EX その43 偶の逢瀬のお相手は
鼻につく排気系の煙を嗅ぎ、少しだけ眉間を寄せて歩く町並み。
背の高い建物、聞く限りビルディングというらしい建物が立ち並ぶ中を歩む。
緑赤黄と定期的に灯る灯りを斜め上に見ながら、人間の形をした緑の灯りに促され白黒の黒部分だけを踏んで渡る。暫くは同じような景色と同じような格好の人間を見て歩く。
スーツにネクタイ姿で、何やら忙しなく歩いてはビルに消えていったりするおじさん達、鬼でも食いそうな厳しい顔つきで黄色い行灯が灯る車に乗って何処かへ行く連中、そんな戦にでも向かうような表情を見せる人間達とすれ違いながら、ふらふらと歩む。
そうしてそこを過ぎると、少し背の低くなった建物が多く並ぶ通りに出た。
中が透けて見えるガラスに囲われたお店が多く見られて、人がひしめく食事処から、小物の可愛い洋品店に雑貨屋などを横目にする。色々と立ち並ぶ中でふと立ち止まり、そこに映る自分の姿を見た。着込んでいる服こそ普段の開襟シャツに黒いロングスカートと変わらないが、頭にあるはずの耳も、背中側から揺らしているはずの尻尾も化かし、隠した姿でいたりする今。
まぁなんだ、ようはこっちの世界にいる者達らしい格好ってやつだ。上から下まで違和感のないように、頭に至っては髪色も、瞳の色まで灰色から目立たない色に変化させるように強要されていたりする。ついでに言えば愛用の眼鏡も外せと言われたが、コレはあたしのトレードマークの一つで大事な姉との共通点だ、そこは譲らんと強く突っぱねると、ならば致し方ありませんわと、連れ出してくれた相手も折れてくれた。
こうして歩く外の世界。
また勝手に外に出てきて、あの紅白巫女や胡散臭い紫色に小言を言われ、場合に寄っては退治されても致し方無い行為だと思えるけれど、今日はそういった心配が一切無いため、好き放題に外界見物と洒落込めている。
何故か?
それは、先日の紅魔館でやらかした異変で退治されたばかりで、あたしが凝りているから暫くは巫女の目に映らないように薄れたり逸したりしていたというのが一つ。
もう一つは今一緒にいる相手、あたしの手を取り少し先を歩く奴、ちょっと付き合ってと、理由も言わずにスキマに落っことして‥‥失敬、外の世界へのサプライズデートに誘い出してくれたのが、叱ってくれる紫本人だからというのが二つだ。
「見飽きた自分なんて見ていないで、何か見たいところはないかしら?」
立ち止まり、自分の姿を眺めていると引かれる手。
あたしに何かないかと伺いを立てておきながら引いてくれて、意見は聞くが行く先は私が決めるわ、なんてのを仕草と引く勢いで教えてくれる。それ自体は別に構わない、特に見たいものもないし、見るべき物があるのかどうか、知らないわけだし。
「特には、紫からのお誘いなんだし、エスコートはお任せるわ」
「そう、じゃあお買い物でもしましょうか、何から見る? やっぱり女の子二人で見るならお洋服とか、アクセサリーがいいかしらね?」
任せる、そう言ったはずなのだが、こいつは聞いていないのか?
普段であれば『そう』の後でスキマが開いて、今日のお誘いの時のように強引に連れ出してくれたり、出た先でこれからナニナニをやらかすからお手伝いよろしくね、なんて言ってくるのに‥‥こんな雰囲気はあまりなく新鮮で面白い、けれども読みきれなくてやっぱり胡散臭い。
が、まぁいいか。こちらの世界で何かをする気などサラサラない事くらいはわかるし、繋ぐ手から感じるモノも、そこから伸びる顔に見えるモノも、何やら暖かな気がするし。
「そうやって何を考えているの? 先程から聞いていてよ?」
「何を見ようか考えてたの。でもあれよ? 見てもいいけど、こちらの銭は持ち合わせていないから、欲しい物でもあったら困るわね」
「大盤振る舞いをするから持ち合わせがなくなるのですわ。なんなら貸してあげてもよくってよ? 利子も期限もなしで、ね」
ね、で傾く紫の頭。
頭が斜めに傾くと長い金髪が揺れて輝く。こんな、なんというか見た目相応な態度を見せる紫などほとんど見た事がなくて、やたらと胡散臭い‥‥ってのは二割冗談として、今日は一体どうしたのだろう。変な大義名分までこじつけて、誘ってくれて、それが済んでも幻想郷に戻らずに遊びまわるとか、単純に暇なのか?
