東方狸囃子   作:ほりごたつ

206 / 218
~ものがたり~
EX その57 ものわずらい


 数日前の物拾い、見知らぬ兎とお山で会ったあの時の雨を切っ掛けに薄暗い毎日が続く。日によって打ち付けるように降り注いだり、大気を湿らせる程度だったりと、その日その日で勢いに違いはあれど、あれから連日飽きもせずに降ってくれて、今ではすっかり梅雨が似合いの幻想郷。

 

 なにはなくとも雨というくらい振り続けてくれるおかげで気温も下がってくれて、我が家の流しに開けた小さな虫籠窓から冷めた風が抜けるようになり、暑さに弱いあたし自身は毎日が非常に過ごしやくて心地よいがそれは自身の事だけだ。身の回りを見れば快適で暮らしやすい事ばかりでもなく、他の部分では少しばかり過ごしにくく、機嫌の方は体調の良さに比例して今の空模様によろしく、少し陰っている。

 

 あたしの機嫌を傾けてくれるのはこの時期特有の悩み事。

 湿度が高い日が続いて洗濯物が乾かず困るのは当然として、こうも湿る日が続くと箪笥にしまったままにしてある昔の着物に悪いとか、うちの楽器が集めている楽譜にもよろしくないとか、そういったよくある事にも悩まされたりしている。けれど、これらは季節柄感じられる事であり、幻想郷に暮らすのならば気にも留めないような当たり前の事。日常を活きる中には当然有り得るものであり今更悩むほどのものでもないのだが、今日はやたらと気になっている。

 

 それなら何か気晴らしでもすればいい。

 いつもの様に何処かへ出かけてみればいい。

 アソコに行けば何か暇潰しがあるかもしれない。

 そんな風にナニカで発散しようかと考えてもみたのだが、あたしの好奇心は過ごしやすさに負けたようで、すっかり湿気った状態だ。それでもただ引き篭っているだけには耐え切れず、何故か定期的に届けられる未購読な天狗の新聞を読んでこの地のニュースを仕入れてみたり、雨でも変わらず朝を知らせてくれる兎詐欺にこの間の出会いの事を問うてみたりと、家から出ないが出ないなりにお外の事情も知るようにはしていた。

 

 涼やかな流しにより掛かり一服始める寸前の今もそのうちの一つ、朝露に濡れた艶やか鴉共が届けてくれた新聞を読んで、今この地で一番ホットらしいニュースをチェックしている。

 記事の中身を少し紹介するならそうだな、まず目につくのは天狗の可愛らしい丸文字か。何度か話しているから知っている人もいるかもしれないがあいつの書く文字は何処か角が削れているように見えて、角が取れているようにはまるで思えないあの性格とは間逆な愛らしさってのが多分に含まれているように感じられる。

 褒め言葉のつもりでそれを本人に言うと、私は速度優先で流し書きが多いからこんな文字になるのよ、なんて、ちょっと照れつつ強く否定されるのだけれど、推敲から印刷まで済ませていざバラ撒いている物からでもソレがわかるのだから態と丸く書いているって言い訳は通らないというか、随分弱いように思えてしまうのだが、それも少ない可愛い部分の一つと思えば悪くはないのか。

 しかしあれだ、決定稿でこれなのだからアイツが常日頃持ち歩いているあの手帳、ネタ帳だか文花帖だかいうゴシップの種には今読んでいる文字よりも相当可愛いのが並んでいるのだろうな。

 幻想郷最速らしい速度でペンを奔らせ、どうでもよさげなメモ書きをしては閉じて胸元のポッケにしまってしまうアレ。あの悪戯ノートには文ちゃんの可愛い部分がたっぷりつまってそうで、メモ帳の中身を一度くらいは拝んでみたく思う。

 なんと言って謀れば見せてくれるのだろうか?

