東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その58 ものおもい

 誰かを担いで潜るのは何度目か、そんな事を考える暇もないまま永遠亭の戸を蹴り開ける。

 バァンと響く戸の音を聞いて、こうやって開けるのは二度目だなと、変なところだけすぐに思い出せて、泥に塗れた素足で磨かれた廊下に上がる前には今後の流れも浮かんできた。

 こうして結構な音を立てると出てくるはず、出てきてくれるはず、と思ったら出てきた悪戯兎詐欺。何も言わずに目線を合わせるとあちらも無言のままで視線を流し、あたしの背負う赤いのを一瞥して奥へと消えていった。急患背負って救急病院に来た客に対し無言とは、いつもなら悪態の一つでも投げつけている態度だが今はそういった機転が利くのがありがたくて、毎回毎回察しが良くて妬ましくて、本当に助かる。 

 

 雨の吹き込む縁側の掃除でもしていたのだろう、近くを通った部下兎が持つ雑巾を渡してもらい軽めに足を拭き上げ、先に奥へ向かった兎詐欺の後を追い診察室の敷居を跨ぐと、机で何か書き認めていた女医にもすぐに会えて、ここでも何も話さないまま、というか話す間もなく預ける事になった。

 背中で荒いリズムを刻む太鼓をベッドに寝かせ、何故こうなったのか、わからないなりに話すつもりで口を開くが、状況を知らせるべき先生は雷鼓とあたしにさっと視線を寄越してからてさっさとその場を離れ奥の小部屋へ。やはり天才か、患者を見もせず触れもせず診断できるとは大した薬師だと安心しながら関心しそうになったが、ろくに待たずに帰ってくる名医、赤青二色に白を重ねて戻ったのを見る限り、白衣を取りに行っただけのようだ。

 

 気がつけば小さい弟子の方も昔の名の通りの白兎と化していて、洗面器やら清潔そうな布やらといろいろ運び込んでいた。瞬く間にそれらしいのが揃っていくのを眺めていると、いるならお前も身なりをどうにかしろと、目線を上げて命じてくる白衣の兎。僅かな赤みの混ざるくりくり黒目が見つめる先はあたしの肩やら頭やら。

 なんの事か、気になる視線を追うように着物を少し引っ張ると、着崩れた肩や後ろ髪がベッドでうなされる雷鼓の吐いたもので真っ赤に染まっていた。それもそうだな、来る道中にも何度か咳き込んでいたのだからこうもなるか。

 背中の赤と横たわる赤いのを見比べ少し案じつつ鼻を鳴らす。

 自身の背後より漂ってくるのは好ましい者の血の匂い。

 ソレを纏ったままでいるのは気に障るがどうしたものかね、肩や髪ならなんとでもなるがこの分では背中の方も雷鼓色に染められているのだろう。気の長さには定評のあるあたしだが流石に背中まで回せるほど手が長いわけではない。脱いでちょいと撫でれば戻せるし一服して煙を纏っても元通りになるが、この雰囲気で裸体を晒すのもなんだし、医療機関の最前線で煙草に火をつけるのも‥‥

 なんて、部屋の天井を眺めてあぐねていると強く蹴られる足の脛。ぼんやり立ってるだけなら邪魔だから出てけ。ちょこまか動く兎さんに顔も見ないままそう言われてしまう。確かにあたしがいても邪魔になるだけか、ならそうする気など毛ほどもないとわかるよう姿で見せるべきだな。

 

 静かに部屋から去って少し経った頃、邪見に出てけと言われてから半刻が過ぎた頃合いに診察室方面から聞こえてくる軽快な足音。耳を跳ねさせ横目で見ていると陰りから姿を見せるピンク色のワンピース。屋敷の縁側で煙に巻かれていると隣に来て膝を折る。ちょこんと並んで座り見上げてくれる顔には、何やら様子を伺う素振りが見えるが。

 

時化(しけ)た面して、似合わないからやめときなって」

 

