東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その51 万病は心持ち次第

 青空を進む。

 ふよふよ。いつか例えられた灰色の雲のように、ふよふよ。時には気流に乗って高度を上げてみたり、今の気分にあわせての移動したり、気ままに流れている風合いで。それでも風に身を任せきる事なく、流れる方向だけは目的地方面から逸れずに二人、緩く飛ぶ。

 

 つい先日は気の早い銀世界となった冬入りのお郷だけれど、今日は一転快晴で、何処までも突き抜ける青が頭の上には広がっている。気候もほんのり緩やかで過ごすには調度良い空気だと感じるが、さすがに春先のような暖かさまではなくて、冬場の刺すような寒さの片鱗を肌に覚える今日此頃。それでも凍えるほどではないからいいか、ちょっと前に広まった冬本番さながらの寒気は、目覚めた冬妖怪と同時にバッサリと斬られた事でまた少し遠のいたわけだし。

 

 訪れるには早かった冬を払ったのは、あの半分庭師で半分辻斬りな娘っこ。

 主と一緒に顕界に降りて楽しくお買い物をするつもりが、寒いと文句を言い出したお姫様がカフェーに閉じこもり、一杯の珈琲と一籠のお茶請けを口にし始めてしまった事でお買い物どころではなくなってしまい、その八つ当たりを大義名分に、気の早すぎた冬退治となったようだ。

 サクッと斬ってササッと主の元に帰った半分幽霊仲間のあの子、いつだったか宣言した通り、あんまりないという斬れないモノの内に冬やら寒気やらは含まれていなかったらしい。

 らしいというのは伝聞だから、これを教えてくれたのは退治を眺めていた霧の湖近辺を縄張りとする宵闇の妖怪で、彼女がざっくばらんに、確かこんな感じだったと教えてくれた事だから。 

 なんでも受け入れ飲み込んでしまう闇。それを体現するように大らかな、あたしやあの紅白以上に面倒くさがりな彼女らしく、説明もそうだったような、でも違かったような気もするなんて、永遠亭のベッドの上でテキトウに教えてくれたから、あたしもテキトウに聞いて仕入れたのが少し前のお話だ。

 

 なんでまたベッドの上で、そう聞かれそうだが答えは簡単、彼女も退治されたから。

 辻斬り庭師がついでに斬ったというわけではなく、別の相手、寒の内は働きたくないと言っていた、普段からあんまり働く姿が見られない紅白が後から姿を見せ、事が終わり静かになった湖畔を漂うルーミアを見つけて、あんたら妖怪のせいでわざわざ動くハメになったと言いがかりをつけ、鬱憤を晴らしていったからだそうだ。

『またやられたぁ』

 そう言いながら落ちていったという黒い玉っころ。頭から着水してしまったが、湖底に沈む前に石ころ拾いが大好きな水辺の姫様に拾われて、どうにか闇に還る事なく済んだのだと。

 

 その日は偶々湖近くの廃洋館を訪れて、美しい旋律に酔っていたあたし。

 三姉妹の内の一人、いつ見ても楽しそうな顔した次女の演奏を堪能し一人喝采を送って帰る途中、拾ったらしい黒い玉の芯を抱いたわかさぎ姫と丁度顔を合わせて、竹林に帰るなら連れてって差し上げてと押し付けられたのが、真っ黒いのが真っ白いシーツに寝ている理由だ。

 しかしまぁ、完全に妖怪違いだとわかっていても、この寒さの原因ではないと理解していても、騒ぎの場にいる妖怪はしっかりと退治して帰っていくあの巫女さん。その背中は少し働き過ぎで、何か疲弊しているようにも思えたが‥‥実際は疲れるどころか早すぎた寒さに辟易して、丸くなっていただけなのだろうな。

 

 それでだ、ルーミアを担ぎ込んであそこの主治医に押し付けたまではヨシとするが、あのヤクザイシは『今回も貸しにしとくわ』なんて、治療を受けて寝息を立てる奴にではなくあたしに対して言ってきてくれた。身内でもない闇っころ、少女を抱えて陸を動くにはちと厳しい人魚姫の代わりに連れて来てやっただけでも十分だと思えるのに、代金まであたしに押し付けられるのか。

