ミンミンからカナカナと、耳に届く時雨が変わるか変わらないかという季節、それと時間帯。夏場でも着られるようになった長着の袖を振りながら、一人ぽてつんと佇むのは我が家前。玉砂利が敷かれた参道を抜けて奥へと進んだ辺り、立ち並ぶ誰か達の終の棲家を過ぎて行くと端の方にあるあたしの家。
正確には家ではなく別荘で、形だけある留守物件みたいなものだが、中に入れるわけでもないし、本来ならばこの下に収まるのが正解なのだろうが、まぁその辺りはテキトーに。
口の端には咥え煙管、右手には火を入れたお線香が少し、左手には昼間に行われたライブ会場で揺れていた、譲ってもらった太陽の花を携えて、自分で自分のお墓参りってのをしてみている。
送り盆なんてらしい日に、なんでまたこんな事をしているのか?
そう問われても答えられない、そりゃそうだ、だってただの思い付きだもの。
ライブ会場で再度出くわした彼岸の川渡しに、そういや墓石も残ってるんだねぇなんて言われて、言われてみれば取り壊しも移動したりもせず残したままだと思い出して、それなら偶には顔を出してみるかと一人で別荘掃除をしたのが先ほどだ。
命蓮寺に入るまでは隣にいた雷鼓、今はどこかをほっつき歩いているだろう太鼓様も一緒の二人参りだったのだが、いざ墓場に入ろうとした時にやっぱりやめておくと一人で夕景の中へと消えていった。行き先も伝えそれでもついてきたというに、実際に墓は見ずに消える理由が思いつかなかったが、お天道様と同じく、近づくに連れて少しずつ影が差した雷鼓の顔を見て、なんとなく察する事が出来たので引き止めもせずに寺の門で別れた。
地底で思い出し泣きしてくれるくらいだ、ここに来ればまた思い出し泣きをするか、そこまではいかなくともなにかしら上ってくる感情ってのがあるのだろう‥‥嬉しく思える反面、申し訳ないというか、いたたまれない気持ちにもなるが、今考えても後の祭りだと、音楽祭の後に考えている。
ぼんやりと揺れる自身の影を墓石に写し、考える事も薄ぼんやりとした思いに耽る。珍しく真面目に思案しながら、既に誰かが供えてくれたらしい菖蒲の隣に向日葵を差し、焼け落ちているお線香を払ってから手持ち分を備えた。そうして立ち上る煙に煙管の煙を混ぜ込んで、肩から下げた徳利を墓石の頭に浴びせていると、何も考えていなさそうなのが視界の端に現れる。
弱く抜けていく
なにやら気安げに、曲がらない手を振って寄ってきてくれたわけだし。
「おー、アーヤーメーかー」
ふらふらと無軌道に漂う
「普通に話そうと思えば話せるんだから、変に間延びさせないでくれる?」
「お? なにがだ? そうだ、今日は何だ?」
「さらっと流さないで欲しいんだけど、まぁいいか。お墓参りよ、見てわかるでしょ?」
「おぉ、お前も墓参りに来たか、今日は侵入者が多くて大変だー!!」
生きていないのに、思わず生気でも感じてしまいそうないい笑顔で叫んでくれる芳香だけれど、随分前に事切れている身体で大変とは、疲労感など感じる事が出来るのだろうか?