 隣に来ての第一声がこれだ。

 あたしにとっては大事の最中だと言うに何時も通りの悪態とは、安心するやら小憎らしいやら。

 それでも、そう感じただけであたしの口は開かず何も言い返す事ができない。取り敢えずここに連れてくる事だけを考えて動き、仮の目的を果たしてしまったからか変に安堵してしまって頭が回らんというか、他の事を考える気にならんというか、自分でもよくわからない状態になっていた。

 そういった心の機微にも気が付いたのか、黙ったまま見返すと上目遣いで睨んでくる目敏い悪戯兎さん。小生意気な視線を寄越してくれて、さも何か言ってこいと人の顔を見つめてくるが、そんな目で見られても今言える事など‥‥

 

「どんな感じ?」

 

 これしかない。

 他に聞くような事も、それ以外も、何も浮かばないから経過でも聞いてみる。

 診断や治療にあたるのはこいつではないし聞いても何もわからんだろうが、何ともいえないこの場の空気を濁すつもりで問うてみた‥‥けれど返事はなく、重ねていた視線も逸らされた。

 こいもこいつで見慣れない真面目な横顔で、得意の口も開かない今の姿‥‥そういった仕草からなんとなくだが雲行きが怪しいような雰囲気に感じてしまう。

 そうして少しの静寂の後、ポツッと言ったきりで何も言えないあたしからまた察したのだろう、顔は合わせないままで両手を開いて見せてくれる兎さん、雨曇りの空を見上げ首も僅かに横に振って‥‥お手上げだとでもいうのか、あの八意永琳に預けてもダメだったと、そういう事なのか?

 

「ダメなの?」

「あたしに聞くなよ」

 

「だって、今のは――」

「雨が煩わしいって思っただけウサ。なにさ、何の事だと思ったんだい?」

 

「なにって‥‥」

 

 可愛い鼻で笑いつつ言い切り、出てきた方向を見てそのまま静かになるてゐ。

 思わせぶりな仕草に引っ掛けられたのはこの際良い。今気にすべき事ではないし、こいつの悪戯など毎度の事で態々注視するような事でもない。それよりもアッチだ、言いっぷりは読み通りとして、流した視線からはこっちに来たがあちらも気になるって態度に見えるが、こいつが気にするほどの容体なのか?

 というよりも本来の助手はどこに行ったのだろうか?

 いないのか?

 診察室から出てくるならもう一匹の兎だと思っていたが、診察室では姿を見なかったし、てゐも永琳も鈴仙の名を呼んだりしてはいなかったな。聞こえていた足音もこいつと永琳の二人分だけだったし、また商売先で人に化けて置き薬だか機械仕掛けの猫でも売り歩いているのかね?

 もしくはこちらに来れない、何かに手間取り手が離せない状態に……と、こっちの線で考えるのはやめておこう、幸運の素兎が近くに来てくれたのに芳しくないモノなど考えたくもない。

 浮かんでしまった案を散らすように軽く頭を振ると、濡れ髪から雫が飛ぶ。

 その雫がお隣さんにもかかったようで、水気を切っ掛け代わりに振り向く兎。

 

「そう逸るなよ。診るのはお師匠様の仕事さ、あたしに聞いてもわからんってアヤメもわかってるんだろう?」

「そう、そうよね‥‥わからない事はわかりそうな人に任せるとするわ」

 

「そうしたいそれでいいんじゃない‥‥で、何があったのさ?」

「特に何も。いきなり倒れて、それから血を吐いたってだけよ」

 

「後は?」

「本当に突然だったし、あたしはお風呂に入ってたから詳しくは‥‥それまでは普段通りって感じで談笑してたっぽいのに、いきなりバタンって聞こえたのよ」

 

「へぇ、それからすぐに吐血したってか」

「追加するなら顔色悪くなって吐血、って感じかしら」

 

 何があったか問われ正直に答える。と、小さなお手々の平をパタン、目の前でちらつかせてくれる兎さん。あたしが話した雰囲気を手遊びで表してくれて、随分と余裕があるように見える。