 一言一句違えずに言い返してみると、それなら代金代わりに鞄持ちをしてなんて誘われて、それくらいで払えるのならって返事をしたせいで今、鞄、というか花籠持ちをさせられて、目的地に向かい、出かける事など珍しい名医と並んで空中散歩と洒落こんでいる。

 

 口達者で、ちょっとだけ憎らしくて。

 そうあるのが好ましい相手の背中。

 それを追って飛び向かう最中、あたしは両手を頬に添えている。

 寒いわけではない。

 かわいこぶっての仕草というわけでもない。

 単純に頬の内側、あたしの商売道具であるモノを先程から派手に噛みしめているから、その痛みを誤魔化す為に両手を頬に宛てがっているだけ。加えて言えば冷えた舌の動きが悪く、そのせいで噛んだという事でもない。これも単純で、言うに言えない事を無理に言おうとしたせいでガチンと、自身の舌を味わう事になっているのだった。

 

「なに? さっきから、可愛げを見せても何もないわよ?」

 

 両手を当て、口の中で舌を転がし、噛んだ辺りを確認している中で飛んでくる文言。

 微笑んで、これも珍しい明るめの笑い声を小さく漏らして言ってくれる相手、あたしがこうなっている原因から厭味混じりの冗談が届けられる。

 

「そんなんじゃないわ、そもそも永琳のせいでこうなってるのよ」

「人聞きの悪い事言わないでくれる? 私は何もしてないじゃない」

 

 瀟洒な笑顔からフフと漏れる。

 確かにまだ何もされてはいない。

 何か新しい薬を飲まされてこうなったとか、知らぬ間に実験されていて口だけ妖怪の口を封じられてしまったとか、そういった小難しい事はなにもない。

 だというのにしてやられている、というか少し前から何度も自爆しているあたし。何故にこうなってしまったのか、それはあたしの矜持のせいだ。

 

「いんや、YXが悪いの」

「また間違えているわ。XXだと何度も言ってるでしょ?」

 

「‥‥XZ?」

 

 目の前にある形良い唇の動きを真似て発声してみるも、正しいお名前の音としては出ていないらしい。薄く笑ったままで銀のおさげを左右に揺らし、私の名前はそうじゃないと教えてくれる月の頭脳。

 

「また離れたわね、言えないんだからいい加減に諦めたら? 舌まで噛んで、何を意地になってるのよ」

「意地にもなるわ、口があたしの取り柄だもの。それによ? 知ってて言えないとか面白くないと思わない? Z‥‥」

 

 言い切る前に再度噛む、強かに噛んだせいで痺れる舌先。

 煙や霧という不定形混じりのおかげか痛みに対する耐性が程々に高いあたし、それだというのに思わず涙目になる。そりゃあそうだ、同じ部分を何回も噛みこんで、端の方が千切れかけたりしていれば多少は痛いと感じて当然だ。

 ここまでの会話でわかるだろう、コレがぶりっ子なんてしている理由だ‥‥いや、正確にはかわいこぶりっ子かましての仕草ではないから厳密には違うのだが、形を例えるならソレが一番手っ取り早いのでそう言っておこう。結果あたしの可愛らしさが増すのなら本当にそうだって事にしてもいいしな。

 

 そうして自己弁護を思案しつつ、笑われながら進む幻想の空。

 銀のお目々に赤を挿し、目尻の端には雫を貯めて、舌先出して並んで飛ぶ。

 外気に晒せば少しは冷えて、そうすればちょっとは痛みも引くかもと、隣でニヤニヤされるのも気にせずに、天邪鬼らしさとは別の意味合いで舌を出し進む。

 すると伸ばされる冷えた手。

 あたしの尻尾に括られた八意十字印の押された花籠を、空いている一方で掴み抱え、冬場の雪のように白く、ソレよりは少しだけ暖かなもう一方の手が出している舌先を優しく摘む。

 

「ほら、ちょっと診せてみなさい」

 