 考えても答えの出ない難題の一つ。

  

 のっけから話が逸れたか、今のは内容というよりあいつの人となりをバラしただけに思える。

 ならばよし、そう自覚出来たのならここはキチンと内容の方にも触れておこうかね。読み物としては面白い、ってこんな事も以前に話した事があるから今は割愛しようか。

 取り敢えず今朝の記事だけ伝えよう。

 今朝届けられた新聞に書かれていたのは少し前から幻想郷で賑やかになっている話題で、噂の都市伝説の特集が組まれているようだ。一面を飾るのはいつだったかあたしも見物しに行った事のあるやつ、人間の里の堆肥置き場に現れる幻獣ってのが今回のトップニュース扱いで、インタビューを受けたのはあの仙人様らしい。

 

 さらっと流して読む限りだが、どうにもこいつの正体は人面犬というやつで、中型犬の体に人間の、それも冴えないおっさんの顔がくっついているような奴だそうだ。堆肥置き場や飲食店のゴミ置き場に姿を見せて、漁っているところを誰かに見られるとほっといてくれと鳴くだけの幻獣。その見た目から不気味というだけで、実情は希薄で危険性のない存在なのだと新聞には書いてあった。この噂自体は結構前から聞いていて、その時にはまた新顔の妖怪がやらかしたかと思っていたがこうして記事を読むとその考えは間違いだったと思えるな。

 噂だけを聞いて見に行った時は、人間のお残しを漁って生きるなんて妖怪としてやる気が無いというか卑屈な奴もいたもんだ、と、そんな風に捉えていたのだが、こうして第三者の視線をかませて見てみるとはなっから妖怪の仕業ではなかったのだと気がつく事ができる。

 そもそも在り方からおかしな話だ、こいつが妖怪だったのならゴミ漁りなんてせずに人を襲っていたはずなのだ。あたし達妖怪からすれば人間は襲うものであり餌だ。あの宵闇のように直接イタダキマスするか、忘れ傘のように何かしらの感情をイタダキマスするかって違いはあれど、あいつらから何かしらを得て生きるのがあたし達なのだ。

 だというのにこいつは人が出したゴミを漁るだけ、見つかってもほっとけと自分から遠ざかるだけ。そこには妖怪としての矜持なんてものはなくて、人の敵なんて姿も見る事が出来なくて、どうにも中途半端な奴らだとしか思えない。

 

 あ、奴らなどと口にしたのはこの人面犬が複数いるからだとか、子を設けて増えているだとか、そんな事が記事として載っていたからではない。その辺りはアイツ得意の捏造ってやつで記事を賑やかにするためだけのお飾りだ、まともに捉えてやる必要もないだろう。

 もう一羽が持ってきた横書き新聞の〆に『こういった幻獣は噂を元に現れるようだ、この噂を我々が広めれば噂自体が妖怪化して幻想郷を歩くようになるかもしれない、この考察が正しい物ならばゆくゆくは妖怪から妖怪が生まれる流れが出来上がり幻想郷の新しい――』云々、と記者目線の注意喚起が言葉で記されているから、それならこいつ一匹ではないのかもなと邪推したから考えてみただけだ、特に深い意味はないので軽く流してくれて構わない。

 

 それと、もう一つの兎詐欺関連だが、こっちもこっちで割愛しようと思う。

 なんて事はない、妖怪のお山で見慣れない兎を見た、躾がなってないからよく言っとけとお茶飲み兎に話しただけで、大して面白い事なんてないからな。

 そんなのうちにゃいないよ。

 早合点してあたしに愚痴るなよ。

 そもそも毛並みが金色の奴なんて見てないだろ。

 なんて言われ小さな鼻で笑われたりしてはいないから、こっちも深く聞かないでほしい。

 

「……ん、強くなってきたわね」

 

 発行者の違う天狗記事三部をペラペラ捲り、ちょうど雨中に泣く紫陽花の写真が艶やかな記事が一番上に来た辺り、紙を捲る音よりも我が家の外が騒がしくなってきた事に気がつく。  