 それもそうか、今余裕がないのは雷鼓くらいで他は取り立てて何事もないのだから。

 てゐからはあたしが逸っている、何処か焦っていると言われしまったが自分としてはそれほど焦っている気もしないけれど、そう見えるのか……いや、そう見えても当然ではあるのか、遊びに飽いた兎の目線を追って何となく視線を落とすと足元の汚れ具合に今頃気がつく。泥汚れを軽く拭いてそのままなあたしの足の延長線上には焼け焦げた跡がやたら多い踏み石。意識していなかったが葉を込めては吸って捨てて踏み消してと、そんな事を何度も繰り返していたらしい。

 真っ黒な足元に気が付いて小さく、あ、と声を漏らすと、漸く目に入ったのか鈍感娘、と罵られる……少し訂正しよう、あたしにも心の余裕がなかったようだ。

 

「ねぇてゐ? こういう時ってさ、もうちょっと焦ったほうがいいのかしら?」

「だからあたしに聞くなっての。好きにしなよ、()れたいなら焦れときゃいいし、見たくないなら見なきゃいい、時化た顔のままで終わりまで逃避してたらいいよ‥‥それでもそうだなぁ、他があるなら他をしてもいいんじゃないかい?」

 

 看護助手の減らない口に煽られて、素直に問うたが流されて、本当に小賢しい兎さんだと感じると同時にあいも変わらずお優しい事だと口には出さず感謝する。

 煽られる前までは余計な事を考える余裕などない、病院住まいならちょっとは空気を読んでくれと、そんな事しか考えられなかった。それどころか、鼻で笑ってくれた通常営業な兎さんの姿にイラッとして冷水浴びせてやったくらいなのに、その通常営業っぷりからあたしを普段の姿に戻してくれるとは、毎度口は悪いが本当にこの先輩兎にも頭が上がりそうにない。

 だから回そう、上がらないのなら上がるように頭を回して考えてみよう。マズイ時は逃げの一手に走るのがあたしだが現在マズイのはあたしではない、それならば他の事、今自分に出来る事ってのを考えつつ話してみるとしよう。

 

「他‥‥他にはねぇ……あぁ、一緒に帰ってきた九十九姉妹も始めは調子が悪いって言ってたわね」

「あの付喪神の姉妹か、あっちは始めだけだったんだね? なら今は?」

 

「うちに来たら治ったみたいよ? 風呂に入る前は二人共青い顔してたけど、温まって飯食わせたらいつもと変わらない様子になったわ。後から来るかもしれないから詳しく聞くならあいつらから聞いて」

「‥‥ふぅん、そうかい。同じような症状なのに不思議なもんだ、かもしれないって言うなら連れてくりゃ良かったのにそこまで気は回せなかったか」

 

 気を回したから一緒に来なかった、そう口にするが聞く垂れ耳は持たぬ状態らしい。

 あたしの返事を聞くと、軽い世間話でも聞くような小さな相槌を打って立ち上がる白兎。垂れ耳揺らしてクルッと回りよく見るポーズ、両手を頭の後ろで組む形で向かって来た廊下を戻ろうとした。が、このまま素直に見送る気にはならなかった。手遊びなどと小賢しい煽りをくれられたままで戻すのは気に入らん、せめて煽ってくれた分ぐらいは言い返しておきたい。小さな背中が見えなくなる前にちょろっと声を掛けると、廊下の端で裸足が止まる。

 

「てゐ?」

「ん? なにさ? まだ何かある?」

 

「代理の問診ありがと。それと、三人共通して腹抑えてたってのも永琳に伝えておいて」

 

 お優しい兎詐欺に感謝とついでを伝えてみると何も言わずに手だけ軽く振っていなくなった。

 くれられた煽りに対して感謝で返す。意趣返しにもならんだろうが、少しは言い返せたおかげであたしの心にも僅かな余裕と満足感が広がったから取り敢えずはこれでいい。永琳に預ける事ができて、取り敢えず安心してしまって、変に落ち着いたままのあたしの心を炊きつけて普段の頭に戻してくれて、こういった場面でも目覚まし役になってくれるとはあいつは本当に世話焼きな兎詐欺さんだ。