案外感じたり出来るのかもしれないな、あたしの腹が減るくらいだ、御札が取れたら一人で歌を詠む事があったりもするし、生前の記憶というか習慣くらいはコイツにも残っているようなのだから疲れるって感覚も覚えているのだろう。
侵入者ってのがあたしを言うのか、先祖の送迎に訪れた里の人間達の事を言うのかはわからないが、どちらも守れと言われた場所に入ってくる輩には違いないし、気にする事でもないな。気にするなら別の方か。
「お前もって、あたしの墓に他にも誰か?」
「ん? 色々来たぞ?」
「だから、その色々って?」
「色々だー! 青娥も来たし、青娥みたいなのもあらあらって笑ってたぞー」
「娘々みたいなのって、そういえば娘々は?」
「わからん!」
「あぁそう、聞くだけ無駄だったわね。邪な奴ってのも心当たりがありすぎてわからないし、こっちも無駄だと思うけど一応ね、誰の事よ?」
「知らん!」
死体のくせに元気よく知らんと言い放ってくれるが、一言バッサリと言ってくれるくらいだ、予想通りでこれ以上聞いても多分無駄だろうな。なら聞き出すことは諦めてどうにかこじつけてみようかね、ただの思い付きで来た場所で、新たな思い付きに賭けるというのも悪くない。
まずはどこから手を付けようか、娘々みたいな、って取っ掛かりしかないが、それから引っ張り出せるとすれば‥‥
「色々って言ったわね、何色だった?」
「んお? いっぱい見たぞ?」
「いっぱいって、一人でカラフルだったの? それとも大勢?」
「そんな事言ったか?」
「芳香、自分で言った事くらいは覚えて‥‥いられないのよね、中途半端に覚えてて意思の疎通も出来るってのも難儀だわ」
「難儀だと? 難しい事なんてあるかー!」
お前に対して言ってない、お前を構う自分に対して言った慰めの言葉だったが、おかげで少し思いついたしそれについての嫌味は言わないでおこう‥‥言ったところできっと無駄だ。
曲がりにくい四肢をブラブラとさせながら、夕日を浴びて廻りを漂う芳香、自分の墓に腰掛けるあたしの廻りを飛び回っているが、こう回りを漂われるというのも悪くないな、どこぞの付喪神達のお麺や太鼓を見ているようで、なんとなく悪くない景色だと思える。
『自分を中心に見てくれて離れずにいてくれる相手がいるって素晴らしいもの』
そう言って来たのはこいつの主だったか、娘々が言うような視線こそ感じないが、こうして付かず離れずいてれるってのはそれなりにいいかもしれないな。
なんて思いに浸っていると、不意に止まる屍尢。
なんだ、死んだか?
いや、元より死んでいるな、ならなんだ?
「ちょっと、何止まってるの? 死に直したの?」
軽口吐いても動かない死体、死体だから本来動かないのが筋なのだけれど今し方まで動いて話して笑っていたし、そこは忘れてちょいと構ってみる。話してダメなら触れてみるかと、一枚しか着ていない中華服の上から胸先を突いてみても、スカートのスリット部分を捲ってみても無反応な死体少女。視界の先で手を振っても瞳に光も戻らない、というより元々宿ってもいないか。
しかし、どうしたもんか、娘々の姿も見えないし放っておけば腐り落ちてしまいそうだし‥‥最後の手段と思い、おでこの御札に手を伸ばす。軽く摘んで引剥がそうとした瞬間に、後ろから聞こえてきたゴトゴト音。
「あれ、狸のお姉さんじゃないか。お姉さんもお墓参りかい?」
凸凹とした墓場の敷石に負けない勢いで猫車を押してきた猫、じゃなかった火の車。
‥‥なるほど、動く死体が動かなくなったのはこの子の仕業かと頷いていると、愛車に芳香を突っ込んで満足気に笑う二本尻尾。
「誰かと思えば、地上でまで燃料拾いだなんて仕事熱心ね、お燐」
汗もかいていないのに狭い額を拭うお燐、してやったりと満足気な笑顔で愛らしい姿。まぁ動く死体なんてそうそういるわけでもないし、お燐の獲物としては上物になるんだろうさ、それが手に入って上機嫌だってのはわかるが‥‥どうすべきか?
放っておいても構わないが、連れ去られるのを黙って見ていたと知られればあらあらうふふってのが怖いだろうな‥‥
「ふふん、これは燃料にはしないよ?」
「そうなの? 確かに色々手が入ってるから燃えにくそうだけど、そういう奴のが燃料としては長持ちするんじゃないの?」
「そうだけどさ、コレはあたいのコレクション用なんだ」
「コレクションねぇ、そんなにいいの? 死体って」
「いいもんだよ? 全部終わって後腐れない相手を弄ぶってのは独占欲が満たされるんだ!」
「放っておくとそいつは腐るわよ、長持ちはしないわ」
「そうしたら炉に放るだけだよ、出会いのモノだから楽しいんだよ? お姉さんにもそういうのあるだろう?」
愛くるしい笑顔のままで問うてくる死体愛好家、出合いを楽しむってのもわからなくもない、今のように愛おしい相手をひょんな場所で見かけるのも楽しい出合いとも言える。だからこのまま拉致されていくのを見ているのもいいかと思わなくもないが、暇つぶし代わりの会話に付き合ってくれた死体仲間を見捨てるのも気が引ける。
どうしたもんかと傾いでいると、いそいそと猫車を押し始める火車。考えている暇はなさそうだし、取り敢えずなんでもいいから時間潰しでもしておくか。
「ねぇお燐、お姉さんもって言っていたけれど、他にも誰か来てたのを見たって事かしら?」