 軽薄なペラペラをかき消してくれたのは軽快なパラパラ、今まさに強くなり始めた頃合いのようで我が家の屋根を強かに鳴らしてから時を待たずに壁を撃つようになり、周りに茂る竹が撓り打ち合う音まで聞こえ始めた。であればもう直にも雨樋を伝う音も大きくなるのだろうし、鎖樋が揺れる音も激しくなり始めるのだろう。それならそうだな、準備でもするかな、と、耳にできる雨音や鼻に届く水の匂いの強さを体感しながら、煙管の火種を流しに落とした。

 まずは火でも起こしておくかね、雷鼓が帰ってきたら真っ先に風呂だろうし隙あらば一緒に入ってちょっといちゃつこう。最近、と言ってもここ数日程度だが、家から出る事がなくてなんというか運動不足に思えるから、少し風呂場で準備運動してそれから布団で本番といこう。

 激しくなり始めたお天気を真似るように、あたしの思考も不意に流れ始めた。

 

 思いついたら吉日、早速竈に火を入れて風呂場の方にも火を分ける。そうして湯も沸かし待っている間に米も研いで布団も敷いた。やるだけやって手が空くと誰も見ていないというのに満足気に手を打ち、払う。したり顔で、今後の動きに期待して。

 しかしだ、ここまで済ませてから考えるのもなんだがあれだな、今のあたしは旦那の帰りを待つ嫁の姿まんまだ。が、実際も気分的にも似たようなもんで帰りを待つのを意識するの存外面白いものだと感じられたし、この案は否定せずに頭の隅にでも吐き捨てておこう。四角な座敷を丸く履く暮らしぶりなあたしなのだから、端に捨て置けば掃除したとしても失くす事はなかろう。

 そうして一通り準備も終わって後はあたしの旦那様が戻ってくれば、と、そんなタイミングでトントン鳴り出す玄関扉。あれ、愛しい太鼓様が帰って来たのかと思ったが違うのかね、鍵なんぞかけた事もないしそれは雷鼓も知ってるはずだから戸を鳴らす事なんて普段はないのだが。

 

「あ~もう。降られちゃったわ、ただいま」

 

 一寸置いて全開された扉、そこから入ってきたのは聞き慣れた声と家の人、それとドラムのフルセット。今日は輝く針のお城に行くから姉妹も一緒についてくるかもね、なんて言い残して出ていったがお帰りは一人らしい、あたしとしては都合がよくてありがたや。

 もう少し気候が安定したら幻想郷のあっちこっちでゲリラライブを始めるらしく、今日はその練習だとか打ち合わせだとか、そんな事を出掛けに話していた気がするが、ゲリラライブの練習帰りにゲリラ豪雨を浴びるなど、変な掛かり方をするものだ。

 思いついたつまらない冗談を軽く笑い、全身ずぶ濡れの雷鼓もそのまま笑うと気にもされずに手を伸ばされた。びしょ濡れでシャツの袖やネクタイから雫垂らしている奴にタオル渡して、後は飯か風呂かあたしか、どれから手を着けるのか聞けば嫁ごっことしては上々だけど、それは言わずにまずはお仕事。おかえりと迎えつつ、あたしは本体の方へ。

 

「いきなり強くなってきたわね」

「そうね。もうちょっと保つかなって思ったんだけど、ちょっと遠くまで行き過ぎたわ。無縁塚なんて寄るんじゃなかったわね」

 

「あそこに行っても何もないでしょうに、輝針城で練習って言ってなかった?」

「その予定だったんだけどちょっとね、下見も兼ねて足を伸ばしたのよ」

 

 女体の方がタオルを被り見た目の白を増やす中、こちらは本体にタオルをポンポン当てて要らぬ水気を取っていく。楽器が濡れちゃまずかろう、内助気取って気遣いしてると知らぬものなら思うだろうがコレが本体と言うかコレも雷鼓だ、楽器部分が多少濡れようが妖怪化した今であれば何の問題にもならん。

 それでもちょっとは嫁さんらしく、気を使った体でバスドラムの金具辺りを念入りに拭きあげていく。まだまだ若いこいつだしあり得ん事だとわかっちゃいるが、どこぞの神様連中みたいに錆びついてもらっては困るからな。