 今のも、推測だが手が離せない八意先生に変わって話せるやつからなにか聞いておこうとか、そんな感じだったのだろう。単純に馬鹿にしに来ただけとそんな案も拭いきれなくもないが、あれであたしに優しくしてくれる事も多いし、細かいところは後で落ち着いてから聞こう。全部終わった後の茶飲み話の時にでも、あの時はからかいに行っただけだと嫌味に言ってもらえればいい笑い話に出来る、というかしたい、なってほしい。

 

 そうやって代理の問診に答えてまた半刻。

 足元でとっちらかる煙草の踏み消し跡に追加している頃にもう一度誰かの足音を聞く。この屋敷らしく待ち時間が永いように感じてしまって、そのせいであからさまに近寄るなってオーラを発しているあたしに寄ってきたのは頼りの相手、今一番縋りたいお人、とその主。

 主治医の方はカルテを挟んだバインダー覗きながら側に立つだけ、主は隣に腰を下ろして庭を眺むだけ。でも、それだけだ。二人共に何も言わない、言ってくれない。

 なら何か話してくれるまで待つかね、大事なら向こうから話してくれると知っているし、輝夜や永琳ほど永く生きてはいないが気の長さでは並べるかもしれないしな。

 なんとなく思いついた一方通行な我慢比べに興じていると、そんな事は気にもかけていなさそうな主治医が静かに話し始めた。

 

「アヤメ、少し聞きたいのだけれど」

「なに?」

 

「さっきの話よ、九十九姉妹も腹痛を訴えていたのよね?」

「そ、雷鼓よりはマシな雰囲気だったけどね。それが?」

 

「そう、それなら原因は‥‥でも……」

 

 問に答えると独り言を呟き始めるお医者さま。

 冷めた顔してバインダーを見つめ、何か言いたそうな、それでも言いにくそうな感じに見えるが‥‥もしかして本格的に危なかったりするのだろうか。真っ直ぐに、雷鼓はダメなのかと、薬師が匙を投げるのかと、そう聞いてみるも八意先生からの返事はない、が、代わりに別の声が耳に届いた。

 廊下の奥から耳に届いたのはししょーと呼ぶ声、診察室に戻った白兎が永琳を呼んでいるらしい。当然振り向き歩み出す先生、思わせぶりな素振りだけをあたしに見せてその声の元へ消えていった。永琳にしては言いっぷりが中途半端でらしくなくて、普段のあたしなら沢山の悪態をぶつけていた態度だが今日は引き止める事も出来ず、廊下の影に消えていく背を眺め、拳を握る事しか出来なかった。

 

 すると聞こえる破壊音、手元を見れば握っていた煙管が真っ二つ。

 まるであたしの内面を表すように‥‥ってそんなに軟でもないな、永琳から明確な答えを貰えなかった事が結構なショックだったから煙管は握り潰したというか粉砕してしまったが、心の方はまだ折れていない。主治医の口からキチンと話されてはいないのだからまだ諦めるには早い。

 というかあの程度で死ぬ事などないと高を括っている面もある。そうだろう? 雷鼓だって妖怪でましてや物から成り上がったものだ、そんな化物がちょっと血を吐いたくらいで終わりを迎えるなどあるはずがない。確証も自信も何もないが何故かそんな確信は持っているし、最悪ダメだったとしても三途か中有の道辺りで待ち伏せして船に乗る前に掻っ攫えばいいだけだ。閻魔様には効かないがあのサボり魔にはあたしの能力は問題なく作用するし、奪う事自体は容易かろう。

 その後逃げ切る事が出来るかどうかはまた別問題として、いや、映姫様には貸しがあるからその辺りを上手く使えば‥‥

 

「黙り込んで、何考えているの? 静かなアヤメなんて似合わないからやめなさいな。それとも今に似合うような泣き顔でも見せてくれるの?」 

「ちょっと保険をね、逃避方法を考えてたの、そうするつもりはないけどね。それと、てゐと似たような事言わないでよ、まだ泣かないわ」

 