「あぁ、あたいがお供えしたのさ。墓参りだとか言わないと寺の奴らが入れてくれなくってさ」
なるほど、本来出入り禁止なこの子がここにいられるのはその為か。
いつだったか聞いた笑い話。
墓標で眠る死体目当てで一度命蓮寺に弟子入り志願したらしいが、ここの住職に思惑が看破されてしまい、さっくりと断られた上に近寄るなという釘を打たれたって話をこの子から聞いている。狭いはずの額に落とされた南無三が痛かったと赤い猫目を更に赤くしていた姿が印象深い。
だというのに今いられるのはあたしをダシに使ったか、相変わらずの自分に対する素直さで好ましいな。
いざ地底、書く面積の少ない額にそう書いているお燐を呼び止め、そのまま手招きして例を述べる。猫車の中身とあたしを見比べて一瞬戸惑っていたが、迷った挙句にこちらに来てくれた地底のペット、普段から可愛がっていて良かったとこういう時に思う。
目の前に来たお燐に向かいペシペシと、自分の腿を叩いてみせると腿には来ないであたしの隣、墓石に腰を降ろした‥‥猫の姿に戻らない辺りに先を急ぎたいって心が見えるが、もう少しだけ、ニャンニャン違いが気づくまであたしに付き合っておけ。隣に座ってソワソワしている頭に手を伸ばし、そのまま頭だけ腿に持ってくる。拒否はされず、借りてきた猫のように静かに動いてくれる地獄の猫、日を浴びて更に赤くなる髪を撫でつつ、お礼でも言っておく事とした。
「お燐がお供えしてくれたのね」
「あたいより先に来た人もいたみたいだよ?」
「そうなの? それでもありがたいわ」
「‥‥墓の主にお礼言われるってのも可笑しな話だけど、お姉さんがいいならそれでいいや」
撫でているのは喉でもないのに、ゴロゴロと聞こえそうな顔を見せてくれるお燐。騙しているようで、いや、正しく騙しているから少しばかり気が引けるが言った言葉に偽りはないし、感謝を述べて嬉しく思ってくれるのが嬉しく、柔らかく笑いながらお燐を撫でていく。
そうしていると目の前の猫車のある地面に小さなピンクと黒い縁取りが見えた、丸い真円型に現れた縁取り、ちょっとだけ花の香りが漂ってくる真っ暗な穴っぽこ。わざわざ持ち主に似せた形で手を出してくれる理由が分からないせいか、撫でる指先もそんな形になってしまったらしく、触れ方が変わった事で目を開いたお燐が、音もないままに落ちていく愛車を見て尻尾を太くした。
「あっ!! あたいのネコが! 折角のコレクションが!!」
動きに気がつくと飛び起きて、真っ暗な真円に落ちていく愛車に手を伸ばすお燐だったが、その手が孤輪車の押し手から逸れてしまって掴む事は出来なかった。真っ暗で見えない深淵の中を覗きこんでいるお燐、その背に向かって声を掛けてみる。
「残念、持ち主が帰ってきちゃったみたいね」
「……お姉さん、これを狙ってたね? 折角手に入れたのに‥‥お姉さん、ちょっと酷くないかい?」
「あたしが何かしたわけじゃないけどそうね、確かに酷いかも。ならどうする? あたしも操ってみる? 待ってあげるから試してみたら?」
「怨霊しか操れないと思って煽るのかい!? あんまり馬鹿にしないでおくれよ!」
赤い瞳孔を縦に細めて、フシャアと威嚇してくる火車、そんなお燐に向かって試してみたらと煽りをくれてみる。するとお燐の周囲にポツポツと浮かぶ青白い穢れた魂、ほの暗く燃え上がる髑髏が数個現れると、あたしに向かって飛んできた‥‥が、触れられず廻りに逸れていくばかり。
「ちょっとお姉さんズルいよ!」
「何がよ」
「待ってくれるんじゃなかったのかい!?」
「だから待ってるじゃない、動いてはいないわ」
「そんなの、待つって言わないよ!」
「逃げも隠れもしてないわ、可愛いお燐が相手だから逸らすだけで待っているってのに、文句が多いわね」
話しながらも飛んでくる大量の怨霊共。
操者の内面を現すような熱さをたたえて奔ってくるが、ぶつけたいあたしにはギリギリで触れられず、着物の袖や裾をを少し焦がしては明後日の方へ飛んでいく。
きっちり逸らせば焦げる事なんてないが本気で悪いと思っている為、多少は焼かれて見せているけれど、どうにもこの程度では収まらないらしい。牙も見られる表情と同じで放つ怨霊も苛烈だ、どうやって誤魔化そうかとあぐねていると、本堂の方が賑やかになってきた。
盆の墓場で怨霊が飛んでいればさすがに気付くか。
「もう! 気づかれちまったじゃないか!」
「みたいね、どうする? 諦めて尻尾を巻く?」
「‥‥そうするしかないじゃないか、恨むよお姉さん」
次第に騒がしくなる寺とは違い一気に静かになるお燐、いきり立つ勢いで太ましかった尻尾も下げ、尾先が地面についてしまいそうな程になってしまった。ぱっと見から落胆している、ソレがわかる見た目と声色‥‥そんな姿を見せられるとちょっとは悪いと感じるが、それでもしてやったりという心のほうが強いのは性根ってのが曲がっているからだろうな。
真っ直ぐというにはちょいと逸れているあたしの根っこ、だが‥‥このまま帰してしまっては今後温泉に通いにくくなる、それは困るし出来れば嫌われたくもない相手。都合が良すぎるように思うが、お燐もあたしの身体を狙った事があるし、ここはそれでおあいことしてだ、何かないかね?
