手にした木箱、古道具屋で譲ってもらった紐で括り、ぶら下げられるようにしたソレを軽く放り投げ、緩く背伸びし、高い位置でパシッと受けて。右手に収まる接ぎ木の小箱『コトリバコ』を掲げつつ、左のいつものを咥えて、手元を見つつ一息入れる。
大きく吸い込み深めに吐いて、携える何やら面倒な箱を包んで隠してしまうようにしつつ、これからどう動いたものかとお隣さんに問うてみる。けれど助言や欲しいお返事などはなく、無口なお隣さんは緩い顔で静かに遠くを望むのみ。同胞なのだから困った時くらい助けてくれてもいいのに、そんな思いを込め睨むも隣は黙ったままで、持ち主に似てつれない雄だと感じるのみ。
お前さんも見た目狸なら動くなり話すなりして化かしてみせろ、と、そんな事を小さく呟いても見ざる言わざる聞かざるを貫く店舗前の狸さん。まぁそうよな、お前さんは
さて、あたしが今何処に居るかは察しの通り、未だ流行らない古道具屋の前にいる。
手元のコレ『コトリバコ』の名称と使用方法はわかった。
求めた答えは得られたのだからここでの用事は済んだ。
この店で買える情報は仕入れ終えたのだから移動してもよいはずなのだが‥‥なんというか、これ以降どうしたらいいのかを決めあぐねてしまい、次に向かうべき場所が浮かぶまでは動けずにいたりする。見る人によっては、面倒くさがりなあたしの事だから手探りが手間で動かないのだろうだとか、そう見られても致し方ない状況ではあるが、これでも次になにをすべきかは理解しているつもりだ。理解しているからこそ今後何処に向かうべきか決めあぐねているのだ。
この箱がなんなのかわかったのだから次は対策を、これがあたしが優先すべき事。
であれば次なる調べ物が出来る場所へ行くか、手掛かりを探しに向かうのが良い。
そんな事もわかっている、言われずともわかっちゃいる。
急がば回れと感じる部分も大いにあるのだけれど、変にあちこち動いて周り呪い振りまいて何かの異変だと思われれば余計な手間が増える事必死であるし、下手に遠まわるより何か考えついてから行動したほうが合理的だと思えてしまって、この箱が持ちうる性質のせいでそうしていいのかどうか少し悩んでいるってのが現状だ。
『君は‥‥まだいるんだね』『営業妨害のつもりかな』
少し前に店舗の窓越しに目が合ったあんまり動かさない口を動かしていた古道具屋からこんな事も言われちゃいるがソレは気にせず、別の方、彼から仕入れた話をそれっぽく飲み込み考えれば、コレは他を殺める
動けなくなる前、店を出てすぐには一応の案はあった。
順序がズレるが少し話すと、二つ目に浮かんだのは人里に行こうって案。
気になる事があるとリンリン騒ぐあの娘っ子にもしもがあれば悪い。
そんな心もあるにはあるが、極論を言うとあの店主がコレで死のうが死ななかろうが別段どうでも良い気もしている。少ない眼鏡仲間であるあの子を失うのはちと惜しいが、あたしの鼓と天秤にかけてやるほどの愛着はないし、里に住まう人間ならば放っておいても妖怪に殺される事もあるのだからと気にかけてはいなかった。
それでも候補から外したのはあの店が敬愛する姉のお気に入り一つだから。態々化けてまで訪れる暇潰し先があたしのせいで潰れるなどあったとしたら、儂の楽しみが減ったのぅ、なんてしんみりされてしまうかもしれないと思えてしまって、次の場所候補から外さざるを得なかった。
因みに姉さん御本人を頼ろうとはまだ考えていない、あの御方は本当に手詰まりになってしまった時に頼れるあたしの最後の
それなら別の場所で調べれば?
あたしの可愛いお友達が住んでいるからあの妹にもしもの事があればまたあたしが傷つく。
そしてそうなってしまった場合には妹を溺愛する姉兼友人にエライ恨まれる。
ついでに珍しく気に入っている人間な従者も面倒な事になるし、氣を使う事に長けた門番に入る前に悪い気を読まれ拒まれそうだ。と、そもそも全員あの屋敷の住人だからマズイだろうと、そんな読みが候補から外した理由の諸々だ。
ここまで挙げて二人足りないじゃないかと言われそうだが、残った二人についてはなんの心配もしていないから挙げなかっただけだ。図書館の主は生来から真っ当な魔女で、中途半端にカジッただけのあたしよりもこういった呪術には詳しいはずだろうし、お付きの羽根付き司書殿は呪術や魔術で呼ばれる側の者だろうから人間が作った程度の呪でどうにかなるはずもないと、そう思えるから気を配る事もなかった。
で、そういった物事に詳しいあの二人のどちらかと会えれば何かしらの対策が浮かびそうなのだが、あいつらが屋敷の敷地外に出る姿など見た覚えも聞いた覚えもないし、外に出るくらいなら篭って研究に没頭するタイプだと思えてしまうし、身体が弱いと聞いているから変わりやすい気候の下に出てこられて、雷鼓と違うモノを原因として目の前で血反吐吐かれる流れになっても手間が増えるだけだからと、頼るのは諦めていた。
それなら我が家に一旦戻り、箱を置いて訪れればいいのでは?