「今じゃないのね」

「まだよ。顔を見て、元気に笑われてから泣くわ」

 

「あら、匙を投げるのかって吠えたのに」

「ダメならダメって言ってくれるはずでしょ? まだ何も言われてないもの、泣くには早いの」

 

「根拠もないのに強気ね、早合点の次は空元気も見せてくれるの?」

「空ではないわ、匙を投げさせない方法があるってだけ、逸らしてでも掴ませないってだけよ」

 

 従者がいなくなると語り始めるお姫様、こいつもこいつで平常運転でそれが少しありがたい。

 隣に座り人の顔を覗いてきたが、あたしが泣いてない、ちょいと引きつった嫌味な笑顔でいるとわかるとすぐに目線を庭に戻した。しかし姫にしろ兎にしろ長生き相手はこれだから困るな、輝夜にはああ言ったが正直言われた通り元気などない空っぽでそれは読まれているらしい。

 まぁそうだろうよ、投げる匙を掴ませないなどただの嫌がらせにしかならず、なんの解決方法にもならんのだから。自分でもわかる事なのだ、あたしよりも永く生き人やら物やらを見続けてきた輝夜にそれがわからんわけがない。それでもあたしに付き合い冗談としてくれるのだから、こいつも案外優しい飼い主様だな。

 頼れる先輩に頼れる飼い主とその従者、近くにこういう者が多くいるというのは気が楽だ。

 あたしは結構な果報者なのかもしれないな。

 

 暫し無言で、互いに顔を合わせないままそんな事を考えていると、果報な兎の住む屋敷の主が口を開く。ポツポツと雨粒を眺めながら、してやられたなんて言い出したが、あれ(てゐ)に何を言われてきたのやら。

 

「まんまと騙されちゃったわ。真っ赤な見た目で似合いもしない時化た顔してて面白いよ、今を逃せば滅多に見られそうにないし見てきなよって聞いたから見に来てあげたのに」

「てゐの話を鵜呑みにするなんて、あの輝夜姫も地に落ちたもんね」

 

「当然でしょう、私はあれから落ちたままでいるんだもの」

 

 お前が言うなと言われそうだが敢えて言う、全く以て口の減らない姫様で困る。

 両手後ろにちょっとだけ仰け反って、さも上手い事言い返してやったって顔をしているが、その仕草がお似合い過ぎて、地に落ちたと言ってやったはずが何も言い返せなくて困る。

 

「で、何があったのよ」

「だから‥‥てゐと同じ事を――」

「私はつまらない話を二度も聞くほど暇人じゃないわ」

 

「なら聞かなきゃ――」

「その早とちりは治らないの? 月に行けと話した時も同じだったわね」

 

 口元を袖で隠し、目元で笑う月の姫。

 あの蓬莱人と同じ事を何度も、それこそ永遠と繰り返すくらい暇している奴だというに何様のつもりか。大昔はいいとこの姫様だったのだろうが今は罪人で元だろうに、あの時だって月の物を展示したいから持ってきてとあたしを逸らせミスリードさせたのはお前さんだったはずだ。

 それなのに早とちりとは酷い言われよう‥‥ん、何時だったかもあったなこの流れ。こんな雰囲気は確か、話題のお月様から帰ってきてこの屋敷の舞台廊下でまったりしている時だったか。あの場では早合点ではなく、そうだ、あたしにしては頭が固いと冷たく言い切られたのだったな。

 

「それで、何があったのよ?」

 

 先ほどと同じ台詞、それでも少しだけ柔らかに語る輝夜姫。

 お言葉こそ一言一句変わらないが顔や声には何か含まれたように感じられる。あたしが何かに気がついた、引っかかったというのが伝わったのだろう。昔から持て囃される事に慣れている絶世のイイ女らしく、たった一言で人の心を操ってくれて、惑わし上手で妬ましい。

 昔の結婚話の時もそうだったが、こういった術にも長けていて元月のお姫様というのが伊達ではないとわかる。あの頃も今のように話術でつついて相手をノセたのだろうか、だとすればたおやかな見た目に反してしたたかなお姫様だ。

