃんらしいわ」

「あぁ! そういう事ね。やっぱりお上手だわ」

 

 欲しがられた答えを返すと懐っこい笑顔で褒めてくれるお雛様。

 屈託のない笑みで悪意がないのはわかるが、柔らかな笑み過ぎて幼子をあやすような褒め方に聞こえてしまって、むず痒く、ちょっとだけ気恥ずかしい。そんな火照りを冷ますように、籠に手を突っ込み、川魚を追いかけながら言い返す。

 

「褒められてるんだろうけど、なんか馬鹿にされてるみたいだからやめてほしいわ」

「素直に褒めただけよ? いつもならありがとって笑うだけなのに変なアヤメね。どうしたの? 何かあった?」

 

 更なる問いかけ、これには答えられず思わず手を止めてしまう。

 どうしたのかと聞かれても上手く答える事が出来ない。

 原因は理解している、考え事のせいだとわかってる、わかっちゃいるがそれを上手く口に出来なくてもどかしい……からそれを話すか、他者とあんまり関われない雛様、山で拾える天狗の新聞くらいしか周りの情報を得られないだろう方に話して明確な答えが得られるとは思わないが、一人でモヤモヤしているよりは気も晴れよう。

 手から逃げる魚が揺らす水面、時折ヒレが乱してくれる籠の中の鏡越しに話す。

 

「少し前から悩み事があるのよ、そのせいで気が散りっぱなしなの。雛様は今の流行りについて何か知ってる?」

「流行りってこの騒ぎ? にとりも話してくれたけど私はあんまり、遠巻きに観ているばかりだから。にとりからは外の世界から入ってきた都市伝説を利用した儲け話って聞いているけど、アヤメのはそうじゃないのね?」

 

「にとりからすればそうなんでしょうけどあたしの場合はまた違うのよ。その都市伝説、あたしが触れたのはコトリバコってやつなの。聞くけれど、何か知ってたりはしないわよね」

「ごめんなさいね、知らないわ。どんなものなの?」

 

 こんな物だったと語りながら煙管を燻らせ、吐いた煙で形取る。そうして成した贋作木箱にやっと捕まえた山女魚の中身、爪で腹裂き掻き出した中身を突っ込んで、こんな感じと雛様に放った。

 放物線を描いたソレを両手で受けると見つめる彼女。

 

「人と魚で中身が違うけどそんな雰囲気の箱よ、呪い殺したい相手の住まいに置いておくだけで効果を発する厄い箱なんだって」 

「そうなんだ、それはまた‥‥厄いわね」

 

 表情にお変わりはないが角度から顔に影が差す、それがもの悲しげで似合いの顔に見える。いや、見慣れている顔と大差ない朗らかなお顔なのだが日の差し方とお立場、後は扱う厄故か、そういった背景からなんとなくそういう顔つきに見えて、それがひどく似合ってしまって‥‥失礼ながらとても綺麗で、思わず見とれてしまった。

 

「それで本物は? 手に負えないっていうのなら――」

「そっちは大丈夫、もう壊しちゃったから」

 

「そうなのね、それは残念‥‥でも壊したのならもうないのでしょう? だというのに悩み事?」

「ちょっと回りくどかったわね、箱自体は解決出来たんだけど、その箱が起こしてくれた結果が腑に落ちないのよ。呪われ方がおかしいから納得出来なくて悩んでると、そう言えば伝わる?」

 

「そういう事だったらそれも話してみなさいな。私が聞いてわかる事だとは思わないけど、誰かに話せば楽になる事もあるし」

 

 顔を上げた雛様は笑顔なし、真剣に聞いてくれる雰囲気で問うてくれた。他人事だというのにこの方は親身になって聞いてくれてありがたい。好きだけど近寄れない、近寄ってはマズい人間達を強く想うくらいお優しい方らしい仕草だ。

 

「内に沸いた厄を払う祈願と思えば気楽にも感じられるか、雛様も興味あるみたいだしね、聞いてくれる?」

 

 穿った見方をすれば、厄に関わる物事っぽいから深く聞いてくれているのだと受け取る事も出来るけど、今見せてくれるお顔からは前者の優しさが溢れているように感じられた‥‥だからかね、素直に甘える事が出来た。そうして小さな吐息一つこぼした後、掻い摘んだものではなく、事の起こりから箱の終わりまでを細かに話し始める。

 

~少女説明中~

 

 まるっと話して、少しスッキリして。

 逃げる魚を安々追えるくらいに気が楽になり、捕まえ串を打った鮎達が起こした火に焼かれ美味しそうな香りを漂わせ始めた頃、互いに二尾目の背や腹を()み始めた頃合いに雛様がそういえばと口を開いた。

 