 

「下見ねぇ、無縁塚で演奏しても無縁仏とネズミくらいしか観客いないんじゃない?」

「そっちはついでよ。メインは中有の道、初めて行ったけど楽しいところね」

 

「年中縁日してるような場所だからね、でもあそこで演るの?」

「演るわよ? なんで?」

 

「いや、あそこの客層じゃ演奏してもねぇ」

「お囃子鳴らしてる亡者もいたし問題ないと思うんだけど、話した感じも悪い雰囲気じゃなかったし。それにあの人達ってアヤメさんと同じような人達でしょ?」

 

 片手で脱いだ上着をつまみ含んだ水気を滴らせながら、もう一方でネクタイを緩めつつ質問してきてくれるが、問われたところであたしにはわからん。

 種族としては同じ霊だと思うけど、あたしは地獄のお裁きを端折ってしまった状態で、あそこでテキ屋開いてる連中は裁判待ちのやつもいれば地獄で裁かれた後で刑期を言い渡され、そこの社会貢献活動の一部って感じで過ごしているようなのもいるはず。

 そういった流れを追えばあたしとは立場が違うように思うが、ざっくりカテゴリー分けすれば同じようなもんで然程間違ってもいないのか。まぁいいか、今のあたしには地獄は縁遠い所だ、まだまだ行くつもりもない場所の事を案じても無駄だからこの辺で切り替えよう。

 

「あいつらほど柄悪くないわよ、あたし」

「知ってるわ、あの人らと違って可愛いとこがちゃんとあるもの」

 

 ニコリ笑って不意打ちとは、いきなりで珍しいな。

 あたしから言わせる事は多々あれど、ねだりもせずにあっちから言ってきてくれるとは。これはなんだろうね、舞い上がってもいいのだけれど、何故だろうか真っ直ぐに受け取ってはいけないように感じる。

 別に疑ったり勘ぐるようなつもりなどない、ちょっと前の考え、嫁云々なんてのもあるから余計にそんな事を案じる気にもならん。ただちょっとだけ不自然さが鼻についてしまってソチラが気になり素直に受け取ってやる気になれん‥‥が、別の面では気にならんわけでもない、こいつが何を隠しているのか、そこは非常に気になっている。普段言わない言葉に隠したモノはなにか、あたしが不自然と感じた言葉の裏に何を含ませているのか、日頃企む側の者としてはつついてみたくてたまらない。

 

「そうだ、お風呂先に入れちゃっていい? ちょっと冷やしたみたいなのよね」

 

 どうやって雷鼓の藪を分け入るか、悶々と悩んでいるとドラムを拭く手が止まってしまう。

 その動きに気が付いたのか、脱ぎながら声をかけてきた。

 

「構わないけど‥‥ん?」

「あ、これからだった? 煙が見えたからてっきり」

 

「いや、風呂ならもうすぐ沸くし、入ってくれてもいいんだけど」

 

 返答すると一転、向き直る太鼓様。

 開けっ放しの玄関に向かって、いいってよ、と呼びかけると、雷鼓の声を音頭にして開かれた玄関には見慣れた顔が二つあった。なんだ、やっぱりいたのかこいつら。

 

「お邪魔しま~す」

「こんちは」

「先にお風呂済ませていいって、入ってきたら?」

 

 それぞれ声だけで挨拶済ませ、戸を抜けた勢いそのままでちゃっちゃと荷降ろす濡れ楽器二面。

 拾ってきたらしい汚れた機材っぽいのや、同じく掘り出したんだろう土で汚れた四角い何かやら、よくわからん物を土間に降ろしてポイポイ衣装を脱いでいく。雨に濡れた汚れモノを土間に並べてくれるが、使い物になるのかね、物によっては土の匂い以外に血の匂いまで嗅げるというに。まぁあそこなら無縁仏が打ち捨てられていても不思議ではないし、場所柄仕方がないのかね。