持ち歩かなければ何処に行っても問題なかろう。
一番最初に浮かんだ考えがコレだが、これは一瞬でダメだと悟った。
家主で、本来であれば真っ先に呪われるはずのあたしは元気だが、今は元気というだけで戻って不調になる可能性もなくはない。吐く血液も呪い殺される肉体もとうにないが、それでも殺される可能性を考えついてしまったから戻るに戻れなかった。
この箱は『その家の者を殺す物』という用途だと聞いた、この効果が単純に相手を殺すだけ、肉体的な意味で死をお届けするだけだとしたら帰宅しても問題はないだろう。だが仮に『殺す』というのがこの世から存在を『消す』という意味合いであったなら、と、そんな事も脳裏に浮かんでしまって、逃げるの大好きで雷鼓以上に我が身がとても愛おしいあたしから態々戻ってみる勇気など湧くわけがなかった。
と、これだけだと格好悪いから真っ当な理由もいくつか述べておこう。
単純な話、あたしの居らぬ間に誰か、我が家に顔出す誰か達に何かあればあたしが困るからだ。
相手がどうでいい
本命にはもう少し掘り下げた考えがあり、それ故に帰れない状態だと確信出来ているからな。
それで、勿体ぶった本命を語るのならちょっと前、雷鼓が倒れた時間の話に戻る。
あの時は我が家を雷鼓の家と言われその場の誰もが否定はしなかった、つまりは雷鼓の家だと皆で認めた、きっちりと
確認すべき事でもないが、正しく言うなればあの家はあたしの家であって厳密には雷鼓の家ではない。寝食を共にする事も多く実際住んでいるが、ってこの考察に掛かってくる部分ではないから割愛する。重要なのは家ではなく名前の方だ、あの家はあたしの住まい、つまりは『囃子方家』であって『堀川家』ではない、であるのに呪が向けられるべきあたしは変わらず元気なままで、雷鼓の方だけ呪を浴びたのだ。
これは一体どういう事か、既にあたしが死んでいて殺せないってのを差し引いても『囃子方』の者ではない『堀川』が代わりに呪いを受けるなど在り得ない。意志のある誰かがそう念じて行ったというのならわからんでもないが、今回の場合は意思なき物がそうあるように放った呪いだ、であればそういった作用があるだけで作り手が込めたモノ以上の事を『コトリバコ』だけで出来るとは到底思えない。
この箱が付喪神にでも成っていて自我に芽生えているというのならわからんでもないが、生憎それらしい力も感じない。だのに効果は及んでいるのだ。ここがどうしても解せなくて、どれほど頭を捻っても答えの出ない部分で気がかりとなってしまい、我が家へ帰るに帰れない理由となっていた。
「さて、どうしようか」
意識せずに出たボヤキ、聞いてくれる相手は無口な同胞だけで、返事は当然ない。
真顔で独り言など言って、あたしは何をやっているのか?
店にいた辻斬りにはらしくないと背を押したのに、言った己は動けずになんてザマだと自己嫌悪。古道具屋の店主相手にはいつものあたしらしい雰囲気で話し笑う事が出来たのに、一人になるとまたクソ真面目な顔に戻る自分が嫌‥‥なら笑える事を考えてみるか、この辺りでまた気分を入れ替えておくとしよう、それなら何がいいかね狸さん?