外の世界に呼ばれて出て行ったままの連中。
未だ戻らず、こちらの世界を謳歌しているって話のあの子達。
人間の里で人に大事にされていた座敷童ちゃん達の一部がまだこちらの世界にいるらしく、『あちらの世界で元気に妖怪しているか、今から見に行きますわ』などと言い出したのが出てきた一応の名目で、その見聞が済んでからというもの、今のように唯ぶらついて遊んでいるだけで、何か企んでいるって素振りがまるで見られない。
何かしら腹に含んで動くのがこいつだと思っていたが、今の姿からはそういった一物は読み取ることが出来ず、引いてくれる手も、いつも以上にか細い女の子の手にしか見えなくなってきてしまって、なにやらイメージがぶれてしまいそうだ。
「そんなに見つめて、なんでしょう?」
「紫が可愛いから見とれてたのよ、どうもしないわ」
「あらあら、褒め言葉なんて珍しいわ。そんな心にもない事を言っても『貸す』から『買ってあげる』には変わらなくてよ?」
「偶には素直に褒めたのに、何もないなら損したわ。なら今日は一個くらい買わせてみせるとしましょ。で、何処に行くのよ?」
「そうですわね、取り敢えずは‥‥あそこに行きましょうか」
語りながらまた引かれる。
見ながら言ったアソコってのは、道の反対側にある書店兼喫茶店か?
あの店に行くのなら道を渡る前に思いついてほしいものだ。
こちらの世界では飛べない、事もないけれど飛ぶと目立つ為、この信号機ってのに引っかかると何もせずに待たないとならないのだから。
自動車って乗り物が黄色の灯りに気が付いて止まり始める。
そのまま待つと次は赤が灯って、あたし達の正面にある信号が緑色の灯りに変わる。
そうなるとまた引っ張られるので、そうなる前に紫と並んで足を出す。すれ違う男達が紫を見て、あたしを見て、それから繋いでいる手を見て肩を落とす。
そういう目で見てくれるのは嬉しいが、肩を落とすとはどういう事か、声をかけるくらいしてきても構わないぞ、あたしはどちらでもイケる口だ、紫がどうかは聞いた事がないし、あたしも人間を相手にする趣味はないが。
そうして着いた店内で先にテーブルについて待つ、喫茶店だし一服でもと煙管を取り出したが、赤い紙巻煙草にバッテンが押されているマークが目についてしまい、致し方なしと我慢した。吸えないところでは吸わない、愛煙家としての自分ルールを守りつつ連れ合いを待つと、何やらカップを2つ持った紫がこちらに歩んできた。
頼んでないのに持ってきてくれるなんて、気が効いて、胡散臭い。
「どっちがいい?」
右と左を差し出して、どちらが良いかと問うてくる。
右手には透明で丸い蓋のされた物、何やら白いクリームが乗った見た目から甘そうな物。対して左手の物は白くて平らな蓋のやつ、嗅げる香りは珈琲に
僅かばかり前に差し出されているのは右手の物で、左手は私のよ、という雰囲気が見て取れた為、せっかくだからあたしは奥のカップを選んで手を伸ばした。
「あら、甘いもの好きじゃなかった?」
「好きだけど、それ以上に木の実好きなのよ、あたしを何だと思ってるの?」
「あぁ、そうよね。忘れていたわ。熱いから気をつけなさいな」
「忘れられたらまた消えるから、勘弁して‥‥母親みたいな物言いもやめて、気色悪いわ」
軽い冗談を言いながらカップの蓋を下唇にあてがう。
ハイハイと、またもや保護者のような事を言いつつ、緑色のストローを咥える相手に動きを見られている気がするが、そんなに見つめてくれてどうしたの、とは誰のお言葉だったのか、わからないくらいの熱い視線に思えた。