良さそうな釣餌は。
「もう終わり? 猫らしく飽きが早いのね」
愛車が落ちてしまった穴の底を眺め、取りに行くべきか諦めるべきか悩んでいそうなその猫背。それに向かって話しかけても無言が返ってくるだけで、何の言葉も返ってこない。恨むってのは伊達ではないらしくまるで相手にしてくれなくなった愛らしいペット、これは本格的にマズイな。致し方ない、今度は本当に自分を餌にしてみるか。
わざと足音を立てて墓から降りる、敷石からコツっと鳴らすと頭の上にある方の耳がハネた。無視してくれているだけで無関心ではないってのがわかり、少しだけ安心しながら自分の墓石を盛大に蹴り上げた。結構な音を立てて巻き上がると、命蓮寺との仕切り代わりの壁にぶち当たり割れるあたしの別荘。掘り返した墓穴をガサガサとしてみれば、すぐに見つかる誰かさんの右腕と左足だった骨。
「お燐、これじゃダメ?」
少し振って土を落とし、二つを合わせてカランと鳴らす。
そうして鳴らした音から、いくらかは察していそうな火車に声をかける、地底で愛玩している時の声色、先程までの意地悪さを多分に込めた声ではない色で話すと、ちょっとだけ顔を動かして、横顔と片目だけを見せてくれたお燐。
「肉は残ってないけれど、骨だけで良ければあげるわ」
「……ホントにくれるのかい? また騙したりしないかい?」
「もうしないわ、嫌われたくないもの」
「でもお姉さんの身体だよ?‥‥後で返してって言ってもダメだよ?」
「言わないし、猫車も拾ってきてあげるから、これで機嫌を直してよ、ね?」
お燐からの返事は待たずに、白骨二つをポイっと投げる。
わざとらしく穴の辺りに向かって放ってみると、落ちる前に2つとも回収された。左右の猫の手に収まるあたしの遺骸、二つを暫く見つめてから大事そうに抱えてくれた死体好き。気に入ってくれたなら何よりだが、掘りたてほやほやをそう抱いては綺麗な柄のワンピースが汚れてしまう、そんな風に思い立った頃には歩み寄っていて、ちょっと汚れた袖の辺りを払っていた自分。
本当に、最近意識せずに動く事が増えた気がする、こうなるとあたしもなんか閉じるべきかね?
「
「諦めろなんてのも言ってないじゃない。アレはまた後のお楽しみとして好きに漁りに来たらいいわ」
「‥‥うん、そうする。ここに入る口実はなくなっちゃったんだけどね」
「そういやそうね。さ、そろそろ逃げなさいな。怖い住職がそろそろ来そうよ」
ピンクの雲が浮かぶ本堂の屋根を見つつ、お燐の頭を強めに撫ぜる。ガシガシと撫で付けて二つのおさげを振り振りさせて、乱れた前髪の奥に見えたおでこにでこピンしてみた。軽めにパシンと当ててみるとそこを寄り目で見ている火の車、その顔に南無三と言い放ってみると、名残惜しげな視線を穴に向けてからふわりと飛んで妖怪神社の方へと飛んでいった。
取り敢えず機嫌も戻ったし、物理的に叱られる前に逃せたし、雷鼓の無く場所も潰せたしと良い事尽くめで悪くないと、軽く微笑みつつ開きっぱなしの穴に落ちる。穴とは言わずもうスキマとネタバラシしておくか。漂う香りと小さなピンクから察したお燐以外のお参り相手、あれがいるだろう空間に落ちると、中に置かれている猫車に寄りかかり、お茶を啜る誰かさん。
「お節介ありがとう、紫。助かったわ」
「何に対してのお礼なのか、言葉にしてくれないとわかりませんわね」
墓参り、芳香、お燐と色々と甘やかしてくれてありがたい。が、素直にそれを言うのも気恥ずかしいので、全部ひっくるめて伝えておこう。さっきお燐に渡した誰かさんのような物言いを真似たように、言ってくれないとわからないなんてのたまう相手だ、それならばそれらしく感謝もテキトーに伝えておくのがいい気がする。
「色々よ、色々ありがと」
「そう、色々ならそれでいいですわ」
「罠にかけた獲物は?」