 プニッと摘まれ少し引かれ、引っ張られて、噛んだ辺りが広がる感覚を覚えた。

 その傷口を嬉々と眺める蓬莱の瞳、傷を癒やす医者、正しくは職業薬師ってお人がそうやって傷を広げるな、冷やしたおかげで少し麻痺したから然程痛みはないが、口内から聞けるプチって音はさすがに耳に痛い。

 

「あによ、はんらえん因に見へるひたなんへなひあ」

「いいから、減らず口は言えるようになってから言いなさいな‥‥しっかり噛んだわねぇ、端なんて千切れかけてるじゃない。死に体で問題ないとは言っても自分の身体でしょう? 少しは加減をしなさいな、それとも加減を忘れるくらいに美味しいタンなの?」

 

 あたしが言い返せないからか、ここぞとばかりに饒舌に、好き放題のたまう永琳。

 なんだこの状況は、診せろと摘む割に見るだけでなにもされない。捕まったら如何わしい劇薬でも投与されて、摘まれた舌端に火を点けられる、そう覚悟したのにそれはなく……そうなるどころかひっくり返され、相手の舌端が火を吐くような状態となってしまっっている。

 面白くない、あたしが返すなら良いが返されて笑われるなど捨て置けない状況だ。

 

 というかそもそもだ、噛んでしまうような、寧ろ力いっぱいに噛んでも言えないような七面倒な名前をしているのが悪いと思う。

 それにだ、今現在厭味を言っているのは果たしてどちらの方なのか?

 自分のタンなど噛みしめて旨いはずがなかろうよ。それともなにか、永琳の舌は旨いのか?

 味わった事も味あわせてくれるような誘いも、あるにはあったがあれは冗談の戯れ言としてだ、ともかく蓬莱人の舌は旨いとでもいうのか?

 同じ人種の姫様を試食した時は少しイイかもなんて感じてしまったがそれでも‥‥そんな心で指の持ち主を睨んでみる。こちらからはジットリと、返すあちらは少し瞳を細めて、目と目が合っているように見える姿になる。けれど、あたしは八意先生の顔を、先生は摘んでいる舌先を診ているようで、視線が重なっているとは感じられない雰囲気だ。

 なんだよ、こっち見ろよ、眼中に入れろよ。

 

「全く。邪魔だけするなら連れて来なかった方が良かったわ。これなら荷物持ちよりも、姫様の暇潰しにでも付き合ってもらっていた方がマシだったわね」

 

 さらなる厭味があたしを襲う、けれど掴まれている為逃げられず言い返せず。

 荷物持ちはいらなかった、輝夜の暇潰し代わりに置いてくれば良かった、そんな風に言ってくれるが連れ出したのはお前さんだろうに。

 一人で行くには荷が多い、けれど兎を連れて行くには空気が悪い場所だし、兎詐欺の方は既に逃げられたと、そう言ってちょっとお出かけしましょって釣り出してくれたのではなかったか?

 いや、釣られたあたしが悪いのか?

 永琳が珍しく出かけるなんて異変で釣り出され、それから釣られたあたしにあげる餌はないと、そんな事が感じられる言い草である。

 

「冗談よ。そう睨まないで」

 

 得意な事は全て封じられ、にっちもさっちもいかない状況。眼力込めて睨むくらいしか出来ないあたしを見て、楽しげだと、確実にそうわかる顔が少し寄る。

 珍しく感情まで読める顔を見せてくれて、今日は珍しい事が重なる日だが何がそんなに楽しいのだろう、そう考える間もなく何かをされた。不意に近寄った綺麗なお顔に見とれた一瞬、流れるような自然な動きで花籠から何か取り出していたらしい。

 そこから取り出されるのは言わずもがな、ナニカのお薬っぽい物。

 動作に違和感がなかったから気がつけなかったのか、信頼の置ける相手だからそうされても気にする事が出来なかったのか、自分でもよくわからないが、摘まれている舌の端切れ部分、そこに何やら垂らされ湿る感覚がするまで、何をされたのか気がつけなかった。