何かを飲む仕草が珍しいかね、外の世界で話しつつ外の世界の物を口にしている姿は珍しいかもしれないけど、仮にこれがお酒で、場所が妖怪神社だったら然程珍しい物でもないと思うのだけれど‥‥考え事をしながら傾けたカップ、少し傾斜をつけすぎたのか、思った以上に口に流れてくる中身。それが予想以上に熱くて、思わずアツッっと小さく言ってしまった。ピリピリとする舌先を出しつつ言うと、それも見られて笑われる。あまり見られないやわらかな笑み、人の失敗でそんな顔をするなよ、余計に気恥ずかしくなるじゃないか。
「だから言ってあげたのに」
少しの声を漏らし、言った通りになったと笑う紫。
それが恥ずかしさに拍車をかけてくれて、意識せずにうっさいとぼやいた。そのぼやきまで笑われて、こっちは冷たいから、と飲んでいた物をするりと交換された。一度やらかしたのだから二度目は問題ない、そう思うけれど火傷したベロに再度熱いのはアレだなとも思えて、素直に渡された物を口に含んだ。
確かに冷たくて、これが意外と心地よくて、ガシャガシャと氷を回して飲んでいく。また暖かな視線を感じるけれど、もう良いやと気にせずに甘みの強い残りを味わった。
煙草は吸えていないが色々と熱かった一服を済ませ、次はアチラねと語りつつ、再度お手々繋いでのデートに戻る。先程は女二人でって目線を感じたから一瞬戸惑ったが、伸ばされる手があまりにも自然で、悩みもせずにその手に触れられた。
そうして連れ歩かされて次に着いたお店は駅の近くにあるお店、先に思いついていた洋服でも見るつもりなのか、吊るしが目立つ店の入り口を潜っていく。外見から感じた通り、入り口から壁に掛けて吊るしのお洋服が一杯で品数の多いお店、店先の一角には小物もあるらしく、アクセサリーの類も見るのなら都合が良さそうな雰囲気だと感じられた。
店内で別れ、あたしは小物、あちらはお洋服と、それぞれ見ていると声を掛けられた、何かお探しですかと問われ、自分を少々と返す。すると、見つかるといいですね、なんて少し噛みながら下がっていく店員さん。ちょっとイタイ人だなって顔に書いてあったけど、残念ながら人ではないのであたしには該当しないな。
「ねぇ、これなんて似合うんじゃない?」
つらつらと棚を眺めているとまた声を掛けられた、が、こちらはデート相手の声。
何やら見つけてきたらしいので、何を気に入ったのかなと声の方に視線を流す。そこには白いオフショルダーのTシャツを持った紫、チョイナチョイナと手招きされて、ホイホイと向かって行くと、あたしの肩にそれを宛てがう。
「ね、どう?」
「自分用じゃないの?」
「私の物ではありませんわ、Tシャツなんて着ないもの」
「あたしも着ないんだけど? それにこれ、なんて書いてあるのよ?」
肩に当てられた、まぁ肩にかかる布地はないんだが、そのシャツを眺めつつのガールズトーク。
丁度右の胸元から下っ腹の辺りに書かれた単語、何処の文字だかわからなくて読めん。『Ru』で始まり『die』で終わる外来語に思えるが、なんて書いてあるのだろう?『いんぐりっしゅ』の一部分、死だか死亡だかってのは読めるが他はよくわからず、紫に聞いてもはっきりとは教えてくれないし、店員さんも近寄ってきてくれない。
「死ぬほど激しいとか、そんな意味合いよ、確か」
「ふぅん、それで、似合うと言ってきた根拠もそれだったりするの?」
「正解よ、悪くない皮肉でしょ?」
