東方狸囃子   作:ほりごたつ

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EX その48 符号和合

 とっぷり暮れた幻想の夜、暗く静かな冷たい夜。

 煙管を咥えずに息を吐く、それだけで口元から白いモヤが漏れる季節に染まり始めた我が家。

 今日も静かなあたしん家、耳に届くのは笹の葉がこすれ合う音と、偶に揺れてぶつかり合う竹同士が奏でる鹿威しに似た残響音、それと、濡髪でいそいそ着替えているあたしや雷鼓が鳴らす布の擦れる音くらい。

 後はそうだな、他に聞こえるのは、あの竹林の案内人が炭を焼く音なども場所によっては聞こえるか。パチパチと、静かにゆっくりと燃える竹から生じる侘びしい音。あぁいった静かに奏でられる音色も耳に良い、冷え込みが厳しくなってきた空気に煽られ、後々に多数の者に温かみを届けるだろう八藤丸印の炭、通称もこ炭。ソレが焼かれる音も、額に汗して番をする蓬莱人を見つめるのも今時の竹林で見られる風物詩ってやつだろう。

 それ以外となると、偶に、月に一度くらいはご近所狼の遠吠えが聞こえてきたり、週に数度は穴に落ちて喚く兎の叫び声も聞こえなくもないが、それらは景色が鳴らす音というよりも住まう連中の生活音なので、カウントはしないでおく。ソレらを頭数に入れてしまうと、つい先程あたしが鳴らした太鼓の音色や、逆にあたしが鳴かされる声もカウントせねばならなくなってしまうので、敢えて触れずにおいておく。

 

 それでだ、日が落ち切った今時分から着替えて出かけるなど最近はあまりなかったが、二人してどこに行くのかと言われればちょっとそこまでってやつだ。いつだったかの生活改善で昼型に改めた習慣を、あの天邪鬼の鬼ごっこで更に改めて、妖怪らしく夜にも行動するように戻ってはいるものの、夜に二人で出かけるというのはあまりない事だと言える。

 だというのに出かける準備とは矛盾していそうだが、これから向かう先はあたし達の中ではお出かけには含まれていないので、問題ない事とする。行く先は飯処、雀のお宿ならぬ雀の屋台だ。住まいから出るのだからお出かけだろうと思われそうだが、飯くらい誰でも食うはずで日常行動の一つであるはずだ、その食事を取る場所が住まいではなく屋外にあるってだけなのだ、だからこれから向かう先は態々お出かけ先として上げる場所ではないと言っておこう。

 

「今日は冷えるわね」

 

 屋台で何を食うか、中途半端な季節柄おでんに(ひや)かな、なんて飯の事を考えていると着替えながら話す雷鼓。今日は冷えると、下は下着姿のまま、上はチェックのシャツの襟を立たせネクタイを通しながら、色っぽい立ち姿のままで会話を切り出してくる。

 

「そうね、もう時期レティさんが起き出してくる時期だろうし‥‥そうだ、もう一回温まってから行く? まだ脱ぐほうが早い格好だし」

「それはアヤメさんだけでしょ、私はもう結んだからダメ」

 

 こちらも着替え途中で返す。

 脱ぐほうが早いのはあたしだと言われたがそれには語弊がある、寧ろ今のあたしは何も着ていない状態だ。洋装にするか和装にするか、仕立て直してからは着物姿でいることが多くなった最近を鑑みて、今日あたりはシャツにスカートでもいいかなと悩んでいた為、あたしの着替えは雷鼓より少し遅れている。その為ネクタイを結んであげるお仕事は今日は出来ず、ちょっと前に布団で乳繰り合っていた姿に、湯上がりでタオル一枚をプラスした格好で止まっていたところだ。

  

「いいじゃない、ネクタイならあたしが結んであげるわよ?」

 

 ダメと言われると疼く心、何時も通りの反逆的な考えで近寄った瞬間に抱き寄せられ、今度はあたしが甘美な声で鳴かせてもらえるのかと期待したが、晒したままの尻を叩かれ鳴らされるだけで終わってしまった。ペシンと弾かれ思わず漏れる甘い息。それをつま先立ちすれば届く唇に吐きかけるが、そうやってもう一回と誘ってみてもノッてこない名ドラマー。叩いてノセる事に長けているくせに、自分の興が乗らないとノッてこない焦らし上手。

 