「そういえば雷鼓さんは? その箱が壊れたのなら呪は解けているのでしょう?」

「そうね、今はもう元気みたいよ」

 

「みたいって、帰ってきてないの? 呪詛でも返ってきちゃった?」

「まだ永遠亭にいるわ。体調は元通り、というかあたしが考えていたよりも軽くて済んだみたい」

 

「あら、それなら良かったじゃない、アヤメの話では深刻な状態だって聞こえたけど大事がないならいい事だわ」

「それだけならいいんだけどね、あそこの医者が原因がわからないのならまだダメって言って返してくれなくて、困りものなのよ」

 

 これも悩み事の一つ、寧ろこれが悩みの主題かもしれない。

 呪の原因である箱は壊れた、そうしてあたしの気苦労は減った、代わりに要らぬ難題が増えてしまっていた。それが今話した通りのお題、血反吐吐いて倒れた雷鼓、あいつがそうなった原因がわからないから帰せないってのが今悩みの大きなタネである。

 あたしも雷鼓も治ったんだからいいじゃないか、もしまた何かがあればすぐ来るから近いんだからと言ってみても、そうなってからでは遅い、今落ち着いているだけで再発するかもわからないからダメと、頭に載せた帽子の柄を傾けて語る名医さん。

 あたし目線、呪術的な見地からすれば呪術を放つ元を壊したのだから次はない、あっても雛様も仰られた呪詛返しくらいでそれは壊したあたしに向かうはずだと考えている。けれどあのヤクザイシ様は別の検知から考えているらしく、体調に関わるのなら何かしらある、その根っこを特定し根治出来ないのは預かった私が気持ち悪いからもう少し待てと、そう言ってくるのだ。

 

「それって八意さんがきっちり診てくれてるって事でしょう?」

「診てくれてるわ、雷鼓の見舞いに行った九十九姉妹までとっ捕まえて診てるみたいよ」

 

「捕まえてって、口が悪いわねぇ。いいじゃない、彼女達もその被害者なんでしょう? それなら万一があってもすぐに処置してもらえるんだから、寧ろ安心出来るんじゃないの?」

「まぁそうなんだけどね‥‥それでも、そろそろ退院させてあげたいのよ。見舞いに行く度につまらなそうな顔されて、そのまま袖摘まれたらどうにかしてあげようって思うものでしょ?」

 

 ほろ苦い鮎の腹を食しつつ、少し甘い話を漏らす。

 実際は三人共それなりに暇潰し出来ている、あいつらよりも更に暇している姫を相手に調律程度の演奏をしていたりして調子を整えているようだが、それでもそろそろ飽きた、いや、医者の目を気にせず存分に奏でたいらしくて、言うなれば不完全燃焼って感じで過ごしている。と、まぁ、これ以上こちらを話すとあたしがこっ恥ずかしくなるから切り上げて、今の話に戻す。

 既に話した中身の細部を追加すると少し考える素振りを見せてご馳走様と、魚ではなく別のものに向けて食事の終いを話された。それを切っ掛けに昼餉も済ませると、すらっとした人差し指を顎にあてがい、うわの空を見つめる厄神様。

 

 あたしも見習って同じ仕草を取り、考える。

 腑に落ちない部分、雛様に話したそれは箱の呪のかかり方について。

 一度は名前やら家やらこじつけて考えた、九十九姉妹だけに充てがうのであればあの説でも問題はなかったのだが、箱が壊れた今になり新たに気が付いた事があるのだ。

 あいつらが腹痛起こした頃合いには先の理由で痛めたのだと考えた、だがそれでは箱の効果としておかしいのだ。古道具屋で仕入れた用途に間違いはない。あの店主の事だ、あたしに偽りを伝えれば後が手間だって事くらい読めるだろうし、報酬として交換条件を出してくるくらいなのだからあの場では真実を語ってくれたに違いない。

 そしてそこが引っかかる、あたしは森近さんに見てほしいと頼んで店のカウンターに置いたはずだ。袖から出した箱とあたしを眺めそれぞれに目線を送ってくれた、冷静さの宿る金の瞳で品定めするような、冴えた色味の目線にちょっとだけあたしの少女心が惹かれたからハッキリ覚えている。で、売り言葉を並べながらも彼は鑑定してくれて、コトリバコの名前と用途を知らせてくれた。森近さん自身が『使用法は呪い殺したい相手がいる家に置くだけだ』と、カウンターに置かれたままの箱を眺め教えてくれたのだ、だというのにあの慳貪店主には呪いの効果は現れなかった、そこが解せんのだ。香霖堂は店であり彼の家のはず、であればあたしが箱をカウンターに置いた時点で呪が発動するはずだった、なのに森近さんはピンピンしていて問題なかった。

 

 用途に間違いはないはずなのに彼が呪われなかった理由とは?