 そうして数秒、何かが塗られた事を認識した瞬間。

 苦い。

 痛い。

 辛い。

 そういったモノが舌を伝わり全身を奔る、そう身構えて少し待つけれど、考えていたようなモノは何もなく‥‥拍子を抜かれ、そのままの心情で近くい別嬪さんを見つめてしまった。

 

「……あれ? 無味?」

「変な顔して、なにかおかしい? ただの薬よ? 一体何に期待したのやら」

 

「身に染みる苦味とか。永琳の処方箋なら良薬なんだろうし」

「苦いほうが良かった? そういうのもあるにはあるけれど」

 

 そうやって呆けて、気まずい空気を押し戻すように見つめ返すとまた微笑まれた。

 聡明な月の賢者らしくない朗らかな、あの弟子(てゐ)が見せるような顔を一瞬だけ浮かべた永琳。

 柔らかく微笑むと本当に綺麗な御仁、ってそうではなくて、これは完全に遊ばれたなと理解出来たが、痛みは引いたし、随分楽になったのでここはお礼を伝えておこう、何か言い返したところで勝てるはずもないわけだし、取り敢えずのお礼を言っておくとする。

 どうするのと待つお医者様と同じように、一瞬だけ嬉々とした笑みを見せて呟いた。

 

「遠慮するわ、痛みも引いたしコレで十分、ありがと」

「どう致しまして‥‥案外効くのね」

 

 素直に感謝を伝えると、クスリ、漏れる声と吐息。

 本当に何を塗ってくれたのか、先のように睨みつつ問うてみるが、本当にただの痛み止めよ、返ってきたお言葉はこれだけで、摘まれていた舌は離されて、一人先に飛んでいかれてしまった。

 その背を眺め軽く舌打ち。それが小気味よく鳴らす事が出来て‥‥そう出来たのが治療のおかげからだとわかり、もう一度、我ながら惚れ惚れする舌打ちをして後を追った。

 

~薬師移動中~

 

 着いた先は真っ白。

 雪ではないが本当に真っ白が広がる場所。

 白を着こむあたしや普段見ている白衣姿の永琳が降り立てば自然と景色に溶け込めてしまえそうな程に、見える景観はまっさらな白がほとんどを占める丘に着く。

 先に降りていた尾行相手の隣に降りるとフワリ、好ましいモノが鼻孔を擽る。

 清楚で可憐、けれどそこはかとなくツンとした雰囲気も混ざる香り、美しい毒気の感じられる香りが目にも鼻にも届く。

 

「雪が降っても変わりそうにない白さね、相変わらず」

 

 漂う毒気を取り込むように大きく吸って、胸を撫でる。

 身体には当然悪いのだろうが、悪くするお肉はとうにないし、どうにかなったら主治医もいる、だから気にせずに深呼吸をし空気を楽しんだ。

 そうして何度か味わって、隣の毒を浴びようが関係ないお人に話を振る。

 

「そうね、いつ来てもここの蘭は咲いている事が多いけれど、どうしてなのかしらね? そういった品種? それとも‥‥」

 

 ここの香りに似た、ツンとした顎先に手をかけ、真剣な面持ちでブツブツ言い出す天才様。

 そんなに、真面目な顔で考える事か?

 品種がどうこう、寒気耐性が云々、多年草ではあるけれど通年咲くには、などと小難しい顔にお似合いのぼやきを漏らしているが、もっと簡単な答えってのがこの幻想郷にはいるだろうに。

 

「楽しい考察を始めたところで悪いけど、幽香が咲かせているだけよ、きっとね」

「あの花の妖怪が? 季節感のない事をするのね、らしくない気がするわ」

 

 正しい答えをポロッと吐くと、永琳からも反論が吐かれる。

 そりゃあそうだ、知らなきゃ確かにそう感じるだろう。事実あたしもそう考えていた事があったし、それを理由にお礼を伝えに会いに行った事がある。そしてその時にあたしの言った答えを教えてもらったのだったな。

 怪訝な顔の月の頭脳、こりゃまた面白い顔を見られたと鼻で笑い、余計に深まる疑り顔にらしくない事もない理由を教えてあげた。

 

