昼間は晴れた。
夕暮れの今時分はところにより曇り。
日付が変わる頃には俄か雪でも降り出すか。
自身の髪色に似た空から
少し早めの雪空予定な幻想郷、こうなっている原因はあの低血圧な低気圧が起き出して、姿を見せたからだと思う。少し前にお目覚めした、そんな事を知らせるように、白い息混じりのあくびをしていた姿を霧の湖近くで見かけたのが数日前。霧の湖なんてあの氷精にでも会いに行ったのかな。そんなに仲が良かったかな。寝ぼけ頭の冬妖怪を門番と一緒に眺め案じていたが、目覚めたてで圧の低い状態では加減が上手い事出来ないらしく、意識せずとも漏れ出る冷気をあの氷精に押し付けにいったのだと、後で本人から教えてもらえた。
押し付ける。言うなれば利用するって感じで、彼女の在り方らしく冷たいなと感じるが、レティさんはウォーミングアップに調度良く、チルノからすれば自身が冷気の顕現というだけあって過ごしやすくて快適と、互いに利点しかないから文句が出る事もないらしい。
かかる霧に冷たい
そんなわけで寒い。
早ければ半刻、遅くとも一刻半も過ぎればふわふわ冷たいのが舞い始めてしまいそうな幻想郷の屋根模様。ふむ、屋根がないから見えるのに屋根模様とはおかしな表現か、なんて思いついてから否定する思考も浮かんだきたが、この地は結界に閉ざされているのだし、ソレを屋根としておけば
なんて事はない思い付き。誰に話したわけでもないものに。己が納得する為だけの言い訳を考えて、腹を空かした赤子みたいな空を見上げ、止めていた足を再度動かす。天下というほど広くはないが、住まう人間達の足により堅く締められた往来を、コロ付きの手引鞄、キャリーケースと言うのだったか、それを引きつつ低いヒールで小突いて歩く。
お洒落は足元から、そういった新しい格言も外の世界にはあるようだけど、それをなぞって普段は履かないヒール、これもパンプスとか言うらしいな、兎も角こんな物を履いているわけではない。単純に、今日は全身を変化させているから、靴も愛用ブーツではないのだと述べておこう。
ついでだから言っておくが、今日は足下に限らず他の部分も本来の自分ではない姿だ。あたし本体より目立つ縞柄尻尾も今は薄れさせて、頭の上にあるはずの耳も、今は揉み上げの辺りから生やして見せて、そこから繋がる先のない銀のチェーンを垂らしている。
因みに着ている物や被っている物は化かしておらず、外で買ってもらったあのTシャツにいつものスカート、頭には中折れ帽で現代少女らしく女化しこんでいる。半袖の肩出しはこれからの時期に冷えると考えていたのだが、よくよく考えれば寒さなど然程感じなくなったのだなと思い直し、何処ぞの年中ひざ上丈に半袖な幽霊船長を見習って、季節感のない格好と、あたしにはない人間らしい雰囲気ってのを纏っている、つもりだ。
そうやって変化して、何をしようとしているか問われれば特に何かを成そうとはしていない。強いて言うなら、いつものお戯れとちょっとした好奇心からといったところだ。
何時ぞやの現人神から頂戴したご神託じゃないが、またそんな事を言って、本当は閻魔様から受けたお仕事をこなしに来たんじゃないか? などと、ツンデレらしい事を言われたならば、ソレが半分で残りは別の考えが元だと言っておく。
そもそもだ、前者の閻魔様からは人里で色々見聞きしてこいと言われてはいるが、あたしに何かをしてこいとは言われていない。あの依頼は普段通りの暮らしの中で知れた事ってのがご所望だったはずで、こうして何かをしようと考えて動くのは仕事の範疇には入らないだろう。
ならば後者はどうかといえば、こちらは正確に言うならお願いというよりもあたしのお節介のようなものだ。これから向かう先はそれなりに気に入っている場所で、あたしの他にも誰かさん、愛する狸のお姉ちゃんが贔屓にしている店だ。
いつだったかの酒飲み話、言いがかりから背負ってしまった借金を返そうと会いに言った時だ。最近占いで流行り始めた貸本屋の様子がおかしい、あれほどに混み合うなどただの占いではないんじゃないか。という愚痴を吐いていたので、返済の利子代わりって事にして、頼まれもしないのに化けて動いているのが現在である。