 そして雷鼓や付喪姉妹が呪われた理由とは?

 

 これは推測だが、永琳が気にしているってのもこの部分にかかるのだろう、呪としてはこうだと説明しそこは理解されている、月の頭脳とまで言われたお人だ、あたしからの説明を一聞けば十理解するくらい訳ないだろう。だのにあの天才様は気になる別があるという‥‥そうしてその部分をあたしが気にしないわけがない、賢人がわからぬ問題とはなにか、難題に次ぐ難題ばかりで頭を休める暇がない。

 

「ねぇアヤメ? そのコトリバコって外の世界の都市伝説なのよね?」

「無縁塚で拾ってきたのと森近さんの話から考えれば外の物って事になるわね」

 

「? 言い切らないのね?」

「断定してもいいんだけど確定じゃないからね、で、なにか引っかかるの?」

 

「外の物だとしたら雷鼓さんや九十九姉妹に強く効いちゃったのもわかるかなって」

「うん? そう言えるネタが何かあるの?」

 

「昔の話だから正しいかわからないし、自信もないけどね」

「取っ掛かりになるならなんでもいいわ」

 

「それじゃちょっとだけ、雷鼓さん達の元って何か知っているでしょう?」

 

 それなりに古い和楽器だったと返事をすると、じゃあどんな? と返され、暫し悩む。

 本人達から聞いているのは元和楽器で結構古いという事、付喪神に成り果てるくらいの時を物として過ごしていたって話だったな。寺や霊廟で姿を見るお面の付喪神ほど古めかしい物ではないらしいが、外の世界の人間達の間で猿楽なんかが流行り始めた頃に作られたとか。で、暫くは能狂言だ歌舞伎だ浄瑠璃だので鳴り物として使われていたそうだが、いつしか使われる事がなくなり、大事にしまわれたまま忘れ去られた、気が付いたら文字通りのお蔵入りになっていたってのが雷鼓本人から聞いている話だけど、その辺りに何かが関わっていたりするんだろうか?

 というか人の暮らしからは遠い雛様が知っているというのが驚きだ、雷鼓の方はライブの写真撮影だのなんだので山に来たりしていただろうからその際にでも会ったんだろう、知っていて不思議はない、自身の宣伝のもなるし聞けば教えてくれるだろうしね。

 驚いたのは人の方だ、自慢じゃないがこのお人よりは人間の近くで過ごしてきたあたしだ、鳴り物関連の楽しげな流行り廃りであればあたしが知らず雛様が知っている事などあんまりないような気もするのだが。

 

「私が何を知ってるのって顔してるわ」

「あら、また顔に出てた? 失礼、悪かったわ」

 

「ふふ、いいわ。今のはそう思ってるんじゃないかなって感じたのよ、そういった――」

「懐疑な心、負の感情も厄の内って事ね、それで?」

 

「もう、口を挟まないの。昔は少し、そう、少しだけ人の暮らしに近寄ってみようと思っていた頃もあったのよ。その頃は神も妖怪も人の営みの中に在ったから私もちょっとくらいならって……そんな事を考えたりしていたの」

 

 少し前に誰かさんが浮かべていた顔、真面目で沈む雰囲気を含む表情と声で仰られる。

 そう考えて近寄った結果は聞かずともわかる、過去にそんな事をして色々とあったから今は人と距離を取っていると、そんな感じなのだろう。当時の話を聞くついでに聞けばお話下さるのかもしれないが、それはやめておこう。誰しも語りたくない過去や思い出したくない思い出くらいある、あたしにもあったし掘り返してどうなったかは身に沁みているので野暮な思いは飲み込んだ。

 そうして無言で、雛様から続きが話されるのを待っていると続く昔話。

 

「でね、その頃は浄瑠璃が流行っていてね。当時人気だった作者の初演があるなんて話があって、人間達が話題にしていたのよ、聞いた事はない?」

「ないわね、それっていつ頃の話?」

 

「そうねぇ、確か江戸の街が華やかになった頃よ。私がいたのは京の街方面だったとは思うけど」

「だったらわからないわね、その頃のあたしは引きこもっていた時期もあるから」

 

 なるほど、あたしが知らずに雛様が知っている理由はわかった。

 昔話で正確な年代はわからないが、その時のあたしは話した通りの引きこもり、愛しい姉さんとの大事な約束を破ったと気に病んで、いや、実際に心を病んでいた頃、内外の情報を閉ざして一人で忘れてくれと願っていた頃だ。

 まぁいい、あたしの事は捨て置いて話の方だ、雷鼓が太鼓だった話と今の話がどのように繋がっていくのだろう、悩みを晴らすの本命として、ついでに愛する鼓の過去話も聞けるのだ、ここは黙って続きを聞こう。