「あたしもそう思ってたんだけど、案外らしい事みたいね」

「どういう事?」

 

「幽香曰く、花には咲きたい季節があるそうよ。あの言い草から鑑みれば、ここのお花は年中咲きたいとでも考えてて、それならちょっとって咲かせてる感じなんじゃないの」

 

 お昼前に訪れた真っ赤なお屋敷、季節になればあの庭で並び咲く花を脳裏に浮かべお澄まし顔で言い切ってやる。ちょっとだけ空を拝み、鼻高々に言い返すと、そんな事もあるのね、なんて素直に同意してみせてくれた。

 先には持ち得る知識から答えを得ようとしていた賢人様だが、知らぬ事を伝えてみると偶にはこんな素直な一面も見せる、それが面白くてあたしはこの御仁を好いているのかもしれない、向こうからどう見られているのかはわからんがね。

 

「で、どれを摘んで持ち帰るのよ? お師匠様?」

「そう呼ぶのは兎達で十分よ」

 

「そ、なら飼い主様って言ってあげようか?」

「ちょっと言い返せたからって調子に乗らないで、外飼いするのをやめてもいいのよ?」

 

「首輪は勘弁してよ、ただでさえそういうのもイイって感じ始めてるのに」

「すぐに下世話な話にもっていかないの、うちの子が真似たら面倒だからやめて」

 

 仰る通り、ちょっとだけ言い返せた事で随分楽しくなり、その分だけ調子に乗れば、直ぐ様に叩き落とされる。もう少し遊び心というか、話に乗って遊んでくれてもいいのに、そう考えて顔を睨む。今度はしっかり目が合って、それも楽しくて、思わずバチコン目尻から星を飛ばしてみる‥‥けれどその星がぶつかる事はなく、サクサク歩いて置いて行かれてしまった。

 

「何してるの? 待てと命じてないわよ?」

 

 ぽつねん、一人立ちん坊となったあたしに飛んで来る飼い主様のお声。

 確かにイヌ科だが犬でも狗にもなったつもりもないし、突っ立っていても仕方がないし、可憐なお花を踏まないように、軽く浮いて後に続いた。

 

 ろくに進まず中心地。

 それほど広くはない丘だからあのまま待っていてもいずれ姿を見つけられたのだろうが、会いに来ているわけだし、今回は見えないお相手を探しにコチラから動く事になった。

 

 あちこち目配せしながら探し、進む。そうして少し過ぎた頃、小さな妖精がふと目に入る。視界に入ると視線が合った、あの子がいつも一緒にいる子、スーさんと呼ばれているちっこいのが小さな手をフリフリして、こっちにおいでと誘ってくれた。

 そちらに向かい先に降り立ち佇む永琳の側にあたしも降りるが、それでも姿を見せない毒人形。いつもなら花畑に降り立った瞬間には、踏まないで! と、賑やかしくしながら出てくるのだが、今日は姿を見せないあの子。お出掛けでもしたのか、珍しい事続きの今日だしそんな事もあるかも、そう思い直すと隣の先生が花畑で屈む。

 

「ねぇアヤメ、付喪神でも風邪を引くと思う?」

「さぁ、あたしは知恵熱出したけど、物上がりはどうなのかしらね? 雷鼓も病気知らずだし」

 

 (こがらし)にそよぐ蘭の中、永琳の視線を追って問いに答える。

 実際のところはどうなのだろう?

 一応獣の延長線上に居るあたしは熱を出してこの先生のお世話になった事もあるが、目の前で幸せそうな顔のまま動かないお人形さんは体調を崩したりするのだろうか?