様子見なら自分で動けば、そうも思うが姉さんの『人間』としての姿は面が割れていて、正体の方は面識がない。ついでに言えば書き認めた絵本を売ったりしている姿をあの紅白に見られ、そこから巫女さんに目を付けられてしまったらしく、目立った行動をしたり表立って深入りする事が出来ない状況にあるらしい。
なら本来の姿で行けばとも考えられるだろうが、それはあたしから見ても出来そうにないと思えた。見知らぬ妖怪が最近どうよと行ったところであの小娘も警戒するだろうし、逆にあたしのような見知った妖怪が様子見に行っても、今日はどうしたと怪しまれるとも考えられる。ならばどうするか、単純だ、見知らぬ『人間』が顔を出してみてはどうだろうか? ってのが話を擦り合わせた事から出た思い付きで、それ故のあたしの変化である。
まぁなんだ、取り敢えずだ、言い訳のような考えは捨ておいて、向かうべき場所へと行こう。要らぬ独白を頭から抜くように、残り僅かな
尖ったトゥの先にあるのは里の中心を流れる川、それにかかる橋を渡り、可愛い蕪の暖簾が掛かる軒先で立ち止まる。ふむ、聞いた通りだ。占いを覚え、それのせいで本屋稼業は暇になり、占い稼業としては盛況になったと聞く通り、噂として広まった景色が随分と賑やかな店先から伺えた。それでも先日のように、中に入る人間でごった返すという空気よりは、店から出ていく人間達の方が多いようにも見られる……が、まぁいいか、静かになるのならそれに越したことはない。
「あの、ごめんください」
消え入りそうな声で伺い、良く知っている店内で疑心暗鬼を顔に書き、待つ。
訪ねて十数秒、店の左右に並べられ、棚の収納量を超えた状態で置かれた本を、さも見慣れない物でも見るような視線で眺めていれば、は~いなんて、人垣の奥から店主の声が聞こえた。
「すみません、今行きますね」
店舗の奥から声だけ届けてくれる小娘。
頭につけた4つの鈴の音に似た、明るい声色を姿より先に聞かせてくれて客であるあたしを待たせるが、奥で一体何をしているのやら。そんな考えを巡らせる前に、揺れ動く短かめのツインテールが視界に入った。
「あのぉ、こちら、鈴奈庵さんであってます?」
見えた顔にオドオドした声で問うと、一度下がって物音を立てる少女。
出たり入ったりして何をしていたのか、ガサゴソガタンと聞こえる音から何か動かしていたのだとは思うが。
そんなどうでもいい事を考えていると間もなく、営業スマイルで寄ってきた。常日頃のあたしに対してもこんな風に近寄ってきてくれるが、今はそういった空気よりも少しだけ余所余所しい。それもそうか、今の姿は見慣れない姿のはずだ、知らぬ内に引きこまれ、運良く里に辿りつけた運のない外来人って
「はい、間違いないですよ。見かけない人ですけど、何か?」
「いえ、ちょっと、色々わからなくて。ここなら調べ物も出来るし、なんなら占ってもらえるってそこで聞いたので」
「調べ物ですか、本ならたくさんあるんで大概の事は調べられると思いますけど……占いは‥‥すみません、そっちは休業中なんです」
「休業です?‥‥いないんですか?」
「いえ、私が占ってたんですけど、ちょっと見過ぎて疲れちゃって、まだ慣れないんで人数限定で見るようにしてるんです。それよりお客さん、見ない人ですね。里の人じゃないし、その格好も見慣れないし‥‥あ、もしかしなくても外の人ですね?」
出来れば占う姿を見てみたかったがお疲れならば仕方がない、何処か疲労感の混じるため息も聞けたし今日は諦めるとしよう。主題はそれではなく、小鈴が言ってきてくれた外来の人間ごっこなわけだしな。
「外の人? 日本人ですが‥‥それより、ここって日本の何処なんでしょう?」
回りの本棚や小鈴の市松模様の袖を見つつ、不安を顔に貼り付ける。一抹どころではない、これからどうしたらいいのかわからなくて心細いって心情を顔に浮かばせ問うてみる。
「えぇと、そういう意味じゃなくて、幻想郷って地名に心当たりあります?」
「ゲンソウキョウ? 聞かない地名ですね、この辺りは何県なんです? 田舎の山奥だというのはわかるんですけど‥‥東京にはどうやって戻れば?」
「東京、ですか。やっぱり外から迷い込んできた人ですね、貴女」
咬み合わない歯がゆい返しをしてみた、つもりだったのだが、何やら頷く貸本屋。
ピロピロ揺れるツインテールの尾先を見ながら、この地を知らない者らしい返しをしてみると読み通りに勝手に判断してくれる。やはりこの小娘も面白い、若い割に小狡い面がチラ見え出来てなんとも先が楽しみな少女だ。