確かに、さして激しい気性でもない死人に充てるにはいい皮肉だ、同じく悪く無いとも思う。気に入ったなら貸してあげる、そのようにも追加されて、気に入らなくもないけれど今日のところは、と断り見送った。嫌いじゃないが季節に合わない、これからは冷え込んでいくばっかりで、そんな中両肩を出しては冷える。別に冷えきってもこちらは問題ないが、まぁそこはいいか。兎も角、これは買わないと伝えると、変な顔してそれをワゴンに戻すスキマ。
なんだ、見切り品なら安いのだろうし買っても良かったか、と思い直したが再度手に取るとまた笑われるので、これもまた耐え忍んだ。
そうこうしているといつの間にやら移動したデート相手。
次はなんだ、動きを眺めていると小物のある辺りでウロウロとし始めた。こうして中身を知らずに見ていると見た目相応な動きだけれど、口を開くと胡散臭い事しか言わない相手、それもギャップと呼べるものかね‥‥良いのか悪いのかわからないが。
考え事をしていると、その頭に何か乗っけられた、視界を陰らせてくれたそれを上目遣いで見てみると、眼鏡のフレームと重なるくらいのところに丸い黒がチラリ見える。
「こういうのはどう?」
勝手に被せ、人の体を勝手に回す。
立ち見に対して正面に、肩を押されて回されて、これはどう? なんて訪ねてくるが、次は帽子を選んでくれたってか。真っ黒で飾りっ着のない中折れ帽を被っている自分、その隣には通常の倍くらいフリフリ部分が目立つドレス姿の紫、鏡を見ているとソレ越しに目が合って微笑まれた。
本当に今日はどうしたんだろう、なんて思考がちょいと過るが取り敢えずはコレの感想を言うべきか。紫の趣味が良いのか、あたしの格好には合う気がするが、生憎と帽子は被らない。好き嫌いで言えば嫌いではないが、被れば以前に鬼がプレゼントしてくれた銀のカフスが隠れてしまうし、耳が蒸れてしまうような気がして、買っても被らないだろうなと思える。
それならここはこういったお返事になるな。
「いい趣味だと思うし嫌いじゃないけど、パスするわ」
「お気に召さなかった? 白ばっかり着てるから黒を足してあげようと思いましたのに 」
「中身が黒いから外側くらいは白を着てるの、でないとあたしのカラーにならない気がするのよ」
「最近は白が多めの薄い灰色だと聞いているけれど、貴女がそう言うならそれでいいわ‥‥それにしても、さっきから好き嫌いが多いのね、困りますわ」
脱いだ帽子を押し付けると、ぷいと横向く誰かさん。好き嫌いはあまりないが、気に入らない部分はハッキリ嫌だと言うのがあたしだ、それくらい知っているだろうに、今更困る事だってか?
態度も何やらツンとして、これはまた素直な女子っぷりの見られる拗ねっぷりだ、本当にこいつはあたしの知る妖怪の賢者様なんだろうか、もしかしてまた化かされていたりするか?
「誰が何に、どう困ってるって言うのよ?」
「アレは嫌だ、これは要らないと駄々をこねてばかりの誰かさんが私とのデートを楽しんでくれませんの。折角連れ出したというのに、これでは誘い甲斐がありませんわ」
渡した帽子を手に取ってそのまま向いた先、小物コーナーのある店先に歩いて行く金髪。
うむ、あのクドイ言い回しは間違いなく紫だ、ナニカに化かされていたりはしなかったな。
なんというか、こういった場合はどんな反応をすれば正解だったのだろう、選んでくれてありがとうとでも言って、あたしも可愛さアピールすればよかったのだろうか?
それはまた面倒だな、心から欲しい物でもあれば全身全霊で甘えたり出来るけれど、今は振るための尻尾も隠しているし、キラキラと輝かせる銀眼も茶色の地味な色に化かしている。いつも使う甘えのポーズはこれでは使えないし、それでも何かしらでご機嫌取りをしないと厄介な少女がひたすらに面倒臭いし。
傾いたご機嫌を戻してもらうなら何をすべきか?