ぽわぽわ流れる煙を見ながらお隣さんの視線を追う。見つめる方向は
やっぱりダメだな、多少のヒントを得られたくらいでは手探りが過ぎて良い案が出てこない。それどころか成したい事とは真逆な考えしか浮かばないとは、企む側の者の割に対案が出てこないなど本格的に焼きが回って……うん? 真逆か、そうだな、そうしてみるか。解決策が浮かばないなら浮かぶよう、考えをひっくり返し一つ試してみようかね。
久しぶりに湧いて出てきた天邪鬼な心、それに身を任せてみるのも一興だろう。
~少女移動中~
進む途中で雨は止み、立ち込めていた霧のほとんどは掻き消えた。
あたしとしては間逆なお天気、降るよりも濃ゆい夜霧にでもなってくれた方が調子に乗れて都合がいいが、ひっくり返した立場からすればこうなるのもよかろうと思い込み、泣き止んだ空に向かい舌を出して微笑むだけに留めた。上げた顔を下げると揺れて見える水面には嫌味な笑みを浮かべた自分の顔がうっすら映り込み、ちょっと思考をひっくり返しただけでこうも気が楽になるかと、湖面に映る己の顔を更に嗤い笑みを強めた。
今の訪れ先は古道具屋から
弱々しい風が吹く雨上がり、湖面は静かに揺蕩うだけで、ぼんやり見ていると心を落ち着かせてくれる。これで雲が晴れてくれれば綺麗なお星様やお月様を反射して見目良い景色になってくれたのだけれど、あいにく今宵は無月のようで。流石にそこまではひっくり返らなかったか、そうなってしまったら都合が良すぎて幸先が悪いしコレもヨシかな、と、見えない月や星々の瞬きをかかる雲の奥に感じるだけに留め、静かな湖畔をのろのろ歩く。
長く注いだ雨に濡れ、葉先に涙を貯める雑草を妖怪のお山から下りてくる
すると見えるは一度来訪を諦めた血の色をした屋敷、これからはいる予定の赤い館が視界に入る。この天気ではあの姉妹も外に出られず暇だろうな、いや、妹は元々引き篭もりがちだし問題ないか。なんて事を考えつつそこに向かって歩を進める、乗りきれない気分はひっくり返して浮かばなかった事として、成り切れない天邪鬼な誰かさんを真似て気にせず進む。
少し前にはまずかろうと案じたが、魔女殿が虚弱だって事は常日頃から不調だって事だと、であれば吐血にも慣れているはずだと、そのようにひっくり返して今晩訪れてみた次第。一度返すとスルスル言い訳が浮かんできて、偶に咳き込む姿はあたしも見ているから大丈夫なはずだ、そうなった場合の対策も知識を貪る種族らしく詳しいはずだから問題ない、呪を浴びてもあの魔女は『家』ではなく『図書館』の主も兼ねた屋敷の者だから死ぬほどの効果はないかもしれんと、そんな案があたしの背を押してくれて、足取り軽く歩めていた‥‥
が、軽やかな足は湖畔を少し歩いて止まる。
屋敷には入らずあの図書館にだけ入るにはどうすればいいのか?
そんな単純なミスと、茂る林から聞こえた少しの騒ぎに気が付いて、ノリと勢いだけで動かしていた足を止めてしまう……
「煩い」
不意に聞こえた黄色い音。
助けてくれぇと叫ぶ誰か達の悲鳴。
野太いのと甲高いの、二種類の声色が不協和音となってあたしの耳に響く。
「人が考え事してるってのに」
声の聞こえてきた辺りを眺めていると、茂みが揺れて影が動く。
背の高い夏草をザワザワ鳴らして出てきたのは見た目質素、というよりも着乱れているって感じか。上半身だけ曝け出した一人は髭蓄えたいい年の男。もう一人は連れ合いよりも年若い女でこちらは帯を解いて襦袢羽織っているだけ。
躍り出てきた二人とも召し物を開けさせたり履物を脱いでいたりして、こいつらの見た目の雰囲気からは、静かな夜にしっぽりと湖眺めて濡れ場一勝負でもってのが透けて見える。同時に吊り合わない年齢からは不倫な空気ってのも見受けられるが、盛る夏場を目前にして春な行いにお盛んとは正真正銘妬ましいな、あたしのお相手はそれどころではないというに。
「静かな夜に騒がしいのよ、もう少し景色に似合うようになってくれない?」
ドタバタ、文字通り形振り構わない形相でこちらに向かってくる奴らに言い放つと、逃げてきたこちらにも妖かしがいたと驚く二人。