 それでも持ち込むなら軽く流すくらいしても、と、物から物上がりに視線を流すとあっという間に素っ裸、なのは八橋だけか、弁々は雷鼓から受け取ったバスタオルを巻いて、何やら顔色悪い二人で沸かしたばかりの風呂場へ駆け込んでいった。

 だがなるほどな、今になって引っかかったモノが何だったのかわかった気がする。

 さっきの『入れちゃって』ってのはこいつらにかかっていたのか『冷やしたみたい』とも言われているのにそこも聞き逃していたみたいだな、すぐに気がつけなかったのはあたしが浮かれていたからか。気が付くとなんでもない事だったが、たった一言であたしを上手くノセてくれて相変わらずたまらん太鼓様だ。

 満足気に一人頷くと、九十九姉妹の放り出したガラクタとあたしを見比べる雷鼓が、それとね、なんて言い出した。

 

「アヤメさんにちょっと、見てもらいたいものがあるのよ」

「ソレ? あたしよりも向いてる人がいると思うわよ?」

 

「えっと、そうじゃなくてね?」 

「なんだか長くなりそうね。なら後で聞いてあげるから、取り敢えず風呂入っちゃいなさいよ」

 

「私も? でも――」

「いいから、冷えたのはあんたも一緒でしょ?」

 

 言いかけた言葉を遮り、少し屈んだ肩を押し風呂場へ追いやる。若干の抵抗をされるけれど、冷えた肩をトンと押すと雑に押したのが功を奏したのか、名奏者はそれ以上何も言わずに風呂場へと進んでいった。

 何か言いかけていたがそれは後々で聞くとして。さて、あたしの思惑を潰してくれた連中は全員風呂場に追いやれたし、ここらで少し落ち着きを取り戻すとするか。なにやら見てもらいたい物があるなんて言っていたが何を見せたいのだろう、持ち帰ってきた機械についてか?

 であればあたしよりもあの河童か古道具屋にでも持って行くべきだと思うが‥‥それともあのガラクタじゃないのか、中有の道で何か土産でも買ってきてくれたのかね。いや、さっきの口振りには相談のような雰囲気もあった、だとしたら‥‥足を伸ばしすぎたとも話していた、なにかあった、にしては元気だし‥‥ダメだな、一度浮足立った頭では上手く纏まらん。

 やっぱり整理が必要だな、それなら手始めに……脱ぎ散らかされた姉妹の服を拾い上げ、先に掛かっている雷鼓の服と並べて吊るして、それから濡れたままにあるあいつらの本体でも拭くか。内面の整理をしようにも目の前が散らかっていては集中出来ん。

 

~楽器湯浴み中~

 

 煙管咥えていそいそと、狭い範囲を右往左往。向った先は竈だったり風呂場だったり押入れだったり、我が家の狭い範囲内だがちょこちょこ動いて忙しなく過ごした。

 最初は気晴らしのつもりであいつらが散らかした物を整えていたがいざやり始めると案外集中出来て、散らかった荷物や服はさくっと片付けられた。お陰様で内面整理も捗った、と言いたいところだがこっちは一向に整理できていなかったりする、あれやこれやとやってる間にすっかり本題から意識が逸れいつの間にか本題と副題が入れ替わっていて、メインの方が気にならなくなってしまった。

 本末転倒と言われれば全く以てその通りかもわからんが、気晴らしに家事をこなしたせいで気を落ち着ける事自体は出来ているから問題ないと捉えている。言うなれば雨過天晴(あめすぎて てんはる)な気分ってところか。いや、気は晴れたが外のお天気は変わらずのままだったな、なれば雨過天青(うかてんせい)の方かね、言い換えたところで意味など何も変わらんが、晴れとするには天気が合わん。

 

「ご馳走様~」

「あ、八橋、そこ、米粒落ちてるわ」

「どこ? いいわよ、私がやるから」

 