眺めつつ思案するが、パッと思いつくモノもないし、天啓のようなモノもない。
からいいな、今は素直にあやして甘やかしてみるか。
「ちょっと、往来で拗ねないでよ。子供じゃないんだから」
ただでさえドレスなんて目立つ格好の金髪美人さんだ、そんな輩が外から丸見えの位置でツンとしているってのは目を惹きつけるようで、お陰様でエライ目立ってくれて、外を歩き去る人らの視線がこっちを向いていると丸わかりだ。
この状況はなんだ?
なんであたしが悪いような目で見られるんだ?。
何を話しているのかは聞こえないだろうが、拗ねる誰かに表情や態度からナニカこじれているってのは伝わるらしい、紫を見てから連れのあたしを見る目が非難というか、含みのある目つきに見えてこそばゆい。こんな視線を外でも浴びせられるのは何故なのか、何もしてないわけでもないけれど、こんな、今のような針の
あれか、美しさは罪だとでも、罪作りな女だとでも思い込めばこの視線も気にならなくなるか?
あたし一人ならそれでイケるが、今は難しいだろうな、そうするには紫が目立ちすぎている。
あぁ、もう、面倒臭い。
「誰かさんも同じように拗ねていましたし、私も心はいつまでも少女のままですのよ?」
「一緒にしないで、あたしは一人にしか迷惑かけてないわ。それに少女って、誰の事を言ってるのよ」
「私も貴女にしか迷惑だと思われておりませんわ。後半も、可愛い少女、ゆかりんの事ですわ」
「店員さんは頭数に入っては‥‥いないのね。あのさ、もう一回くらい聞き返してあげようか?」
「何度問われても変わりませんわ」
ちょっとあやしてみれば抜け抜けズケズケと、一体全体何処のどちら様が可愛い少女で、りんなんてつくような愛らしい輩なのか。あたしに向かって駄々をこねるなんて言ってきたのは誰なのか、その辺綺麗にひっくり返して言ってやろうか。と、心から思うところなのだけれども、そこに言及すればまたむくれてしまうだろうし、あまり人様の事を言える立場でもないのでここは思考を切り替える。
いつまでもこそばゆい視線を浴びっぱなしでは困る、ここが幻想郷だったなら、また何かやってるという視線で、ソレには慣れているが、ここは外で別の世界だ。常識が罷り通るこちらでは女同士で揉めているのは珍しいらしく、慣れた物とは別の奇異の視線が感じられてしまって、これがまた気に入らない‥‥が、紫から折れる事はなさそうな雰囲気だし、ここはあたしから折れよう、これも甘やかす部類に入るだろう。
「はいはい、わかったわよ。じゃあこうしましょ。次に選んでくれたやつは断らないから。着てもいいし、帽子やアクセサリーなら付けもするから、それで機嫌を直してもらえない?」
致し方無しの折衷案。
先ほどの、あたしを例えに真似てきている拗ねっぷりだというのならこういった折衷案を出せば折れる、そんな読みで言ってみたところ案の定、それなら少し待っててねと、また一人で奥へと消えていった少女紫。
これはまた待ちぼうけか、と先ほど眺めていた棚を見つつぼんやり待つ。
そうしているとすぐに戻ってきた美少女、最早突っ込むのも面倒臭い笑い顔で戻ってきて、一本の赤いのを差し出してくる。
リボンか、またあたしのキャラになさそうな物を、と手に取り伸ばすとリボンじゃなかった。
「ネクタイ? なんでまた?」
少し細め仕立て、赤地に黒ストライプ柄のネクタイ。
どこぞの太鼓様から聞いた知識になぞらえるなら、タワーシェイプだかいう形のコレ。
ふむ、どうやら紫もそれなりに譲歩してくれたらしい、帽子に比べればこちらはまだマシに思える、それでもなんでまたネクタイなのだろう、少女少女と強調するからもっとそれっぽいものを持ってくるかと思っていたのに。
「いいから、締められる?」
「まぁ、多分、大丈夫」
着ているシャツの幅広い衿を上げ、するりと通して、左右の長さ調整をしていると、手馴れているのねって声が掛けられる。
あたしは首周りが締まる気がして好んで着用したりはしない物だったけれど、これを締めている相手が直ぐ側にいるし、そのお陰もあってか、今は割りと好きで、締めたり解いたりするのは目を瞑っていても出来るはず。
だったのだけれど‥‥
「長さが逆ね、それ」
「あれ? 本当ね。こう、締めてあげる時は‥‥あれ?」
指を刺される胸元、そこには面に見える部分より後ろを通す部分が長いタイがぶら下がっている。おかしい、縛れないはずはないはずなんだけど?