「う~んと、取り敢えず順を追ってお話します。ちょっと待っててください」
微笑んで、両手の平を見せてからパタパタ奥へと消えていく。
何かを探すような音を立ててから数分、片手に何かを持って戻る。そうして姿を見せて、いつも腰掛けている店の奥ではなく、何か厚めの天蓋が組まれたテントらしい場所に置かれたテーブルに何かを広げ、ひらひら手を振る小鈴。順を追うという辺り地図か、もしくはこの地の歴史書でも持ってきたのかと思えば読み通り、何やらこの地の名称が書かれた紙っぺらが机に広がっていた。
「これに見覚え、ないですよね?」
「ないですね。これって、関東はどっちに行けばいいんですか?」
「どこからも行けません、残念ながら」
「 行けない? どういう事なんですか? 日本なんですよね? 日本語通じるし、アルバイトさんも着物みたいだし」
「私が店主なんですけどね、一応」
「あ、そうでしたか‥‥失礼しました……それで、どういう意味です? 電車とか、バスくらいあるでしょ?」
「ないんですよ、そういう物自体が。ここから帰るというか、出るなら神社から出るしかないんです」
神社? 頭を傾げてボヤいてみるが、それ以上の事は口にされなかった。
知らないわけではないだろうに、もっとこう、この地は云々かんぬんと基礎知識から教えたほうが理解が早い気もするのだけれど‥‥まぁそうだな、些細な事か、本当に外に出たいわけではないし、幻想郷の事であれば教えられなくとも知っているし、外から来てしまった、帰りたいだけの人間がこの地の事を知りたいなんぞ思う事もないだろうしな。
そういった、説明するのに面倒な事は全部飛ばして、帰り方だけ教えてくれる本の虫。可哀想な人間に対して随分冷たいというか淡白というか、興味のなさそうな風で話してくれるな。
この子ってばもうちょっとしつこかったような覚えがあったのだが、こうもつれないのはなんだ?
その理由を探そうと周囲に視線をばらまけば、目についたのは一冊の本。
地図を広げるのに端へ寄せられた数冊には、飾りっけのない装丁に数行、易やら占やらって文字が見える。
「ここが今貴女のいる人間の里です、それで、外に帰るならこの端っこの神社に行って送ってもらうしかないんですよ」
見知った土地の地図を眺める、ような角度でその奥で重なっている表紙に目を通す。なるほど、あれらが最近ハマり始めたという占いの本か、と頷いてみせる。
そうした動きが長考のソレにでも見えたのか、続きを話し始めるビブロフィリア。
「あの、そこに行かなきゃダメっていうのは何故なんです?」
「外とここを行き来するのに色々とありまして‥‥ここから出るなら神社の巫女さんにお願いして出してもらわないと」
「色々って、あんまり端折られても話がわからないです。それに、巫女さんっておみくじ売ったりしてるだけですよね?」
「外とはちょっと事情が違うんですよ、詳しい事をお話しするのは面ど‥‥理解されるまで時間が掛かると思いますし……気がついたらこっちにいたって感じですか?」
「そうですね‥‥多分、そうです」
「う~ん、何かの拍子にこっちに抜けて来ちゃったんでしょうね。偶にいるんです、貴女みたいに神隠しにあっちゃう人も」
生きて里に来れただけで貴女はラッキーですよ、最後にそう付け加えて体裁を整える半読眼。
何か、言われ慣れた言葉を聞きかけた気がするがそこは聞こえなかった事にしてだ、そろそろ本題の為に動いておこう。外来人と関わりたくないのか、面倒臭いから端折ってぶん投げただけなのか、そこはわからんが教えてくれた場所を聞いていく。
人間の里からどっちに出て、何を目指して移動すればいいのか、その辺りの事を伺いつつ引いてきたキャリーケースを開く。わざとらしく音を立てて、あからさまに視線をこっちに寄越せと見せつけて、中からノートを取り出すついでに、他の荷物も小鈴の視界にちらつかせた。
「あの、すみません」
「何か?」
「それって‥‥本ですよね?」
「そうですけど、それが?」
ケースに詰め込んでいたのは外の世界の書物、何時ぞやお世話になった外の本屋さんでお買い物してきた物を十冊くらい仕込んでおいた。
「あのぅ、良かったらでいいんですけど‥‥ちょっとだけでいいんで読ませてもらえないですか?」