 一人悩んでいると動く医師。スカートを膝で挟み、背を丸めて手を伸ばす。雪と見紛う白景色の中で目立つ金に指先が触れる。小さな身体に比例した寝息を漏らす眠り姫の髪に指が触れると、ちょっとだけぐずついたように、ううんと漏らした‥‥なんというかコレはズルいと思う、小さいというだけで無条件に可愛いと感じてしまい、思わず頬を綻ばせてしまった。

 

「鼻の下、伸びてるわよ? 付喪神ならなんでもいいの?」

「やめてよ、年端もいかない相手を散らすほど節操なしじゃないわ。単純に可愛いって思っただけ」

 

「そう、ならそれでいいわ……さ、寝てると冷やすわ、女の子が身体を冷やすものじゃないわよ」

「ちょっと、自分から振っておいてその反応は冷たいんじゃない?」

 

 無視。

 起きないコンパロ人形に代わりプンスカしてみたが、完全に無視。

 先にも考えたがもう少し構ってくれても良いのではなかろうか、散歩に行くから着いてきなさいと誘ってきたのは飼い主様だったはずなのに。ちょっと前には外飼いするのをやめるとも言ってきたのではなかっただろうか?

 だというのに放し飼い、というか放置とは‥‥と、ちょっとだけあたしらしくない思考に囚われる。付かず離れず、それくらいの程々具合を好むのが自分だったはずだが、こうも気分が浮き沈みしてしまうのはなんでだ?

 あぁ、躁っ気たっぷりの演奏を聞いてきたからこんなテンションなのか。あの音を全身に浴びて、酔いしれたままでいるからこうも浮ついているのか。ならいい、今日はこの気分に任せたままで過ごしてみる事にしよう。

 

「ほら、起きて。野宿なんてしてると何処かのお馬鹿な狸みたいに風邪を引いてしまうわ」

「う……ん?‥‥ゆ~かぁ?」

 

 誰かわからない狸さんを例えに揺り起こす永琳。

 対して、別の相手の名前を寝ぼけて言う毒人形。声は発したみたいだけれど、目覚めるには至らず、モゴモゴ言った後で再度の眠りにつこうとする。が、そろそろ起きてくれないと話が進まないので、この辺で起こすとしよう、多少強引にでも。

 

「起きなさいコンパロ人形、起きないと遊んじゃうわよ?」

 

 隣に同じく、着物の裾をさばいて膝を折り、先生と並んで座る。

 そうして居眠り人形に声をぶつけて、頭頂部で結ばれているリボンに手を伸ばす。強めに摘んで持ち上げて、さながら土産物のマスコットのように持ち上げ揺らしてみる。すると、数回パチクリした後で愛くるしい蒼眼が開かれた。

 

「起きた? メディスン?」

「おきたぁ! おはよう!」

 

 持ち上げた小さな身体をそのまま片手で抱き、寝ぼけ眼の端にある雫を袖で拭う。

 そうしてやっと目覚めたのか、孵ったばかりのひな鳥みたいな薄い目を見開いて、ニパッと笑うお人形さん。それからすぐに、あたしの顔の近くに持ってきた小さなお口が激しく動く。

 

「あ、えーりんもいる、おはよう!」

「私もというか、私の用事で来たのだけれど、まぁいいわね。おはよう」

 

 ピーピーキャアキャア、母鳥から餌を貰うかの如き口が開く。

 実際この世に生まれ落ちてまだ浅いというお話だけれど、口はそれなりに達者で扱う力も結構強力なお人形さんってのが彼女、メディスン・メランコリー。寝起きから一気にハイテンションになって、そんなに回転数を上げたら調子でも悪くしそうだが、子供ならこんなものかね。

 

「用事? 何? あ、またスーさん持ってくの? 誰か仕留めるの? わかった、アヤメね? だから連れてきたんでしょ? よっし! この私に任せ‥‥」

 

 目覚めからなんて事を言ってくれるのかこの子。態度では嫌がらず抱き上げられているというに、言う事もしてくる事も随分と物騒だ。

 ケラケラ笑って向けられる幼い手の平。突き付けられた可愛らしい手の平には少しずつモヤモヤが溜まっていく。よく見慣れた白っぽい靄、普段あたしが吐き出している煙草の煙と瓜二つなモノが、あたしの体から離れ、あどけなく笑う幼女の手に吸い寄られていく。

 これはきっと今のあたしの元である煙草に含まれているニコチンとか、そんな毒素っぽいモノでも操って絞り出しているのだろう。このまま放っておけばもう一度あの世に送られてしまいそう、それくらいの勢いで自分の体が薄れていくのを感じて、思わず行使される能力を少し逸した。