ここをこう通して、コレをソウするとハーフなんたらノットとかいう縛り方になるのよ、なんて我が家で言われながら覚えた縛り方、その手つきを何もいない空間に向かってやっていると微笑まれる。そう笑うなよ、自分でもエアネクタイなんて阿呆だと理解しているのだから。
「締めてあげる事には慣れていても自分の首には結べないのね。ほら、貸してみなさいな」
空中でモニョッているあたしの手を払い、そっと近寄って胸元に手を伸ばされた。
手を取ってきた時と同じような自然な流れ、まるで慣れていますとでも言うような仕草で近寄りするすると結んでいく。あたしと紫では身長差が然程ないから少し違うのだけれど、あっちの太鼓からはこんな風に見えているのかと、誰かの視点が少しわかって面白い。
クスリ、小さく声を漏らす。
それと同時に結び終えたらしい紫。
微笑んで顔を上げる、事はなく、少し背中を丸め低い姿勢のままで、今度は背後に回って立ち見の前にあたしを押していく。
「これなら悪くないんじゃない?」
立ち見で姿を確認しているあたし。
その二の腕辺りからヒョコッと綺麗な顔を出して、見ているところを評される。
確かに悪くないし、先に交わした約束から外したりはしないけれど、キッチリと上まで閉められて少しだけ息苦しく感じて、ついでに第一ボタンのないシャツではきっちり締めあげると不格好に見えるので、少しだけ緩めて垂らした。
そうしただけで少し陰る笑顔。
これは‥‥本当になんだろうな?
鏡に映る姿を見て儚げな顔をする紫。
こんな顔を見せる事などそうはないというに、今の姿の何処を見てそんな顔をするのか?
「こっちの方がだらしないあたしに似合うと思わない?」
「そうね‥‥かっちりし過ぎているのはアヤメには似合いませんわね」
同意を得られたので直さずにそのまま、結んで貰ったネクタイを見つつ、鏡に映る自分を見る。
よく着ている白のシャツには追加された赤いネクタイぶら下げて、下半身は深いスリットの入った真っ黒なスカート姿。首から下は違和感ないが、髪と瞳がこちらの世界に馴染む色、いつかこちらで出会った女子校生を真似た茶色に染まる、見慣れない自分を見て思う。
化ける際に目立たずというだけで色の指定まではされなかったから、こちらの世界の住人を真似たというに、真似た姿を見られてからなんだか扱いがモヤモヤとしてしまっている。
先ほどの帽子もネクタイも、あれやこれやと自分の好みで着飾ってくれて、あたしの趣味嗜好を多少は知っているくせに、そこを無視して押し付けてきた理由を思案する‥‥つもりだったが取りやめて、少し引っ掛けてみる事にした。
「あたし以外の誰かだったら似合ったのかもね」
「アヤメ以外って誰のことかしら?」
「さぁ? あたしにはわからないけど、さっき『には』って言われたからね、他の誰かと比べていたのかなって思ったのよ。思い過ごしなら忘れてくれていいわ」
語った通りで他意はない、誰かと比べられようともあたしはあたしで、自分からブレたり、はするがズラされたり多分しない。だから至って気にはしない、そんな性格だというのも知っているはずなのに、ちょっと引っ掛けただけで儚さに悪びれも感じられるような顔にさせてしまった。
コロコロと表情をかえてくれてからに、その顔はなんだ?