 

「アヤメが引きこもってたの? 想像出来ないわね」

「苦い記憶だから触れないでもらえるとありがたいわ、あたしの事はいいから続きをお願いしたいんだけど」

 

「あ、気が利かなくてごめんなさいね。それでその流行り物だけど、確か、堀川波鼓(ほりかわなみのつづみ)という演目だったの。内容はともかく題名には聞き覚えがあるでしょう?」

「そうね、聞いた事ある名前だわ‥‥その演目ってどんな内容だったの?」

 

「それがね、人気作家の初演だったから人が多くて、私は入れなくて。でも、これだけ人気なら再演もすぐで、他の舞台もあるんだろうなって思っていたんだけど……」

 

 ここまでは饒舌に過去の思い出を語ってくれた、けれどそこから先が出てこない。

 雛様の仰られた『だけど』から繋がる部分、それはきっと話しにくい部分なのだろうな、気を使ってくれているのか表情には出さない、ぱっと見では何も変わらないように見える秘神様。

 二つ名によろしく上手に隠して下さるけれど、その仕草が自然すぎて逆に不自然だ。言い淀むのだから態度や顔に少しは出る、出てしまうのが感情を持つ者の性だろう、だというのに穏やかなままにおられるのがあたしには不自然に見える‥‥しかし、つつく気にもならんな、あたしを想って思い出したくない事を語ってくれたのだ、その藪をつついても後味の悪い蛇ぐらいしか出てこないだろうが……そうはいっても気にはなる、だからここは邪推するだけ、勝手に思い込むだけに留めておく。

 

 先の話に続くのはきっとこんなところだ。雛様が人に近寄ってしまったから、厄を纏う神様が人の暮らしに近づきすぎてしまったから周囲の者に厄が移った。結果その演目は不人気になり潰れたとか、何か公演出来ない理由でも湧いてしまって再演されなくなったとか、そういった負の要素に満ちた流れになったのだと想っておく。

 ここから雷鼓達に繋げるならそうだな、初演で鳴り物として使われたか、再演で使われる予定でもあったが、その話は流れてしまい演目ともどもお蔵入り、そうして蔵の奥で忘れ去られて幻想へ、とこんな過程があったのだと結論づけておく事にしよう。

 

「それで――」

「そこまででいいわ、後はどうにかするから。ありがと雛様」

 

 そう? と横に倒れた頭に向かって十分と、あたしの頭を縦に倒す。

 ヒントとしてはここまでで十分、気晴らしに訪れた場所で悪くない聞き物となり上々だと言えよう。が、そこまでで抑えておいてほしい、口をついて出た永遠亭で思い出したがこの悩みは難題だったはず、あたしが好いてたまらない、解くに解けない難しいお題だったはずなのだ。これ以上ヒントを貰っては難易度が下がってしまって面白くない、解いた後の達成感と、あるはずの開放感を奪われてしまっては盛り上がらなくて困ってしまう。

 

「私に気を使ってくれなくてもいいのよ?」

「そういうわけにもいかないの、厄神様を邪険にするなんておっかない事出来ないわ」

 

「でもここまで話してしまったんだし――」

「クドいわ雛様。そういうのは閻魔様で間に合ってるから勘弁して。女の子ならそれらしく、いいところで切り上げてほしいわ」

 

 らしくしろと言い切ると見える、眉尻下げた困り顔。

 短かな時間に何度か見てるが、今のような困惑というのも厄に含まれるのかね、わからないがこんな顔の雛様も愛らしいから良しとしよう。

 元が愛玩される雛人形だったのか、忌み嫌われる流し雛の名の通りだったのか、それは知らんし掘り下げるつもりもないが、両手揃えて、風に遊ばれる左手のリボンを抑える仕草は言った通りの女の子らしいからそれでいい。後は秘神と呼ばれる方らしくこのまま黙って秘密の一つくらい持ったままいてもらいたいのだが、そこは敢えて言わず、あたしも女の子らしい仕草で伝えよう。

 

 何か話しかけたお口、小さく開いた神の口に向かい人差し指を立てて寄せる。柔らかな唇に触れるか触れないか、そのくらいまで近づけてから、そこから先は秘密だと、態とらしく間を伸ばして言ってみた。

 すると微笑むお雛様、今度は勘付いてくれたらしい。

 イイ女なのだから秘密の一つや二つは持っている方がいい、だからその秘密(ヒント)は語らず黙っていてくれと、そう込めた心は伝わったようで。見せて下さったその嫋やかな笑み顔には忌み嫌われるどころか愛でられる雰囲気、大棚に飾られるべきお人形さんらしい要素が含まれている気がした。


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