 

「あ、また悪戯した! 変なことしないでよ!」

「変な悪戯してるのはどっちなのよ、気軽に消そうとしないでくれる?」

 

 少し逸らして邪魔してみれば、悪戯すんなとのたまうガキンチョ。

 笑っていたと思えばプンスカ拗ねてくれて、見た目そのままの無邪気っぷりを魅せつけてくれる。やはりあれだ、あたしも浮つく少女のようにしてみたつもりだったが、実際に子供で自然と拗ねられる奴には勝てるわけもないのだなと、膨らむ小さな頬を見て思い知らされた。

 そんなあたし達を見て小さな吐息を漏らすのは一番の年増様。膨らんだ頬をつついて笑うあたしと、つつかれてくすぐったいとはしゃぐメディスンを交互に見てから、いい加減にして、と、切り出してきた。

 

「遊んでないで、そろそろいいかしら?」

「あたしはいいわ、十分遊んだし。で、何するの?」

「私もいいよ? で、なんだっけ?」

 

 再度聞こえる薬師のため息を二人で聞く。そんなに吐いては幸が逃げてしまうと思えるが、このお人なら幸せになれるお薬もチャチャッと作ってしまえそうだし余計な心配か。

 何やら言いたげな永琳はともかくとして、取り敢えず薄まった身体を取り戻す為に煙管を咥え煙を纏う。吸った側から吐き出して、先程操られたモヤモヤを再度身に溜め込んでいると、また茶々を入れるつもりなのか、両手をバタつかせて見せるちびっ子。

 何度もこう邪魔されては困るので、吐き出した一部で煙の鈴蘭妖精を形取り、本物スーさんと並ぶように動かして気を引いておく。

  

「あ、スーさんが増えた!」

「気に入ってくれたなら何よりだわ、暫く持つだろうし、お仕事が済むまで遊んで……って、永琳? 何処行ったのよ?」

 

 キャッキャと童子らしい声を上げるお茶目な人形の気を逸らし、こいつはこいつで一人遊びしていてもらう。そのつもりで気を引いたのに、少しだけ目を離した隙に薬師の姿は見えなくなった。

 出かけると誘っておいて一人でいなくなるなど相変わらず連れない女だとも考えられるが、なるほど、連れてきた本当の理由はこれだったか。あの先生がここに来る理由など薬の材料を仕入れる以外にはない、お花摘みをするのなら回りではしゃいで煩いこの子はきっと邪魔で、それなら自分以外に相手でもさせればと、そんな考えで誘ってきたのだろう。

 そんな事が考えついて、いなくなってしまった赤青ツートンを探そうと周囲をチラリ見てみたが、白景色に目に付くだろう彼女の姿は見つからなかった。

 何処に行ってしまったのか、考えていると近い金髪で結ばれた赤リボンが嬉々と揺れる。

 

「よし出来た、こうしたほうが可愛いよ!」

 

 人の腕の中でしてやったり、ふんぞり返り鼻高々な声を上げる幼女。

 反ったせいで頭が離れ、そのまま後頭部から倒れこんでしまいそうになるが、ちょいと抱き直して身体を寄せた。これも嫌がらず素直に受けてくれる動くお人形。それほど仲が良いわけでもないあたし達だが嫌がられないのはこの子の成り立ち故だろうか、聞けば一人で訪れた永琳やあの花、人形遣いなんかも抱っこをせがまれる事があるというし、この子も元の人形時代から抱かれ続けているのだろうし、抱かれ癖でもついているから嫌がったりもしないのかもしれない。もしくは嫌うほどでも好くほどでもない、どうでもいい相手だとでも思われているからかな。

 言うなれば毒にも薬にもならない相手、ってところだろうか。

 一緒に来た蓬莱人とこの子を例え、我ながら悪くない思いつきだとニヤつきつつ抱き直し、再度近くなった金髪に視野の下半分を取られる。それで何が可愛いのか、声の向けられていそうな方を見れば、そこには灰色一色だった偽スーさん染色された姿があった。

 