慌て方や怯えっぷりから既に襲われている最中、あたしと出会う前から誰かに狙われているってのも見て取れる、って誰かなんて言うものでもないか。この湖で人を襲うような者など数える‥‥くらいはいるのか、人食い宵闇は当然として氷精も悪戯仕掛けるだろうし、紅魔館の連中も食材仕入れる事もあるのだろうし。襲わないかもしれないと思えるのは半分魚なお姫様くらいかね。いや、あの子に至っては寧ろ襲われる側かもしれんな、袖や尾ひれを靡かせて水中を進む姿を見れば大きな魚、誰かが流した噂にある霧の湖に住まう大魚っぽく見えなくもないから大物狙いの釣り人に獲物と間違われてしまう事もありそうだ。
「待て~! わたしのごはぁん!」
そうやって、目の前の男女をほっぽり出して妄想を繰り広げていると、女の手を引いて走る男の背後が騒がしくなる。
ガツンゴツンの度に痛いと騒ぐのが木々を揺らし向かってきてあちらもあちらで賑やかしいが、騒がしくなる周囲とは真逆に景色の方は更に暗く、音と共に濃い闇へと染まり始めた。
「 あ、イタ! 痛ぁい!」
姿を見せたのは、いや、物理的に目には見えないからこう言うのは違和感があるがそれはソレとて。人間二人の後ろから真っ黒い玉っころが現れた、というのも何か違う気がするが細かいことはいいな、ともかく黒いのが愚痴りつつ揺れ舞い現れる。
捕まったらイタダキマスされる鬼ごっこの鬼役が来たか、衝突音から察するに相変わらず周りが見えていないんだな、そう案じつつ眺めているとすぐに聞こえる別の音。
バクン。大きく開いたナニカが閉じ切り断ち切った、そんな勢いのある音と共に飛ぶ赤い水飛沫と千切れた男の布切れ。張った風船が割れたような勢いで、黒い玉に飲まれ消えた男に代わり真っ赤な血飛沫と、着ていた着物が端切れとなり闇から周囲に飛び散った。歯切れ良く咀嚼しながら布だけ吐くとは器用なもんだ、頷きながら見ているとあたしの袖にピッと飛んで来た鮮度の高いおすそ分け。それを指で軽く撫で、そのまましゃぶりつつ思いつく。
なるほど、こいつらは人喰い妖怪に追われていたか、出くわして追い込まれ逃げてきたものの、もう一人の妖怪であるあたしを見て慄いてしまい、断末魔を上げる暇もないまま食われたってか。なんとも、女を食いに来て別の女に喰われるなど晩年に随分モテた男だったな。
齧られて上半身のない、食べ残された下半身が倒れる。
と、今し方まで繋いでいた手を真っ赤に染めて、闇夜を劈く叫びを響かせるもう一人のご飯。
静かな夜に喧しいから、さっさと静かになるか若しくは黙ってくれないだろうか。
「さっきから喚かないでよ、鬱陶しい」
「ん~? なんあ言っあ?」
「あんたに言ったんじゃないわ、口に物を入れたまま話さないで」
腰でも抜けたのか地に膝ついた女に問うと、ボリボリ鳴らしたままの舌っ足らずな闇っころから代わりのお返事が来る。咀嚼途中で話すなどはしたない、見えないからいいけれども、口内に食物を含んだまま話されると音が気になり、ついつい窘めた。
そうやって言い返し夜露と泥に汚れてしまった女を見下ろすと、先には黄色い声を轟かせた口を開きこちらからも何か言ってくる素振りが見えたので、これ以上騒がしくされても耳に痛いだけだと、すっかり青白くなって色変わりに忙しい女が発する声を逸らし黙らせる。
軽く逸らしてやると己の声が聞こえない違和感が気持ち悪いのだろう耳を抑えて口をパクパク、池を泳ぐ鮮やかな鯉のような姿を見せる。自分の叫びが周囲に響かず己にすら聞こえない事にまた驚いたのか、慌てて這いずり逃げようとするも女の伸ばした手は地面から逸れたように滑り、突っ伏してそのまま立ち上がれなくなる。
「食われに来たならそれらしくなさい、喰ってもらえるまで待ってなさいな、意味合いと相手が代わっただけで変わりないわ」
違うなら次がないくらいか。言い切ってから思いついた事は言わず、動くに動けず顔だけ上げる者に言ってやると訴えるような目を揺らして見せてくれるが、あたしにそんな視線を寄越されても、ねぇ。土壇場で助けを乞うならそれに見合う相手にお願いしたほうがいいぞ、あたしは寧ろお前を追う側の者だ。
伸ばされる手と見上げてくる顔に向かい穏やかに微笑みかけると女も小さく微笑んだ、諦めの笑みを見せる余裕があるならもうちょっと頑張って赤いお屋敷にでも駆け込んでみればいいのに、あのお屋敷には一応人間に属する娘がいるから助けてもらえる‥‥事はないか、あそこに辿りつけたとしてもここに残ってもお前さんの結末は変わらないか、収まるお腹が代わるだけだな。
「どこいったぁ?」
ルーミアのように生のまま齧る方が旨いのか?