 物思いに耽っていると茶色に紫それから赤いの、それぞれの声が聞けた。楽器三人寄り合って姦しく食後のガールズトークに花咲かせ始めたようだ。八橋はご馳走様ってあいつだけまだ食ってたのか、相変わらずよく食うものだと思うがまぁいいか、兎も角ソレを切っ掛けにまったり語らう声が聞こえてくる。

 どうでもいいような話から次のライブはなんて話にまで流れて、一度話し出すと話題が豊富でよく口が回るものだ。まるで雨後の筍だな、妖かしとして成ってからまだそれほど経ってない奴らばかりだし、濡れそぼって帰ってきたのだから若竹か姫竹として見れば強ち間違いでもないか、伸び代もまだまだありそうだしね。

 

 そんな風に一人案じる、あたしだけ蚊帳の外のような感覚だが仕方がない、あたしは結構前から妖怪しているし今のあたしは風呂場で一人だからな。

 あれから流れで家事をこなして腹減ったと騒ぐ連中、主に八橋に言われ、それならと簡単な物で飯を食わせて、使った食器を空いたお(ひつ)で受けて。それからお茶でもといった時に、後は私がなんて雷鼓が言い出したものだから、そっちは任せてあたしは一人遅れての湯浴み中といったところ。

 

「でもさ、何だったんだろうね」

「そうね、本当に冷やしただけだったのかな?」

「二人共問題ないの? 本当に?」

 

 風呂場の屋根からぴちょんと落ちる雫と広がる波紋を眺めながら、あたしも出てすぐから混ざれるようにトークの流れを聞いておく、するとそれぞれ主語なく話しているのがわかる。会話の流れからうちに来る前の事を話しているらしいな、我が家に来る前は無縁塚に行ってたんだったか、雰囲気からあそこで何かあったらしいが一体何があったのやら。

 

「大丈夫! なんか雷鼓ん家に来たら急に元気になったわ。ね? 姐さん?」

「それだけで治ったとは思えないんだけど、確かに調子は良くなったのよね」

「それならいいけど」

 

「雷鼓は過保護ね~」

「だって、さっきまでちょっと痛いかもって言ってたから」

「心配してくれるのは嬉しいけど、確かにちょっと過敏かな?」

 

 そんな事ないと笑って否定する雷鼓に、誰のせいだろうねと軽く続ける弁々、二人のやり取りを笑っているのだろう八橋の笑い声を耳にして、こちらは風呂場で耳を畳む。これは聞かずにいた方が合流しやすい流れに思えるから、耳は畳んで顔半分も湯船に沈めた。

 けれど、その程度で話し声を遮断できようもなく、うっすら届く姦しさのせいで、その場にいないのに何故か居心地の悪い気までしてきた。そろそろ湯を上がって混ざるかなとそんな風に思っていたのに、我が家を雷鼓の家と言われ悪い気はしないが、なんとも出鼻を挫かれた気分だ。

 

「あ、そだ、さっきのどうなった?」

「あぁ、後で見てくれるみたいよ、どこに置いたんだっけ?」

「さっきは土間に降ろしたんだけどあれ? 見当たらないね」

 

 まだまだ続く楽しげなガールズトーク。

 こちらは出るに出られず、沈めた口からコポコポ、手元の手ぬぐい潰してブシュウと一人遊びしているというのに、居間の方では探しものをしながら語らっていて、和気藹々で妬ましいが、本当にどうしたものやら。

 二の足を踏んでいる間にそろそろ出ないと逆上せそう、けれども‥‥などと湯船の中で独り言を吐くと、あちらからも似たような音と別の音が聞こえ始める。茶器からコポコポ注がれていく音に混ざるのは、ペチンと弾けるような音色。出てこないから出してくるわ、なんて妹の声と腹でも叩くような音が聞こえた。

 ふむ、着ていた服はまだ乾かず、湯上がりから姉妹揃って頭と体にタオル一枚巻いただけで過ごしていたし、八橋の言いっぷりからすればあたしを水揚げしにでもくるつもりなんだろうな。ペチンの後に、また冷やすよ、という弁々の台詞が聞こえたって事はそういう事だろう。そういうのはあたしがそっちにいる時にやれよ、阿呆と笑ってやるから。