「それで汗掻いたらまたお風呂って言うんでしょ? そうしたら出かけるどころじゃなくなるし、早く着替えなさいって。お腹も空いたし」

「ケチ、イケズ」

 

 うっさい、その一言で断ち切られ壁に掛かる緋襦袢を羽織らされる。

 ふむ、どちらにしようか悩んでいたが選んでくれたから今日もこちらを着るとしようか。腕を通して態とらしく広げてみせる。袖先を僅かに摘んで持ち上げて、前を結ばずに振り振りしていると、しょうがないという顔で打紐を結んでくれた。

 脱がされる事も多いため、逆に着せることにもすっかり慣れたらしい雷鼓さん、結ぶのに少し屈んで、そうして見えた頭頂部に鼻と口を埋めて、少しだけ嗅いでからちょっとだけ笑った。

 

「茶々入れるならやってあげないわよ?」

「はいはい、ごめんなさい」

 

 そんな風にイチャつきつつ、帯を前で結んだ辺りで笑われた。

 どうやら尻尾が揺れていたらしい。

 相変わらず口では言ってくれないけど態度でわかる事が多いから、そういうところだけは可愛いわよね、なんて言われて、更にブンブン揺れたのはきっと気のせい。

 そうして着替えさせられて、雷鼓の方も着替えが済んで‥‥はいないな、愛用のジャケットは壁に掛かったままで、寒いと言ってきた割には薄着姿で待っている。寒かったんじゃないのか、そんな心を視線に含ませ顔を見上げると、壁に掛かったままのジャケットではなく、その隣にかかっているあたしのコートを手に取った。

 

「こっちを着せたのはソレが狙いだったのね」

「だって、寒いし」

 

「年中生足晒しててよく言うわ」

「ソレが私の良さなんでしょ?」

 

 うんと頷きそのまま眺む。視線に気が付かれ、立ちながらに組まれる生足。持ち主であるあたしが着れば踝まで隠れるロングコートだが、雷鼓が着ると脛くらいの丈になる、チラリと見える生足はなんともソソるもので、やっぱりコレは雷鼓の良さだなと再認識させられた。

 因みに今回が初めてではなくて今日のような季節の境目で、感じる寒さに慣れない時期には勝手に着られていたりする。最初は借りると言ってきていたけれど、今では何も言わずに着られてしまう‥‥が、そうなった事が少しだけ嬉しく思うのはおかしい事ではないはずだ、色合いも普段使いと大差がなく似合ってもいるしな。

 そういやコートの前は閉まらない、細身の仕立ての為雷鼓の胸元では閉められないらしい。別に羨ましくはない、あたしはソレを揉みしだいたり味わったりするほうが好ましいし、寧ろ差があってくれたほうがより楽しめるからだ。

 

「じゃ、行きましょ。お腹減ったわ」

「二回目よ、それ」

 

「大事な事だもの、何度でも言うわ……続きは帰ってからにしましょ」 

 

 (ひだる)いと言い切り、先に玄関から出て行く。

 開けられた扉の先で、本体に腰掛けて早く行こうと待つドラム。

 先の行動は嬉しく、同時に好ましく思えるのだが、返したちょっとの皮肉にまですっかりと慣れてしまわれて、それどころか人の事を釣り上げる術まで覚えてしまわれて。こいった面では少しだけ残念に感じるのだけれど、慣れるくらいに一緒にいてくれると、ついでに帰って来てからの楽しみが出来たと前向きに捉え、頭の中から残念な部分を消して隣に座り、フワリ浮いた。

 

~少女達移動中~

 

 低空飛行で向かう先。

 歩くよりも少しだけ早い速度で、竹林と人里のちょうど間にある飯処に向かう。

 進む最中にやっぱり寒いと、まだ今時期の寒さに慣れていない生足を裾を掻き分け突っ込まれた。他の連中からすれば結構低めの、それでも今時期の空気よりは温かい体温となったあたし。暖房器具と言うにはすこしヌルいが、寒気に晒したままよりは温かいらしい。

 突っ込まれたその足を両足で挟むと、段々熱が奪われていく感覚がわかる、が、生活する上で熱を必要としなくなったし、求められて堪らないので、尾先を揺らしつつ少し強めに挟み込んだ。

 

 そうして着いた夜雀屋台。大概あたし達が一番客で後からは誰かしら、炭焼き仕事を終えて一杯引っ掛けに来た元貴族の娘などの竹林住まいか、ネタがないと管を巻くあの天狗記者、もしくは今日もサボっているはずの死神や、気まぐれで訪れる姉さん辺りが二番・三番客となるのだが、珍しく今日は別の一番客がいるらしい。