紅魔館で出てくるらしい調理された姿を食した方が味わい深いのか?
比べた事もないしわからんな、なんて先程までとは別の考え事をしていると動きを見せる宵闇さん。真っ直ぐこちらへ、獲物に向かってくるのかと思えば、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしてしまって、動きも物言いも酔いでもしているかのような動き。冥々した妖怪が酩酊した動きをするなど中々悪くない冗談だな、って笑っている場合でもないか。
そっちじゃない、お前のディナーはここだと、夕餉探して彷徨く玉にご飯はここだと指差して示すが『どこー?』と言いつつ更に離れていってしまう黒いヤツ。そうだった、そういやアレは真っ暗で周りが見えないんだったか、それでも声のする辺りに向かってくればわかりそうなものだが、あぁ、女の声はあたしが逸らしたのだったな、なら少し誘導してやるかね。
「そっちじゃないわ、こっち。ここよ、ここ」
目の前の食べられてもいい種類の人間が放ってくれる恨みがましく心地よい視線を浴びつつ、こっちにおいでと声で招く。すると寄ってくる闇っころ、目の前が暗くなると同時に強く感じていた熱視線は消えた。
生気の消えた顔や瞳、しどけない人の形が取り憑いた黒いモヤモヤに飲まれ見えなくなる。
代わりに聞こえるガリボリ咀嚼音。
それに合わせてビクつく足。
さながら活造りだな。
「あれ? まだいるの? もっと食べられる?」
獲物の末路を眺めていると夜にクッキリ浮かんで目立つ黒い玉っころ、目の前一杯を埋めるソレから何か聞こえる。
こいつ二人喰ってまだ足りないのか、小さな少女の姿に似合わず大食漢な事だと思うがまだとはなんだ、あたしを
「どこに目をつけて‥‥変な事言う暇があるなら出てきたら?」
「んあ?」
眼前を埋め尽くす真っ黒に言い返すと、少しの間を置いて闇が晴れる。
夜の闇よりも暗い黒が消えると、中から出てくるのは明るい少女。
いつものように両手を広げ、まるでどこかの偶像が貼り付けられたような姿で浮かぶ彼女。狩りの最中くらい闇から姿を現せば捕食するのも楽になるだろうに、そうしないのは闇の妖怪としての矜持かね?
いや、ぐうたらなこいつの事だ、ただ面倒なだけなんだろうな。それでも、明かりのない新月の夜には少女の姿で漂っている事もあるのだから常からそうしていれば‥‥と、読むに読めない闇の腹づもりを解いていると顔を合わせての会話となる。
「なんだぁ、アヤメだったのかぁ」
「そ、あたし。ご飯と一緒にしないでよ」
一緒くたにすんなと返しつつ、あたしの着物に飛び散った赤いのを撫で消していくと、鬼灯色した瞳の色を口元や襟元にも移して、ニカっと笑う宵闇さん。
真っ赤なお口の端から雫を垂らす少女になんだぁと、残念さたっぷりに言われてしまうが、さっきのまたと言いなんだとはなんだ、もう少しなんかあるだろ。例えばそうだな、狩りのお手伝いありがとうだとか、何時ぞやは世話になっただとか、後は‥‥特にないか、普段からそれほど絡んでいる相手でもないし、仲良く語らうような間柄でもないからな。
「とりあえず食事を済ませたら?」
「あ、そうだった。久しぶりのご飯だし、残さずイタダキマスしないと」
あたしに向かっていた気を逸らし、じゃないな。
特に狙ってはいないから今のは単純にルーミアが忘れていただけだろう。
それはそれと流して、食べるなら食べる方に集中した方がいいんじゃないかと聞いてみると向き直り、先程までとは違う、見た目に似合う少女らしい姿で少しずつ貪っていく。まずは半分残った男の方に戻り、華奢なお手々を突っ込んで、白の長袖を赤々と濡らしながら、引っ張り出した中身を頬張り満面の笑みを見せてくれる。
随分美味そうに食べて、いい年の男なんぞ喰って、そんなに美味いものかね?