 そう評していると、長い髪を耳にかけ返事を待つような姿勢を見せた、それならば‥‥

 

「ちょっと……思い出すから待って」

 

 その長い黒髪に巻かれた(てい)で何も言い返さず、思い出すから待てとだけお返事しておく。

 口で負けたようで癪ではあるがこの場ではソレがありがたいと感じるだけにしておこう、輝夜のおかげで考えを改める機会も出来て、冷えて固まってしまった頭を温める事も出来た。あいつらの腹じゃないが冷やしっぱなしはよくないな、やはり程々に暖かくないと調子が悪い。

 

 そうして僅かに暖かくなり、柔らかくなった思考を回す。

 以前の会話ではここから難題の受諾となりあたしの頭を柔らかくしろって流れになった、その流れを思い出して今の状況に宛てがえば何か輝夜に話すモノが見つかるかもしれない。

 そうだな、まずはどこから手を付けていこうか?

 中途半端に残っている煙管の葉を落とし、新たに葉を込め煙を漂わせ纏う。そうして真っ赤な背中を従来の白へ戻し、今考えるべき事、今抱えている難題について自問する。

 こいつはてゐの話を聞いてあたしの元へ来た、二度同じ話を聞くつもりはないとも言ってきた、であればそれ以外、雷鼓についてではない何かが聞きたいって事になる。とすれば思いつくのは同じような仕草で過ごしていた連中か、九十九姉妹の方に視点を変えてみれば何か出てくるか?

 でもあの二人は雷鼓ほど不調だとは思えなかったな、姉妹と雷鼓で何か違いがあるのか?

 三者とも共通するのは種族と妖かしに成り果てた時期くらいだと思うが、相違点となると‥‥成り方ぐらいか、雷鼓は自身で今の在り方を見つけ、姉妹はそれを聞いて同じ呪法を試したとかそんな話だったな、ならこれは違いとは言い切れないか。自力で見つけたか教わったかって違いはあれど行った呪術自体は同じだ、切っ掛けが違うだけで過程も結果も同じなら相違点とは呼べんだろう。では…‥

 

「またさっきの、イナバが話していた顔に戻っているわよ、真面目な顔して悩む事ではないでしょう?」

 

 静かな庭を眺めモクモクしていると、あたしの視界に手が映る。

 人の事を貶しつつお手々ヒラヒラさせてくれるが、何か思う事でもあってあたしの気を散らそうとしているのか。流石に今は考え中だ、降って湧いてしまった難題を解くのに必死なのだから邪魔しないでもらいたいのだが。

 そう思っても今度は伝わらず、蝶のように舞っていた掌の動きは変わらな‥‥いや、変化はあった、やめろと瞳に込めて睨むとあたしの小鼻に止まるてふてふ。そのままプニッと軽く摘んでしとやかに笑む輝夜。 

 

「邪魔しないでよ、真面目に考えてるんだからそういう顔にもなるでしょ?」

「アヤメ?」

 

「何よ」

「‥‥心配するのもわからなくもないけど大丈夫よ、永琳に預けたのでしょう? 余程の事なんて万一にもないわよ? だというのに何を焦るの?」

 

 摘んだ鼻を軽く押されながら言い切られる。

 面食らうと、小さな笑い声まで漏らす姫。

 軽く一笑いしてから声色を変えて、人には似合わないだの何だの言ってくれた割に真面目な声色で問うてくる。心配しているとわかっているなら思考を阻害せんでもらいたいが、確かにそうだな。言われた通り少し焦っていたのかもしれない。

 取っ掛かりのないものから見つからない答えを探す、探さないと万一がある。中途半端に冷めた頭ではそういった冷たい思考を忘れた事が出来ず、どうしても逸ってしまった、しまっていたようだ。真正面から何を焦るのか言われて気がついた。 

 まだ何も言われていない、だから大丈夫。自分からそう口にしておいてその実焦ったままにいるとは、格好がつかん。

 