 『八ツ目鰻』の『ツ』の暖簾に当たる席で、黒い尾を揺らす誰かさんがいた。

 

「ただいま」

「こんばんは、女将さん」

「おかえりなさい、こんばんは、噂をすれば来ましたね」

 

『八』と『目』それぞれの暖簾を分けて席に着き、互いにいつもの挨拶を済ませ、いつもの様に煙管を‥‥って、いつものとは呼べなくなったのだったな、二人で来るようになってからは座る席が変わったのだった。煙管の指定席を左手から変えるには違和感が有り過ぎて今更変えられない為、雷鼓と来るようになってからあたしは右端の『鰻』から左端の『八』の席に座るようになったのだった。

 それからは『ツ』に雷鼓が座るのが定例となったのだけど、今日は先客がいるので、その先客である狼女を二人で挟んで座る形となった。と、小さな変化はこの辺で、気になる部分を早速突いていこう、女将の串打ちも始まったわけだし。 

 

「噂って、何を話してたのよ?」

 

 串を打たれた白焼き予定が火元に並び、油の弾ける音が鳴る前。

 頼む前から出された升入りの冷酒を啜り、女将にではなく挟んで座っている奴に聞く。

 声をかけるとピクリ跳ねるとがり耳、そうだよ、お前さんに問いかけているんだ、今泉くん。  

 

「大した事じゃないから、気にしないで」

「それって誘い受けだってわかって言ってる? 大した事じゃないなら言いなさいよ」

 

 升酒と一緒に出されたお通しを摘み、咀嚼し終えてから箸を置き、代わりに隣の耳を摘む。

 薬指と親指で摘み、空いているお兄さんとお母さんで耳の中の毛を引っ張る、ツンツンと摘み引っ張ると、捕まえていない側の耳を跳ねさせて、やめてってな仕草を見せてくれるが、指を払われないので気にしない‥‥というか、払わないってのはされても仕方がない、そんな事を言っていたって事だと考えるがそれでいいのか?

 

「あ、早々にスイッチ入ったわね」

「ね、影狼さんも下手な躱し方をするから絡まれるのに」

 

 あたしの切り替えスイッチ代わりである耳元の鎖は引かれていない、けれど勝手にスイッチが入ったと、少し前に耳先やらを甘噛みしてくれた赤髪が話す。それに乗っかり今泉くんを評する女将。二人にも言われたし、それならと、言われたように耳から狼の右頬に触れる先を変え、少しだけ顔を寄せて更に絡んでやった。

 

「んもう! ミスティアが言わなくていい事を言うから絡まれてるの!」

「言わなくていい事、ね。それって自爆だってわかってる?」

 

「ん? え?」

「え、じゃないの。そうやって自分から見える地雷を仕込んでくれたら‥‥踏まずにはいられないわ」

 

 気にするなというのは聞き流したとしてもだ、言わなくていい事なんて口にされてしまうと、その辺りのお話を伺ってしまいたくなるのが心情ってやつだろう。道端でばったり出くわし少し話して、香る程度に話をぼかす相手がいたとする。そんな相手は大概その話題に突っ込んでもらいたいものだし、聞く側もそれなら少し聞いてみようと考えるのが世の常だろう。だから今のあたしの行動は間違っていないはず、そう思い込んで追撃をかける。

 

「だから、気にしないでって‥‥」

「そうやって引っ張られると余計に気になるものよ? ねぇ?」

 

 聞いて欲しい、そう見えているから絡み、突っ込んでいるというのに、まだ話そうとはしてくれない。頑ななのはこの口かと、添えた手で片側の頬を引っ張ると鋭い犬歯がちょろっと見えた。その歯を見つめ、なんというか本来食われる側の狸が捕食者である狼さんを小馬鹿にするなど、と思わなくもなくなってきたので、頬から肩に手の位置を変えた。

 

「あ、逃げられなくなった」

「逃さなくなった、じゃないの? この場合」

 

 元四足二人でじゃれ合っていると、音楽仲間の二人が語る。

 肩を捉えて話してくれるまで離さないとか、そういった気持ちでこうしたわけでもないのだけど、話の流れから見ればそうも見えるのかもしれないな。ふむ、何処ぞの獣の飼い主や、鳥類のような耳、じゃなかった髪型の仙人ではないのだし、心情を完全に読み取るっては難しいのだろう。