久しぶりだと言うが、それでもあの年代の男性は見た目も味も脂っぽいような感じがして生憎あたしの好みではない、どうせならもう一人の方がまだ‥‥
「あ、アアエはおあんあえあお?」
好みについて案じるあたしによくわからん言葉が届く。
頬袋をもつ動物上がりでもないくせに口一杯に食べ物詰め込んで、小さな頬をパンパンにしたまま言ってきてくれる。男女というか年齢からくる味の違いなんて些細な考え事をして、一瞬目を離しただけだと思っていたが手を付け始めたエモノはもう殆ど残っておらず、結構な勢いで喰ったらしい、血溜まりに跡だけが残っているみたいだ。面倒臭がりな割に旺盛な事だな。
「だから、頬張ったまま話されても何言ってるのかわからないわ」
「んくっ……アヤメはご飯食べたの? って」
「そういえば‥‥昼から何も食べてないわね」
「そうなの? う~ん……一緒にごはんする?」
大きく飲み込みちょっと悩んで、なくなった目の前ともう一つのご飯を見比べてから首を傾げる少女。緩く吹く北風に髪を靡かせて、切なげな声色で食べるか聞いてきてくれるけど、誘う仕草として見せるならそんな顔を見せるべきではないんじゃないかね。いや、この場合はあれかな、自分の取り分は減ってしまうけどおすそ分けしてあげてもいいとか、そんな風に考えたってところか。しかしどうするかね、嫌いってわけじゃないが好んで喰うものでもないし‥‥
悩み顔の少女を習い少し傾ぐと音が鳴る。
傾けた首からコキッと、ではなく、小さく鳴るのはあたしのお腹。
「お腹減ってるならいいよ?」
「でも取り分減っちゃうわよ?」
「そうだけどいいよ、ちょっとあげる、手伝ってくれたし……ちょっとだけならいいよ?」
「手伝ったつもりもないんだけど……そう言ってくれるならそうね、少し戴くわ」
期せずして獲物の前に立ち、通せんぼしたあたし。
形からすりゃ手伝った形だが言った通り、あたしにその気はなかった。降りたのは偶々として、さっきの足止め自体そもそもルーミアの食事補助ではなく、お預け食らってしまっているあたしの前でこれから情事に励もうとした連中が面白くないからなんとなくノリで八つ当たりしただけだったが‥‥まぁいいか、珍しいお相手からの折角のお誘いだ、惜しみながら譲ってくれるのを無碍にするのも悪いし、ここはおこぼれに与ろうかね。
そよぐ
~少女達食事中~
「ゴチソウサマぁ」
食事の終わりを口にしつつ、もうちょっと喰べたいなぁと腹を撫ぜるのは隣の少女。
真っ白な袖は当然として着ている黒い召し物まで赤黒くさせて、あどけないお顔の方も唐紅に染め上げて、ぱっと見では宵闇の妖怪なのか真紅の妖怪なのかわからない姿のままご満悦といった表情で、食後にこちらを見てくれる。
ご馳走様したのだから洗うなり流すなりすればと思うのだけれど、程度の差こそあれどあたしもあたしで似たようなものだから何も言わず、並んで食後の一服を済ませていた。
「お粗末さまでしたでいいのかしらね、この場合」
「なんでもいいんじゃない? はぁ、ひさしぶりのまともなご飯だったわぁ」
「そうね、なんでもいいか。何時ぶりなの?」
「ん~? 一週間くらい? アヤメもちゃんとご飯食べないとダメだよ?」
煙たいお小言代わりにタバコ吐きかけ話しかけると、全く気にしていない少女からお返事が来る。真っ赤に潤う頬を緩め久しぶりの食事だと話してくれるがそうはいってもだ、あたしの方は彼女が言ってくれた通りちょっとだけ、どうぞと抜き出してくれた臓腑と片足をちょいとつまんだだけで、ルーミアのように全身染まるワイルドな食事とはならなくて唇に血化粧施した程度。
「結構長いわね、その間何も喰べなかったの? ただでさえちっさいのに痩せてなくなっちゃうわよ?」
「どこ見て言ってるの? おやつは食べてたよ? 鹿とか、熊とか」
「おやつにしては獲物が大きい気もするけど、それで足りないって本当良く食べるわね」