「確かにこっちの方が可愛いかも」

「でしょでしょ、可愛いでしょ!」

 

「何をどうしたのか知らないけど器用な事するわね」

「ふふぅ~ん、もっと出来るよ? ほら」

 

 可愛いでしょ。

 エヘン顔でそう言って、スーさんと偽物を見比べ、最後に人の顔を見上げてくる童子。

 あたしが形取った時は白っぽい一色だった全身、今ではメディスンやスーさんのような赤と黒に染まったドレスを着こみ、髪の方も目に痛いくらいの黄色に染まっている。僅かな時間しかなかったはずなのに、艶やかに女化しこんだ偽スーさん。

 元がニコチンやらの毒素で作った偽者さんだ、毒を操る彼女であれば毒らしい警戒色に染め上げる事くらい造作も無いのだろう、上手に染色するものだと二体を眺めていると、あたしの唇に小さな指先がそっと触れた。

 

「なに? 唇奪うなら指より口のがいいんだけど?」

「なんでもない!」

 

 プニッと、唇をなぞられる。

 元は人形といえど今は幼子、気温やあたしの体温よりも暖かで柔らかな指の感触を口先に感じ、なんのつもりか問うてみたが、屈託のない笑顔をみせてくれるのみで、悪戯の内容は教えてくれなかった。

 何をしたのか言わないとこうだ、触れられた口からこんな事を発して、抱いた身体の脇やら首筋やらを少し擽ると、またもはしゃいで、キャイキャイとした黄色い声が辺りに響いた。

 

「二人ともなんだか楽しそうね」

 

 そうやって人形遊びに興じていると、背中側から、子守ご苦労様、なんて落ち着いた声色が聞こえてきた。

 

「えーりん、おかえり!」

「子守じゃないわ、また遊んでただけよ、もういいの?」 

「十分よ、これで暫くは保つから大丈夫。あら、見ない間にお洒落したのね、帯の紫陽花と合わせたの? 悪くない色だわ」

 

 花籠片手に現れたお医者様に返しつつ、頭だけ先に振り向いた遊び相手を追って振り返れば、よくわからない事を言われてしまった。

 何の事か、少女らしく少し傾いで答えをせっついてみるが、でしょでしょと、腕の中でニンマリするお人形さんと、珍しいものでも見るような顔の天才様の視線の先から、教わらずとも察する事が出来た。

 先程幼女になぞられた唇の端を空いた左の小指で撫でる、そうして指先を見てみれば、指の先に薄っすらと移ってくれる紫がかった紅の色。

 

「あ、落としちゃダメだよ! 折角綺麗にしたのに!」

 

 もう一度触れてくる子供の手。

 先とは違って撫でるのではなく、丁度あたしが触れた部分にだけ、ちょんと人差し指が乗せられる。それからすぐにコレでよし! と、破顔して見上げてくれた。

 なんというかこれは、あたしがお人形さんで遊んでいたつもりだったのだけれど、見ようによってはあたしがお人形さんに遊ばれているような絵にも見えるな。着せ替えとまではいかないが、子供らしいお化粧遊びに付き合わされてしまった感じがする‥‥が、今日はこれでヨシとしよう、永琳に褒められる事などないし、小指に移った紅の色はあたしの好みでもあるし。

 

 

 そんな風に少し遊んで、ちょっと笑って。

 日が傾いてきた頃合いに今日のお人形遊ばれはお開きとなった。抱いた相手を野に離し、お化粧ありがとうの投げキスを放りつつ、先に飛んだ薬師の後について浮く。

 それに返すように手を振る小さな人形と鈴蘭の精に見送られ、傾き始めたお日様が照らす空を進む中で、そういえばと聞いてみた。あの時、来る途中で塗ってくれたお薬はなんだったのかと。

 返ってきた答えはこんなものだった。

 

『あれはただの水、蒸留水よ。でもアヤメは治ったわけだし、そうね、薬だったと言っておきましょうか。前に聞かれたナントカにつける薬だったとしておいてあげるわ』

 

 こう聞かされたあたしがどんな顔をしたのか、そこはまぁ、察して欲しい。


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