 暫くそのままでも白状しない黒い狼。正直なところだ、ここまで絡んで十分に楽しめたので、今泉くんの言ってきた通り、というか噂の部分は最初から気にしてなどはいなかった。漂わせる雰囲気に乗って問い詰める遊びに興じていただけで、噂は所詮は噂だ、75日も過ぎれば互いに忘れるものなので、そこから考えてどうでも良くなっていた‥‥が、今度は一人気にしているのか、酒に逃げ始めたルーガルー。

 

「いい飲みっぷりね影狼さん、私は嬉しいけど、そんなに焦って飲まなくてもいいと思うわ」

「もうその辺でいいんじゃないの? アヤメさん、はなっから気にしてないでしょ?」  

「気にしてないけど、ほら、自分から振ってくれた話だし、突かなきゃ野暮かなって」

「野暮じゃない! 気にしてないなら聞かないでよ、恥ずかしいんだから」

 

「だからそうやって‥‥」

 

 また見えた地雷、それを踏もうと切り出すが、焼き上げられた白焼きと、おかわりに注がれたお酒で水を差される。口にした通り、酒が進んで儲けがウマイ女将が微笑み、今泉くん越しに見える太鼓様も、出されたそれを美味しそうに摘んで笑み始めた。

 うむ、もういいか、これ以上突いたところでお酒がまずくなってしまうだけだろう。折角の美味しい料理に旨いお酒、それを台無しにしてしまうほうが野暮というものだ。

 からかいすぎたと、肩に添えていた手を下がってしまった尻尾に添えて、軽やかに撫でつつ謝っておく。そうすると今までとは違う意味で大きな耳が跳ね上がったが、それを三人で笑ってから注がれたお酒をそれぞれ口に含んだ。

 

~少女達歓談中~

 

 絡んでいた間の空気が嘘のように、注がれるお酒の味わいがそのまま場に溢れたような、軽やかな会話をしつつ食事を取る。気落ちしていた今泉くんもどうにか持ち直したらしく、自棄酒に近い飲み方だったのが、普段の飲み方である落ち着いたものに変わっていた。

 それでも慣れない煽り方で飲んでいたせいか、普段よりも酔っ払っているような雰囲気を纏う。いつもは飲んでも変わらない、変わっても頬に赤みが差す程度の、結構な酒豪である狼さん‥‥なのだが、今はいい感じに酔っているらしい、話す内容がらしくない。

 

「それでそれで?」

「それでって言われても、ねぇ?」

「そうねぇ」

 

「いいじゃない、教えてよ。どっちが主導権を持ってるのよ?」

 

 あれほど静かだった無口、でもない口の硬かった狼が、酒の勢いを借りて雷鼓に絡む。

 ねぇ、と、どうにか誤魔化そうと女将に話を振っている付喪神だが、振られた方は助け舟を出さずに、何を肯定しているのかわからない言い草で逃げている。その景色を眺めて一人ニヤつくのはあたし。流れからすればこちらに振られてもいい話なのだが、口では勝てないと思われているのか、先程絡んだ事が影響しているのか、あたしには話を振ってこない。

 お陰でさっきから今泉くんの後頭部を酒の肴にしている。後ろ髪を眺めての呑みなどつまらないと思われそうだが、これが意外と面白いもので、雷鼓に絡んで動く度に黒髪から香る花石鹸の香りが良かったりする。今日は金木犀、いやそれよりも爽やかな感じがするので柊辺りか、それが鼻を擽ってくれて嗅いでいても中々に楽しいのだ。

 奥で見える雷鼓の苦笑いも面白いものだし、それを眺めて微笑む女将も愛らしいので、悪くない酒の肴となっていた‥‥が、そろそろこれも終いだろうな、鼻に届く匂いが花のソレよりも酒精が勝るようになってきた。

 

「ちょっと、笑ってないで助けてよ」

 

 狼の獲物を狙う視線に耐えかねたらしい、本当なら狙われるラインナップにいない元無機物の太鼓が助けを求めてくる。

 あたしとしてはもうちょっとこの雰囲気を楽しんでいたいのだけれど、ここで邪険に扱えば機嫌を損ねてしまい、ここから帰ってからあるであろう楽しい事がお預けとなってしまうかもしれない、それは困ってしまうので、ここらで少し横槍を投げ込むとしよう。

 

「主導権なんてないわよ」

「ないの!?」

 