「だって好きじゃないからね。おやつはつまみ食いしておしまいだもん、ちゃんとしたご飯は久しぶりだったの」
朱鷺はまだ美味しいほうだったかな。
そう言って笑う宵闇に、食通なのね、と皮肉を言うと、今日のアヤメと一緒だね、なんて差し出されたモノを軽くつまんだだけのあたしに対する減らず口が返ってきた。
軽やかに笑って言い返されたから面白くなくて、あんな狩り方をしていれば久しぶりにもなろう、食事時くらい周りが見えるように闇の衣を脱げばいいのに、そうせず動けばまともな狩りなぞ出来るわけがなかろう。とは思うだけで口にせず、今日は食べられて良かったわねと同意するだけにしておいた。
返答聞かせると頷いて、何度もごめんねと綻んで話してくれる闇っころ。顔を合わせる度に手助けしている、されているって雰囲気が見られる言われ方だがそんな事はない、あたしが手を貸した事など数えるほどもなくて心当たりも当然ない。ついつい急に何を言っているんだこいつってな顔で見返してしまう、と、続きを語る宵の妖かし。
「また助かっちゃったね」
「またって、何かしてあげた事なんてあった?」
「ほら、ちょっと前にもあったじゃない」
「前?‥‥あぁ、連れって行ってあげてって押し付けられた時の」
数歩離れ、静かな湖畔で手の赤を流す宵闇の背中と話しつつ、そういやこの地でそんな事もしたなと思い出す。
そういえば少し前、巫女に襲われたこいつを永遠亭に連れて行った事があったなと、あの時の治療代金はこいつではなくあたしに押し付られたのだったなと、食後の一服済ませながら思い出せた。あの日は治療代代わりに荷物持ちさせられて、出かけた先ではあの小さなスイートポイズンに身体まで散らされてそれなりに面倒な日になったが、あの時のお人形遊ばれもヤクザイシとの外出も存外悪くないもので楽しめたから、元凶となったこいつについては完全に忘れていた。
「覚えてたのね」
「ん、なぁに?」
「なんでもないわ」
しかしルーミアが覚えているとは思わなかった、あたし以上に面倒くさがりなこいつの事だからてっきり忘れていると思い込んでいたが、巫女にやられて湖で溺れかけた事は本人も覚えていたらしく、今宵のおすそ分けはあの時の感謝代わりって意味合いもあったらしい‥‥にしては分け前が少ないような気がするが、相伴に文句を言うのも非礼に過ぎるからそこは言わずに咽んでおこう。
「う~ん、やっぱりもうちょっと食べたいなぁ」
お手々を洗って戻った少女があたしの顔見て軽くぼやく。
つい今し方まで似合いな宵の空気を浴び、野性味溢れる食事をし、五本箸で丸かじりして楽しんだようだったがどうにもまだ満ち足りないような言いっぷり。食事を済ませ真っ赤な手は流したけれど、口や顔は拭わずに綺麗な血化粧を施したままで、姿にお似合いな呟きを吐く。
「そんな物欲しそうな顔で見られても困るわ」
「でもなんだか美味しそう匂いがするのよね」
「あたしから? 生憎好みの味はしないだろうし、喰われてやる肉体もないわよ?」
「アヤメじゃなくてね、なんて言うの? 雰囲気?」
「美味しそうってのが女としてなら嬉しいし褒め言葉として受けるんだけどそんな空気じゃないわね、どういう意味かしら?」
「なんかね、臭うの、ごはんの匂いがするの」
「まぁ、そうでしょうね、御相伴に与ったばかりだし」
「うんとさ、そうじゃなくて。アヤメの方から別のご飯の匂いがするのよね」
別とはなんだと聞いてみると、リボンと同じ色合いに染めた金の毛先を揺らし、ソレから漂ってくるのよと視線を落とされた。あたしの顔を見ていた目線はそのまま下げた袖の方、右の肩からぶら下げている徳利、じゃないな、その隣で揺れている木箱に向いている。
「ご飯ってコレの事? ルーミアの口に合うような代物じゃないと思うんだけど、獣は好きじゃないんでしょ?」
目線を追って言い返すと、そうだけどそうじゃないなんて言ってくる。
コレから美味しそうな匂いがすると言うけれど、そんな匂いするかね?