ちらつかせた餌に案の定食いついてきた本屋、サラサラと落書きをノートに書き、メモを取るような音を立てていると、面倒やら関わりたくないって雰囲気を自分から消して願ってきてくれた。
「構いませんよ、その地図をメモする時間が欲しいので」
「本当ですか! やったぁ!」
握りこまれる少女の手、グッと結ばれて、板木に当てる
「良ければ地図は差し上げます、それで、出来ればどれかと交換なんて‥‥」
「ここの地図を頂いても私には使い道がないので、それはちょっと、申し訳ないんですけど」
「あ~そう、そうですよね」
「それでも、そうですね‥‥お礼って事で、一冊くらいなら差し上げてもいいですよ」
断ると肩を落とし、後から餌を撒けばノッてくる。
こいつはチョロい、あまりにもチョロくて小狡いどころか⑨なんじゃないのかと思い直してしまいそうだが、欲する物が目の前にあり、選択の幅はあれど選んで手にできるともなれば嬉しく感じるものか、その気持ちはわからなくもないので、⑨というのは否定しておこう。
どれを手にするのか、横目で見つつノートに地図、ならぬ本選びに目を輝かせる少女や、端に置かれた
「やっぱりそういうのが気になります?」
「ちょっと、ちょっとだけです」
まず手に取ったのはファッション誌、パラパラと目を通し、外の世界だと今はこんな物が流行っているのかと、やたら細くて触り心地を楽しめそうにないモデルさんの服装を眺め、呟く年頃の看板娘。
「ちょっとかぁ‥‥見た感じはそんな年頃よね?」
「そうですけど、私はお洒落より本の方がいいかなぁ」
今現在の見た目年齢からすればあたしが年上、実際にも結構な年上だけれど、そこは端折るとしてだ。俗っぽい雑誌に似合う砕けた口調で問うてみると、興味が無いとは言い切らないがお洒落よりも本がいい、口からはそんな事を漏らし、手先はファッション誌から別の書物へと動かしていく若人。
面倒な外来人が持ち込んだ、興味深いらしい本を手にできているからか、あちらも少し砕いた口調で返してくれて、次なる書物、小鈴の中で絶賛流行中の占い関連の書を開き、文字を追い始めた。少し待ち様子見してから考える、ふむ、そろそろ突っ込んでもいい頃合いだろうか?
わからんし、いたずら書きにも飽いたのでいいや、聞こう。
「好きなんですか?」
「えっ」
「占い。熱心に読んでるみたいですし、町中で話題になるくらいですしね」
「好きってわけでもないんですけどね、ちょっと気になる本を見つけてしまって。読んでみたら試したくなっちゃってたんで、やってみたんですけど‥‥まだまだ勉強中なんでダメですね」
語りながら机を見つめる小鈴。
視線の先には蓄音機、それと積まれた本に筆記用具が刺さる筆立て。その内の一つ、数冊ある一番上がどうやら気になっている本ってやつらしい、数本の紐で綴られた簡素な作り、表紙に書かれている文言からすれば易ってやつだろうか。使うだろう
「へぇ、十三星座占いなんてあるんですね、十二じゃないんだ」
「私は好きなんですけど浸透しないんですよ、十三星座占い」
「へびつかい座? またマイナーな星座ですね」
「そうですねぇ。有名じゃないけど私は好きなんですよ」
問われたので答え、ついでに近寄る。
読み耽る娘っ子の手から一度本を奪い、良いところなのにって視線を浴びつつ、好きだと言った理由の載るページを開いて見せた。この辺だったかな、と、テキトーに指で文字を指して、読んでみてくれと促していく。
「アスクレーピオス、医術の神様なんですか」
「医術に優れ人を癒やしていた者、死人まで蘇らせた医学の神。それでも最後には他の神に殺されてしまう、というのがこの神様です」
「人助けをしていたのに殺された、悲劇の英雄って感じの神様と思えばいいんですかね?」
「そうも取れるんでしょうけど、私が好きなのはその後ですね」
「その後……?」
「殺された後の話ですよ、残された父親のその後について載ってませんか?」
パラパラ捲り、口にされた星座のページとあたしを見比べつつ読み進める小鈴。途中色々と問うてくるが、その中身については殆ど言い返さず、殺されたのはやり過ぎから受けた天罰だとか、その為に見せしめで殺されたのだとか、占いに忙しい誰かさんに掛け、少し茶化して言い返す。すると、返した文言が書かれた辺りに入ったのだろう、天罰かぁ、なんて呟きながらまた本の世界に沈んでいってくれた。ふむ、遠回しな例えは伝わらなかったか。それでもまぁいい、気が付かないなら後でしっぺ返しをくらえばいいだけだ。