「そんな驚かなくてもいいと思うけど」

「だって聞こえるのは大概堀川さんの声ばっかりで‥‥今日聞こえたのも堀川さんの声だったし‥‥」

 

「ん?」

「声?」

「あ」

 

「影狼さん、また自爆しちゃったわね。でもこの場合は地雷というより爆弾投げた感じかなぁ?」

 

 あ、と言ったきり黙った今泉くん、そのまま電池でも切れたように突っ伏して、静かに寝息を立て始める。大酒を煽った後だというのにいびきもかかず可愛い寝顔で、なんというか、何かに開放されたかのような、解き放たれた顔で夢の世界へと旅だった。

 そんな彼女を笑い、それからあたし達の顔を交互に見る女将。ヤレヤレってな表情で見てくれるがなるほど、気にするな、聞くなと言ってきていたのはこれだったのか、そう納得するように頷くと、名前を出された方がそんなに聞こえてる? なんて頬に髪色を移して女将に問いかけた。

 

「流石にここまでは。というか、聞こえるのも影狼さんくらいで薄っすらと聞こえる程度って言ってましたよ? 今日も聞こえてきたから気まずくて逃げてきたって言ってましたしね」

 

 ふむ、さっきまでの聞くなといい、ここまで逃げて来る事といい、色々と気を使ってくれていたらしい。あたしは別に聞かれても気にしない、後々に金銭をせびるかソレをネタに強請(ゆす)ってたかるかするくらいだが、雷鼓の方はそうでもないようだし、ここはありがたい気遣いだと感謝しておこう。

 そんな謝辞を伝えるべく眠る狼の髪を撫でる。黒髪に手櫛を通し、ちょっとだけ悪かったという心と、別に気を使ってくれず素直に煩いと言ってくれてもいいのに、という心両方を指先から送ってみた。当然伝わるはずもなく、ただすやすやと寝息を立てる今泉くん。

  

「気を使ってくれたみたいだし、帰りくらい送ってあげてくださいね」

「あたしより女将のほうが似合いだと思うけど、雀なんだし」

 

「雀? あぁ、面倒臭いからって夜雀と送り雀を一緒にして逃げないでくださいな。それに、似合う似合わないならアヤメさんのがお似合いだわ」

「あたしだって化け狸で、送り狸なんているのかどうかもわからない妖怪じゃないわよ?」

 

「でも送り狼になるんでしょ?」

 

 送って欲しい狼ではなくその横、すっかりと静かになってしまった鳴り物を眺めて言われたお言葉。一緒に住んでいる相手なのだから正確には送り狼とは呼べない、言うならなんだ、帰宅狼?

 いやいや帰宅ってのにそんな意味合いは含まれていないし、そもそもあたしは狼じゃない、だとすれば‥‥

 

「送るのが似合うのは影狼さんなのになぁ、送られ狼とかつまらない冗談にもなりませんね」

 

 似合うに合わないの話から、見合う言葉を充てがおうと考えていた最中、不意に言われた女将の冗談でフフッと吐息を漏らしてしまった。女将はつまらない冗談だと言ったが、送られ狼とはなんとも間抜けな狼で、今眠っている可愛い顔の奴にはお似合いに見えて、思わず声に出して笑ってしまった。

 そうしてあたしから漏れた声に反応したもう一人、ドラムの妖怪が何をのんきに笑っているのかと騒ぐ。鳴りを潜めるなど鳴り物として似合わないし、こうやって騒いでくれたほうが鳴らすあたしとしては心地良いな、そのままそっくり口にすれば、先に帰って寝ると拗ねて席を立った雷鼓さん。帰ってからのお楽しみは、一人去る背にそうぶつけるも、何も言われずに飛び立って置いていかれてしまった。

 残されたあたしの後頭部には女将の笑い声がコツコツと当たる。

 ふむ、笑われるくらいだし、これは帰って弄っても相手にしてもらえないだろうな、と考えつつも、それでも似合いの姿に戻ってくれたしまぁいいか、なんて思考を右往左往させる。

 そうやっていると思考と共に揺らしていたらしい尻尾、それまでも女将に笑われて、どうにも立つ瀬がなくなってしまう‥‥これは致し方ないな、ここは開き直る事にしてだ、もう少しだけ酔ってから帰る事とするかね。

 静かに眠る送られ狼の寝顔と女将の囀りを肴に一人飲み、あたしも酒の勢いを借りて、似合わないか弱さや健気さでも纏ってから帰る事にした。


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