それなりに鼻の利くあたしが嗅いでも口にした通りで、獣の血の匂いくらいしか嗅ぎ取れないのだけれど。
「色々混ざった臭いがするからよくわからないんだけど、その箱の中に何人分か入ってるよ」
「コレの中に?」
「そうそう、それの中に」
「ふぅん……そうなのね」
考え事をしながら態とらしく揺らすと、箱の動きと同じ流れで目線を流す人食い妖怪。
猫じゃらしに向かう子猫のような眼が少し可愛らしく軽く笑ってしまうと、ちょっと貸してと手を差し出してきた。
「物臭なあんたが気になるなんて珍しい事もあるわね」
「物臭ってヒドイなぁ」
「なら怠け者って言い換えてあげましょうか」
「アヤメだって似たような感じでしょ、厄介者だって言われてる人に言われたくないわ」
あたしはまだマシなはず、それにこいつよりは動くし、今のも事実を言ったまでだ。
誰が言ったか知らんが、襲われてくれる人が減ったと嘆くこいつに待ち伏せを提案した誰かがいて、その案を面倒くさいの一言で片付けるこいつなのだから物臭少女で間違いはない。
ヒドイ事なんて何もないはずなのだが、しかし厄介者か、こいつの食事じゃないが久しぶりに言われた気がするな。こう言われるのも何時以来だろうか、生前はよく言われていてその度にほくそ笑んでいた気がするが‥‥なんてのは今はいいな、思考が逸れるとキリがないし、霧の晴れかかる湖にいるのだからこの頭の靄は晴らさず飲み込んで、伸びてきている手に反応しよう。
突き出される手を見て、生きている妖怪の手に置いて大丈夫かなと、そんな考えも浮かんだ為少し躊躇してしまったが、こいつはもとより宿無しさんで住まう家がないというか何処か一箇所に居を構えているって話は聞いていないから大丈夫だろう。もし不調になればまた永遠亭に持ち込んでやればいいだけだし、ちょいと利用させてもらうとするかね、人を捕って喰う妖怪が人の呪いに喰われる事があるのか見るために、試し者とするには丁度いい相手だ。
「あ~、やっぱりこれだ! これから匂ってくるんだね」
見たいならホレ、と、手渡した小箱を両手で握り、納得顔ではしゃぐ少女。
己の読みが当たったのが嬉しいようで、持ち上げたり小さな鼻を鳴らしながら、コレから美味しそうな匂いが漂ってくるのだと教えてくれた。
「で、気になる物に触れてみてどう?」
「ん? 美味しそうな匂いがするよ?」
「それだけ?」
「それだけだよ? あ‥‥」
何か変化でもあったか、ポカリ口を開いて片手を腹に宛がうルーミア。
大丈夫と踏んで渡してみたがやっぱりこいつにも効果があったのか?
それなら今のうち、まだ立って話していられるうちにさっさと連れ込むべきだろうか?
背を丸め前かがみになる少女の肩に手を伸ばす、と聞こえる腹の虫……これは?
「近くで嗅いだらお腹減っちゃった」
「……あ、そう。心配して損したわ」
心配ってなんの事かと腹の音を聞かれ恥じらい顔のルーミアに問われるが、ずぼらなこいつに習いなんでもないとテキトー返す。ならいいやと気にされず、そのまま話は流れていった。
まぁなんだな、思わせぶりな仕草に少し構えてしまったけれど何事もないのならいい、あたしの読みは正しかったのだと今は思っておくとしよう。イマイチ腑に落ちない気もするがこれ以上の実験は後で、気が向いたらあの氷精のかまくらにでも箱を置いてみて観察すればよかろう。
あれなら死んでも一回休むだけだ、気兼ねする必要もない。
それでこちらなのだが、やっぱりコレだとはっきり言い切る口ぶりから間違いない、確信があるような雰囲気だが人喰いのこやつが言うなら正しいのだろうな。ルーミアが旨そうだと話すモノ、そういった類のモノが中に収められているから呪いの小箱としての効力があるのかと、もらった言葉から強引に組み立てればあたしの方でも納得し頷く事が出来る。
だからそれでヨシとしよう、そうすれば少し前の『まだいるの』ってお言葉もそこからきていたんだろうと繋がるし、妖怪であるあたしの方から餌の匂いがするなんて見当違いな物言いにも頷く事が出来るようになるから。
ふむ、動くに動けず仕方なし、物は試しと、考えをひっくり返して来てみたが思いがけないところで新たなモノを仕入れられてこいつは重畳だ。しかも当初の目的の場所ではなく全く考えていなかった相手から直面する難題のヒントを情報を得る事が出来ようとは思いもせなんだ。
調べる手間も省けたし、やはり困った時には他人を頼るのが一番だ、考え方を真似ただけだが後であの天邪鬼に感謝を述べるとしよう。思い当たる節が全く無いだろう感謝を伝えられてあいつがどんな顔をするか、ソレもソレで楽しみだ。
新たに出来た後の楽しみに笑み、ついでに宵闇から光明を得るというチグハグな状況が面白くて口角上げてニヤついていると、ガチンという音で現実に戻される。何の音か、発せられた辺りに目配せすれば、小さな口を大きく開いて小箱を齧る宵闇がいた‥‥
食い足りないとは言っていたがいくらなんでもソレは喰うなよ、全て終えた後であれば構わんが今喰われては流石に困る。固いと文句を言うルーミアの手から箱を逸らして奪い取ると、微妙に歯型が残って見えた。
ナニカを試すのはあたしだけでいいんだ、お前まで食えるかどうか試さないでくれ。