「……そう‥‥そうね。余程があったら永琳を恨めばいいだけよね」

「余計な事は一旦忘れて、もう少し楽しみなさいな。アヤメの大好きな難しいお題と直面してるのよ、そんなつまらなさそうな顔のままで考えこんでいたら勿体無いんじゃないの?」

 

 袖で隠していた顔を覗かせる輝夜、見立て通り微笑んでいた。

 こういう時でも美人は美人で、ほんの少しだけその笑みに見とれるとコクリ首を傾けた‥‥なるほど、こいつもこいつでお節介な事だ。確かに今のあたしの頭はまだ硬いままだったようだ、大事な鼓が破れるかもと慣れぬ心配に気を取られ過ぎて大事な事を忘れていた。

 確かにこれは難題だ、考えても考えても答えにたどり着けない難題、あたしが輝夜に寄越せと強請るモノそのものだ。少しばかり違うのはこうしている間にあっちで何事かあるかもしれないって事だけど、ここに連れてくればなんとかなる、なんとかしてくれると思ったから連れてきたのだ。

 それならもういい、あちらは本職に任せたしこちらはこの場を楽しもう。難題解いたところで何もないかもしれんが上手い事何か出てくれば儲けもの、それでも下手を打ったら泣き腫らすだけ、もしくは未練がなくなっていなくなるかもしれんが、そういった綱渡りも偶には面白かろう。あたしには賭ける命がないというか実際危ないのは雷鼓の方だろうが、その辺もついでに忘れよう。

 

 では、改めて振り返る。

 何をしにここへ来たのか?

 雷鼓を預けに。

 何故に預ける事になったのか?

 ぶっ倒れて血反吐を吐いたから。

 ならばなんでそうなったのか、そうだな、これがわからんのだ。あたしが風呂に入っている間に倒れ、それから間もなく急変した、ざっくり考えるならこんなもんだがこれはあたしの視点から見ただけだな。

 それなら他の視点、他の事柄ではどうか?

 我が家に帰り着いた時には問題なさそうに見えた、つまりあの時までは普通だったって事だな、そして風呂に入る前も出てきた後も、食事中も何事もないように振舞っていたはず、いや、この時からすでに既に異兆はあったな、先に不調を訴えたらしい九十九姉妹も雷鼓も意識せず片手は腹に添えていた。

 であれば姉妹と雷鼓にはズレが生じるな、こうなった原因はそこ以外か。

 では原因として考えられるモノは‥‥モノ?

 そういえばあたしに見てもらいたいものがどうとか言っていたな、あの場では後で聞いてやるから先に風呂に入れと押し切って流してしまって、騒ぎのせいですっかりと忘れていた。あの時の雷鼓からはなんとなく相談事がありそうな雰囲気も感じたはずだし、ふむ、その見せたかったモノってのが怪しい部分かね。

 片付ける間に触れたはずでその際には何も感じなかったが、この状況を難題とするのなら何かしら見合う物があるはずだ、実際に物なのか概念的なモノなのか、その辺りがはっきりしないが‥‥

 

 ポッと出てきた取っ掛かり、何もないよりはマシ程度のモノだがそれでも完全手探りよりはいい。

 そう考えついて顔つきを変える、嫌味な笑みから普段の、やる気のやの字もない顔つきに張り替えて隣の姫と見合う。

 

「なにか思いついた?」

「まだ気掛かり程度だけど一応ね、一度帰るわ」

 

「そう、何か見つけたならまた‥‥って言わなくとも来るわね」

「勿論、いない間に何かあったら屋敷の連中全員恨み続けてやるから宜しくね」

 

 話しながらふわり舞い、輝夜の隣を離れた。

 去る最中、綺麗に戻した背中の辺りに、永遠に続けてくれるならそれも悪くないわ、なんてお言葉をぶつけられるがそんな事実際にやっていられるか。あたしの事だ、確実に途中で飽いて恨みなど忘れてしまうだろう。そんな心がわかるよう軽く袖と尾を揺らし、その話は袖にすると見せつけてから永久の屋敷を飛び去った。


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