 

 音に釣られてそのまま聞いていると、諦めたらしい妹の寝転ぶ振動がこちらにまで伝わる。

 布団にでも寝転がったか、なんだよこっちにくると思ったのに。姉に窘められた程度で諦めるなよ、冷やしたらしいその腹を弄んでやるからちょっと来いよ。ついでに風呂から上がる取っ掛かり代わりに鷲掴んでやったのに。でも仕方がないか、姉は怖いものだからな、誰とは言わんがあたしにも頭の上がらないお人がいるし、そんな相手に言われれば断念せざるを得ないかね。

 と、己とお琴を比べて両者を鼻で笑っているとちょっとした事に気がつく。腹といえばだ、叩いた八橋もそうだがそういや弁々も食事中から片手は腹に当てたままだったな。という事は……あいつら本格的に冷やして腹の調子でも悪くしたのか。音頭や調子を取る側の奴らが雨程度で体調を崩すなどつまらん冗談にもならんね、笑えるわ。

 それでも今は調子がいい、戻ったと本人が言うのだからどうでもいい事‥‥でもないのかもしれないな、一人余裕をかましていた雷鼓もなんでか片手は腹の上だった。が、あいつもそれなりに冷えていたし、偶には腹ぐらい痛める事も……と、気楽に考え聞いていると、不意にドサリ響く。

 

「ちょ!! 雷鼓!?」 

「これって!?」

 

「何? どうしたの?」

 

 慌てる姉妹の声を聞き、こちらも慌てて湯を上がる。出てみれば倒れ丸くなっている雷鼓。

 腹を抑え、お古の肌襦袢の布地に深い皺が寄るくらい拳を握り込み縮こまっているが何がどうしたって考えている場合ではないか、一体何がどうなったのかは姉妹の声が教えてくれたし、ここは焦らず赤い頭を腿で受け‥‥ると気がつくこいつの異常、風呂あがりで食後間もないというのにやたら悪い顔の色、亡霊として在るあたしよりも青白くて、血の気が引くどころか流れていないようにすら見える。

 

「やばいんじゃないの!? ねぇ!? ねぇってば!?」

 

 確かにヤバイ、と頷くだけの変に冷静なあたしに代わって八橋が騒ぐ騒ぐ。

 妹の叫びに近い声を切っ掛けに弁々も敷いた布団を捲ったり流しでタオルを濡らしたりと走りだした。そうだな取り敢えず寝かせて、いや、家で寝かせておくなら――と、考えこんでしまいそうになる寸前、腿の上に温いなにかが広がる感覚を覚えた。視線をズラすと見える赤、雷鼓の口元からあたしの太腿まで流れて繋がる鮮やかな赤が濡れた腿に染みて広がる。

 こうなると考えている余裕はない、なにもわからんが連れて行った方が手っ取り早いし確実だ。しかし、こういう時だけ冷めたままに動ける己がちょっと憎い‥‥いや、既に死んでいるからこういう場でこそ焦らなくなったのか、我ながら嫌な性分だとも思うが今はいいか、おかげですんなり体が動く。

 

 

「留守番って、私達も――」

「出られる格好してないでしょ、留守番任せたわ」

「でも――」

「いいから、お願い」

 

 カハッと吐いて何か喋ろうとする雷鼓は抱き抱え、喋らなくていいからと黙らせて、八橋と弁々には留守番してろと言いつける。

 きっと睨むと一瞬怯まれたが強く願うと勢いに負けてくれた姉妹。

 心配なのはあたしだけではない、こいつらだって当然心配なのだろう。

 それでも二人には残ってもらった、自分なら構わんがさすがにバスタオル一枚の少女を夜道に出すわけにもいかん。無言で頷く二人に、迷わず来れるならせめて着替えてから来いと追加し、ろくに水気も取らずに長着だけ羽織って、丸まったまま動かない太鼓を抱えて、目に映る全てを逸らし真っ直ぐに永遠亭へ向かった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。