何処のどなたを鏡に写し、その瞳では誰を見ている?‥‥なんてのは別にどうでもいい。
それよりも紫自らが言った通りの少女らしく変わりやすい顔、感情表現の幅が広くて、その豊富さが妬ましく思える部分の方が興味深い。そう思った通りに口に出した、すると数秒、また顔色がコロッと変わる紫色の美少女。
「また褒められてしまいましたわ、なんだか……照れてしまいそうね」
「褒めてないわ、妬んだのよ」
「はいはい。それじゃあ怖い橋姫は物で釣って許してもらう事にしましょうか。良ければ一品買って差し上げますわ、なんでもよろしくてよ?」
「だからあたしをなんだと思ってるのよ‥‥選んでくるから、ちょっと待ってて」
なんか買ってと言うには言ったが実現するとは、これは悪くない
それじゃあと、鏡の中に紫を残して、先ほど被らされた帽子を手に取り持っていく。
これでいいわ、語りながら押し付けるとまた難しい顔をされてしまったが、いいからコレを買って寄越せ、ついでにネクタイとさっきのTシャツも買うから金を貸せと、
店員さんが引くくらい、ちょっと勢い強めで詰め寄って、鏡の前に居座っていた紫をそこから追い出して、今度は自ら帽子を被り、ついでに眼鏡も外して、
「貴女‥‥トレードマークは外さないんじゃなかったの?」
「そうね、これはあたしのトレードマークだけど‥‥今は髪色も瞳の色まで変えさせられた誰かだもの、それなら拘る必要もないし、外しても良いかなって思ったのよ、ゆかりん」
言われた問いに真っ向からお返事を。
変えさせられた、なんて物言いを聞かれれば怪しまれるかな、と思ったけれど店員さんも日本人っぽいのに紫のような髪色だし、瞳の色も何やら青い。それならこちらの世界でちょっと変えるくらいは楽なのだろう、そう邪推してはっきり言い切る。
語りながら手を差し伸べて、早く寄越せとらしく強請る。そうしてみたらば笑ってくれた、朗らかで、見比べていただろう誰かに向けたい笑顔で笑ってくれて、随分と可愛らしい紫。
この笑顔は他人に向けられたもの、あたしに対してではない。
その部分は先程の対応からもなんとなく察する事が出来た。
だからといってあたしが凹んだり、悲しんだりするかと言われればそんな事はなかったりする。元々がメインを張らない添え物ってのがあたしだ。その辺の何処にでもいるような、典型的な
それでも気分が良いかは別だから、ここは一つ別の事でも考えてそちらが主題だと思い込んでおく事としよう。代わりに思うなら……そうだな、哀れみってところか?
感じるなら自慢気な心情ってやつだろうか?
比べられた誰かさんに対して、悪かったな見せられなくて、恨むなら今この場にいない事を恨んでくれよ、と会えない事に対して少しの哀れみを‥‥同時に、ここにいれば可愛い少女の顔を見られたのに、タイミングが悪い奴だな。と、代わりに見られた事に対する自慢気な情を少々覚えた事にして、紫の腕を取った。
そうして財布を連れて、選んでくれた品を精算しにカウンターへと二人で進む。
結局そっちも買うのね、などとTシャツ見られながら言われたので、少女らしく気変わりしたのだと返すと、皮肉を言ってきた相手も少女らしく笑ってくれた。
それから他も見て回る。
あたしは悪戯な顔で、見知らぬ誰かの姿を借りて、一緒に歩く少女の手を引いて。
引かれる少女は、ちょっとだけ苦しいが柔らかな笑い顔で、見たい誰かの影を踏んで。
そうして逢魔が時が過ぎるまで、影が伸び踏みやすくなるまで借金しながら買い物を続け、背が高くなったあたしの影が紫の瞳に映らなくなった頃。上掛けなしで過ごすには少し肌寒くなってきた頃合いに、次は暖かくなってから、深い眠りから目覚めた後ぐらいに、幽々子も誘って三人で来ようか。なんて話を、寂れた神社へ向かう帰りの電車内で語り合った。