しかし少しだけ危なかった、今し方言われた質問に対して答えられるほどの知識も興味もないあたしだ、持ち込みのネタとするために流し読みはしたものの、語れるほどに覚えてはいないのだ。あれ以上突っ込まれるとボロが出るところだったが、どうにか話の芯を逸らす事には成功したらしい。それでも、未だお勉強中というのは本当の事のようだ、今も熱心に読み耽っているし、あぁいった姿からは、精進中で安定しないから休憩しているのだと読み取れなくもない。
読み漁る小娘を眺め読み取るなどと、我ながら悪くない冗談を小さく笑い、開いていたノートを閉じて、少しだけ視線の先に向かって背伸びして見せた。
「あ、良かったらうちの本も見ていきます?」
「いいんです?」
「いいですよ、お姉さんも占い好きみたいだし」
別に好きではない、ただの話題の取っ掛かりの為に持ってきただけなのだから。
それでもここは乗っておく。
それじゃお言葉に甘えてなんて言いつつ、積まれた本の一番上に手を伸ばした。
中を見ればやはり易経について書かれた物のようだ、あたしのノートほどじゃないがやたらと落書きが多くて読むのに手間だが、本として書かれている文章を読んでもよくわからんから些細な事か。それでも描かれている挿絵に何処ぞのツートンカラー達が持つ道具のような形、例えば二つの勾玉が組まれたような絵やら、あの緋緋色金で出来た魔道具に彫られている八卦のような図が見られ、そのお陰でどうにか占い関連の本だと理解出来た。
「その落書き、気になりませんか?」
「なりませんね」
「それを真似ると当たるって言っても?」
「なりません、ただの落書きでしょ? 気にしませんね」
読んでいると掛けられる声。
それに一言で返してみれば、予想とは違った答えを聞いた顔、ちょっとだけ驚いたような表情で固まってしまう貸本屋。顔色から読む限り賛同者が欲しかったのかね、偶々訪れた占い好きの女、それに向かって随分と気安く聞いてくるが‥‥知らぬ人間でも誰でもいいから賛同者を得て、この本に書かれたモノが実際に当たる物だとか、そんな自分を肯定するような事をしたかったのだろうか?
だとすれば無理な話だ、あたしは占いを信じていない。というか、占いなんてのはあたしのようなペテン師からすれば先読みでもなんでもない、ただの誘導でしかないと思えるのだから。
「これを真似て占ってたんですか?」
「ちょっとだけです、本腰入れて占ったりしてないですよ」
「そうですか‥‥それなら、私からちょっとだけ忠告しておきますね」
「忠告ですか?」
「そう、忠告です。遊び半分でする分には良い遊びですけど、本業の片手間でやろうとはしないほうがいいですよ」
「? どういう意味です?」
小娘の頭上に疑問符が見える、が、キッチリと話してはやらない。
何故か、これはペテン師妖怪としての忠告だからだ。
ただの小娘であれば好きにやって勝手に恨まれろと投げる事だが、この子は姉さんのお気に入りであたしもそれなりに気に入っている小娘だ。偲びないとまでは言わないが、この子に万一があればそれなりに心配するかもしれないし、何より姉さんが凹むような事態になるかもしれない。
それは困る、出来れば姉さんには笑っていてもらいたいし、その為にはこの子にも笑っていてもらわないとならない、だからこそペテン師らしいお節介として少し話したのだが‥‥どうにも理解されないようだ。
「誰かの未来を100%当てるなんてそもそも無理なんですよ」
「そうですけど、それでも結構当たるんですよ?」
「それが余計にダメなんです」
「ダメ、ですか?」
ちょっとだけ追加したが、未だ射る的が見えないらしい小鈴。
占いというのは見えぬものを見る行為、真っ当な人の道から逸れるような行いだと愛しいお人が言っていた。これはあたしも同意権で、正しい先読みが出来ると者なんて占術に精通し極めたような者か、占いという名を借りて騙し謀る詐欺師くらいのもんだろう。
人道に反すれば必然生まれるのは怨嗟や怨恨といったモノ、あたし達人外からすればそれは糧であり栄養源となるものだ。あたしが他者に驚きを提供して笑うのも、あの唐傘が誰かを驚かせて腹を満たせるのも、そういった陰の気を好むからだ。