「さぁ、どこかその辺りの土の中にいるんじゃないかしら? 気になる?」
謝礼を述べつつ隣に寄って、そのまま腰を落ち着けつつ、ネコの中身を見てみれば空。
あるはずの中身はどこかと問うてみれば、ズズッと湯のみから音を立てた後でその辺にいるだろうという雑な答えが返ってきた。なんだよ、そんなつれない態度まで真似しないでもいいじゃないか、面倒臭い。
「気にしない、その辺にいるならいいわ、土に還る前に持ち主がどうにかするでしょ。それじゃこの尻に敷いているコレ、届けてくるから頂戴よ」
二人で座る椅子代わりの猫車、その箸の方を煙管で叩きカツンと鳴らして寄越せと願う。そうしてみたが離れない紫、寧ろ離れるどころかしっかりと座りなおしてくれて、タダじゃ渡してあげないと見せてくれた。
本当に手間のかかる友人だ、やはり顔を合わせると厄介だな、なんて考えていると余計な窘めとついでのおねだりが言い渡された。
「尻だなんて口にしないの、はしたないわ。そうね、おねだりしてくれたら返してあげてもよくってよ?」
前半はどうでもいいから聞き流して、おねだりしなさいとおねだりしてくるスキマ妖怪。元を正せばあたしが頂戴と口だけでねだったのが始まりな気がするが、なんだかよくわからなくなってきたな。話の筋を曖昧にぼやかしてくれて、尻尾が掴めず捉えにくくて妬ましい‥‥が、式やあたしと違って紫に尻尾はないし、持ってないなら代わりに振ってあげるかね。
ついでになんでまた墓参りなんてしたのか聞いておくか、手助けしてくれたのはお盆玉だと考えておいて、墓参りの方は理由もわからないのだから。ただの気まぐれだってのならそれでいいし、何かあるのなら聞いておきたいとも思うし。
「あたしのじゃないし、本気でねだる程じゃないのよね。でも返してくれたら甘えてあげるわ、お墓参りのお礼も兼ねてね」
「なら返してあげます、甘える代わりに酒盛りにでも付き合ってもらおうかしら? お墓相手じゃ酒盛りも、こんな話も出来ませんし」
「あら、構って欲しかったの?」
「そうよ、一寸法師や天邪鬼とは楽しくお酒を飲んだのに、私を呼んでくれないんだもの」
「紫を呼んだらアイツは逃げるでしょうに、逸しもせず見せてあげただけでヨシとも思いなさいよ」
「見せたかった、とは言わないのね‥‥まぁいいですわ、少しくらい付き合いなさい、偶にはね」
真似していた誰かの顔、眠たげな顔から普段の胡散臭い笑みに張り替えて、空けた湯のみを差し出してくる紫。こいつと二人飲みなんていつ以来なのか、最早思い出せないくらい前の記憶で外だったのか
けれどまぁいいな、式とは年に一回飲んでいるが主とサシで飲むことなどあまりないし、自身の墓を蹴り飛ばした後で、黄泉返った先の白玉楼で最初に会った相手と精霊送り酒ってのも中々に粋だろう‥‥あの時はしこたま叱られたが、今は笑っているし、それならば笑顔で注ごう。
湯のみに波々と注いでから、わざと徳利の口を当てて少しだけ零してやる。右手の指に垂れたそれを拭こうと、何処からかハンカチを取り出した紫の左手を止めて、右手を取ってあたしの方に近づける。そうしてちょっと屈んで見せてペロリと舌を這わせた。
酒に付き合うついでに甘えて見せて、その体制のまま見上げてみると、普段使いよりも穏やかな顔で笑む幻想郷の大家さん。そういやいつから紫と呼び捨てにするようになったのだろう?
死ぬ間際辺りか、反逆者らしく呼び捨ての捨て台詞を吐いたような覚えもなくもないが‥‥まぁいいな、生前の事は生前の事として酒で流して、ただの友人らしく呼び捨てで呼ぶのにも慣れておこう。悩んでいると舐めた右手が引かれる、そうして舐めた辺りを見つめてから普段通りの胡散臭い顔を見せてくれた紫。
その顔が見慣れた、嫌味で好ましいモノだったので、あたしも同じような顔で笑えた。