けれどそれが人間となれば別、恨み辛みが重なれば耐え切れなくなり爆発するのが人ってやつで、そうなればその爆発力は何処に向くのか、言わずとも答えは簡単だろう、自分の中で発散しきれなかったモノはソレを生み出してくれた人に向く、もしそうなれば要らぬ責任なんてものを背負ってしまう事になるだろう。
だからこそ遊びでやるならやめておけと話したが、そう言っても理解されていないようだ、少し傾いで見つめてくれる小鈴。頭を右左に傾けて、髪留めが本物の鈴ならシャンシャン鳴ってしまいそうな仕草で悩んでいる。これで話が見えないならいい、もう少し具体的に話すだけだ。
「当たるようになれば信じられてしまう、信じられれば期待もされて、同時に責任も生まれちゃうって事です」
こう言ってもわかったような、わかっていないような顔。ふむ、人様の先を見ようとしていた割にこれで話の中身が見えないとは、やはり才能はないように思えるな。
先述した通り、占術なんてのはそれらしい事を相手に伝え、疑心暗鬼を煽りながら勝手に解釈してもらう事。話術で流れを作りこみ、その流れにノッてもらうといった、いわば騙しの手段の一つだ‥‥と、あたしは考えている。
本当に先読みできる姉蝙蝠や、八百万の神様にいるだろう未来視の神でも降ろした巫女さんは占いというよりも力ってやつで、それを成せる力があるからこそ出来るってだけだ。ただの妖怪であるあたしや普通の人間である小鈴には本来先読みなど出来やしない、出来ても当てずっぽうな予測程度なものだ。
その辺を鑑みれば占いなど身につけないほうが無難、知らなければあるかもしれない危険からも遠ざかる事が出来ると思えるが、ここで投げれば気にせず続けてしまうのだろうし‥‥それならばいいか、やりたいようにやってもらい痛い目見てからやめてもらおう。
一度でも怖い目にあえば懲りるだろうし、こんな見知らぬ女からやめろと言われるよりも、実際に体感したほうが危うさがわかる事だろうよ。
「あの、それって‥‥」
「ただの例え話ですよ、ちょっと占って死なれて‥‥それから逃げ回ってたとか、そういう事はないです」
「ぁ‥‥だからこっちの世界に」
「ん、なんの事です?」
「いえ、なんでもないです……そうだ、帰るならそろそろ出ないと今日の内に帰れなくなっちゃいますよ?‥‥もし泊まっていったりするなら、
「ご親切にありがとうございます、でも早く帰りたいので」
泊まっていけなんて、嬉しい誘いはありがたい。が、泊まっていくような場所でも、お泊りして手を出して楽しむような相手でもないので断る。
返事をすればそうですか、肩も気も落としてしまった小鈴だったが、そう気を落としてくれるような出会いとなったのだろうか、あたしにはわからないがアチラから見ればそうなのかもしれないな。占いという他者を見る事に慣れ始めた人間だ、誰かの運勢を見てばかりで、逆に自分が気にされて、見られる事に少し焦がれていたのかもしれない。
そんな休業理由を勝手に考えつつ、解き開いていた荷を閉じる。バタン、閉じたキャリーケースの中は仕込んだ着替えや化粧道具、後は持ち込んできた本‥‥は入れずに全部小鈴に預ける事にした。
忘れ物です、素直に返してくれた本好きだけれど、帰るのに荷が重いと辛いから、なんてそれらしい言い訳をして差し出された本を突き返す。
そうしてコロコロ引いて歩き出す前に、ありがとうございます、お気をつけて、ってな送り言葉と少しのお金を渡してくれた。売ったのではなくあげたのだから、そんな返事には神社のお賽銭にして下さいって言葉をもらい、それをポッケに収めてそのまま里の中へと姿を馴染ませていった。
ろくに歩かず里の中、方向だけは博麗神社に向かう途中にあるカフェーに寄って、貰ったお小遣いで深煎りの珈琲を一杯頼む。そうして変化は解かずに一心地、気怠げに、少しのお戯れ後の一服を済ませつつ、今日の遊びを考える。
閻魔様が見聞きしてこいと言うから人間達の間で話題になっている場所に行ってみたが、大して怪しい事もなく、報告に値するような事ではないように感じられてしまった。
後はないか、何か話せるような事は。
あの時逃げたお説教を次回受けずに済むようになるような、それなりのお話はないかなと、思いつかない頭を傾けて、灰色の空に煙を流した。